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朱子語類 : 朱子九 - Chinese Text Project
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朱子しゅしきゅう

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ろんかん

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1 ろんかん:
しゅうおけさんおおやけかんただ冢宰以下いかろくきょう為之ためゆきしゅうこう嘗以冢宰ためたい,顧命乃同召太奭芮はく彤伯畢公まもるこうもうこうちゅういいろくきょう也,「たたえ公則まさのり三公みつきみ矣」。あげ

2 ろんかん:
あるとい:「かん三公之官與周制不同,なん耶?」曰:「かんはつ未見みけんあなかべ古文こぶん尚書しょうしょちゅうしゅうかんいちへんせつたいふとしでんふとしためさんおおやけあるろくうん:「古文こぶん尚書しょうしょほうゆうしゅうかんへんふくせい口授くじゅじゅうへんしゅうかんかんただおけぶとじょうつかさつかさそらため三公みつきみ,而無しゅう三公みつきみさんしょうぶた未見みけん古文こぶん尚書しょうしょ。」ただしふくせい口授くじゅまきちかいりつせいへんちゅう所說しょせつ司馬しばつかさそらとげあやま以是ためさんおおやけ而置按:「かんだかきさき元年がんねんはつおけしょうでんひらみかど元始げんし元年がんねんまたおけぶとたもてふとししか當時とうじしょたて三公みつきみじつつかさ司馬しばつかさそら此之いいただしよし字義じぎ,以為保之やすゆきしょくまた尊崇そんすうざいさんおおやけじょうひがしかんしょうためじょうおおやけ後世こうせいやすためさんみな也。使つかい西にしかん明見みょうけんしゅうかんゆうしょよりどころ,必不わかます矣。」また按:漢書かんしょ百官ひゃっかんひょうちゅう卻曰:「ふとしふとしでんふとしたもてためさんおおやけ。」また曰:「あるせつ馬主ばしゅてんつかさ主人しゅじんつかさそらぬしためさんおおやけ。」其說あずかしゅうかんごうしゃあにあなしょ所謂いわゆるつて子孫しそん以貽後代こうだいしゃいたり私有しゆうしょ傳授でんじゅはんかた以述歟?そもそもただし習聞其說しょ折衷せっちゅうりょうそん而不はい耶?古文こぶん尚書しょうしょいたりあずますすむいん內史うめ頤始ぎょう于世。あずますすむぜん如揚ゆう以酒誥為きょだんちょう岐杜あずか以說いのち、皋陶謨等へんため逸書いっしょのり其證也。いにしえしゃ諸侯しょこうこれこくただとくおけ司馬しばつかさそらさんきょうため天子てんしぽうとくおけさんおおやけさんろくきょうまきちかいりつ政所まんどころしゅうただしかたため諸侯しょこう,乃侯こく制度せいどしゅうかんしょのりざいなりおう所以ゆえん不同ふどう。三公三孤以師道輔佐天子,ほんかんしゅうこう以太けん冢宰,召公以太けん宗伯そうはく以加かん而兼宰相さいしょうしょく也。うえすううたぐゆうえんしょ後世こうせい官職かんしょくえき紊,いまとげ三公みつきみさんかんためかいかんしょくこれるいふくゆう保之やすゆきにんろんどうけい邦之くにゆきせめ矣。舊來きゅうらいなおぶんしんゆうくん德重とくしげもちしゃかたじょ,以其ゆう輔教天子てんしめい也。後世こうせいある以諸おうある武臣ぶしん為之ためゆきすんで天子てんし之子ゆきこあずか武臣ぶしんあににん保之やすゆきせめ耶?なまり謬承かさねふく釐正。祖宗そそうほうじょ三孤三公者必須建節;あるろくうん:「こん三公みつきみしゃまた須加すか節度せつど使朝廷ちょうていまたごく節度せつど使ぶた節度せつど使每月まいつき請俸せんあまり緡,所以ゆえんけい授人。本朝ほんちょう如韓とみぶんもり諸公しょこうよく三公みつきみしょう,須建ぶし不知ふち甚意。」檢校けんぎょう太子たいししょうしょうるいしかこうじょ開府かいふどうさんつかさすんでじょ開府かいふしかこうじょさんさんおおやけみなみわたり以來いらい,如張かんりゅうたけししょ武臣ぶしんなお如此。こんのりしかすんでけんぶし便びん抹過檢校けんぎょうみちじょ開府かいふいたりさんさんおおやけ矣。あるろくうん:「『ある開府かいふ抹過,三公三少者有之。﹄また曰:﹃檢校けんぎょう開府かいふ以上いじょうかげ便びんとく文官ぶんかんぶんしんため樞密すうみつちょく學士がくししゃかげはんとく武官ぶかん。如富てい公家くげ子弟してい有為ゆうい武官ぶかんしゃ是也これや。五代以武臣為樞密使,武臣ぶしんある識字しきじおけ樞密すうみつちょく學士がくしれいぶんしん輔之,そうみなとく武官ぶかん本朝ほんちょういん而不はい文官ぶんかんきむむらさきてん特進とくしん開府かいふしかこうさんおおやけさんしょう,如富かん諸公しょこう如此。本朝ほんちょうおけさん太三たぞうしょう,而無司馬しばつかさそらさんおおやけしかかんもりしょ公有こうゆう兼司けんじそらまたゆう守司もりじそらしゃみな不可ふかあかつき。』」かみはじめおくかんたかしおおやけ尚書しょうしょれいれい後世こうせいとくさらさむらいちゅう中書ちゅうしょれいしるためじょうせい,其禮ごくたかし本朝ほんちょうおもんみかんこうためしかにょうろくうん:「ぶたやめぜんおくしゃみな以中しょれいけん尚書しょうしょれいかみはじめとくおく尚書しょうしょれいしゃ,其禮ごくじゅう。」後來こうらい蔡京あらため官制かんせいとげそううん:『むかしふとそう皇帝こうてい嘗為尚書しょうしょれい今後こんごさらじょ尚書しょうしょれい。』