第 6師団 (日本 軍 )
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1888 | |
1945 | |
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ソロモン | |
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概要
[明治 ・大正 期
[1894
1902
1910
1923
1927
1931
大陸 戦線
[1937
1938
太平洋 戦線
[その
歴代 師 団長
[山地 元治 中将 :1888年 (明治 21年 )5月 14日 - 1890年 (明治 23年 )6月 7日 (最後 の熊本 鎮台 司令 官 )野崎 貞 澄 中将 :1890年 明治 23年 )6月 7日 - 1892年 (明治 25年 )12月8日 北白川宮能久親王 中将 :1892年 (明治 25年 )12月8日 - 1893年 (明治 26年 )11月 10日 黒木 為 楨中将 :1893年 (明治 26年 )11月 10日 - 1896年 (明治 29年 )10月 14日 茨木 惟 昭 中将 :1896年 (明治 29年 )10月 14日 - 1900年 (明治 33年 )4月 25日 伊 瀬 知 好成 中将 :1900年 (明治 33年 )4月 25日 - 1902年 (明治 35年 )5月 5日 大久保 春野 中将 :1902年 (明治 35年 )5月 5日 - 1906年 (明治 39年 )7月 6日 西島 助 義 中将 :1906年 (明治 39年 )7月 6日 - 1909年 (明治 42年 )9月 3日 木越 安 綱 中将 :1909年 (明治 42年 )9月 3日 - 1911年 (明治 44年 )9月 6日 梅沢 道治 中将 :1911年 (明治 44年 )9月 6日 - 1915年 (大正 4年 )10月 4日 明石 元二郎 中将 :1915年 (大正 4年 )10月 4日 - 1918年 (大正 7年 )6月 6日 小池 安之 中将 :1918年 (大正 7年 )6月 10日 - 1921年 (大正 10年 )6月 28日 山田 虎夫 中将 :1921年 (大正 10年 )6月 28日 - 1922年 (大正 11年 )11月24日 柚原 完 蔵 中将 :1922年 (大正 11年 )11月24日 - 1926年 (大正 15年 )3月 2日 福田 彦助中将 :1926年 (大正 15年 )3月 2日 - 1929年 (昭和 4年 )8月 1日 荒木 貞夫 中将 :1929年 (昭和 4年 )8月 2日 - 1931年 (昭和 6年 )8月 1日 坂本 政 右 衛門 中将 :1931年 (昭和 6年 )8月 1日 - 1934年 (昭和 9年 )3月 5日 香椎 浩平 中将 :1934年 (昭和 9年 )3月 5日 - 1935年 (昭和 10年 )12月2日 谷 寿夫 中将 :1935年 (昭和 10年 )12月2日 - 1937年 (昭和 12年 )12月28日 稲葉 四郎 中将 :1937年 (昭和 12年 )12月28日 - 1939年 (昭和 14年 )12月1日 町尻 量 基 中将 :1939年 (昭和 14年 )12月1日 - 1941年 (昭和 16年 )4月 1日 神田 正種 中将 :1941年 (昭和 16年 )4月 1日 - 1945年 (昭和 20年 )4月 1日 秋永 力 中将 :1945年 (昭和 20年 )4月 1日 -終戦
歴代 参謀 長
[川村 景明 歩兵 大佐 :1888年 (明治 21年 )5月 14日 - 1889年 3月 12日 [7]阪 元 純 熈歩兵 大佐 :1889年 (明治 22年 )3月 12日 [8] - 1894年 6月 6日 [9]福原 豊 功 歩兵 大佐 :1894年 (明治 27年 )6月 6日 - 1894年 8月 27日 [10]松村 務 本 歩兵 大佐 :1894年 (明治 27年 )8月 30日 [11] - 1896年 9月 25日 [12]佐々木 直 歩兵 大佐 :1896年 (明治 29年 )9月 25日 [12] - 1897年 4月 14日 [13]塚本 勝 嘉 歩兵 大佐 :1897年 (明治 30年 )4月 22日 [14] - 1897年 9月 28日 [11]山根 武 亮 工兵 大佐 :1897年 (明治 30年 )9月 28日 - 1898年 10月 1日 [15]一 戸 兵衛 歩兵 大佐 :1898年 (明治 31年 )10月 1日 - 1901年 5月 22日 [16]山本 信行 歩兵 大佐 :1901年 (明治 34年 )5月 23日 - 1903年 3月 21日 [17]児島 八 二 郎 歩兵 中佐 :1903年 (明治 36年 )3月 21日 - 1905年 8月 8日 [18]栗田 直 八郎 歩兵 中佐 :1905年 (明治 38年 )8月 8日 - 1906年 7月 11日 [19]藤井 幸 槌 歩兵 中佐 :1906年 (明治 39年 )7月 11日 - 1907年 12月13日 [20]佐藤 兼 毅 歩兵 大佐 :1907年 (明治 40年 )12月13日 - 1913年 8月 22日 [21]藤津 準一 砲兵 大佐 :1913年 (大正 2年 )8月 22日 - 1916年 8月 18日 [22]市瀬 敬 三郎 歩兵 大佐 :1916年 (大正 5年 )8月 18日 - 1917年 8月 6日 [23]細野 辰雄 歩兵 大佐 :1917年 (大正 6年 )8月 6日 - 1918年 7月 24日 [24]安原 滝蔵 歩兵 大佐 :1918年 (大正 7年 )7月 24日 - 1921年 7月 20日 [25]新井 亀太郎 歩兵 大佐 :1921年 (大正 10年 )7月 20日 - 1922年 8月 15日 [26]友 森繁 治郎 歩兵 大佐 :1922年 (大正 11年 )8月 15日 - 1923年 12月21日 [27]大泉 製 之 助 砲兵 大佐 :1923年 (大正 12年 )12月21日 - 1927年 7月 26日 [28]黒田 周一 歩兵 大佐 :1927年 (昭和 2年 )7月 26日 - 1929年 8月 1日 [29]谷藤 長英 歩兵 大佐 :1929年 (昭和 4年 )8月 1日 - 1932年 8月 8日 [30]佐々木 吉 良 輜重 兵 大佐 :1932年 (昭和 7年 )8月 8日 - 1933年 12月 20日 [31]秦 雅 尚 歩兵 大佐 :1933年 (昭和 8年 )12月 20日 - 1935年 3月 15日 [32]間崎 信夫 歩兵 大佐 :1935年 (昭和 10年 )3月 15日 - 1936年 3月 28日 [33]横山 勇 歩兵 大佐 :1936年 (昭和 11年 )3月 28日 - 1937年 3月 1日 [34]下野 一 霍砲兵 大佐 :1937年 (昭和 12年 )3月 1日 - 1938年 3月 1日 [35]重田 徳松 砲兵 大佐 :1938年 (昭和 13年 )3月 1日 - 1939年 3月 9日 [36]石川 浩 三郎 歩兵 大佐 :1939年 (昭和 14年 )3月 9日 - 1941年 10月 15日 [37]山之内 二郎 大佐 :1941年 (昭和 16年 )10月 15日 - 1943年 6月 11日 [38]江島 義行 中佐 :1943年 (昭和 18年 )6月 11日 [39] -終戦 [40]
