大尉たいい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
海軍かいぐん大尉たいいから転送てんそう
アメリカ陸軍りくぐん大尉たいい階級かいきゅうあきら戦闘せんとうふくよう

大尉たいい(たいい)は、軍隊ぐんたい階級かいきゅうひとつ。尉官いかん最上級さいじょうきゅうであり、中尉ちゅういうえ少佐しょうさした位置いちする。

おおくのくに海軍かいぐんでは、海軍かいぐん大尉たいいは2じょうせん階級かいきゅうあらわされる。昭和しょうわ大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんでは習慣しゅうかんてきに「だいい」と呼称こしょうした[1]詳細しょうさい#日本にっぽんぐん参照さんしょう)。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

日本にっぽんぐん[編集へんしゅう]

版籍はんせき奉還ほうかんのち1870ねん10月12にち明治めいじ3ねん9月18にち)に太政官だじょうかん沙汰さたにより海陸かいりくぐん大佐たいさ以下いか官位かんい相当そうとうさだめたときに海陸かいりくぐん少佐しょうさした海陸かいりくぐん中尉ちゅういうえ海陸かいりくぐん大尉たいいせいなな相当そうとうとした[2] [注釈ちゅうしゃく 1] [注釈ちゅうしゃく 2] [注釈ちゅうしゃく 4] [注釈ちゅうしゃく 5]1871ねん2がつ11にち明治めいじ3ねん12月22にち)にかくはん常備じょうびへい編制へんせいほうさだめたときに歩兵ほへい大隊だいたい中隊ちゅうたいちょう大尉たいい改称かいしょうし、また砲兵ほうへい隊長たいちょう大尉たいい改称かいしょうした[11] [12] [注釈ちゅうしゃく 4]少尉しょうい以上いじょう総称そうしょうして上等じょうとう士官しかんといいはんちょう選抜せんばつして兵部ひょうぶしょう届出とどけでさせた[11] [12]。 1871ねん4がつ2にち明治めいじ4ねん2がつ13にち)におやへい編制へんせいして兵部ひょうぶしょう管轄かんかつさせることになり[13]、また同年どうねん6がつ10日とおか同年どうねん4がつ23にち)に東山ひがしやま西海さいかい両道りょうどう鎮台ちんだいいて兵部ひょうぶしょう管轄かんかつぞくすことになり[14]兵部ひょうぶしょうによる海陸かいりくぐん大尉たいい任官にんかんれい増加ぞうかする[注釈ちゅうしゃく 6]廃藩置県はいはんちけん[注釈ちゅうしゃく 7]のち明治めいじ4ねん8がつ[注釈ちゅうしゃく 8]官制かんせい等級とうきゅう改定かいてい[25]およ兵部ひょうぶしょう官等かんとう改定かいてい[26] [注釈ちゅうしゃく 9]明治めいじ5ねん1がつ官等かんとう改正かいせい[28]およ兵部ひょうぶしょうちゅう官等かんとうひょう改定かいていなどすう変更へんこうがあり[26] [注釈ちゅうしゃく 10]明治めいじ5ねん2がつ兵部ひょうぶしょう廃止はいしおよ陸軍りくぐんしょう海軍かいぐんしょう設置せっち[30]明治めいじ6ねん5がつ8にち太政官だじょうかん布達ふたつだい154ごう[31] [32]による陸海りくかいぐん武官ぶかん官等かんとうひょう改正かいせい軍人ぐんじん階級かいきゅう呼称こしょうとしてつづもちいられ[注釈ちゅうしゃく 18]西欧せいおう近代きんだいぐん階級かいきゅう呼称こしょう序列じょれつてはめられることとなった[注釈ちゅうしゃく 19]

二等兵にとうへいとして任官にんかんした軍人ぐんじん陸軍りくぐん教導きょうどうだん陸軍りくぐん幼年ようねん学校がっこう陸軍りくぐん中央ちゅうおう幼年ようねん学校がっこう陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう海軍兵学校かいぐんへいがっこう陸軍りくぐんだい学校がっこう海軍かいぐんだい学校がっこうなどのぐん学校がっこうずに昇進しょうしん可能かのう最高さいこう階級かいきゅうでもある[注釈ちゅうしゃく 20]

