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南畑・下平古墳群 - Wikipedia コンテンツにスキップ

南畑みなみはた下平しもだいら古墳こふんぐん

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座標ざひょう: 北緯ほくい3521ふん6.3びょう 東経とうけい1360ふん45.2びょう / 北緯ほくい35.351750 東経とうけい136.012556 / 35.351750; 136.012556

南畑古墳群 下平古墳群の位置(滋賀県内)
南畑古墳群 下平古墳群
南畑みなみはた古墳こふんぐん
下平しもだいら古墳こふんぐん
位置いち

南畑みなみはた下平しもだいら古墳こふんぐん(みなみはた・しもだいらこふんぐん)は、高島たかしま新旭しんあさひまち安井川やすいがわ位置いちする、5世紀せいきから7世紀せいきにかけての小規模しょうきぼ古墳こふんぐんざいによって構成こうせいされる群集ぐんしゅうふんである。

南畑みなみはた古墳こふんぐん下平しもだいら古墳こふんぐん地理ちりてき環境かんきょう[編集へんしゅう]

南畑みなみはた古墳こふんぐん下平しもだいら古墳こふんぐん所在しょざいする高島たかしまは、滋賀しがけん北西ほくせい位置いちし、東部とうぶ琵琶湖びわこに、南西なんせい比良山地ひらさんちさかい大津おおつおよび京都きょうとに、北西ほくせい饗庭野あいばの野坂のさか山地さんちさかい福井ふくいけんせっする。

りょう古墳こふんぐんは、滋賀しがけん高島たかしまのほぼ中央ちゅうおうの、高島たかしま新旭しんあさひまち安井川やすいがわさき所在しょざいし、その立地りっち安曇川あどがわによって形成けいせいされたひろしせき台地だいち饗庭野あいばの台地だいち存在そんざいする。

りょう古墳こふんぐんは、饗庭野あいばの台地だいち東端ひがしばたから安曇川あどがわかってしたじょうびる丘陵きゅうりょう地上ちじょう位置いちし、下平しもだいら古墳こふんぐん標高ひょうこうやく160メートル、南畑みなみはた古墳こふんぐんはこれよりややくだった標高ひょうこうやく120メートルに分布ぶんぷする。

周辺しゅうへん古墳こふんぐん遺跡いせきぐんについて[編集へんしゅう]

高島たかしま市内しないにおける前期ぜんき古墳こふんは、今津いまづまち妙見山みょうけんさん古墳こふんぐん新旭しんあさひまち熊野本くまのもと古墳こふんぐんげられる。

妙見山みょうけんさん古墳こふんぐん石田川いしだがわ左岸さがん位置いちし、妙見山みょうけんさん丘陵きゅうりょう分布ぶんぷする。 北東ほくとうから南東なんとう斜面しゃめんにかけて 方墳ほうふんえんふんが60以上いじょう存在そんざいし、築造ちくぞう時期じきは、3世紀せいきから7世紀せいき後半こうはんにかけてである。

安曇川あどがわ左岸さがん位置いちする熊野本くまのもと古墳こふんぐんは、えんふん22方墳ほうふん12前方後円墳ぜんぽうこうえんふん1前方ぜんぽう方墳ほうふん1構成こうせいされる古墳こふんぐんである。発掘はっくつ調査ちょうさで、前方ぜんぽう方墳ほうふん(6ごうふん)、前方後円墳ぜんぽうこうえんふん(12ごうふん)は、古墳こふん時代じだい前期ぜんき築造ちくぞう、18ごうふん・19ごうふんは、古墳こふん時代じだい中期ちゅうき確認かくにんされている。また、弥生やよい時代じだい後期こうきまつ墳丘ふんきゅう検出けんしゅつされるなど、弥生やよい時代じだい後期こうきまつからのみやつこはか活動かつどう推察すいさつされる。