こと不知ふちため尚書しょうしょれいしゃ,乃唐ふとそう也。とうじょ尚書しょうしょれいおもんみかくこうだかとくじょけん敢受,曰:『むかししゃふとしそう皇帝こうてい嘗為此官,人臣じんしん敢居。』朝廷ちょうていとげなおちちこれごう。蔡京めいため紹述熙豐故事こじ,卻恣意しいまがえさら不知ふちなまります,舉朝莫不わらい,而不敢指其非。またそう徽宗うん:『嘗面たてまつかみはじめ聖旨せいしれい改造かいぞう尚書しょうしょしょう。』尚書しょうしょしょうしゃかみはじめしょづくり規模きぼごく雄偉ゆういくにあさ以來いらいかん府所ふどころゆう。訖工,かみはじめこう壯麗そうれい如此,れいうん:『今後こんご輒敢しょうゆうさら易者えきしゃ,以違せいろん!』宰相さいしょうきょ,輒不利ふりおう珪病章子あきこあつしかんただし彥蔡かくみなしょうつぎ斥去。きょうあくしょく中有ちゅうう一士人姓家迎合其意,けんじから尚書しょうしょしょううん:『から尚書しょうしょしょうせいちょうざいまえ,六曹諸司房在後,こんみなはんまた土地とちどうざいせいちょうまえこん卻在所以ゆえん宰相さいしょうすう不利ふり。』きょうしん其說,とげ毀拆じゅうづくりぜん苟簡逼仄甚,忌憚きたん如此!」また曰:「本朝ほんちょうふとそう嘗以中書ちゅうしょれいため開封かいふういんよし開封かいふういんにゅうぜんだいすべ後來こうらいじょ中書ちゅうしょれいいん開府かいふしゃまた敢正じょ,必加『けん。蔡京あらため官制かんせいとげじょ中書ちゅうしょれいとうじょそこじょいい尚書しょうしょれい不當ふとうじょそこ卻除;またいん開封かいふうしゃさらおびけん。其悖らん無知むちみな此類也!またきょうさんおおやけため宰相さいしょうれいじん以『おおやけしょうよびおのれ,而不とくよびあいおおやけ』。後來こうらいはたひのきまた如此,ぶた倣此也。」あるとい:「ぼくしゃ名義めいぎ如何いか?」曰:「きゅううんはたおけぼくしゃせんぬしこわしかれいうん:『ぼくにん扶左,しゃじん扶右,そくしゅうかんふとしぼくこれしょくくん薨以舉。』ぼくしゃめいぶたおこり於此。以其朝夕ちょうせき親近しんきんじんぬし後世こうせいうけたまわあやま,輒失其真,とげ以為宰相さいしょうこれごう。如侍ちゅう中書ちゅうしょれい尚書しょうしょれいまた如此。さむらいちゅうしんかんかんいんさむらいまもるじんぬしあるろくうん:「あるつばつぼとらぞくぎょう幸則ゆきのりしたがえ,其初しょく甚微。」ぎょうそくさん錯於宦官かんがんあいだ。其初なお以儒しゃ為之ためゆき,如武みかどあな安國やすくにためさむらいちゅう,嘗掌つばつぼ是也これや。以其あずかひとぬししょうおやひた用事ようじ尚書しょうしょてのひら群臣ぐんしんしょかなで,如州ぐんひらき拆司,かん進呈しんてい文字もじ,凡四方よもあきらかなでみな由之よしゆき以達。其初また甚微,ただ如尚ころもなおくえなお輦、なおくすりるいまたえん居中きょちゅう用事ようじ所以ゆえんけんじゅう。按:はたしょうよんにんざい殿中でんちゅうぬしはつしょいい尚書しょうしょなおなおしゅ也。中書ちゅうしょいんかんたけみかどゆうえんにわそとにわとおはじめよう宦者てんごといい中書ちゅうしょ謁者』;あるろくうん:「おけちゅう尚書しょうしょ,以宦しゃ為之ためゆき。」おけれいぼくしゃゆうあずかひとぬしおや狎,其權いよいよじゅうもとみかど弘恭ひろゆきためれいせきあらわためぼくしゃ,嘗權かたぶけ內外。按:しょうもちうん:「中書ちゅうしょせいほんむべもちい士人しじん。」ぶたみかどはじめよう宦官かんがん出入でいりそうごと舊制きゅうせい也。及光武みつたけ即位そくい政事せいじにん三公みつきみ,而盡臺閣たいかくあるろくうん:「たいそく尚書しょうしょかくそくきん中也ちゅうや。」三公みつきみみなようきょ,凡天ごとつきにゅう於中しょあるろくさくちゅう尚書しょうしょ」。嘗見かん群臣ぐんしんあきらそうくびうんしんぼうそう疏尚しょ』,なおこんげん殿下でんか』、『陛下へいかこれるい,雖是敢指斥而ごとまたあし以見其居要地ようち而秉じゅうけん矣。とう時事じじ巨細きょさいみな尚書しょうしょぎょう三公みつきみある經由けいゆさんおおやけみちきゅうきょうあるろくうん:「三公みつきみこれけんはん如九きょう所以ゆえんかん宦者ろうけん用事ようじ。」ひがしかんおもんみ尚書しょうしょこれけんじゅう,九卿之權亦重者,此也。按:光武みつたけにん三公みつきみこと臺閣たいかくしゃぶた當時とうじいいろく尚書しょうしょだいなおこんげん尚書しょうしょしょう也。曹操そうそうひらくおう敢即なずらえ朝廷ちょうていけんかんあるろくうん:「おけ中書ちゅうしょ。」ただしおけ秘書ひしょれいあるろくさくかん」。篡漢これはじめあらためため中書ちゅうしょかん。以其もとうけたまわちょうにん荀勗中書ちゅうしょ遷尚しょかんにんつとむ曰:『だつわが鳳凰ほうおう諸君しょくんなん耶!』あるろくうん:「『ぶた尚書しょうしょまた如中しょ居中きょちゅう用事ようじ親密しんみつ也。』とい:『さむらいちゅうためなんかん?』曰:『黃門こうもんかん即今そっこん門下もんかしょう左右さゆうつねさむらいみな黃門こうもんかんぞく也。』」西にしかん中書ちゅうしょこれけんじゅうひがしかん尚書しょうしょこれけんじゅういたり此則中書ちゅうしょこれけんふくじゅう,而尚しょこれけんややけい矣。」とい:「『しょうなん?」曰:「はぶけそくきん也。きゅういいきん』,避漢もときさきちちいみなとげあらためためしょう』。」儒用。あるろくしょうこと

