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VHDメディア

VHDVideo High Density Disc、ブイエイチディ)は、1980年代ねんだい日本にほんビクターげんJVCケンウッド)が開発かいはつしたレコードばん形状けいじょうビデオディスク規格きかくである。

製品せいひん概要がいよう

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日本にほんビクターがレコード製造せいぞう事業じぎょう延長えんちょうとして、1974ねんからビデオディスク開発かいはつ研究所けんきゅうじょ発足ほっそくさせ[1]1978ねん9月に発表はっぴょう[2]日本にほんビクターの母体ぼたいであったRCA商用しょうようしたCEDビデオディスクおなじく、レコードのはり相当そうとうするダイヤモンドせいプローブ電極でんきょくセンサーをレコードばん直接ちょくせつ接触せっしょくさせてディスク表面ひょうめん信号しんごうす。信号しんごう記録きろくめんがアナログレコード同様どうよう露出ろしゅつしている構造こうぞうじょうきずやホコリ対策たいさくのためのキャディー(ジャケット)[3]にディスクが封入ふうにゅうされており、ディスクそのもの[4]分解ぶんかいをしないかぎ直接ちょくせつれたりることはできない[5]が、黒光くろびかりした光沢こうたくレーザーディスク虹色にじいろていする。表面ひょうめんは50nm程度ていど潤滑じゅんかつそうおおわれており、センサーの面積めんせきあたり接触せっしょく圧力あつりょくもアナログレコードとくらべて1けたすくないことから、ディスクやセンサーの寿命じゅみょうながくすることが可能かのうとされた[6]外見がいけんじょうCEDと類似るいじするが、レコードばん構造こうぞうじょうみぞく、表面ひょうめんせいでん容量ようりょう変化へんか情報じょうほう記録きろくする「みぞしずかでん容量ようりょう方式ほうしき」であることがCEDとのおおきなちがいである。

映像えいぞう水平すいへい解像度かいぞうどは240ほん程度ていどVHSベータどう程度ていどだが、相反あいはんする解像度かいぞうどとS/Nのバランスがく、高画質こうがしつ片面かためん1あいだ両面りょうめんけい2あいだ収録しゅうろく可能かのう記録きろく方式ほうしきCAVいろ信号しんごうていいき変換へんかん方式ほうしき採用さいよう、ディスクの回転かいてんすうは900rpm、ディスクの直径ちょっけいは26cm音声おんせいアナログFMオーディオが基本きほんで、のちデジタルオーディオ規格きかくもオプションで追加ついかされた。

再生さいせいするときは、ディスクをキャディーごとプレイヤー本体ほんたいむと、なかのディスクだけが本体ほんたいまれ、キャディーは排出はいしゅつされる。には、キャディーをむとディスクがキャディーないもどされる[7]。キャディーの裏面りめんにはサイド確認かくにんまどがあり、白線はくせんまみえればBめんえなければAめんである。片面かためんディスクでBめんうえにしてれると回転かいてんせずに即座そくざしモードになる。ディスクはキャディーに収納しゅうのうされているため、レーザーディスクDVDなどでしょうずるきず指紋しもん、ホコリにわずらわされることもなくあつかいは簡便かんべんだった。

ディスクとセンサーが接触せっしょく信号しんごうひろっている関係かんけいじょう摩耗まもうしょうじるが、1時間じかん以上いじょうにわたる静止せいし再生さいせいなどの通常つうじょうかんがえられない方法ほうほうらないかぎり、一般いっぱん家庭かていでの視聴しちょう環境かんきょうではほぼ無視むしできるレベルであるとされた。日本にほんビクターは、業務ぎょうむよう使つかわれているカラオケでも1,000かい再生さいせい、2ねん大丈夫だいじょうぶなので実用じつようじょう問題もんだいはないとした[8]。ただしカラオケではおなじディスクをかなりの回数かいすう再生さいせいする都合つごうじょうカラオケボックススナックバーなどの業務ぎょうむ用途ようとではまれ摩耗まもうによる障害しょうがいしょうじた。さらにVHDpc INTER ACTIONとしてパソコンのデータディスクとして使用しようした場合ばあいは、無視むしできない問題もんだいとなった。

