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{{出典の明記|date=2018年3月}} |
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{{戦車| |
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{{戦車 |
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| 名称=SU-76i |
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|名称=SU-76i |
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| 画像=[[Image:Su-76i.jpg|300px]] |
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|画像=[[File:SU-76i in the Great Patriotic War Museum 5-jun-2014.jpg|300px]] |
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| 説明=ドイツ軍により奪回後、再び撃破されたSU-76i |
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| 全長= |
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|説明= |
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| 車体長=5.38m |
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|全長=6.3 m |
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| 全幅=2.95 m |
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|車体長=5.38 m |
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| 全高=2.375 m |
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|全幅=2.91 m |
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|全高=2.38 m |
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| 重量=22.5 [[トン|t]] |
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|重量=22.5 [[トン|t]]<ref name=autogenerated1 /> |
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| 懸架方式=トーションバー方式 |
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|懸架方式=[[トーションバー・スプリング|トーションバー方式]] |
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| 速度=40 [[キロメートル毎時|km/h]] |
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|速度=50 [[キロメートル毎時|km/h]] |
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| 不整地時速度= |
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|整地時速度= |
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| 行動距離=155 ~180[[キロメートル|km]] |
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|行動距離=180[[キロメートル|km]] |
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| 主砲=76.2 mm S-1 |
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|主砲=[[F-34 76mm戦車砲|76.2mm S-1戦車砲]]<ref name=autogenerated1 /> |
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| 副武装= |
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|副武装= |
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| 装甲=戦闘室前面上部35 [[ミリメートル|mm]]<br>戦闘室側面上部25mm<br>戦闘室上面15mm<br>戦闘室下部及び車体下部装甲<br>は元になったIII号戦車各型に<br>順ずる |
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|装甲=戦闘室前面上部:35 [[ミリメートル|mm]]<br />戦闘室側面上部:25 mm<br />戦闘室上面:15 mm<br /><small>戦闘室下部および車体下部装甲は元になった[[III号戦車]]各型に準ずる</small> |
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| エンジン名=マイバッハHL120TRM <br/>4ストロークV型12気筒<br/>水冷ガソリン |
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|エンジン名=マイバッハHL120TRM 4ストローク[[V型12気筒]][[水冷エンジン|水冷]][[ガソリンエンジン|ガソリン]] |
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| 出力=300 [[馬力|HP]] |
