(Translated by https://www.hiragana.jp/)
第13師団 (日本軍) - Wikipedia コンテンツにスキップ

だい13師団しだん (日本にっぽんぐん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
だい13師団しだん
演習えんしゅうちゅうだい13師団しだん
創設そうせつ 1905ねん明治めいじ38ねん4がつ1にち
廃止はいし 1925ねん大正たいしょう14ねん5月1にち
さい編成へんせい 1937ねん昭和しょうわ12ねん9がつ10日とおか
廃止はいし 1945ねん昭和しょうわ20ねん
所属しょぞく政体せいたい 大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
部隊ぶたい編制へんせい単位たんい 師団しだん
兵種へいしゅ/任務にんむ 歩兵ほへい
所在地しょざいち 高田たかだ-樺太からふと-朝鮮ちょうせん-シベリア仙台せんだい-華中かちゅう-華南かなん
編成へんせい 高田たかだ仙台せんだい
通称つうしょうごう/略称りゃくしょう かがみ
補充ほじゅう担任たんにん だい13かんだい2かん仙台せんだいかん仙台せんだい管区かんく
最終さいしゅう上級じょうきゅう単位たんい 天皇てんのうちょく隷/ささえ派遣はけんぐん
最終さいしゅう位置いち 高田たかだ湖南こなんしょう ちょうすな
戦歴せんれき 樺太からふとたたかにち戦争せんそう)-シベリア出兵しゅっぺいにちちゅう戦争せんそう
テンプレートを表示ひょうじ

だい13師団しだん(だいじゅうさんしだん)は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん師団しだんひとつ。

にち戦争せんそうなか1905ねん明治めいじ38ねん)と、にちちゅう戦争せんそう勃発ぼっぱつ1937ねん昭和しょうわ12ねん)に編成へんせいされた。

だいいち編成へんせい

[編集へんしゅう]

にち戦争せんそう末期まっき1905ねん明治めいじ38ねん)4がつ従来じゅうらい師団しだんすべてを動員どういんしたため、本土ほんど駐留ちゅうりゅう師団しだんがなくなる事態じたいとなった。そこでだい13師団しだんふくむ4師団しだん創設そうせつされた。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうセオドア・ルーズベルト意見いけん[1][2]日本にっぽんにち戦争せんそう講和こうわ有利ゆうりはこぶために樺太からふと占領せんりょう決定けっていし、だい13師団しだん投入とうにゅうされた。独立どくりつだい13師団しだんとして編成へんせいされた師団しだん7がつ7にち樺太からふと大泊おおとまりぐん深海ふかみむらおんなうらら(めれい)に上陸じょうりくすると北上ほくじょうつづけ、8がつ1にちにはちゅう樺太からふとロシア帝国ていこくぐん降伏ごうぶくし、樺太からふと全島ぜんとう占領せんりょう完了かんりょうした。その締結ていけつされたポーツマス条約じょうやくにより、千島ちしま樺太からふと交換こうかん条約じょうやくでロシアりょうになった樺太からふとのうち北緯ほくい50以南いなん日本にっぽんりょうになった。

きゅう陸軍りくぐんだい13師団しだん司令しれい営門あと新潟にいがたけん上越じょうえつ高田たかだ城址じょうし公園こうえんうち
きゅう陸軍りくぐんだい13師団しだん長官ちょうかんしゃ新潟にいがたけん上越じょうえつ
長岡ながおか外史がいし銅像どうぞう新潟にいがたけん上越じょうえつきゅう陸軍りくぐんだい13師団しだん長官ちょうかんしゃ

