クラッシャー・リソワスキー

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クラッシャー・リソワスキー
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プロフィール
リングネーム クラッシャー・リソワスキー
ザ・クラッシャー
レジー・リソワスキー
クラッシャー・マシーン
本名ほんみょう レジナルド・リソワスキー
(レジナルド・リゾウスキー)
ニックネーム 粉砕ふんさいしゃ
ぶっこわ
身長しんちょう 183cm[1]
体重たいじゅう 115kg(ぜん盛時せいじ[1]
誕生たんじょう 1926ねん7がつ11にち
死亡しぼう (2005-10-22) 2005ねん10月22にち(79さいぼつ
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ウィスコンシン州の旗 ウィスコンシンしゅう
ミルウォーキーぐんサウス・ミルウォーキー
スポーツれき アメリカンフットボール
デビュー 1949ねん
引退いんたい 1989ねん
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レジー "ザ・クラッシャー" リソワスキーReggie "The Crusher" Lisowski本名ほんみょうReginald Lisowski1926ねん7がつ11にち - 2005ねん10月22にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくプロレスラーウィスコンシンしゅうサウス・ミルウォーキー出身しゅっしんポーランドけいアメリカじん[2]。より原音げんおんちかいファミリーネームの表記ひょうきは「リゾウスキー」だが、ほんこうでは日本にっぽん定着ていちゃくしている表記ひょうき使用しようする。

なぐる・るの喧嘩けんか戦法せんぽう主体しゅたいとした粗暴そぼうラフファイターとして、ヒールのポジションで狂乱きょうらんファイトをひろげたのち、キャリア途中とちゅうよりベビーフェイスてんじ、主戦しゅせんじょうAWA中心ちゅうしん人気にんきはくした[2]ディック・ザ・ブルーザーとの元祖がんそ極道ごくどうコンビでの活躍かつやくられ、日本にっぽんでは「粉砕ふんさいしゃ」「ぶっこわ」などの異名いみょう[3]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

ハイスクール時代じだいアメリカンフットボールフルバックらし、だい世界せかい大戦たいせんドイツ駐留ちゅうりゅうちゅう陸軍りくぐんレスリングまなんだ[2]終戦しゅうせん、レンガこうやハイウェイ・パトロールなどのしょく[1]1949ねんにプロレス[2]レジー・リソワスキーReggie Lisowski )の名義めいぎ地元じもとミルウォーキーシカゴなどの中西部ちゅうせいぶ主戦しゅせんじょうに、1953ねん11月3にちにはコロラドしゅうデンバーにてミゲル・ロペスやぶり、タイトルはつ戴冠たいかんとなるロッキー・マウンテン・ヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとくよく1954ねん2がつ16にちパット・オコーナーやぶれるまで保持ほじした[4]

その、アート・ネルソンとの金髪きんぱつコンビでの活動かつどうて、1955ねん11月19にちにはミルウォーキーにてルー・テーズNWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざはつ挑戦ちょうせんしている[5]1956ねんからは、のちにアート・ネルソンの相棒あいぼうにもなるスタン・ホレック(スタン・ネルソン)がスタン・リソワスキーと改名かいめいしてしんパートナーとなり、ギミックうえ兄弟きょうだいチームである「リソワスキー・ブラザーズ」を結成けっせい[6]以降いこう1950年代ねんだい後半こうはんはリソワスキー兄弟きょうだいとして中西部ちゅうせいぶからふか南部なんぶ北東ほくとうカナダまでNWA主要しゅようテリトリーを転戦てんせんかく地区ちく認定にんていNWA世界せかいタッグ王座おうざ再三さいさん獲得かくとくし、カナダのトロントではホイッパー・ビリー・ワトソン&ユーコン・エリックなどのチームとカナディアン・オープン・タッグ王座おうざあらそった[7]

1960年代ねんだいはいるとスタン・リソワスキーとのコンビを解消かいしょうし、クラッシャー・リソワスキーCrusher Lisowski )またはザ・クラッシャーThe Crusher)と名乗なのってシングルプレイヤーに転向てんこうWWWF前身ぜんしん団体だんたいキャピトル・レスリング・コーポレーションでは1960ねんから1961ねんにかけて、ブルーノ・サンマルチノアントニオ・ロッカアーノルド・スコーランベアキャット・ライトヘイスタック・カルホーンレッド・バスチェンマーク・ルーインプリモ・カルネラジョニー・バレンタインらと対戦たいせんし、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにも出場しゅつじょうした[8][9]