おな接触せっしょくしきはりもちいたビデオディスクとして、1981ねんにアメリカで商用しょうようされたRCAのCEDのほか、ドイツのテルデックデッカテレフンケン開発かいはつしたTeD(Television Electronic Disc)、松下電器産業まつしたでんきさんぎょうげんパナソニック代目だいめ法人ほうじん〉)が開発かいはつしたVISC発売はつばい)もある。これらはレコード同様どうようみぞがあり、VHDとの互換ごかんせいまったくない。

VHDディスクの生産せいさんはレコードばんからの応用おうようで1かいのプレスで両面りょうめん出来上できあがり、レーザーディスクのような両面りょうめんわせが不要ふよう製造せいぞうコストがやすいとされていた[2]。VHDはアナログレコードの生産せいさん設備せつび利用りようできるてんからも普及ふきゅう有力ゆうりょくされたが、神奈川かながわけん大和やまと林間りんかん工場こうじょうJVCケンウッド・クリエイティブメディアとして分社ぶんしゃのち閉鎖へいさ)の専用せんようレーンで生産せいさんされ、市販しはんソフトの製造せいぞう販売はんばい日本にほんビクター映像えいぞう事業じぎょうになっていた。

なお、レーザーディスク(LD)同様どうよう、ソフトのレンタルは全面ぜんめん禁止きんしだった[9]

ビデオディスクの規格きかくあらそ

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当時とうじVTRがある程度ていど普及ふきゅうし、つぎるレコードとしてビデオディスク待望たいぼうされており、VHDはレーザーディスク (LD) との規格きかくあらそおこなわれた。

VHDのファミリーづくりは当初とうしょ難航なんこうした。1978ねん9がつのVHDの発表はっぴょう日本にほんビクターの当時とうじ親会社おやがいしゃ松下電器産業まつしたでんきさんぎょう1977ねん11月に発表はっぴょうしていた自社じしゃ方式ほうしきのビデオディスクVISCの開発かいはつすすめていたが、1980ねん1がつになって松下電器まつしたでんきはVISC方式ほうしき放棄ほうきすることとVHD方式ほうしき採用さいようすることを発表はっぴょう松下まつしたグループでのビデオディスクの統一とういつおこなわれた[10][11]いで同年どうねん9がつには東京とうきょう芝浦しばうら電気でんきげん東芝とうしば)をVHD陣営じんえいむ。これをきっかけに、三洋電機さんようでんきシャープ三菱電機みつびしでんき赤井電機あかいでんきオーディオテクニカ山水電気さんすいでんき、ゼネラル(げん富士通ふじつうゼネラル)、トリオ(げんJVCケンウッド)、日本にっぽん楽器がっき製造せいぞうげんヤマハ)、日本電気にっぽんでんきホームエレクトロニクス日本にっぽんの11しゃ日本にっぽん国外こくがいのメーカーはアメリカのゼネラル・エレクトリック (GE)、イギリスのソーンEMI英語えいごばん参入さんにゅうした[12]

当初とうしょパイオニア(ホームAV事業じぎょうげんプレミアムオーディオカンパニーテクノロジーセンター)1しゃのみのLD陣営じんえいたいし、VHD陣営じんえいは13しゃ陣容じんよう圧倒的あっとうてきで、「まる規格きかく」ともわれ[13]、マスコミはVHD陣営じんえい圧勝あっしょう予想よそうした。ただし、VHD陣営じんえいかずこそおおかったものの、名乗なのりをげてはみたがOEM供給きょうきゅう発売はつばいしただけで、自社じしゃでの開発かいはつ生産せいさん計画けいかくがないメーカーもおおかったともわれる[14]のちにVHD規格きかく賛同さんどう会社かいしゃには、アイワ初代しょだい法人ほうじんげんソニーマーケティング)、クラリオン(げんフォルシアクラリオン・エレクトロニクス)もくわわった。

通産省つうさんしょうげん経済けいざい産業さんぎょうしょう)はVHS方式ほうしきベータ方式ほうしきビデオ戦争せんそうときおなじく、ビデオディスクについても規格きかく統一とういつはたらきかけたが、LD方式ほうしき推進すいしんしたパイオニアは、LD方式ほうしきすぐれており、技術ぎじゅつ発展はってんのために安易あんい規格きかく統一とういつはせず、市場いちば決着けっちゃくをつけるべきだとしてこれをこばみ、1しゃのみでLDの発売はつばいった[15]