1906ねん明治めいじ39ねん)、だい13師団しだん常設じょうせつ師団しだんとして信越しんえつ地方ちほう設置せっちされる方針ほうしんあきらかになると、新潟にいがたけん高田たかだまち現在げんざい高田たかだ)が積極せっきょくてき誘致ゆうち運動うんどうおこない、衛戍えいじゅとなった[3]新潟にいがたけん高田たかだ新発田しばた長野ながのけん松本まつもと歩兵ほへい連隊れんたい新潟にいがたけん小千谷おじや工兵こうへい大隊だいたい配置はいちされ、高田たかだには連隊れんたい司令しれい憲兵けんぺい分隊ぶんたい衛戍えいじゅ病院びょういんなど師団しだん基幹きかん部隊ぶたい配置はいちされた[3]。また、高田たかだ周辺しゅうへん中田原なかだはら練兵れんぺいじょう灰塚はいつか射撃しゃげきじょう関山せきやま演習えんしゅうじょう設定せっていされた。

1908ねん明治めいじ41ねん)11月6にち師団しだん司令しれい高田たかだしん庁舎ちょうしゃ移転いてん[4]1913ねん大正たいしょう2ねん)4がつ12にち師団しだん司令しれい満州まんしゅうりょう移転いてんした[5]1915ねん大正たいしょう4ねん)6がつ3にち師団しだん司令しれい高田たかだ帰還きかんした[6]

師団しだんはその朝鮮ちょうせんちゅう剳を1920ねん大正たいしょう9ねん)のシベリア出兵しゅっぺい動員どういんされた。1923ねん大正たいしょう12ねん)の関東大震災かんとうだいしんさいには救援きゅうえん部隊ぶたいとして東京とうきょう出動しゅつどうし、警備けいび任務にんむ従事じゅうじした[3]。しかし、大正たいしょう年間ねんかんにはつづ戦役せんえきによって政府せいふ財政難ざいせいなんとなっており、1925ねん大正たいしょう14ねん)に加藤かとう高明こうめい内閣ないかくおこなわれた所謂いわゆる宇垣うがき軍縮ぐんしゅく」によって4師団しだん廃止はいしまり、だい13師団しだんだい15師団しだんだい17師団しだんだい18師団しだんとともに廃止はいしされた。

余談よだんとして、1910ねん明治めいじ43ねん)より蔣介せき野戦やせん砲兵ほうへい高田たかだ)として一時期いちじき在籍ざいせきしていたことがある。

また、長岡ながおか外史がいしだい13師団しだんちょうだった1911ねん明治めいじ44ねん)1がつ12にちオーストリア=ハンガリー帝国ていこく軍人ぐんじんだったテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐しょうさから、師団しだんスキー専修せんしゅういんにスキー技術ぎじゅつ伝授でんじゅされた。これが日本にっぽんにおけるスキー発祥はっしょうわれている。

歴代れきだい団長だんちょう

[編集へんしゅう]
  • 原口はらぐちけんすみ 中将ちゅうじょう:1905ねん明治めいじ38ねん)4がつ1にち - 1906ねん明治めいじ39ねん)7がつ6にち
  • 岡崎おかざきせいさん 中将ちゅうじょう:1906ねん明治めいじ39ねん)7がつ6にち - 1910ねん明治めいじ43ねん)6がつ1にち
  • 長岡ながおか外史がいし 中将ちゅうじょう:1910ねん明治めいじ43ねん)6がつ1にち - 1913ねん大正たいしょう2ねん)1がつ15にち
  • 秋山あきやま好古よしふる 中将ちゅうじょう:1913ねん大正たいしょう2ねん)1がつ15にち - 1915ねん大正たいしょう4ねん)2がつ15にち
  • 安藤あんどういわおすい 中将ちゅうじょう:1915ねん大正たいしょう4ねん)2がつ15にち - 1918ねん大正たいしょう7ねん)7がつ24にち
  • 西川にしかわ虎次郎とらじろう 中将ちゅうじょう:1918ねん大正たいしょう7ねん)7がつ24にち - 1921ねん大正たいしょう10ねん)1がつ6にち
  • 河村かわむら正彦まさひこ 中将ちゅうじょう:1921ねん大正たいしょう10ねん)1がつ6にち - 1923ねん大正たいしょう12ねん)8がつ6にち
  • 井戸川いどがわ辰三たつぞう 中将ちゅうじょう:1923ねん大正たいしょう12ねん)8がつ6にち - 1925ねん大正たいしょう14ねん)5がつ1にち廃止はいし