昭和しょうわ日本にっぽん海軍かいぐんでは、「大尉たいい」は正式せいしきには「たいい」とばれたものの、習慣しゅうかんてきには「だいい」ともばれた[1]

自衛隊じえいたい[編集へんしゅう]

日米にちべい共同きょうどう訓練くんれん「アイアンフィスト」における訓練くんれん風景ふうけい手前てまえみぎアメリカ海兵かいへいたい大尉たいいおくみぎ陸上りくじょう自衛隊じえいたい一等いっとうりくじょう、2012ねん

かく自衛隊じえいたいでは、1じょう略称りゃくしょう)に相当そうとうする。警察けいさつでは警部けいぶ相当そうとうし、中央ちゅうおう官庁かんちょうでは本省ほんしょう係長かかりちょうまた主任しゅにん相当そうとうする[39]

職務しょくむ中隊ちゅうたい長等ながら指揮しき官職かんしょくほかふく中隊ちゅうたいちょう運用うんよう訓練くんれん幹部かんぶ上級じょうきゅう部隊ぶたい班長はんちょうしょく幕僚ばくりょう活動かつどうおこなう。また、偵察ていさつたいおよ後方こうほう支援しえんたい連隊れんたい)の整備せいび中隊ちゅうたい直接ちょくせつ支援しえん中隊ちゅうたいではしょう隊長たいちょうしょく場合ばあいもあるほか、方面ほうめん通信つうしんぐん基地きち通信つうしん中隊ちゅうたいとう派遣はけん部隊ぶたいでは派遣はけん隊長たいちょうしょくとしての活動かつどうおこなわれる。また、航空こうくう自衛隊じえいたいではおも操縦そうじゅうしょう隊長たいちょう航空こうくうだん司令しれいとう班長はんちょう一部いちぶかく編成へんせい単位たんい部隊ぶたい長等ながら補職ほしょくされる。

欧米おうべい[編集へんしゅう]

Captainは、もともとはラテン語らてんごの「あたま」をしめす「caput」に由来ゆらいし、このため部隊ぶたい規模きぼにかかわらず隊長たいちょう意味いみしている。歴史れきしてきには中隊ちゅうたい保有ほゆうしゃてんじて中隊ちゅうたい指揮しきかん意味いみし、傭兵ようへい主体しゅたいであった時代じだいには募兵ぼへい担当たんとう通常つうじょう中隊ちゅうたい単位たんい実行じっこうされるため)していた[40]

英語えいごで「Captain キャプテン」(隊長たいちょう)というのは、そもそもこの階級かいきゅう傭兵ようへいたい後世こうせい中隊ちゅうたい相当そうとう)などのちょう役職やくしょく制度せいど階級かいきゅうされたことに由来ゆらいする。海軍かいぐんのみが、三軍さんぐんでは中尉ちゅうい相当そうとうする「Lieutenant」になっている[注釈ちゅうしゃく 19]

イギリス

  • 陸軍りくぐん Captain
  • 海軍かいぐん Lieutenant通常つうじょう[lefténant]のように発音はつおんする。)
  • 海兵かいへいたい Captain
  • 空軍くうぐん Flight Lieutenant

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

  • 陸軍りくぐん Captain
  • 海軍かいぐん Lieutenant
  • 海兵かいへいたい Captain
  • 空軍くうぐん Captain

ドイツ

  • 陸軍りくぐん Hauptmann
  • 海軍かいぐん Kapitänleutnant(カピテーンロイトナント)、海軍かいぐん言葉ことばではしばしば Kaleu(カーロイ)とりゃくされる。
  • 空軍くうぐん Hauptmann
  • 軍医ぐんい Stabsarzt
  • 薬剤やくざい Stabsapotheker
  • 獣医じゅうい Stabsveterinär

フランス

  • 陸軍りくぐん Capitaine
  • 海軍かいぐん Lieutenant de vaisseau
  • 空軍くうぐん Capitaine
  • 憲兵けんぺいたい Capitaine

中国ちゅうごく[編集へんしゅう]

