第 5師団 (日本 軍 )
| |
1888 | |
1945 | |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
インドネシア セラム | |
|
1873
戦歴
[日 清 戦争
[1894
義和 団 の乱
[1900
日 露 戦争
[シベリア出兵
[1919
日 中 戦争
[1937
1940
太平洋戦争
[マレー作戦
[12月8
シンガポールの戦 い
[シンガポール
この
フィリピン作戦
[1942
ニューギニア作戦
[1942
その後
[1943
歴代 師 団長
[野津 道貫 中将 :1888年 (明治 21年 )5月 14日 - 1894年 (明治 27年 )11月29日 奥 保鞏 中将 :1894年 (明治 27年 )11月29日 - 1896年 (明治 29年 )10月 14日 山口 素 臣 中将 :1896年 (明治 29年 )10月 14日 - 1904年 (明治 37年 )3月 17日 上田 有沢 中将 :1904年 (明治 37年 )3月 17日 - 1904年 (明治 37年 )11月2日 木越 安 綱 中将 :1904年 (明治 37年 )11月2日 - 1909年 (明治 42年 )9月 3日 大谷 喜久蔵 中将 :1909年 (明治 42年 )9月 3日 - 1915年 (大正 4年 )5月 24日 小原 伝 中将 :1915年 (大正 4年 )5月 24日 - 1917年 (大正 6年 )8月 6日 福田 雅太郎 中将 :1917年 (大正 6年 )8月 6日 - 1918年 (大正 7年 )10月 10日 山田 隆一 中将 :1918年 (大正 7年 )10月 10日 - 1919年 (大正 8年 )3月 8日 鈴木 荘 六 中将 :1919年 (大正 8年 )3月 18日 - 1921年 (大正 10年 )6月 15日 山田 陸 槌 中将 :1921年 (大正 10年 )6月 15日 - 1923年 (大正 12年 )8月 6日 岸本 鹿 太郎 中将 :1923年 (大正 12年 )8月 6日 - 1926年 (大正 15年 )7月 28日 牧 達之 中将 :1926年 (大正 15年 )7月 28日 - 1928年 (昭和 3年 )8月 10日 原口 初太郎 中将 :1928年 (昭和 3年 )8月 10日 - 1930年 (昭和 5年 )8月 1日 寺内 寿一 中将 :1930年 (昭和 5年 )8月 1日 - 1932年 (昭和 7年 )1月 9日 二宮 治 重 中将 :1932年 (昭和 7年 )1月 9日 - 1934年 (昭和 9年 )3月 5日 小磯 國昭 中将 :1934年 (昭和 9年 )3月 5日 - 1935年 (昭和 10年 )12月2日 林 桂 中将 :1935年 (昭和 10年 )12月2日 - 1937年 (昭和 12年 )3月 1日 板垣 征四郎 中将 :1937年 (昭和 12年 )3月 1日 - 1938年 (昭和 13年 )5月 25日 安藤 利吉 中将 :1938年 (昭和 13年 )5月 25日 - 1938年 (昭和 13年 )11月9日 今村 均 中将 :1938年 (昭和 13年 )11月9日 - 1940年 (昭和 15年 )3月 9日 中村 明人 中将 :1940年 (昭和 15年 )3月 9日 - 1940年 (昭和 15年 )10月 15日 松井 太 久郎 中将 :1940年 (昭和 15年 )10月 15日 - 1942年 (昭和 17年 )5月 11日 山本 務 中将 :1942年 (昭和 17年 )5月 11日 - 1944年 (昭和 19年 )10月 2日 山田 清一 中将 :1944年 (昭和 19年 )10月 2日 - 1945年 (昭和 20年 )8月 15日 小堀 金城 少将 (師団 長 代理 ):1945年 (昭和 20年 )8月 15日
歴代 参謀 長
[塩屋 方 圀砲兵 大佐 :1888年 (明治 21年 )5月 14日 - 1892年 2月 3日 [14]福原 豊 功 歩兵 大佐 :1892年 (明治 25年 )2月 6日 - 1894年 6月 6日 [15]上田 有沢 歩兵 大佐 :1894年 (明治 27年 )6月 6日 - 1896年 10月 15日 [16]大迫 尚道 砲兵 中佐 :1896年 (明治 29年 )10月 15日 [17] - 1898年 12月23日 [18]小泉 正保 歩兵 大佐 :1898年 (明治 31年 )12月23日 - 1900年 4月 25日 [19]石橋 健蔵 歩兵 中佐 :1900年 (明治 33年 )4月 25日 - 1901年 4月 8日 [20]永田 亀 砲兵 大佐 :1901年 (明治 34年 )4月 8日 - 1902年 5月 5日 [21]仁田 原 重行 歩兵 大佐 :1902年 (明治 35年 )5月 5日 - 1905年 4月 9日 [22]野島 忠孝 歩兵 中佐 :1905年 (明治 38年 )4月 9日 [23] - 1907年 7月 30日 [24]古海 厳 潮 歩兵 中佐 :1907年 (明治 40年 )7月 30日 - 1909年 11月30日 [25]新免 行 太郎 砲兵 大佐 :1909年 (明治 42年 )11月30日 - 1912年 4月 26日 [26]石坂 善次郎 砲兵 大佐 :1912年 (明治 45年 )4月 26日 - 1915年 4月 21日 [27]吉江 石 之 助 歩兵 大佐 :1915年 (大正 4年 )4月 21日 - 1917年 8月 6日 [28]西原 為五郎 歩兵 大佐 :1917年 (大正 6年 )8月 6日 - 1918年 9月 9日 [29]二子 石 官 太郎 歩兵 大佐 :1918年 (大正 7年 )9月 9日 - 1922年 8月 15日 [30]山本 鶴一 歩兵 大佐 :1922年 (大正 11年 )8月 15日 - 1923年 8月 6日 [31]深見 新之助 歩兵 大佐 :1923年 (大正 12年 )8月 6日 - 1926年 3月 2日 [32]松井 栄雄 歩兵 大佐 :1926年 (大正 15年 )3月 2日 - 1928年 8月 10日 [33]松田 巻 平 歩兵 大佐 :1928年 (昭和 3年 )8月 10日 - 1930年 3月 6日 [34]安藤 利吉 歩兵 大佐 :1930年 (昭和 5年 )3月 6日 - 1931年 3月 11日 [35]岩松 義雄 歩兵 大佐 :1931年 (昭和 6年 )3月 11日 - 1932年 1月 9日 [36]安岡 正臣 歩兵 大佐 :1932年 (昭和 7年 )1月 9日 - 1935年 3月 15日 [37]三浦 敏 事 歩兵 大佐 :1935年 (昭和 10年 )3月 15日 - 1936年 3月 7日 [38]西村 利 温 工兵 大佐 :1936年 (昭和 11年 )3月 7日 - 1937年 11月1日 [39]桜田 武 歩兵 大佐 :1937年 (昭和 12年 )11月1日 - 1939年 8月 1日 [40]玉置 温和 歩兵 大佐 :1939年 (昭和 14年 )8月 1日 - 1940年 8月 1日 [41]渡辺 粂一歩兵 大佐 :1940年 (昭和 15年 )8月 1日 - 1941年 7月 7日 [42]河 越 重定 大佐 :1941年 (昭和 16年 )7月 7日 - 1942年 4月 1日 [42]川本 芳太郎 大佐 :1942年 (昭和 17年 )4月 1日 - 1942年 12月4日 [43]馬淵 逸雄 大佐 :1942年 (昭和 17年 )12月4日 - 1945年 2月 1日 [44]浜島 厳 郎 大佐 :1943年 (昭和 20年 )2月 1日 [45] - 1945年 8月 6日 [46]清水 隆 大佐 :1945年 (昭和 20年 )9月 7日 [47] -
編制
[歩兵 第 11連隊 (広島 ):佐々木 五三 大佐 歩兵 第 21連隊 (浜田 ):佐々木 慶雄 大佐 歩兵 第 42連隊 (山口 ):吉川 章 大佐 野砲 兵 第 5連隊 :中平 峯吉 大佐 捜索 第 5連隊 :藤村 信吉 大佐 工兵 第 5連隊 :後藤 之 敏 中佐 輜重 兵 第 5連隊 :上木 隆之 大佐 第 5師団 通信 隊 :後藤 好夫 大尉 第 5師団 兵器 勤務 隊 :守田 晟 大尉 第 5師団 衛生 隊 :寺 松 芳松 少佐 第 5師団 第 2野戦 病院 :呉羽 新次 軍医 少佐 第 5師団 第 4野戦 病院 :松下 勲 雄 軍医 中佐 第 5師団 経理 勤務 隊
脚注
[- ^ 『
官報 』第 8363号 、明治 44年 5月 11日 。 - ^ 『
官報 』第 220号 、大正 2年 4月 26日 。 - ^ 『
官報 』第 2121号 、大正 8年 8月 29日 。 - ^ Japanese Forces Operating along the Northern Sector of Peiping-Hankow Railway Mid-August, 1937
- ^ a b
戦史 叢書 『陸軍 軍 戦備 』、298頁 。 - ^ "Japanese Army in World War II : Conquest of the Pacific 1941-42", by Gordon Rottman, p.17
- ^ “Australia-Japan Research Project -”. 5 June 2016
閲覧 。 - ^ “HyperWar: US Army in WWII: Victory in Papua”. 5 June 2016
閲覧 。 - ^ “Australian War Memorial - AJRP Essays”. 5 June 2016
閲覧 。 - ^ "The Ghost Mountain Boys: Their Epic March and the Terrifying Battle for New Guinea--The Forgotten War of the South...2007/10/2 James Campbell
- ^ “HyperWar: US Army in WWII: Victory in Papua”. 5 June 2016
閲覧 。 - ^ “HyperWar: US Army in WWII: Victory in Papua”. 5 June 2016