3 ろんかん:
いにしえしゃじんしゅ左右さゆう攜提,賤役,わかとら賁綴ころもるいみな大夫たいふにちしょう親密しんみつ所謂いわゆるまちぼくしたがえ,罔匪正人まさと,以旦ゆううけたまわ弼厥辟;出入でいり起居ききょ,罔有欽;はつごうほどこせれい,罔有臧」。而今だい隔絕かくぜつにんぬしごく尊嚴そんげん真如しんにょ神明しんめい人臣じんしんごく卑屈ひくつもちはいにわいち而退。かん禁中きんちゅうさむらいまもるまた大夫たいふ,以孔安國やすくに大儒たいじゅ而執つば盂,雖儀ぼんまた士人しじんこれそうぶんみかど大臣だいじんりゅうじんにゅうのりあずかすわはつあいだあい日影ひかげはすおもんみおそれ其去;後來こうらいいや日景ひかげはすおもんみおそれ其不こう竟殺あかりみかどはつせつ:「大臣だいじんふとし重則しげのりこく危,しょうしんふとしんのり蔽。」當時とうじ於大おだいしんやめ為之ためゆき處置しょち後來こうらい左右さゆうしょうしん親密しんみついたり使中書ちゅうしょれいぼうじん上床うわとこつよくさのこみことのり流弊りゅうへい便びんゆう此事。かんせん懲霍こうへいこと必躬おやまたゆう宦者きょうあきら出來でき光武みつたけ懲王莽之へいにん三公みつきみこと臺閣たいかく尚書しょうしょ大夫たいふ、謁者,いいさんだい」。義剛よしたけ

4 ろんかん:
むかししゅう公立こうりつ許多きょた官制かんせいみやこゆうすべれんぞくはたかん而下,みないん一事いちじりついちかん便びん些統れんぞくりょう

5 ろんかん:
尚書しょうしょなおころもなおくえなお乃主守之もりゆきしん作平さくひらおんあつし

6 ろんかん:
かん大夫たいふ,如本あささん政事せいじ義剛よしたけ

7 ろんかん:
とうかんみな京師けいしまご

8 ろんかん:
とうぼくしゃ即今そっこん特進とくしんただ恁轉はた義剛よしたけ

9 ろんかん:
とうへいつき付與ふよ刺史しし節度せつど使。其他きば將之まさゆきるいみなよし刺史しし節度せつど使辟置,如今許多きょたかんぞくひろ

10 ろんかん:
とう朝廷ちょうていゆう親衛しんえいゆうくんまもるゆう翊衛。親衛しんえいのり以親王侯おうこう之子ゆきこ為之ためゆきくんまもるのり功臣こうしん子弟してい為之ためゆき;翊衛,のりおもんみ其所せんおおやけ

