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アニー・ホール

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アニー・ホール
Annie Hall
監督かんとく ウディ・アレン
脚本きゃくほん ウディ・アレン
マーシャル・ブリックマン
製作せいさく チャールズ・H・ジョフィ
ジャック・ローリンズ
製作せいさくそう指揮しき ロバート・グリーンハット
出演しゅつえんしゃ ウディ・アレン
ダイアン・キートン
トニー・ロバーツ
クリストファー・ウォーケン
キャロル・ケイン
ポール・サイモン
撮影さつえい ゴードン・ウィリス
編集へんしゅう ウェンディ・グリーン・ブリックモント
ラルフ・ローゼンブラム
配給はいきゅう ユナイテッド・アーティスツ
公開こうかい アメリカ合衆国の旗 1977ねん4がつ20日はつか
日本の旗 1978ねん1がつ21にち
上映じょうえい時間じかん 93ふん
製作せいさくこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
言語げんご 英語えいご
製作せいさく $4,000,000[1]
興行こうぎょう収入しゅうにゅう アメリカ合衆国の旗カナダの旗$38,251,425[1]
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アニー・ホール』(Annie Hall)は、1977ねん制作せいさくアメリカ映画えいがウディ・アレン監督かんとくによるロマンスコメディ。脚本きゃくほんマーシャル・ブリックマン(Marshall Brickman)との共同きょうどう執筆しっぴつ。ウディ・アレン作品さくひんのなかでもっと人気にんきがある作品さくひんの1つ。作品さくひん公開こうかい当時とうじは、アカデミーしょうをふくむ数々かずかずしょう受賞じゅしょうした。2002ねんロジャー・イーバートは「おそらくだれもがきなウディ・アレン映画えいがだ」とべている。ウディ・アレンは以前いぜんはコメディのつくしゅとしてられていたが、『アニー・ホール』を監督かんとくしたのはかれにとっておおきな転機てんきとなり、作品さくひんにまじめさがくわわったといわれる。

なが会話かいわや、ちょうまわ陽気ようきさと傷心しょうしんにテーマをひとしの、現在げんざいまでにいたるアレン映画えいがのスタイルを確立かくりつした作品さくひん

プロット

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この映画えいがはニューヨークとロサンゼルスに舞台ぶたいく。

ウディ・アレンはりつかれたコメディアン、アルビー・シンガーをえんじる。あかるい性格せいかくのアニー・ホール(ダイアン・キートン)との関係かんけいたもとうとしている。2人ふたりすうねんにわたる関係かんけいかたられ、それぞれの過去かこにあった様々さまざま出来事できごと途中とちゅうはさみながら進行しんこうする(アニーはアルビーが子供こどものころの家族かぞくを「る」ことができ、アルビーも同様どうようにアニーの過去かこ恋人こいびととのやりとりを観察かんさつしている)。かれブルックリンそだち、かれちちはバンパーカー(bumper cars)営業えいぎょうをしていて、かれいえコニーアイランドのローラーコースターのしたにあることが、アルビーの回想かいそう場面ばめんからわかる。

すうねん口論こうろん仲直なかなおりがなんつづき、自分じぶんたちは相性あいしょうがわるいし、わかれるだろうと2人ふたりさとる。アニーはハリウッドのレコード・プロデューサー(ポール・サイモン)のもとにしてしまう。アルビーは結局けっきょくいまだに彼女かのじょあいしていることに気付きづき、ニューヨークの自分じぶんところもどってくるよう説得せっとくするが、うまくいかない。あきらめたアルビーは自分じぶんたちの関係かんけいについて芝居しばいくためにニューヨークにもどる。この芝居しばいのエンディングは、かれ彼女かのじょもどすのに成功せいこうするというものだった。のちにかれらは友人ゆうじんとして良好りょうこう関係かんけい再会さいかいし、そのとき2にんにはすでにべつ恋人こいびとがいた。あいひと関係かんけいはしばしばいたみをともない、複雑ふくざつなものにもかかわらず、だれもが必要ひつようとしているのだとおもいをめぐらせながら、アルビーは映画えいがわらせる。

