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坂田さかた健史たけし

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坂田さかた 健史たけし
2007ねん3がつ19にち後楽園こうらくえんホールで世界せかい王座おうざ獲得かくとく
基本きほん情報じょうほう
本名ほんみょう 坂田さかた 健史たけし
通称つうしょう Burning Fist
階級かいきゅう フライきゅう
身長しんちょう 163cm
リーチ 170cm
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
誕生たんじょう (1980-01-29) 1980ねん1がつ29にち(44さい
出身しゅっしん 広島ひろしまけん安芸あきぐん府中ふちゅうまち
スタイル みぎボクサーファイター
プロボクシング戦績せんせき
そう試合しあいすう 44
36
KO 17
6
2
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坂田さかた 健史たけし
ぜんしょく プロボクサー
所属しょぞく政党せいとう 無所属むしょぞく

当選とうせん回数かいすう 4かい
在任ざいにん期間きかん 2011ねん - 現職げんしょく
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坂田さかた 健史たけし(さかた たけふみ、1980ねん1がつ29にち - )は、日本にっぽんもとプロボクサー政治せいじ広島ひろしまけん安芸あきぐん府中ふちゅうまち出身しゅっしん東京とうきょう稲城いなぎ市議会しぎかい議員ぎいん(4)。もとWBA世界せかいフライきゅう王者おうじゃきょうさかえボクシングジム所属しょぞく山陽高等学校さんようこうとうがっこう卒業そつぎょう愛称あいしょうは "Burning Fist"。入場にゅうじょうきょくEUROPEの "The Final Countdown"。

人物じんぶつ

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もと世界せかい王者おうじゃ竹原たけはら慎二しんじおな府中ふちゅうまち出身しゅっしん総合そうごう格闘かくとう中村なかむら和裕かずひろ坂田さかた卒業そつぎょうした府中ふちゅう緑ヶ丘みどりがおか中学校ちゅうがっこうを1ねんさき卒業そつぎょうしている。

2006ねん7がつ結婚けっこん。2007ねん7がつハワイホノルル挙式きょしきおこない、2009ねん10がつには長女ちょうじょ誕生たんじょうした。

2007ねん7がつ1にちはつ防衛ぼうえい王座統おうざとういちせん以降いこう、「あこがれのグローブだった。世界せかいタイトルマッチでしかできないこと」[1]との希望きぼうにより、エバーラストせい8オンスのボクシンググローブ使つかわれている。

とく激戦げきせんつづいた2007ねんには胸囲きょういが1年間ねんかんで5cm、それまでの3年間ねんかんで7cmおおきくなった。デビュー以来いらい直接ちょくせつ筋力きんりょくトレーニングらしいことはほとんどせず、2007ねんの1年間ねんかんはサンドバッグをつことをやめ、ミットちとスパーリングでうごまわってパンチを練習れんしゅうてっしていた[2]。また2008ねんには脈拍みゃくはくすうがマラソン選手せんしゅみとなる40bpmだい減少げんしょうした[3]

デビュー10周年しゅうねんたる2008ねん陣営じんえい坂田さかたのボクサーとしてのさまを「王道おうどう」という言葉ことば表現ひょうげんした。この「王道おうどう」については、いまできることをつね全力ぜんりょくですること[4]自分じぶん納得なっとくできるかたちで最高さいこうつよさを証明しょうめいしていくこと[5]、など詳細しょうさい解釈かいしゃくかれる。

来歴らいれき

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高校こうこう入学にゅうがく同時どうじ入部にゅうぶしたボクシングは3かげつ退すさした[6]高校こうこう2年生ねんせいあき竹原たけはら慎二しんじ実父じっぷ経営けいえいする広島ひろしま竹原たけはらボクシングジムに入門にゅうもんし、ボクシングを再開さいかいした[7][8]。このとし夏休なつやすみに上京じょうきょう関東かんとう近郊きんこうの20ものボクシングジム見学けんがくしたうえ協栄きょうえいジム入門にゅうもん決意けついした。協栄きょうえいジムぜん会長かいちょう金平きんぴら正紀まさき最後さいご弟子でしわれ[9]協栄きょうえいジムのマネージャー大竹おおたけ重幸しげゆきから指導しどうけた[10]

1998ねん12月5にち、3RTKO勝利しょうりでプロデビューをたした。1999ねん1がつ18にちのプロデビュー2せん協栄きょうえいジムぜん会長かいちょう金平きんぴら正紀まさきセコンドについた最後さいご試合しあいとなり、会長かいちょう金平きんぴらかつら一郎いちろうにとっては、父親ちちおや2人ふたりでセコンドについた唯一ゆいいつ試合しあいとなった[9]坂田さかた勝利しょうり見届みとどけるとまえ会長かいちょう入院にゅういんしたが、その時点じてん余命よめいは2週間しゅうかん医師いしからげられていた。坂田さかた試合しあい見舞みまっている[11]ぜん会長かいちょうやく2かげつの3がつ26にち大腸だいちょうがんのため65さい死去しきょした[9]

1999ねん11月6にち東日本ひがしにっぽんフライきゅう新人しんじんおう獲得かくとく同年どうねん12がつ18にち有永ありなが政幸まさゆきとの全日本ぜんにほん新人しんじんおう決定けっていせんでは序盤じょばんはリードされたが4Rから挽回ばんかいし、さんしゃともに58-57の判定はんてい勝利しょうりおさめ、全日本ぜんにほんフライきゅう新人しんじんおう獲得かくとくした[12]

日本にっぽん王座おうざ獲得かくとく

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2001ねん4がつ9にちセレス小林こばやし世界せかい挑戦ちょうせん決定けっていにともない空位くういとなった日本にっぽんフライきゅう王座おうざどう3として、どう2川端かわばたけんじゅあらそい、3-0で判定はんてい勝利しょうりおさめて無敗むはいのまま日本にっぽん王者おうじゃとなった[13]同年どうねん7がつ16にち、1内藤ないとう大助だいすけむかえて無敗むはい同士どうし日本にっぽん王座おうざはつ防衛ぼうえいせん序盤じょばん主導しゅどうけんにぎられ、5Rから反撃はんげき。9R中盤ちゅうばんバッティングによるカットで流血りゅうけつし、終盤しゅうばん主導しゅどうけんうばった結果けっか、0-1(96-96、96-96、95-97)での引分ひきわけ防衛ぼうえいとなった[14]。この判定はんていかんしてこった騒動そうどうについての詳細しょうさい大串おおぐし事件じけん参照さんしょう。こののち、2八尋やひろ史朗しろう、4仲田なかた瑞男みずお相手あいてに3防衛ぼうえい成功せいこうした。

