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臨潢

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臨潢(りんこうふ)は、中国ちゅうごくにかつて存在そんざいしたりょうだいから金代かなだいにかけて、現在げんざい内モンゴル自治うちもんごるじちあかみね一帯いったい設置せっちされた。

りょう上京じょうきょう臨潢遺跡いせき

概要がいよう[編集へんしゅう]

かつてのかん遼東りゃおとんぐん西にし安平あびらけんであった。ちぎり耶律阿保あぼてんはしごこうむこくべつ魯らのさんやま勢力せいりょくあし甸でったとき、きむ鏃箭をてこのり、ここをりゅうまゆみやぶようになった。918ねんかみさつ3ねん)、ここに築城ちくじょうされ、すめらぎづけられた。938ねんてんあらわ13ねん)、すめらぎ上京じょうきょう改称かいしょうされ、臨潢かれた。上京じょうきょう臨潢上京じょうきょうどうぞくし、臨潢ちょうやすしてい・潞・えきぞく・遷遼・渤海・きょうひとしせんの10けん管轄かんかつした[1]

きむのとき、臨潢北京ぺきんぞくし、臨潢・ちょうやすしかわやすしふさがちょうやすしの5けんと37堡を管轄かんかつした[2]

モンゴル帝国ていこくにより臨潢廃止はいしされた。もとのとき、そのこうやすしぞくし、魯王の分地ぶんちとされた。あきらはつにはこうやすしまもるかれた。のちウリャンカイ北境きたざかいぞくした。のちうちハルハ5のひとつバイリンるところとなり、チャハルやくぞくした[3]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ りょう地理ちりこころざしいち
  2. ^ きむふみ地理ちりこころざしじょう
  3. ^ 清史きよし稿こう地理ちりこころざしじゅうよん