大木 金太郎
Kintarō Ōki | |
---|---|
![]() 『プロレス&ボクシング』1962 | |
プロフィール | |
リングネーム |
キム・イル テツロウ・サトー[1] |
| |
ニックネーム |
|
185cm | |
120kg( | |
1929 | |
2006 | |
![]() | |
スポーツ | シルム[2] |
トレーナー |
ミスター・モト |
デビュー |
1959 |
1995 |
来歴 [編集 ]
1963
1964
1965
その
1967
1968
1971
この
1975
1979
その
引退 セレモニー、その後 [編集 ]
1995
2005
2006
2006
獲得 タイトル[編集 ]
- アジアヘビー
級 王座 :4回 [16] - アジアタッグ
王座 :4回 (w /吉村 道明 ×3、アントニオ猪木 )[35] - インターナショナル・ヘビー
級 王座 :1回 [36] - インターナショナル・タッグ
王座 :4回 (w /坂口 征 二 、上田 馬 之 助 、キム・ドク×2)[25]
大韓 プロレス協会
得意 技 [編集 ]
- ヘッドバット
大木 は石頭 として知 られ、ヘッドバットと言 うより「頭 突 き」と言 った方 が当 てはまる。片手 で相手 の頭 を鷲掴 みにし一 本 足 の体勢 から投球 フォームのように繰 り出 す独特 の頭 突 きスタイルは「原爆 頭 突 き」(または「一本 足 頭 突 き」)と呼 ばれ、リングガウンの背中 には原爆 投下 時 のキノコ雲 のような噴煙 も描 かれた。同 じくヘッドバットの使 い手 であったボボ・ブラジルとの試合 はヘッドバット合戦 になることで知 られた。大木 のヘッドバットは後 に藤原 喜明 に受 け継 がれ、藤原 も一本 足 ヘッドバットの使 い手 として有名 である。サードロープに足 をかけて落差 を付 けるバージョンも存在 する。- X
固 め 独自 のアレンジを加 えた変形 卍 固 め。相手 の首 に足 をかけず、後頭部 を膝 で内側 へ押 し込 むことで脱出 を困難 にする。国際 プロレス末期 のフィニッシュ・ホールドである。- なお
日本 プロレス時代 、猪木 とほぼ同型 の卍 固 めを使用 していた時期 がある。 急所 打 ち- アトミック・ドロップとは
逆 方向 で、向 かい合 った状態 で相手 に対 してダブル・レッグ・ダイブで抱 え上 げ、右足 を突 き出 す形 で片 膝 立 ちになり、腿 に相手 の股間 を叩 きつける。全日 で馬場 と抗 争 を展開 していた頃 に使用 していた。実況 中継 では反則 技 扱 いされていたが、アドリアン・アドニスらが用 いていたほぼ同型 のマンハッタン・ドロップは反則 扱 いされていない。 - ブレーンバスター
国際 プロレス時代 にしばしば披露 した。相手 を後 ろに大 きく背面 から投 げ落 とす形 である。足 4の字 固 め
入場 テーマ曲 [編集 ]
- COSMIC HIGHWAY/コージー・パウエル(
国際 プロレス時代 )[39]
逸話 [編集 ]
豊 登 、猪木 の日本 プロレス離脱 により、馬場 に次 ぐ二 番手 の地位 を築 いていた大木 であったが、猪木 の日 プロ復帰 、坂口 の入団 などにより中堅 の地位 に甘 んじていた1968年 1月 には、国際 プロレス(当時 はTBSプロレス)への移籍 話 が取 り沙汰 された。TBSプロレスは旗揚 げシリーズで、エース候補 として売 り出 しを図 ったグレート草津 、サンダー杉山 がことごとくタイトルマッチ(TWWA世界 ヘビー級 選手権 )でルー・テーズに敗 れ、当初 は看板 選手 として売 り出 す考 えのなかった豊 登 まで駆 り出 されるなど、日本人 陣営 が手薄 である事 は明白 であった。そこで、当時 TBSプロレスのブッカーであったグレート東郷 が大木 に接触 し、TBSプロレスへの移籍 に一旦 は合意 。大木 は一時 は日 プロに辞表 を提出 、TBSプロレスの興行 が行 われる予定 の仙台 へ来場 したが、日 プロ後援 者 らの介入 で直前 でこれを阻止 され、大木 はTBSへの移籍 を断念 する結果 となった。この一 件 が後 にユセフ・トルコによる東郷 への暴行 事件 の伏線 の一 つとなった。得意 技 に頭 突 きを選 んだ理由 としては、当時 朝鮮 系 は石頭 というステレオタイプ的 なイメージから力道山 が「お前 は韓国 人 だから頭 を鍛 えなさい」といわれたことに依拠 する。大木 いわく、頭 突 きの鍛錬 方法 はゴルフクラブのドライバーで力道山 が頭部 を殴 っていたという。映画 力道山 での初 登場 シーンは掛 け声 とともに鉄柱 に突進 するシーンである日本 プロレスの崩壊 後 、韓国 を拠点 にしつつ、新 日本 ・全日本 の両 団体 に参戦 していた大木 であったが、1980年 2月 には『国際 プロレスアワー』の視聴 率 の低迷 にあえぐ東京 12チャンネル(現在 のテレビ東京 )に乞 われる形 で、国際 プロレスに入団 [26]し、2月 シリーズである「'80スーパー・ファイト・シリーズ」から参戦 した。