2002ねん4がつ30にちWBA14WBC9日本にっぽん王者おうじゃとしてWBA9・WBC7トラッシュ中沼なかぬまむかえて4度目どめ防衛ぼうえいせん。トレーナーの大竹おおたけ重幸しげゆきあし使つかうように指示しじしていたが、中沼なかぬまかたいガードにパンチをブロックされて指示しじまもれず、初回しょかいからあしめての打撃だげきせんとなった[5]。7R、9Rにはクリーンヒットをけ、最後さいごまであたまをつけあう接近せっきんせんはげしくったが、96-97、96-98、96-96の0-2で判定はんていけとなり、王座おうざうしなうとともにはつ黒星くろぼしきっした[15]

2003ねん4がつ5にち、WBC14としてWBA2・WBC4日本にっぽん王者おうじゃトラッシュ中沼なかぬまへの雪辱せつじょくせん体格たいかくかすためにあし使つかったボクシングをこころがけた。中間なかま距離きょりたもって中沼なかぬまかたいガードのうえからつづけ、9Rに中沼なかぬまひだりフックがクリーンヒットとなったのち丁寧ていねい反撃はんげきした。10Rは接近せっきんしてのいとなり、97-95、97-96、96-95の3-0判定はんてい勝利しょうり王座おうざ奪回だっかいした[16][17]。この王座おうざはWBA13岡田おかだ一夫かずお、3伊藤いとう克憲かつのり相手あいてに2防衛ぼうえいし、2003ねん12月に返上へんじょうした。

2004ねん6がつ4にち有明ありあけコロシアムでWBA世界せかいフライきゅう王者おうじゃロレンソ・パーラどう2として挑戦ちょうせんした。パーラは、前日ぜんじつ計量けいりょうには2失敗しっぱいして、3度目どめにクリアした[18][19][20]試合しあい佐藤さとうおさむとの「WBAダブル世界せかいタイトルマッチ」として開催かいさいされた。序盤じょばんからプレッシャーをかけ、ボディブローでダメージを蓄積ちくせきさせた。2Rにはみぎアッパーをけてあごほねを2かしょったが、4Rには手数てかずったパーラをロープぎわ後退こうたいさせた。パーラは6Rにひだりフックをカウンターでけるとロープにつかまるなどして防戦ぼうせん一方いっぽうになり[21]、これ以降いこうがりながらカウンターをわせ、クリンチをかえして試合しあいはこび、10R終了しゅうりょうのゴングののちにはひだりフックでげきする場面ばめんもあった[22]。111-117、113-115、114-114の0-2という判定はんてい結果けっかがコールされると場内じょうないにはブーイングがこった[21]来場らいじょうしたもとWBA・WBC世界せかいミニマムきゅう王者おうじゃ大橋おおはし秀行ひでゆきも「あれでてないなら、どうやればいいのか」とはなした[23]。6月9にちしも顎骨がっこつ骨折こっせつのため4あいだはん手術しゅじゅつ[22]、10かげつのブランクを余儀よぎなくされた。

2005ねん9がつ19にち、WBA世界せかいフライきゅう王者おうじゃロレンソ・パーラにどう3としてさい挑戦ちょうせん。この前日ぜんじつ計量けいりょうはパーラも1でクリアした[24]序盤じょばん有効ゆうこうでリードされたが、ひく距離きょりめて反撃はんげきし、4R終盤しゅうばんにはパーラのあしなまらせた。パーラははなぎわのパンチ、執拗しつようなクリンチ、ホールディングで攻撃こうげきをかわした。終盤しゅうばんがるパーラをなんもぐらつかせ、11Rにパーラはローブロー減点げんてん1をけた[25]。パーラのグローブのテーピングがける場面ばめんもあり、攻撃こうげき寸断すんだんされがちだった。手数てかず積極せっきょくせいでははつ挑戦ちょうせん以上いじょうのアピールがあったが、113-115、113-114、114-114の0-2で判定はんていけとなった。

2006ねん9がつ18にち、WBA3・WBC8時点じてんむかえたまごきょうたつ韓国かんこくスーパーフライきゅう1)との復帰ふっき5せんは52.0kg契約けいやくおこなわれた。5Rにひだりボディアッパーでまごをロープぎわ後退こうたいさせ、追撃ついげき仕掛しかけたところでタオル投入とうにゅうとなった[26]

2006ねん9がつ28にち東京とうきょう開催かいさいされたWBA総会そうかいでは世界せかいタイトルマッチ会議かいぎおこなわれ、フライきゅう王者おうじゃロレンソ・パーラが故障こしょうしたみぎひざ靭帯じんたい治療ちりょうちゅうであることをけ、暫定ざんてい王座おうざもうけることが確認かくにんされた[27]同年どうねん12がつ2にちフランスパリベルシー総合そうごう体育館たいいくかんおこなわれたWBA世界せかいフライきゅう暫定ざんてい王座おうざ決定けっていせんどう3として1もとWBA世界せかいライトフライきゅう王者おうじゃロベルト・バスケスあらそった。序盤じょばんはバスケスに攻勢こうせいをとられたが、3Rからペースアップした。5R序盤じょばんにバランスをくずしたところでバスケスのひだりストレートがカウンターでかすり、ダウンとされてカウント8をとられたが、6R以降いこう徹底的てっていてき接近せっきんしてボディを攻撃こうげきした。9Rにはバスケスが距離きょりをとってめ、カットでドクターチェックをけたものの、12R終盤しゅうばんまでバスケスをロープぎわめては連打れんだはなった。判定はんていは113-114、113-115、114-113の1-2でバスケスの強打きょうだ支持しじしたが、結果けっかてきにダウンでの失点しってんがなければ勝利しょうりもしくはけだったため、レフェリングを不運ふうんとするこえたかかった[28]。バスケスがわも「(バスケスが)けたとおもった」とうほど王座おうざ接近せっきんし、正規せいき王者おうじゃパーラものちに「あの試合しあいでは坂田さかたっていたとおもう」とはなした[29]

