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こまきおい行幸ぎょうこう絵巻えまき

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こまきおい行幸ぎょうこう絵巻えまき(こまくらべ・ぎょうこう・えまき。以下いかこまきおい」とする。)は、『栄花物語えいがものがたりまきじゅうさん「こまくらべの行幸ぎょうこう」(以下いか「こまくらべ」とする。)の前半ぜんはん絵巻えまきしたものである。13世紀せいき後半こうはんから14世紀せいき初頭しょとう制作せいさくとされる(#絵師えし注文ちゅうもんぬし)。

完本かんぽん現存げんそんせず、静嘉堂文庫せいかどうぶんこ美術館びじゅつかん和泉いずみ久保くぼそう記念きねん美術館びじゅつかんに、れいほん部分ぶぶんてきのこったもの)かくいちかん以下いかせいよしみ堂本どうもと久保くぼそうほんしるす。)がぶんぞうされ、とも重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている[注釈ちゅうしゃく 1]両者りょうしゃは、画風がふう物語ものがたり内容ないようから、おなまき分割ぶんかつされたものとかんがえられる[2][3][4][5]

それ以外いがいに、断簡だんかん[注釈ちゅうしゃく 2]と、江戸えど時代じだい後期こうきの、せいよしみどう久保くぼそうほんおよび「断簡だんかん」には現存げんそんしない箇所かしょふくむ、摸本もほんかん現存げんそんする(#断簡だんかん5よう#狩野かのようしんによる復元ふくげん摸本もほん)。

「こまくらべ」のあらすじ[編集へんしゅう]

1024ねん万寿まんす元年がんねんねん9がつから12月の出来事できごとしるす。

9月19にち関白かんぱく藤原ふじわら頼通よりみちの「こういん」にてこまきおい競馬けいば)がおこなわれることになり、後一条天皇ごいちじょうてんのう行幸ぎょうこう大宮おおみや彰子あきこ藤原ふじわら道長みちなが長女ちょうじょ頼道よりみちあねで、後一条天皇ごいちじょうてんのうはは一条天皇いちじょうてんのうきさき。)と東宮とうぐう後一条天皇ごいちじょうてんのうおとうとで、こう朱雀すざく天皇てんのう。)が行啓ぎょうけいされた。よく20にちにはこうえんおこなわれ、和歌わかまれた。10月にはいり、中宮なかみやたけし道長みちながよんじょ頼道よりみちいもうとで、後一条天皇ごいちじょうてんのうきさき。)は多宝塔たほうとう供養くようおこなった。11月に道長みちなが長谷寺はせでら参詣さんけいした[7][8]

こまきおい現存げんそん箇所かしょ[編集へんしゅう]

1.久保くぼそうほん詞書ことばがき

現存げんそんするせいよしみ堂本どうもと久保くぼそうほんは、9月14にちよる中宮ちゅうぐう行啓ぎょうけい#せいよしみ堂本どうもと)、19にち東宮とうぐう行啓ぎょうけい寝殿しんでん参集さんしゅうした貴人きじん舟遊ふなあそび(#久保くぼそうほん)までで、さきべたあらすじのうちこまきおい以降いこう現存げんそんしない(#久保くぼそうほん)。

せいよしみ堂本どうもと巻頭かんとう焼損しょうそんしており、そのため色味いろみがすくんでいる。たいして、久保くぼそうほんあざやかな色彩しきさいたもち、高価こうか顔料がんりょう使用しよううかがえる[2][9][10]

詞書ことばがき(ことばがき)は、久保くぼそうほんの「おなしがつじゅうきゅうにち こまくらへせさせきゅう関白かんぱくとのゝ御下おしもかさねきくのひへき[注釈ちゅうしゃく 3]かゝやきて めとゝまりたり」一段いちだん33ぎょうのみで、せいよしみ堂本どうもと詞書ことばがき[12]

場面ばめん解説かいせつ[編集へんしゅう]

せいよしみ堂本どうもと[編集へんしゅう]