閲覧 。 - ^ “HyperWar: US Army in WWII: Victory in Papua”. 5 June 2016
閲覧 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』23頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』22頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』28頁 。 - ^ 『
官報 』第 3993号 、明治 29年 10月 19日 。 - ^ 『
官報 』第 4647号 、明治 31年 12月24日 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』50頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』59頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』56頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』67頁 。 - ^ 『
帝国 陸軍 編制 総覧 』223頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』74頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』79頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』88頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』94頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』98頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』116頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』128頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』142頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』167頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』180頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』196頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』206頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』219頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』228頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』242頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』275頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』332頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』410頁 。 - ^ a b 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』430頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』430頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』421頁 。 - ^ 『
帝国 陸軍 編制 総覧 』1311頁 。 - ^ 『
日本 陸軍 将官 辞典 』586頁 。 - ^ 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』445頁 。
参考 文献
[- 『
官報 』 外山 操 ・森松 俊夫 編著 『帝国 陸軍 編制 総覧 』芙蓉 書房 出版 、1987年 。外山 操 編 『陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』芙蓉 書房 出版 、1981年 。秦 郁 彦編 『日本 陸海 軍 総合 事典 』第 2版 、東京 大学 出版 会 、2005年 。福川 秀樹 『日本 陸軍 将官 辞典 』芙蓉 書房 出版 、2001年 。防衛庁 防衛 研修 所 戦史 部 『陸軍 軍 戦備 』(戦史 叢書 )、朝 雲 新聞 社 、1979年 。
関連 項目
[大日本帝国 陸軍 師団 一覧 日 清 戦争 凱旋 碑 原爆 スラム →広島 市 中央公園 ・市営 基 町 高層 アパート -第 5師団 消滅 後 の跡地 の利用 。