最終 所属 部隊
[歩兵 第 13連隊 (熊本 ):牟田 豊治 大佐 歩兵 第 23連隊 (都城 ):福田 環 中佐 歩兵 第 45連隊 (鹿児島 ):福永 康夫 大佐 野砲 兵 第 6連隊 :中村 光 平 大佐 騎兵 第 6連隊 :越沢 三郎 大佐 工兵 第 6連隊 :柴原 貞 喜 少佐 輜重 兵 第 6連隊 :服部 政之助 大佐 第 6師団 通信 隊 :定 岡 正憲 大尉 第 6師団 兵器 勤務 隊 :岩下 鉄男 大尉 第 6師団 衛生 隊 :安部 政太郎 中佐 第 6師団 第 1野戦 病院 :鈴木 文治 軍医 少佐 第 6師団 第 2野戦 病院 :永田 盛雄 軍医 少佐 第 6師団 第 4野戦 病院 :石原 定次 軍医 少佐 第 6師団 病 馬 廠 :永友 登 獣医 大尉 第 6師団 架橋 材料 隊 :矢部 茂 少佐
脚注
[- ^ “
熊本 城 復興 に向 けて明治天皇 の熊本 城 行幸 ”.熊本 市 . 2024年 4月 10日 閲覧 。 - ^ 『
官報 』第 8061号 、明治 43年 5月 9日 。 - ^ 『
官報 』第 1171号 、大正 5年 6月 27日 。 - ^ 『
官報 』第 1404号 、大正 6年 4月 10日 。 - ^ 「
遺体 収容 進 まず、工兵 隊 の派遣 要請 」『大阪毎日新聞 』1927年 (昭和 2年 )9月 14日 号外 (昭和 ニュース編纂 委員 会 編 『昭和 ニュース事典 第 1巻 昭和 元年 -昭和 3年 』本編 p.166毎日 コミュニケーションズ刊 1994年 ) - ^
原 武史 『昭和 天皇 御召 列車 全 記録 』新潮社 、2016年 9月 30日 、71頁 。ISBN 978-4-10-320523-4。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』20頁 。 - ^ 『
官報 』第 1711号 、明治 22年 3月 16日 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』25頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』22頁 。 - ^ a b 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』30頁 。 - ^ a b 『
官報 』第 3976号 、明治 29年 9月 28日 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』33頁 。 - ^ 『
官報 』第 4142号 、明治 30年 4月 27日 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』49頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』36頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』38頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』66頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』74頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』75頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』77頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』100頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』104頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』115頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』135頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』134頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』161頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』172頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』189頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』211頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』221頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』239頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』257頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』260頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』290頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』314頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』374頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』440頁 。 - ^ 「
第 109号 昭和 18年 6月 12日 陸軍 異動 通報 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C12120891200 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』464頁 。
参考 文献
[外山 操 ・森松 俊夫 編著 『帝国 陸軍 編制 総覧 』芙蓉 書房 出版 、1987年 。秦 郁 彦編『日本 陸海 軍 総合 事典 』第 2版 、東京大学 出版 会 、2005年 。福川 秀樹 『日本 陸軍 将官 辞典 』芙蓉 書房 出版 、2001年 。外山 操 編 『陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』芙蓉 書房 出版 、1981年 。