集落しゅうらく遺跡いせきは、新旭しんあさひまちもりはま遺跡いせき正伝せいでん寺南てらみなみ遺跡いせきとう確認かくにんされ、立地りっち出土しゅつど土器どきから地域ちいきからの物資ぶっし流入りゅうにゅうなどが確認かくにんされ、東海とうかい北陸ほくりくとの交流こうりゅう推察すいさつされている。

古墳こふん時代じだい中期ちゅうきになると石田川いしだがわ流域りゅういきひらさき王塚おうつか古墳こふん甲山こうざん古墳こふん安曇川あどがわ流域りゅういき熊野本くまのもと18ごうふん・19ごうふん田中たなか古墳こふんぐん下平しもだいら古墳こふんぐん築造ちくぞうされる。

ひらさき王塚おうつか古墳こふんは、しゅうみぞふくめて直径ちょっけいやく80メートルをはかだんちくなり大型おおがたえんふんで、埋葬まいそう施設しせつ粘土ねんど槨もしくはかんじきそう推察すいさつされ、5世紀せいき前半ぜんはん築造ちくぞうかんがえられている。

田中たなか古墳こふんぐんは、安曇川あどがわ右側みぎがわ泰山たいざん寺野てらの台地だいちひがしはし分布ぶんぷし、安曇川あどがわ左岸さがん位置いちする南畑みなみはた古墳こふんぐん下平しもだいら古墳こふんぐん対峙たいじするように分布ぶんぷする。1970ねん昭和しょうわ45ねん)の滋賀しがけん教育きょういく委員いいんかい調査ちょうさにより、詳細しょうさい判明はんめいし、高島たかしま教育きょういく委員いいんかい調査ちょうさで69墳丘ふんきゅう確認かくにんされている。おもふん田中たなか王塚おうつか古墳こふん全長ぜんちょうやく72メートル×たかやく10メートルをはかえんふんである。

築造ちくぞう時期じきは、採集さいしゅうされた埴輪はにわへんから5世紀せいき後半こうはんとされている。現在げんざいは、つぎたい天皇てんのうちちとされる「彦主じんおうはか」とされ、宮内庁くないちょう管轄かんかつである。

2007ねん平成へいせい19ねん田中たなか36ごうふん発掘はっくつ調査ちょうさでは、おくしつゆうする6世紀せいき後半こうはん横穴よこあなしき石室いしむろ確認かくにんされており、古墳こふん時代じだい中期ちゅうきはじまったみやつこはか活動かつどう古墳こふん時代じだい後期こうきいたるまで継続けいぞくしておこなわれる古墳こふんぐんである[1]

古墳こふん時代じだい中期ちゅうき集落しゅうらくあととして高島たかしま安曇川あどがわまち所在しょざいする、南市みなみいちひがし遺跡いせきした五反田ごたんだ遺跡いせきげられる。古墳こふん時代じだい中期ちゅうきには多数たすう竪穴たてあな建物たてものあと検出けんしゅつされ、だい規模きぼ集落しゅうらく形成けいせいしている。遺物いぶつ朝鮮ちょうせんけいとうただし土器どき初期しょき須恵すえ出土しゅつどし、鍛冶たんやかす確認かくにんされるなど、特異とくい集落しゅうらくかんがえられる。

した五反田ごたんだ遺跡いせき南市みなみいちひがし遺跡いせき北西ほくせい位置いちする。5世紀せいきだいのカマドをもつ竪穴たてあな建物たてものあと検出けんしゅつされ、初期しょき須恵すえ出土しゅつどしている。南市みなみいちひがし遺跡いせき類似るいじするてんおおく、一連いちれん遺跡いせきかんがえられる。