当初とうしょはどちらの陣営じんえいにも参加さんかしなかったおもなメーカーとしては、ベータ方式ほうしきのビデオテープレコーダーをようして日本にほんビクターとライバル関係かんけいにあり、1981ねんから業務ぎょうむようLDソフトを生産せいさんしていたソニー[16]アメリカRCAしゃにCED方式ほうしきのビデオディスクプレイヤーをOEM供給きょうきゅうしてアーケードゲームLDゲーム業務ぎょうむようでLDに参入さんにゅうしていた日立製作所ひたちせいさくしょ[17]当時とうじ日立ひたちグループでデンオン(DENON。げんデノン)ブランドをようしていた日本にほんコロムビア(オーディオ事業じぎょうげんディーアンドエムホールディングス)、光学こうがくしきビデオディスクシステムを開発かいはつしたフィリップス傘下さんかだった日本にほんマランツげん・ディーアンドエムホールディングス)、オーディオ機器ききメーカーティアックなどがあり、いずれもそのLD陣営じんえい参入さんにゅうした。

VHD方式ほうしきはプレーヤー生産せいさん目処めどはたったものの、ディスク生産せいさん技術ぎじゅつ開発かいはつ予想よそう以上いじょう難航なんこうし、技術ぎじゅつてき問題もんだい解決かいけつに3ねんようした[13][14][12]。そのため、発売はつばい当初とうしょ予定よてい1981ねん4がつから大幅おおはばにずれみ、1982ねん4がつには期限きげん延期えんき発表はっぴょうされ、実際じっさい発売はつばい開始かいし1983ねん4がつとなった[18]。そして同年どうねん5がつまでに日本にほんビクターをふくむVHDファミリー5しゃから自社じしゃブランドで製品せいひん発売はつばいされた[19]

市販しはんまで年月としつきようしたことでLDの躍進やくしんゆるした格好かっこうとなり、日本にっぽん国外こくがいゼネラル・エレクトリック、ソーンEMI、日本にほんビクター、松下電器産業まつしたでんきさんぎょうの4しゃおこなっていたVHDソフトウェア、VHDハードウェア供給きょうきゅう合弁ごうべん企業きぎょう本格ほんかく始動しどうまえ空中くうちゅう分解ぶんかいし、GEとソーンEMIは合弁ごうべん解消かいしょうしてVHDから撤退てったい。VHDの海外かいがい戦略せんりゃく破綻はたんする結果けっかとなった[20]

1984ねんCD/LDコンパチブル再生さいせいがパイオニアやソニーなど複数ふくすうしゃから順次じゅんじ発売はつばいされたことでLDソフトのセル市場いちば確立かくりつ1985ねんにはVHD陣営じんえいだった日本にっぽん楽器がっき製造せいぞうがLD陣営じんえい鞍替くらがえし、LD陣営じんえいは7しゃ増加ぞうかするなどLDを採用さいようするメーカーは拡大かくだいしていった[19]

1987ねん日本にほんビクターは立体りったい映像えいぞうとQX方式ほうしき対応たいおうしたフラッグシップの「HD-V1」を発売はつばいしたが、それまでVHDファミリーの一角いっかくとして「ディスクロード」のシリーズめい販売はんばいしていた松下電器産業まつしたでんきさんぎょうがVHDプレーヤーの販売はんばい終了しゅうりょうし、LD陣営じんえい鞍替くらがえした。これにより新規しんきユーザーはLDを嗜好しこうするようになり、パイオニア1しゃはじまったLD陣営じんえいは1989ねん時点じてんで19しゃとなった[21]。その結果けっか、LDのビデオディスク市場いちばでのシェアは、1987ねんには75%、1988ねんには87%、1989ねんには95%を獲得かくとくしVHDはやぶった[21]世帯せたい普及ふきゅうりつが5%程度ていどのビデオディスクは嗜好しこう商品しょうひんであり、価格かかく優位ゆういよりも性能せいのう消費しょうひしゃ重視じゅうしされたためとわれる[22]

VHDの敗退はいたい採用さいようメーカーすう圧倒あっとうしても市場いちば制覇せいはすることはできないれいとして引用いんようされることがある。これは、技術ぎじゅつてき優位ゆういだったベータマックスがVHSに敗退はいたいしたれいなどと比較ひかくしてかたられることもある。IEC(国際電気こくさいでんき標準ひょうじゅん会議かいぎ)で規格きかくがはかられていたのは、光学こうがくしきではなくVHD方式ほうしきだった。