歴代れきだい参謀さんぼうちょう

[編集へんしゅう]

最終さいしゅう所属しょぞく部隊ぶたい

[編集へんしゅう]
騎兵きへいだい17連隊れんたい跡地あとちてられた記念きねん新潟にいがたけん上越じょうえつ高田たかだ城址じょうし公園こうえんない

だい編成へんせい

[編集へんしゅう]

にちちゅう戦争せんそう勃発ぼっぱつすると日本にっぽん本土ほんどから次々つぎつぎ師団しだん中国ちゅうごく大陸たいりく派遣はけんされ、同時どうじ従来じゅうらい常設じょうせつ師団しだんからあらたに特設とくせつ師団しだん編成へんせいされた。だい13師団しだんも、1937ねん昭和しょうわ12ねん9がつ10日とおか留守るすだい2師団しだん担当たんとう復活ふっかつし、上海しゃんはい派遣はけんぐん司令しれいかん松井まついいし大将たいしょう要請ようせいにより、だい9師団しだんおよびだい101師団しだんとともにだい上海しゃんはい事変じへん増援ぞうえんぐんとして上海しゃんはい戦線せんせんおもむいた。

上海しゃんはいせんのち南京なんきん攻略こうりゃくせん投入とうにゅう1938ねん昭和しょうわ13ねん2がつ14にちには新設しんせつされたちゅうささえ派遣はけんぐん戦闘せんとう序列じょれつ編入へんにゅうされじょしゅう会戦かいせんたたかい、7がつ4にちにはだい2ぐん編入へんにゅう武漢ぶかん作戦さくせん参戦さんせんした。その11月9にちだい11ぐん編入へんにゅうされ、中国ちゅうごく戦線せんせんでの様々さまざま作戦さくせん参戦さんせんした。

太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんだい11ぐん隷でした華中かちゅうり、1944ねん昭和しょうわ19ねん)には大陸たいりくどおり作戦さくせんだいだん湘桂作戦さくせん参加さんかして広西ひろせしょう進攻しんこう9月11にちぜんけん攻略こうりゃくし、11月1にちにはかつらりんだい2・だい3飛行場ひこうじょう占領せんりょう一時いちじしゅうしょうまで進出しんしゅつし、12月2にちにはどくさん占領せんりょうした。作戦さくせん終了しゅうりょうだい11ぐん司令しれいかれたやなぎしゅう西側にしがわ宜山よしやま方面ほうめん警備けいび担当たんとうした。なお南側みなみがわみなみやすし方面ほうめんだい3師団しだん北東ほくとうがわかつらりん方面ほうめんだい58師団しだん担当たんとうした。1945ねん昭和しょうわ20ねん)になると戦局せんきょく変化へんかから広西ひろせしょう方面ほうめん日本にっぽんぐん撤退てったい開始かいし4がつ18にちだい3師団しだんとともにささえ派遣はけんぐん直轄ちょっかつ師団しだんとなり、南京なんきん方面ほうめんけて移動いどうちゅう湖南こなんしょうちょうすな終戦しゅうせんむかえた。

師団しだん当初とうしょ歩兵ほへいだい65連隊れんたい歩兵ほへいだい104連隊れんたい歩兵ほへいだい58連隊れんたい歩兵ほへいだい116連隊れんたい隷下れいかよん単位たんい師団しだんとして編成へんせいされた。1942ねん昭和しょうわ17ねん)12月には、歩兵ほへいだい58連隊れんたいだい31師団しだん転用てんようし、さん単位たんい編制へんせい改編かいへんされた。