1963ねん2がつ15にちネブラスカしゅうオマハバーン・ガニアやぶり、オマハばん世界せかいヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとく[10]同年どうねん7がつ9にちにもミネソタしゅうミネアポリスにてガニアからAWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ奪取だっしゅするが、同月どうげつ20にちにガニアにやぶれてかんうしな[11]。その、ガニアはオマハばん王座おうざをAWA王座おうざ統合とうごう、クラッシャーもAWA主戦しゅせんじょうとし、同年どうねん11がつ29にちにガニア、1965ねん8がつ21にちマッドドッグ・バションやぶり、AWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざには通算つうさん3かい戴冠たいかんしている[11]

また、従兄弟いとこともされていたどうタイプのディック・ザ・ブルーザータッグチーム結成けっせいし、1963ねん8がつ20日はつかAWA世界せかいタッグ王座おうざ獲得かくとく[12]。1960年代ねんだい中盤ちゅうばんからはブルーザーとともベビーフェイスのポジションにまわり、ラリー・ヘニング&ハーリー・レイスこうそうひろげた[12]。ブルーザーが主宰しゅさいしていたインディアナしゅうインディアナポリスWWAでは、1967ねん1がつ21にちクリス・マルコフ&アンジェロ・ポッフォのデビルズ・デュオからWWA世界せかいタッグ王座おうざ奪取だっしゅ[13]1968ねん12月28にちにはシカゴにて、当時とうじAWAとWWAのりょう世界せかいタッグ王者おうじゃチームだったミツ・アラカワ&ドクター・モトやぶり、かん手中しゅちゅうにしている[12][13]

ブルーザーひだり)&クラッシャー(1973ねん

そのもブルーザーとのコンビでは、1960年代ねんだいまつから1970年代ねんだい前半ぜんはんにかけて、マッドドッグ&ブッチャー・バションのバション・ブラザーズ、ダスティ・ローデス&ディック・マードックテキサス・アウトローズブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザザ・ブラックジャックスなどの強豪きょうごうチームとこうそう展開てんかい1975ねん8がつ16にちにはニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンスやぶり、ブルーザーとんでの通算つうさん5かいのAWA世界せかいタッグ王座おうざ戴冠たいかんたす[12]同年どうねん9がつ20日はつかにはインディアナポリスにてジャック・グレイ&ザリノフ・ルブーフのザ・リージョネアーズからWWA世界せかいタッグ王座おうざ奪取だっしゅ[13]ふたたかんおうとなり、WWA王座おうざよく1976ねん3月13にちオックス・ベーカー&チャック・オコーナー、AWA王座おうざ同年どうねん7がつ23にちにランザ&ボビー・ダンカンやぶれるまで保持ほじした[12][13]

王座おうざ陥落かんらくはブルーザーとのコンビを一時いちじ解消かいしょうしてAWAに定着ていちゃくし、1977ねん2がつ13にちにはアンドレ・ザ・ジャイアントんでしん王者おうじゃチームのランザ&ダンカンに挑戦ちょうせん[14]以降いこうもバション、バロン・フォン・ラシクスーパー・デストロイヤーアンジェロ・モスカロード・アルフレッド・ヘイズスーパー・デストロイヤー・マークIIらと抗争こうそうし、ボックウィンクルの保持ほじするAWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざにも再三さいさん挑戦ちょうせんした[15][16]1979ねんジム・バーネット主宰しゅさいジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにも参戦さんせん、9月21にちアトランタオムニ・コロシアムにてトミー・リッチみ、イワン・コロフ&オレイ・アンダーソンからNWAジョージア・タッグ王座おうざ奪取だっしゅしている[17]

1980年代ねんだい初頭しょとうは、フェイスターンしたきゅうてきのバションやラシクとベテラン・コンビをみ、当時とうじのAWA世界せかいタッグ王者おうじゃチームだったジェシー・ベンチュラ&アドリアン・アドニスのイースト・ウエスト・コネクションに再三さいさん挑戦ちょうせんおなじく「クラッシャー」を名乗なのジェリー・ブラックウェルともこうそう展開てんかいした[18]1982ねんよりいちリングをはなれるも、1984ねん復帰ふっきして、5月6にちグリーンベイにてラシクとんでブラックウェル&ケン・パテラやぶり、8ねんぶりにAWA世界せかいタッグ王座おうざかえ[12]。8月25にちラスベガスロード・ウォリアーズ奪取だっしゅされるが、58さいでの最後さいごのタイトル戴冠たいかんたした[2]

