レーテー (Lethe 、古代 こだい ギリシャ語 ご : λήθη 、Lēthē ;古代 こだい ギリシア語 ご 発音 はつおん [ˈlε いぷしろん ːt̪ʰε いぷしろん ː] 、現代 げんだい ギリシア語 ご : [ˈliθ しーた i] )は、古代 こだい ギリシア語 ご では、「忘却 ぼうきゃく 」あるいは「隠匿 いんとく 」を意味 いみ する。レーテーは、「真実 しんじつ 」を意味 いみ するギリシア語 ご 、つまり「非 ひ 忘却 ぼうきゃく 」「非 ひ 隠匿 いんとく 」を意味 いみ する a-lethe-ia (αλήθεια) と関連 かんれん がある。
ギリシア神話 しんわ でのレーテーは、黄泉 よみ の国 くに にいくつかある川 かわ の1つである。川 かわ の水 みず を飲 の んだ者 もの は、完璧 かんぺき な忘却 ぼうきゃく を体験 たいけん することになる。
レーテーはまたナーイアス (水 みず のニンフ )でもあるが、水 みず の精 せい としてのレテは多分 たぶん に、レテの名 な を持 も つ川 かわ と関連付 かんれんづ けるよりも、独立 どくりつ した忘却 ぼうきゃく の象徴 しょうちょう として扱 あつか われる。
レーテーはエリス (ヘーシオドス の『神 かみ 統 みつる 記 き 』では不和 ふわ の女神 めがみ )の娘 むすめ であり、アルゴス らの姉妹 しまい である。
古代 こだい ギリシア人 ひと の一部 いちぶ は、魂 たましい は転生 てんせい の前 まえ にレーテーの川 かわ の水 みず を飲 の まされるため、前世 ぜんせい の記憶 きおく をなくすのだと信 しん じていた。プラトン の『国家 こっか 篇 へん 』最終 さいしゅう 章 あきら 『エルの物語 ものがたり 』では、アムレス(「不注意 ふちゅうい 」の意 い )川 かわ の流 なが れる「レテの平原 へいげん 」にたどり着 つ いた、死者 ししゃ の話 はなし を語 かた っている。
いくつかの神秘 しんぴ 主義 しゅぎ 的 てき 宗教 しゅうきょう では、別 べつ の川 かわ ムネーモシュネー の存在 そんざい も伝 つた えられている。ムネーモシュネーの川 かわ の水 みず を飲 の んだ人々 ひとびと は、すべてを記憶 きおく して全知 ぜんち の領域 りょういき に達 たっ する。入会 にゅうかい 者 しゃ は死後 しご に、レーテーの代 か わりにムネーモシュネーの水 みず を飲 の む選択 せんたく を得 え ると教 おし えられていたのである。
紀元前 きげんぜん 4世紀 せいき 、もしくはさらに古 ふる い時代 じだい のものと思 おも われる黄金 おうごん の平板 へいばん に、これら2本 ほん の川 かわ の名 な を含 ふく む韻文 いんぶん の銘 めい が発見 はっけん されているが、これは南 みなみ イタリア の Thurii や、その他 た のギリシア世界 せかい のいたるところで発見 はっけん される。
レーテーとムネーモシュネーの川 かわ は、ボイオーティア のトロポニオスの聖地 せいち にあり、崇拝 すうはい 者 しゃ は神 かみ の諮問 しもん を受 う ける前 まえ に、その水 みず を飲 の んだのだという。
近年 きんねん では、マルティン・ハイデッガー が「存在 そんざい の隠蔽 いんぺい 」や「存在 そんざい の忘却 ぼうきゃく 」を現代 げんだい 哲学 てつがく の重大 じゅうだい な課題 かだい とみなし、「レーテー( lēthē )」をその象徴 しょうちょう とした。その例 れい が、ニーチェ の著作 ちょさく (Vol 1, p. 194) やパルメニデス の本 ほん に見 み られる。
アラスカ州 しゅう のレテ川 かわ
スペイン ガリシア州 しゅう オウレンセ県 けん 行政 ぎょうせい 区 く にあるシンソ・デ・リミア 近 ちか くの小 ちい さな川 かわ 、リミア川 がわ には伝説 でんせつ のレーテー川 がわ 同様 どうよう 、記憶 きおく をなくす力 ちから があると、古代 こだい の著作 ちょさく 者 しゃ の間 あいだ では言 い われてきた。