2.せいよしみ堂本どうもと彰子あきこ行啓ぎょうけい

大宮おおみや彰子あきこ行啓ぎょうけいえがく(2.)[注釈ちゅうしゃく 4]。9月14にちよるこういん門前もんぜんにはいち輛の牛車うしぐるままり、松明たいまつ従者じゅうしゃる。もんをくぐると、貴人きじん随身ずいじん供人ともびとひかえる。そのおくひのきがわ重厚じゅうこう中門ちゅうもんがあり、なかにはさらにおおくの人々ひとびとがいる。そしてにわないはしわたり、大宮おおみやせた、金字こんじくろしょうあおい文様もんようあらわした豪華ごうかねぎはな輿こしが、30にんほどの丹色にいろ上衣うわぎ従者じゅうしゃかつがれ、寝殿しんでん南側みなみがわかい(きざはし)に到着とうちゃくするところである。かいさきには簀子すのこがあり、両側りょうがわ屏風びょうぶおおっており、そのさき御簾みす室内しつないかくしている[14][15]

久保くぼそうほん[編集へんしゅう]

3.久保くぼそうほん東宮とうぐうだかいん行啓ぎょうけい
4.東宮とうぐう牛車うしぐるま
5.久保くぼそうほん競馬けいばまえ舟遊ふなあそびを鑑賞かんしょうするみかど
6.東宮とうぐうかいみぎ左大臣さだいじん頼通よりみちかってひだり右大臣うだいじんじつ
7. みかど尊顔そんがんえがかないれい。『きゅう儀式ぎしき画帖がじょうまき29より「だいゆか御膳ごぜん」。新年しんねん食事しょくじをする儀式ぎしき。1897ねん東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう
8.『紫式部むらさきしきぶ日記にっき絵巻えまき』より竜頭りゅうず・鷁首せん藤原ふじわら道長みちなが
9.『春日かすが権現ごんげんけんまきより、白河しらかわ上皇じょうこう行幸ぎょうこうをもてなすためつくものづるかれる。19世紀せいき模本もほん東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう

せいよしみ堂本どうもとつづき、9月19にち午前ごぜん10ごろ東宮とうぐう行啓ぎょうけいおよ寝殿しんでん庭園ていえん貴人きじんたちをえがく。詞書ことばがきのち門前もんぜんとおりは賤でだいにぎわいである。はくみどり[注釈ちゅうしゃく 5]絹地きぬじおよ車輪しゃりんながえたからしょうはな文様もんようらされた牛車うしぐるまからひさししゃ)があり、10にんしゅながえささえる。後部こうぶくろうるしりのだいったものり、東宮とうぐうがたったいま下車げしゃされたのがかる[18]黄金おうごんしょくびたおおぶりのうし[注釈ちゅうしゃく 6]は、くびきからはなたれている(4.参照さんしょう[注釈ちゅうしゃく 7]へい沿いには枇榔んだ白地しろじ牛車うしぐるま檳榔びろうしゃ)がならんでいる(3.参照さんしょう)が、東宮とうぐうのそれとくらべると、官位かんいちがいがかる[注釈ちゅうしゃく 8]

もんをくぐると、ほうした東宮とうぐうが、すそさきふとった公卿くぎょうたせ、むしろどうすすむ。やしきないまぎんで一家いっかを、随身ずいじんゆみ威嚇いかくし、そうとする[注釈ちゅうしゃく 9]東宮とうぐうすすさきにはかすみがかかる[23][24][注釈ちゅうしゃく 10]

かすみさきには寝殿しんでん南側みなみがわいけ一望いちぼう出来できる。寝殿しんでん母屋もやにはだいゆか[注釈ちゅうしゃく 11]とそこにましました後一条天皇ごいちじょうてんのうえがかれている。容貌ようぼうえがかず[27]ひざより上部じょうぶかみはしっている(7.参照さんしょう)。かって右側みぎがわにはたたみじょうしとねいたうえに、到着とうちゃくしたばかりの東宮とうぐうすわっている。むしろどうじょうたせていたすそりたたんでいる(6.参照さんしょう[28]