しかし、国際 プロレスの社長 であった吉原 功 は全 く関知 しておらず、国際 側 と12チャンネル側 の関係 がさらにギクシャクする形 となったことは否定 できなかった。結局 、大木 入団 後 における『国際 プロレスアワー』の視聴 率 は低下 し(開始 当初 からのディレクターが人事 異動 により抜 けた影響 もある)、大木 自身 も11月1日 開幕 の「'80デビリッシュ・ファイト・シリーズ」開催 中 の同年 11月 8日 に退団 [29](退団 後 の「'81新春 パイオニア・シリーズ」のポスターにも大木 の写真 が掲載 されていた)。翌年 には、国際 プロレスは12チャンネルから放映 を打 ち切 られて崩壊 した。- 1968
年 12月1日 、宮城 県 スポーツセンター大会 で、大木 は左 耳 の半分 が削 がれ、大 流血 する壮絶 なリング・アクシデントを経験 している。この試合 では大木 は猪木 とタッグを組 み、ブルート・バーナード&ロニー・メインと対戦 。大木 の執拗 な挑発 に対 してバーナードは角材 を持 ち出 した。大木 はその角材 を自慢 の石頭 で受 けようとし、頭 を固定 するため軽 く首 を振 った瞬間 に、バーナードが振 り下 ろした角材 が左 耳 を直撃 。上半身 を鮮血 で染 めるほどの大 流血 となった。試合 後 、大木 は病院 に直行 し14針 縫合 したが、医師 の話 では「あと2センチほどで左 耳 は完全 に削 ぎ落 ちていた」というほどの大 怪我 であった。同様 なケースとして、1959年 にキラー・コワルスキーがユーコン・エリックの左 耳 を削 ぎ落 としてしまった事故 が挙 げられる。 - 1970
年 代 後半 に交通 事故 により重傷 を負 い、一命 は取 り留 めたものの後遺症 が残 った。頭蓋骨 の中 に食 い込 んだガラスの破片 は手術 を重 ねても完全 に取 り除 くことが出来 ず、時折 激 しい痛 みに襲 われたという。それでも復帰 後 のリングでは得意 の頭 突 きを放 ち会場 を沸 かせたが、頭蓋骨 に食 い込 んだガラスによって皮膚 が破 れ、ほぼ確実 に流血 するようになってしまった。関係 者 は頭 突 きの使用 を控 えるよう進言 したが、「使 うと痛 いからという理由 で技 を封印 したとなれば、試合 を見 に来 てくれるお客 (ファン)は失望 する」として頑 としてき入 れず、頭 突 きにこだわり続 けた。 少年 時代 に愛犬 の珍 島 犬 を日本 軍 の防寒 具 用 に徴用 された。愛犬 は一旦 は脱走 して戻 ってきたが連 れ戻 された。大木 は守 ってあげられなかった後悔 の念 から1994年 に愛犬 の石碑 を建 て、碑文 に「二度 とこの地 で草 一本 犬 一 匹 も外 勢 の犠牲 となることがないように願 う」などを記 した[40]。当時 の韓国 大統領 であった朴 正煕 は大木 のファンでもあり、大木 の興行 面 でも支援 を行 っていたとされる。大木 は朴 から願 いを問 われた際 に「故郷 に電気 を通 して欲 しい」と請願 したことから、他 の離島 に先 んじて1968年 に居 金島 に電気 が開通 している[41]。しかし、朴 の周辺 が北朝鮮 による暗殺 計画 などで周辺 が慌 ただしくなり、興行 面 を支援 する余裕 がなくなっていったとされ、朴 正煕 暗殺 事件 の発生 で、政府 により大木 に対 して行 われていた多額 の補助 金 捻出 が打 ち切 られてしまった[20]。- 2003
年 3月 6日 に高 陽 市 一山 チョンア公園 で行 われた生誕 イベントでデザイナーのアンドレ・キムからガウンが贈呈 された。イベントにはアブドーラ・ザ・ブッチャーも出席 した[42]。 - 2011
年 12月17日 、出生 地 の居 金島 に記念 館 を併設 したキム・イル記念 体育館 が開館 し、銅像 の除幕 式 も行 われた[43][44]。
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^
新 日本 とはシリーズに参戦 した外国 人 選手 をそのまま自身 のプロモートする韓国 の興行 に招聘 する提携 がされていたが、それが打 ち切 られたことも遠因 にあった[20]。 - ^
全日本 参戦 のオファーをかけたのは、対 猪木 戦 で評価 を上 げたことに目 を付 けた馬場 の意 を受 けて、グレート小鹿 が中心 となって行 ったとされている[20]。 - ^