世界せかい王座おうざ獲得かくとく

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2007ねん3がつ15にち予備よび検診けんしん結果けっかでは両者りょうしゃともに減量げんりょう影響えいきょうとくになく好調こうちょうだった[30]。3月17にち調印ちょういんしきつづき、WBAスーパーバイザー、JBC、パーラ・坂田さかたりょう陣営じんえいの4しゃいのもとで、ルールミーティングがおこなわれた。会長かいちょう金平きんぴらは、前日ぜんじつ計量けいりょう体重たいじゅう超過ちょうかした場合ばあい選手せんしゅ適正てきせい体重たいじゅうとす最善さいぜん努力どりょくをし、試合しあい公平こうへいせいすために当日とうじつにも体重たいじゅう計測けいそくするよう要請ようせいしたが、パーラ陣営じんえい賛同さんどうられず、計量けいりょう結果けっか次第しだいあらためて協議きょうぎすることとなった[31][32]。3月18にち15からおこなわれた前日ぜんじつ計量けいりょうでパーラは53.5kgと上限じょうげんを2.7kg上回うわまわり、2あいださい計量けいりょうでも52.9kgと2.1kg上回うわまわったため、体重たいじゅう超過ちょうかによって王座おうざ剥奪はくだつとなった[33]。またこれによりパーラはファイトマネーを35%カットされた。前日ぜんじつつづいての4しゃ協議きょうぎ結果けっか試合しあい開始かいし4あいだまえの17非公式ひこうしき当日とうじつ計量けいりょうおこない、バンタムきゅうのリミットにあたる53.5kgを下回したまわっていることを確認かくにんしたうえりょう選手せんしゅ試合しあい出場しゅつじょうとタイトルマッチの開催かいさいみとめるというきわめて異例いれい措置そちがとられた[34]予備よび検診けんしん結果けっか同様どうよう計量けいりょう直前ちょくぜんおこなわれたパーラの検診けんしん結果けっかにも減量げんりょうくるしんだ形跡けいせきとくになかった[35]

2007ねん3がつ19にちぜん王者おうじゃロレンソ・パーラとの3度目どめ対戦たいせんどう3として通算つうさん4度目どめ世界せかい挑戦ちょうせんとなった。前日ぜんじつ急遽きゅうきょめられたとおり、この17りょう選手せんしゅ計量けいりょうけ、パーラが53.3kg、坂田さかたが53.2kgとの結果けっかをもって、ようやく変則へんそくタイトルマッチとしての決行けっこうをみた[36]距離きょりこうとするパーラに初回しょかいから接近せっきんし、脇腹わきばらにボディブローを集中しゅうちゅうさせた。パーラはロープぎわ後退こうたいし、クリンチで回避かいひした。2Rにはパーラのガードをくずし、ひく姿勢しせいから執拗しつようにボディをてた。3R開始かいしのゴングとともに坂田さかたはダッシュしたが、パーラはコーナーの椅子いすからがれずにくびいたみをうったえて棄権きけんした。3R0ふん14びょう、TKOで坂田さかた勝利しょうり[37]協栄きょうえいジム11にん世界せかい王者おうじゃとなった[38]。1週間しゅうかんの3がつ26にち坂田さかた東京とうきょう青山あおやまうめまどいんおとずれ、金平きんぴら正紀まさき墓前ぼぜん勝利しょうり報告ほうこくした。このは、同郷どうきょう恩師おんしであるぜん会長かいちょうの9回忌かいきだった[39]

2007ねん7がつ1にち有明ありあけコロシアムで正規せいき王者おうじゃとして暫定ざんてい王者おうじゃロベルト・バスケスをむかえ、WBA世界せかいフライきゅう団体だんたいない王座おうざ統一とういつをかけたはつ防衛ぼうえいせんおこなった。初回しょかいうごきがかたく、あごがる場面ばめんもあったが、いにおうじるバスケスにたいし、2R中盤ちゅうばんからは接近せっきんしてのはやいコンビネーションで試合しあい支配しはいした。9Rにはヒッティングでのカットもあったが、最終さいしゅうかいまでバスケスをロープぎわ、コーナーにめて連打れんだはな展開てんかいつづき、116-112、116-113、115-113の3-0で判定はんてい勝利しょうりおさめた[40][41]

2007ねん10がつ11にちおこなわれたWBC世界せかいフライきゅうタイトルマッチにおける亀田大かめだおおあつし反則はんそく行為こういをめぐって、会長かいちょう金平きんぴらはJBCから3かげつあいだのクラブオーナーライセンス停止ていし処分しょぶん[42]協栄きょうえいジムには抗議こうぎ電話でんわ集中しゅうちゅう[43]、2度目どめ防衛ぼうえいせん調印ちょういんしきやルールミーティングでは、大竹おおたけ重幸しげゆき会長かいちょう代行だいこうつとめた[44]。またJBCは、そのはじめておこなわれる世界せかいせんとなったこの試合しあい反則はんそく再発さいはつ防止ぼうしさくをとった[* 1]

2007ねん11月4にちさいたまスーパーアリーナコミュニティアリーナで2デンカオセーン・カオウィチット対戦たいせん。JBCは反則はんそく再発さいはつ防止ぼうしさくの1つとして試合しあい開始かいしやく30ふんまえにリングを検査けんさし、問題もんだいがなかったことを場内じょうないアナウンスで説明せつめいした[46]初回しょかいにダウンをきっしたが、4Rに左手ひだりて親指おやゆび脱臼だっきゅう[47]したデンカオセーンの失速しっそくもあって後半こうはんにかけてかえした。7R、8Rにはバッティングでカットしながら12Rをたたかい、113-113、114-112、112-115という1-1の判定はんてい防衛ぼうえいたしたが、デンカオセーンのホールディングが12Rに減点げんてんされていなければ王座おうざわたしていたというきわどい試合しあいでもあった[48]。この試合しあい選択せんたく試合しあいとしておこなわれたが、後日ごじつWBAから指名しめい試合しあい認定にんていされた。

2008ねん3がつ29にち幕張まくはりメッセで7[* 2]山口やまぐちしんわれむかえて3度目どめ防衛ぼうえいせん序盤じょばん山口やまぐちにペースをにぎられ、3R開始かいし早々そうそうにダウンをきっし、5Rにはバッティングでのカットもあったが、中盤ちゅうばん以降いこうかえし、3-0での判定はんてい勝利しょうりとなった[49]。この試合しあいについては、のち坂田さかた自身じしん反省はんせいおお試合しあいだった」とかたっている[50][51]

2008ねん7がつ30にち国立こくりつ代々木よよぎ競技きょうぎじょうだいいち体育館たいいくかんで3ひさしこう寛之ひろゆきむかえて4度目どめ防衛ぼうえいせん。3Rにバッティングによるカットで流血りゅうけつし、試合しあいには視界しかい半分はんぶんえていなかったとかたったが、序盤じょばんから攻勢こうせい安定あんていした試合しあいはこびをせ、3-0の大差たいさ判定はんてい勝利しょうりとなった[52]日本人にっぽんじん世界せかいフライきゅう王者おうじゃとして4防衛ぼうえい白井しらい義男よしおならぶ3タイ記録たいきろくである。

2008ねん12月31にち広島ひろしまサンプラザホールでリングネームをあらためた指名しめい挑戦ちょうせんしゃのデンカオセーン・シンワンチャーを再度さいどむかえて5度目どめ防衛ぼうえいせん広島ひろしま開催かいさい世界せかいせんは1978ねん5がつ7にちのWBA世界せかいライトフライきゅう王者おうじゃ具志堅ぐしけんようだか以来いらい30ねんぶりで、また大晦日おおみそか開催かいさいのボクシングの世界せかいせん日本にっぽんはつであった[53]初回しょかいからはげしい打撃だげきせんとなったが坂田さかた手数てかずすくなく、デンカオセーンの強打きょうだ上下じょうげにいくつかけ、ラウンド終盤しゅうばん連打れんだせた。2Rにはうえあさくカット。ボディちでペースをつかみかけたが、ラウンド終盤しゅうばんがわ頭部とうぶみぎフックをけてダウン。8カウントでがりはしたもののファイティングポーズをとれず、2R2ふん55びょう自身じしんはつのKOけで王座おうざうしなった[54]

