ピカデリーサーカス

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ピカデリーサーカス
Piccadilly Circus
ピカデリーサーカスの位置いち 地図
所在地しょざいち
イギリスロンドン
座標ざひょう北緯ほくい5130ふん36びょう 西経せいけい08ふん4びょう / 北緯ほくい51.51000 西経せいけい0.13444 / 51.51000; -0.13444座標ざひょう: 北緯ほくい5130ふん36びょう 西経せいけい08ふん4びょう / 北緯ほくい51.51000 西経せいけい0.13444 / 51.51000; -0.13444
交差こうさ路線ろせんリージェント・ストリートシャフツベリー・アベニューザ・ヘイマーケットコベントリー・ストリート英語えいごばん、グラスハウス・ストリート
建設けんせつ
種類しゅるい道路どうろ交差点こうさてん
開通かいつう1819

ピカデリー・サーカス (Piccadilly Circus) は、ロンドンシティ・オブ・ウェストミンスター(ウェストミンスター)、ウエスト・エンドにある広場ひろば名称めいしょうである(「サーカス」は「とおりの合流ごうりゅうてんにおける円形えんけい」の意味いみ)。

商店しょうてんなら大通おおどおりであるピカデリーリージェント・ストリート接続せつぞく地点ちてんとして1819ねん建設けんせつされ、現在げんざいではシャフツベリー・アベニューヘイマーケットコヴェントリー・ストリートおよびグラスハウス・ストリートもこの地点ちてん合流ごうりゅうしている。ウエスト・エンド地区ちく中心ちゅうしん位置いちし、おも小売こうりてん劇場げきじょうはじめとするエンターテインメント施設しせつ密集みっしゅうしている。このため、観光かんこうきゃくものきゃく、そしてバスタクシー自動車じどうしゃあつまり、広場ひろば近辺きんぺんつね混雑こんざつしている。

ピカデリーサーカスは広場ひろば北側きたがわビルのおおきな街頭がいとうディスプレイおよびネオンサイン有名ゆうめいであり、「エロス」のられている噴水ふんすいもまた有名ゆうめいである(後述こうじゅつ)。広場ひろばまわりにはロンドン・パビリオンやクライテリオン・シアターといった歴史れきしてき建造けんぞうぶつおおい。広場ひろば直下ちょっかロンドン地下鉄ちかてつピカデリー・サーカスえきになっている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1896ねん当時とうじのピカデリーサーカス

ピカデリーサーカスに合流ごうりゅうする大通おおどおりにピカデリーの最初さいしょ登場とうじょうしたのは1626ねんのことである。著名ちょめい洋服ようふくてん経営けいえいするロバート・ベーカーの所有しょゆうする建物たてもの名前なまえが「ピカデリーホール(Pickadilly Hall)」とづけられたことがその最初さいしょであり、「様々さまざま種類しゅるいえり」を意味いみする"piccadills"ないしは"piccadillies"を販売はんばいしていたことに由来ゆらいする。当時とうじこのとおりはポルトガル・ストリートとばれており、これはチャールズ2せい王妃おうひキャサリン・オブ・ブラガンザポルトガル王室おうしつ出身しゅっしんであることを記念きねんしてけられていた。1743ねんころにはとおりの名前なまえはピカデリーとばれるようになっており、1819ねんにはピカデリーサーカスがリージェント・ストリートとの合流ごうりゅうてんとして、ジョン・ナッシュの設計せっけいにより、ハットン夫人ふじん所有しょゆう土地とち建設けんせつされた。元々もともと円形えんけいであったが、1886ねんにシャフツベリー・アベニューが建設けんせつされたことにより現在げんざい円形えんけいではない。