日本にほんビクターはLDプレイヤーを発売はつばいしなかったが、VHDがビデオディスク市場いちば縮小しゅくしょうしてからは、自社じしゃソフト部門ぶもんもVHDからLDへとシフトがすすみ、日本にほんビクター製作せいさく邦画ほうが洋画ようがおも傘下さんかのラルゴエンタテインメント作品さくひん)・アニメ・カラオケなど積極せっきょくてきにLDしていた。また、関連かんれん会社かいしゃRVCRCAビクターげんソニー・ミュージックレーベルズ)が1985ねんに、メイジャーズ(ビクターエンタテインメント子会社こがいしゃ)とパック・イン・ビデオ1990ねん平成へいせい2ねん)にLDソフトを発売はつばい開始かいしした。日本にほんビクターおよびビクターエンタテインメントでLDソフト発売はつばいがける以前いぜんは、ポリドールK.K.げんユニバーサルミュージックLLC)やそう企画きかく映像えいぞうソフト部門ぶもん現在げんざいハピネット)など他社たしゃレーベルより一部いちぶ作品さくひん発売はつばいしていた。

また、日本にほんビクターがVHDで発売はつばいしていたシティーハンターシリーズなどは、最大さいだいのライバルであるパイオニアの子会社こがいしゃパイオニアLDC(げんNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)よりLDを発売はつばいしていた。機器ききめんでも日本にほんビクターが製造せいぞう発売はつばいしていたMUSEデコーダーにはHi-Vision LD専用せんよう端子たんしそなえていた。

DVD以前いぜん規格きかくふくめてVHSの牙城がじょうくずすほどの商品しょうひん登場とうじょうしなかった。

特徴とくちょう

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フルランダムアクセス

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片面かためん1あいだ収録しゅうろくのLDではフレームサーチは不可能ふかのうなのにたいし、VHD方式ほうしきすべてのディスクでタイムサーチ、フレームサーチ、チャプターサーチが出来できる。これは、片面かためん1あいだ収録しゅうろくのLDがCLVなのにたいし、VHD方式ほうしきCAVで、かつアナログレコードのようなみぞ存在そんざいしないみぞしずかでん容量ようりょう方式ほうしき採用さいようしているため、高速こうそくランダムアクセスが可能かのうとなっているためである[2]。このことから、比較的ひかくてき初期しょきのVHDプレイヤーであってもレーザーディスク以上いじょう操作性そうさせいわるさをたのしむことが可能かのうである。みぞがないVHDはセンサーがよこ方向ほうこうへの移動いどう自在じざいで、希望きぼうのトラックをはやさが[23]、アクセスにようする時間じかんはレーザーディスクの半分はんぶん以下いか有利ゆうりで、スタート地点ちてんからラストまででも5びょう以内いない再生さいせいができた[24]

特殊とくしゅ再生さいせい

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LDがデジタルメモリを利用りようするまで片面かためん1あいだ長時間ちょうじかんディスクでは静止せいしやトリックプレイが出来できなかったのにたいして[25]、VHD方式ほうしきはそれらの静止せいしやコマおくりなど特殊とくしゅ再生さいせい可能かのうなことも優位ゆういてんだった。ただしVHDでは1トラックに2フレームを収録しゅうろくしていた関係かんけいから、うごきのはげしい画面がめんでは静止せいしがブレる場合ばあいもあった。これを解消かいしょうするには、1トラックにおなじフレームを2つ収録しゅうろくして倍速ばいそく再生さいせいさせるエキストラ編集へんしゅうというものがあったが、全編ぜんぺんにエキストラ編集へんしゅうほどこすと収録しゅうろく時間じかんは30ふんになった[26]

3-D立体りったい映像えいぞう対応たいおう

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1980年代ねんだい後半こうはん発売はつばいされたVHDプレイヤーには3-D立体りったい映像えいぞう再生さいせい機能きのうゆうしているものも存在そんざいする。1986ねんから日本にほんビクター、シャープ、松下電器産業まつしたでんきさんぎょうの3しゃから対応たいおうプレイヤーの発売はつばい開始かいしされ[27]高級こうきゅうモデルは標準ひょうじゅん対応たいおう普及ふきゅうモデルはそとけアダプターで対応たいおうした。