11 ろんかん:
あるとい東宮とうぐうかんぞく。曰:「とう六典載東宮官制甚詳,如一しょう朝廷ちょうていおけ詹事以統眾務,のりなお朝廷ちょうてい尚書しょうしょしょう也。おけ左右さゆう二春坊以領眾局,そくなお中書ちゅうしょ門下もんかしょう也。左右さゆうはるぼうまたみなしつらえかんゆうかくりつ其屬たかしぶんかんなお朝廷ちょうていたてかくさんぜん大夫たいふなお朝廷ちょうてい諫議大夫たいふ。其官しょく一視朝廷而為之降殺,此等制度せいどなおこのみいま東宮とうぐうかんぞくごく苟簡。左右さゆうはるぼう舊制きゅうせいみなようけんとくしゃ為之ためゆきいまとげよう武弁ぶべんしょうゆうざいしゃ,其次おもんみゆう講讀こうどくすういん而已。如贊ぜん大夫たいふしょかんまたただしためかいかんじつ有職ゆうしょくぎょうかみはじめ以唐ろくてんあらため官制かんせい,乃有疏略しょ,如東宮とうぐうかんぞく不備ふび是也これや。其舊嘗入いち劄子,ろん東宮とうぐう官制かんせい疏略,むべきゅう損益そんえきほう。」また曰:「とう官制かんせいまただいりついんずいきゅうまもる,租、いさお調しらべこれほうみな是也これや當時とうじ大亂たいらん殺傷さっしょうこれいく無人むじんるい所以ゆえん宇文うぶんたいあずか綽能如此經營けいえいさんだい而下,制度せいどややかんしゃただ宇文うぶんみみいちだい奇才きさいこんとくいちにん如此!」儒用

12 ろんかん:
からろくてんあきらすめらぎしょせん,雖有しょしか其建かん卻不此。其書卻是ひとしせいしか其說一切いっさいしげる冗迂きょくかみそう喜之よしゆき,一一依此定官制。かみはじめほんよく富強ふきょう,其後いん此皆迂曲うきょくなるじゃくりょうひだりぼくしゃ行事ぎょうじみぎ丞相じょうしょうむねゆたかこうもとゆうあいだ甚苦にゅう文字もじようあらため祖宗そそう官制かんせい,雖名ひとしせいしか其實みちじき紹興しょうこうあいだ以其不便ふべんぽうあらため,二相之權均矣。あげ

13 ろんかん:
いんろんかみはじめ官制かんせいみぎ相反あいはんじゅう:「前漢ぜんかん官制かんせい雖亂どう,卻是じつ主事しゅじかみ宗時むねときはん徇名ほろびかんはつせい中書ちゅうしょこうみかど倦勤,とげおけ內中しょ宦官かんがん為之ためゆきいしあらわこれるい是也これやゆたかこうまたわたしづくりとくいち制度せいどひだりしょうしゅれい、吏、さんみぎしょうおもへいけいこうさんこうゆう一人要令六部尚書得自執奏,またくだりこん左右さゆうしょうけんてのひらさんしょうごと。」あげ

14 ろんかん:
方今ほうこん朝廷ちょうていただけしおけいちそうさん參政さんせいけんろく曹,如吏けんれいけんこうへいけんけい樞密すうみつやめ,如此そくごとえきたちまた如宰しょう長官ちょうかん長官ちょうかん卻擇其寮。こん銓曹ちゅうなずらえ小官しょうかんしげるよりどころ而又不能ふのうけんまいみちただれいかんじょまたこうまいみち仍只よういちかん。」人傑じんけついん舉陸せんこうげん,以為「あに有為ゆうい臺閣たいかく長官ちょうかんそく不能ふのう擇一たくいつぞく吏,ため宰相さいしょうそくせんひゃくりょう」!曰:「此說ごく當時とうじ如沈既濟きさいまたゆう此說。」人傑じんけつ

15 ろんかん:
嘗與りゅうくるるごと:「ぼう做時,且精選せいせんいち箇吏尚書しょうしょ使つかいとくつきさがせ天下てんか人才じんさいしょかんちょう辟屬かん,卻要中書ちゅうしょ、吏部尚書しょうしょ考察こうさつちょうかん闕人またとくこも。俟次だい闕人,卻令侍從じじゅう以下いかかくいちにんにんただ舉一にんかれまた敢以だいだん非才ひさいしゃしんこん常常つねづねこもじん一切いっさいあわりょうまた併天かん,一路只著一漕一憲,ちゃしおしょうけんりょう。」いんろんいん穡不ちょ胸中きょうちゅうこのみ,卻尚かい理會りかいごと當時とうじ併了かん後來こうらいまたふくりょうあげ