ピカデリーサーカスは建設けんせつ以来いらい交通こうつう混雑こんざつする地点ちてんであり、というのも劇場げきじょう密集みっしゅう地帯ちたいなか位置いちし、かつ商店しょうてんならぶピカデリーの出口でぐちたる場所ばしょだったためである。当時とうじ混雑こんざつ様子ようすチャールズ・ディケンズ息子むすこチャールズ・C・B・ディケンズはつぎのようにえがいている。「巨大きょだいひとながれがヘイマーケットやリージェント・ストリートから西方せいほうハイド・パーク・コーナーまでつらなり("the great thoroughfare leading from the Haymarket and Regent-street westward to Hyde Park-corner")」、「ロンドンがほこることのできる、パリ大通おおどおりにおとらない大通おおどおりである("the nearest approach to the Parisian boulevard of which London can boast")」。

ロンドン地下鉄ちかてつのピカデリー・サーカスえき1906ねん3がつ10日とおかに、ベーカールーせんえきとして開業かいぎょうし、12月にはピカデリーせん開業かいぎょうした。1928ねんにはえき利用りようしゃ増加ぞうかによりだい規模きぼ改修かいしゅうおこなわれた。

1908ねんからは広告こうこくのネオンサインが設置せっちされた[1]。また、1926ねん8がつ3にちには最初さいしょ信号しんごう設置せっちされている。

1960年代ねんだい初頭しょとう急増きゅうぞうする交通こうつうりょう対応たいおうするため、広場ひろばだい規模きぼさい開発かいはつせまられていた。1962ねんウィリアム・ホルフォードきょう地上ちじょう交通こうつううえ歩行ほこうしゃ専用せんよう大通おおどおりを建設けんせつするという、「かいての」ピカデリーサーカス建設けんせつあん提示ていじした。このあんは60年代ねんだいつうじて存在そんざいしたが、結局けっきょく1972ねんにキース・ジョセフきょうとアーネスト・マープルズによって廃案はいあんにされた。というのも、ホルフォードきょう計画けいかくでは20%程度ていど交通こうつうりょう増加ぞうかにしか対応たいおうできず、政府せいふもとめる50%の交通こうつうりょう増加ぞうかへの対応たいおう満足まんぞくしていなかったからである。

ホルフォードあん参考さんこうに、1967ねんには映画えいが会社かいしゃRank Organisationによって短編たんぺんドキュメンタリー映画えいが『さよなら、ピカデリー("Goodbye, Piccadilly")』が制作せいさくされた。しかしながら、南部なんぶぶん1980年代ねんだいだい規模きぼ車両しゃりょう禁止きんしされたことをのぞけば、ピカデリーサーカスはさい開発かいはつされていない。

周辺しゅうへん地区ちく[編集へんしゅう]

ピカデリーサーカスのまわりには「エロス」の噴水ふんすい、ロンドン・パビリオン、クライテリオン・シアターをはじめとして、劇場げきじょう商店しょうてん密集みっしゅうしており、ロンドン市内しないでもひときわひとあつまる場所ばしょである。日本にっぽん馴染なじふかいものとして、ジャパン・センターがピカデリーサーカスのそばにある。また、過去かこにはロンドン三越みつこし(1979ねん~2013ねん)が営業えいぎょうしていた。

ピカデリーサーカス南側みなみがわからるパノラマ (2015ねん)

ネオンサインと街頭がいとうディスプレイ[編集へんしゅう]

2012ねん現在げんざいのネオンサイン (ひる)
2012ねん現在げんざいのネオンサイン (よる)

ピカデリーサーカス一帯いったい1900年代ねんだい初頭しょとうから、ひとながれがおおほか場所ばしょちがわず、すうおおくのネオンサインがビルの外壁がいへき掲示けいじされていたが、現在げんざいピカデリーサーカスで広告こうこく掲示けいじされているビルは、シャフツベリー・アベニューとグラスロード・ストリートにはさまれた北西ほくせい一帯いったいのみである。この北西ほくせい部分ぶぶん特別とくべつ愛称あいしょうとうけられていない(以前いぜんモニコ(Monico)という喫茶店きっさてんがこのビルにはいっていたためそうひともいる)。なお、このビルは1970年代ねんだいからランド・セキュリティ・グループという不動産ふどうさん投資とうし会社かいしゃ所有しょゆうしている。