進退しんたい保留ほりゅうしていたが、2009ねん1がつ27にち現役げんえき続行ぞっこう表明ひょうめい。スーパーフライきゅうへの転向てんこう視野しやれ、世界せかい王座おうざ復帰ふっき目指めざして練習れんしゅう再開さいかいした。同年どうねん6がつ14にち後楽園こうらくえんホールでWBAフライきゅう5・WBC同級どうきゅう9として、WBOフライきゅう14韓国かんこく同級どうきゅう王者おうじゃぜん鎮萬とスーパーフライきゅう10回戦かいせんおこなった。序盤じょばんいにおうじてパンチをける場面ばめんもあったが3R以降いこう優位ゆうい試合しあいすすめ、7Rにはぜんをダウン寸前すんぜんみ、3-0の大差たいさ判定はんてい勝利しょうり再起さいきたした。同年どうねん9がつ21にちにはぜんインドネシアフライきゅう王者おうじゃディッキー・プトラを1RKOでたおし、再起さいき2連勝れんしょうおさめた[* 3]

2010ねん2がつ7にち世界せかいせん亀田大かめだおおあつし王座おうざ移動いどうしたのち、2がつ20日はつかにはWBAの指示しじしたがったフライきゅう契約けいやくでの世界せかい前哨ぜんしょうせんとしてインドネシアフライきゅう王者おうじゃOPBF同級どうきゅう8のエリック・ディアス・シレガーと10回戦かいせんおこない、初回しょかいKO勝利しょうりおさめた[* 4]。9月25にちにはWBA世界せかいフライきゅうタイトルマッチで亀田大かめだおおあつし対戦たいせんしたものの、判定はんてい0-3でやぶれた[68]

引退いんたい

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亀田大かめだおおあつしせん敗戦はいせん進退しんたい保留ほりゅうしていたが、としけた2011ねん1がつ13にち協栄きょうえいジムで現役げんえき引退いんたい表明ひょうめい専修大学せんしゅうだいがくよるあいだかよい、経営けいえいがくまなんだ[69]

2011ねん2がつ27にち東京とうきょう稲城いなぎ市議会しぎかい議員ぎいん選挙せんきょ立候補りっこうほすることを表明ひょうめい[70]同年どうねん4がつ24にち、2043ひょうの2はつ当選とうせんし、市議しぎになった[71]

2011ねん4がつ9にち後楽園こうらくえんホールで引退いんたいしきおこない、もと東洋とうよう太平洋たいへいようフライきゅう王者おうじゃ大久保おおくぼ雅史まさし青木あおきジム)とエキシビションおこなった[72]

2012ねん12月31にち同門どうもん後輩こうはいである佐藤さとうひろしふとし出場しゅつじょうし、テレビ東京てれびとうきょう中継ちゅうけいしたトリプル世界せかいせん「THE BEST OF BEST」に解説かいせつしゃとして出演しゅつえんした。

2015ねん5がつ21にち協栄きょうえいジム代表だいひょう会長かいちょう代行だいこう)に就任しゅうにん[73]

2023ねん4がつ稲城いなぎ市議会しぎかい議員ぎいん選挙せんきょで4当選とうせんたす。

戦績せんせき

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プロボクシング:44せん36しょう (17KO) 6はい (1KO) 2ふん

