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都営バス港南支所 - Wikipedia コンテンツにスキップ

都営とえいバス港南こうなん支所ししょ

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都営とえいバス 品川しながわ自動車じどうしゃ営業えいぎょうしょ 港南こうなん支所ししょ
Tokyo Metropolitan Bus Shinagawa bus office
Kohnan branch
都営バス港南支所(東京モノレール線車窓から)
都営とえいバス港南こうなん支所ししょ東京とうきょうモノレールせん車窓しゃそうから)
所在地しょざいち 東京とうきょうみなと港南こうなん4-7-1
所管しょかん系統けいとうすう 12系統けいとう深夜しんやバスひとし特殊とくしゅ系統けいとうのぞく)
おも運行うんこう担当たんとう区域くいき 城南じょうなん地区ちく臨海りんかいふく都心としんエリア(品川しながわ渋谷しぶやおよび深川ふかがわ西側にしがわエリア)のはとバス委託いたく路線ろせん
備考びこう 運行うんこう業務ぎょうむははとバスに委託いたく
都営とえい港南こうなんよん丁目ちょうめだい2アパート。港南こうなん支所ししょはここの下層かそう入居にゅうきょしている
出入口でいりぐちうえ東京とうきょうモノレールせん高架こうかかよっている

都営とえいバス港南こうなん支所ししょ(とえいバスこうなんししょ)は、東京とうきょうみなと港南こうなん海岸かいがんどお沿いにある都営とえいバス営業えいぎょうしょ支所ししょ)である。

都営とえい港南こうなんよん丁目ちょうめだい2アパートの下層かそう使用しようしている。正式せいしき名称めいしょう東京とうきょう交通こうつうきょく品川しながわ自動車じどうしゃ営業えいぎょうしょ港南こうなん支所ししょで、営業えいぎょうしょ記号きごうYもちいる。ナンバーは品川しながわである。

2008ねんよりはとバスへの管理かんり委託いたくおこなわれたため、直営ちょくえい組織そしきではなくなっている。

最寄もよ停留所ていりゅうじょ港南こうなんよん丁目ちょうめである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1990年代ねんだいすえ台場だいば方面ほうめんへの路線ろせん拡大かくだいによる車両しゃりょう回送かいそう距離きょりらし、台場だいば地区ちく需要じゅよう変動へんどう対応たいおうすることを目的もくてきに、当時とうじ目黒めぐろ営業えいぎょうしょ品川しながわ上大崎かみおおさきさん丁目ちょうめ目黒めぐろえき東口ひがしぐち所在しょざい[1]2000ねん12月以降いこう支所ししょ)のぶんちゅうしょとして開設かいせつされ、目黒めぐろ支所ししょぶんちゅう所化しょけともな品川しながわ営業えいぎょうしょ管轄かんかつ(ただし目黒めぐろ港南こうなん一体いったいで、品川しながわ本局ほんきょくとは区別くべつされていた)となったのち、2005ねん3がつ目黒めぐろぶんちゅうしょ廃止はいしともない(跡地あとち目黒めぐろセントラルスクエアとしてさい開発かいはつ)、支所ししょへと昇格しょうかくした。どう支所ししょ記号きごう1982ねん3月29にち廃止はいしされた志村しむら営業えいぎょうしょ板橋いたばし東坂下さこぎ)で使用しようされていたYである。

主力しゅりょく路線ろせんは、浜松町はままつちょうえきからお台場だいば地区ちくへのアクセス路線ろせんであるにじ01や東急とうきゅうバスとの相互そうごれで等々力とどりき操車そうしゃしょまえ等々力とどろきえきまえから目黒めぐろ - 目黒めぐろえきまえ - 東京とうきょうタワー経由けいゆ東京とうきょうえきまるうち南口みなみぐちまでをむすひがし98系統けいとうなどの所管しょかんがあったが、これらは2013ねん4がつ1にち廃止はいしされ、現在げんざい城南じょうなん高輪たかなわ地区ちくをメインに担当たんとうしている。

港南こうなん支所ししょには本格ほんかくてき車両しゃりょう点検てんけん施設しせつがなく、日常にちじょう検査けんさ以外いがい修理しゅうり点検てんけんなどは品川しながわ営業えいぎょうしょおこなっている。都営とえいバスの営業えいぎょうしょ支所ししょでありながら2005ねん3がつまで定期ていきけん窓口まどぐち販売はんばいおこなわれていなかった。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

目黒めぐろ営業えいぎょうしょ(2000ねん撮影さつえい

品川しながわ近辺きんぺんにはふるくからの品川しながわ営業えいぎょうしょがあったが、その目黒めぐろ営業えいぎょうしょ周辺しゅうへん目黒めぐろえきさい開発かいはつのエリアとなるため、かなり以前いぜんからこの移転いてんさせる計画けいかくがあり、昭和しょうわ末期まっきには当時とうじ目黒めぐろっていた70(新宿しんじゅくえき西口にしぐち - 田町駅たまちえき東口ひがしぐちみなとスポーツセンター))やくろ10(目黒めぐろえき - 東京とうきょうえきまるうち南口みなみぐち)を中心ちゅうしん移管いかんさせ、目黒めぐろ営業えいぎょうしょ閉鎖へいさする計画けいかくがあったほどである[よう出典しゅってん]。その当初とうしょ計画けいかく消滅しょうめつしたが、冒頭ぼうとう目的もくてきである台場だいば方面ほうめん前線ぜんせん基地きちのほかに、計画けいかくおくれていたが本家ほんけである目黒めぐろ営業えいぎょうしょさい開発かいはつ開始かいし閉鎖へいさされたため、その代替だいたい施設しせつとしての位置付いちづけもある。

用地ようち元々もともと東京とうきょう宿舎しゅくしゃとして使用しようされていた場所ばしょであり、東海道新幹線とうかいどうしんかんせん回送かいそうせん東海道とうかいどう貨物かもつせんわきとおり、東京とうきょうモノレール羽田空港はねだくうこうせん線路せんろしたにあるため、モノレール車内しゃないからも車庫しゃこ構内こうないえる。当初とうしょ目黒めぐろ営業えいぎょうしょ港南こうなんぶんちゅうしょ名乗なのっていたが、2000ねん12月には目黒めぐろ営業えいぎょうしょ支所ししょ品川しながわ営業えいぎょうしょ目黒めぐろ支所ししょ港南こうなんぶんちゅうしょ、さらに2003ねん目黒めぐろ支所ししょぶんちゅうしょ組織そしき変更へんこうされると品川しながわ営業えいぎょうしょ港南こうなんぶんちゅうしょとなっていた。2005ねん3がつ品川しながわ営業えいぎょうしょ目黒めぐろぶんちゅうしょ廃止はいしともない、支所ししょへと昇格しょうかくした。車両しゃりょうきゅう:目黒めぐろ営業えいぎょうしょ所属しょぞくしていたくるまのうち、大型おおがたしゃぜん車両しゃりょう港南こうなん支所ししょつづ使用しようされ、品川しながわ営業えいぎょうしょとはひがし98くろ77系統けいとうよう車両しゃりょうとの交換こうかんおこなわれた。しかし目黒めぐろぶんちゅうしょ担当たんとうしていた路線ろせんは、一部いちぶのぞ品川しながわ営業えいぎょうしょ所轄しょかつ変更へんこうされ、反対はんたい埋立うめたて路線ろせん中心ちゅうしん港南こうなん移管いかんした。

2000ねん11月に、都営とえいバスの営業えいぎょうしょはじめててい硫黄いおう軽油けいゆ(S-50相当そうとう)の導入どうにゅうおこなわれた。

2008ねん4がつ1にちから、とう支所ししょぜん路線ろせんがはとバスに管理かんり委託いたくされた。

現行げんこう路線ろせん[編集へんしゅう]

03系統けいとう(グリーンアローズ)[編集へんしゅう]

2001ねんごろ深川ふかがわ所管しょかん時代じだい03系統けいとう
03・04・05の運行うんこう区間くかん概略がいりゃく
    • 1968ねん昭和しょうわ43ねん2がつ25にち都電とでん11系統けいとう新宿しんじゅくえきまえ - 月島つきしまあいだ)の代替だいたい路線ろせんとして、511系統けいとう(そのぎん71系統けいとうへ)が開業かいぎょうする[2]
    • 1988ねん昭和しょうわ63ねん3月21にち都市とししんバスされ、03系統けいとうあらためばんされる[3]
    • 2000ねん平成へいせい12ねん12月12にち都営とえい大江戸おおえどせん全線ぜんせん開業かいぎょうともな路線ろせん再編さいへんにより、新宿しんじゅくえき西口にしぐち - 四谷よつや駅前えきまえあいだ短縮たんしゅく担当たんとう営業えいぎょうしょ杉並すぎなみ営業えいぎょうしょ(この再編さいへんともな杉並すぎなみ支所ししょ格下かくさげ)から深川ふかがわ営業えいぎょうしょ変更へんこうする[4]
    • 2012ねん平成へいせい24ねん4がつ1にち都市とししんバスだが、はとバス委託いたく路線ろせんとなり、深川ふかがわ営業えいぎょうしょからほん支所ししょ移管いかんする。
    • 2022ねんれい4ねん)4がつ1にち四谷よつやえき東京とうきょうえきまるうち北口きたぐちあいだ運行うんこう開始かいし[5]
    • 2024ねんれい6ねん)4がつ1にち晴海はるみがわ経路けいろ変更へんこうし、晴海はるみ埠頭ふとう発着はっちゃくから晴海はるみ丁目ちょうめターミナル(HARUMI FLAG発着はっちゃく変更へんこう[6](ほかに晴海はるみ埠頭ふとう発着はっちゃくする05-1およびにしき13は経路けいろ変更へんこうおこなうが晴海はるみ埠頭ふとう発着はっちゃく維持いじ。)