古墳こふん時代じだい後期こうきになると、鴨川かもがわ右岸うがん沖積ちゅうせき平野へいやかも稲荷山いなりやま古墳こふん築造ちくぞうされる。全長ぜんちょうやく60メートルの前方後円墳ぜんぽうこうえんふんで、奈良ならけん上山かみのやまさん白色はくしょくけい凝灰岩ぎょうかいがん使用しようしたいえがた石棺せっかんからは、金製きんせいみみかざりかんかざりくつそうさかな佩・はんつつがたかざりなどおおくの遺物いぶつ出土しゅつどするなど、大和やまと地方ちほう若狭わかさとおして朝鮮半島ちょうせんはんとうとの交流こうりゅうった被葬ひそうしゃ想定そうていされている。かも稲荷山いなりやま古墳こふん中心ちゅうしんとする地域ちいき一帯いったいは、『日本書紀にほんしょき』「近江おうみこく高嶋たかしまぐん三尾みお別業べつぎょう」の記述きじゅつからつぎたい大王だいおう出生しゅっしょう候補こうほとされている。

現在げんざいでも「さん」に関連かんれんする地名ちめいがこののこることから、かも稲荷山いなりやま古墳こふん被葬ひそうしゃつぎたい大王だいおうとの関連かんれんせい指摘してきされる地域ちいきである[2]

発掘はっくつ調査ちょうさによる出土しゅつどひん[編集へんしゅう]

下平しもだいら古墳こふんぐんは、昭和しょうわ30年代ねんだい果樹かじゅえん造成ぞうせいさい須恵すえとう土器どきるい出土しゅつどし、その存在そんざいあきらかになった。1969ねん昭和しょうわ44ねん)には、滋賀しがけん教育きょういく委員いいんかいによる分布ぶんぷ調査ちょうさおこなわれた。その発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょでは、下平しもだいら古墳こふんぐんおよび南畑みなみはた古墳こふんぐん範囲はんいに、8古墳こふん存在そんざいしめされている。

7ごうふん墳丘ふんきゅう下部かぶのこされた以外いがいは、いずれの古墳こふんも、果樹かじゅえん造成ぞうせい破壊はかいされ、一部いちぶ古墳こふんでは、多数たすう須恵すえへん土師器はじきへん散布さんぷがあったと報告ほうこくされている。

その、1980ねん昭和しょうわ55ねん)に宅地たくち造成ぞうせい工事こうじともな発掘はっくつ調査ちょうさ実施じっしされ、23古墳こふん確認かくにんされ、発掘はっくつ調査ちょうさおこなわれた。調査ちょうさ結果けっか、5世紀せいき中頃なかごろから6世紀せいき中頃なかごろにかけてみやつこはか活動かつどうおこなわれ、ふたたび、7世紀せいき前半ぜんはんみやつこはか活動かつどう再開さいかいしたとみられる。とくに7世紀せいきだい古墳こふんでは、小規模しょうきぼ横穴よこあなしき石室いしむろから竪穴たてあなけい小石こいししつかんじきそうへと埋葬まいそう形態けいたい変遷へんせん確認かくにんされている。また、人骨じんこつはこじょうのものにれて埋葬まいそうしている事例じれい確認かくにんされている[3]

教委きょういは2017・18ねん平成へいせい29ねん・30ねん発掘はっくつ調査ちょうさおこない、6世紀せいきちゅうごろの1ごうふん、6世紀せいき後期こうきの2、3ごうふん存在そんざいあきらかになった。2021ねんれい3ねんから教委きょうい京都きょうとたちばなだい連携れんけいし、この1~3ごうふん発掘はっくつ調査ちょうさおこなった。調査ちょうさによって、1、2ごうふん埋葬まいそう施設しせつ横穴よこあなしき石室いしむろ」のゆかめんは、ちいさないしかれた「つぶてじき(れきじき)」だったことが判明はんめいした。

1ごうふん横穴よこあなしき石室いしむろのち墳丘ふんきゅうつくった「埋葬まいそう施設しせつ先行せんこうがた」、2ごうふんは「埋葬まいそう施設しせつぎょうがた」だった。

3ごうふんは「かんじきそう(じきそう)」とばれる埋葬まいそう施設しせつだったことがわかった。あなってかんめる土葬どそうちか施設しせつという。

今回こんかい調査ちょうさで、6世紀せいきちゅうごろから古墳こふんつくられ、かく古墳こふん独自どくじ埋葬まいそう施設しせつゆうしていたことがあきらかになった[4]