紀元前 きげんぜん 138年 ねん 、ローマの将軍 しょうぐん デキムス・ユニウス・ブルートゥス・カッライクス が神話 しんわ に決着 けっちゃく をつけようとしたのは、この地域 ちいき での軍事 ぐんじ 作戦 さくせん をリミア川 がわ が妨 さまた げたためであった。彼 かれ はリミア川 がわ を横切 よこぎ り、岸 きし の向 む こうから一 いち 人 にん ずつ、兵士 へいし の名 な を呼 よ んでみせたと伝 つた えられる。兵士 へいし は、将軍 しょうぐん が自分 じぶん たちの名前 なまえ を忘 わす れていなかったので驚愕 きょうがく し、同様 どうよう に恐 おそ れることなく川 かわ を横切 よこぎ った。この行為 こうい によってリミア川 がわ は、地域 ちいき の伝承 でんしょう で語 かた られるような危険 きけん なものではないと証明 しょうめい された。
アラスカ州 しゅう には、万 まん 煙 けむり 谷 だに (カトマイ国立 こくりつ 公園 こうえん )を流 なが れるレテ川 かわ が存在 そんざい する。
ウォルター・サヴェジ・ランドール Walter Savage Landor は、時 とき が飛 と ぶように過 す ぎる様子 ようす を、レーテーの水滴 すいてき を時 とき が翼 つばさ につけるという比喩 ひゆ で表現 ひょうげん した。
「
愛 あい 、悲 かな しみ、人 ひと の営 いとな みのすべてに、時 とき はその翼 つばさ でレテの水 みず を振 ふ りかける
On love, on grief, on every human thing, Time sprinkles Lethe's water with his wing.
」
『神 かみ 曲 きょく 』では、レーテーの流 なが れは地表 ちひょう から地球 ちきゅう の中心 ちゅうしん へと流 なが れ、その源流 げんりゅう は煉獄 れんごく の山頂 さんちょう のエデンの園 えん に位置 いち するとされる。
ジョン・キーツ の詩 し 『憂愁 ゆうしゅう のオード 』は、冒頭 ぼうとう 「いや いや 忘却 ぼうきゃく (レテ)の川 かわ へ行 い ってはならぬ」(No, no! Go not to Lethe. )で始 はじ まる。彼 かれ の『ナイチンゲール に寄 より す』の「 Lethe-wards (レテ)」は、語 かた り手 て を沈 しず めて「drowsy numbness (にぶい痺 しび れ)」を生 しょう じさせる。
バイロン の『ドン・ファン 』第 だい 4篇 へん 第 だい 4節 せつ
「
And if I laugh at any mortal thing,
'T is that I may not weep; and if I weep,
'T is that our nature cannot always bring
Itself to apathy, for we must steep
Our hearts first in the depths of Lethe's spring,
Ere what we least wish to behold will sleep:
Thetis baptized her mortal son in Styx;
A mortal mother would on Lethe fix.
」
エドガー・アラン・ポー は詩 し 『死 し 美人 びじん 』で、レーテーのような水面 すいめん を包含 ほうがん する「不変 ふへん の谷 たに 」が「眠 ねむ っている」様子 ようす を表現 ひょうげん した。
「
見 み よ! 湖 みずうみ はレテに似 に て、浅 あさ いまどろみのように見 み ゆるも、決 けっ して目覚 めざ めぬ
"Looking like Lethe, see! the lake A conscious slumber seems to take, And would not, for the world, awake.