都電とでんだい2撤去てっきょ廃止はいしされた大久保おおくぼ電車でんしゃ営業えいぎょうしょ所管しょかん都電とでん11系統けいとうと、それに並行へいこうして清水しみず操車そうしゃしょ - 晴海はるみ埠頭ふとうあいだむすんでいた、杉並すぎなみ支所ししょ前身ぜんしんである堀ノ内ほりのうち自動車じどうしゃ営業えいぎょうしょ所管しょかんの304系統けいとうはじまり。1970ねん昭和しょうわ45ねん)の都電とでんだい5撤去てっきょわせた路線ろせんさい編成へんせいりょう路線ろせん統合とうごうされ、ぎん71系統けいとうとなる。

都心としん横断おうだんする路線ろせんため1988ねん昭和しょうわ63ねん3月21にち都市とししんバスのだい3導入どうにゅう路線ろせんとなったのを系統けいとう番号ばんごう03にあらため、04・05系統けいとうとも「グリーンアローズ」名付なづけられた。晴海はるみどお需要じゅようほか新宿しんじゅくえき発着はっちゃくのJR・私鉄してつせんから三宅みやけざかにある国立こくりつ劇場げきじょうへのあしとしても重宝ちょうほうされ、最盛さいせいには数寄屋すきやきょう銀座ぎんざ - かちどききょう晴海はるみどおうえ)では停留所ていりゅうじょけば、昼間ひるまでもすこつだけで3系統けいとうのどれかがほどだった。

晴海はるみ見本市みほんいち会場かいじょう機能きのうビッグサイト移転いてんしたのちは、利用りようきゃく減少げんしょうすすんだ。このため営業えいぎょう成績せいせき悪化あっか一途いっと辿たどり、1990年代ねんだい後半こうはんごろから晴海はるみ方面ほうめんからの四ツ谷よつやえきまり便びんえていく。そして、2000ねん都営とえい大江戸おおえどせん開通かいつう再編さいへんで、営団えいだんげん東京とうきょうメトロ)丸ノ内線まるのうちせん重複じゅうふくする新宿しんじゅくえき西口にしぐち - 四谷よつや駅前えきまえ短縮たんしゅくのうえ杉並すぎなみ営業えいぎょうしょから深川ふかがわ営業えいぎょうしょ移管いかんし、運行うんこう回数かいすう半分はんぶん以下いかまで削減さくげんした。

その乗客じょうきゃく減少げんしょう歯止はどめがかからず、度々どどのダイヤ改正かいせいげん便びん余儀よぎなくされており、現在げんざいではにちちゅう一部いちぶ時間じかんたいで40ふん以上いじょう間隔かんかく状態じょうたいとなってしまっている。2007ねん3月26にち改正かいせいでは土曜どよう休日きゅうじつ本数ほんすうがさらに減少げんしょうし、1あいだに1ほんとなっている。

2012ねん平成へいせい24ねん4がつ1にちづけではとバス委託いたく路線ろせんとなり、深川ふかがわ営業えいぎょうしょから移管いかんされてきた[7]。はとバスに管理かんり委託いたくされる都市とししんバス路線ろせんはこの03系統けいとうはつとなった。

2022ねんれい4ねん)4がつ1にちより、平日へいじつ限定げんてい区間くかん便びんとして四谷よつやえき東京とうきょうえきまるうち北口きたぐちあいだ運行うんこう開始かいしした[5]。この新設しんせつについては05系統けいとうなど路線ろせん晴海はるみどお区間くかんのバスが十分じゅうぶん供給きょうきゅうされていることから、四谷よつや - 東京とうきょうえきあいだ需要じゅよう開拓かいたくけたこころみとしている[8]

急行きゅうこう06系統けいとう[編集へんしゅう]

急行きゅうこう06系統けいとうは、江東こうとう深川ふかがわ地区ちく台場だいば地区ちくむすび、深川ふかがわ地区ちく観光かんこう活性かっせいはかるために計画けいかくした路線ろせん愛称あいしょう江東こうとう深川ふかがわシャトル」。なお、江東こうとう東京とうきょう交通こうつうきょく運行うんこう業務ぎょうむ委託いたくしている観光かんこうシャトルという位置いちづけのため、車内しゃないでは豊洲とよす歴史れきし門前仲もんぜんなかまち周辺しゅうへん案内あんないなど、観光かんこうアナウンスがなされている。また、江東こうとう営業えいぎょうしょ時代じだいは、運行うんこう開始かいしから2010ねん下半期しもはんきまで沿線えんせん観光かんこうラッピングをほどこした車両しゃりょう運行うんこうされた。

平成へいせい17年度ねんどやく27,000にん平成へいせい18年度ねんどやく32,600にん利用りようがあった[12]

江東こうとうから運行うんこう委託いたくされているため、臨海りんかいふく都心としんないでもみなとぞくするお台場だいば海浜かいひん公園こうえんフジテレビ方面ほうめんにはかず、また急行きゅうこう05系統けいとう江東こうとう城東じょうとうシャトル)が停車ていしゃするふね科学かがくかん品川しながわさいよせ東京とうきょう国際こくさいクルーズターミナルえき停留所ていりゅうじょには停車ていしゃしない。

はし86系統けいとう[編集へんしゅう]

目黒めぐろ駅前えきまえから広尾ひろおきょう広尾ひろおえき)、麻布十番あざぶじゅうばん駅前えきまえ神谷かみやまち駅前えきまえ新橋しんばし駅前えきまえいた路線ろせん途中とちゅう広尾ひろおきょう - きょうでは片側かたがわ1車線しゃせんせま坂道さかみち仙台せんだいざか)を走行そうこうする。

1957ねん昭和しょうわ32ねん7がつ15にちに71系統けいとうとして、目黒めぐろえき - いちはし - 新橋しんばし - 銀座ぎんざいち丁目ちょうめ - 東京とうきょうえき北口きたぐちとして開設かいせつ目黒めぐろえきから新橋しんばしえき現行げんこうおな経路けいろ新橋しんばしえきよりさき中央ちゅうおうどお銀座ぎんざどおり)を日本橋にほんばし室町むろまち現在げんざい日本橋にほんばし三越みつこしまで直進ちょくしんし、三越みつこし裏手うらて日本銀行にっぽんぎんこうまえ)から東京とうきょうえき北口きたぐちたっしていた。 1960ねん昭和しょうわ35ねん6月15にち日本橋にほんばし室町むろまち - 東京とうきょうえき北口きたぐち廃止はいしされ、目黒めぐろえき-日本橋にほんばし室町むろまちとなった。

1967ねん昭和しょうわ42ねん7がつ1にち目黒めぐろえき - 新橋しんばしえき新設しんせつされた。また道路どうろ渋滞じゅうたいにより徐々じょじょ平日へいじつ新橋しんばしえき折返おりかえしがおおくなった。

ながらく路線ろせん変動へんどうがなかったが、都営地下鉄とえいちかてつ大江戸おおえどせん全線ぜんせん開業かいぎょうともな路線ろせんさい編成へんせいにより2000ねん平成へいせい12ねん12月12にちけで新橋しんばしえき - 日本橋にほんばし三越みつこし廃止はいしされた。なお、銀座ぎんざどおりが歩行ほこうしゃ天国てんごく場合ばあいは、新橋しんばし駅前えきまえから京橋きょうばしまで外堀そとぼりどお迂回うかいした。廃止はいし時点じてん銀座ぎんざどおりを経由けいゆして銀座ぎんざ縦断じゅうだんする唯一ゆいいつ路線ろせんでもあった。

2005ねん平成へいせい17ねん3月28にち目黒めぐろぶんちゅうしょ廃止はいしともない、品川しながわ営業えいぎょうしょ移管いかん

2006ねん平成へいせい18ねん4がつ1にち目黒めぐろえき - 東京とうきょうタワー(はし86おりかえし)を新設しんせつし、新橋しんばしえきぎょう平日へいじつ土曜どよう朝夕ちょうせきのみの運行うんこうとなった。

2010ねん平成へいせい22ねん3月28にち麻布十番あざぶじゅうばん駅前えきまえ - 赤羽あかはねきょうえきあいだ都道とどう環状かんじょうさん号線ごうせん経由けいゆから06系統けいとう本線ほんせんおな旧道きゅうどう経由けいゆ変更へんこうとなった。

2013ねん平成へいせい25ねん4がつ1にちにはとバス委託いたく路線ろせんとなり、港南こうなん支所ししょ移管いかんされた。

2018ねん平成へいせい30ねん4がつ1にちに、にちちゅうおおくの便びん目黒めぐろえき - 赤羽あかはねきょうえきあいだ区間くかん短縮たんしゅくされた。

出庫しゅっこ便びんである港南こうなんよん丁目ちょうめ港南こうなん車庫しゃこ)→浜松はままつまち駅前えきまえきは早朝そうちょう2ほんのみ運行うんこうされている。港南こうなん車庫しゃこきの入庫にゅうこ便びん運行うんこうされていない。これはかつて運行うんこうされていたにじ01出入でいり系統けいとう名称めいしょう変更へんこうして現在げんざい運行うんこうされているものである。

92系統けいとう[編集へんしゅう]

さい開発かいはつすす港南こうなん地区ちく品川しながわえき田町駅たまちえきむすぶアクセス路線ろせんとして、はま95系統けいとうから独立どくりつ田町駅たまちえき東口ひがしぐちれるかたちで2004ねん平成へいせい16ねん)4がつ1にち開通かいつうした。開通かいつう当初とうしょからやく1年間ねんかんは、八千代橋やちよばし基点きてん田町駅たまちえき周辺しゅうへんはん時計とけいまわりに一方いっぽう循環じゅんかんする運行うんこう形態けいたいだったが、2005ねん平成へいせい17ねん)3がつはま95・99系統けいとうわせて田町駅たまちえき周辺しゅうへん経路けいろ見直みなおされ、92系統けいとう芝浦しばうらいち丁目ちょうめまわりを廃止はいし往復おうふくとも藻塩もしおきょう経由けいゆ変更へんこうされた。以降いこう92系統けいとうはま95系統けいとう区間くかん便びんかたちとなっている。

2009ねん平成へいせい21ねん)4がつ1にちはま95系統けいとう田町駅たまちえき東口ひがしぐち復活ふっかつともない、土曜どよう休日きゅうじつにちちゅう便びん運行うんこう中止ちゅうししている。