大尉たいいとはことなるが、古代こだい中国ちゅうごくにおいて軍事ぐんじ担当たんとうする高官こうかん官職かんしょくめいふとしじょうがあった。もちろん現在げんざい軍隊ぐんたい階級かいきゅう大尉たいいは、古代こだい日本にっぽん律令りつりょうせい由来ゆらいとした命名めいめいであり、古代こだい中国ちゅうごく官職かんしょくとは関係かんけいがない(官職かんしょくとしてくなっており、そのような高位こういかん格下かくさげになったといった歴史れきし存在そんざいしない)[注釈ちゅうしゃく 5]

なお、現代げんだい中国ちゅうごくにおいても1955ねんから1965ねんまでは尉官いかんさい上位じょういうえじょううえ階級かいきゅうとして大尉たいい階級かいきゅうめい使つかわれていた。1988ねん以降いこう尉官いかんさい上位じょういうえじょうとされ大尉たいいもちいられていない。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 法令ほうれい全書ぜんしょでは布達ふたつではなく「沙汰さた」としている[3] [4]。また、だい604ごうはいわゆる法令ほうれい番号ばんごうではなく法令ほうれい全書ぜんしょ編纂へんさんしゃ整理せいり番号ばんごうとして付与ふよした番号ばんごう[5]
  2. ^ 兵部ひょうぶしょうわきまえかんあて海陸かいりくぐん大佐たいさ以下いか官位かんい相当そうとうひょう上申じょうしんしていたが決定けってい日数にっすうがかかっており、明治めいじ3ねん7がつ28にち官位かんい相当そうとうひょう決定けってい催促さいそくをしている[6]
  3. ^ 1870ねん6がつ1にち明治めいじ3ねん5月3にち)には、横須賀よこすか長崎ながさき横浜よこはま製鉄せいてつじょうそうかん細大さいだい事務じむ委任いにんめいぜられたみんけんだいすすむ山尾やまお庸三ようぞうたいして、おぼしにより海軍かいぐんはイギリスしきによっておこすように指示しじしている[7]
  4. ^ a b 1870ねん10がつ26にち明治めいじ3ねん10月2にち)に海軍かいぐんイギリスしき[注釈ちゅうしゃく 3]陸軍りくぐんフランスしき斟酌しんしゃくして常備じょうびへい編制へんせいする方針ほうしんしめされ、かくはんへい陸軍りくぐんはフランスしきもとづき漸次ぜんじ改正かいせい編制へんせいさせていった[8]
  5. ^ a b 大尉たいい古代こだい中国ちゅうごくでもられる官職かんしょくめいであるが、新式しんしき軍隊ぐんたい階級かいきゅうとして使用しようしたのは中国ちゅうごく用例ようれいくらべて日本にっぽんがそれよりはやいことから、日本にっぽんさきしんとして転用てんようした可能かのうせいたかいと推測すいそくされる[9]荒木あらきはじめは、律令制りつりょうせい官職かんしょくめい有名ゆうめい無実むじつとなっていたことをまえて、一致いっちさせる。軍人ぐんじん中央ちゅうおう政府せいふ直属ちょくぞくさせる。などの意味合いみあいから衛門えもん兵衛ひょうえから尉官いかんかんめい採用さいようしたのではないかと推測すいそくしている[10]
  6. ^ 明治めいじ4ねん2がつ22にち春日しゅんじつかん副長ふくちょう伊東いとう四郎しろう海軍かいぐん大尉たいいにんじた[15]同年どうねん5がつ17にち大坂おおさかまる船長せんちょう福島ふくしま弥太やたろくはやぶさまる船長せんちょう相浦あいうらおさむどう海軍かいぐん大尉たいいにんじ、けんさかぐまよんろう海軍かいぐん大尉たいいにんじた。このとき大阪おおさかまる船長せんちょう福島ふくしま弥太やたろくきのえてつ艦長かんちょうだいめいじる辞令じれいべつしており、海軍かいぐん大尉たいい階級かいきゅう船長せんちょう艦長かんちょうだいなどの職務しょくむ区別くべつしている[16]同月どうげつ19にち日進にっしんかん副長ふくちょうおかれんこれすけ海軍かいぐん大尉たいいにんじた。このときおかれんこれすけきのえてつかん乗組のりくみめいじる辞令じれいべつしており、海軍かいぐん大尉たいい階級かいきゅう軍艦ぐんかん乗組のりくみ職務しょくむ区別くべつしている[17]明治めいじ4ねん5がつ25にち白井しらい龍吉りゅうきち陸軍りくぐん大尉たいいにんじた[18]。このとき同人どうじんだい2連隊れんたいだい1大隊だいたい小隊しょうたい隊長たいちょうめいじ、ただし当分とうぶん6ばん小隊しょうたい兼勤けんきんとする辞令じれいべつしており、陸軍りくぐん大尉たいい階級かいきゅう小隊しょうたい隊長たいちょうしょく区別くべつしている[19] [20]同日どうじつほり常之助つねのすけ陸軍りくぐん大尉たいいにんじた。このとき同人どうじんだい3連隊れんたいだい1大隊だいたい副官ふっかんめいじる辞令じれいべつしており陸軍りくぐん大尉たいい階級かいきゅう大隊だいたい副官ふっかんしょく区別くべつしている[21]
  7. ^ a b c 明治めいじ17ねん陸軍りくぐんしょう稟定により、明治めいじ4ねん廃藩置県はいはんちけんさいきゅうかくはんより召集しょうしゅうした兵員へいいんうち大尉たいい心得こころえとうめいぜられたもの服役ふくえきねん計算けいさんかたについては、大尉たいい心得こころえ大尉たいい勤務きんむじゅん大尉たいいとうかんめいではないけれども実際じっさい武官ぶかんしょくほうじていたものであって、そのことなっているとしてもそのじつ本官ほんかん職務しょくむ同一どういつであるので、そのつとむつかまつ年月としつき服役ふくえき年期ねんきじついれすることとしている[22]