ピカデリーサーカスに最初さいしょ広告こうこくのネオンサインが登場とうじょうしたのは1908ねんペリエした広告こうこくである[1]

初期しょき広告こうこくには白熱はくねつ電球でんきゅうもちいられていたが、ネオンかんもちいたものへとかわり、一時期いちじきにはギネスしゃによる巨大きょだい時計とけいしたユニークな広告こうこく登場とうじょうした。短期間たんきかんだがコカ・コーラしゃプロジェクタもちいた広告こうこくながしていたこともあり、しかし2000年代ねんだいはいロンドンオリンピックひか順次じゅんじLED表示ひょうじへと変更へんこうされた。なお、この地区ちく掲示けいじされる広告こうこくかずは、広告こうこくりょうとしって上昇じょうしょうすることにより、減少げんしょう傾向けいこうにある。

だい世界せかい大戦たいせん影響えいきょう1939ねんから1949ねんまでのあいだ電光でんこう掲示板けいじばん消灯しょうとうされていた[1]電光でんこう掲示板けいじばん環境かんきょう保護ほごキャンペーンなどで消灯しょうとうされることもあるほか、ウィンストン・チャーチルダイアナ葬儀そうぎさいにも消灯しょうとうされた[1]

ピカデリーサーカス南側みなみがわからるパノラマ (2007ねん)

2005ねん現在げんざい、この北西ほくせい部分ぶぶんにはピカデリーサーカスにめんして、ブーツバーガーキングGAP店舗てんぽかまえており、とおりにめんした部分ぶぶんはレストランやオフィスとなっている。2003ねん11月、それまではネスレ広告こうこく掲示けいじしていた場所ばしょにコカ・コーラがLEDをもちいた広告こうこく掲示けいじした。このコカ・コーラしゃ広告こうこくしたにはTDKヒュンダイ広告こうこくがあり、となりにはマクドナルドしゃ広告こうこくがある。コカ・コーラしゃとなりにはサムスン広告こうこくがあり、2005ねんにネオンかんからLEDの広告こうこくへと変更へんこうされた。現在げんざいヒュンダイが設置せっちしている位置いちには1978ねんから三洋電機さんようでんきがネオンサインを設置せっちしていたが、パナソニック同社どうしゃ現在げんざいのサムスンの位置いち広告こうこく掲出けいしゅつしていた)との合併がっぺいによるブランド消滅しょうめつやLED広告こうこくへの改修かいしゅう負担ふたんができなかったため2011ねん撤退てったいしている。2015ねんにはTDKも広告こうこくげたため、ピカデリーサーカスから日本にっぽん企業きぎょう広告こうこく姿すがたすこととなった[2]

ボーダフォンしゃもまたピカデリーサーカスにめんしたコヴェントリー・ハウスの屋上おくじょう部分ぶぶん広告こうこく掲示けいじしている。この広告こうこくでは、ウェブサイトから日時にちじ指定していしてメッセージを表示ひょうじするサービスがおこなわれている。

従来じゅうらいは6まいのスクリーンをわせた電光でんこう掲示板けいじばんであったが、2017ねん改修かいしゅうにより耐久たいきゅうせいたかい1まいのスクリーンに変更へんこうされ企業きぎょう広告こうこくのほかにニュースや天気てんき予報よほうなども表示ひょうじされることとなった[1]

シャフツベリーはく記念きねん噴水ふんすいと「エロス」[編集へんしゅう]

広場ひろば中央ちゅうおう噴水ふんすいエロスぞう

広場ひろば中央ちゅうおうにある噴水ふんすいだい7だいシャフツベリーはく活動かつどう記念きねんして建造けんぞうされたもので、「キリストきょうてき慈愛じあいあらわ天使てんし(The Angel of Christian Charity)」とひともいる。なお、1980年代ねんだい改修かいしゅう工事こうじにより、当初とうしょはシャフツベリー・アベニューの起点きてんである交差点こうさてん中央ちゅうおうから交差点こうさてん南側みなみがわ歩道ほどう部分ぶぶん移設いせつされている。