2014ねん平成へいせい26ねん4がつ1にちにはとバス委託いたく路線ろせんとなり、港南こうなん支所ししょ移管いかんされた。

出庫しゅっこ便びんとして運行うんこうされていた品川しながわ車庫しゃこ - 品川しながわえき港南こうなんこうあいだあさ田町駅たまちえき東口ひがしぐちこう方向ほうこう平日へいじつ土曜どよう2便びん休日きゅうじつ1便びんのみ)は2022ねんれい4ねん)3がつ31にち運行うんこうをもって終了しゅうりょうした。

はん94系統けいとう[編集へんしゅう]

8の循環じゅんかんだったはん96系統けいとうのうち、高輪たかなわうてなえき方面ほうめん分割ぶんかつのうえ2002ねん平成へいせい14ねん12月1にち誕生たんじょう、このさい魚籃びく坂下さかした - 赤羽あかはねきょうえきあいだはん96系統けいとう時代じだい慶応義塾大けいおうぎじゅくだい経由けいゆから、もともと流動りゅうどうのあったさんはし麻布十番あざぶじゅうばんえき経由けいゆ変更へんこうした。五反田ごたんだ駅前えきまえると国道こくどう1ごうはい高輪たかなわだい駅前えきまえ明治めいじ学院がくいんまえ経由けいゆ魚籃びく坂下さかした交差点こうさてん桜田さくらだどおはなれて古川ふるかわきょういちはし経由けいゆして赤羽あかはねきょうえきいたる。麻布十番あざぶじゅうばんえき - 赤羽あかはねきょうえきは、06系統けいとう赤羽あかはねきょう駅前えきまえ発着はっちゃく便びんおなじく、古川ふるかわはさんで上下じょうげべつのルートとなっている。

魚籃びく坂下さかした - 麻布十番あざぶじゅうばんえきはん96系統けいとう本線ほんせん平行へいこうしており、高輪たかなわうてなえき - 魚籃びくざか独自どくじ区間くかんとなっているが、2000ねん南北線なんぼくせん都営とえい三田みたせん都営とえい大江戸おおえどせん相次あいつかく地下鉄ちかてつ延伸えんしん開業かいぎょうにより、この区間くかんでは徐々じょじょ本数ほんすうらし、現在げんざい1にち7往復おうふくのこるのみである。これは、系統けいとう単独たんどくでは山手やまてせん内側うちがわ完結かんけつする路線ろせんバスのなか最少さいしょうで、独自どくじ区間くかんでの乗降じょうこうもあるが、五反田ごたんだ駅前えきまえ - 麻布まふ地域ちいきでの利用りようおお定時ていじせいいため、事実じじつじょうはん96系統けいとう短絡たんらくルートとなっている。

運行うんこう形態けいたいは、平日へいじつ休日きゅうじつともあさ3往復おうふくゆう4往復おうふくで、ともにやく1あいだおきの運行うんこうである。赤羽あかはねきょうえき到着とうちゃく便びんは、発車はっしゃ時刻じこくまで待機たいきし、そのまま五反田ごたんだえききとなる。

はま95系統けいとう[編集へんしゅう]

  • (45→)はま95:品川しながわえき港南こうなんこう - 高浜たかはまきょう - 田町駅たまちえき東口ひがしぐち - 海岸かいがんさん丁目ちょうめ - 浜松町はままつちょうえき - 御成門おなりもん - 東京とうきょうタワー駐車ちゅうしゃじょうない
  • はま95:品川しながわ車庫しゃこ天王てんのうしゅうきょう品川しながわえき港南こうなんこう高浜たかはまきょう田町駅たまちえき東口ひがしぐち海岸かいがんさん丁目ちょうめ浜松町はままつちょうえき御成門おなりもん東京とうきょうタワー(駐車ちゅうしゃじょうない) (出庫しゅっこ)

1952ねん昭和しょうわ27ねん7がつ13にちけで45系統けいとうとして天王てんのうしゅうきょう - 品川しながわえき東口ひがしぐち - 東京とうきょう港口こうこうあいだ開通かいつう。その幾度いくど経路けいろ変更へんこう延長えんちょう系統けいとうとの統合とうごう短縮たんしゅく現行げんこう経路けいろいたる。1974ねん昭和しょうわ49ねん7がつ1にちにはよん98系統けいとう都電とでん33系統けいとう代替だいたい路線ろせん)との統合とうごう品川しながわ車庫しゃこ - 浜松町はままつちょうえき - 東京とうきょうタワー - 六本木ろっぽんぎ - 四谷よつや片町かたまちあいだという長距離ちょうきょり路線ろせんとなっていたが、1977ねん昭和しょうわ52ねん12月16にち東京とうきょうタワー - 四谷よつや片町かたまちあいだ廃止はいしとなった。おも交通こうつう手段しゅだんとぼしいみなと海岸かいがん地区ちくたいする輸送ゆそう需要じゅようたす一方いっぽうで、品川しながわ浜松はままつまちから東京とうきょうタワーへかう観光かんこう路線ろせんとしての役割やくわりになっている。

2002ねん平成へいせい14ねん)、東京とうきょうタワーから赤羽あかはねきょうえきれるかたちはま95おつ系統けいとう開通かいつうしたが、徐々じょじょ運行うんこう回数かいすうすくなくなり、2010ねん平成へいせい22ねん)4がつ1にち廃止はいしされた。赤羽あかはねきょうえき品川しながわ方面かたもきのバスは、そのさきなかきょう停車ていしゃしてから折返おりかえして東京とうきょうタワーへかっていた。

もともとは品川しながわ田町たまち浜松はままつまちと、JRの各駅かくえきをこまめに路線ろせんだったが、2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ田町駅たまちえき周辺しゅうへん路線ろせん再編さいへんによってはま95系統けいとう田町駅たまちえき東口ひがしぐち乗入のりいれが廃止はいしされ、きゅう海岸かいがんどお直進ちょくしんして芝浦しばうらさん丁目ちょうめ経由けいゆするかたちとなったが、2009ねん平成へいせい21ねん)4がつ田町駅たまちえき乗入のりいれが復活ふっかつし、品川しながわ方面ほうめんのみロータリーからの乗降じょうこう可能かのうとなっている。

ちぃばす芝浦しばうら港南こうなんルートの本格ほんかく運行うんこう開始かいし競合きょうごうとなり、2014ねん平成へいせい26ねん4がつ1にちづけではとバス委託いたくうえ港南こうなん支所ししょ移管いかんされた。

品川しながわ車庫しゃこ - 品川しながわえき港南こうなんこうあいだは、平日へいじつあさ2便びん土曜どよう休日きゅうじつ1便びん東京とうきょうタワーぎょうのみで、東京とうきょうタワーはつ全便ぜんびん品川しながわえき港南こうなんこうぎょうとなる。

96系統けいとう[編集へんしゅう]

大井おおいまち駅前えきまえ出発しゅっぱつ青物あおもの横丁よこちょう基点きてんはん時計とけいまわりで天王てんのうしゅう地区ちく経由けいゆし、ふたた大井おおいまち駅前えきまえいたるラケットがた循環じゅんかん路線ろせん1992ねんしな91おりかえし系統けいとうとして、大井おおいまち駅前えきまえ天王てんのうしゅう地区ちくのアクセス向上こうじょう目的もくてき開通かいつうしたが、当初とうしょ平日へいじつのみの運行うんこうだった。その大井おおいまちえき関係かんけいする系統けいとう再編さいへんにより、96系統けいとうとして独立どくりつ、さらに2002ねんしな91・ひん98系統けいとう再編さいへんともな補強ほきょうとして、大井おおいまち駅前えきまえ方面かたもきの南馬場みなみばば経由けいゆ休日きゅうじつ運転うんてん開始かいし・ダイヤ増発ぞうはつおこなわれ、段階だんかいてき規模きぼおおきくしてきた路線ろせん。2005ねん港南こうなんぶんちゅうしょ格上かくあげにともない、品川しながわ営業えいぎょうしょより移管いかんされた。

ダイヤは品川しながわ営業えいぎょうしょ時代じだい上記じょうき経緯けいい拡充かくじゅうされ、2002ねんりんかいせん全通ぜんつうにはほぼ影響えいきょうけなかったものの、港南こうなん支所ししょ移管いかん大幅おおはばげん便びんされ、とく休日きゅうじつ終日しゅうじつ毎時まいじ1-2ほんまでげんまわされている。

しな97系統けいとう[編集へんしゅう]

2008ねん4がつ1にちより、杉並すぎなみ支所ししょとの共管きょうかんとなる。はとバス委託いたく路線ろせんとして、はつ共管きょうかん路線ろせんとなっている。

98系統けいとう[編集へんしゅう]

  • しな98ちょう→)98かぶと大井おおいまち駅東えきひがしこう - 青物あおもの横丁よこちょう - 大井おおい清掃せいそう工場こうじょう -(→ダイトー大井おおい物流ぶつりゅうセンター)- 大井おおい水産物すいさんぶつ埠頭ふとう
  • しな98つちのえ→)98おつ大井おおいまち駅東えきひがしこう - 青物あおもの横丁よこちょう - 大井おおい清掃せいそう工場こうじょう -(←ダイトー大井おおい物流ぶつりゅうセンター)- 大井おおい水産物すいさんぶつ埠頭ふとう

1994ねん平成へいせい6ねん)7がつしな98系統けいとうから独立どくりつした路線ろせんで、当初とうしょしな98ちょうつちのえ名乗なのった。大井おおいまち駅東えきひがしこうから青物あおもの横丁よこちょうえき付近ふきん経由けいゆし、大井おおい埠頭ふとう地区ちくとをダイレクトにむすぶ。しな98系統けいとうとともに大田おおたとお数少かずすくない都営とえいバス路線ろせんでもある。いずれも休日きゅうじつ運休うんきゅうひる前後ぜんこう運行うんこうはされていない。終点しゅうてん付近ふきん大井おおい水産物すいさんぶつ埠頭ふとう入口いりくち基点きてんに、午前ごぜんはダイトー大井おおい物流ぶつりゅうセンター先回さきまわり、午後ごごはそのぎゃくのループじょう経路けいろをとるが、循環じゅんかんあつかいをおこなっておらず一旦いったん大井おおい水産物すいさんぶつ埠頭ふとう運行うんこうられる。