原理げんりとしては左右さゆう映像えいぞう交互こうご収録しゅうろくされたディスクを再生さいせいして[28]液晶えきしょうシャッターしきスコープ[29]本体ほんたい接続せつぞくし、眼鏡めがねける要領ようりょう視聴しちょうすれば、立体りったい映像えいぞうたのしむことが可能かのうだった[27]。3D-VHDのディスクは通常つうじょうのプレイヤーでも通常つうじょう映像えいぞうとして再生さいせいできる互換ごかんせいたもった仕様しようで、そのために収録しゅうろく時間じかん半分はんぶん片面かためん30ふんとなっていた[28]。1986ねんから1987ねんにかけて既存きそん立体りったい映画えいがやアニメやビデオマガジンなどオリジナル作品さくひん対応たいおうソフトが、日本にほんビクターから22タイトルが発表はっぴょうされた[27]。この液晶えきしょうシャッター・メガネ方式ほうしきによる3Dは、VHD以外いがいにもどう時期じきに、ファミリーコンピュータセガ・マークIIIアーケードゲームのゲーム分野ぶんやでも採用さいようされていてちょっとしたブームだったが、はげしいチラつきが目立めだつこともあり、VHD方式ほうしき躍進やくしんにはほとんつながらず、1988ねんには消滅しょうめつした[27]

2008ねんより、デジタル3-D映画えいが立体りったいテレビ放送ほうそう技術ぎじゅつ躍進やくしんにより、3D再生さいせい対応たいおうBlu-ray Discソフトが市販しはんされている。こちらの3D表示ひょうじ対応たいおうする3次元じげんディスプレイ機能きのう依存いぞんしているてんとメガネは無線むせん赤外線せきがいせん通信つうしん接続せつぞくであるてんが、VHDのそれとおおきくことなる。

放送ほうそうさん方式ほうしき対応たいおう

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しんのリージョンフリーメディアを目指めざしていたことから、3つのことなるテレビ方式ほうしきNTSCPALSECAM)の再生さいせい可能かのうとなっている。ただしNTSC方式ほうしきのテレビでPAL/SECAMのソフトを再生さいせいすると19%縦長たてながになり、PAL/SECAMのテレビでNTSCのソフトを再生さいせいすると16%ちぢむことになる[30]

このかんがかたはビクターが発売はつばいしていたDVD機器ききにも反映はんえいされ、PAL方式ほうしきのDVDビデオをNTSC方式ほうしき変換へんかんして再生さいせいする機能きのうゆうしている。

上位じょうい規格きかく

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VHDは水平すいへい解像度かいぞうど240ほん以上いじょうで、350ほん以上いじょうのLDにおくれをとっていた。

1980年代ねんだい後期こうきには水平すいへい解像度かいぞうど400ほん以上いじょう高画質こうがしつ実現じつげんしたQX (Quality eXcellent) VHD方式ほうしきと、音質おんしつ根本こんぽんから見直みなおしCDと同一どういつ高音こうおんしつ実現じつげんするVHD DigitalAudio方式ほうしき(16 Bit, 44.1 kHzきろへるつ, リニアPCM)を日本にほんビクターが開発かいはつした。りょう方式ほうしき対応たいおうしたVHDプレイヤーHD-V1市場いちば投入とうにゅうするも、一般いっぱん家庭かていけQX VHDソフト、VHD DigitalAudioソフトは日本にほんビクターをふくめ、どこのメーカーからも供給きょうきゅうされなかった。

また、規格きかくにあるいろ信号しんごうていいき変換へんかんする原理げんり(ホームビデオと同様どうよう)から、いろ再現さいげんせいはLDをえること出来できなかった。

ハイビジョン時代じだい想定そうていし、MUSE方式ほうしきによるHi-Vision VHDの開発かいはつ日本にほんビクターと松下電器産業まつしたでんきさんぎょうおこなわれていたが、市場いちばることはなかった。

アナログレコードにわるデジタルオーディオディスク規格きかくとして日本にほんビクターが考案こうあんしたのがAHDである。VHDは1978ねん9がつ発表はっぴょうされたが、発表はっぴょうからたんなるビデオディスクではなく、このAHD方式ほうしきとの共用きょうようかんがえられており、VHD/AHDシステムとして発表はっぴょうされたものである[31]