国際 との契約 が切 れたことから、事実 上馬場 のオファーに応 えた形 であり、その条件 として大木 のインター王座 と馬場 の保持 し封印 していたアジアヘビー級 王座 の交換 (さらに日本 テレビから金銭 を大木 に支払 う)と6月 からの全日本 への参戦 が入 っていたとされる。菊池 孝 によれば、大木 はこの時期 に子飼 いの選手 が大量 に離脱 したため自主 興行 が打 てなくなっていたことに加 え、自身 が経営 していた海産物 業 が不渡 りを出 してしまい、財政 面 で窮地 に立 たされていたことも背景 にあったという[20]。 - ^
引退 セレモニーが始 まる前 には馬場 が東京 ドームへ現 れ、大木 を労 うと共 にお互 いの近況 などを語 り合 っていた[20]。 - ^ この
脳 血管 疾患 はいわゆるパンチドランカーの症状 であったとされる。
出典 [編集 ]
- ^ a b c d 『Gスピリッツ Vol.56』P17-18(2020
年 、辰巳 出版 、ISBN 4777826074) - ^ a b 스토리텔링이 있는 힐링여행<61>박치기왕 김일 선수
慶 南 日報 2018年 1月 7日 - ^ “
名 プロレスラー、故郷 に眠 る”.聯合 ニュース (2006年 10月 29日 ). 2022年 11月15日 閲覧 。 - ^ “‘박치기왕’ 김일의 고향 전남 고흥 거금도” (
朝鮮 語 ). 서울신문 (2012年 8月 23日 ). 2022年 11月15日 閲覧 。 - ^
京 郷 新聞 1994年 4月 26日 号 - ^ 정부, 고 김일씨에게 체육훈장 청룡장 추서ハンギョレ 2006-10-27
- ^ 『
当然 、プロレスの味方 です』角川書店 、1982年 6月 20日 、143頁 。 - ^ “스카이데일리, 2000년 한반도 혈족 410만 총본산 ‘충무로 85억’”. www.skyedaily.com (2016
年 4月 29日 ). 2022年 11月14日 閲覧 。 - ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P128(1996
年 、日本 スポーツ出版 社 ) - ^ a b “WWA United States Tag Team Title (Los Angeles)”. Wrestling-Titles.com. 2019
年 3月 19日 閲覧 。 - ^ a b 『Gスピリッツ Vol.27』P84-85(2013
年 、辰巳 出版 、ISBN 4777811476) - ^ 『Gスピリッツ Vol.28』P69-70(2013
年 、辰巳 出版 、ISBN 4777811743) - ^ “
極東 ヘビー級 選手権 ”. Rodmann's Pro-Wrestling Site. 2019年 3月 19日 閲覧 。 - ^ a b “WWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014
年 9月 23日 閲覧 。 - ^ 『Gスピリッツ Vol.15』P72(2010
年 、辰巳 出版 、ISBN 477780772X) - ^ a b c “All Asia Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2019
年 3月 19日 閲覧 。 - ^ a b c 『1945-1985
激動 のスポーツ40年 史 (6) プロレス秘蔵 写真 で綴 る激動 史 』P155(1986年 、ベ ースボ ール・マガジン社 ) - ^
東京 スポーツ・2009年 12月2日 付 6面 「格 斗 半 世紀 」第 83回 - ^ 『
週刊 プロレスSPECIAL日本 プロレス事件 史 Vol.2』P24 -P25(2014年 、ベ ースボ ール・マガジン社 、ISBN 9784583621876) - ^ a b c d e f 『
週刊 プロレスSPECIAL日本 プロレス事件 史 Vol.9』P32 -P39より。 - ^ “【
猪木 さん死去 】坂口 征 二 戦 “黄金 コンビ”初 のシングル対決 ほか/名 勝負 ベスト30&番外 編 ”.日刊 スポーツ (2022年 10月 1日 ). 2022年 12月 20日 閲覧 。 - ^ a b “インターナショナル・ヘビー
級 選手権 ”. Rodmann's Pro-Wrestling Site. 2019年 3月 19日 閲覧 。 - ^ “NJPW 1975 The 2nd World League”. Puroresu.com. 2019
年 3月 19日 閲覧 。 - ^ “The NJPW matches fought by Kintaro Oki in 1975”. Wrestlingdata.com. 2019
年 3月 19日 閲覧 。 - ^ a b “NWA International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2019
年 3月 19日 閲覧 。 - ^ a b 『
忘 れじの国際 プロレス』P111(2014年 、ベ ースボ ール・マガジン社 、ISBN 4583620802) - ^ 『
