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鶴見つるみ事故じこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
鶴見つるみ事故じこ
発生はっせい 1963ねん昭和しょうわ38ねん11月9にち
発生はっせい時刻じこく 2150ふん50びょうからどう51ふん30びょうの40秒間びょうかん(JST)[1]
くに 日本の旗 日本にっぽん
場所ばしょ 神奈川かながわけん横浜よこはま鶴見つるみ生麦なまむぎまち当時とうじ
座標ざひょう 北緯ほくい3529ふん35.92びょう 東経とうけい13939ふん50.23びょう / 北緯ほくい35.4933111 東経とうけい139.6639528 / 35.4933111; 139.6639528座標ざひょう: 北緯ほくい3529ふん35.92びょう 東経とうけい13939ふん50.23びょう / 北緯ほくい35.4933111 東経とうけい139.6639528 / 35.4933111; 139.6639528
路線ろせん 東海道本線とうかいどうほんせん
運行うんこうしゃ 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう関東かんとう支社ししゃ東京とうきょう鉄道てつどう監理かんりきょく
事故じこ種類しゅるい 多重たじゅう衝突しょうとつ事故じこ
原因げんいん 競合きょうごう脱線だっせん
統計とうけい
列車れっしゃすう 合計ごうけい3ほん貨物かもつ列車れっしゃ1ほん旅客りょかく列車れっしゃ2ほん
死者ししゃ 161にん
負傷ふしょうしゃ 120にん
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鶴見つるみ事故じこ(つるみじこ)は、1963ねん昭和しょうわ38ねん11月9にちよる神奈川かながわけん横浜よこはま鶴見つるみ発生はっせいした、列車れっしゃ脱線だっせん多重たじゅう衝突しょうとつ事故じこである[2]

同日どうじつ2150ふん50びょうごろ[1]日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつげん東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう東海道本線とうかいどうほんせん鶴見つるみえき - 新子安しんこやすえきあいだたきざか不動ふどう踏切ふみきりげんたきざか踏切ふみきり付近ふきんくだ貨物かもつせん走行そうこうしていた貨物かもつ列車れっしゃ最後さいごから3りょう貨車かしゃ脱線だっせんし、架線かせんばしら激突げきとつしたあと編成へんせいからはなされ、後部こうぶ2りょう貨車かしゃとものぼ旅客りょかくせんがわ横転おうてんした。平行へいこうするくだ旅客りょかくせん走行そうこうしていた旅客りょかく列車れっしゃ事故じこげんみとめし、非常ひじょう制動せいどうけてきゅう減速げんそくした。その直後ちょくごの2151ふん30びょうごろのぼ旅客りょかくせん走行そうこうする旅客りょかく列車れっしゃ横転おうてんした貨車かしゃ衝突しょうとつ脱線だっせんはずみで減速げんそくちゅうくだ旅客りょかく列車れっしゃ衝突しょうとつしたことで、死者ししゃ161にん重軽傷じゅうけいしょうしゃ120にんにのぼる人的じんてき被害ひがいだい惨事さんじとなった[1]

概要がいよう

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事故じこ現場げんばおおよその位置いち座標ざひょう)は、東海道とうかいどう本線ほんせん鶴見つるみ - 新子安しんこやすあいだ位置いちしていたたきざか不動ふどう踏切ふみきり位置いち座標ざひょう)から鶴見つるみやく500 m地点ちてんである[2][よう検証けんしょう]

事故じこ地点ちてんにおける貨物かもつせんしなづるせん[よう検証けんしょう]を、定刻ていこくより4ふんおくれで走行そうこうちゅう佐原さはらはつ野洲やすくだ貨物かもつ列車れっしゃ(2365貨物かもつEF15かたち電気でんき機関きかんしゃ牽引けんいん45りょう編成へんせい後部こうぶ3りょうワラ1かたち2じく貨車かしゃ(ワラ501)が突然とつぜん脱線だっせんきずられたのち架線かせんはしら衝突しょうとつ編成へんせいからはずれたことにより、となり東海道とうかいどう本線ほんせんのぼせん支障ししょうした(2365貨物かもつ列車れっしゃ非常ひじょう制動せいどう作動さどう停止ていし)。直後ちょくご同線どうせん走行そうこうちゅう横須賀よこすかせん電車でんしゃ久里浜くりはまはつ東京とうきょうのぼり2000S列車れっしゃと、くだせん走行そうこうちゅう東京とうきょうはつ逗子ずしくだり2113S列車れっしゃ(いずれも12りょう編成へんせい)がほぼ同時どうじ進入しんにゅうした[注釈ちゅうしゃく 1]