せん 日付ひづけ 勝敗しょうはい 時間じかん 内容ないよう 対戦たいせん相手あいて 国籍こくせき 備考びこう
1 1998ねん12月5にち 勝利しょうり 3R 1:15 TKO 福田ふくだあきらとく角海老宝石かどえびほうせき 日本の旗 日本にっぽん プロデビューせん
2 1999ねん1がつ18にち 勝利しょうり 4R 判定はんてい3-0 奥田おくだ昭司しょうじ金子かねこ 日本の旗 日本にっぽん
3 1999ねん5がつ17にち 勝利しょうり 4R 判定はんてい2-0 黒岩くろいわひろし輪島わじまスポーツ) 日本の旗 日本にっぽん 東日本ひがしにっぽんフライきゅう新人しんじんおうトーナメント予選よせん
4 1999ねん6がつ29にち 勝利しょうり 4R 判定はんてい3-0 大村おおむらはじめ (ワタナベ) 日本の旗 日本にっぽん
5 1999ねん7がつ30にち 勝利しょうり 3R 1:55 TKO 野口のぐち哲彦てつひこ北澤きたざわ 日本の旗 日本にっぽん
6 1999ねん9がつ27にち 勝利しょうり 4R 判定はんてい3-0 小嶋こじま武幸たけゆき横浜よこはまさくら) 日本の旗 日本にっぽん 東日本ひがしにっぽんフライきゅう新人しんじんおうトーナメント準決勝じゅんけっしょう
7 1999ねん11月6にち 勝利しょうり 6R 判定はんてい3-0 萩本はぎもと俊雄としお (フラッシュあか 日本の旗 日本にっぽん 東日本ひがしにっぽんフライきゅう新人しんじんおうトーナメント決勝けっしょうせん
8 1999ねん12月18にち 勝利しょうり 6R 判定はんてい3-0 有永ありなが政幸まさゆきせき博之ひろゆき 日本の旗 日本にっぽん 全日本ぜんにほんフライきゅう新人しんじんおう決定けっていせん
9 2000ねん2がつ21にち 勝利しょうり 4R 0:34 TKO レオ・ラミレス フィリピンの旗 フィリピン
10 2000ねん4がつ17にち 勝利しょうり 8R 判定はんてい3-0 ホセ・クラシダJr. フィリピンの旗 フィリピン
11 2000ねん6がつ19にち 勝利しょうり 3R 3:09 KO キッド・パエス フィリピンの旗 フィリピン
12 2000ねん8がつ21にち 勝利しょうり 10R 判定はんてい3-0 久保田くぼた隆治りゅうじおき 日本の旗 日本にっぽん
13 2000ねん10がつ16にち 勝利しょうり 4R 2:53 TKO ジュン・マグシポック フィリピンの旗 フィリピン
14 2000ねん12月18にち 勝利しょうり 3R 1:01 TKO きむあきらひろし 大韓民国の旗 韓国かんこく
15 2001ねん4がつ9にち 勝利しょうり 10R 判定はんてい3-0 川端かわばたけんじゅ姫路ひめじ木下きのした 日本の旗 日本にっぽん 日本にっぽんフライきゅう王座おうざ決定けっていせん
16 2001ねん7がつ16にち 引分ひきわけ 10R 判定はんてい0-1 内藤ないとう大助だいすけ宮田みやた 日本の旗 日本にっぽん 日本にっぽん王座おうざ防衛ぼうえい1
17 2001ねん10がつ15にち 勝利しょうり 9R 0:30 TKO 八尋やひろ史朗しろう帝拳ていけん 日本の旗 日本にっぽん 日本にっぽん王座おうざ防衛ぼうえい2
18 2002ねん1がつ21にち 勝利しょうり 10R 判定はんてい3-0 仲田なかた瑞男みずお石丸いしまる 日本の旗 日本にっぽん 日本にっぽん王座おうざ防衛ぼうえい3
19 2002ねん4がつ30にち 敗北はいぼく 10R 判定はんてい0-2 トラッシュ中沼なかぬま国際こくさい 日本の旗 日本にっぽん 日本にっぽん王座おうざ陥落かんらく
20 2002ねん7がつ15にち 勝利しょうり 7R 負傷ふしょう3-0 田中たなか光輝みつてる八王子はちおうじ中屋ちゅうや 日本の旗 日本にっぽん
21 2002ねん11月18にち 勝利しょうり 2R 3:10 KO 金振浩こんしんこう 大韓民国の旗 韓国かんこく
22 2003ねん4がつ5にち 勝利しょうり 10R 判定はんてい3-0 トラッシュ中沼なかぬま国際こくさい 日本の旗 日本にっぽん 日本にっぽんフライきゅうタイトルマッチ
23 2003ねん9がつ15にち 勝利しょうり 7R終了しゅうりょう TKO 岡田おかだ一夫かずお (ロッキー) 日本の旗 日本にっぽん 日本にっぽん王座おうざ防衛ぼうえい1
24 2003ねん12月15にち 勝利しょうり 10R 判定はんてい3-0 伊藤いとう克憲かつのり角海老宝石かどえびほうせき 日本の旗 日本にっぽん 日本にっぽん王座おうざ防衛ぼうえい2/返上へんじょう
25 2004ねん6がつ4にち 敗北はいぼく 12R 判定はんてい0-2 ロレンソ・パーラ ベネズエラの旗 ベネズエラ WBA世界せかいフライきゅうタイトルマッチ
26 2005ねん4がつ18にち 勝利しょうり 1R 1:51 KO ゴントラニー・ゴーグーマノン タイ王国の旗 タイ
27 2005ねん7がつ18にち 勝利しょうり 10R 判定はんてい3-0 児玉こだま卓郎たくろう岐阜ぎふヨコゼキ) 日本の旗 日本にっぽん 52.5kg契約けいやく
28 2005ねん9がつ19にち 敗北はいぼく 12R 判定はんてい0-2 ロレンソ・パーラ ベネズエラの旗 ベネズエラ WBA世界せかいフライきゅうタイトルマッチ
29 2005ねん12月19にち 勝利しょうり 6R 2:20 TKO 長谷部はせべ弘康ひろやす中外ちゅうがい 日本の旗 日本にっぽん 52.0kg契約けいやく
30 2006ねん3がつ20日はつか 勝利しょうり 5R 2:44 TKO 伊波いは秀吉ひでよし具志川ぐしかわ 日本の旗 日本にっぽん
31 2006ねん5がつ15にち 勝利しょうり 6R 負傷ふしょう2-1 吉田よしだ健司けんじ笹崎ささざき 日本の旗 日本にっぽん
32 2006ねん7がつ17にち 勝利しょうり 5R 1:38 TKO 裵基すず 大韓民国の旗 韓国かんこく 51.5kg契約けいやく
33 2006ねん9がつ18にち 勝利しょうり 5R 2:13 TKO まごきょうたつ 大韓民国の旗 韓国かんこく 52.0kg契約けいやく
34 2006ねん12月2にち 敗北はいぼく 12R 判定はんてい1-2 ロベルト・バスケス パナマの旗 パナマ WBA世界せかいフライきゅう暫定ざんてい王座おうざ決定けっていせん
35 2007ねん3がつ19にち 勝利しょうり 3R 0:14 TKO ロレンソ・パーラ ベネズエラの旗 ベネズエラ WBA世界せかいフライきゅうタイトルマッチ
36 2007ねん7がつ1にち 勝利しょうり 12R 判定はんてい3-0 ロベルト・バスケス パナマの旗 パナマ WBA防衛ぼうえい1/王座おうざ統一とういつ
37 2007ねん11月4にち 引分ひきわけ 12R 判定はんてい1-1 デンカオセーン・カオウィチット タイ王国の旗 タイ WBA防衛ぼうえい2
38 2008ねん3がつ29にち 勝利しょうり 12R 判定はんてい3-0 山口やまぐちしんわれ渡嘉敷とかしき 日本の旗 日本にっぽん WBA防衛ぼうえい3
39 2008ねん7がつ30にち 勝利しょうり 12R 判定はんてい3-0 ひさしこう寛之ひろゆき仲里なかざと・ATSUMI) 日本の旗 日本にっぽん WBA防衛ぼうえい4
40 2008ねん12月31にち 敗北はいぼく 2R 2:55 KO デンカオセーン・カオウィチット タイ王国の旗 タイ WBA王座おうざ陥落かんらく
41 2009ねん6がつ14にち 勝利しょうり 10R 判定はんてい3-0 ぜん鎮萬 大韓民国の旗 韓国かんこく スーパーフライきゅう契約けいやく
42 2009ねん9がつ21にち 勝利しょうり 2R 1:47 KO ディッキー・プトラ インドネシアの旗 インドネシア
43 2010ねん2がつ20日はつか 勝利しょうり 1R 2:44 KO エリック・ディアス・シレガー インドネシアの旗 インドネシア フライきゅう契約けいやく
44 2010ねん9がつ25にち 敗北はいぼく 12R 判定はんてい0-3 亀田大かめだおおあつし亀田かめだ 日本の旗 日本にっぽん WBA世界せかいフライきゅうタイトルマッチ
テンプレート

獲得かくとくタイトル

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  • だい56かい東日本ひがしにっぽんフライきゅう新人しんじんおう
  • だい46かい全日本ぜんにほんフライきゅう新人しんじんおう
  • だい45だい日本にっぽんフライきゅう王座おうざ防衛ぼうえい3)
  • だい47だい日本にっぽんフライきゅう王座おうざ防衛ぼうえい2=返上へんじょう
  • WBA世界せかいフライきゅう王座おうざ防衛ぼうえい4)
受賞じゅしょうれき