」
ボードレール 作 さく 『悪 あく の華 はな 』中 ちゅう の詩 し 『憂愁 ゆうしゅう 』(初版 しょはん 第 だい 61篇 へん 、再版 さいはん 第 だい 77篇 へん )は次 つぎ のような行 くだり で終 お わる。
「
何人 なんにん たりとも、この生 い ける屍 かばね を温 あたた めることはできぬ血 ち ではなく、レテの緑 みどり の水 みず が流 なが れる体 からだ を
II n'a su réchauffer ce cadavre hébété Où coule au lieu de sang l'eau verte du Léthé
」
ボードレールはまた「レテ Le Léthé 」と題 だい した詩 し も作 つく っており、その中 なか では、礼賛 らいさん に値 あたい するも無慈悲 むじひ な女性 じょせい がレーテー川 がわ の忘却 ぼうきゃく の比喩 ひゆ として用 もち いられる。
フランス ・ロマン派 は の詩人 しじん 、ラマルティーヌ は『谷間 たにま Le Vallon 』の中 なか で次 つぎ のようにレーテー川 がわ に触 ふ れている。
「
我 わ が人生 じんせい において既 すで に、見 み るに倦 う み、感 かん ずるに倦 う み、愛 あい するに倦 う みき
我 わが いまだ命 いのち 永 なが らえ、レテの静 しず けさを求 もと めたり
J’ai trop vu, trop senti, trop aimé dans ma vie; Je viens chercher vivant le calme du Léthé.
」
スウィンバーン の『プロセルピナ讃歌 さんか 』に
「
レテの水 みず を飲 の み
We have drunken of things Lethean...
」
という行 くだり があり、キリスト教 きりすときょう が公式 こうしき 宗教 しゅうきょう となって古代 こだい ローマ の原 げん 宗教 しゅうきょう の伝統 でんとう と信仰 しんこう が衰 おとろ えていくのを嘆 なげ いている。
エドナ・ミレイ の詩 し 『レテ Lethe 』では、川 かわ は次 つぎ のように表現 ひょうげん された。
「
痛 いた みを忘 わす れさせ、美 び を取 と り戻 もど させる
the taker-away of pain, And the giver-back of beauty!
」
アフリカン・アメリカンの詩人 しじん フェントン・ジョンソン (1888-1958) による詩 し 『真紅 しんく の女 おんな The Scarlet Woman 』では、若 わか い女性 じょせい が飢餓 きが のあまり売春 ばいしゅん に走 はし る。
詩 し は次 つぎ のような行 くだり で結 むす ばれている。
「
今 いま や私 わたし は、周囲 しゅうい 数 すう マイル以内 いない にいるどの男 おとこ よりも、ジン を飲 の むことができる レテの水 みず を飲 の み干 ほ すよりもジンの方 ほう がましだ
Now I can drink more gin than any man for miles around. Gin is better than all the water in Lethe.
」
シルヴィア・プラス の1962年 ねん の詩 し 『あと一息 ひといき Getting There 』は次 つぎ のように結 むす ばれている。
「
そして私 わたし はこの皮膚 ひふ を脱 ぬ ぎ捨 す てるのだ 古 ふる い包帯 ほうたい 、倦怠 けんたい 、老 ふ けた顔 かお
レテの黒 くろ い車 くるま からあなたに近 ちか づく 赤 あか ん坊 ぼう のように純粋 じゅんすい に
And I, stepping from this skin Of old bandages, boredoms, old faces Step up to you from the black car of Lethe, Pure as a baby.
」
アレン・ギンズバーグ の詩 し 『カリフォルニアのスーパーマーケットで A Supermarket in California 』でも、レーテーの川 かわ に触 ふ れている。
ビリー・コリンズ は詩 し 『忘却 ぼうきゃく Forgetfulness 』で次 つぎ のように述 の べている。
「
暗 くら い神話 しんわ の川 かわ よ 思 おも い出 だ す限 かぎ り、その名 な はLで始 はじ まる
a dark mythological river whose name begins with an L as far as you can recall.
」
シャーロット・ターナー・スミス は『ソネットV: ダウンズ川 がわ に To the River Downs 』でレーテー川 がわ の忘却 ぼうきゃく を欲 ほっ する。
「
あなたが海 うみ へと運 はこ ぶ透明 とうめい な波 なみ のように
レテのような水 みず をコップに1杯 はい 与 あた えることができますか
飲 の んですべてを忘 わす れてしまえるように
As to the sea your limpid waves you bear,
Can you one kind Leathean cup bestow,
To drink a long oblivion to my care?