そのもAWAのビッグイベントに単発たんぱつてき出場しゅつじょうして、ブルーザーとのコンビでロード・ウォリアーズやファビュラス・フリーバーズなど、当時とうじ代表だいひょうするしん世代せだいのタッグチームとも対戦たいせん[2][19][20]1985ねん9月28にちにシカゴのコミスキー・パーク開催かいさいされた "AWA SuperClash"[21] における、ブルーザー&ラシクとんでのザ・ラシアンズ(イワン&ニキタ・コロフクラッシャー・クルスチェフ)との6にんタッグマッチを最後さいごにAWAをはなれた[22]

1986ねん10月5にち、AWAの主要しゅよう都市としセントポールおこなわれたWWFハウス・ショーに、覆面ふくめんレスラークラッシャー・マシーンCrusher Machine)にふんしてサプライズ登場とうじょうスーパー・マシーン&ビッグ・マシーンのWWFばんマシーン軍団ぐんだん一員いちいんとして、AWA時代じだいからの因縁いんねんマネージャーボビー・ヒーナンひきいるファミリーとの6にんタッグマッチに出場しゅつじょうした[23]試合しあい覆面ふくめんいで素顔すがおもどり、同月どうげつ23にちにはハルク・ホーガンんでヒーナン・ファミリーのビッグ・ジョン・スタッド&キングコング・バンディ対戦たいせん[24]以降いこう主戦しゅせんじょうとしていた中西部ちゅうせいぶ地区ちくにおけるWWFの興行こうぎょうにスポット参戦さんせんし、1987ねん1がつ23にちには負傷ふしょうしたダイナマイト・キッドわってデイビーボーイ・スミスのパートナーとなり、ブレット・ハート&ジム・ナイドハートハート・ファウンデーション保持ほじしていたWWF世界せかいタッグ王座おうざ挑戦ちょうせん[25]同年どうねん3がつ16にちにはふたたびホーガンとんでカマラ&ホンキー・トンク・マン異色いしょくコンビと対戦たいせん[26]、11月16にちにはテーズやエドワード・カーペンティアボボ・ブラジルジン・キニスキーキラー・コワルスキーなどのオールドタイマーによるバトルロイヤル出場しゅつじょうした[27]

1988ねん2がつ15にち、ネブラスカしゅうオマハにおけるパテラとんでのデモリッションアックス&スマッシュ)とのタッグマッチが記録きろくとしての現役げんえき最後さいご試合しあいとなり[22][28]以降いこう1989ねんまでWWFに時折ときおり登場とうじょうしていた[2]。その1998ねん5月31にち、ミルウォーキーで開催かいさいされたPPVオーバー・ジ・エッジ』にバションととも登場とうじょう、レジェンドとしてむかえられ、当時とうじヒールのポジションにいたジェリー・ローラーともからんだ[2]

2005ねん10月22にち故郷こきょうのサウス・ミルウォーキーにて脳腫瘍のうしゅようのため死去しきょ[29]。79さいぼつ[2]晩年ばんねん股関節こかんせつおよびひざ関節かんせつ置換ちかん手術しゅじゅつ心臓しんぞうのバイパス手術しゅじゅつなど、複数ふくすう手術しゅじゅつけていた[2]

日本にっぽんでの活躍かつやく[編集へんしゅう]

1967ねん12月、シリーズ後半こうはんせんへの特別とくべつ参加さんか日本にっぽんプロレスはつ来日らいにち[30]。12月6にち東京とうきょう体育館たいいくかんにてジャイアント馬場ばばインターナショナル・ヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんしたが反則はんそく裁定さいていとなり、よく1968ねん1がつ3にち蔵前くらまえ国技こくぎかんにて再戦さいせんおこなわれた[31]同日どうじつTBS体制たいせい国際こくさいプロレスルー・テーズたいグレート草津くさつTWWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざせんをメインイベントに近隣きんりん日大にちだい講堂こうどう興行こうぎょう開催かいさいしており[32]、「隅田川すみだがわ対決たいけつ」などとばれる興行こうぎょう戦争せんそうとしても注目ちゅうもくあつめた[1]。この来日らいにちは、最終さいしゅうせんの2がつ3にち大田おおた体育館たいいくかんにてビル・ミラーみ、馬場ばば&アントニオ猪木いのきBIほう保持ほじしていたインターナショナル・タッグ王座おうざにも挑戦ちょうせんした[33]1969ねんディック・ザ・ブルーザーとのコンビでの来日らいにち実現じつげん[34]、8がつ11にち札幌さっぽろ中島なかじまスポーツセンターにてBIほうやぶり、インターナショナル・タッグ王座おうざ奪取だっしゅしている[35]同月どうげつ14にちには広島ひろしま県立けんりつ体育館たいいくかんにおいて、大木おおき金太郎きんたろうアジアヘビーきゅう王座おうざにも挑戦ちょうせんした[34]