寝殿しんでんまわりの簀子すのこにもたたみかれ、公卿くぎょうら9めいえがかれている[29][28]久保くぼそう記念きねん美術館びじゅつかんちょう河田かわた昌之まさゆきは、かいかってみぎが、おも左大臣さだいじん頼通よりみち[注釈ちゅうしゃく 12]かってひだり高齢こうれい人物じんぶつ右大臣うだいじん藤原ふじわらみのるなす(7.参照さんしょう[32]かれらはすそ勾欄こうらん欄干らんかんけ、「はれの」にのみゆるされた、個々ここことなるしみかさねせている[33]ほう文様もんようや、人物じんぶつ上述じょうじゅつ頼道よりみちじつのように、わかたけしひげ有無うむや、武官ぶかん[34]えがくことによって、個人こじん識別しきべつできるようにしている[28]

みかど東宮とうぐうがまします母屋もや左右さゆうは、すだれおおわれ、そのしたから女房にょうぼう装束しょうぞくである五色ごしき打出うちでころも[注釈ちゅうしゃく 13]のぞかせる[36][37][38]寝殿しんでんまえいけには、はしけられ[注釈ちゅうしゃく 14]はし手前てまえにはふねらくようだい太鼓たいこ鉦鼓しょうこえられ、いけにはかってみぎには龍頭りゅうずひだりには鷁首ふねかぶ(8.参照さんしょう[42]。 それぞれにわらわよんにんと、太鼓たいこ鉦鼓しょうこしょう横笛よこぶえ篳篥ひちりき[43]奏者そうしゃる。 りょうふねあいだには、寝殿しんでん渡殿わたどのでつながる西にしたいがあり、そこからいけひのきがわ葺のひとし殿どの5.の左端ひだりはし)が[44]

寝殿しんでんいけあいだにあるにわには、さくらまつかえできく[45]えられ[注釈ちゅうしゃく 15]つる9.参照さんしょうかめがたかれる[46][47]ひのきがわ葺のさきには、またしてもやしきまぎんだ夫婦ふうふ子供こども従者じゅうしゃがいる。絵巻えまき現存げんそん箇所かしょはここまでとなる[48]

断簡だんかん5よう[編集へんしゅう]

せいよしみ堂本どうもと久保くぼそうほん以外いがい断簡だんかんは、5よう確認かくにんされている[49][50][51][52][53]

10.東宮とうぐう行啓ぎょうけい場面ばめん。メトロポリタン美術館びじゅつかんぞう
11.寝殿しんでん東側ひがしがわこまきおい人々ひとびと詞書ことばがき4ぎょうあり。クリーブランド美術館びじゅつかんぞう
12.寝殿しんでん西側にしがわこまきおい見物けんぶつする人々ひとびと。サックラー美術館びじゅつかんぞう
  1. 東宮とうぐう行啓ぎょうけい場面ばめんはば32.7cm。メトロポリタン美術館びじゅつかんぞう10.)[52]
  2. 竜頭りゅうずせんらく場面ばめんはば32.3cm。個人こじんぞう[54][55]
  3. こまきおい寝殿しんでん東側ひがしがわ見物けんぶつする人々ひとびと以下いか3ようは、せいよしみどう久保くぼそうりょうほんにはない場面ばめんした3ぶんの1に競馬けいばじょうしがらみが、左上ひだりうえには寝殿しんでん簀子すのこえん上達部かんだちめ一人ひとりえる。そのみぎ詞書ことばがきが4ぎょう、「廿にじゅう昨日きのうのことをこいしうをほさるゝ/にあかすめてたかりしことをきこえたまひに/上達部かんだちめまいりたまへれはあるしの殿どのもてハや/しきこえきゅうおんみきなとまいりきこしめし」。「廿にじゅう昨日きのうのことを」から、こまきおい翌日よくじつのこととかる。はば32.4cm。クリーブランド美術館びじゅつかんぞう11.)[49][56]
  4. こまきおい寝殿しんでん東側ひがしがわ中島なかじま見物けんぶつする人々ひとびと警備けいびする官吏かんりはば32.7cm。サックラー美術館びじゅつかんぞう12.)[57][58][注釈ちゅうしゃく 16]
  5. らくしょ(がくそ。雅楽ががく演奏えんそうしょ)。個人こじんぞうひとえがかれていない。手前てまえしゅきょうおくろうが、さきのサックラーほんつながる[61]