歴代れきだい団長だんちょう

[編集へんしゅう]
  • 荻洲おぎす立兵りゅうへい 中将ちゅうじょう:1937ねん昭和しょうわ12ねん)9がつ10日とおか - 1939ねん昭和しょうわ14ねん)8がつ1にち
  • 田中たなかしずいち 中将ちゅうじょう:1939ねん昭和しょうわ14ねん)8がつ1にち - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)9がつ28にち
  • 内山うちやま英太郎えいたろう 中将ちゅうじょう:1940ねん昭和しょうわ15ねん)9がつ28にち - 1942ねん昭和しょうわ17ねん)8がつ17にち
  • あか鹿しか 中将ちゅうじょう:1942ねん昭和しょうわ17ねん)8がつ17にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)1がつ20日はつか
  • 吉田よしだ峯太郎みねたろう 中将ちゅうじょう:1945ねん昭和しょうわ20ねん)1がつ20日はつか - 終戦しゅうせん

歴代れきだい参謀さんぼうちょう

[編集へんしゅう]
  • はた勇三郎ゆうさぶろう 砲兵ほうへい大佐たいさ:1937ねん昭和しょうわ12ねん)9がつ24にち- 1938ねん3がつ1にち[21]
  • 吉原よしはらのり 工兵こうへい大佐たいさ:1938ねん昭和しょうわ13ねん)3がつ1にち - 1938ねん12がつ10日とおか[22]
  • 石川いしかわ琢磨たくま 歩兵ほへい大佐たいさ:1938ねん昭和しょうわ13ねん)12がつ10日とおか - 1940ねん3がつ9にち[23]
  • 秋永あきながりょく 歩兵ほへい大佐たいさ:1940ねん昭和しょうわ15ねん)3がつ9にち - 1942ねん8がつ1にち[24]
  • がわ庸治ようじ 大佐たいさ:1942ねん昭和しょうわ17ねん)8がつ1にち- 1945ねん6がつ15にち[25]
  • 中村なかむらしたがえきち 大佐たいさ:1945ねん昭和しょうわ20ねん)6がつ15にち - 終戦しゅうせん[26]

最終さいしゅう司令しれい構成こうせい

[編集へんしゅう]
  • 参謀さんぼうちょう中村なかむらしたがえきち大佐たいさ
    • 参謀さんぼう鎌沢かまのさわいた少佐しょうさ
  • 経理けいり部長ぶちょう大井おおいきよし主計しゅけい中佐ちゅうさ
  • 軍医ぐんい部長ぶちょう柴田しばた長七ちょうしち軍医ぐんい中佐ちゅうさ
  • 獣医じゅうい部長ぶちょう井上いのうえさくら文郎ふみお獣医じゅうい中佐ちゅうさ

最終さいしゅう所属しょぞく部隊ぶたい

[編集へんしゅう]
  • 歩兵ほへいだい65連隊れんたい会津若松あいづわかまつ):服部はっとりたく四郎しろう大佐たいさ
  • 歩兵ほへいだい104連隊れんたい仙台せんだい):野口のぐち義男よしお大佐たいさ
  • 歩兵ほへいだい116連隊れんたい新発田しばた):岩下いわした栄一えいいち大佐たいさ
  • 山砲さんぽうへいだい19連隊れんたい石浜いしはまいさお大佐たいさ
  • 工兵こうへいだい13連隊れんたい石川いしかわ省三しょうぞう大佐たいさ
  • 輜重しちょうへいだい13連隊れんたい田原たはら親雄ちかお大佐たいさ
  • だい13師団しだん通信つうしんたいだいその広志ひろし少佐しょうさ
  • だい13師団しだん兵器へいき勤務きんむたい中西なかにし新作しんさく少佐しょうさ
  • だい13師団しだん衛生えいせいたい橋本はしもとただし中佐ちゅうさ
  • だい13師団しだんだい1野戦やせん病院びょういん藤井ふじい清士きよし軍医ぐんい少佐しょうさ
  • だい13師団しだんだい2野戦やせん病院びょういん中山なかやまめぐみおっと軍医ぐんい少佐しょうさ
  • だい13師団しだんだい4野戦やせん病院びょういん山田やまだとおる軍医ぐんい少佐しょうさ
  • だい13師団しだんびょううましょう増田ますだ健治けんじ獣医じゅうい大尉たいい