キャスト

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役名やくめい 俳優はいゆう 日本語にほんご吹替
TBSはん
アルビー・シンガー ウディ・アレン 羽佐間はざま道夫みちお
アニー・ホール ダイアン・キートン 小原おはら乃梨子のりこ
ロブ トニー・ロバーツ 日高ひだか晤郎
アリソン・ポーチニック キャロル・ケイン 鵜飼うかいるみ
トニー・レイシー ポール・サイモン 小島こじま敏彦としひこ
パム シェリー・デュヴァル 山田やまだ栄子えいこ
ロビン ジャネット・マーゴリン 横尾よこおまり
ミセス・ホール コリーン・デューハースト
不明ふめい
その
村越むらこし伊知郎いちろう
伊井いい篤史あつし
おおとり芳野よしの
鈴木すずきれい
藤本ふじもとゆずる
村松むらまつ康雄やすお
片岡かたおか富枝とみえ
西村にしむら知道ともみち
広瀬ひろせただしこころざし
日本語にほんごばん制作せいさくスタッフ
演出えんしゅつ 伊達だてわたる
翻訳ほんやく 佐藤さとう一公かずきみ
効果こうか 遠藤えんどう堯雄/桜井さくらい俊哉としや
調整ちょうせい 小野おの敦志あつし
制作せいさく 東北新社とうほくしんしゃ
解説かいせつ おぎ昌弘まさひろ
初回しょかい放送ほうそう 1981ねん5月18にち
月曜げつようロードショー
ノーカット放送ほうそう
  • 日本語にほんご吹替がDVD&BDに収録しゅうろく(ノーカット)。
    • テレビ放映ほうえいのタイトルは『アカデミー作品さくひんしょうあい作家さっかW・アレンのアニー・ホール』
    • テラスでアニーとアルビーがみながらはな場面ばめんでは、オリジナルばんではにん胸中きょうちゅうかた字幕じまくしめされ裏腹うらはらことをいいあっていることかるが、後年こうねんBS-JAPANで放映ほうえいされたものもふくめ、ばん放送ほうそうではこの字幕じまくない。

映画えいがにはすうおおくの俳優はいゆう登場とうじょうし、のち有名ゆうめいになったひともいる。

公園こうえんでアルビーとアニーがとおりがかりのひと観察かんさつしているシーンで、アルビーは「あそこにトルーマン・カポーティのそっくりさんが」とコメントするが、トルーマン・カポーティ本人ほんにんである。かれはクレジットなしで出演しゅつえんした。

ボーイフレンドとある通行人つうこうにんとして、TVシリーズチャーリーズ・エンジェル だいシェリー・ハック出演しゅつえんしている。

制作せいさく

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この映画えいが制作せいさくじょうのタイトルは『Anhedonia』(これは日本語にほんご快感かいかんしょう快感かいかん喪失そうしつやくされる精神せいしん医学いがく用語ようごで、普通ふつうならたのしいはずの生活せいかつ快感かいかん体験たいけんできないという意味いみ言葉ことば)だが、このタイトルではれないとみなされ、ブリックマンが『It Had to Be Jew』というべつ提案ていあんをした。最終さいしゅうてきに、公開こうかいタイトルとして『アニー・ホール』の決定けっていされた。アルビーとウディ・アレンの性格せいかくており、またウディ・アレンと以前いぜん関係かんけいがあったダイアン・キートン(アニー・ホールやく)の本名ほんみょうはダイアン・ホールでニックネームがアニーであることから、『アニー・ホール』はなか自伝じでんふう作品さくひんだとひろしんじられたが、ウディ・アレンはこれを否定ひていしている。

この映画えいがもと殺人さつじんミステリーを中心ちゅうしんにして、わきのすじにコメディとロマンスをいれたドラマにするつもりで、そのように撮影さつえいされた。アレンによると、アルビーとアニーがイングマール・ベルイマンの『かがみなかおんな』(Ansikte mot ansikte)を見逃みのがしたシークエンスで、殺人さつじんこったのだが、映画えいが編集へんしゅうしゃがミステリーの部分ぶぶんをカットしようとアレンを説得せっとくし、映画えいがをロマンスコメディにした(アレンは殺人さつじんミステリー映画えいが後年こうねん制作せいさくした。1993ねんの『マンハッタン殺人さつじんミステリー』であり、ダイアン・キートンも主演しゅえんしている)。

