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小田おだ知重ちえ

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小田おだ 知重ちえ
時代じだい 平安へいあん時代じだい後期こうき - 鎌倉かまくら時代ときよ前期ぜんき
生誕せいたん えいよろず元年がんねん1165ねん[1][注釈ちゅうしゃく 1]
死没しぼつ 安貞やすさだ2ねん12月13にち1229ねん1がつ16にち[2]
改名かいめい あさじゅう知重ちえ[3]
別名べつめい 八田はった太郎たろう筑後ちくご太郎たろうおく太郎たろう[4]
戒名かいみょう 道義どうぎはちすじょう[1]
墓所はかしょ 新善光寺しんぜんこうじ[5]
官位かんい したがえしたひだり兵衛ひょうえじょう左衛門尉さえもんのじょう常陸ひたちかい紀伊きいもり[4]
幕府ばくふ 鎌倉かまくら幕府ばくふ 常陸ひたちこく守護しゅご[3]
主君しゅくん みなもと頼朝よりともよりゆきじつあさ藤原ふじわらよりゆきけい
氏族しぞく 八田はった小田おだ
父母ちちはは ちち八田はったとも[6]
兄弟きょうだい 知重ちえ伊自良いじらゆう茂木もきとももと宍戸ししど家政いえまさ八田はったともなおあかりげん田中たなかとも高野たかの[6][7]
たい高岡たかおかやすしじゅう小幡おばた光重みつしげ田野たのしげるつぎあさしゅん[4][6]
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小田おだ 知重ちえ(おだ ともしげ)は、平安へいあん時代じだい末期まっきから鎌倉かまくら時代ときよ前期ぜんき武士ぶし鎌倉かまくら幕府ばくふ御家人ごけにん小田おだ八田はった 知重ちえとも。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

宇都宮うつのみや一族いちぞくで、常陸ひたちこく守護しゅごつとめた八田はったとも[6]ちちとともにみなもと頼朝よりともしたがい、うけたまわ5ねん1181ねん)には頼朝よりともより弓術きゅうじゅつ達人たつじん11にんなかえらばれ、寝所ねどこ警備けいびやくにんじられている[4][注釈ちゅうしゃく 2]もとこよみ元年がんねん1184ねん)のたいら追討ついとうではちちとともに源範頼みなもとののりよりぐんしたがって西国さいこく下向げこう[9]文治ぶんじ5ねん1189ねん)の奥州おうしゅう合戦かっせんにもちちとともに東海道とうかいどうぐんとして出陣しゅつじんしている[10][11]たてひさ元年がんねん1190ねん)、頼朝よりとも上洛じょうらくちちらとともに随行ずいこう[12]頼朝よりともより有功ゆうこうものとして推挙すいきょけたため、すで叙任じょにんけていたちちゆずりをけてしたがえしたひだり兵衛ひょうえじょうにんじられる[3][13][注釈ちゅうしゃく 3]。またけんひさ6ねん1195ねん)の度目どめ上洛じょうらくにも随行ずいこうしている[14]