16 ろんかん:
ちんどうちちいい:「こんようとく國富こくふへいきょう,須是ぶんしょみちためろくだんろく曹尚しょりょうしょしゅう有事ゆうじ,祇經しょ曹尚しょそうさいむねまたまいいちさいあるさい使つかいいち巡歷じゅんれき庶幾しょき下情かじょうたち。」先生せんせい曰:「わか廣中ひろなか四川しせんこれるい使つかい巡歷じゅんれきのり其本曹亦ゆうはいたゆこれ患。」ちん曰:「げき曹則所領しょりょうしゃしょうわかみちどおのりへいこうため也。」曰:「此亦一說いっせつ。」道夫みちお

17 ろんかん:
いにしえしゃおう畿千さと而已,しかかんぞくやめかくれい其長推擇。こん天下てんかだい百官ひゃっかん眾,みなそう於吏したいたりおさむみき使臣ししんとく其家私僕しぼくなんじまた須吏ちゅう所以ゆえんただ羇羇鶻突はたなにひまろん其人ざいこん朝廷ちょうてい舉事,三省みつよし下之したのろくろく部下ぶかかんてらかんてら卻申じょうろく,六部又備申三省,三省又依所申行下。ただ祠祭しさいかん,其人在朝ざいちょうしょくことかん,其姓めいまたあになんしかはぶけちゅう必下れいれいぎょう下太しもふとつねふとしつねかたなずらえていさるさるしょうはぶけかたしたがえ其所さるかん不知ふちなんよう如此迂曲うきょくただ三省みつよしごとまたしか尚書しょうしょせきちゅう書取かきとりむねちゅう書送かきおく門下もんかしんくつがえ門下もんかおく尚書しょうしょ施行しこうまた如既ゆうろくそく無用むようきゅうきょうしゅうただろくきょうぶんしょく漢人かんどただ以九きょう庶務しょむことかく歸一きいつ本朝ほんちょうけんかんじゅうさんじょうよん多少たしょうろう擾!此須だい有為ゆういつうさらかわわかただし宰相さいしょう有志ゆうしまた不能ふのう辦,必得剛健ごうけんだい有為ゆういきみよう做時,ぽうしょ曰:「亶聰明そうめいさくもときさきもときさきさくみん父母ちちはは。」須是つよし明智あけちいさむじん意表いひょうきみぽうのうりつ天下でんかことまた如今しょみちへい將官しょうかんゆうそうかんみちぶんみち鈐、かんかん押、せいしょう副將ふくしょう曾管一事いちじひさしぐんすんで無用むようまたやしなえきんぐんきんぐんまたぶん揀中、揀中りょうとうしかまた無用むようまたべつやしなえ大軍たいぐんこん大軍たいぐんまたやや如廂、きんぐん矣!此是耗嗫多少たしょう!「つう其變,使つかいみん倦」,こんへん而不どおりみんみな倦了,鼓舞こぶ不動ふどうくにはつえんはん鎮彊,おさむ其兵けんおけどおり判官ほうがんやめ前日ぜんじつぼうへい,卻依きゅうもり此法,いい不知ふちへん也。ただどおりばんようなんよう?繆者事事ことごとかんただにんしゅうためつよししゃまた必妄さく以撓ぐんせいなんえき哉!必大

18 ろんかん:
はたおけもりじょうかんかんゆうぐんもり刺史しし如今かんせんぬし按察。いたりかんまつれい刺史ししてのひらへいとげおかせこおり守之もりゆきけん兼治けんじ民事みんじ,而刺これけんどくじゅう後來こうらいあるおけあるかんゆうじゅうしゅうひゃくさんぐんこおりゆう太守たいしゅしゅう有刺ゆうし歷代れきだい添置しゅうめいいよいよ而郡いよいよすくなまた其後也,とげぐん而為しゅう刺史しし兼治けんじ軍民ぐんみん而守はいいたりずいまたおけぐんもりこうまたはいもりおけ刺史しし,而刺とげため太守たいしゅしょくぼう嘗說,不用ふよう許多きょたかんまいみちただおけいちにんふく刺史しししょくせい其名曰按察使,れい舉刺しゅうけん官吏かんり。其下卻置判官ほうがんすういん以佐,如轉うん判官ほうがんけいごく判官ほうがんのう判官ほうがんこれるいのうせんぬしこんてんうんせんぬしざいけいごくせんぬし盜賊とうぞく,而刺そうこれややおもしょ判官ほうがんこれけんじょどおりばん,而刺太守たいしゅ判官ほうがん有事ゆうじよく奏聞そうもんのり刺史しし為之ためゆきはつそう刺史しし肯發,のりもと判官ほうがんみちさるだい尚書しょうしょしょう,以分刺史ししこれけんぶた刺史ししけんどくせんのりまた不便ふべんわか其人昏濁,のりがい貽一百姓ひゃくしょうしょまた須略じゅう判官ほうがんこれけんしょ判官ほうがん卻置すういん屬官ぞっかん,如職まくかんこれるい。如此,のりじゅうけん歸一きいつ太守たいしゅ自治じちしゅうごと,而刺そく舉刺一路いちろあに簡徑しょうごと,而無はん擾耗嗫之へい矣。」とい:「いま主管しゅかん資格しかくまたどおりばん?」曰:「しかただしけんかる不能ふのうゆう所為しょいただたてまつうけたまわうん使而已。わかぶんため判官ほうがん,俾得せんたちのり其權じゅう,而監また敢妄さく矣。」