この噴水ふんすい1892ねんから93ねん建造けんぞうされたものである。設計せっけいしゃアルフレッド・ギルバートであり、噴水ふんすい頂点ちょうてんにはつばさひろげた「キリストきょうてき慈愛じあいあらわ天使てんし」のぞうそなけられている。なお、このぞうギリシャ神話しんわあいかみである「エロス」とばれることがおおいが、ギルバートはエロス双子ふたごおとうとであるアンテロス意識いしきしてこのぞう設計せっけいしている。「エロス」は1つのロンドンの象徴しょうちょうとして認識にんしきされているため、イブニング・スタンダードかみ奥付おくづけらんにこのぞうのイラストを採用さいようしている。

デザインがはだかであるため、建造けんぞうには公共こうきょう空間くうかんにそのようなぞう相応ふさわしいかどうか、という議論ぎろんこったが、現在げんざいでは市民しみんひろれられている。「エロス」についてアートつぎのようにべている。「…わたしたちのまちとおりにおおい、退屈たいくつみにく彫刻ちょうこくとはしん対照たいしょうてき作品さくひんであり、…(中略ちゅうりゃく)…これまでのわびしかった公共こうきょう空間くうかんうつくしくいろど作品さくひんである一方いっぽう市民しみん嗜好しこうをより素晴すばらしい方向ほうこうへとみちび作品さくひんでもあり、くわえてかつてのような途方とほうもなくかい作品さくひんがこれ以上いじょうこのまち創造そうぞうされることからはな作品さくひんでもあろう。」

素材そざいアルミニウムであり、アルミニウムで製作せいさくされたぞうはこれが世界せかい最初さいしょのものである。以前いぜんはシャフツベリー・アベニューの方向ほうこう、すなわち交差点こうさてんなかからきた方向ほうこうししていたのだが、だい世界せかい大戦たいせんなかは、この噴水ふんすい上部じょうぶけられている「キリストきょうてき慈愛じあいあらわ天使てんし」ははずされ、広告こうこくそなけられていたが、1948ねんもともどされている。

この「エロス」が本来ほんらい双子ふたごおとうと、アンテロスを意識いしきして制作せいさくされたという事実じじつは、ウェストミンスター記録きろくのこっている。アルフレッド・ギルバートはこのぞう制作せいさく依頼いらいんだときすでにアンテロスをしたぞう制作せいさくえており、だい7だいシャフツベリーはく慈善じぜん活動かつどうへの姿勢しせいがまさに「私心ししんのないあい天使てんし」そのものだとかんじたため、同様どうようのモチーフで再度さいどぞう制作せいさくしようとこころみた。ギルバートはアンテロスをとおして、「エロスもしくは天使てんしのような、軽薄けいはく暴君ぼうくんとはせい反対はんたいの、思慮しりょふか成熟せいじゅくしたあい」をえがこうとかんがえていた。このぞうのモデルとなったのは16さいイタリアひとアンジェロ・コラロッシ英語えいごばんである[3]。このぞう設置せっちされたときぞうドーセットしゅうにある伯爵はくしゃくだい邸宅ていたくウィムボーン・セント・ジャイルズ方向ほうこうししていた。

このぞう公開こうかいされたとき市民しみんからはおおくの苦情くじょうせられた。あるものは劇場げきじょうがいであるこのまちにふさわしくない下品げひんなものであると非難ひなんし、またあるものは非常ひじょう穏当おんとう尊敬そんけいされている伯爵はくしゃく敬意けいいひょうするための作品さくひんとしては生々なまなましすぎるのではないか、と非難ひなんした。異論いろん一部いちぶは、このぞうを「キリストきょうてき慈愛じあいあらわ天使てんし」とあらためること、つまりギリシャ神話しんわにおけるアンテロスの役割やくわりキリスト教きりすときょうかみ々の行為こういとして(虚構きょこうではあるが)紹介しょうかいすることで幾分いくぶんやわらげることができた。しかしこの名前なまえひろわたることはなく、ふたた官能かんのうてきあいあらわす「エロス」の名前なまえばれることとなった。