1972ねん11月にはAWAとの提携ていけいルートでブルーザーととも国際こくさいプロレス来日らいにちし、11月24にち岡山おかやま武道館ぶどうかんにてストロング小林こばやし&グレート草津くさつIWA世界せかいタッグ王座おうざ挑戦ちょうせん[36]。11月27にちには愛知あいちけん体育館たいいくかんにて、小林こばやし&草津くさつ相手あいて日本にっぽんはつとなる金網かなあみタッグデスマッチおこなったが、試合しあい方式ほうしきを「金網かなあみからさき脱出だっしゅつしたほうち」というアメリカしきのエスケープ・ルールと誤認ごにん。ダウンした小林こばやし草津くさつのこして場外じょうがい脱出だっしゅつしてそのまま控室ひかえしつもどって無効むこう試合しあいとなったため、おこった観客かんきゃく暴動ぼうどうこして機動きどうたい出動しゅつどうするというさわぎとなった[37]。シングルではよく28にちに、静岡しずおかにて小林こばやしIWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ金網かなあみデスマッチで挑戦ちょうせんしている[36]。この来日らいにち、ブルーザーとクラッシャーは「WWA世界せかいタッグ王者おうじゃチーム」のみで参戦さんせんしており、27にち金網かなあみタッグデスマッチは小林こばやし草津くさつ挑戦ちょうせんけたWWA世界せかいタッグ王座おうざ防衛ぼうえいせんとしておこなわれ、11月30にちには茨城いばらきけんスポーツセンターにて、決着けっちゃくせんとしてIWAとWWAのりょうタッグ王座おうざのダブルタイトルマッチがまれたが、この時点じてんでの実際じっさいのWWA世界せかいタッグ王者おうじゃチームはザ・ブラックジャックスであり、ブルーザーとクラッシャーはタイトルを保持ほじしていなかった[13]。なお11月29にちには東京とうきょう体育館たいいくかんにて、小林こばやし&マイティ井上いのうえとの防衛ぼうえいせんおこなわれている。[36]

最後さいご来日らいにちはAWAとWWAのりょう世界せかいタッグ王座おうざ戴冠たいかんちゅう1976ねん1がつ、ブルーザーとのコンビで全日本ぜんにほんプロレスに参戦さんせん。1月26にち愛知あいちけん体育館たいいくかん、29にち東京とうきょう体育館たいいくかんにて、馬場ばば&ジャンボ鶴田つるたのインターナショナル・タッグ王座おうざ連続れんぞく挑戦ちょうせんしている[38]日本にっぽんマットには日本にっぽんプロレスに3かい全日本ぜんにほんプロレスと国際こくさいプロレスにかく1かい通算つうさん5かい登場とうじょう日本にっぽんプロレスへの3度目どめ参戦さんせんからは、いずれもブルーザーとんでの来日らいにちだった[1]

逸話いつわ[編集へんしゅう]

  • ビール生産せいさんられるミルウォーキー出身しゅっしんポーランドけいアメリカじんとして、ビアだるをかついでミシガン沿いをランニングしたなどと豪語ごうごしていた[2]1967ねん12月のはつ来日らいにちも、記者きしゃ会見かいけん席上せきじょうはいじょうトロフィーにビールをそそいでしており、報道陣ほうどうじんまえで1ダースぶんのビールをそらにした[1]。プロレスりするまえはハイウェイ・パトロールの警察官けいさつかんをしていたというが、飲酒いんしゅ運転うんてんまるべき本人ほんにんがパトカーのなかでビールをんでいたために、短期間たんきかん解雇かいこされたという[30]試合しあいちゅうも、ポルカのステップをむように対戦たいせん相手あいてみにじりながら『ビヤ樽びやだるポルカ』をくちずさんでいた[30]
  • 後年こうねんザ・ロックのように、猥褻わいせつスラング造語ぞうごんで対戦たいせん相手あいてをこきおろすトラッシュ・トーク名手めいしゅでもあり、リック・フレアー少年しょうねん時代じだい、クラッシャーのインタビューがだいのおりだったと自著じちょ記述きじゅつしている[39]
  • 毎日まいにち4キロの牛肉ぎゅうにくたいらげると豪語ごうごしていた。