この映画えいが製作せいさくなか即興そっきょうてきおこなわれた。たとえば、元々もともと台本だいほんでは、アルビーはローラーコースターのしたにあるいえそだったわけではない。しかし、撮影さつえい場所ばしょさがしながら、アレンがスタッフとブルックリンをドライブしていたとき、ローラーコースターのしたにあるいえつけ、撮影さつえい使つかわれた。この「いえ」は、実際じっさいにはケンシントン・ホテルで、サンダーボルト・ローラーコースターのした位置いちしていた。れいでは、アルビーがコカインにくしゃみするシーンがあり、これはまったくの偶然ぐうぜんだったが、アレンがそのまま映画えいが使つかうことをめた。この場面ばめん試写ししゃしたとき、観客かんきゃく大笑おおわらいだったので、アレンはこの場面ばめんくわえることにした。

スタイルとテクニック

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監督かんとくのアレンは『アニー・ホール』はテーマてき技術ぎじゅつてきに「おおきな転機てんき」だったとかたり、つぎのようにべている。「ぼくはやめようとおもった… ただおどけたりする、これまでとわらないコメディを。挑戦ちょうせんしよう、おなじようなやりかたではなくおもしろいだけでもない、もっとふか作品さくひんつくろうとかんがえた。たぶん、出来上できあがるものはべつ価値かちをもつだろう、観客かんきゃくをおもしろがらせたり、はげましたりする作品さくひん。それはとてもとてもうまくいったんだ」。

またアレンは『アニー・ホール』の初期しょき撮影さつえい技師ぎしゴードン・ウィリス仕事しごとをするのは、自分じぶん技術ぎじゅつてきスキルを向上こうじょうさせるたすけになったと明言めいげんしている。ウィリスのことを「とても大事だいじ先生せんせい」とび、また「技術ぎじゅつ天才てんさい」とんだ。

『アニー・ホール』はちょうまわ利用りようした最初さいしょのアレン映画えいがであり、アレンはちょうまわしを利用りようした理由りゆうを「おもしろいし、わかりやすいし、退屈たいくつしない」からとべている。映画えいが評論ひょうろんロジャー・イーバートは、『アニー・ホール』の平均へいきんしたワンシーンのながさは14.5びょうという調査ちょうさげており、1977ねん制作せいさくされたほか映画えいが平均へいきん4-7びょうといわれそのながさのほどうかがえる。エバートはちょうまわしは映画えいが劇的げきてきなパワーを増大ぞうだいさせるとえている。「『アニー・ホール』がどれだけの人々ひとびとのおしゃべりでっているのか気付きづひとはおそらくほとんどいない。かれらはあるいてはなし、すわってはなし、カウンセリングにかよい、ランチにき、セックスしてはなし、カメラにはなしかけ、またはアルビーにたいしてアニーが自分じぶん家族かぞく説明せつめいするときの自由じゆう想像そうぞうのような独白どくはく突然とつぜんはじめる…」。

この映画えいが通常つうじょうリアリズム手法しゅほうられてはいない。まず登場とうじょう人物じんぶつはカメラにかってはなしかけることにより「だいよんかべ」をこわしている。また分割ぶんかつ画面がめん使用しよう字幕じまく登場とうじょう人物じんぶつあたまなかかんがえを解説かいせつしている(対話たいわ対照たいしょうてきに)などの表現ひょうげんもちいられている。たとえば、アレンがえんじる人物じんぶつがアニーと映画えいがかんいちれつならんでっているシーンがある。アレンのうしろのおとこマーシャル・マクルーハン著作ちょさく解説かいせつしているのをき、アレンはれつはなれ、カメラにかってはなしかける。おとこはそれからカメラにかって弁明べんめいするが、アレンは(本物ほんものの)マクルーハンをカウンターのうしろからっぱってきて、マクルーハンに「きみ解釈かいしゃく間違まちがっている」とわせ、その解決かいけつする。べつのシーンではアニメを使つかい、アレンと『白雪姫しらゆきひめ』の邪悪じゃあく女王じょおう漫画まんがしている。アレンがえんじる人物じんぶつ観客かんきゃくはなしかけたり、とおりがかりの人物じんぶつまらせあいについての質問しつもんをしたりする。アレンはアルビーにだいよんかべこわさせることを選択せんたくした。こうした表現ひょうげんについてアレンは「観客かんきゃくおおくがぼくとおなかんかたや、おな問題もんだいかかえているようにおもった。かれらにかってはなしかけたかったし、かいいたかった」と説明せつめいしている。