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|出力=300 [[馬力|HP]] |
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| 乗員=4 名 |
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|乗員=4 名 |
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|備考= |
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'''SU-76i'''は、第二次大戦中のソ連の[[突撃砲]]型の[[自走砲]]。ドイツ軍から捕獲した[[III号戦車]]または[[III号突撃砲]]をベースに改造された。第37工場(第38工場説もあり)で、1943年4月~11月の間に改造・生産され、200輌前後が完成した。 |
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'''SU-76i'''([[ロシア語]]:{{lang|ru|СУ-76И}})<ref name=autogenerated1>Используя трофейную технику // журнал "[[テクニカ・モロデジ|Техника молодёжи]]", № 9, 1984. стр.57</ref> は、[[第二次世界大戦]]中の[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[自走砲]]。[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]から[[鹵獲]]した[[III号戦車]]をベースに、[[1943年]]4月-11月の間に改造・生産された。第37工場(第38工場説もあり)で200輌前後が完成した。 |
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== 概要 == |
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== 概要 == |
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1942年の初め、前年のドイツとの戦いで大きな損害を出したソ連軍は、モスクワ前面で捕獲したドイツ戦車を修理、自軍の戦力に組み入れる試みを始めた。 |
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[[1942年]]の初め、前年の[[ドイツ]]との戦いで大きな損害を出した[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]は、[[モスクワ]]前面で[[鹵獲]]したドイツ[[戦車]]を修理、自軍の戦力に組み入れる試みを始めた。当初は、鹵獲した[[III号突撃砲]]の[[武装]]を[[T-34]]の1940年型の物に替えたり、またはそのまま使っていたが、これらは臨時の改造であり、本格的なものではなかった。 |
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当初は捕獲したIII号突撃砲の武装を[[T-34]]の1940年型の物に替えたり、またはそのまま使っていたが、これらは臨時の改造であり、本格的なものではなかった。 |
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1943 年初め、 本格的な 新型軽自走砲である[[SU-76 ( 自走砲)|SU-76]]が 生産に 入った。しかしこの 初期の 型は、 左右の 履帯を 別々のエンジンと 操行装置で 動かす 機構であり、 同期が 上手くいかずトラブルが 続発していた。これは 後にSU-76Mとして 改良されることとなるが、それまでの 繋ぎとなるものとして、スターリングラード 方面などで300 輌以上を 捕獲したIII 号戦車系をベースに 自走砲に 改造することとなった。 |
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[[1943 年]]初め、 本格的な 新型[[自走砲|軽自走砲]]である[[SU-76 ( 自走砲)|SU-76]]が 生産に 入った。しかし 、この 初期の 型は、 左右の [[無限軌道|履帯]]を 別々の [[エンジン ]]と 操行装置で 動かす 機構であり、 同期が 上手くいかずトラブルが 続発していた。これは 、後にSU-76Mとして 改良されることとなるが、それまでの 繋ぎとなるものとして、 [[ヴォルゴグラード|スターリングラード ]]方面などで300 輌以上を 鹵獲した [[III 号戦車]]系をベースに 自走砲に 改造することとなった。 |
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これ以前に、122mm榴弾砲M-30を搭載した'''SG-122(A)'''が開発され、試作車での重量過大などの不具合を改良したものを、1942年9月に第592工場で10輌生産することが命じられていた。後に同じ戦闘室に76.2mm戦車砲F-34を自走砲用にしたS-1を搭載するタイプが第37工場で生産されることとなり、'''SU-76(S-1)'''または'''SU-76i'''(iはinostrannayaの頭文字で外国製を意味する)と命名された。これらは砲塔と車体上面(突撃砲ベースの場合、戦闘室上半分)の装甲を撤去、その上にピラミッド状に傾斜した新設計の密閉式固定戦闘室を備えたものであった。しかし実戦部隊ではボルトで固定された上面装甲を取り外し、オープントップの状態で運用した例もあったという。戦闘室は四面にピストルポートが設けられ、車内からピストルやサブマシンガンを発砲することができるようになっていた。またクルスクの戦いの後、主砲の駐退器カバーの周りに防盾が追加され、車体後部に着脱式の円筒形外部燃料タンクが二つ追加された。他、III号戦車用のキューポラを備え、そのために戦闘室側面に張り出しを付けた指揮車輌が20輌作られている。後に、同じ車体に85mm砲を搭載するSU-85iも計画されたが、[[KV-85]]や[[SU-85 (自走砲)|SU-85]]への供給で手一杯であり、中止された。 |