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 試合しあいぜんミーティングを敢行かんこう、レフェリー・ジャッジに経緯けいい説明せつめいうえ反則はんそくまりを厳格げんかくした。公開こうかいリングチェック、試合しあいグローブチェックの3つのてん防止ぼうしさくいた[45]
  2. ^ 坂田さかたへの挑戦ちょうせん決定けっていにともない、WBAのランキング委員いいんかいにより、ライトフライきゅう8からうつされた。
  3. ^ 再起さいき2連勝れんしょうのち坂田さかた陣営じんえいはWBA世界せかいフライきゅう王座おうざ防衛ぼうえいちゅうのデンカオセーン・カオウィチットからオファーをけての3度目どめ世界せかいせんについて、WBA幹部かんぶ内諾ないだくもJBCの承認しょうにんけたうえ[55]、2009ねん10がつちゅう正式せいしき契約けいやくむすんでいた[56]。しかし同年どうねん11がつのWBA総会そうかい直近ちょっきんの2試合しあいをスーパーフライきゅうたたかっていることを理由りゆう承認しょうにん見送みおくられる一方いっぽうで、12月17にちには亀田大かめだおおあつし陣営じんえいから2010ねん2がつ7にちのデンカオセーンとのリマッチ開催かいさい発表はっぴょうされた。総会そうかいでは坂田さかた処遇しょぐうについてフライきゅうで1試合しあい消化しょうかにこの勝者しょうしゃと90にち以内いない指名しめい試合しあいおこな提案ていあんがなされたが、これはこの時点じてん正式せいしき決定けっていではなかった[55]。そのため坂田さかた陣営じんえいは12月17にちのうちにJBCにたいして、総会そうかいでの提案ていあん正式せいしき決定けっていすること、またこれが確定かくていしない状態じょうたいではデンカオセーンたい亀田かめだのタイトルマッチ認定にんてい保留ほりゅうにすることについてさい確認かくにんうなが書面しょめん送付そうふした。JBCはこれを支持しじし、WBAにもあらためて正式せいしき通達つうたつ要請ようせいしたうえで2010ねん2がつ7にち世界せかいせん契約けいやくしょ坂田さかたせんかんする条項じょうこう付帯ふたいさせるようりょう陣営じんえいはたらきかける意向いこうしめした[56]。しかしWBA・JBCの対応たいおう遅滞ちたい[57]通達つうたつ到着とうちゃくよく2010ねん1がつ30にちとなった[58]。この通達つうたつ文書ぶんしょには亀田かめだ陣営じんえいもその指示しじ遵守じゅんしゅするむね署名しょめいをした[59]
  4. ^ 試合しあい会見かいけんには顧問こもん弁護士べんごし同席どうせきし、亀田かめだ陣営じんえい署名しょめいりの調印ちょういんしょ披露ひろうしたうえ対戦たいせん義務ぎむ履行りこうもとめた[59]。こののち亀田かめだ陣営じんえい[60]JBCも消極しょうきょくてき対応たいおう終始しゅうししたが[61][62]亀田かめだジムが活動かつどう停止ていしいたったことから[63]、WBAは5月3にちラスベガスでこの試合しあい興行こうぎょうけん入札にゅうさつにかけることを決定けっていし、亀田かめだジムが入札にゅうさつ参加さんかしないまま協栄きょうえいジムの落札らくさつとなった[64]落札らくさつ当初とうしょ交渉こうしょう期限きげんは5月24にち設定せっていされていたが、期限きげん活動かつどう自粛じしゅくちゅう亀田かめだジムにたいする正式せいしき処分しょぶん決定けっていする東日本ひがしにっぽんボクシング協会きょうかい定例ていれい理事りじかい開催かいさいかさなったために延期えんきされ[65]、5月31にちづけ金平きんぴらかつら一郎いちろうがJBCに契約けいやくしょ提出ていしゅつした[66]。この延期えんきにより、落札らくさつから90にち以内いない規定きていされている試合しあい[67]延期えんきされた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 坂田さかたとバスケス、世界せかい王座おうざ統一とういつせん調印ちょういんしき火花ひばなうちくしたもの同士どうし頂上ちょうじょう決戦けっせん スポーツナビ 2007ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ 坂田さかたが2度目どめ防衛ぼうえいへ7cmUP胸囲きょうい自慢じまん 日刊にっかんスポーツ 2007ねん11月2にち閲覧えつらん
  3. ^ 坂田さかたマラソン選手せんしゅきゅう心肺しんぱい機能きのう再戦さいせん決着けっちゃく 日刊にっかんスポーツ 2008ねん12月27にち閲覧えつらん
  4. ^ Divers eye 王道おうどうほこり p.1 坂田さかた健史たけし WebマガジンDI-VE 2008ねん12月15にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 決戦けっせん直前ちょくぜん独占どくせんインタビュー いつわりなき王者おうじゃのプライド 坂田さかた健史たけし」『実話じつわナックルズ』2009ねん2がつごうミリオン出版しゅっぱん、2008ねん12月29にち
  6. ^ Divers eye 全力ぜんりょくきるために p.1 坂田さかた健史たけし WebマガジンDI-VE 2008ねん12月1にち閲覧えつらん
  7. ^ WBA王者おうじゃ坂田さかた健史たけしさん、チャンプの原点げんてんかたる…広島ひろしま安芸あきぐん府中ふちゅうまち出身しゅっしん スポーツ報知ほうち大阪おおさかばん 2008ねん11月30にち閲覧えつらん
  8. ^ 広島ひろしま安芸あきぐん府中ふちゅうまち出身しゅっしんには竹原たけはら慎二しんじさんも スポーツ報知ほうち大阪おおさかばん 2008ねん11月30にち閲覧えつらん
  9. ^ a b c 正規せいき王者おうじゃ坂田さかた健史たけし暫定ざんてい王者おうじゃバスケスと6がつ統一とういつせんへ/命日めいにち墓前ぼぜんてたちか スポーツナビ 2007ねん3がつ26にち閲覧えつらん
  10. ^ 坂田さかた内藤ないとう挑戦ちょうせんしゃ清水しみずをスパーで圧倒あっとう 日刊にっかんスポーツ 2008ねん7がつ8にち閲覧えつらん
  11. ^ きょうさかえボクシングジム 坂田さかた健史たけしプロフィール 「キングメイカー・最後さいご愛弟子まなでし
  12. ^ ボクシング・マガジン編集へんしゅうへん 『日本にっぽんプロボクシングチャンピオン大鑑たいかん』 スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2004ねん3がつ1にち ISBN 4-583-03784-8、188ぺーじ
  13. ^ 「2001ぜんタイトルマッチ - 日本にっぽんタイトルマッチ」『日本にっぽんボクシング年鑑ねんかん2002』 ボクシング・マガジン編集へんしゅうへん日本にっぽんボクシングコミッション/日本にっぽんプロボクシング協会きょうかい協力きょうりょくスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2002ねん3がつ30にち ISBN 4-583-03687-6、25ぺーじ上段じょうだん
  14. ^ 「2001ぜんタイトルマッチ - 日本にっぽんタイトルマッチ」『日本にっぽんボクシング年鑑ねんかん2002』 ボクシング・マガジン編集へんしゅうへん日本にっぽんボクシングコミッション/日本にっぽんプロボクシング協会きょうかい協力きょうりょくスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2002ねん3がつ30にち ISBN 4-583-03687-6、25ぺーじ下段げだん
  15. ^ 「2002ぜんタイトルマッチ - 日本にっぽんタイトルマッチ」『日本にっぽんボクシング年鑑ねんかん2003』 ボクシング・マガジン編集へんしゅうへん日本にっぽんボクシングコミッション/日本にっぽんプロボクシング協会きょうかい協力きょうりょくスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2003ねん4がつ30にち ISBN 4-583-03746-5、25ぺーじ上段じょうだん
  16. ^ 坂田さかたむねって世界せかいへ」/中沼なかぬま僅差きんさ判定はんてい雪辱せつじょく王座おうざかえ スポーツナビ 2003ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  17. ^ 「2003ぜんタイトルマッチ - 日本にっぽんタイトルマッチ」『日本にっぽんボクシング年鑑ねんかん2004』 ボクシング・マガジン編集へんしゅうへん日本にっぽんボクシングコミッション/日本にっぽんプロボクシング協会きょうかい協力きょうりょくスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2004ねん4がつ30にち ISBN 4-583-03799-6、23ぺーじ下段げだん
  18. ^ ダブルタイトルせん前日ぜんじつ計量けいりょう ワールドボクシング編集へんしゅう 2004ねん6がつ3にち閲覧えつらん
  19. ^ 佐藤さとう坂田さかたダブル王座おうざ奪取だっしゅだ!/きょうさかえコンビにかぜ スポーツナビ 2004ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  20. ^ ダブル世界せかいタイトルマッチ/キャンプ情報じょうほう TBSホームページ 2004ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  21. ^ a b 格闘技かくとうぎ速報そくほう/WBAダブル世界せかいタイトルマッチ スポーツナビ 2004ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  22. ^ a b 6月4にち奇跡きせき後編こうへん)〜坂田さかた健史たけしせたボクサーの凄味すごみ スポーツナビ 2004ねん6がつ16にち閲覧えつらん
  23. ^ 佐藤さとう、2かいきゅう制覇せいはならず/坂田さかただい善戦ぜんせんみのらず 会長かいちょう判定はんてい不満ふまん スポーツナビ 2004ねん6がつ16にち閲覧えつらん
  24. ^ パーラ、坂田さかたともに計量けいりょうをパス=WBAフライきゅうせん次期じき挑戦ちょうせんしゃ・アスルムがはやくもてきじょう視察しさつ スポーツナビ 2005ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  25. ^ うしなったこぶし(1/2)/WBA世界せかいフライきゅう王座おうざせん「パーラvs坂田さかた スポーツナビ 2005ねん9がつ20日はつか閲覧えつらん