当初とうしょ行先ゆくさきとともに「直通ちょくつう」の文字もじかかげていた。これは経路けいろじょうきゅうひん98かぶと系統けいとう大井おおいまち駅東えきひがしこう - 大井おおい埠頭ふとう中央ちゅうおう公園こうえん - 大井おおい埠頭ふとう - 品川しながわえき東口ひがしぐち)をショートカットする意味いみで、急行きゅうこう運転うんてんおこなわれていない。

99系統けいとう[編集へんしゅう]

  • 99品川しながわえき港南こうなんこう - 五色ごしききょう - 芝浦しばうら埠頭ふとう - 田町駅たまちえき東口ひがしぐち
  • 99出入でいり港南こうなんよん丁目ちょうめ港南こうなん車庫しゃこ)- (直行ちょっこう)- 品川しながわえき港南こうなんこう

1967ねん昭和しょうわ42ねん)10がつ品川しながわ営業えいぎょうしょ管轄かんかつ開通かいつうした路線ろせんである。開業かいぎょうからながらく朝夕あさゆうのみの運行うんこうみなとスポーツセンター発着はっちゃくだったが、2002ねん平成へいせい14ねん)のしんにじ02系統けいとう廃止はいしによりにちちゅう運行うんこう開始かいし2004ねん平成へいせい16ねん)4がつには田町駅たまちえき東口ひがしぐち交通こうつう広場ひろば完成かんせいともな田町駅たまちえき東口ひがしぐち発着はっちゃくとなった。その平日へいじつ土曜どようふたた朝夕ちょうせきのみの運行うんこうとなり、休日きゅうじつのみにちちゅうにも運行うんこうされている。この路線ろせん品川しながわ港南こうなん品川しながわ移管いかんされ、2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ28にちづけ港南こうなん支所ししょ移管いかん、そのはとバス委託いたくとなる。

出入でいり系統けいとうしな99・99系統けいとう港南こうなんぶんちゅうしょへの移管いかん同時どうじしな99出入でいり系統けいとうとして開設かいせつされたものだったが、現在げんざい99系統けいとう編入へんにゅうされている。以前いぜんより大幅おおはばげん便びんされているため現在げんざい平日へいじつ3かい休日きゅうじつ2かい設定せっていされている。

廃止はいし移管いかん系統けいとう[編集へんしゅう]

港南こうなん時代じだい廃止はいし移管いかんされた系統けいとう[編集へんしゅう]

はや01系統けいとう[編集へんしゅう]

レインボーブリッジ経由けいゆ東京とうきょうえき八重洲やえすこう臨海りんかいふく都心としんむすんでいた。当初とうしょ都市とししんバス(03・05系統けいとう)の経年けいねんしゃ日野ひの・ブルーリボン、S201-203・205-207号車ごうしゃ)を使用しようして東京とうきょうえき八重洲やえすこう - ホテル日航にっこう東京とうきょうげんヒルトン東京とうきょう台場だいば)・東京とうきょうビッグサイトあいだ運行うんこうしていたが、1998ねん平成へいせい10ねんなつには貸切かしきりしゃ(ガイドが乗務じょうむ車両しゃりょうかく営業えいぎょうしょからあつめ)を使用しよう、2000ねん平成へいせい12ねん)からは貸切かしきりしゃいすゞ・スーパークルーザー、X001 - 003・005-007号車ごうしゃ)を転用てんようし、経路けいろ東京とうきょうえきまるうち南口みなみぐち発着はっちゃく有楽町ゆうらくちょうえき銀座ぎんざよん丁目ちょうめ経由けいゆ変更へんこうされ、専用せんようしゃアクアシティお台場だいばデックス東京とうきょうビーチヴィーナスフォートいずれかのラッピング装飾そうしょくほどこされた。

座席ざせき定員ていいんせいで、運賃うんちん大人おとな300えん小児しょうに150えん、2000ねん平成へいせい12ねん)からは誕生たんじょうると身分みぶん証明しょうめいしょ提示ていじ運賃うんちん無料むりょうになる特典とくてんもうけられた[13]。その車両しゃりょう老朽ろうきゅうとう理由りゆうに2003ねん平成へいせい15ねん)3がつ31にちをもって廃止はいしとなった。

にじ01系統けいとう[編集へんしゅう]

かつてにじ01には専用せんようのイラストがいた車両しゃりょう充当じゅうとうされることがあった(A-A464、すんで廃車はいしゃ)
2013ねん3がつ31にち 運行うんこう最終さいしゅうにじ01 最終さいしゅう便びんにはにじ装飾そうしょくのY-E404が充当じゅうとうされた
東京とうきょうビッグサイトはつ最終さいしゅう浜松はままつまち駅前えきまえゆき(2013ねん3がつ31にち)
2013ねん4がつ1にちからはどういち経路けいろでkmフラワーバスの運行うんこう開始かいしされた

浜松町はままつちょうえき東京とうきょうビッグサイト・国際こくさい展示てんじじょう駅前えきまえをレインボーブリッジ経由けいゆむす[14]東京とうきょうビッグサイトでのイベント開催かいさい運行うんこうされるくにてん03系統けいとう浜松町はままつちょうえき - 東京とうきょうビッグサイト)もほん系統けいとう臨時りんじ増発ぞうはつ便びん位置付いちづけられるが、港南こうなん以外いがい運用うんようはいらず、ピーク品川しながわ営業えいぎょうしょ応援おうえんがある程度ていどであった。

当初とうしょ田町駅たまちえき東口ひがしぐちからレインボーブリッジまでの路線ろせんとして開通かいつうしたもので、経路けいろじょうげん路線ろせん関連かんれんうすく、系統けいとう番号ばんごう以外いがいまったくのべつ路線ろせんである。レインボーブリッジ展望てんぼうだい利用りようきゃくけの観光かんこう路線ろせんだったが、次第しだい通勤つうきん路線ろせん色合いろあいがつよくなるとともに平日へいじつ運行うんこう回数かいすうえ、経路けいろもレインボーブリッジへの直通ちょくつうからダイヤモンドパレス・ピアシティ芝浦しばうらなどを経由けいゆするようになると同時どうじに、田町駅たまちえき東口ひがしぐちがわみなとスポーツセンターまえはつ変更へんこうした[14]。しかし、お台場だいば地区ちく目覚めざましい発展はってんから路線ろせん新設しんせつすることとなり、系統けいとう番号ばんごうゆずることになる。そして、1997ねん2がつ3にちから誕生たんじょうしたしんにじ01系統けいとうは、浜松はままつまち駅前えきまえからレインボーブリッジをわたり、フジテレビなどがあるお台場だいばへのアクセス手段しゅだんとして機能きのうしていた[14]

当初とうしょ品川しながわ営業えいぎょうしょとの共同きょうどう運行うんこうだったが、1ねん共管きょうかんさき深川ふかがわ営業えいぎょうしょ変更へんこうされた。その、りんかいせん延伸えんしん開業かいぎょうすると、需要じゅようって改正かいせいのたびにげんまわされ、全便ぜんびんがテレコムセンター経由けいゆとなった結果けっか当初とうしょ毎時まいじ5かい程度ていどだったものが、末期まっきちゅう毎時まいじ1かいとなるときあいだたいもあった。

開通かいつうから現在げんざいまで浜松町はままつちょうえき - 国際こくさい展示てんじじょうえき本線ほんせんだが、おおくが東京とうきょうビッグサイトきとなっている。一部いちぶはテレコムセンター駅前えきまえまりのほか港南こうなん車庫しゃこへの出入でいり便びんとして港南こうなんよん丁目ちょうめ発着はっちゃく海岸かいがんどお経由けいゆ)が運転うんてんされる。出入でいり便びんのうち浜松はままつまち駅前えきまえゆき毎日まいにち早朝そうちょう4ほんのみ、港南こうなんよん丁目ちょうめきは平日へいじつよる3ほんのみ運転うんてん

1998ねん平成へいせい10ねん5月1にちからPTPS導入どうにゅうしており、信号しんごう優先ゆうせん制御せいぎょ経路けいろじょう実施じっししている[15]。これに対応たいおうした機器きき搭載とうさいする必要ひつようがあるため、PTPS装着そうちゃくしゃ一般いっぱんしゃ区別くべつするために前面ぜんめんにお台場だいば象徴しょうちょうするレインボーブリッジなどのイラストをけており、PTPSは目黒めぐろどおにも導入どうにゅうされたため、ぶんちゅうしょ時代じだいよりPTPS搭載とうさいしゃであればにじバスかかに関係かんけいなく運用うんようされる。

レインボーブリッジが強風きょうふう催事さいじなどで通行止つうこうどめになると、この路線ろせん浜離宮はまりきゅう - かちどき - 晴海はるみ - 豊洲とよす - 有明ありあけ経由けいゆとなる[16]。レインボーブリッジ上層じょうそう首都高しゅとこう台場だいばせん通行止つうこうどめになってもした一般いっぱんどう通行つうこう可能かのう場合ばあいおおい。

2013ねん平成へいせい25ねん)4がつ1にち改編かいへん廃止はいしされ、ケイエム観光かんこうバス運行うんこうするkmフラワーバスがれたが、2017ねん5がつ31にちを以って同社どうしゃでも路線ろせん廃止はいしとなり、完全かんぜん撤退てったいしたかたちとなった。[17]乗客じょうきゃく比較的ひかくてきおおかったものの、ほとんどが固定こていきゃくで、途中とちゅう乗降じょうこうすくなく運賃うんちん収入しゅうにゅうえないことから赤字あかじであったことにくわえ、みなと台場だいばレインボーバス運行うんこう開始かいししたことでちをけられた。[18]。なお、出入でいり路線ろせん港南こうなんよん丁目ちょうめ発着はっちゃく便びんはし86系統けいとう編入へんにゅう)のうち浜松はままつまちえききのみ、改変かいへん平日へいじつ早朝そうちょう2ほんかぎ運行うんこう(バスターミナルにははいらない。路上ろじょう浜松はままつまち駅前えきまえ終点しゅうてん)、浜松はままつまち駅前えきまえからは回送かいそうのうえそれぞれ03・きょう86系統けいとうとなる。