  8. ^ 陸軍りくぐんでは服役ふくえきねん始期しき明治めいじ4ねん8がつを以って始期しきとするため、その以前いぜんよりつとむつかまつものであったとしてもすべ同月どうげつ始期しきとした[23]海軍かいぐんでは服役ふくえきねん始期しきについて、じゅん士官しかん以上いじょう明治めいじ4ねん8がつ以前いぜん服役ふくえきねん算入さんにゅうしない[24]
  9. ^ 明治めいじ4ねん12月調しらべの職員しょくいんろくによれば海軍かいぐん大尉たいいとして30めい陸軍りくぐん大尉たいいとして102めい掲載けいさいされている[27]
  10. ^ これまでのじゅんせきでは海軍かいぐんうえ陸軍りくぐんしたにしていたが、明治めいじ5ねん1がつ20日はつか官等かんとうひょうから陸軍りくぐんうえ海軍かいぐんした変更へんこうした[29]
  11. ^ 当時とうじ官制かんせい規定きていがないことにかかわらずげん明治めいじ4ねん7がつ以前いぜん一時いちじ賜金しきん明治めいじ4ねん8がつ以後いご恩給おんきゅうねん通算つうさんした先例せんれいもある軍人ぐんじん名称めいしょううち大尉たいい相当そうとうするものにはつぎのようなものがある(個人こじんめい省略しょうりゃく[35]
    • 明治めいじ23ねん陸軍りくぐん恩給おんきゅうれいにより恩給おんきゅうけているものうち
      • 大尉たいいだい退役たいえき砲兵ほうへい大尉たいい
      • 大尉たいいじゅんせき退役たいえき砲兵ほうへい中佐ちゅうさ
    • 明治めいじ24ねん軍人ぐんじん恩給おんきゅうほうにより恩給おんきゅうけているものうち
      • とう士官しかん退役たいえき歩兵ほへい中佐ちゅうさ
      • 大尉たいいじゅんせき退役たいえき歩兵ほへい中佐ちゅうさ
      • 大尉たいい心得こころえ退役たいえき歩兵ほへい少佐しょうさ
      • 大尉たいい心得こころえ退役たいえき歩兵ほへい少佐しょうさ
      • 大尉たいい心得こころえ退役たいえき歩兵ほへい大佐たいさ
  12. ^ 大尉たいい心得こころえはその本官ほんかんしょくる。本官ほんかんとは、大尉たいい中隊ちゅうたいちょうしょく[36]
  13. ^ 前項ぜんこう大尉たいい心得こころえひとしいもの[36]
  14. ^ じゅんせきはすべてそのかん相当そうとうしょくっていたもの。すなわ大尉たいい中隊ちゅうたいちょう[36]
  15. ^ ぐんかん監察かんさつしょくっていたもの[36]大尉たいい相当そうとう[36]
  16. ^ とう士官しかん大尉たいい相当そうとうであってそのしょくっていたもの[36]
  17. ^ 前項ぜんこうとう士官しかんひとしいものであってそのしょくっていたもの[36]
  18. ^ 1873ねん明治めいじ6ねん)5がつ以前いぜんもちいられた各種かくしゅ名義めいぎ軍人ぐんじんについて、当時とうじ官制かんせいいて規定きていした明文めいぶんがないものの、たとえば心得こころえじゅんかんのような名義めいぎものであっても当時とうじ戦時せんじさいして上司じょうし命令めいれいもっ実際じっさい軍隊ぐんたい官衙かんがとう奉職ほうしょくしその任務にんむほうじたことから、明治めいじ25ねん5がつ陸軍りくぐん大臣だいじんの請議による閣議かくぎいてこれらを軍人ぐんじん認定にんていしており[33] [34] [注釈ちゅうしゃく 11]、これらのうち大尉たいい相当そうとうするものには明治めいじ3・4・5ねんころ大尉たいい心得こころえ[注釈ちゅうしゃく 12] [注釈ちゅうしゃく 7]明治めいじ2・3・4ねんころじゅん大尉たいいなら職務しょくむ[注釈ちゅうしゃく 13] [注釈ちゅうしゃく 7]明治めいじ2・3・4ねんころ大尉たいいじゅんせき[注釈ちゅうしゃく 14]明治めいじ元年がんねん以来いらい明治めいじ4ねんごろぐんかん心得こころえ[37] [注釈ちゅうしゃく 15]明治めいじ元年がんねん以降いこう明治めいじ4ねんごろまでのとう士官しかん[注釈ちゅうしゃく 16]じゅんとう士官しかん[注釈ちゅうしゃく 17]などがある[37] [36] [34]
  19. ^ a b 明治めいじ5ねん1がつ海軍かいぐんしょうさだめた外国がいこく国内こくない海軍かいぐん武官ぶかん呼称こしょうによるとシニヲル・リューテナントを大尉たいい対応たいおうさせている[38]