  26. ^ 坂田さかた5かいTKO世界せかいへゴーサイン月刊げっかんボクシングワールド」オフィシャルサイト 2006ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  27. ^ 坂田さかた暫定ざんてい王座おうざ決定けっていせんへ アスロウムが有力ゆうりょく月刊げっかんボクシングワールド」オフィシャルサイト 2006ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  28. ^ 坂田さかた不運ふうんな1-2判定はんていけ パリのWBA暫定ざんていせん月刊げっかんボクシングワールド」オフィシャルサイト 2006ねん12月3にち閲覧えつらん
  29. ^ 世界せかい王者おうじゃパーラ、坂田さかたせん順調じゅんちょう仕上しあがり/3.19WBA世界せかいフライきゅうタイトルマッチ スポーツナビ 2007ねん3がつ13にち閲覧えつらん
  30. ^ 両者りょうしゃ好調こうちょう-WBAフライきゅうせん予備よび検診けんしん月刊げっかんボクシングワールド」オフィシャルサイト 2007ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  31. ^ WBA世界せかいせん調印ちょういんしき坂田さかたとパーラが火花ひばな/プロモーター金平きんぴら会長かいちょう体重たいじゅう厳守げんしゅつよ要請ようせい スポーツナビ 2007ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  32. ^ 3度目どめ対戦たいせん必勝ひっしょう宣言せんげん パーラにいど坂田さかた 共同通信きょうどうつうしん 2007ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  33. ^ パーラ2.1キロ超過ちょうか王座おうざ剥奪はくだつ月刊げっかんボクシングワールド」オフィシャルサイト 2007ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  34. ^ パーラ、減量げんりょう失敗しっぱい王座おうざ剥奪はくだつ WBAフライきゅう 朝日新聞あさひしんぶん 2007ねん3がつ18にち閲覧えつらん
  35. ^ パーラが世界せかいせん前日ぜんじつ計量けいりょう失格しっかく! 王座おうざはくだつりょう選手せんしゅ53.5kgでタイトルマッチを実施じっし スポーツナビ 2007ねん3がつ18にち閲覧えつらん
  36. ^ パーラ53.3キロ-WBAフライきゅう午後ごご9ゴング月刊げっかんボクシングワールド」オフィシャルサイト 2007ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  37. ^ 坂田さかた健史たけしがWBA世界せかいフライきゅうしん王者おうじゃに/4度目どめ挑戦ちょうせんかなえたゆめ スポーツナビ 2007ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  38. ^ しんチャンピオン坂田さかた健史たけしよろこびのいち夜明よあ会見かいけん/「いつでもだれ挑戦ちょうせんでもける」 スポーツナビ 2007ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  39. ^ 金平きんぴら先代せんだい会長かいちょう墓前ぼぜん勝利しょうり報告ほうこく しん王者おうじゃ坂田さかた月刊げっかんボクシングワールド」オフィシャルサイト 2007ねん3がつ26にち閲覧えつらん
  40. ^ 坂田さかた健史たけしがWBA世界せかいフライきゅう王座おうざ統一とういつ暫定ざんてい王者おうじゃバスケスにリベンジをたし、しん王者おうじゃ証明しょうめい スポーツナビ 2007ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  41. ^ 坂田さかた文句もんくなしの判定はんていち WBAフライきゅう統一とういつせん月刊げっかんボクシングワールド」オフィシャルサイト 2007ねん7がつ1にち閲覧えつらん
  42. ^ プロボクシング、亀田大かめだおおあつし選手せんしゅ1年間ねんかん出場しゅつじょう停止ていし 世界せかいせん反則はんそく行為こうい ウィキニュース 2007ねん10がつ16にち
  43. ^ 坂田さかたがあえて「だいあつしカラー」で手本てほんしめ 日刊にっかんスポーツ 2007ねん10がつ30にち閲覧えつらん
  44. ^ 金平きんぴら会長かいちょう坂田さかた世界せかいせん調印ちょういんしき会見かいけん自粛じしゅく 日刊にっかんスポーツ 2007ねん10がつ30にち閲覧えつらん
  45. ^ JBCが坂田さかた防衛ぼうえいせんちょう厳戒げんかい態勢たいせい 日刊にっかんスポーツ 2007ねん11月4にち閲覧えつらん
  46. ^ JBCがリング検査けんさ公開こうかい 日刊にっかんスポーツ 2007ねん11月5にち閲覧えつらん
  47. ^ 坂田さかた挑戦ちょうせんシンワンチャー「自信じしんがある」 日刊にっかんスポーツ 2008ねん12月25にち閲覧えつらん
  48. ^ 坂田さかた王座おうざ死守ししゅ!-WBA世界せかいフライきゅうせん月刊げっかんボクシングワールド」オフィシャルサイト 2007ねん11月5にち閲覧えつらん
  49. ^ 坂田さかたダウンも逆転ぎゃくてん判定はんていV3 日刊にっかんスポーツ 2008ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  50. ^ 【Design Studio】プロボクシングWBA世界せかいフライきゅうチャンピオン 坂田さかた健史たけし Vol.03-1 世界せかいせんでの激闘げきとうかえって SOFTBANK LIBRA 2008ねん6がつ閲覧えつらん
  51. ^ 【Design Studio】プロボクシングWBA世界せかいフライきゅうチャンピオン 坂田さかた健史たけし Vol.03-2 大切たいせつなのはいかに「もらわずてる」か SOFTBANK LIBRA 2008ねん6がつ閲覧えつらん
  52. ^ 坂田さかた完勝かんしょう! 大差たいさ判定はんてい 日刊にっかんスポーツ 2008ねん7がつ31にち閲覧えつらん
  53. ^ 坂田さかたしん兵器へいきひだりアッパーで速攻そっこうV5だ デイリースポーツ 2008ねん12月30にち閲覧えつらん
  54. ^ 坂田さかた、2かいKO防衛ぼうえい失敗しっぱい 中国ちゅうごく新聞しんぶん 2009ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  55. ^ a b 亀田大かめだおお世界せかいせんめぐり遺恨いこん再燃さいねん 金平きんぴら会長かいちょうWBA裁定さいてい疑問ぎもん 夕刊ゆうかんフジ 2009ねん12月21にち閲覧えつらん
  56. ^ a b 協栄きょうえいジムが「った」! 亀田大かめだおおあつし世界せかいせん承認しょうにん保留ほりゅう 夕刊ゆうかんフジ 2009ねん12月22にち閲覧えつらん
  57. ^ つぎせん挑戦ちょうせんしゃ坂田さかたに WBAフライきゅう王座おうざせん 毎日新聞まいにちしんぶん 2010ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  58. ^ TBSニヤッ…“金欠きんけつ亀田かめだファミリーにあらたな「金脈きんみゃく 夕刊ゆうかんフジ 2010ねん2がつ8にち閲覧えつらん
  59. ^ a b だいあつしくんやりましょう! 坂田さかたKOで前哨ぜんしょうせんクリア スポーツニッポン 2010ねん2がつ21にち閲覧えつらん
  60. ^ だいあつし 坂田さかたせんけて 読売新聞よみうりしんぶん大阪おおさかばん 2010ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  61. ^ かめちち騒動そうどうでJBCがだいあつし坂田さかた仲介ちゅうかい拒否きょひ 日刊にっかんスポーツ 2010ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  62. ^ 亀田大かめだおおあつしVS坂田さかた予定よていどお実施じっし 毎日新聞まいにちしんぶん 2010ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  63. ^ 亀田かめだ選手せんしゅちち事実じじつじょう永久えいきゅう追放ついほう ライセンス 朝日新聞あさひしんぶん 2010ねん4がつ13にち閲覧えつらん
  64. ^ 亀田かめだ興行こうぎょうけん強奪ごうだつ未遂みすい”…遺恨いこん試合しあい国内こくない スポーツニッポン 2010ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  65. ^ だいあつしVS坂田さかた 正式せいしき決定けっていは25にち以降いこう スポーツニッポン 2010ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  66. ^ WBA世界せかいフライきゅうだいあつし-坂田さかたせん合意ごうい ボクシングニュース「Box-on!」 2010ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  67. ^ だいあつしvs坂田さかた決定けっていへ! 開催かいさいは8がつ以降いこう デイリースポーツ 2010ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  68. ^ だいあつし坂田さかた判定はんていち WBAフライきゅうはつ防衛ぼうえい ボクシングニュース「Box-on!」 2010ねん9がつ26にち
  69. ^ もとWBAフライきゅう王者おうじゃ坂田さかた引退いんたい 2011ねん1がつ13にち デイリースポーツ
  70. ^ もと王者おうじゃ坂田さかた 稲城いなぎ市議しぎせん立候補りっこうほ表明ひょうめい ― スポニチ Sponichi Annex ボクシング
  71. ^ 稲城いなぎ市議しぎせん 開票かいひょう結果けっか 確定かくてい
  72. ^ 坂田さかた健史たけし 引退いんたいのテンカウント! BOXING MASTER 2011ねん4がつ11にち
  73. ^ 協栄きょうえいジム代表だいひょう坂田さかた健史たけし就任しゅうにん金平きんぴら会長かいちょうはプロモートぎょう専念せんねん. スポーツニッポン. (2015ねん5がつ22にち). https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2015/05/22/kiji/K20150522010393520.html 