正治しょうじ元年がんねん1199ねん)、梶原かじはら景時かげとき弾劾だんがいする御家人ごけにん66めいくわわる(梶原かじはら景時かげときへん[15]元久もとひさ2ねん1205ねん)、おとうととも義弟ぎてい中条ちゅうじょう家長かちょうらとともに北条ほうじょうよしときぐんくわわり、武蔵むさしこく二俣川ふたまたがわ畠山はたけやま重忠しげただたたかう(畠山はたけやま重忠しげただらん[3][16]けんれき3ねん1213ねん)、自邸じてい近隣きんりん屋敷やしきかまえる和田わだ義盛よしもり軍兵ぐんびょうあつめていることをさっして大江広元おおえのひろもとにそのことを報告ほうこくし、和田わだ合戦かっせん端緒たんしょひらいた。なおこのたたかいでおとうと宍戸ししど家政いえまさ討死うちじにしている[3][17]前後ぜんごしてちち入道にゅうどうし、常陸ひたち国守くにもりまもる知重ちえ継承けいしょうした[18]うけたまわひさし3ねん1221ねん)、承久じょうきゅうらんでは当初とうしょ北条ほうじょうやすしときどきぼう東海道とうかいどうぐんぞくし、のち千葉ちば胤綱たねつな結城ゆうきあさひろとともに北陸ほくりくどうぐんへの増援ぞうえんとなっている[3]戦後せんごらん加担かたんうたがわれた日吉ひよし大社たいしゃ禰宜ねぎしゅくなりしげる身柄みがらあずかっている[19]。その常陸ひたち知行ちぎょうこくおも二条にじょう定輔ていすけむすんで同国どうこく御家人ごけにんだいじょう相伝そうでんする常陸ひたちだいじょうしょくうばおうと画策かくさくしたが、安貞やすさだ元年がんねん1228ねん)に幕府ばくふより「非分ひぶんもち」とこれを退しりぞけられている。これによって以来いらいたいだいじょう行動こうどう終息しゅうそくしたとおもわれる[3][20][21]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 佐竹さたけ古文書こもんじょ小田代こただい城主じょうしゅこと生年せいねんよしみおう2ねん1170ねん)とする。[よう出典しゅってん]
  2. ^ じゅうにん北条ほうじょうよしとき下河辺しもこうべ行平こうへい結城ゆうき朝光ともみつ和田わだ義茂よしもち梶原かじはらけい宇佐美うさみみのるせいはしばみたに重朝しげとも葛西かさい清重きよしげ佐原さはらよしれん千葉ちばたねただし[8]
  3. ^ 千葉ちばつねしゅう祖父そふ常胤つねたねゆずり)・梶原かじはらけいしげるちち景時かげときゆずり)がひだり兵衛ひょうえじょう三浦みうらよしむらちち義澄よしずみゆずり)・葛西かさい清重きよしげみぎ兵衛ひょうえじょう和田わだ義盛よしもり佐原さはらよしれん足立あだちとおもと左衛門尉さえもんのじょう小山こやま朝政ともまさ比企ひきのういんみぎ衛門えもんじょうにんじられている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょ へんだい日本にっぽん史料しりょう だいよんへん』 2かん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1968ねんISBN 978-4-13-090152-9 
  • 東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょ へんだい日本にっぽん史料しりょう だいよんへん』 3かん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1969ねんISBN 978-4-13-090153-6 
  • 東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょ へんだい日本にっぽん史料しりょう だいよんへん』 4かん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1969ねんISBN 978-4-13-090154-3 
  • 東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょ へんだい日本にっぽん史料しりょう だいよんへん』 6かん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1970ねんISBN 978-4-13-090156-7 
  • 東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょ へんだい日本にっぽん史料しりょう だいよんへん』 8かん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1970ねんISBN 978-4-13-090158-1 
  • 東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょ へんだい日本にっぽん史料しりょう だいよんへん』 12かん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1972ねんISBN 978-4-13-090162-8 
  • 東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょ へんだい日本にっぽん史料しりょう だいよんへん』 16かん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1972ねんISBN 978-4-13-090166-6 
  • 東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょ へんだい日本にっぽん史料しりょう だいへん』 1かん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1968ねんISBN 978-4-13-090201-4 
  • 東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょ へんだい日本にっぽん史料しりょう だいへん』 4かん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1969ねんISBN 978-4-13-090204-5 
  • 網野あみの善彦よしひこ ちょ小田おだ」、国史こくしだい辞典じてん編集へんしゅう委員いいんかい へん国史こくしだい辞典じてん』 2かん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1980ねんISBN 978-4-642-00502-9 
  • 茨城いばらきけん編集へんしゅう委員いいんかい へん茨城いばらきけん』 2かん中世ちゅうせいへん》、茨城いばらきけん、1986ねん 
  • 吾妻あづまきょう吉川よしかわほん〉』 1かん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2008ねんISBN 978-4-420-41966-6