イングマール・ベルイマンフェデリコ・フェリーニはともにアレンが敬愛けいあいする映画えいが作家さっかであり、ほんさくにおいてもその影響えいきょううかがえる。

アルビーとアニーとロブが、アルビーの子供こどものころをたずねるシーンは、ベルイマンの非常ひじょう有名ゆうめい賞賛しょうさんされている作品さくひん、『いちご』(Smultronstället)で使用しようされている物語ものがたり手法しゅほうである。アレンは『ウディ・アレンの重罪じゅうざいけいざい』でもこのテクニックを使つかっている。登場とうじょう人物じんぶつのJudahが子供こども時代じだいたずね、かれおかした犯罪はんざいについて倫理りんりてき質問しつもんちちにする。同様どうように、学校がっこうのシーンは、『フェリーニのアマルコルド』(Amarcord)などのフェリーニ作品さくひん影響えいきょうけているとされる。

映画えいがにはBGMわずかしかもちいられていない。音楽おんがくのいくつかのれいをあげると、ロサンジェルスでドライブしているとき少年しょうねん合唱がっしょうだんクリスマス・キャロルひと忘るな』、アニーとアルビーが田園でんえん地帯ちたいをドライブするときモーツァルト交響こうきょうきょくだい41ばんジュピター』のだい4楽章がくしょう一部いちぶなどが使用しようされている。また、アニーがジャズクラブでうたうシーンがあり、そのうたはラストシーンでかえされる。また、ポール・サイモンえんじる人物じんぶつだい邸宅ていたくおこなわれたパーティではサヴォイ・ブラウン『A Hard Way to Go』が演奏えんそうされている。

しょうとノミネート

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1977ねんアカデミーしょう

  • 作品さくひんしょう受賞じゅしょう - チャールズ・H・ジョフィ、ジャック・ローリンズ
  • 主演しゅえん女優じょゆうしょう受賞じゅしょう - ダイアン・キートン
  • 監督かんとくしょう受賞じゅしょう - ウディ・アレン
  • 脚本きゃくほんしょう受賞じゅしょう - ウディ・アレン、マーシャル・ブリックマン
  • 主演しゅえん男優だんゆうしょうノミネート - ウディ・アレン
  • しかしウディ・アレンは『アニー・ホール』で受賞じゅしょうしたにもかかわらず、アカデミーしょう授賞じゅしょうしき出席しゅっせきしなかった。受賞じゅしょう自分じぶんにとって重要じゅうようではないとアレンは主張しゅちょうしている。

1978ねんゴールデングローブしょう

  • 『アニー・ホール』は主演しゅえん女優じょゆうしょう(ミュージカル・コメディ部門ぶもん)を受賞じゅしょうした(ダイアン・キートン)。に3つノミネートした。作品さくひんしょう(ミュージカル・コメディ部門ぶもん)、監督かんとくしょう(ウディ・アレン)、主演しゅえん男優だんゆうしょう(ミュージカル・コメディ部門ぶもん)(ウディ・アレン)。

1978ねん英国えいこくアカデミーしょう(BAFTAしょう

  • 『アニー・ホール』は作品さくひんしょう監督かんとくしょう脚本きゃくほんしょう主演しゅえん女優じょゆうしょう編集へんしゅうしょうの5部門ぶもん受賞じゅしょう

AFIアメリカ映画えいが100ねんシリーズアメリカン・フィルム・インスティチュート

受賞じゅしょう

続編ぞくへんについて

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ウディ・アレンは『アニー・ホール』の続編ぞくへんつくることについて度々どどはなしちかけられるのだが、かえ辞退じたいしてきた。かれ1995ねんのインタビューでこの話題わだいについて以下いかのようにべている。

以前いぜん続編ぞくへんかんがえたことはなかった…続編ぞくへんつくるつもりはない…だけど、アニーとアルビーがなんねんかあとに出会であったらおもしろいだろうとかんがえたことがある。ダイアン・キートンとぼくが20さいとしをとって出会であうことができたら、おもしろいかもしれない。ぼくたちがわかれ、ある出会であうと、自分じぶんたちがどういう生活せいかつおくってきたのかがわかるからだ。けれど、続編ぞくへんはぼくに搾取さくしゅおもこさせる。…続編ぞくへん主義しゅぎ腹立はらだたしい。フランシス・コッポラは『ゴッドファーザー PART III』をつくるべきだったとぼくはおもわない。『ゴッドファーザー PART II』がとてもすばらしいからだ。かれらは続編ぞくへんつくるとき、たくさんの資金しきんのぞむ。ぼくはそういうかんがえがきじゃない。