19 ろんかん:
姚崇十道使之說甚善。范富てんあきらしょじょうまたただせついたかん而已。こんしょみちかん猥眾,恰如一般いっぱんわかごとただ擇一たくいつけんかん,其餘悉可しょうやめ

20 ろんかん:
かんまいみちただ須留いちにん。揀其風力ふうりょくしゃ,且與一郡而擇去之。必大

21 ろんかん:
銓擇ほうただこうきょうかんづけかんせんじんづけこおりまもるかくれいずいざいなずらえしょくしゅうさるかんかんさる吏部,ちょうしん察聞そうしも授其しょく。卻令宰相さいしょうかん,吏部ぐんもり。如此,のり朝廷ちょうていまた無事ぶじまたなに患其とくじん道夫みちお

22 ろんかん:
朝廷ちょうていただとうかん太守たいしゅ自餘じよしょくまくけんかんようかく辟所ぽうせめなり天下てんか須是ひらき做,使つかい恢恢有餘ゆうよ乃可。ひろし

23 ろんかん:
いんろんこも舉之へい,曰:「またなんかわただこれしょみちかん,并得いちこう吏部尚書しょうしょ,揀薦とく人材じんざいしゃ退去たいきょ便びん須得じんこん胡亂うろんこもらいただし不犯ふぼん贓罪便びんとくわかはんりょう贓,くだりょうかんやすえびすこも!」

24 ろんかん:
かんこもじんはん贓犯ざい,須與鐫さん正郎まさおのりくだためいんろういんろうそくくだためうけたまわろう以下いかわかやめため侍從じじゅうある職名しょくめい鐫,のり鐫其俸,ある一切不與奏薦。如此,のりかたはじめとく它痛,恁地也須怕。こんそん一毫いちごう道夫みちお

25 ろんかん:
只管ひたすらせつかん冗,なに於任じょうさらげんこん員外いんがい所得しょとくおんすうてんいたり正郎まさお正郎まさおおんすう,迤邐てんじょう合奏がっそうきょうかんしゃ,且與せんじんまたなにがい肯索せい理會りかいいちばんただこれおそれじん怨謗。祖宗そそうまたいくしょうそぎりょうひさ而自じょうなんそく恤耶!ひろし

26 ろんかん:
兵制へいせい官制かんせい田制たせい便びんこうとくさんだい西にしかん分明ぶんめいしかあずか今日きょうことぜい名實めいじつみなようとく。如官せいわか且就今日きょうかんやめ其冗いんそん其當そんしゃまたぜん必大

27 ろんかん:
ぼう嘗謂,宰相さいしょうしゅん禹伊しゅう差遣さけんした此,また須房もり姚宋ぽうのう處置しょちとく天下でんかごととう此任しゃかい不能ふのうとう天下てんかこととく他人たにんひんただ如此,力量りきりょうゆうしょ不足ふそく如何いかつよ

28 ろんかん:
きゃく有為ゆういかたはじめじょうげん淮甸備甚。先生せんせい曰:「大臣だいじんおもんばか四方しほうわかきょ宰相さいしょう,也須おもんばかしゅう四方しほうはじめとく。如今宰相さいしょう思量しりょうとくいちへん便びん全然ぜんぜん掉卻いちへん。如人ため一家いっかこれちょう,一家上下也須常常都計掛在自家心下,はじめとく。」まご

29 ろんかん:
今日きょうげんごとかんよくろん一事いちじいちにんみなさきさがせ上意じょうい如何いかほうすすむ文字もじ

30 ろんかん:
先生せんせい閱報じょう見臺けんだい中有ちゅううろんれつあきら疏,歎曰:「『じん須射とりこぞく須擒おう』,如何いか卻倒りょう!」道夫みちお

31 ろんかん:
古人こじんうんひだり史書ししょごとみぎ史書ししょどうこん也恁ぶんただごうあい而記。」ちょくきょう曰:「ところ可分かぶんしゃこと而已。」曰:「也分とくところげんそこ便びんぎょう此事らい。」道夫みちお

32 ろんかん:
國子くにこつかさぎょうがくかんなおため天下てんか人材じんざいしょ聚,庶幾しょき有可ゆかこうがく成就じょうじゅしゃしか今日きょう為之ためゆき明日あした便びんとう改作かいさく使つかい士人しじん毋以利為としなりこころ若君わかぎみ尊德そんとくらくどうまこと,必不能ふのうようほう