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これ以前に、III号突撃砲を改造し[[M-30 122mm榴弾砲|122mm榴弾砲M-30]]を搭載した'''SG-122(A)'''が開発され、試作車での重量過大などの不具合を改良したものを、1942年9月に第592工場で10輌を生産することが命じられていた。後にIII号戦車を改造し、SG-122(A)に類似した戦闘室に、[[F-34 76mm戦車砲|76.2mm戦車砲F-34]]を自走砲用にしたS-1を搭載するタイプが第37工場で生産されることとなり、'''SU-76(S-1)'''または'''SU-76i'''(iは"inostrannaya"の頭文字で、外国製を意味する)と命名された。 |
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1943 年4 月、 最初の 生産車5 輌がスベルドルブスクの 自走砲連隊訓練所に 送られ、 更に20 輌が 加えられ、 翌月には 早くも 実戦に 投入された。その 後クルスクの 戦いにも 第13 軍所属の16 輌が 投入され、 半数(うち3 輌炎上で 全損)を 失っている。そして16 輌のSU-76iと 指揮用の 捕獲III 号戦車1 輌(または 指揮車型を 含むSU-76iが15 輌)による 自走砲連隊が 複数編成され、 同年秋のウクライナでの 戦いから 本格的に 投入され た。本車の生産は11月で終了したが、即席の車輌ながら本命であるSU-76Mよりも防御力や居住性に優れ、乗員からの評判は良かった。ただし(元になったIII号戦車が車体下部側面ハッチの廃止された型であった場合)乗降用ハッチが一つしか無かったため、撃破された時の全員の素早い脱出は困難であった。 |
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これらは、[[砲塔]]と車体上面の[[装甲]]を撤去、その上に[[ピラミッド]]状に傾斜した新設計の密閉式固定戦闘室を備えたものであった。しかし、実戦[[部隊]]では[[ボルト (部品)|ボルト]]で固定された上面装甲を取り外し、オープントップの状態で運用した例もあったという。 |
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これらの 車輌は 終戦まで 戦い 続けたが、その 後退役させられた。 戦後も1 輌がクビンカ 基地で 稼動していたが、1968 年に 廃棄された。 現在でも、 川から 引き 上げられた1 輌がウクライナで 記念碑として 展示され、 別の1 輌がモスクワの 博物館に 現存している。 |
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戦闘室は、四面に[[銃眼|ピストルポート]]が設けられ、車内から[[拳銃|ピストル]]や[[短機関銃|サブマシンガン]]を発砲することができるようになっていた。また、[[クルスクの戦い]]の後、[[主砲]]の駐退器カバーの周りに防盾が追加され、車体後部に着脱式の円筒形外部[[燃料]][[タンク]]が二つ追加された。他、III号戦車用の[[キューポラ]]を備え、そのために戦闘室側面に張り出しを設けた指揮車両が20輌作られている。 |
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後に、同じ車体に85mm砲を搭載するSU-85iも計画されたが、[[KV-85]]や[[SU-85 (自走砲)|SU-85]]への供給で手一杯であり、中止された。 |
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1943 年4 月、 最初の 生産車5 輌がスベルドルブスクの 自走砲[[連隊]]訓練所に 送られ、 更に20 輌が 加えられ、 翌月には 早くも 実戦に 投入された。その 後クルスクの 戦いにも 第13 軍所属の16 輌が 投入され、 半数(うち3 輌炎上で 全損)を 失っている。そして 、16 輌のSU-76iと 指揮用の 鹵獲III 号戦車1 輌(または 指揮車型を 含むSU-76iが15 輌)による 自走砲連隊が 複数編成され、 同年秋の [[ウクライナ ]]での 戦いから 本格的に 投入された。 |
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本車の生産は11月で終了したが、即席の車輌ながら本命であるSU-76Mよりも防御力や居住性に優れ、乗員からの評判は良かった。ただし、元になったIII号戦車が車体下部側面ハッチの廃止された型であった場合は乗降用ハッチが一つしか無かったため、[[撃破]]された時の全員の素早い脱出は困難であった。 |
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これらの 車輌は 終戦まで 戦い 続けたが、その 後退役させられた。 戦後も1 輌がクビンカ 基地で 稼動していたが、 [[1968 年]]に 廃棄された。 現在でも、 川から 引き 上げられた1 輌がウクライナ のリウネ州サルヌイ地区で 記念碑として 展示され、 別の1 輌が [[モスクワ ]]の {{仮リンク|大祖国戦争中央博物館|en|Museum of the Great Patriotic War, Moscow}}に 現存している <ref>前者は車体下部両側面に脱出ハッチを持つが、後者には無い。</ref>。 |
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File:SU76i Moscow, Poklonnaya Hill 2.JPG|側面部 |
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File:SU76i Moscow, Poklonnaya Hill 1.JPG|[[大祖国戦争中央博物館]]の説明板 |
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== 登場作品 == |
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{{Main|III号戦車に関連する作品の一覧}} |
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== 脚注 == |
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== 関連項目 == |
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== 関連項目 == |
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* [[突撃砲]] |