影響えいきょう

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  • 『アニー・ホール』の現実げんじつてきなシーンとシュールな想像そうぞう混合こんごうは、映画えいがやテレビシリーズにかなりの影響えいきょうりょくった。1980年代ねんだい後半こうはんのテレビシリーズ『Thirtysomething』は、現実げんじつてき劇的げきてきなシーンからはなれ、コミカルな登場とうじょう人物じんぶつ空想くうそうへの飛躍ひやくおおしめされている。この映画えいがほかにも『フェリスはあるあさ突然とつぜんに(Ferris Bueller's Day Off)』『Cheech & Chong's Next Movie』『ハイ・フィデリティ(High Fidelity)』『マルコム in the Middle(Malcolm in the Middle)』『The Fresh Prince of Bel - Air』『That 70's Show』などのおおくの作品さくひん影響えいきょうあたえている。登場とうじょう人物じんぶつがカメラのほう観客かんきゃくはなしかける、「だいよんかべやぶりをしている。
  • ハードコアバンド、フガジはクリストファー・ウォーケンえんじる「デュエイン」を参考さんこうにしたきょくつくった。アルバム『In on the Kill Taker』のなかの「Walken's Syndrome」である。
  • テレビアニメーション「ザ・シンプソンズ」の2013ねん放送ほうそうの、シーズン24だい12「Love is a Many-Splintered Thing」は、「アニー・ホール」のパロディである。なお、このかいには「本物ほんもののウディ・アレン」が登場とうじょう人物じんぶつとして登場とうじょうしているが、アレン自身じしん声優せいゆうとして参加さんかはしていない。
  • レコード・プロデューサーやく出演しゅつえんしたポール・サイモンシェリー・デュヴァル映画えいが撮影さつえいつうじてしたしくなり、男女だんじょ関係かんけい発展はってんした。デュヴァルはサイモンのセントラルパーク・ウエストのアパートで同居どうきょするようになった。サイモンは1978ねん1がつ、ノミネートされた『アニー・ホール』のため、デュヴァルをれて、ロサンゼルス映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう授賞じゅしょうしき出席しゅっせきしきのパーティーでデュヴァルは『スター・ウォーズ』の主役しゅやく一人ひとりであるキャリー・フィッシャーをサイモンに紹介しょうかいした。やがてサイモンとデュヴァルの関係かんけいは、1同年どうねん5がつ彼女かのじょが『シャイニング』の撮影さつえいのためロンドンにかう直前ちょくぜんまくじた[2]。フィッシャーとサイモンは1983ねん結婚けっこんした。

ファッション

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この映画えいがは70年代ねんだい後半こうはんのファッションかいにも影響えいきょうがあった。かずおおくの女性じょせいがダイアン・キートンのファッションをれた。ベストのうえにオーバーサイズのおとこっぽいブレザー、ふといズボンかロングスカートと、ブーツ。それからラルフ・ローレンネクタイにつけたりする。このファッションはよく「アニー・ホール・ルック」とばれた。

1995ねん、ウディ・アレンは当時とうじのことをおもしてべている。「アニー・ホールの衣装いしょうがかり女性じょせいがやってて、彼女かのじょ(ダイアン・キートン)にあれをないようにってください、あれをてはいけません、ばかげてるわ、とう。ぼくはってやった。ほっとくんだ。彼女かのじょ天才てんさいなんだから。ほっとこう。彼女かのじょたいものをせよう」。

出典しゅってん

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  1. ^ a b Annie Hall (1977)” (英語えいご). Box Office Mojo. Amazon.com. 2010ねん12月7にち閲覧えつらん
  2. ^ ロバート・ヒルバーン ちょ奥田おくだ祐士ゆうし やく『ポール・サイモン 音楽おんがく人生じんせいかたる』DU BOOKS、2020ねん3がつ25にち、298-301ぺーじISBN 978-4866471174 

外部がいぶリンク

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