これら5ようは、はばが32.5 cm前後ぜんこうであり、いづれもいろせ、みずをかぶった形跡けいせきがあり、もといちかんであった可能かのうせいがある[62][55][52]。また、ぜん2しゃ久保くぼそうほん重複じゅうふくした内容ないようであり、そのてんから、この断簡だんかんぐんせいよしみどう久保くぼそうほんは、べつ系統けいとうえる[63]。 そのなかで、メトロポリタンほん10.)と久保くぼそうほん3.)を見比みくらべると、へいがいの枇榔しゃよこ烏帽子えぼしをかぶったおとこにんは、メトロポリタンほんだと一人ひとりになっている[55][64]

両者りょうしゃ関係かんけいについて、梅津うめづ次郎じろうは、先行せんこうする田中たなか一松いちまつ水尾みずおひろし意見いけん[65][66]賛同さんどうし、「系統けいとうてき前後ぜんご関係かんけいよりも、むしろ、りょうほん共通きょうつうほん存在そんざいを、想定そうていすべき」とまとめる[62]たいして上野うえのけんしめせは、上述じょうじゅつ久保くぼそうほんとメトロポリタンほん比較ひかくし、前者ぜんしゃくら後者こうしゃは、上述じょうじゅつした烏帽子えぼしおとこえがわすれだけでなく、せん描写びょうしゃ破綻はたんられ、うつ[注釈ちゅうしゃく 17]ではなく、臨写りんしゃ[注釈ちゅうしゃく 18]られる「うつしくずれ」であるとし、断簡だんかん久保くぼそうほんの「忠実ちゅうじつうつし、それも制作せいさく時期じき南北なんぼくあさまでさかのぼらせうる良質りょうしつ転写てんしゃほん」と推察すいさつする[70]河田かわた昌之まさゆき上野うえのせつ支持しじし、「作風さくふうから久保くぼそうほんせいよしみ堂本どうもととは製作せいさく年代ねんだいくだべつほんとみられる。」とする[71]

狩野かのようしんによる復元ふくげん模本もほん[編集へんしゅう]

13.狩野かのようしん「こまくらべ」の競馬けいば場面ばめん

狩野かのようしん徳川とくがわ幕府ばくふかかえの絵師えしとして、江戸城えどじょううちさわへい制作せいさく指揮しき立場たちばだったが、職務しょくむとはべつに、和漢わかんいにしえ模写もしゃおおした。そのなか絵巻物えまきものいち定数ていすうめ、徳川とくがわ幕府ばくふから明治めいじ政府せいふ、そして帝室ていしつ博物館はくぶつかん(のちの東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん)に移管いかんされた資料しりょうだけでも150かんちかくある。そしてそのなかに「こまきおい模本もほん存在そんざいした(13.東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞうぜんかん。「ていこまきおい行幸ぎょうこう絵詞えことば」とだいされるので、以下いか定本ていほん」とする)[72]

やしなえしん時代じだいにて、「こまきおい」はすで完本かんぽんではく、やしなえしんじ所蔵しょぞう断簡だんかん原本げんぽん摸本もほんだけでなく、狩野かのともがわ(1778-1815)・狩野かのさがせしん所有しょゆう断簡だんかん借用しゃくようしてうつし、往時おうじ絵巻えまき復元ふくげんこころみ、1830ねん文政ぶんせい11ねん)、2かんまとめられた。そのなかには、せいよしみ堂本どうもと久保くぼそうほんおよ断簡だんかん5ようにもふくまれない、「こまくらべ」の中心ちゅうしん題材だいざいである、競馬けいば場面ばめんふくまれている(13.)[73]

20世紀せいき絵巻えまき復元ふくげんあん[編集へんしゅう]