33 ろんかん:
いよいよだいのりいよいよむずかしためかん如做ぐん,做郡如做けんぶた這裏ゆう仁愛じんあいしん便びんへだたいちじゅうよう做件ごと不為ふため做,便びん無緣むえんとく及民。あつし

34 ろんかん:
ぼう嘗謂,こん做監如做しゅうぐん;做州ぐん如做いち邑;ごとからだ卻由自家じかかん雖大於州,しゅう雖大於邑,しか下面かめん做翻りょう上面うわつら如何いか整頓せいとん道夫みちお

35 ろんかん:
ためもりれいだいいち民事みんじ為重ためしげ,其次そく便びん軍政ぐんせいこんひと理會りかい道夫みちお

36 ろんかん:
俞亨むねうん:「ぼう做知けんただ做得ふん。」曰:「なにれんふん做了?」自修じしゅう

37 ろんかん:
じょうりょう許子もとこれいさくけんほう:「ひらくおさむじんひのと,推割さんぜいほう

38 ろんかん:
ひらき落丁らくちょうこう,推割さんぜに」,けんはちほう牒無情理じょうりしゃ必判。さきげんしょしき及勒きょう罪狀ざいじょうとくつげ訐之るい葉子ようこのぼる催稅,ただやく民間みんかん逐限おさめぜにうえしゅうけんとめぜに德明のりあき

39 ろんかん:
ゆういち朋友ほうゆうさくおさむつうかん司書ししょさきせつ無限むげん道理どうりちんこう亮作りょうさくそちいい曰:「わか要理ようりかいしょくごと,且不須此迂闊うかつ。」ぼう以為名言めいげん人傑じんけつ

40 ろんかん:
ぜんやから說話せつわほうぼう嘗見こううん:「さくけん敢作しゅんかりいちにちかりのりせきいちにちごと到底とうてい自家用じかよう做,てん添得繁劇はんげきのりあらりつ子細しさいあにがいごと!」道夫みちお

41 ろんかん:
いいおもええい曰:「衡陽訟牒如何いか?」おもええい曰:「無根むこん訟甚。」先生せんせい曰:「あずかとぎきゅう道理どうり分別ふんべつ是非ぜひ曲直きょくちょく自然しぜん訟少。わかいや其多,あずか分別ふんべついよいよ見事みごと。」ぶたきょう

42 ろんかん:
といとくいき:「婺源ひでり如何いか?」滕答云云うんぬん先生せんせい曰:「さいゆういちけんごと今日きょうだいへいひでりそくさるけんあらそくうんじゅく火燒ひたき民家みんかそく減數げんすうそういたしょ如此!」がく

43 ろんかん:
ぼう人為じんい太守たいしゅとうきゃくぶん先見せんけん過客かかくぽうせっどうかん及寄きょまろうどひととい其故。曰:「どう官有かんゆう稟議りんぎまち商量しょうりょう區處くしょ,頗費時節じせつ過客かかくりゃく即行そっこうわかとまぎしざいおそれさまたげくだりしょく。」此事ほうまご

44 ろんかん:
朝廷ちょうていしつらえ教官きょうかんいちけんだい後生ごしょうため教官きょうかん便びん做大りょうただれきいちりょうにん教官きょうかん便びんりょう世事せじ。須是かかわかぶといたじゅうぽう為之ためゆきしかまた須四じゅうあつし

45 ろんかん:
りつおも簿かん押一けん簿,凡事つきあずかこれろくことろくいちぐんごと太守たいしゅ有事ゆうじもとろく奏聞そうもんいいろくしゃ,以官ややだい,如今けんこれるいあげ

46 ろんかん:
かん大小だいしょう,凡事ただいち箇公。わかおおやけ,做得らい也精さい便びんわか小官しょうかんにん也望ふう畏服いふくわかおおやけ便びん宰相さいしょう,做來做去,也只とく箇沒こずえあずかだて

47 ろんかん:
いまつかまつ不能ふのうつきこころつきしょくしゃさき其事而後其食」そこしんはしこうむ

48 ろんかん:
嘗歎しゅうけんかん碌碌ろくろくみんしょ告訴こくそけん民情みんじょうなん耳目じもくなんとく其人,らい如何いか明察めいさつまたゆう不知ふちしゃ。以此かんわか分明ぶんめい決斷けつだんあに使つかいゆう毫髮不盡ふじんまた歎云:「民情みんじょうなん如此,ただこれはた甚麼いんも人為じんい耳目じもくよせ!」まご