」
バイロン の詩 し 『汝 なんじ を忘 わす れず Remember Thee! Remember Thee! 』でもレーテーに触 ふ れている。
ウェルギリウス の叙事詩 じょじし 『アエネイス 』6巻 かん でアエネアス は、「滑 なめ らかな液体 えきたい で長 なが い忘却 ぼうきゃく の飲 の み物 もの 」つまりレーテー川 がわ の水 みず をローマの未来 みらい の英雄 えいゆう が飲 の む様子 ようす を先見 せんけん する。
ジェイムズ・L・グラント のホラー小説 しょうせつ 『レテの岸辺 きしべ で On the Banks of Lethe 』は、失 うしな われた記憶 きおく という本 ほん のテーマを暗示 あんじ している。
ナサニエル・ホーソーン の小説 しょうせつ 『緋 ひ 文字 もじ 』の第 だい 4章 しょう で、ロジャー・クリングワースは「レテもネプチューンも知 し らない」と主張 しゅちょう する。
ロバート・A・ハインライン の小説 しょうせつ 『愛 あい に時間 じかん を 』には、「ネオ・レテ Neolethe 」(Counterpoint I の章 しょう を参考 さんこう )という強力 きょうりょく な鎮静 ちんせい 剤 ざい が出 で てくる。
トニ・モリスン の小説 しょうせつ 『ビラヴド Beloved 』では、主人公 しゅじんこう の名前 なまえ セテ Sethe は、水 みず の力 ちから 、特 とく に彼女 かのじょ の過去 かこ を風化 ふうか することができるというモチーフに基 もと づいている。
ブラム・ストーカー の『吸血鬼 きゅうけつき ドラキュラ 』において、エイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授 きょうじゅ がルーシーに、「レテの川 かわ の水 みず のような匂 にお いがする」(Stoker, 192 )と言 い って、彼女 かのじょ の部屋 へや にニンニクを置 お いてドラキュラよけにするようアドバイスする場面 ばめん がある。
C・S・ルイス は著書 ちょしょ 『天国 てんごく と地獄 じごく の離婚 りこん The Great Divorce 』でレテに触 ふ れ、
「
それは山 やま の上 うえ にあり、とても冷 つめ たく澄 す みきっていて、緑 みどり の丘 おか 2つの間 あいだ にある。少 すこ しレテに似 に ている。その水 みず を飲 の むとあなたは、自分 じぶん の作品 さくひん の所有 しょゆう 権 けん をすべて永遠 えいえん に忘 わす れてしまうだろう。
It is up there in the mountains, very cold and clear, between two green hills. A little like Lethe. When you have drunk of it you forget forever all proprietorship in your own works.
」
と書 か いている。滝 たき の話 はなし をしている聖霊 せいれい は、芸術 げいじゅつ 家 か に天国 てんごく について説明 せつめい し、間 ま もなく彼 かれ が自分 じぶん の作品 さくひん の所有 しょゆう 権 けん をすべて忘 わす れるだろうと語 かた る。
マルセル・プルースト の小説 しょうせつ 『失 うしな われた時 とき を求 もと めて 』「スワンの恋 こい 」の章 しょう で、語 かた り手 て は、うわべは失 うしな われてしまったかのような記憶 きおく を手繰 たぐ りながら、次 つぎ のように語 かた る。
「
…思 おも い出 だ そうと努 つと め、自分 じぶん 自身 じしん の心 しん の奥 おく に、レテの水 みず から土 ど の区域 くいき を取 と り戻 もど してついに再 ふたた び建物 たてもの が建 た ち上 あ がるのを感 かん じた。
...trying to remember, feeling deep within myself a tract of soil reclaimed from the waters of Lethe slowly drying until the buildings rise on it again;
」
サーシャ・ソコロフ の処女 しょじょ 小説 しょうせつ 『馬鹿 ばか たちの学校 がっこう 』では、無名 むめい の語 かた り手 て はロシアの田園 でんえん 地帯 ちたい を貫 つらぬ いて流 なが れるレテのような川 かわ について何 なん 度 ど も言及 げんきゅう し、それが重要 じゅうよう な意味 いみ を持 も つ。
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー が書 か いた『ウォーキング Walking 』では、次 つぎ のように書 か かれている。
「
大西 おおにし 洋 ひろし はレテの流 なが れであり、我々 われわれ は大西洋 たいせいよう を旅 たび することで、旧 きゅう 世界 せかい とそのしきたりを忘 わす れ去 さ る機会 きかい を得 え たのである。
もし我々 われわれ が今回 こんかい 失敗 しっぱい したとしても、ステュクス の岸辺 きしべ にたどり着 つ く前 まえ に、おそらくもう一度 いちど チャンスは残 のこ されているだろう。
つまり大西洋 たいせいよう のレテは、3倍 ばい も幅広 はばひろ いのだから。
The Atlantic is a Lethean stream, in our passage over which we have had an opportunity to forget our Old World and its institutions. If we do not succeed this time, there is perhaps one more chance for the race left before it arrives on the banks of the styx ; and that is in the Lethe of the Pacific, which is three times as wide.