このぞうひとびとから人間にんげん貪欲どんよくさを表現ひょうげんしたぞうであるとなされるまでになり、半裸はんらの「エロス」のしめ方向ほうこう絶対ぜったいてき堕落だらく象徴しょうちょう、すなわち近隣きんりん地区ちく歓楽街かんらくがいとして発展はってんしたソーホー方角ほうがくであるシャフツベリー・アベニューへとけられた。ギルバートは生前せいぜんこのぞうについてつぎのようにべている。「この噴水ふんすいには3000ポンド以上いじょうどうついやされている。こわしてふたたペニー銅貨どうかへと鋳造ちゅうぞうしなおせばいい。そして、この世界せかいもっと巨大きょだい都市とし永遠えいえんはじであり不名誉ふめいよでもある、テムズ河岸かわぎしどおりで死体したいとして発見はっけんされる不運ふうんひとたちにあたえればいいではないか。」

クライテリオン・シアター[編集へんしゅう]

主要しゅよう記事きじ:クライテリオン・シアター

クライテリオン・シアターは、イングリッシュ・ヘリテッジにより指定してい建造けんぞうぶつ(Listed building)だいきゅう認定にんていされている、ピカデリーサーカス南側みなみがわにある劇場げきじょうである。地上ちじょう位置いちするチケット販売はんばいブースをのぞき、およそ600をかぞえる客席きゃくせき地下ちか位置いちし、階段かいだんしも方向ほうこうへとびている。はしらかいせき(dress circle)とさんかいせき(upper circle)をささえるかたち存在そんざいするため、はしらにより視界しかい制限せいげんされる座席ざせきおおい。

クライテリオン・シアターの設計せっけいしゃトーマス・ベリティであり、もとコンサートホールとしての使用しよう計画けいかくされていたが、1874ねん3月21にち劇場げきじょうとしてオープンした。1883ねんには、換気かんき改善かいぜんするために一旦いったん閉鎖へいさされ、それまでもちいられていたガス灯がすとう電灯でんとうへと交換こうかんする工事こうじおこない、翌年よくねん営業えいぎょう再開さいかい1989ねん再度さいど閉鎖へいさされ、大幅おおはば改修かいしゅう工事こうじおこない、1992ねん10月さいオープンした。

ロンドン・パビリオン[編集へんしゅう]

ロンドン・パビリオン

ピカデリーサーカスの北東ほくとうかく、シャフツベリー・アベニューとコヴェントリー・ストリートにはさまれた部分ぶぶんにある建物たてものがロンドン・パビリオンである。1859ねんミュージックホールとして最初さいしょのロンドン・パビリオンが建設けんせつされた。1885ねん、シャフツベリー・アベニューの建設けんせつさいし、この建物たてもの敷地しきちとおりがつらぬくこととなり、現在げんざい位置いちなおされた。1923ねんには電光でんこう掲示板けいじばん建物たてもの外壁がいへきけられている。

1934ねんだい規模きぼ改修かいしゅう工事こうじおこない、ロンドン・パビリオンは映画えいがかんへとまれわる。1986ねんには、外装がいそうを1885ねん当時とうじ状態じょうたい保存ほぞんしたまま内部ないぶなおし、ショッピングセンターとなった。2000ねんには隣接りんせつするトロカデロ(Trocadero)に通路つうろ接続せつぞくされ、2003ねんには外壁がいへき表示ひょうじも「ロンドン・トロカデロ(London Trocadero)」へと変更へんこうされた。現在げんざいはビルの地下ちか部分ぶぶんはピカデリー・サーカスえき直結ちょっけつしている。

周辺しゅうへん商業しょうぎょう店舗てんぽ[編集へんしゅう]