その、レインボーブリッジをわた都営とえいバスは品川しながわ営業えいぎょうしょなみ01出入でいり系統けいとうがあったが、こちらも2022ねんれい4ねん)3がつ31にちをもって運行うんこう終了しゅうりょうし、レインボーブリッジを経由けいゆする都営とえいバスの路線ろせん全廃ぜんぱいとなった[19]

なみ01系統けいとう[編集へんしゅう]

2006ねん平成へいせい18ねん)4がつ運行うんこう開始かいし当初とうしょ港南こうなん支所ししょ深川ふかがわ営業えいぎょうしょ共管きょうかんだったが、港南こうなん支所ししょのはとバス委託いたくともな港南こうなん担当たんとうぶん品川しながわ営業えいぎょうしょ移管いかん

はん90系統けいとう[編集へんしゅう]

  • はん90おつ→)はん90:五反田ごたんだえき - 高輪たかなわうてなえき - 高輪たかなわいち丁目ちょうめ - 田町駅たまちえき

1950ねん昭和しょうわ25ねん5月15にちに122系統けいとうとして、はら - 五反田ごたんだえき - 田町駅たまちえき - 東京とうきょうえき八重洲やえすこう東急とうきゅうバス神明しんめい営業えいぎょうしょげん荏原えばら営業えいぎょうしょ)との相互そうごれで開通かいつうした路線ろせんである(1951ねん昭和しょうわ26ねん5月多摩川たまがわ大橋おおはしまで延長えんちょう)。都営とえい地下鉄ちかてつ1号線ごうせん全線ぜんせん開業かいぎょう完全かんぜん並行へいこうとなり、1970ねん昭和しょうわ45ねん9がつ20日はつかかぎりで多摩川たまがわ大橋おおはし - 五反田ごたんだえきあいだ廃止はいしのうえ東急とうきゅうとの相互そうごれも終了しゅうりょう1972ねん昭和しょうわ47ねん11月以降いこうひがし96系統けいとう名乗なのることとなる。担当たんとう品川しながわ営業えいぎょうしょだった。

このひがし96系統けいとうだい3再建さいけん計画けいかくともな路線ろせんさい編成へんせいにより、1982ねん昭和しょうわ57ねん12月26にちづけ初代しょだいはん96系統けいとう五反田ごたんだえき - 田町駅たまちえき - いちはし - 清正きよまさおおやけまえ - 五反田ごたんだえき)に変更へんこうのうえ目黒めぐろ営業えいぎょうしょ移管いかん。それも1990ねん平成へいせい2ねん7がつ1にちけで分割ぶんかつされ、2代目だいめはん96系統けいとう五反田ごたんだえき - いちはし - 赤坂あかさかアークヒルズ - 新橋しんばしえき目黒めぐろ営業えいぎょうしょ担当たんとう)とはん90おつ系統けいとう五反田ごたんだえき - 高輪たかなわさん丁目ちょうめ - 田町駅たまちえき - 三田みたえき品川しながわ営業えいぎょうしょ担当たんとう)となり、後者こうしゃ2000ねん平成へいせい12ねん12月12にちはん90かぶと系統けいとうが3代目だいめはん96系統けいとう統合とうごうされることにともなはん90系統けいとうとなり、そのはとバス委託いたく港南こうなん支所ししょ移管いかんされた。高輪たかなわうてなえきから田町駅たまちえきにかけては比較的ひかくてき狭隘きょうあい道路どうろ走行そうこうするため、普段ふだん中型ちゅうがたしゃ中型ちゅうがたロングしゃ運行うんこうされていた。

2012ねん平成へいせい24ねん)のちぃばす高輪たかなわルート本格ほんかく運行うんこう開始かいしともな本数ほんすうおおきく減少げんしょう朝夕ちょうせきかく4ほんずつのけい8ほんのみの運行うんこうとなったのち2015ねん平成へいせい27ねん)3がつ31にちかぎりで廃止はいしとなった。東急とうきゅうがわはん01系統けいとう五反田ごたんだえき - 川崎かわさきえき西口にしぐちきた)として存続そんぞくしている。

92系統けいとう[編集へんしゅう]

  • 92:田町駅たまちえき東口ひがしぐち藻塩もしおきょう高浜たかはまきょう品川しながわえき港南こうなんこう天王てんのうしゅうきょう品川しながわ車庫しゃこ (出庫しゅっこ)

2022ねんれい4ねん)3がつをもって品川しながわ車庫しゃこ始発しはつ便びん廃止はいし全便ぜんびん品川しながわえき港南こうなんこう田町駅たまちえき東口ひがしぐちあいだ運行うんこうとなった。

しな93系統けいとう[編集へんしゅう]

2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ港南こうなん支所ししょへの昇格しょうかく同時どうじ参入さんにゅう共管きょうかんとなっていた。その、2008ねん平成へいせい20ねん)4がつ港南こうなんのはとバス委託いたくともな品川しながわ営業えいぎょうしょ単独たんどくもどされた。

しな98・ひん99系統けいとう[編集へんしゅう]

  • しな98かぶと品川しながわえき東口ひがしぐち - 天王てんのうしゅうきょう - 品川しながわ清掃せいそう工場こうじょう - セントラルビル - 大田おおた市場いちば
  • しな98おつ品川しながわえき東口ひがしぐち天王てんのうしゅうきょう品川しながわ清掃せいそう工場こうじょう → セントラルビル → 大井おおい埠頭ふとうバンプール(あさ運行うんこう
  • しな98へい品川しながわえき東口ひがしぐち -(急行きゅうこう)- 大田おおた市場いちば平日へいじつ土曜どよう早朝そうちょう1ほんのみ、市場いちば定休ていきゅう運休うんきゅう
  • しな99:品川しながわえき東口ひがしぐち港南こうなんよん丁目ちょうめ東京とうきょう出入国しゅつにゅうこく在留ざいりゅう管理かんりきょく京浜けいひん運河うんが品川しながわ埠頭ふとう品川しながわえき東口ひがしぐち循環じゅんかん
  • しな99おりかえし品川しながわえき東口ひがしぐち - 港南こうなんよん丁目ちょうめ - 東京とうきょう出入国しゅつにゅうこく在留ざいりゅう管理かんりきょく平日へいじつのみ)

港南こうなん支所ししょのはとバス委託いたくともない、品川しながわ営業えいぎょうしょさい移管いかん

ひがし98系統けいとう[編集へんしゅう]

都営とえいバスによる最終さいしゅう運行うんこう目黒めぐろえきき(2013ねん3がつ31にち)

1948ねん昭和しょうわ23ねん)11月に東京とうきょうえきまるうち南口みなみぐち - 自由じゆうおかげん八雲やくもさん丁目ちょうめあいだの113系統けいとうとして営業えいぎょう開始かいしした路線ろせんで、当初とうしょ都営とえい渋谷しぶや営業えいぎょうしょ担当たんとうだったが、目黒めぐろ営業えいぎょうしょ復旧ふっきゅうにより移管いかんされた。東京とうきょうえきまるうち南口みなみぐち起点きてんに、日比谷ひびや赤羽あかはねきょう駅前えきまえ白金台しろかねだいえきまえ目黒めぐろ駅前えきまえ都立とりつ大学だいがくえき北口きたぐち経由けいゆ等々力とどろき駅前えきまえいたる。東急とうきゅうバスとの共同きょうどう運行うんこう長距離ちょうきょり路線ろせんであったことから、警視庁けいしちょう共同きょうどうおこなっているPTPSの導入どうにゅう路線ろせんとなっている。地下鉄ちかてつもう現在げんざいよりもめぐまれなかったころは、この路線ろせん以外いがいにも都心としん郊外こうがい直通ちょくつうがた相互そうご路線ろせん数多かずおお存在そんざいしたが、交通こうつう事情じじょうによりだい部分ぶぶん分割ぶんかつ短縮たんしゅくされ、1984ねん昭和しょうわ59ねん2がつ16にち以降いこう都営とえい東急とうきゅう共同きょうどう運行うんこうおこな唯一ゆいいつ路線ろせんとなっただけではなく、大手おおて民営みんえいバスが都心としんまでれる光景こうけいられる唯一ゆいいつ路線ろせんともなっていた。

東急とうきゅうバスは途中とちゅう清水しみず停留所ていりゅうじょにある目黒めぐろ営業えいぎょうしょ運行うんこう担当たんとう目黒めぐろえき以南いなんでは目黒めぐろどおりをとお多数たすう東急とうきゅうバス路線ろせんひがし98系統けいとうのほか、くろ01、くろ02、くろ06、くろ07系統けいとうなど)があり、運行うんこう本数ほんすう東急とうきゅうバスのほう圧倒的あっとうてきおおいが、都営とえいバスの運賃うんちん目黒めぐろえき以南いなんでも運行うんこう終了しゅうりょう当時とうじ200えん東急とうきゅうバスより10えんやすくなっていた(目黒めぐろえき以南いなん東急とうきゅうバスを利用りようする場合ばあいは、ひがし98系統けいとう利用りよう場合ばあいふく運賃うんちん当時とうじ210えんであった。なお東急とうきゅうバスのひがし98系統けいとう運賃うんちんについてはこちら参照さんしょう)。

なお、共同きょうどう運行うんこうじょう特徴とくちょうとして、

  • 都営とえいバスの等々力とどろき方向ほうこうきは等々力とどろきえきまえ東急とうきゅう等々力とどろき停留所ていりゅうじょ)で営業えいぎょう終了しゅうりょう等々力とどろき操車そうしゃしょ回送かいそう折返おりかえしは等々力とどろき操車そうしゃしょから乗車じょうしゃあつかいをおこなっていた。東急とうきゅう往復おうふくとも等々力とどろき操車そうしゃしょぜん停留所ていりゅうじょ発着はっちゃく営業えいぎょう
  • 等々力とどりき方向ほうこう行先いきさき表示ひょうじ都営とえいが「等々力とどろき」、東急とうきゅうは「等々力とどろき操車そうしゃしょ」、東京とうきょうえき方向ほうこう行先いきさき表示ひょうじ都営とえいが「東京とうきょうえきまるうち南口みなみぐち[20]東急とうきゅうは「東京とうきょうえき南口みなみぐち」、目黒めぐろ駅前えきまえきは都営とえい東急とうきゅうとも「目黒めぐろえき」となっていた。