」
グレアム・グリーン の小説 しょうせつ 『第 だい 十 じゅう の男 おとこ 』第 だい 17章 しょう で、主人公 しゅじんこう シャーロットは、はったり屋 や のカロッセが傷 きず つきやすいマドモワゼル・マンジョを楽 たの しませているのを見 み かける。
「
彼 かれ はゲームをよく知 し っているから、とシャーロットは考 かんが えた。落 お ち着 つ きのないプレイボーイは、ほとんどの人々 ひとびと が愛 あい や平和 へいわ よりも欲 ほ しいものを、どのように提供 ていきょう するべきか知 し っている。言葉 ことば は水 みず のような ― レテの水 みず のようなものだ
He knew the game so well, Charlot thought: the restless playboy knew how to offer what most people wanted more than love—peace. The words flowed like water--the water of Lethe.
」
スティーヴン・キング の小説 しょうせつ 『ローズ・マダー 』では、ローズは水 みず を飲 の まないよう警告 けいこく されて川 かわ を横切 よこぎ るはめになる。物語 ものがたり の後半 こうはん では、川 かわ の水 みず が飲 の み物 もの に数 すう 滴 てき 混 ま ぜられ、ビルの記憶 きおく から、本 ほん の結末 けつまつ の後半 こうはん 部分 ぶぶん に関 かん する部分 ぶぶん を消 け すために使 つか われる。
ピアズ・アンソニイ の『With a Tangled Skein 』では、ニオベは娘 むすめ と孫娘 まごむすめ に同行 どうこう し、魔法 まほう の絵筆 えふで とハープを探 さが す旅 たび に出 で る。探索 たんさく の旅 たび の間 あいだ に3人 にん は、幻覚 げんかく のレテを横切 よこぎ らねばならなくなる。のちに地獄 じごく で、ニオベは再 ふたた び川 かわ を横切 よこぎ らねばならなくなるが、それが本当 ほんとう のレテであるかもしれないと疑問 ぎもん に思 おも う。
Valeer Damen の小説 しょうせつ 『 KATABASIS 』では、主人公 しゅじんこう の1人 ひとり が、来世 らいせ に生 う まれ変 か わる過程 かてい として、レテの川 かわ を見 み つけて横切 よこぎ らねばならなくなる。
「
平野 へいや が広 ひろ がる。通過 つうか 。戦場 せんじょう のようだ。行動 こうどう と思考 しこう のエネルギー合計 ごうけい のすべてがそこにある。風 かぜ が吹 ふ いている。試練 しれん はそこにある、役人 やくにん 、工作 こうさく 員 いん が上 うえ からも下 した からも。輸入 ゆにゅう 役人 やくにん はテストを説 と く手伝 てつだ いも最終 さいしゅう 審判 しんぱん を助 たす けることもできない。結局 けっきょく は、川 かわ のみだ。
There is the plain. Transit. Like a battlefield. All the energy totals of actions and thoughts are there. Wind blows. Tests are there, functionaries, agents from above and below. Introduction functionary cannot help solve tests or help in final adjudication. In the end, river.
」
—ダーメン 21
ウィリアム・シェイクスピア の戯曲 ぎきょく 『ジュリアス・シーザー 』では、アントニーが、シーザーの血 ち に濡 ぬ れた殺人 さつじん 者 しゃ の赤 あか い手 て を見 み て次 つぎ のように言 い う。
「
ここに汝 なんじ は倒 たお れ、ここに汝 なんじ の狩人 かりゅうど は立 た つ。汝 なんじ の戦利 せんり 品 ひん に署名 しょめい し、汝 なんじ の血 ち でレテを染 そ めた
Here didst thou fall; and here thy hunters stand,/Sign'd in thy spoil, and crimson'd in thy Lethe.