ウエスト・エンドの中心ちゅうしんであるため、近隣きんりんには小売こうりてん非常ひじょうおおい。リージェント・ストリートとピカデリーにはさまれたピカデリーサーカス西側にしがわには、以前いぜんタワーレコード店舗てんぽがあり、現在げんざい買収ばいしゅうによりヴァージンメガストア営業えいぎょうおこなっている。なお、この店舗てんぽ地下ちか部分ぶぶんはピカデリー・サーカスえき直結ちょっけつしている。また、どう業種ぎょうしゅHMVがロンドン・トロカデロに店舗てんぽかまえている。イギリス国内こくない幅広はばひろ店舗てんぽ展開てんかいするスポーツショップ、リリーホワイト(Lillywhites)も1925ねん以来いらい、ピカデリーサーカス南側みなみがわ営業えいぎょうおこなっている。

ピカデリーサーカス周辺しゅうへんには日本にっぽん関連かんれんした小売こうりてんもいくつかある。「ロンドン三越みつこし」がみなみやく150mの位置いちに、「ジャパン・センター」が西にしやく50mの位置いちに、その「らいすわいん」、「ありがとう」といった日本にっぽんしょく日本にっぽん書籍しょせき販売はんばいする店舗てんぽ存在そんざいする。

また、ピカデリーサーカス北東ほくとうやく300mの位置いちにはヨーロッパ最大さいだい規模きぼ[4]中華ちゅうかがいがある[5]


現代げんだい文化ぶんかにおけるピカデリーサーカス[編集へんしゅう]

イギリスには、「まるでピカデリーサーカスのようだ」というがある。これはひとびとがとてもいそがしそうにうごいている場所ばしょ状況じょうきょうしてもちいられる。また、ピカデリーサーカスに長時間ちょうじかんいるひとは、顔見知かおみしりのひととばったりくわしてしまい、ついにはっているひと全員ぜんいん出会であってしまう、という意味いみでももちいられる。アメリカでは、おなじような表現ひょうげんとして、「まるでグランド・セントラルえきのようだ」という言葉ことばがある。これらの言葉ことば由来ゆらいするかどうかはさだかではないが、だい世界せかい大戦たいせんさいD-デイにおける連合れんごうこく艦隊かんたい英仏海峡えいふつかいきょうでの集合しゅうごう地点ちてんあらわ暗号あんごうとして、「ピカデリーサーカス」がもちいられた。

ピカデリーサーカスは芸術げいじゅつにとって刺激しげきてき場所ばしょでもあるようで、モチーフとしてもちいられることもしばしばある。イギリスじん画家がかチャールズ・ジンナー(Charles Ginner)は1912ねんに『ピカデリーサーカス』という名前なまえ絵画かいが発表はっぴょうしており、この現在げんざいテート・ブリテン所蔵しょぞうされている。写真しゃしんポール・マッカーシー(Paul McCarthy)は2さつにおよぶ320ページの写真しゃしんしゅう、『ピカデリーサーカス』を発表はっぴょうしている。

音楽おんがくでもピカデリーサーカスのかんした楽曲がっきょく複数ふくすうある。スウェーデン歌手かしゅペニッラ・ヴァールグレーン(Pernilla Wahlgren)の1985ねんのヒットきょくや、きたアイルランドパンク・ロックバンドスティフ・リトル・フィンガーズ(Stiff Little Fingers)も、1981ねんのアルバム『ゴー・フォー・イット(Go for It)』で、「ピカデリーサーカス」という楽曲がっきょく発表はっぴょうしている。なお、この楽曲がっきょくきたアイルランド問題もんだい関連かんれんして、ロンドンへ移住いじゅうしたかれらの友人ゆうじん実話じつわもとにして制作せいさくされている。また、1996ねんにはイギリスのバンド、スクイーズ(Squeeze)がピカデリーサーカスの写真しゃしんをジャケットに使用しようしたコンピレーションアルバム『ピカデリー・コレクション(Piccadilly Collection)』を発表はっぴょうしている。日本にっぽんでも、松任谷まつとうや由実ゆみが2009ねんのアルバム『そしてもう一度いちど夢見ゆめみるだろう』において、その1きょく事実じじつじょうタイトルチューンとして「ピカデリー・サーカス」という楽曲がっきょく発表はっぴょうしている。また、すぎ真理まり松尾まつおきよしけん上田うえだまさとし伊豆田いずた洋之ひろゆき風祭かざまつりひがし橋本はしもとあきらというBOXとオールウェイズのメンバーにより結成けっせいされたバンドにPicadilly Circusの名前なまえがつけられている。