ここまでべた、せいよしみ堂本どうもと久保くぼそうほん、5断簡だんかん定本ていほんおよび「こまくらべ」テキストから、上野うえのけんしめせ小松こまつ茂美しげみが、りし絵巻えまき復元ふくげんあん提示ていじした[74][51][75]巻頭かんとうからじゅん列挙れっきょする。

  1. (詞書ことばがき「こまくらべ」より)「はかなく九月くがつにもなりぬ。関白かんぱく殿どのこういん殿どのにてこまきそえさせきゅうひて、行幸ぎょうこう行啓ぎょうけい寝殿しんでんきたみなみ西にしひがしなどにはみなあり…大宮おおみや京極きょうごく殿どのにおはしませば、きゅうがつじゅうよんにちよる、やがてこういん殿どのわたきゅう御供ごくう上達部かんだちめ殿上人てんじょうびとみなものなどまいりて、ろくなどきゅうてまかできゅうぬ。」[76]
  2. (ていほん)「女房にょうぼうしゃ廿にじゅうりょうあり。」の場面ばめん
  3. (せいよしみ堂本どうもと)「大宮おおみやこういん殿どのわたきゅう寝殿しんでんみなみかいのつまに、御輿みこしせてりさせきゅうぬ。」の場面ばめん2.)。
  4. (久保くぼそうほん詞書ことばがき)「おなしがつじゅうきゅうにち こまくらへせさせきゅう関白かんぱくとのゝ御下おしもかさねきくのひへきかゝやきて めとゝまりたり」(1.)
  5. (久保くぼそうほん)「みかどのおはしますべきだいゆか寝殿しんでん南面なんめんにたてゝ、御座ぎょざよそひたり…春宮とうぐう東宮とうぐう)おはします…みや女房にょうぼう有様ありさま寝殿しんでん西南せいなんめんより西にし渡殿わたどのまで、すべていとおどろおどろしう紅葉こうようかさねしょくつくしたり…やうやうふねたのしどもでたり…関白かんぱくどのゝ御下おしもかさねきくのひへぎかゞやきて」の場面ばめん3.~6.)。
  6. (ていほん詞書ことばがき)「くらへうまじゅうばん[注釈ちゅうしゃく 19]なり…よろこひしたり」
  7. (詞書ことばがき「こまくらべ」より)「こころもとなくえたり…ことどもててよるに」
  8. (ていほん詞書ことばがき)「いりてかえらせきゅうふ…いえともさまさまによろこひしたり」
  9. (クリーブランドほん)寝殿しんでん東側ひがしがわこまきおい人々ひとびと11.)。
  10. (ていほん)こまきおい寝殿しんでんからながめる貴人きじん13.)。
  11. (サックラーほん)寝殿しんでん西側にしがわこまきおい見物けんぶつする人々ひとびと12.)。
  12. (個人こじんぞう)らくしょ太鼓橋たいこばしがサックラーほんつながる。
  13. (クリーブランドほん詞書ことばがき[注釈ちゅうしゃく 20]廿にじゅう昨日きのうの…おんみきなとまいりきこしめし」
  14. (詞書ことばがき「こまくらべ」より)「やがてみや御方おかたきゅうへり。よる
  15. (ていほん)「ふくるまゝに…かきつかうまつれり」
  16. (推定すいてい)えん様子ようすえがく。

ここまでで1かん終了しゅうりょうとする。わせて24やく1236センチメートルと、絵巻えまきいちかん平均へいきんてき分量ぶんりょうとなる[78]

絵師えし注文ちゅうもんぬし[編集へんしゅう]