忘 れじの国際 プロレス』P103(2014年 、ベ ースボ ール・マガジン社 、ISBN 4583620802) - ^ “IWE Dymamite Series 1980”. PURORESU.COM. 2015
年 3月 10日 閲覧 。 - ^ a b 『
忘 れじの国際 プロレス』P99(2014年 、ベ ースボ ール・マガジン社 、ISBN 4583620802) - ^ “
朴 正煕 大統領 、大木 金太郎 に「反則 禁止 令 」出 していた”.朝鮮日報 (2005年 9月 21日 ). 2011年 2月 23日 閲覧 。[リンク切 れ] - ^
聯合 ニュース速報 (日本語 版 )[リンク切 れ] - ^ “【
訃報 】大木 金太郎 さん77歳 =元 プロレスラー”.朝鮮日報 (2006年 10月 26日 ). 2011年 2月 23日 閲覧 。[リンク切 れ] - ^ "
大木 金太郎 こと金一 、韓国 国立 顕 忠 院 に埋葬 ". Chosun ONLINE.朝鮮日報 社 . 22 May 2020. 2020年 5月 22日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2020年 5月 22日 閲覧 。 - ^ “NWA Western States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023
年 6月 9日 閲覧 。 - ^ “All Asia Tag Team Title Title”. Wrestling-Titles.com. 2017
年 5月 29日 閲覧 。 - ^ “NWA International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2017
年 5月 29日 閲覧 。 - ^ “Far East Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2017
年 5月 29日 閲覧 。 - ^ “NWA Oriental Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023
年 6月 9日 閲覧 。 - ^ 『
忘 れじの国際 プロレス』P90(2014年 、ベ ースボ ール・マガジン社 、ISBN 4583620802) - ^ 박치기왕 임종 이틀 전…“내 머릿속 큰 돌멩이 좀 빼줘”
中央 サンデー 2018.01.28 - ^ '박치기왕' 김일의 고향 전남 고흥 거금도ソウル
新聞 2012-08-22 - ^ 한국레슬링의 영원한 영웅 김일-김일 사진전시회 스케치オーマイニュース 2003.03.07
- ^ “◆
故 金一 (キム・イル)氏 (プロレスラー)の記念 体育館 開館 ◆ |鳳仙花 | ニュース |東洋 経済 日報 ”. www.toyo-keizai.co.jp. 2023年 6月 25日 閲覧 。 - ^
金 一 の記念 体育館 が開館 MINDAN 2011.12.21
関連 項目 [編集 ]
- WWA
極東 ヘビー級 王座 - タイガーマスク -
実在 の人物 として登場 。温厚 な先輩 として描 かれ、アニメ版 (声 :富田 耕生 )にも登場 する。韓国 代表 のキム・イルとして出場 したアジア王座 決定 戦 では、ミスター・クエスチョンに苦戦 するタイガーマスクに逆転 の秘策 を教示 する。
参考 資料 [編集 ]
大木 金太郎 『自伝 大木 金太郎 伝説 のパッチギ王 』太刀川 正樹 訳 、講談社 、2006年 12月。ISBN 4-06-213796-8。大木 金太郎 『自伝 大木 金太郎 伝説 のパッチギ王 』太刀川 正樹 訳 、講談社 〈講談社 +α 文庫 G221-1〉、2011年 2月 。ISBN 978-4-06-281415-7。
小針 進 『日 韓 交流 スクランブル各界 最前線 インタビュー』大修館書店 、2008年 11月。ISBN 978-4-469-23251-6。 -入院 中 のインタビューが収録 されている。竹内 宏 介 『プロレス醜聞 100連発 !!』日本 スポーツ出版 社 〈Nippon sports mook 10〉、1998年 7月 。ISBN 4-930943-10-8。真山 仁 、森 達也 『私 のこだわり人物 伝 2008年 6-7月 愛 しの悪役 レスラーたち~昭和 裏街道 ブルース~』NHK出版 〈NHK知 るを楽 しむ〉、2008年 5月 。ISBN 978-4-14-189196-3 。 - 2008年 7月 22日 放送 、森 達也 出演 、第 4回 「“原爆 頭 突 き”大木 金太郎 」。- 『
日本 プロレス40年 史 』日本 スポーツ出版 社 〈週刊 ゴング増刊 創刊 27周年 記念 出版 〉、1995年 4月 3日 。