90 km/h前後ぜんごという高速こうそくのまま進入しんにゅうしたのぼ列車れっしゃ[よう検証けんしょう]貨車かしゃ衝突しょうとつ先頭せんとうしゃクハ76039)はくだせん方向ほうこうはじされ、架線かせん異常いじょう発見はっけんして減速げんそくしていたくだ列車れっしゃの4りょう(モハ70079)の側面そくめん衝突しょうとつして串刺くしざしにしたのち後続こうぞく車両しゃりょうされて横向よこむきになりながら5りょうクモハ50006)の車体しゃたい半分はんぶん以上いじょうけずって停止ていしした[注釈ちゅうしゃく 2]

その結果けっかくだ列車れっしゃの4・5りょうたいわくくるまはしのこしてまった原形げんけいめないほどに粉砕ふんさいされ、5りょうげたかたち停止ていししたのぼ列車れっしゃ先頭せんとうしゃ大破たいは上下じょうげ列車れっしゃわせて死者ししゃ161めい重軽傷じゅうけいしょうしゃ120めいした。

原因げんいん

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ワラ1かたち貨車かしゃ
事故じこ車両しゃりょう同形どうけいしゃ

事故じこ、ワラ1かたち曲線きょくせん出口でぐち緩和かんわ曲線きょくせん(カーブから直線ちょくせんになる地点ちてん)でレールげていた痕跡こんせきみとめられた。そして国鉄こくてつ脱線だっせん原因げんいん徹底的てっていてき調査ちょうさ実験じっけんした結果けっか車両しゃりょう問題もんだい積載せきさいじょうきょう線路せんろ状況じょうきょう運転うんてん速度そくど加減かげんそく状況じょうきょうなど様々さまざま条件じょうけん複雑ふくざつからった競合きょうごう脱線だっせんであるとした。

それまで競合きょうごう脱線だっせん事故じこおおくは貨物かもつ列車れっしゃ単独たんどく被害ひがいおよぶもので、人的じんてき被害ひがい発生はっせいさせたれいすくなかったが、ほん事故じこはたまたま貨車かしゃ競合きょうごう脱線だっせんとほぼ同時どうじ上下じょうげ方向ほうこうから旅客りょかく列車れっしゃ進入しんにゅうしてきたことで甚大じんだい人的じんてき被害ひがいをもたらす結果けっかとなった。これについては、貨物かもつ列車れっしゃ機関きかん脱線だっせん直後ちょくご発煙はつえんとういたが、短時間たんじかんえてしまったこともあってのぼ列車れっしゃ運転うんてん死亡しぼう)が見落みおとし、直前ちょくぜんまで脱線だっせん気付きづかず高速こうそく貨車かしゃ激突げきとついきおあまってよこ列車れっしゃおおきく破壊はかいするにいたったものとされている[よう検証けんしょう]前年ぜんねん1962ねん昭和しょうわ37ねん)の三河そうごとう事故じこ同様どうよう視界しかいわる夜間やかんであったことが被害ひがい拡大かくだいまねいた。

また「競合きょうごう脱線だっせん」という原因げんいん見出みいだされ、原因げんいん不明ふめいとして処理しょりされた過去かこじく貨車かしゃ脱線だっせん事故じこおおくはこれが原因げんいんであるうたがいがつよまったが、「競合きょうごう脱線だっせん」とは、脱線だっせんにいたる主因しゅいん明確めいかくであることから、解明かいめい時間じかんようした。

後日ごじつ脱線だっせんこしたワラ1かたちワム60000かたち類似るいじしゃとして配備はいびまえ実車じっしゃ試験しけん省略しょうりゃくされ、けい積載せきさいはげしいピッチング特性とくせい見逃みのがされたことがあきらかにされた。当時とうじ高速こうそく電車でんしゃ開発かいはつ確立かくりつされつつあったバネ重量じゅうりょうへび行動こうどうなど走行そうこう装置そうち理論りろん貨車かしゃにも適用てきよう可能かのう時期じきでもあったが、これは事故じこ調査ちょうさ当事とうじしゃではない独立どくりつ機関きかんおこなわれていれば「試験しけん手抜てぬき」と「予見よけん可能かのうせい」とでべつ結論けつろんになり重要じゅうよう事実じじつであった。[よう検証けんしょう]

