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葭州(かしゅう)は、中国にかつて存在した州。金代から民国初年にかけて、現在の陝西省楡林市佳県一帯に設置された。
1099年(元符2年)、北宋により石州葭芦寨に晋寧軍が置かれた。晋寧軍は河東路に属し、定胡・臨泉の2県と5寨5堡を管轄した[1]。
1182年(大定22年)、金により晋寧軍は葭州と改められた。葭州は河東北路に属し、8寨9堡を管轄した[2]。
元のとき、葭州は延安府に属し、呉堡・神木・府谷の3県を管轄した[3]。
明のとき、葭州は延安府に属し、呉堡・神木・府谷の3県を管轄した[4]。
清のとき、葭州は楡林府に属し、属県を持たない散州となった[5]。
1912年、中華民国により葭州は廃止され、葭県と改められた。
- ^ 『宋史』地理志二
- ^ 『金史』地理志下
- ^ 『元史』地理志三
- ^ 『明史』地理志三
- ^ 『清史稿』地理志十