  20. ^ 二等兵にとうへいからはじまる徴兵ちょうへい軍人ぐんじんでも功績こうせきみとめられ、上官じょうかんからのすすめで幹部かんぶ養成ようせい学校がっこう入校にゅうこうした場合ばあいはこのかぎりではなく、少佐しょうさ以上いじょう階級かいきゅう昇進しょうしんしたれいおおい。れいとして、武藤むとう信義のぶよしとうそつ二等兵にとうへい旧称きゅうしょう)からはじまり、陸軍りくぐん教導きょうどうだん陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう陸軍りくぐんだい学校がっこうすすみ、最終さいしゅうてきには元帥げんすいにまでのぼめている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 大尉たいい」「大佐たいさ」のみは?”. NHK放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ. 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい (2016ねん2がつ1にち). 2019ねん6がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  2. ^ ウィキソース出典 太政官だじょうかん海陸かいりくぐん大中だいなか少佐しょうさ及尉かん及陸ぐん曹長そうちょうけん曹長そうちょうおけ』。ウィキソースより閲覧えつらん 
  3. ^ 内閣ないかく官報かんぽうきょく へんだい604ごう海陸かいりくぐん大中だいなか少佐しょうさ及尉かん及陸ぐん曹長そうちょうけん曹長そうちょうおけク(9がつ18にち)(すな)(太政官だじょうかん)」『法令ほうれい全書ぜんしょ明治めいじねん内閣ないかく官報かんぽうきょく東京とうきょう、1912ねん、357ぺーじNDLJP:787950/211 
  4. ^ 御沙汰ごさたしょ 9月くがつ 官位かんい相当そうとうひょうけんいたる」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C09090037000、公文こうぶん類纂るいさん 明治めいじねん まき1 本省ほんしょう公文こうぶん 制度せいど しょくかん防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
  5. ^ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん (2019ねん). “7. 法令ほうれい種別しゅべつ法令ほうれい番号ばんごう” (html). 日本法令にほんほうれい索引さくいん明治めいじ前期ぜんきへん. ヘルプ(使つかかたガイド). 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. 2023ねん12月2にち閲覧えつらん
  6. ^ べんかん往復おうふくうるう 7がつ 官位かんい相当そうとうひょうよしづけ上申じょうしん」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C09090036900、公文こうぶん類纂るいさん 明治めいじねん まき1 本省ほんしょう公文こうぶん 制度せいど しょくかん防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
  7. ^ 海軍かいぐんえいしききょうスヘキヲ山尾やまおみんけんだいすすむれいス」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15070892000、ふとしせいるいてんだいいちへん慶応けいおうさんねん明治めいじよんねんだいひゃくじゅうよんかん兵制へいせいざつ国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  8. ^ 常備じょうび兵員へいいん海軍かいぐんえいしき陸軍りくぐん仏式ぶっしき斟酌しんしゃく編制へんせいいんかくはんへい陸軍りくぐん仏式ぶっしきもと漸次ぜんじ改正かいせい編制へんせいセシム」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15070892100、ふとしせいるいてんだいいちへん慶応けいおうさんねん明治めいじよんねんだいひゃくじゅうよんかん兵制へいせいざつ国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  9. ^ かたきあげ 2019, pp. 83–85, 附録ふろく17.
  10. ^ 荒木あらきはじめ陸軍りくぐんまどから(だいかい)「階級かいきゅう呼称こしょうのルーツ」」(pdf)『偕行』だい853ごう偕行社かいこうしゃ東京とうきょう、2022ねん5がつ2023ねん11月12にち閲覧えつらん 
  11. ^ a b かくはん常備じょうびへい編制へんせいほうていム」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15070861600、ふとしせいるいてんだいいちへん慶応けいおうさんねん明治めいじよんねんだいひゃくはちかん兵制へいせい徴兵ちょうへい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)(だい2画像がぞうからだい3画像がぞうまで)
  12. ^ a b 単行たんこうしょ大政たいせい紀要きようしたへんだいろくじゅうかん官職かんしょくはち陸軍りくぐん武官ぶかん」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A04017112800、単行たんこうしょ大政たいせい紀要きようしたへんだいろくじゅうかん官職かんしょくはち陸軍りくぐん武官ぶかん国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)(だい7画像がぞう