対策たいさく

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事故じこ技術ぎじゅつ調査ちょうさ委員いいんかいもうけ、模型もけい実験じっけん・2じく貨車かしゃじつ走行そうこう実験じっけんなどで競合きょうごう脱線だっせんのメカニズム解明かいめいけた様々さまざま角度かくどでの研究けんきゅうつづけられた。1967ねん昭和しょうわ42ねん)からは、しんせん切替きりかえによりはいせんとなった根室本線ねむろほんせん狩勝峠かりかちとうげきゅうせん新得しんとく - 新内しんない)をかりしょう実験じっけんせんとし、貨物かもつ積載せきさい状態じょうたい空車くうしゃ積載せきさいしゃ編成へんせい具合ぐあいから運転うんてん速度そくど加減かげん速度そくどとうさまざまな条件じょうけんもとづいて実際じっさい鉄道てつどう車両しゃりょう脱線だっせんさせるだい規模きぼ脱線だっせん原因げんいん調査ちょうさおこなわれた[注釈ちゅうしゃく 3]実験じっけん1972ねん昭和しょうわ47ねん)2がつ一応いちおう結論けつろんし、まもる軌条きじょう追加ついか設置せっち・レールぬりあぶら設置せっち・2じく貨車かしゃリンク改良かいりょう車輪しゃりん踏面形状けいじょう改良かいりょうなどにつながることになる。前述ぜんじゅつとおけい負荷ふか走行そうこう特性とくせい問題もんだいのあったワラ1かたち相応そうおう改良かいりょうけたうえ国鉄こくてつ末期まっき1986ねん昭和しょうわ61ねん)まで使用しようされた。

これらの対策たいさく1975ねん昭和しょうわ50ねん)までに終了しゅうりょうし、さらにくるま扱貨ぶつ輸送ゆそう減少げんしょうで2じく貨車かしゃ激減げきげんしたため、現在げんざい日本にっぽん国内こくないでは2じく貨車かしゃ競合きょうごう脱線だっせんはほぼこりえなくなっている。

事故じこ遭遇そうぐうした著名ちょめいじんとう

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横浜市立大学よこはましりつだいがく学長がくちょう日本にっぽん科学かがく学会がっかい会長かいちょう歴任れきにんした哲学てつがくしゃ三枝さえぐさ博音ひろとは、この事故じこ犠牲ぎせいとなった。三枝さえぐさ日本にっぽん学術がくじゅつ会議かいぎ講堂こうどうひらかれたシンポジウムの司会しかいつとめ、くだ電車でんしゃ鎌倉かまくら自宅じたくかえ途中とちゅうだった。ほかにもほん事故じこ犠牲ぎせいしゃには、だい南極なんきょく観測かんそくたい隊員たいいんだった松川まつかわ義雄よしお松竹しょうちく歌劇かげきだん団員だんいん千早ちはやみゆきせき由利ゆりがいる。また、女優じょゆう樹木きき希林きりん当時とうじ芸名げいめいゆう千帆ちほ)の実父じっぷ負傷ふしょうしている。

当時とうじTBSアナウンサーの吉川よしかわ久夫ひさおくだ電車でんしゃ乗車じょうしゃしており、事故じこ発生はっせい吉川よしかわ本人ほんにん現場げんばからリポートをおこなった。ボクシング中継ちゅうけい実況じっきょうアナウンサーであった吉川よしかわは、東京とうきょう渋谷しぶや存在そんざいしていたリキ・スポーツパレスでのプロボクシング興行こうぎょう収録しゅうろくえて、渋谷しぶやから山手やまてせん品川しながわて、品川しながわから帰宅きたくのため乗車じょうしゃしていたところ事故じこまれた[注釈ちゅうしゃく 4]

将棋しょうぎ観戦かんせん記者きしゃ倉島くらしま竹二郎たけじろうは、くだ電車でんしゃ乗車じょうしゃしていたがいちりょうちがいで危難きなんまぬかれた。[3]