絵巻えまき絵師えししめ記載きさいい。明治めいじ時代じだいには、平安へいあん時代じだい末期まっき常盤光長ときわのみつながなすせつもあったが[79][80]昭和しょうわ時代じだい初頭しょとうには高階たかしな隆兼たかかねせつ有力ゆうりょくとなっており[81]アジア・太平洋戦争たいへいようせんそう終結しゅうけつ以降いこうでは、1.定規じょうぎきを駆使くしした精密せいみつ建築けんちく描写びょうしゃ、2.明晰めいせき空間くうかん把握はあく、3.濃密のうみつ彩色さいしき、4.衣装いしょう多用たようされたぬり技法ぎほう[注釈ちゅうしゃく 21]といった特徴とくちょう[83]が、春日しゅんじつ権現ごんげんけんのそれにつうじるゆえ、高階たかしな隆兼たかかね工房こうぼうによる、13世紀せいき後半こうはんから14世紀せいき初頭しょとう制作せいさくせつが、異論いろんなくれられている[84][85]

詞書ことばがきについては、河田かわた昌之まさゆきは「ふとくて平坦へいたんせんつらねた大振おおぶりの文字もじ」「明快めいかいつよさをたたえた書風しょふう[71]ひょうし、小松こまつ茂美しげみ久保くぼそうほんいちだんぶん摸本もほんふくめ、「法性寺ほっしょうじりゅういちじるしい影響えいきょうける書風しょふう」とし、13世紀せいきなかばの制作せいさくなす[86]

注文ちゅうもんぬしとして、河田かわた昌之まさゆきは、「春日かすが権現ごんげんけん」を春日大社かすがたいしゃ奉納ほうのうし、「摂関せっかんをしのぐ地位ちいにあった」左大臣さだいじん西園寺さいおんじこう想定そうていしている[87]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

小松こまつ茂美しげみは、寝殿しんでんらくせん装束しょうぞく牛車うしぐるま輿こしとう有職故実ゆうそくこじつ研究けんきゅう資料しりょうとして有益ゆうえきであると言及げんきゅうする[86]

みや次男つぐおは、久保くぼそうほんを「色彩しきさいうつくしく優雅ゆうがあやうらら(けんれい)の一語いちごにつきる」とたとえる[10]

秋山あきやま光和みつかずは、やく200ねんまえしるされた『栄華えいが物語ものがたり』を絵画かいがするにあたり、こう白河しらかわ法皇ほうおう制作せいさくめいじたとおもわれる『年中ねんじゅう行事ぎょうじ絵巻えまき』を参考さんこうにしただろうとろんずる[88]

河田かわた昌之まさゆきは、「製作せいさく企画きかくした人物じんぶつたか技倆ぎりょう絵師えしこんいていた人物じんぶつ意図いとえ、公家くげ文化ぶんか特質とくしつ主要しゅよう作品さくひんとして意義いぎけられる」とべる[89]