  13. ^ 薩長さっちょうさんはんれいシテおやへいちょう兵部ひょうぶしょう管轄かんかつセシム」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15070858800、ふとしせいるいてんだいいちへん慶応けいおうさんねん明治めいじよんねんだいひゃくはちかん兵制へいせい徴兵ちょうへい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  14. ^ 東山ひがしやま西海さいかい両道りょうどう鎮台ちんだいおけ兵部ひょうぶしょう管轄かんかつぞくス」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15070838700、ふとしせいるいてんだいいちへん慶応けいおうさんねん明治めいじよんねんだいひゃくろくかん兵制へいせい陸海りくかいぐん官制かんせい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  15. ^ 海軍かいぐんもろたち 伊東いとう四郎しろう海軍かいぐん大尉たいい任官にんかんがいすうけんたち」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C09090212500、公文こうぶん類纂るいさん 明治めいじねん まき4 本省ほんしょう公文こうぶん 黜陟1(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)(だい1画像がぞう
  16. ^ 「5がつ17にち 大阪おおさかまるせん長福ながふくしま弥太やた六飛準丸船長相浦忠一郎及兼坂熊四郎任海軍大尉」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C10070828600、明治めいじねんしたがえ正月しょうがついたりがつ しょうちゅうたちとめ防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
  17. ^ 「5がつ19にち 日進にっしんかんとう士官しかん吉島よしじま六郎ろくろうにん海軍かいぐん中尉ちゅうい」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C10070829500、明治めいじねんしたがえ正月しょうがついたりがつ しょうちゅうたちとめ防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
  18. ^ 「5がつ23にち 海軍かいぐん少尉しょうい伊藤いとうきのえてつかん乗組のりくみ申付もうしつけ」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C10070830400、明治めいじねんしたがえ正月しょうがついたりがつ しょうちゅうたちとめ防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)(だい4画像がぞう
  19. ^ 「5がつ25にち 白井しらい龍吉りゅうきちにん陸軍りくぐん大尉たいい及第きゅうだい連隊れんたいだい大隊だいたい小隊しょうたい隊長たいちょう申付もうしつけ」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C10070830500、明治めいじねんしたがえ正月しょうがついたりがつ しょうちゅうたちとめ防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
  20. ^ 「5がつ25にち はくこう龍吉りゅうきちにん陸軍りくぐん大尉たいい及第きゅうだい連隊れんたいだい大隊だいたいばん小隊しょうたい隊長たいちょう申付もうしつけ」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C10070852100、明治めいじねんがつ~5がつ 陸軍りくぐんもろたち 4(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
  21. ^ 「5がつ25にち 山下やましたげんしん陸軍りくぐん少尉しょうい心得こころえ及第きゅうだい連隊れんたいだい大隊だいたいばん小隊しょうたい分隊ぶんたいちょう申付もうしつけ」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C10070831000、明治めいじねんしたがえ正月しょうがついたりがつ しょうちゅうたちとめ防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)(だい3画像がぞうからだい4画像がぞうまで)