直接ちょくせつ被災ひさいしゃではないが、当時とうじ毎日放送まいにちほうそうのアナウンサーだった金子かねこ勝彦かつひこはこの事故じこ義弟ぎていうしなった。これが契機けいきとなり、翌年よくねん1964ねん東京とうきょう12チャンネル(げんテレビ東京てれびとうきょう)へ開局かいきょく同時どうじ移籍いせきした。

事故じこ当日とうじつ現場げんばについて

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事故じこ発生はっせいには、NETテレビ(現在げんざいテレビ朝日てれびあさひ)でアメリカ製作せいさくテレビドラマハワイアン・アイ」が、TBSテレビで「ザ・ルーシー・ショー」が、それぞれ放映ほうえいされていて、そのことから事故じこ捜査そうさ担当たんとうした警察けいさつ付近ふきん住民じゅうみん事情じじょう聴取ちょうしゅしたさい番組ばんぐみていたおおくの住民じゅうみん事故じこ発生はっせい時刻じこくをはっきりとおぼえている結果けっかつながった。また、これらの検証けんしょうにより貨物かもつ列車れっしゃやく4ふんおくれで運行うんこうしていたことがわかった[4][よう検証けんしょう]

この福岡ふくおかけん大牟田おおむた三井みつい三池みいけ炭鉱たんこう死者ししゃ458にんしただい爆発ばくはつ事故じこ発生はっせいしたため、「血塗ちぬられた土曜日どようび」「土曜日どようび」とばれた。

事故じこの3ねんまえ1960ねん昭和しょうわ35ねん12月2にちには、おなたきざか不動ふどう踏切ふみきり架線かせん試験しけんちゅう機関きかんしゃマイクロバス接触せっしょく死者ししゃ9にん重軽傷じゅうけいしょう9にん事故じこ発生はっせいしている[5]

慰霊いれい

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總持寺そうじじちょう廊下ろうかおこなわれている鶴見つるみ事故じこみず供養くよう平行へいこうする土間どま写真しゃしんひだり)にみずせんほんかれている。

鶴見つるみ事故じこ現場げんば沿いに「国鉄こくてつ鶴見つるみ事故じこ遭難そうなんしゃ供養くようとう」がてられている[6]岸谷きしたに1丁目ちょうめ線路せんろ沿いに建立こんりゅう)。

おなじく鶴見つるみ總持寺そうじじ境内けいだい慰霊いれいがある[6]。この慰霊いれいには、運転うんてん1にんのぞ[7]乗客じょうきゃく犠牲ぎせいしゃ160にん名前なまえきざまれており、国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえい以後いごJR東日本ひがしにっぽん横浜よこはま支社ししゃ毎年まいとし事故じこのあった11月9にち慰霊いれい献花けんか実施じっししている[6][8]犠牲ぎせいしゃ遺体いたい一部いちぶは、緊急きんきゅう措置そちとして付近ふきん總持寺そうじじひゃくあいだ廊下ろうかはこばれた[6]總持寺そうじじでは事故じこ直後ちょくごからあさひるの2かいなが廊下ろうかじょうろみずみず供養くよう修行しゅぎょうそう日課にっかとなった[8]みず供養くようせん意味いみには諸説しょせつあり、一説いっせつには当初とうしょは3本線ほんせん両側りょうがわ線路せんろなかせん線香せんこう意味いみしていたとされるが、2本線ほんせんとなっており2ほん線香せんこう意味いみしているとされる[8]