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* [[突撃砲]] |
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* [[駆逐戦車]] |
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* [[駆逐戦車]] |
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* [[自走砲]] |
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* [[自走砲]] |
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* [[自走砲一覧]] |
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* [[自走砲一覧]] |
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* [[SU-76 (自走砲)|SU-76]] |
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* [[III号戦車]] |
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{{第二次世界大戦のソ連の装甲戦闘車両}} |
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{{第二次世界大戦のソ連の装甲戦闘車両}} |
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{{デフォルトソート:SU-076i}} |
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{{weapon-stub}} |
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[[Category:自走砲|SU-76i]] |
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[[Category:ソビエト連邦の対戦車自走砲]] |
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[[Category:III号戦車]] |
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "SU-76i" 自走砲 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年3月) |
SU-76i(ロシア語:СУ-76И)[1] は、第二次世界大戦中のソ連の自走砲。ドイツ軍から鹵獲したIII号戦車をベースに、1943年4月-11月の間に改造・生産された。第37工場(第38工場説もあり)で200輌前後が完成した。
1942年の初め、前年のドイツとの戦いで大きな損害を出したソ連軍は、モスクワ前面で鹵獲したドイツ戦車を修理、自軍の戦力に組み入れる試みを始めた。当初は、鹵獲したIII号突撃砲の武装をT-34の1940年型の物に替えたり、またはそのまま使っていたが、これらは臨時の改造であり、本格的なものではなかった。
1943年初め、本格的な新型軽自走砲であるSU-76が生産に入った。しかし、この初期の型は、左右の履帯を別々のエンジンと操行装置で動かす機構であり、同期が上手くいかずトラブルが続発していた。これは、後にSU-76Mとして改良されることとなるが、それまでの繋ぎとなるものとして、スターリングラード方面などで300輌以上を鹵獲したIII号戦車系をベースに自走砲に改造することとなった。
これ以前に、III号突撃砲を改造し122mm榴弾砲M-30を搭載したSG-122(A)が開発され、試作車での重量過大などの不具合を改良したものを、1942年9月に第592工場で10輌を生産することが命じられていた。後にIII号戦車を改造し、SG-122(A)に類似した戦闘室に、76.2mm戦車砲F-34を自走砲用にしたS-1を搭載するタイプが第37工場で生産されることとなり、SU-76(S-1)またはSU-76i(iは"inostrannaya"の頭文字で、外国製を意味する)と命名された。
これらは、砲塔と車体上面の装甲を撤去、その上にピラミッド状に傾斜した新設計の密閉式固定戦闘室を備えたものであった。しかし、実戦部隊ではボルトで固定された上面装甲を取り外し、オープントップの状態で運用した例もあったという。
戦闘室は、四面にピストルポートが設けられ、車内からピストルやサブマシンガンを発砲することができるようになっていた。また、クルスクの戦いの後、主砲の駐退器カバーの周りに防盾が追加され、車体後部に着脱式の円筒形外部燃料タンクが二つ追加された。他、III号戦車用のキューポラを備え、そのために戦闘室側面に張り出しを設けた指揮車両が20輌作られている。
後に、同じ車体に85mm砲を搭載するSU-85iも計画されたが、KV-85やSU-85への供給で手一杯であり、中止された。
1943年4月、最初の生産車5輌がスベルドルブスクの自走砲連隊訓練所に送られ、更に20輌が加えられ、翌月には早くも実戦に投入された。その後クルスクの戦いにも第13軍所属の16輌が投入され、半数(うち3輌炎上で全損)を失っている。そして、16輌のSU-76iと指揮用の鹵獲III号戦車1輌(または指揮車型を含むSU-76iが15輌)による自走砲連隊が複数編成され、同年秋のウクライナでの戦いから本格的に投入された。
本車の生産は11月で終了したが、即席の車輌ながら本命であるSU-76Mよりも防御力や居住性に優れ、乗員からの評判は良かった。ただし、元になったIII号戦車が車体下部側面ハッチの廃止された型であった場合は乗降用ハッチが一つしか無かったため、撃破された時の全員の素早い脱出は困難であった。
これらの車輌は終戦まで戦い続けたが、その後退役させられた。戦後も1輌がクビンカ基地で稼動していたが、1968年に廃棄された。現在でも、川から引き上げられた1輌がウクライナのリウネ州サルヌイ地区で記念碑として展示され、別の1輌がモスクワの大祖国戦争中央博物館(英語版)に現存している[2]。
登場作品[編集]
- ^ a b c Используя трофейную технику // журнал "Техника молодёжи", № 9, 1984. стр.57
- ^ 前者は車体下部両側面に脱出ハッチを持つが、後者には無い。