中型ちゅうがたしゃはば10.5mノンステップしゃ日野ひの・レインボーHRおも使用しようされるが、一般いっぱん大型おおがたノンステップしゃ日野ひの・ブルーリボンⅡひとし)や日野ひの・ブルーリボンシティハイブリッドなどが使用しようされることもあった。

1955ねん昭和しょうわ30ねん以来いらい長年ながねんにわたり目黒めぐろ営業えいぎょうしょ目黒めぐろ支所ししょ目黒めぐろぶんちゅうしょ担当たんとうしてきたが、2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ目黒めぐろぶんちゅうしょ廃止はいしともな品川しながわ営業えいぎょうしょ移管いかんされた。その2008ねん平成へいせい20ねん)4がつにはとバス委託いたく路線ろせんとなり港南こうなん支所ししょさい移管いかんされるも、2013ねん平成へいせい25ねん)3がつ31にち改編かいへん都営とえいバス運行うんこう便びん東急とうきゅうバスに移譲いじょうとなり、4がつ1にちよりすべ東急とうきゅうバスでの運行うんこうとなった[17]。これにより目黒めぐろから都営とえいバスの営業えいぎょう路線ろせん消滅しょうめつ東京とうきょう23唯一ゆいいつ都営とえいバスがはしらないとなった[21]。なお、2023ねん現在げんざい都営とえいバスの系統けいとう複数ふくすうれている目黒めぐろえき品川しながわにある。

東急とうきゅうバス単独たんどく運行うんこうとなった現在げんざいひがし98系統けいとうについては、「東急とうきゅうバス目黒めぐろ営業えいぎょうしょ#自由じゆうおかせん」を参照さんしょう

目黒めぐろ時代じだい廃止はいし移管いかんされた系統けいとう[編集へんしゅう]

港南こうなん直接ちょくせつ移管いかんまた営業えいぎょうしょ移管いかん港南こうなんさい移管いかんされた系統けいとう記載きさいしない。

06系統けいとう(グリーンエコー)[編集へんしゅう]

  • (534→はし85→)06:渋谷しぶやえき - 渋谷しぶや車庫しゃこ - 天現寺てんげんじきょう - 古川ふるかわきょう - 麻布十番あざぶじゅうばんえき - 赤羽あかはねきょうえき - 金杉かなすぎきょう - 大門おおかどえき - 新橋しんばしえき
  • (534→はし85→)06:渋谷しぶやえき - 渋谷しぶや車庫しゃこ - 天現寺てんげんじきょう - 古川ふるかわきょう - 麻布十番あざぶじゅうばんえき - 赤羽あかはねきょうえき
  • (534出入でいりはし85出入でいり→)06出入でいり渋谷しぶやえき - 渋谷しぶや車庫しゃこ - 天現寺てんげんじきょう - 東大とうだい医科研いかけん病院びょういん西門にしもん - 白金台しろかねだい丁目ちょうめ - 目黒めぐろえき

1969ねん昭和しょうわ44ねん10月26にち都電とでんだい4撤去てっきょ廃止はいしされた都電とでん34系統けいとう渋谷しぶや駅前えきまえ - 金杉かなすぎきょう)の代替だいたいバスであるはし85系統けいとうが、1990ねん平成へいせい2ねん)3がつ都市とししんバスされた路線ろせんである。当初とうしょ目黒めぐろ営業えいぎょうしょ単独たんどくだったところに1999ねん平成へいせい11ねん)7がつから渋谷しぶや営業えいぎょうしょ参入さんにゅうのうえ共管きょうかん。その段階だんかいてき移管いかんされ、2003ねん平成へいせい15ねん)4がつ渋谷しぶや営業えいぎょうしょ単独たんどく所管しょかんとなる。移管いかんとも目黒めぐろ車庫しゃこへの出入でいりとして運行うんこうされていた目黒めぐろ駅前えきまえ着発ちゃくはつ便びん廃止はいしとなった。その2008年度ねんどの1年間ねんかんだけ品川しながわ本所ほんじょ渋谷しぶや営業えいぎょうしょ共管きょうかんおこなわれた。

深夜しんや06系統けいとう[編集へんしゅう]

  • 深夜しんや06:渋谷しぶやえき渋谷しぶや車庫しゃこ恵比寿えびすえき北里きたさと研究所けんきゅうじょ古川ふるかわきょういちはし赤羽あかはねきょう
  • 深夜しんや06:渋谷しぶやえき渋谷しぶや車庫しゃこ天現寺てんげんじきょう古川ふるかわきょういちはし赤羽あかはねきょう
  • 深夜しんや06入庫にゅうこ渋谷しぶやえき渋谷しぶや車庫しゃこ天現寺てんげんじきょう東大とうだい医科研いかけん病院びょういん西門にしもん白金台しろかねだい丁目ちょうめ目黒めぐろえき

渋谷しぶや営業えいぎょうしょ管轄かんかつ87系統けいとうと、06系統けいとう西側にしがわ渋谷しぶやがわ)を運行うんこうする深夜しんやバスとして設定せっていされた。2002ねん平成へいせい14ねん)10がつ15にち廃止はいし

きゅうにじ01系統けいとう[編集へんしゅう]

  • にじ01:田町駅たまちえき東口ひがしぐち - レインボーブリッジ

1993ねん平成へいせい5ねん)8がつ26にちにレインボーブリッジ展望てんぼうだいへの観光かんこう目的もくてき路線ろせんとして誕生たんじょうした。2代目だいめにじ01系統けいとう機能きのうゆずり1997ねん平成へいせい9ねん)2がつ2にち廃止はいしされた。

きゅうにじ02系統けいとう[編集へんしゅう]

  • にじ02:東京とうきょうえき南口みなみぐち - レインボーブリッジ

(きゅう)にじ01系統けいとう同時どうじ開設かいせつ東京とうきょうえきとレインボーブリッジのあいだ急行きゅうこう運転うんてん実施じっししていた。利用りよう不振ふしんのため1995ねん平成へいせい7ねん)1がつ20日はつか廃止はいしされた。

しんにじ02系統けいとう[編集へんしゅう]

  • にじ02系統けいとう品川しながわえき東口ひがしぐち - 港南こうなんさん丁目ちょうめ - フジテレビまえ - テレコムセンターえき - 東京とうきょうテレポートえき

2000ねん平成へいせい12ねん)4がつ1にち品川しながわ営業えいぎょうしょ共管きょうかん運行うんこう開始かいし[22]、2001ねん平成へいせい13ねん)8がつ品川しながわ営業えいぎょうしょ単独たんどくとなった。その2002ねん平成へいせい14ねん)12月1にち廃止はいし

くろ10系統けいとう[編集へんしゅう]

  • 都電とでん5→505→)くろ10:目黒めぐろえき - 清正きよまさおおやけまえ - いちはし - 赤羽あかはねきょう - 御成門おなりもん - 日比谷ひびや - (→ 東京とうきょうえき南口みなみぐち →) - 永代えいたいきょう
  • くろ10:目黒めぐろえき - 清正きよまさおおやけまえ - いちはし - 赤羽あかはねきょう - 御成門おなりもん - 日比谷ひびや - 東京とうきょうえき南口みなみぐち
  • くろ10:目黒めぐろえき - 清正きよまさおおやけまえ - いちはし - 赤羽あかはねきょう

1967ねん昭和しょうわ42ねん)12月の都電とでんだい1撤去てっきょ廃止はいしされた5系統けいとう代替だいたいとしてスタート。しかし永代えいたいきょう発着はっちゃく終点しゅうてん位置いち中途半端ちゅうとはんぱ都庁とちょうまえげん東京とうきょう国際こくさいフォーラムまえ)- 永代えいたいきょうあいだ利用りようりつたかくなく、1978ねん昭和しょうわ53ねん)11月に短縮たんしゅくされ東京とうきょうえき南口みなみぐち発着はっちゃくとなる。ひがし98系統けいとうとは一部いちぶちがうルートで目黒めぐろえき東京とうきょうえきむすんでいた。都営地下鉄とえいちかてつ大江戸おおえどせん環状かんじょう開業かいぎょうともな路線ろせんさい編成へんせいにより、2000ねん平成へいせい12ねん12月11にちかぎりで廃止はいし。なお目黒めぐろ駅前えきまえ - 清正きよまさおおやけぜんあいだホテル送迎そうげい貸切かしきり系統けいとうとしてのこった。

途中とちゅう日比谷ひびやどおじょうにあった港区役所みなとくやくしょぜん停留所ていりゅうじょくろ10系統けいとうとともに廃止はいしとなったが、のちちぃばす麻布あざぶルート(麻布まふひがしルート)が設定せっていされ事実じじつじょう復活ふっかつとなった。

70系統けいとう[編集へんしゅう]

  • 70かぶとみなとスポーツセンター - 田町駅たまちえき東口ひがしぐち - ふだつじ - さんはし - いちはし - 鳥居とりい坂下さかした - 六本木ろっぽんぎ[23] - 青山あおやまいち丁目ちょうめえき - 信濃町しなのまちえき - 四谷よつやさん丁目ちょうめ - 新宿しんじゅく追分おいわけ - 新宿しんじゅくえき西口にしぐち
  • 70おつみなとスポーツセンター - 田町駅たまちえき東口ひがしぐち - ふだつじ - 赤羽あかはねきょう - いちはし - 鳥居とりい坂下さかした - 六本木ろっぽんぎ - 青山あおやまいち丁目ちょうめえき - 信濃町しなのまちえき - 四谷よつやさん丁目ちょうめ - 新宿しんじゅく追分おいわけ - 新宿しんじゅくえき西口にしぐち