」
—III.i.215
加 くわ えて、シェイクスピアの『十 じゅう 二 に 夜 や 』では、セバスチャン役 やく がレテの話題 わだい に触 ふ れる。
「
レテに浸 ひた されて、私 わたし の感覚 かんかく は漂 ただよ っている。それがこのような夢 ゆめ であるなら、私 わたし を眠 ねむ らせたままにしてくれ!
Let fancy still my sense in Lethe steep; If it be thus to dream, still let me sleep!
」
—IV.ii.61
ウィリアム・シェイクスピア の戯曲 ぎきょく 『ハムレット 』では、ハムレットの父 ちち の幽霊 ゆうれい が王子 おうじ に次 つぎ のように言 い う。
「
汝 なんじ が利発 りはつ であることは知 し っている。
I find thee apt, And duller shouldst thou be than the fat weed That roots itself in ease on Lethe wharf, Wouldst thou not stir in this.
」
—Act 1, scene V
『アントニーとクレオパトラ 』では、セクストゥス・ポンペイウス が、アントニーの想定 そうてい していた軍 ぐん の無気力 むきりょく について語 かた り、次 つぎ のように希望 きぼう する。
「
エピキュリアン料理 りょうり 。
Epicurean cooks / Sharpen with cloyless sauce his appetite, / That sleep and feeding may prorogue his honour / Even till a Lethe'd dullness–
」
—II.i.24-27
ゲーテ のファウスト では、風 ふう の精霊 せいれい アーリエルをはじめとするエルフ(精霊 せいれい )達 たち に囲 かこ まれ、ひとときの安息 あんそく と"過去 かこ の忘却 ぼうきゃく "を得 え たファウストが、最愛 さいあい の女性 じょせい グレートヒェンが自分 じぶん との過 あやま ちのために処刑 しょけい された悲 かな しみを、ファウスト博士 はかせ が豊 ゆた かな自然 しぜん の中 なか で癒 いや す第 だい 2部 ぶ 第 だい 1幕 まく の場面 ばめん で、アーリエルの言 げん として以下 いか の記述 きじゅつ がある。
「
さっそく、それを優 やさ しく満 み たしてやるがよい。
まず、この人 ひと の頭 あたま を冷 つめ たい枕 まくら の上 うえ に休 やす ませ、
次 つぎ に彼 かれ をレーテの河 かわ の水 みず の雫 しずく で湯浴 ゆあ みさせてやれ。
」
ジョン・ウェブスター の戯曲 ぎきょく 『白 しろ い悪魔 あくま 』では、ヴィットリアの夫 おっと と自身 じしん の妻 つま の殺害 さつがい を企 くわだ てていたブラキアーノ侯爵 こうしゃく が、絶命 ぜつめい 間際 まぎわ にヴィットリアに言 い う。
「
私 わたし はすでにレテの水 みず を飲 の んだ。ヴィットリア? 私 わたし のいとしい人 ひと ? ヴィットリア?
I have drunk Lethe. Vittoria? / My dearest happiness? Vittoria?
」
—IV.ii.129-30
サミュエル・ベケット のラジオ劇 げき 『Embers』において、主要 しゅよう 人物 じんぶつ のヘンリーが亡 な き妻 つま との会話 かいわ をこう記 しる している。
「
それは地獄 じごく に似 に て、レテの泡 あわ のようなたわいもない古 ふる き良 よ き時代 じだい についてのおしゃべり。我々 われわれ はあの時代 じだい に死 し んでおくべきだった。
that’s what hell will be like, small chat to the babbling of Lethe about the good old days when we wished we were dead.