関連かんれん書籍しょせき

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  • 岩崎いわさき大輔だいすけ 『激闘げきとう リングの覇者はしゃ目指めざして』 SOFTBANK Creative、2008ねん3がつ7にち ISBN 978-4-7973-4784-5
  • 金平きんぴらかつら一郎いちろう 『こぶし真相しんそう わがちちと11にんのチャンピオンたち』 双葉社ふたばしゃ、2009ねん1がつ14にち ISBN 978-4-575-30100-7

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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空位くうい
ぜんタイトル保持ほじしゃ
セレス小林こばやし
だい45だい日本にっぽんフライきゅう王者おうじゃ

2001ねん4がつ9にち - 2002ねん4がつ30にち

王者おうじゃ
トラッシュ中沼なかぬま
ぜん王者おうじゃ
トラッシュ中沼なかぬま
だい47だい日本にっぽんフライきゅう王者おうじゃ

2003ねん4がつ5にち - 2003ねん12月(返上へんじょう

空位くうい
タイトル獲得かくとくしゃ
中野なかのひろし
ぜん王者おうじゃ
ロレンソ・パーラ
WBA世界せかいフライきゅう王者おうじゃ

2007ねん3がつ19にち - 2008ねん12月31にち

王者おうじゃ
デンカオセーン・カオウィチット