現存げんそんする師団しだん長官ちょうかんしゃ

[編集へんしゅう]

新潟にいがたけん上越じょうえつに、当時とうじ建設けんせつされていた場所ばしょから移転いてんされた旧師きゅうしだん長官ちょうかんしゃがある。師団しだん長官ちょうかんしゃ現存げんそんしているのは新潟にいがたけん上越じょうえつきゅうだい13師団しだん)、愛知あいちけん豊橋とよはしきゅうだい15師団しだん)、青森あおもりけん弘前ひろさききゅうだい8師団しだん)のみっつである。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 1924ねん12月4にち死去しきょ。『官報かんぽうだい3693ごう大正たいしょう13ねん12月12にち

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 隅谷すみや三喜男みきお日本にっぽん歴史れきし22 大日本帝国だいにっぽんていこく試煉しれん』(中公ちゅうこう文庫ぶんこ、1974ねん8がつ)309-310ぺーじ ISBN 4122001315
  2. ^ 猪木いのき正道せいどう軍国ぐんこく日本にっぽん興亡こうぼう にちしん戦争せんそうからにちちゅう戦争せんそうへ』(中公新書ちゅうこうしんしょ、1995ねん3がつ)53-56ぺーじ ISBN 4121012321
  3. ^ a b c 中野なかのりょう日本にっぽん陸軍りくぐん軍事ぐんじ演習えんしゅう地域ちいき社会しゃかい』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん 2019ねんISBN 978-4-642-03888-1)pp.110-112
  4. ^ 官報かんぽうだい7615ごう明治めいじ41ねん11月12にち
  5. ^ 官報かんぽうだい216ごう大正たいしょう2ねん4がつ22にち
  6. ^ 官報かんぽうだい853ごう大正たいしょう4ねん6がつ7にち
  7. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』45ぺーじ
  8. ^ a b 7がつ28にち だい13師団しだん参謀さんぼうちょう小泉こいずみ策郎さくろう留守るすだい8師団しだん参謀さんぼうちょうどう参謀さんぼうちょう川村かわむら秀一ひでかずだい13師団しだん参謀さんぼうちょういのち移牒いちょう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C09122159500 
  9. ^ a b 10月19にち だい13師団しだん参謀さんぼうちょう河村かわむら騎兵きへい大佐たいさを〔留守るすだい11師団しだん参謀さんぼうちょうに〔留守るすだい11師団しだん参謀さんぼうちょう若見わかみ歩兵ほへい中佐ちゅうさだい13師団しだん参謀さんぼうちょういのちかえかた移牒いちょうけん」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C09122194300 
  10. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』80ぺーじ
  11. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』83ぺーじ
  12. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』96ぺーじ
  13. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』93ぺーじ
  14. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』103ぺーじ
  15. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』114ぺーじ
  16. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』144ぺーじ
  17. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』150ぺーじ
  18. ^ 官報かんぽうだい3435ごう大正たいしょう13ねん2がつ7にち
  19. ^ 官報かんぽうだい3567ごう大正たいしょう13ねん7がつ14にち
  20. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』179-180ぺーじ
  21. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』299ぺーじ
  22. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』371ぺーじ
  23. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』395ぺーじ
  24. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』392ぺーじ
  25. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』442-443ぺーじ
  26. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』402ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 外山とやまみさお森松もりまつ俊夫としお編著へんちょ帝国ていこく陸軍りくぐん編制へんせい総覧そうらん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1987ねん
  • はたいくへん日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]