久保くぼそうほん貴人きじんふねらく場面ばめん5.)は、平安へいあん貴族きぞく風習ふうしゅうあらわした歴史れきし資料しりょうとして、高等こうとう学校がっこう日本にっぽんB教科書きょうかしょ採用さいようされた[90]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 久保くぼそうほんは、『官報かんぽう昭和しょうわ6ねん12月14にちづけ(1488ごう380ぺーじ)にてきゅう国宝こくほう指定してい官報かんぽう1488ごう”. 2020ねん5がつ19にち閲覧えつらんせいよしみ堂本どうもと昭和しょうわ15ねん5がつ3にちづけにてきゅう国宝こくほう指定してい後者こうしゃは、住吉すみよし物語ものがたり絵巻えまき下巻げかんまつ装丁そうていされ、指定してい住吉すみよし物語ものがたり絵巻えまき名義めいぎであったが[1]分割ぶんかつ修復しゅうふくおこなわれ、2022ねん3がつ官報かんぽう告示こくじにて、「かみほんちょしょくこまきおい行幸ぎょうこう絵詞えことば断簡だんかん名義めいぎあらためて指定していされている(れい4ねん3がつ22にち文部もんぶ科学かがくしょう告示こくじだい40ごう
  2. ^ 絵巻えまき一部いちぶ脱落だつらく切断せつだんされたもの。かけはば仕立したてられることがおお[6]
  3. ^ 引倍。「ひきへぎ」とも。あわせ裏地うらじいだなつ着物きもの[11]
  4. ^ みや次男つぐおは、この場面ばめんが『年中ねんじゅう行事ぎょうじ絵巻えまき住吉すみよし摸本もほんまきいちの「あさ行幸ぎょうこう」に類似るいじすると指摘してきしている[13]
  5. ^ びゃくろく。孔雀石くじゃくせき(マラカイト)くだいた顔料がんりょう緑青ろくしょうを、さらにこまかくくだいたあわ緑色みどりいろ[16][17]
  6. ^ 黄牛あめうし(あめうし)とばれる、もっとたっとばれた品種ひんしゅ[19]
  7. ^ 貴人きじんうしろからり、まえからりるのが作法さほうである。それゆえ、降車こうしゃには、うしくびきからはな必要ひつようがある[20]
  8. ^ からひさししゃ牛車うしぐるまなか最上級さいじょうきゅうとされ、上皇じょうこう皇后こうごう皇太子こうたいしらに乗車じょうしゃかぎられる。檳榔びろうしゃ官位かんいよん以上いじょう使用しようとされた[21]
  9. ^ 民俗みんぞく学者がくしゃ宮本みやもと常一つねいちは、こまきおいふくめたおおくの絵巻えまきにおいて、宮廷きゅうてい貴族きぞく敷地しきちはい庶民しょみんがしばしばられると指摘してきし、わるふざけさえしなければ、はらわれなかったとべる[22]
  10. ^ 「こまくらべ」およ詞書ことばがきでは、西側にしがわからはいったことになっているが、絵巻えまきではひがしからはいっている。これは絵巻えまきみぎからひだり進行しんこうする特質とくしつわせたためで、それゆえかすみれることによって「門前もんぜん部分ぶぶん反転はんてんさせ、ごっそり絵巻えまき後尾こうび移動いどうさせるという発想はっそういたり」ったのだと、河田かわた昌之まさゆきべる[25]
  11. ^ みかどするつくえじょう腰掛こしかけ。そのうえたたみしとね[26]
  12. ^ 詞書ことばがきに「関白かんぱくどのゝ御下おしもかさねきくのひへぎかゞやきて」[30]とあるが、かれ人物じんぶつすそきくもんであり、またほう文様もんようが、関白かんぱくもちいられる「くももん[31]ゆえ、頼通よりみちかんがえられる[28]
  13. ^ 「うちいでのきぬ。れのせき装飾そうしょくするために、寝殿しんでん牛車うしぐるますだれ几帳きちょうしたから、女房にょうぼう装束しょうぞく袖口そでぐちつま(つま。すそ左右さゆうはし。)をおししてえるようにしたもの。ころもだけをときにもいう。うちいで。うちで。ころも(いだしぎぬ。)」[35]
  14. ^ せいよしみ堂本どうもとでは大宮おおみや[39][40]が、そしてみかど詞書ことばがきにて「みはしに御輿みこしよせておりさせたまふ」とあるので、二人ふたりいけはし輿こしわたって寝殿しんでんはいったとかる[41]
  15. ^ この描写びょうしゃは、藤原ふじわらなが繁栄はんえいしめすとの解釈かいしゃくがある。Browse the Collection:Imperial Visitation for the Ceremonial Horserace of 1024 (Komakurabe gyōkō emaki)”. Metropolitan Museum of Art. 2021ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  16. ^ [59][60]では、旧名きゅうめいのフォッグ美術館びじゅつかんくらとしている。
  17. ^ 原本げんぽんしたに、うえうつき、頻繁ひんぱんうつをめくって、原本げんぽん脳裏のうりけ、せんをなぞる方法ほうほう[67][68]
  18. ^ よこいた原本げんぽんて、うつ方法ほうほう[67][69]
  19. ^ 「こまくらべ」ではじゅうはちばん[77]
  20. ^ 復元ふくげんあん9.のクリーブランドほんうしろに錯簡さっかんしている。
  21. ^ 輪郭りんかくせんいたのちで、せんつぶさずに、その内側うちがわりつぶす手法しゅほう[82]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 静嘉堂文庫せいかどうぶんこ美術館びじゅつかん 1998, p. 15.
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  7. ^ 松村まつむら 1965, pp. 156–168.
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]