」
セーラ・ルール の『ウリディス Eurydice 』では、レーテー川 がわ は演劇 えんげき の中心 ちゅうしん テーマとなる。すべての死霊 しりょう はレテの水 みず を飲 の んで石 いし に変 か わり、声 こえ なき声 こえ で話 はな し、この世 よ のすべてを忘 わす れるのである。
ジャック・オッフェンバック のオペレッタ 『地獄 じごく のオルフェ 』では、ジョン・ステュクスが、あることを忘 わす れたいがためにレーテーの水 みず を飲 の む。彼 かれ の健忘 けんぼう 性 せい は、劇 げき の終 お わりまで続 つづ く。
ロイ・アンダーソン の『愛 あい おしき隣人 りんじん 』では、ゲーテのロマン詩 し からの引用 いんよう がエピグラフとして用 もち いられた。
「
“Be pleased then, you the living, in your delightfully warmed bed, before Lethe’s ice-cold wave will lick your escaping foot”
」
この後 のち 、路面 ろめん 電車 でんしゃ の行先 ゆくさき に「 Lethe 」の文字 もじ が見 み える。
ジーン・ロッデンベリー の『アンドロメダ 』には、 「レテの岸辺 きしべ The Banks of the Lethe 」という回 かい がある。
ジョス・ウィードン の『バフィー 〜恋 こい する十字架 じゅうじか 〜 』の「 Tabula Rasa 」という回 かい で、ウィローがレテの Bramble という花 はな を使 つか った呪文 じゅもん を用 もち いて、友人 ゆうじん の記憶 きおく を一時 いちじ 的 てき に消 け そうとしていた。
ウルトラマンネクサス にて「レーテ」と呼 よ ばれる装置 そうち が登場 とうじょう 。人々 ひとびと の記憶 きおく を消去 しょうきょ して機密 きみつ を保持 ほじ する目的 もくてき で使 つか われていた。
The Society of Orpheus and Bacchus (イェール大学 だいがく の男声 だんせい ア・カペラ のグループ)が、『 Drinking from Lethe 』というタイトルのアルバムを1992年 ねん にリリースしている。
トニー・バンクス の初 はじ めてのソロ・アルバム『 A Curious Feeling 』では、悪魔 あくま と契約 けいやく を交 か わし記憶 きおく を失 うしな った男 おとこ の物語 ものがたり をうたう歌 うた (9曲 きょく 目 め 「 The Waters of Lethe 」)が収 おさ められている。
作曲 さっきょく 家 か トーマス・アデス の弦楽 げんがく 四 よん 重奏 じゅうそう 『アルカディアナ Arcadiana 』(Op. 12)の、第 だい 7楽章 がくしょう と最終 さいしゅう 楽章 がくしょう は「レテ」と題 だい されている。
メリーランド州 しゅう ジャーマンタウン 出身 しゅっしん のバンド Clutch は、自身 じしん のアルバム『 Pure Rock Fury 』の中 なか の一 いち 曲 きょく 「 American Sleep 」でレーテーについて「 Companion chimera , Lethean grazer. 」と歌 うた っている。
スウェーデンのメロディックデスメタル バンドダーク・トランキュリティ が1995年 ねん にリリースしたアルバム『 The Gallery 』には、「Lethe 」という歌 うた が含 ふく まれていた。
トーマス・スリーパー のトランペットのためのコンチェルト の第 だい 2楽章 がくしょう は、「...the river lethe 」と呼 よ ばれている。
ニコラス・ラニアー の『No More Shall Meads be deckt with Flowers 』には「Black Lethe shall oblivion leave, before my Celia I deceive... 」というくだりがある。
ヘンデル のオラトリオ『セメレ 』の「Leave me loathsome light 」には、「Lethe, why does thy ling'ring current cease? Oh murmur me again to peace! 」というくだりがある。
フランドル民俗 みんぞく 音楽家 おんがくか Miel Cools は、「Lethe 」という題 だい のバラードを録音 ろくおん している。
アカイイト のイメージ曲 きょく 『いつかのひかり』には「流 なが れる"忘却 ぼうきゃく の川 かわ (レーテ)"が隔 へだ てる彼岸 ひがん 」というくだりがある。
谷村 たにむら 新司 しんじ のヒット曲 きょく 『昴 すばる 』 が収録 しゅうろく された同名 どうめい アルバムには「レテの川 かわ 」という歌 うた が収 おさ められている。
さユり の6thシングル『月 つき と花束 はなたば 』(期間 きかん 生産 せいさん 限定 げんてい 盤 ばん )にはカップリングとして「レテ」という歌 うた が収 おさ められている。
ウィリアム・T・G・モートン は、ジエチルエーテル を史上 しじょう 初 はじ めて麻酔 ますい 薬 やく として使用 しよう し、エーテルを「レテオン Letheon 」と呼 よ んだ。