イギリス出身しゅっしんミュージシャン楽曲がっきょくには、ピカデリーサーカスについてうたったものがおおい。ダイアー・ストレイツの"Wild West End"(『Dire Straits』(1978ねん)に収録しゅうろく)はピカデリー近辺きんぺんまちうたったきょくであり[6]モリッシーの"Piccadilly Palare"(『Bona Drug』(1990ねん)に収録しゅうろく)もピカデリー界隈かいわい男娼だんしょう人生じんせいについてうたったきょくである。なお、"Palare"とは"Polari"ともつづられ、イギリスのゲイコミュニティにおいて「はなす」や「会話かいわ」などを意味いみする隠語いんごひとつである。ジェスロ・タルの"Mother Goose"(『Aqualung』(1971ねん)に収録しゅうろく)にもピカデリーサーカスについてうたった歌詞かしがあり、ザ・サンデーズ(The Sundays)の"Hideous Towns"(『Reading, Writing, and Arithmetic』(1990ねん)に収録しゅうろく)もピカデリーサーカスをうたった楽曲がっきょくである。

イギリス以外いがいのミュージシャンの楽曲がっきょくでは、ジャマイカ出身しゅっしんのミュージシャンボブ・マーリー1973ねん発表はっぴょうしたアルバム『キャッチ・ア・ファイア』に収録しゅうろくされているきょく、"Kinky Reggae"がある。

文学ぶんがくでは、アンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz)のスパイ小説しょうせつストームブレイカー(Stormbreaker)』にロンドンのランドマーク多数たすう登場とうじょうし、そのなかひとつとしてピカデリーサーカスが登場とうじょうする。日本にっぽんでは、萩尾はぎお望都もと漫画まんが作品さくひんポーの一族いちぞく』(1972ねん-1976ねん)のいちへんに、ピカデリーサーカス周辺しゅうへん舞台ぶたいとした「ピカデリー7」(1975ねん)がある。

ゲームでは、コナミが1976ねん同名どうめいのゲーム(ピカデリーサーカス_(ゲーム))を製造せいぞう稼働かどうさせている。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e えいピカデリーサーカス電光でんこう掲示板けいじばん改装かいそう工事こうじ消灯しょうとう だい2大戦たいせん以来いらい AFP 2017ねん01がつ17にち
  2. ^ “ピカデリーサーカスの広告こうこく最後さいご日本にっぽん企業きぎょう姿すがたす” (英語えいご). Wall Street Journal. (2015ねん3がつ25にち). ISSN 0099-9660. https://realtime.wsj.com/japan/2015/03/25/%e3%83%94%e3%82%ab%e3%83%87%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%82%ab%e3%82%b9%e3%81%ae%e5%ba%83%e5%91%8a%e3%80%81%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%bc%81%e6%a5%ad%e3%82%82%e5%a7%bf/ 2021ねん7がつ13にち閲覧えつらん 
  3. ^ See 'The Man who was Eros', by Martin Chisholm, Picture Post, 28 June 1947.
  4. ^ 規模きぼについては英語えいごばん記事きじ Chinatowns in EuropeのEnglandのこうより確認かくにん
  5. ^ 日本にっぽん関連かんれん店舗てんぽおよび中華ちゅうかがい距離きょりについては、ダイヤモンド・ビッグしゃ、pp.25-26より計測けいそく
  6. ^ 英語えいごばん記事きじ Piccadilly Circusに発表はっぴょうねんかんする記述きじゅつかったため、英語えいごばん記事きじ Dire Straits (album)より確認かくにん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]