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森崎もりさき貝塚かいづか

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森崎もりさき貝塚かいづか(もりさきかいづか)は、徳島とくしまけん鳴門なると大麻町大谷おおあさちょうおおたに森崎もりさきにある縄文じょうもん時代じだい貝塚かいづか遺跡いせきである。徳島とくしまけん指定してい史跡しせき

座標ざひょう: 北緯ほくい3409ふん31.3びょう 東経とうけい13432ふん43.5びょう / 北緯ほくい34.158694 東経とうけい134.545417 / 34.158694; 134.545417

森崎貝塚の位置(徳島県内)
森崎貝塚
森崎もりさき貝塚かいづか

概要がいよう[編集へんしゅう]

縄文じょうもん時代じだい中期ちゅうきから後期こうきにかけての貝塚かいづか1971ねん昭和しょうわ46ねん3がつ南九州大学みなみきゅうしゅうだいがく鈴木すずき重治しげはる指導しどうのもとで発掘はっくつ調査ちょうさおこなわれ3そうかいそう確認かくにんされた。

そのさい縄文じょうもん土器どきいしおもりいしさじほねせいヘアピン鹿しかほねかくイルカほねさかなほねハイガイシジミアカニシカガミガイカキバイひとし出土しゅつどした。かたち観察かんさつから、さらにながさ70~80m・はば10mほどの規模きぼがあったと推定すいていされる。徳島とくしまけん沖積ちゅうせきでの縄文じょうもん時代じだい代表だいひょうてき遺跡いせき

とくにハイガイが多量たりょう出土しゅつどしており、そのことからこの付近ふきんうみであり現在げんざいより温暖おんだんであることなどがわかった。現在げんざい出土しゅつどぶつ徳島とくしま県立けんりつ博物館はくぶつかん展示てんじされている。

1974ねん昭和しょうわ49ねん8がつ30にち徳島とくしまけん史跡しせき指定していされる。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 森崎もりさき貝塚かいづか』(鳴門なると教育きょういく委員いいんかい1972ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]