事故じこあつかった作品さくひん

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テレビドキュメンタリー番組ばんぐみ『カメラルポルタージュ ひとりかえってこなかった』がTBSテレビにより製作せいさくされた。この事故じこ犠牲ぎせいとなったある男性だんせいサラリーマンにスポットをて、男性だんせい母親ははおや婚約こんやくしゃ女性じょせい悲痛ひつうさけびが事故じこ悲惨ひさんさを物語ものがたっている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 当時とうじは、東海道とうかいどうせん横須賀よこすかせん分離ぶんりおこなわれておらず、いずれもおな線路せんろ走行そうこうしていた。両者りょうしゃ分離ぶんりされるのは、1980ねんのことである。
  2. ^ ちなみにくだ列車れっしゃの3りょう(サロ85020)は1957ねん屋根やねじょう分散ぶんさんしき冷房れいぼう装置そうち搭載とうさいする改造かいぞう工事こうじ施工しこうされ試験しけんおこなわれた車両しゃりょうである。試験しけん終了しゅうりょう大船おおぶね電車でんしゃ転出てんしゅつし1年間ねんかん冷房れいぼう装置そうち使用しようしたのちに撤去てっきょ事故じこ当日とうじつ連結れんけつめん小破しょうはした程度ていど復旧ふっきゅう。1968ねんにはクハ77003に格下かくさげ・制御せいぎょしゃ改造かいぞうされ1978ねん廃車はいしゃとなった。
  3. ^ 現在げんざい国道こくどう38ごう沿線えんせん試験しけんしゃマヤ40かたち遠隔えんかく操縦そうじゅうやデータ収集しゅうしゅう使つかった無線むせんとうなどの実験じっけんあとのこっている。
  4. ^ 当時とうじ西大井にしおおいえき武蔵むさし小杉こすぎえきしん川崎かわさきえきのいずれも開業かいぎょうで、渋谷しぶやから山手やまて貨物かもつせんしなづるせん経由けいゆし、横浜よこはま方面ほうめん直接ちょくせつ東海道本線とうかいどうほんせんおよび横須賀よこすかせんれる、湘南しょうなん新宿しんじゅくライン存在そんざいしていなかった。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう監査かんさ委員いいんかい委員いいんちょう岡野おかの保次郎やすじろう 1964, pp. 287–289.
  2. ^ a b だい10かい大本山總持寺だいほんざんそうじじ境内けいだいにある鉄道てつどう事故じこ関係かんけい慰霊いれいとうについて”. 横浜よこはま鶴見つるみ. 横浜よこはま (2019ねん3がつ4にち). 2022ねん1がつ14にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん1がつ14にち閲覧えつらん。 “鶴見つるみ事故じこ慰霊いれい
  3. ^ 倉島くらしま竹二郎たけじろう裏芸うらげいひゃくばん以上いじょう」『毎日新聞まいにちしんぶん』1963ねん12月5にちづけ夕刊ゆうかん5めん
  4. ^ "483:昭和しょうわ38ねん国鉄こくてつ鶴見つるみ事故じこ外国がいこくさんTVドラマ". ひがしスポWEB. 東京とうきょうスポーツ新聞しんぶんしゃ. 24 September 2014. 2018ねん10がつ13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん11月28にち閲覧えつらん
  5. ^ 日外にちがいアソシエーツ編集へんしゅうへん へん日本にっぽん災害さいがい事典じてん 1868-2009』日外にちがいアソシエーツ、2010ねん、149ぺーじISBN 9784816922749 
  6. ^ a b c d 鶴見つるみ事故じこ」から60ねん 横浜よこはま遺族いぞく、JR関係かんけいしゃ慰霊いれい 総持寺そうじじではみず供養くよう」『東京とうきょう新聞しんぶん』2023ねん11がつ10日とおか2023ねん11月14にち閲覧えつらん
  7. ^ ちちいしぶみにないけれど きゅう国鉄こくてつ鶴見つるみ事故じこ60ねん きざまれなかった運転うんてん遺族いぞくおもい「二度にど事故じこきぬようねがう」 東京とうきょう新聞しんぶん 2023ねん11月9にち
  8. ^ a b c 鶴見つるみ事故じころくじゅう回忌かいき 風化ふうかさせず再発さいはつ防止ぼうしを 総持寺そうじじ慰霊いれい献花けんか」『東京とうきょう新聞しんぶん』2022ねん11がつ10日とおか2023ねん11月14にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう監査かんさ委員いいんかい委員いいんちょう岡野おかの保次郎やすじろう東海道とうかいどう本線ほんせん鶴見つるみ横浜よこはまあいだにおける運転うんてん事故じこかんする特別とくべつ監査かんさ報告ほうこくしょ提出ていしゅつについて(1964-01-30)」『日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう監査かんさ報告ほうこくしょ 昭和しょうわ38年度ねんど』、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう監査かんさ委員いいんかい、1964ねん8がつ、286-304ぺーじdoi:10.11501/2521882全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:70009846 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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