1957ねん昭和しょうわ32ねん)に70系統けいとうとして目黒めぐろ営業えいぎょうしょ単独たんどく運行うんこう開始かいしし、1982ねんだい2再編さいへん新宿しんじゅく営業えいぎょうしょげん新宿しんじゅく支所ししょ)との共管きょうかんになったのち、1992ねん平成へいせい4ねん)に新宿しんじゅく営業えいぎょうしょ完全かんぜん移管いかん。その都営地下鉄とえいちかてつ大江戸おおえどせん全線ぜんせん開通かいつうともな路線ろせんさい編成へんせいにより2000ねん平成へいせい12ねん)12月11にちかぎりで廃止はいしされた。

その、この系統けいとうわりによん97系統けいとうしな97系統けいとうとして、四谷よつやさん丁目ちょうめから、新宿しんじゅくえき西口にしぐちむすぶようになった。この路線ろせんのはとバス委託いたく杉並すぎなみ支所ししょ担当たんとう開始かいししたが、品川しながわ車庫しゃこ最終さいしゅう便びんかえ入庫にゅうこ回送かいそうおそくなるので、品川しながわがわ基地きちとしておなじはとバス委託いたく営業えいぎょうしょになった目黒めぐろ営業えいぎょうしょ出自しゅつじとする港南こうなん支所ししょ共管きょうかんとなったので、品川しながわ営業えいぎょうしょしな97系統けいとう以来いらい品川しながわナンバーの都営とえいバスがふたた新宿しんじゅくえき西口にしぐちへとれが復活ふっかつした。

田町駅たまちえき六本木ろっぽんぎあいだは、2004ねん平成へいせい16ねん)からみなとコミュニティバス「ちぃばす田町たまちルートが運行うんこうされ事実じじつじょう復活ふっかつした。

くろ77系統けいとう[編集へんしゅう]

2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ28にち目黒めぐろぶんちゅうしょ廃止はいしともな品川しながわ営業えいぎょうしょ本所ほんじょ移管いかん

ひがし80系統けいとう[編集へんしゅう]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)、都営とえい東急とうきゅう共管きょうかん路線ろせんひとつとして設定せっていされ101系統けいとう名乗なのった。東急とうきゅうでは駒沢こまざわせん呼称こしょうしていた。

東急とうきゅうがわ担当たんとう営業えいぎょうしょ移管いかんかえし、1964ねん昭和しょうわ39ねん駒沢こまざわ営業えいぎょうしょいた。しかし昭和しょうわ40年代ねんだい中頃なかごろになると恵比寿えびすえきさかい分断ぶんだんされ、都営とえいは7系統けいとうひがし80と系統けいとう番号ばんごう変更へんこう山手やまてせんないのみを運行うんこうした。

昭和しょうわ50年代ねんだいはいるとだい1再編さいへんともな廃止はいし対象たいしょう路線ろせんげられ、1977ねん昭和しょうわ52ねん)12月15にちかぎりで廃止はいしされた。一方いっぽう恵比寿えびすえきからさき東急とうきゅうめぐみ33系統けいとう番号ばんごうつづ運行うんこうしたが1981ねん昭和しょうわ56ねん)6がつ22にちかぎりで廃止はいしとなった。現在げんざい恵比寿えびすえきから途中とちゅう東京とうきょう医療いりょうセンターまえまで、東急とうきゅうバスのエビスせんめぐみ32系統けいとう運行うんこうしている。

はん90かぶと系統けいとう[編集へんしゅう]

  • はん90かぶと五反田ごたんだえき - ソニーまえ - 御殿山ごてんやま - 品川しながわえき
  • はん90かぶとおりかえし御殿山ごてんやまヒルズ - 品川しながわえき

100系統けいとう洗足せんそく - 東京とうきょうえき南口みなみぐち)として1947ねん昭和しょうわ23ねん)に東急とうきゅうバスとの共同きょうどう運行うんこう開通かいつう東急とうきゅうがわは「ゆきたにせん」を名乗なのった。そのゆきたに丸子まるこきょうまで延長えんちょうされ、この路線ろせん1972ねん昭和しょうわ47ねん)11がつ以降いこうひがし90系統けいとう名乗なのるようになった。1979ねん昭和しょうわ54ねん)12月には五反田ごたんだえきさかい分断ぶんだん都営とえい五反田ごたんだえき - 品川しながわえき - 東京とうきょうえきあいだ運行うんこうすることになり(同時どうじおこり終点しゅうてん東京とうきょうえきまるうち南口みなみぐちから東京とうきょうえき八重洲やえすこう変更へんこう)、東急とうきゅうしな90系統けいとうとして丸子まるこきょう - 品川しながわえきあいだ運行うんこうとなったが、1981ねん6がつ中延なかのぶ営業えいぎょうしょ廃止はいしともな瀬田せた営業えいぎょうしょへの移管いかんて1989ねん平成へいせい元年がんねん)3がつ廃止はいしとなる。ちなみにゆきたにせんというせんめい初代しょだいで、2代目だいめ瀬田せた営業えいぎょうしょ多摩たま01系統けいとう多摩川たまがわえき - 東京とうきょう医療いりょうセンター)が使用しようしている。

都営とえいひがし90系統けいとうも、1990ねん平成へいせい2ねん)6がつ五反田ごたんだえき - 品川しながわえきあいだ短縮たんしゅくのうえはん90かぶと系統けいとうとなった。品川しながわえきぎょうは、品川しながわ駅前えきまえしな93系統けいとう停留所ていりゅうじょホテルパシフィック東京ほてるぱしふぃっくとうきょうげんSHINAGAWA GOOSまえじゅん停車ていしゃし、当時とうじよん92よん97系統けいとうへのえの便びんはかっていた。1998ねん平成へいせい10ねん)4がつはん96系統けいとうとともに品川しながわ営業えいぎょうしょさい移管いかんされた。

その、2000ねん平成へいせい12ねん)12月によん92系統けいとう、2代目だいめはん96系統けいとう統合とうごうのうえ3代目だいめはん96系統けいとうとなり、御殿山ごてんやまヒルズ発着はっちゃく便びんはん96おりかえし系統けいとうとなった。

はん96系統けいとう[編集へんしゅう]

  • はん96:五反田ごたんだえき - 高輪たかなわうてなえき - 魚籃びく坂下さかした - いちはし - 赤坂あかさかアークヒルズ - 溜池ためいけ - 新橋しんばしえき
  • はん96:五反田ごたんだえき - 高輪たかなわうてなえき - 魚籃びく坂下さかした - いちはし - 赤坂あかさかアークヒルズ - 溜池ためいけ
  • はん96:五反田ごたんだえき高輪たかなわうてなえき魚籃びく坂下さかしたいちはしはじめしゃのみ)

1990ねん平成へいせい2ねん)6がつ初代しょだいはん96系統けいとう分割ぶんかつした路線ろせんで、もう一方いっぽうはん90おつ系統けいとうとなった。その1997ねん平成へいせい9ねん)9がつ30にち溜池ためいけ - 新橋しんばしえきあいだ短縮たんしゅく[25]、1998ねん平成へいせい10ねん)4がつ品川しながわ営業えいぎょうしょ移管いかんされた。

宿やど97系統けいとう[編集へんしゅう]

1956ねん昭和しょうわ31ねん)2がつ1にち、129系統けいとうとして運転うんてん開始かいし東急とうきゅうバスの野沢のざわせん新宿しんじゅくえきまで延長えんちょうするさい都営とえい共同きょうどう運行うんこうかたち参入さんにゅうした路線ろせんである。都営とえい東急とうきゅう共管きょうかん新宿しんじゅくえきかう路線ろせんは、1967ねん昭和しょうわ42ねん)に138(げん宿やど91)系統けいとう開通かいつうするまではこの路線ろせん唯一ゆいいつであった。

だい2再建さいけん計画けいかくあおりで都営とえい撤退てったい1977ねん昭和しょうわ52ねん)12月15にちかぎりで廃止はいし東急とうきゅう渋谷しぶやえきまでに短縮たんしゅくしぶ70→ちゅう01系統けいとうて、現在げんざいくろ09系統けいとうとなる。

はし99系統けいとう[編集へんしゅう]

  • 都電とでん4→504→)はし99:五反田ごたんだえき - 魚籃びく坂下さかした - いちはし - 赤羽あかはねきょう - 金杉かなすぎきょう - 大門だいもん[26] - 新橋しんばしえき

1967ねん昭和しょうわ42ねん)の都電とでんだい1撤去てっきょ廃止はいしされた4系統けいとう代替だいたい、504系統けいとうとして設定せっていされた。だい2再建さいけん計画けいかくもとづく追加ついか路線ろせんさい編成へんせいにより、1979ねん昭和しょうわ54ねん)11月22にちかぎりで廃止はいし。そのだい3再建さいけん計画けいかくともなさい編成へんせいさいに、五反田ごたんだえき芝園しばぞのきょうあいだはん96系統けいとう初代しょだい)として復活ふっかつする。2000ねん平成へいせい12ねん)に赤羽あかはねきょうえき分割ぶんかつし、はん94系統けいとうとなった(前述ぜんじゅつ)。また古川ふるかわきょうから新橋しんばしえきにかけては渋谷しぶや営業えいぎょうしょ管轄かんかつ06系統けいとうどういちルートで運行うんこうされている。

はん90・96出入でいり系統けいとう[編集へんしゅう]