3つのえんふんは2018ねん平成へいせい30ねん教委きょうい調査ちょうさつかり、21年度ねんどから京都きょうとたちばなだい連携れんけいして調査ちょうさしていた。

3は、直径ちょっけいやく7〜12メートルの小規模しょうきぼ古墳こふんだが時期じきがいずれもことなり、3だいつづいた首長しゅちょうとみられる。

6世紀せいきなかばの1ごうふんと6世紀せいき後半こうはんの2ごうふん横穴よこあなしき石室いしむろ。6世紀せいきまつの3ごうふんあなってながさ2メートル、はば70センチのかん安置あんちしていた[5]

滋賀しがけん高島たかしま南畑みなみはた(みなみはた)古墳こふんぐんつかっていた古墳こふんについて、共同きょうどう調査ちょうさした教育きょういく委員いいんかい京都きょうとたちばなだいは、つぎたい大王だいおう支援しえんしたとみられるどう時代じだい人物じんぶつとその、さらにまご世代せだいにわたり、相次あいついできずかれた6世紀せいき首長しゅちょう可能かのうせいあきらかになったと発表はっぴょうした。

1ごうふんは6世紀せいき中頃なかごろ、2ごうふんは6世紀せいき後半こうはん、3ごうふんは6世紀せいきまつごろ相次あいついで築造ちくぞうされたことが土器どき年代ねんだいあきらかになった。南畑みなみはた古墳こふんぐんの1ごうふんからは、古代こだい朝鮮半島ちょうせんはんとう百済くだらけいつぼや、かんてつくぎなどが出土しゅつどてつくぎてるかん中国ちゅうごく朝鮮ちょうせんにルーツがあり、国際こくさいしょくのある被葬ひそうしゃぞうがうかがえるという。

1、2ごうふんはともに横穴よこあなしき石室いしむろだが、1ごうふん墳丘ふんきゅうよりさき石室いしむろ埋葬まいそう施設しせつ)を構築こうちくし、2ごうふんはそのぎゃくであったことも判明はんめい。「埋葬まいそう施設しせつ先行せんこうがた」は日本にっぽんではめずらしく、海外かいがい影響えいきょうつよ示唆しさするという[6]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 南畑みなみはた古墳こふんぐん下平しもだいら古墳こふんぐん発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ 2019ねん3がつ 高島たかしま教育きょういく委員いいんかい P5
  2. ^ 南畑みなみはた古墳こふんぐん下平しもだいら古墳こふんぐん発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ 2019ねん3がつ 高島たかしま教育きょういく委員いいんかい P62
  3. ^ 南畑みなみはた古墳こふんぐん下平しもだいら古墳こふんぐん発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ 2019ねん3がつ 高島たかしま教育きょういく委員いいんかい P6
  4. ^ 南畑みなみはた古墳こふんぐん 構築こうちく方法ほうほう埋葬まいそう施設しせつ構造こうぞう共同きょうどう発掘はっくつ調査ちょうさあきらかに 朝日新聞あさひしんぶん 2023ねん9がつ23にち
  5. ^ つぎたい天皇てんのうささえた勢力せいりょくか 滋賀しが高島たかしま南畑みなみはた古墳こふんぐん 日経新聞にっけいしんぶん 2023ねん9がつ25にち
  6. ^ つぎたい大王だいおうささえた首長しゅちょう滋賀しが南畑みなみはた古墳こふんぐんの3 産経新聞さんけいしんぶん 2023/9/26

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 高島たかしま教育きょういく委員いいんかい南畑みなみはた古墳こふんぐん下平しもだいら古墳こふんぐん発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ高島たかしま教育きょういく委員いいんかい南畑みなみはた古墳こふんぐん下平しもだいら古墳こふんぐん発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ〉、2019ねん3がつ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]