  22. ^ 陸軍りくぐんしょう廃藩置県はいはんちけんさい大尉たいい心得こころえとういのちセラレタルしゃ服役ふくえき年数ねんすう起算きさんかたヲ稟定ス」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15110825600、公文こうぶん類聚るいじゅうだいはちへん明治めいじじゅうななねんだいじゅうさんかん兵制へいせいしょう恤賜あずか国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  23. ^ JACAR:A15110505000だい9画像がぞうからだい10画像がぞうまで)
  24. ^ JACAR:A15110505000だい25画像がぞうからだい26画像がぞうまで)
  25. ^ 内閣ないかく官報かんぽうきょく へん太政官だじょうかんだい400 官制かんせい等級とうきゅう改定かいていス(8がつ10日とおか)」『法令ほうれい全書ぜんしょ明治めいじねん内閣ないかく官報かんぽうきょく東京とうきょう、1912ねん、317−321ぺーじNDLJP:787951/195 
  26. ^ a b 兵部ひょうぶしょう官等かんとう改定かいていじょう国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00424100、件名けんめい番号ばんごう:001、ふとしせいるいてんだいへん明治めいじよんねん明治めいじじゅうねんだいひゃくかん兵制へいせいいち武官ぶかん職制しょくせいいち
  27. ^ 職員しょくいんろく明治めいじよんねん十二月じゅうにがつしょ官省かんしょう官員かんいんろく袖珍しゅうちんあらため」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A09054276600、職員しょくいんろく明治めいじよんねん十二月じゅうにがつしょ官省かんしょう官員かんいんろく袖珍しゅうちんあらため国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)(だい74画像がぞうからだい75画像がぞうまで、だい79画像がぞうからだい81画像がぞうまで)
  28. ^ 内閣ないかく官報かんぽうきょく へん明治めいじ5ねん正月しょうがつ20にち太政官だじょうかんだい16ごう官等かんとうひょう」『法令ほうれい全書ぜんしょ明治めいじねん内閣ないかく官報かんぽうきょく東京とうきょう、1912ねん、45−47ぺーじNDLJP:787952/78 
  29. ^ 官等かんとう改正かいせい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00236100、件名けんめい番号ばんごう:002、ふとしせいるいてんだいへん明治めいじよんねん明治めいじじゅうねんだいじゅうよんかん官制かんせいいち文官ぶんかん職制しょくせいいちだい2画像がぞう
  30. ^ 内閣ないかく官報かんぽうきょく へん太政官だじょうかんだい62ごう 兵部ひょうぶしょうはい陸海りくかいぐん両省りょうしょうおけク(2がつ28にち)(ぬの)」『法令ほうれい全書ぜんしょ明治めいじねん内閣ないかく官報かんぽうきょく東京とうきょう、1912ねん、71ぺーじNDLJP:787952/91 
  31. ^ 内閣ないかく官報かんぽうきょく へんだい154ごう陸海りくかいぐん武官ぶかん官等かんとうひょう改定かいてい(5がつ8にち)(ぬの)」『法令ほうれい全書ぜんしょ明治めいじねん内閣ないかく官報かんぽうきょく東京とうきょう、1912ねん、200−201ぺーじNDLJP:787953/175 
  32. ^ 陸海りくかいぐん武官ぶかん官等かんとうひょう改正かいせいじょう国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00424100、件名けんめい番号ばんごう:004、ふとしせいるいてんだいへん明治めいじよんねん明治めいじじゅうねんだいひゃくかん兵制へいせいいち武官ぶかん職制しょくせいいちだい1画像がぞうからだい2画像がぞうまで)
  33. ^ JACAR:A15112559500だい1画像がぞうからだい2画像がぞうまで)
  34. ^ a b JACAR:A15112559500だい10画像がぞう
  35. ^ JACAR:A15112559500だい5画像がぞうからだい6画像がぞうまで)
  36. ^ a b c d e f g h JACAR:A15112559500だい7画像がぞうからだい10画像がぞうまで)
  37. ^ a b JACAR:A15112559500だい3画像がぞうからだい5画像がぞうまで)
  38. ^ 海軍かいぐん武官ぶかん彼我ひが称呼しょうこていム」国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00432100、件名けんめい番号ばんごう:003、ふとしせいるいてんだいへん明治めいじよんねん明治めいじじゅうねんだいひゃくじゅうかん兵制へいせいきゅう武官ぶかん職制しょくせいきゅう
  39. ^ 自衛隊じえいたい広島ひろしま地方ちほう協力きょうりょく本部ほんぶ自衛隊じえいたいしまなみ通信つうしん
  40. ^ 阪口さかぐちひだりみP48

