源頼朝は建久元年(1190年)、権大納言と右近衛大将(右大将)[注釈 2]に任じられた。そのため、政庁(居館)が「幕府」と呼ばれた。その後、建久3年(1192年)に征夷大将軍に任ぜられるが、居館は引き続き「幕府」と呼ばれ、以後、「幕府」は武家政権の首長およびその居館の呼称として用いられた。ただし、鎌倉時代末には、現代において「鎌倉幕府」と呼ばれている政体を「東関柳営」もしくは「東関幕府」と呼んだという同時代史料が存在している[2]。
南北朝時代には、鎌倉公方(関東公方)の政体を「関東幕府」と呼んだ事例が存在するが、京都と対立する関東の政権にしか用いられておらず、京都の公方(=「室町幕府」)はこのように幕府という用語では呼ばれていない[2]。
「幕府」という言葉が将軍個人や空間的な将軍の居館・政庁から離れ、今日のように観念的な武家政権を指すものとして用いられるようになるのは、藩と同じく江戸時代中期以降のことで、朱子学の普及に伴い、中国の戦国時代を研究する儒学者によって唱えられた。「鎌倉幕府」や「室町幕府」という言葉はこの時代以降に考案されたものである。それ以前には「関東」「武家」「公方」などと呼ばれており、それぞれの初代将軍が「幕府を開く」という宣言を出したことも、朝廷が幕府を開くようにと命じる詔勅もない。
このため、幕府の成立年と征夷大将軍の宣下とは必ずしも一致しない。教科書等では従来、源頼朝が征夷大将軍の宣下を受けた1192年が鎌倉幕府創設の年とされてきたが、現在は7年前に守護・地頭職の設置・任免の許可を受けた1185年が記載されている。ただし、更に遡って9年前に東国支配権の承認を得た1183年説も有力である。室町幕府の実質的な成立は、足利尊氏が権大納言に任ぜられた1336年とされるが、征夷大将軍に任ぜられたのは1338年である。江戸幕府については、一般的に徳川家康が将軍宣下を受けた1603年の成立とされている。
一方で王政復古の大号令では「摂関幕府等廃絶」と明記されており、江戸幕府の終焉については明確に記されている。
近年、歴史学者の中から、鎌倉・室町・江戸幕府以外の武家政権について、新たに「幕府」との呼称を提唱する例が出ている。
- 六波羅幕府
- 平清盛による権力を最初の武家政権ととらえる。鎌倉幕府の本質を大番役勤仕とした上で、平氏政権の大番役開始をもって「幕府」の開始とする。高橋昌明が提唱[3]。
- 福原幕府
- 平家による武家政権が確立した時期を、六波羅に本拠を置いた時代ではなく福原遷都以降であるととらえる。本郷和人が提唱[4]。
- 奥州幕府
- 藤原秀衡が構想した政権を幕府と表現する。入間田宣夫が提唱[5]。
- 堺幕府
- 室町幕府第12代将軍足利義晴とならんで、堺を本拠地に「堺公方」と呼ばれた足利義維をいただく勢力を「堺幕府」と呼ぶ仮説。今谷明が提唱[6]。
- 鞆幕府
- 室町幕府第15代将軍足利義昭が京都から追放された後、備後国鞆における亡命政権を独自の幕府ととらえる。藤田達生が提唱[7]
- 安土幕府
- 織田信長の政権を幕府とする。藤田達生が提唱[8]。
一方で、東島誠は「新奇な幕府呼称」について批判的な見解を示しており、「堺幕府」や「鞆幕府」など将軍の居所にのみ依拠した幕府名称には意味がないと断じた上で、「「〇〇幕府」は、東国国家論、二つの王権論、いくつもの幕府論等、列島の中心の多点化を問う議論に限定して用いるべきだ」と提言している[2]。
なお、河内春人は5世紀前半の倭の五王に関し、中国宋朝廷から安東将軍に任命された倭王讃の政権は「天皇が任命した征夷大将軍の幕府」と「構造的には同じ」だと説明している[9]。
- ^ 前漢の将軍、周亜夫が匈奴征伐のために「細柳」という地に布陣し、軍規を厳しく威令を整え、文帝の行列すらも陣中の作法を守らせるために下馬させ、かえって文帝の賞賛を受けたという『漢書』周勃伝の故事より
- ^ それぞれ「うこんえのだいしょう」「うだいしょう」と読む
- ^ 『日本大百科全書』(小学館)、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』(ブリタニカジャパン)、『山川日本史小辞典(改訂新版)』(山川書店)など
- ^ a b c 東島誠『「幕府」論のための基礎概念序説』
- ^ 高橋昌明『平家と六波羅幕府』(東京大学出版会、2013年)
- ^ 本郷和人『謎とき平清盛』(文春新書、2011年)
- ^ 入間田宣夫「藤原秀衡の奥州幕府構想」(上横手雅敬編著『源義経流浪の勇者―京都・鎌倉・平泉』(文英堂、2004年)、入間田宣夫『藤原秀衡―義経を大将軍として国務せしむべし』(ミネルヴァ書房、2016年)
- ^ 今谷明『室町幕府解体過程の研究』(岩波書店、1985年)、今谷明『戦国三好一族』(新人物往来社、1985年)、今谷明『戦国期の室町幕府』(講談社学術文庫、2006年)
- ^ 藤田達生「京都復帰を画策する足利義昭と「鞆幕府」」(『歴史読本』2011年7月号)
- ^ 藤田達生『信長革命―「安土幕府」の衝撃』(角川選書、2010年)
- ^ 河内春人『倭の五王』(中公新書、2018年)pp64-65