49 ろんかん:
如看道理どうりべん是非ぜひまた須是こういちちょぽう判決はんけつとく別人べつじん說話せつわ。如堂上之うえのじんぽうのうどう下之したのじんわかざい堂下どうした如何いか子細しさいまた如今兩人りょうにん冢炒,自家じかよう決斷けつだん,須是自家じかだかほかわかあずか相似そうじ,也斷きょうまた如他。雖不あずかじゅく,嘗於其見先人せんじん望見ぼうけんさき人稱にんしょう其人ゆう才略さいりゃくよしうん:「こん做官じんいく箇箇ここ闒冗じんようだてさく向上こうじょう箇不せつみちさきちょ馭吏?しょうあいだゆう拱手こうしゅ聽命於吏しゃ,這只自家じか道理どうりことらい區處くしょした。吏人ろうとく慣熟かんじゅく,卻見とくだか於他,ただとく委任いにん。」またうん:「如圍棋一般いっぱん兩人りょうにんはつちょ不要ふようしょうだれ去就きょしゅう死地しち做活けい?這只こう柰何。」まご

50 ろんかん:
えびす致堂ごと:「吏人,不可ふか使わがゆう恤他。」此說ごくこのみまた曰:「此已恤他不可ふか恤。しょうしょ恤,だいしょ不可ふか恤。」また曰:「さんじゅうぜにそこ恤,わか有人ゆうじんらい理會りかいまた須治。」ふし

51 ろんかん:
ぼうあずか諸公しょこうせつしもこずえつかまつ宦,不可ふか不知ふち。須是ゆうつくりどおりれき逐日ちくじつ公事こうじひらきこう逐一ちくいちりょうそく勾之。未了みりょう,須理かいきょうりょうほうはいごとまご

52 ろんかん:
とうかん文書ぶんしょ簿れき,須逐ゆい押,不可ふか拖下。

53 ろんかん:
ぜんやからけんけんみなゆうしょとうかんしゃ不可ふか不知ふちごく多樣たよう

54 ろんかん:
いんみんけい較,沮撓しゃくらくらかん,而知けん恤,曰:「此事從來じゅうらい官吏かんり這些まい不歸ふき官吏かんり所以ゆえんみなよく沮壞其事。いまわかそんかんくらすうねんあいだだて便びんはい壞。雖じゅう來年らいねんこう,俱為無益むえき。」まご

55 ろんかん:
ひときょかんようおうふく親戚しんせき非理ひり做事。ただせつどう囑託しょくたく所得しょとく貨賄,親戚しんせき受之。這是甚麼いんもそこごと,敢胡亂うろん做!」いんせつ:「こう為本ためもとけんたかしあんおさむ上世じょうせいあずかこれゆうちぎりざい邑恣ぎょうしょいたりゆう訴於くれ,其罪甚眾。ただいい上世じょうせいゆうおん於我,わが今居いまいかんおわりなり以法しょうなわとげひろししゃく訟者これ。斯人えき肆其暴虐ぼうぎゃく,邑民皆無かいむしょ告訴こくそらいかたとう上世じょうせいおんわか以私おんいちこうはいほうまた如何いかとうかんかんたけみかど以隆おもんばか公主こうしゅ而赦其子。昭平しょうへいくん雖其はつ以金ぜに贖其死罪しざい竟付ほううん:『法令ほうれいしゃ先帝せんていこれしょづくり也。柰何以弟はい先帝せんていほうわれなん面目めんぼくいれだかびょう乎!』東方とうほうついたち上壽じょうじゅ曰:『しん聞聖ぬし為政いせいしょう避仇讎,誅不骨肉こつにくしょ曰:「不偏不黨ふへんふとう王道おうどう蕩蕩とうとう。」此二帝三王之所重也。陛下へいかぎょう天下てんか幸甚こうじん!』おっとてん討有ざい』,大小だいしょう大事だいじあに以私はい?」ちょくきょううん:「わかけんまちたかしあんおさむ,雖當いちづけほうかえまたゆうしょう委曲いきょく?」曰:「如恩きゅうざいぞくよくいち寘于ほうまた須令ひろ可也かなり。」まご

56 ろんかん:
ためぜいかんわか父兄ふけい宗族そうぞくふねせんただとく白州はくしゅう,請別かんけんぜいあにちょく拔放所以ゆえん祖宗そそう立法りっぽうもとしょう迴避。また曰:「臨事須是ぶん毫莫。如某とうかんあるゆういち相識そうしき親戚しんせきるい,如此えつよう分明ぶんめい肯放。」道夫みちお

57 ろんかん:
あるよくかみつなあつしょうしゃ。曰:「たとえ如一ばんちん饌,にんざいすわわがあい喫,四人亦都愛喫。わがしんしゅ拏,四人亦伸手去拏,未必みひつはてだれとくのう恁地思量しりょう便びんいにしえしゃ權謀けんぼう,雖千まんにんしょ欲得よくとくそこ也有やゆうけいじゅつ必得。」あつし

58 ろんかん:
いたゆたかりょうかい,以所聞岳こうたいだかびょう天下てんか太平たいへいとえうん:「ぶんしんあいぜに武臣ぶしん惜命,天下てんかとう太平たいへい」,つげ先生せんせいまえただわらいうん:「後來こうらい武官ぶかん也愛ぜに!」ひゃくいちじゅうさん

URN: ctp:zhuzi-yulei/114