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • かたきあげ近代きんだいちゅう軍事ぐんじ用語ようご変容へんよう交流こうりゅう研究けんきゅう』(pdf)2019ねん9がつ20日はつかdoi:10.32286/00019167hdl:10112/00019167https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/15107/files/KU-0010-20190920-03.pdf2023ねん11月12にち閲覧えつらん 
  • 阪口さかぐち修平しゅうへいへん近代きんだいヨーロッパの探求たんきゅう12 軍隊ぐんたいミネルみねるァ書房ぁしょぼう、2009ねん
  • 陸軍りくぐん恩給おんきゅうれい改正かいせいシ及ヒ海軍かいぐん恩給おんきゅうれいていム・四条しじょう」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15110505000、公文こうぶん類聚るいじゅうだいななへん明治めいじじゅうろくねんだいじゅういちかん兵制へいせいななしょう恤賜てんざつ国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  • 明治めいじ初年しょねん各種かくしゅ名義めいぎヲ以テ軍隊ぐんたい官衙かんがとう奉職ほうしょくシ者ししゃ軍人ぐんじんトシテ恩給おんきゅうねん算入さんにゅうかた」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15112559500、公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅうろくへん明治めいじじゅうねんだいよんじゅうかんしょう恤・褒賞ほうしょう恩給おんきゅう賑恤しんじゅつ国立こくりつ公文書こうぶんしょかん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • うみじょう - 近代きんだい以前いぜん海軍かいぐん階級かいきゅう制度せいどの「Lieutenant」にたいする意訳いやく詳細しょうさい当該とうがい項目こうもく参照さんしょう
  • じゅん大尉たいい
  • ベトナム戦争せんそう - 大尉たいいなどの尉官いかんきゅう将校しょうこうは、率先そっせんして前線ぜんせん前線ぜんせん指揮しきかんみなみベトナム政府せいふぐん軍事ぐんじ顧問こもんなどの危険きけん任務にんむにつく場合ばあいおおく、非常ひじょう死傷ししょうりつたかかったことから、「大尉たいい墓場はかば」とばれた。
  • ユゼフ・コワルスキー - ポーランドのスーパーセンテナリアン。1920ねんに20さい兵卒へいそつとして入隊にゅうたい退役たいえきしたが、2012ねんには110さい誕生たんじょうむかえた祝福しゅくふくとして大尉たいい昇進しょうしんした。