  • はん90出入でいりはん96出入でいり目黒めぐろえき目黒めぐろ車庫しゃこまえ) - 五反田ごたんだえき

目黒めぐろ営業えいぎょうしょ時代じだいに、五反田ごたんだえきおこり終点しゅうてんとするかく系統けいとうのバスの出庫しゅっこ入庫にゅうこのためだけにあったもので、早朝そうちょう出庫しゅっこさいなどにいちにまとまって五反田ごたんだえきぎょうときや、よる五反田ごたんだえきから団子だんご状態じょうたい目黒めぐろえきぎょう運転うんてんされるときにちちゅう乗務じょうむいん交代こうたい車両しゃりょう交換こうかん燃料ねんりょう給油きゅうゆなどのとき運転うんてんされていた。3だいまとまって運転うんてんのあと2あいだひらくなど変則へんそくてき運行うんこうされてきていた。目黒めぐろえき目黒めぐろ車庫しゃこ)の停留所ていりゅうじょは、駅前えきまえのターミナルではなく、五反田ごたんだ駅前えきまえほうさかくだ国鉄こくてつ→JR山手やまてせん線路せんろ平行へいこうしているみちめんした目黒めぐろ車庫しゃこ出入でいぐちわき存在そんざいしていた。目黒めぐろえき目黒めぐろ車庫しゃこまえ)の降車こうしゃよう停留所ていりゅうじょ標識ひょうしきく、車庫しゃこ構内こうないはいったところでろされることになる。状況じょうきょうから利用りようしやすいダイヤではなく、鉄道てつどうがあったり、1.2㎞と近距離きんきょりであるので徒歩とほひともおり、乗客じょうきゃくすくなくたまに高齢こうれいしゃ乗車じょうしゃするといった具合ぐあいで、世間せけんにはられておらず便数びんすうおおわりにはまぼろし路線ろせんであった。路線ろせん途中とちゅうには停留所ていりゅうじょ設置せっちされておらず、深夜しんや長距離ちょうきょり高速こうそくバスではないが、起点きてん停留所ていりゅうじょつぎ終点しゅうてんであっためずらしい路線ろせんであった。ちなみにはん90かぶとはん96おりかえし系統けいとう御殿山ごてんやまヒルズこうはちやまきょう停車ていしゃせず(品川しながわえきぎょう停車ていしゃ)、実質じっしつてきにノンストップとなっていた。

62系統けいとう[編集へんしゅう]

  • 62:四谷よつやえきまえ - 循環じゅんかん - 東京とうきょうえき乗車じょうしゃこう

国際こくさい自動車じどうしゃげんケイエム観光かんこうバス)が特定とくていいとして運行うんこうしていた官衙かんがバス(かんがバス)」ながれを路線ろせん1954ねん昭和しょうわ29ねん)に都営とえい路線ろせんとなるが、営団えいだん地下鉄ちかてつ丸ノ内線まるのうちせん日比谷線ひびやせん開業かいぎょうあおりをけ、交通こうつうきょくだい1再建さいけん計画けいかく策定さくていよりもまえ1966ねん昭和しょうわ41ねん)6がつ30にちかぎりで廃止はいしされた。

車両しゃりょう[編集へんしゅう]

指定してい車種しゃしゅ日野自動車ひのじどうしゃ このほかいすゞ自動車ずじどうしゃせい三菱みつびしふそうせいくるま在籍ざいせきしている。 音声おんせい合成ごうせいクラリオンレゾナント・システムズ品川しながわから移管いかんした系統けいとうレシップ

もと日野自動車ひのじどうしゃのシャシーに帝国ていこくボディのREがおおく、さらふるくは富士重工業ふじじゅうこうぎょうのボディや帝国ていこくボディのRB10がられた。現在げんざい中型ちゅうがたロングしゃ日野ひの・レインボーHR過半数かはんすうめ、大型おおがたしゃいすゞ・エルガ日野ひの・ブルーリボンIIブルーリボンシティハイブリッド三菱みつびしふそう・エアロスター配置はいちされている。過去かこにはいすゞ・キュービックもとCHASSE)のB626号車ごうしゃ新宿しんじゅく支所ししょから、三菱みつびしふそう・エアロスターのH169号車ごうしゃ千住せんじゅ営業えいぎょうしょから転入てんにゅうし、新車しんしゃUDトラックス・スペースランナー(P443 - 447号車ごうしゃ)も所属しょぞくしていたが、H169号車ごうしゃ2007ねん青戸あおと支所ししょに、B626号車ごうしゃ品川しながわ営業えいぎょうしょに、そしてスペースランナーものち品川しながわ営業えいぎょうしょ江東こうとう営業えいぎょうしょ転出てんしゅつした。 ぶんちゅうしょ時代じだいにははや01系統けいとう専用せんようしゃ在籍ざいせきし、初代しょだいもとグリーンアローズ(03・05系統けいとうよう日野ひの・ブルーリボン(P-HU233BA)を杉並すぎなみ営業えいぎょうしょから転用てんよう改装かいそうしたものだったが、お台場だいば循環じゅんかんへのリニューアルのさい都営とえい観光かんこうバスのいすゞ・スーパークルーザー(U-LV771R)を、渋谷しぶや新宿しんじゅく小滝こだききょう千住せんじゅ臨海りんかいかく車庫しゃこから転用てんよう改装かいそうのうええられていた。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 都営とえいバス系統けいとう案内あんない
  • バス担当たんとう系統けいとう営業えいぎょうしょ一覧いちらんひょう
  • 方面ほうめんべつ新旧しんきゅう系統けいとう一覧いちらんひょう以上いじょう東京とうきょう交通こうつうきょく発行はっこう、1972ねん12月1にちばん
  • 都営とえい交通こうつう路線ろせん案内あんない東京とうきょう交通こうつうきょく発行はっこう、1978年版ねんばん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ バス路線ろせん案内あんない』 1999ねん4がつばん 東京とうきょう交通こうつうきょく発行はっこうより
  2. ^ 東京とうきょう交通こうつうきょく70ねん、Page52、2-11-(1)おもて 代替だいたいバス推移すいいによる
  3. ^ 東京とうきょう交通こうつうきょく90ねん、Page426
  4. ^ 大江戸おおえどせんとう開業かいぎょうともな都営とえいバス路線ろせん再編さいへん整備せいび実施じっしについて、平成へいせい12ねん11月30にち東京とうきょう交通こうつうきょく
  5. ^ a b 都営とえいバスのダイヤ改正かいせいについて 東京とうきょう交通こうつうきょく 2022ねん4がつ9にち閲覧えつらん
  6. ^ 都営とえいバスからのおらせ 東京とうきょう交通こうつうきょく(2024ねん3がつ1にち) 2024ねん3がつ3にち閲覧えつらん
  7. ^ 都営とえいバスのダイヤ改正かいせいについて - 2012ねん3がつ9にち東京とうきょう交通こうつうきょく
  8. ^ 「バス事業じぎょうしゃ訪問ほうもん240 東京とうきょう交通こうつうきょく」『バスラマ・インターナショナル』No.193、ぽると出版しゅっぱん、2022ねん8がつ、pp. 016、ISBN 978-4-89980-193-1 
  9. ^ バス経路けいろ新設しんせつについて、2005ねん7がつ1にち東京とうきょう交通こうつうきょく
  10. ^ 急行きゅうこう06系統けいとう江東こうとう深川ふかがわシャトル)の経路けいろ変更へんこうについて、2006ねん9がつ30にち東京とうきょう交通こうつうきょく
  11. ^ 都営とえいバスの路線ろせん変更へんこうとうについて - 東京とうきょう交通こうつうきょく、2018ねん9がつ6にち、2018ねん10がつ6にち閲覧えつらん
  12. ^ 江東こうとう議会ぎかい議事ぎじろく平成へいせい19ねんだい1かい定例ていれいかいだい2ごう)による
  13. ^ 銀座ぎんざとお台場だいばをセットにしました 4がつ1にち臨海りんかいふく都心としんへの快速かいそくバスがまれわります東京とうきょう交通こうつうきょくトピックス・インターネットアーカイブ)。
  14. ^ a b c “JR浜松町はままつちょうえき-臨海りんかいふく都心としんあいだ 定期ていきバス運転うんてん東京とうきょう交通こうつうきょく来月らいげつ3にちから”. 交通こうつう新聞しんぶん (交通こうつう新聞しんぶんしゃ): p. 3. (1997ねん1がつ24にち) 
  15. ^ 臨海りんかいふく都心としんせん導入どうにゅう 交通こうつうきょく警視庁けいしちょう バス優先ゆうせんシステム”. 交通こうつう新聞しんぶん (交通こうつう新聞しんぶんしゃ): p. 5. (1998ねん5がつ1にち) 
  16. ^ 東京とうきょうわんだいはな火祭ひまつりはレインボーブリッジが通行止つうこうどめになるが、周辺しゅうへん道路どうろ混雑こんざつにより大幅おおはばおくれてしまうため、16のレインボーブリッジ通行止つうこうど規制きせいにあたってしまう。だが、警察けいさつによってにじ01系統けいとうのバスのみ許可きょかされ、都営とえいバスのみ貸切かしきり走行そうこうとなる場合ばあいもある。これは非常ひじょうまれで、2009ねん平成へいせい21ねん)はそのような対応たいおうになった[よう出典しゅってん]
  17. ^ a b 都営とえいバスの路線ろせん変更へんこうとうについて - 東京とうきょう交通こうつうきょく2013ねん3がつ1にち
  18. ^ バス、唯一ゆいいつのレインボーブリッジ路線ろせんを4がつ廃止はいし - 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん電子でんしばん 2013/2/26 12:00(記事きじ全文ぜんぶん購読こうどく会員かいいん登録とうろく必要ひつよう
  19. ^ 都営とえいバスの路線ろせん変更へんこうとうについて東京とうきょう交通こうつうきょく 2022ねん10がつ25にち閲覧えつらん
  20. ^ 2000ねん12月の改編かいへん以前いぜん都営とえいも「東京とうきょうえき南口みなみぐち」と表示ひょうじされていた。
  21. ^ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 2013ねん3がつ5にち 東京とうきょう首都しゅとけん経済けいざいめん
  22. ^ 臨海りんかいふく都心としんへの都営とえいバス路線ろせん新設しんせつ延長えんちょうします東京とうきょう交通こうつうきょくトピックス・インターネットアーカイブ)。
  23. ^ げん六本木ろっぽんぎえき
  24. ^ げん東京とうきょう医療いりょうセンターまえ
  25. ^ 営団えいだん南北線なんぼくせん延伸えんしん開業かいぎょうバスの路線ろせん変更へんこうへ”. 交通こうつう新聞しんぶん (交通こうつう新聞しんぶんしゃ): p. 1. (1997ねん9がつ25にち) 
  26. ^ げん大門おおかどえき

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい3537ふん49.6びょう 東経とうけい13945ふん4.8びょう / 北緯ほくい35.630444 東経とうけい139.751333 / 35.630444; 139.751333