出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
|
|
(4人の利用者による、間の5版が非表示) |
4行目: |
4行目: |
|
|
|
|
|
== 概要 == |
|
== 概要 == |
|
[[相模国]][[鎌倉郡]](今の[[神奈川県]][[横浜市]][[戸塚区]])にあった。[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]から旅程がちょうど一泊目にあたり、[[旅籠]]数が五十三次中、[[小田原宿]]に次ぐ規模であった。当初、保土ヶ谷宿の次は藤沢宿であったが、上記の理由から戸塚にも宿屋が増え、客を奪われることを恐れた藤沢宿の猛反対を押し切り、幕府公認となった。 |
|
[[相模国]][[鎌倉郡]](今の[[神奈川県]][[横浜市]][[戸塚区]])にあった。[[日本橋 (東京都中央区の橋)|日本橋]]から旅程がちょうど一泊目にあたり、[[旅籠]]数が五十三次中、[[小田原宿]]に次ぐ規模であった。当初、[[保土ヶ谷宿]]の次は[[藤沢宿]]であったが、上記の理由から戸塚にも宿屋が増え、客を奪われることを恐れた藤沢宿の猛反対を押し切り、幕府公認となった。 |
|
|
|
|
|
吉田町、[[戸塚町 (横浜市)|戸塚町]]、矢部町の三町からなる。見附は、現在の吉田町イオン前と戸塚町大坂下(バス停前)にあり、[[品濃町]]と原宿町に[[一里塚]]が残る。[[大山道]]、[[鎌倉街道]]、[[厚木街道]]などと交差する要衝であった。幕末の[[黒船来航]]の際には、避難民が逃げてきたといわれている。 |
|
吉田町、[[戸塚町 (横浜市)|戸塚町]]、矢部町の三町からなる。見附は、現在の吉田町イオン前と戸塚町大坂下(バス停前)にあり、[[品濃町]]と原宿町に[[一里塚]]が残る。[[大山道]]、[[鎌倉街道]]、[[厚木街道]]などと交差する要衝であった。幕末の[[黒船来航]]の際には、避難民が逃げてきたといわれている。 |
12行目: |
12行目: |
|
|
|
|
|
== 備考 == |
|
== 備考 == |
|
戸塚宿にちなむ[[川柳]]「佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び」は[[鉢の木]]物語の[[パロディ]]で、「いざ鎌倉」と馳せ参じた老馬が[[鎌倉]]目前の戸塚で転んだ、という意味。「戸塚の坂」は戸塚宿の上方寄りにある大坂、あるいは[[程ヶ谷宿]]との間にある[[権太坂]]や品濃坂([[東戸塚駅]]近く)のことともいう。 |
|
戸塚宿にちなむ[[川柳]]「佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び」は[[鉢の木]]物語の[[パロディ]]で、「いざ鎌倉」と馳せ参じた老馬が[[鎌倉]]目前の戸塚で転んだ、という意味。「戸塚の坂」は戸塚宿の上方寄りにある大坂、あるいは[[保土ヶ谷宿]]との間にある[[権太坂]]や品濃坂([[東戸塚駅]]近く)のことともいう。 |
|
|
|
|
|
元[[遊廓]]の名残として、[[料亭]]の「丁字屋」が近年まで営業していた。 |
|
元[[遊廓]]の名残として、[[料亭]]の「丁字屋」が近年まで営業していた。 |
20行目: |
20行目: |
|
|
|
|
|
== 隣の宿場 == |
|
== 隣の宿場 == |
|
[[程ヶ谷宿]] - '''戸塚宿''' - [[藤沢宿]](途中に[[原宿 (横浜市)|原宿]]と鉄砲宿の2つの間宿がある。) |
|
[[保土ヶ谷宿]] - '''戸塚宿''' - [[藤沢宿]](途中に[[原宿 (横浜市)|原宿]]と鉄砲宿の2つの間宿がある。) |
|
|
|
|
|
==関連項目== |
|
|
*[[戸塚宿七福神巡り]] |
|
|
*[[踊場駅]] - 「[[化け猫#史跡|猫の踊り場伝説]]」に駅名が由来する。 |
|
|
*[[道行旅路の花聟]] - 歌舞伎の演目、戸塚山中(大坂上付近とされる)が登場する。 |
|
|
|
|
|
== 外部リンク == |
|
== 外部リンク == |
2024年3月2日 (土) 00:20時点における版
戸塚宿(とつかしゅく、とつかじゅく)は、東海道五十三次の5番目の宿場である。東海道では相模国最東端の宿場町である。
概要
相模国鎌倉郡(今の神奈川県横浜市戸塚区)にあった。日本橋から旅程がちょうど一泊目にあたり、旅籠数が五十三次中、小田原宿に次ぐ規模であった。当初、保土ヶ谷宿の次は藤沢宿であったが、上記の理由から戸塚にも宿屋が増え、客を奪われることを恐れた藤沢宿の猛反対を押し切り、幕府公認となった。
吉田町、戸塚町、矢部町の三町からなる。見附は、現在の吉田町イオン前と戸塚町大坂下(バス停前)にあり、品濃町と原宿町に一里塚が残る。大山道、鎌倉街道、厚木街道などと交差する要衝であった。幕末の黒船来航の際には、避難民が逃げてきたといわれている。
本陣
澤辺・内田の二軒の本陣があった。澤邉本陣跡には屋敷神であった羽黒神社が現存している。内田本陣跡は戸塚郵便局になっている。
備考
戸塚宿にちなむ川柳「佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び」は鉢の木物語のパロディで、「いざ鎌倉」と馳せ参じた老馬が鎌倉目前の戸塚で転んだ、という意味。「戸塚の坂」は戸塚宿の上方寄りにある大坂、あるいは保土ヶ谷宿との間にある権太坂や品濃坂(東戸塚駅近く)のことともいう。
元遊廓の名残として、料亭の「丁字屋」が近年まで営業していた。
最寄り駅
JR東海道本線・横須賀線・湘南新宿ライン・横浜市営地下鉄ブルーライン 戸塚駅
隣の宿場
保土ヶ谷宿 - 戸塚宿 - 藤沢宿(途中に原宿と鉄砲宿の2つの間宿がある。)
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度23分42秒 東経139度31分47秒 / 北緯35.395028度 東経139.529861度 / 35.395028; 139.529861