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

獲得かくとくタイトル[編集へんしゅう]

アメリカン・レスリング・アソシエーション
メープル・リーフ・レスリング
  • NWAカナディアン・オープン・タッグ王座おうざ:2かい(w / スタン・リソワスキー)[7]
NWAシカゴ
NWAミネアポリス
  • NWA世界せかいタッグ王座おうざミネアポリスはん):2かい(w / スタン・リソワスキー)[41]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWA世界せかいタッグ王座おうざジョージアはん):2かい(w / アート・ネルソン、スタン・リソワスキー)[42]
  • NWAジョージア・タッグ王座おうざ:1かい(w / トミー・リッチ[17]
ワールド・レスリング・アソシエーション(インディアナポリス)
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
  • WCW殿堂でんどう:1994ねん[43]
日本にっぽんプロレス
その
  • ロッキー・マウンテン・ヘビーきゅう王座おうざ:1かい[4]
  • ネブラスカ・ヘビーきゅう王座おうざ:1かい[44]
  • 世界せかいヘビーきゅう王座おうざオマハはん):1かい[10]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f 『THE WRESTLER BEST 1000』P16(1996ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
  2. ^ a b c d e f g h i j k The Crusher dead at 79”. Slam Wrestling (2005ねん10がつ23にち). 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  3. ^ 世界せかいめいレスラー100にん伝説でんせつ!!』P132-133(2003ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ監修かんしゅう竹内たけうちひろしかい
  4. ^ a b Rocky Mountain Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  5. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1955”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  6. ^ Tag Team "The Lisowski Brothers"”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  7. ^ a b NWA Canadian Open Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  8. ^ The CWC matches fought by The Crusher in 1960”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  9. ^ The CWC matches fought by The Crusher in 1961”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  10. ^ a b World Heavyweight Title [Omaha]”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c AWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  12. ^ a b c d e f g AWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  13. ^ a b c d e f WWA World Tag Team Title [Indianapolis]”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  14. ^ AWA at Green Bay 1977/02/13”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  15. ^ The AWA matches fought by The Crusher in 1977”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ16にち閲覧えつらん
  16. ^ The AWA matches fought by The Crusher in 1978”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ16にち閲覧えつらん
  17. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  18. ^ The AWA matches fought by The Crusher in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  19. ^ AWA at Rosemont 1984/09/15”. Cagematch.net. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  20. ^ The AWA matches fought by Dick the Bruiser in 1985”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  21. ^ AWA SuperClash”. Cagematch.net. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  22. ^ a b The Crusher: Matches 1980-1988”. Cagematch.net. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  23. ^ WWF House Show 1986/10/05”. Cagematch.net. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  24. ^ WWF House Show 1986/10/23”. Cagematch.net. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  25. ^ WWF House Show 1987/01/23”. Cagematch.net. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  26. ^ WWF House Show 1987/03/16”. Cagematch.net. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  27. ^ WWF House Show 1987/11/16”. Cagematch.net. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  28. ^ The WWE matches fought by The Crusher in 1988”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  29. ^ Reggie "The Crusher" Lisowski”. Find a Grave.com. 2015ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  30. ^ a b c d 『THE WRESTLER BEST 100』P38(1981ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
  31. ^ JPWA 1968 New Year Champion Series”. Puroresu.com. 2022ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  32. ^ 『Gスピリッツ Vol.19』P87(2011ねん辰巳たつみ出版しゅっぱんISBN 4777808920
  33. ^ The JWA matches fought by The Crusher in 1968”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  34. ^ a b JPWA 1969 Summer Series 1”. Puroresu.com. 2022ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  35. ^ a b NWA International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  36. ^ a b c The IWE matches fought by The Crusher in 1972”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  37. ^ 『Gスピリッツ Vol.15』P73(2010ねん辰巳たつみ出版しゅっぱんISBN 477780772X
  38. ^ The AJPW matches fought by The Crusher in 1976”. Wrestlingdata.com. 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  39. ^ 『リック・フレアー自伝じでん トゥー・ビー・ザ・マン』P14-15(2004ねんエンターブレインISBN 4757721536
  40. ^ NWA World Tag Team Title [Illinois & Wisconsin]”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  41. ^ NWA World Tag Team Title [Minneapolis]”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  42. ^ NWA World Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  43. ^ WCW Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022ねん5がつ4にち閲覧えつらん
  44. ^ Nebraska Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]