日本にほんビクターは、DAD懇談こんだんかいにVHDシステムを応用おうようしたAHD (Advanced High Density Disc) を提案ていあんした。DAD懇談こんだんかいでは、提案ていあんされた3方式ほうしきなかからソニーとフィリップスのCDがオーディオ専用せんようとしてとAHDがビデオディスクとの共用きょうようがたとして採択さいたくされた[32]国内こくないではVHDpcマークきプレイヤーにそとけするAHDプロセッサAD-7000として、1985ねんに198,000えん発売はつばいされた[33][34]

AHDの記憶きおく容量ようりょう両面りょうめんで2.54GB。デジタルオーディオのスペックは、量子りょうしすうが16bit、サンプリング周波数しゅうはすうが44.1kHzきろへるつ、チャンネルすう最大さいだい4チャンネル。チャンネルすうを2チャンネルにした場合ばあいは、456×572ドット、1600まんしょくこう精細せいさいデジタル静止せいし画像がぞう両面りょうめん片面かためんに1,500まい両面りょうめんで3,000まい収録しゅうろくできた。静止せいし1まい表示ひょうじには2.4びょうようする。静止せいし使用しようするさいにはリニアPCM音声おんせい使つかわず、静止せいし説明せつめいよう文字もじデータを1まいあたり87キロバイトで合計ごうけい260MBぶん静止せいし1まいあたり19.2びょう圧縮あっしゅく音声おんせいを16あいだ合計ごうけい950MBをてることもでき、図鑑ずかんなどの利用りよう想定そうていされた[35][36]。AHDソフトは20タイトル程度ていど日本にほんビクターから発表はっぴょうされたものの、松下電器産業まつしたでんきさんぎょう光学こうがく方式ほうしきのCDを支持しじしたことでAHDファミリーづくりができなかったため、昭和しょうわ時代じだいともにほぼ消滅しょうめつした。

VHDpc INTER ACTION

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VHDpcマークきプレイヤー、VHDインターフェイスユニットおよMSX、シャープX1などパーソナルコンピュータとのわせで、VHDpc INTER ACTIONたのしむことが可能かのうだった。

VHD言語げんごというグラフィックとサウンドをサポートしたBASIC文法ぶんぽうちか言語げんご仕様しよう策定さくてい[37]。グラフィック座標ざひょうやRGBじつ数値すうち使用しよう機種きしゅごと可能かのう表示ひょうじおこなうなど機種きしゅあいだ共通きょうつう言語げんごとしてかんがえられていた[38]対応たいおうインタプリタ用意よういすればことなった機種きしゅのパソコンでも同一どういつのVHDディスクを使用しようしてゲームとうのソフトがたのしめるという発想はっそうだった。VHD言語げんごのプログラムはディスクには中間ちゅうかん言語げんごかたちで、音声おんせいチャンネルBのトラックにデジタル記録きろくされ、ディスク片面かためんやく1.3Mバイトの容量ようりょうがあった。転送てんそう速度そくどは2880bps[39]

最初さいしょ発売はつばいされたのはオートバイレースゲーム「VROOM」、ギャンブルゲーム「The Players Club」、教育きょういくソフト「アリスの化学かがく実験じっけんしつ」。

サンダーストーム」、「ロードブラスター」、「タイムギャル」など、当時とうじゲームセンター流行りゅうこうしたLDゲームも移植いしょくされたが、これらのアクションゲームは実行じっこう速度そくどおそいインタプリタであるVHD言語げんご対応たいおうで、VHDのほかカセットテープ発売はつばいされたかく機種きしゅ個別こべつのソフトウェアを必要ひつようとした。

将来しょうらいてきにVHD言語げんごコンパイラがパソコンに用意よういされれば、ソースをいて中間ちゅうかん言語げんご変換へんかんし、VHDのディスクに記録きろくせずにパソコンじょうでユーザー開発かいはつしたVHD言語げんごによるプログラムが実行じっこうできるとされていた[40]。しかしVHD言語げんごがユーザーに提供ていきょうされることはなく、VHD言語げんごによるソフト開発かいはつ事実じじつじょう不可能ふかのうで、MSXは拡張かくちょうBASIC、X1も機械きかいのコントロールプログラムをんで、VHDpcマークきのプレイヤーをコントロールした[41]

センサとディスクが接触せっしょくしているのがVHDの特色とくしょくであるが、普通ふつうにビデオソフトを再生さいせいするぶんにはまず問題もんだいいとされた。しかしVHDpc INTER ACTIONにおいては無視むしできない問題もんだいとなり、なんもゲームをプレイするうちに摩耗まもうによる障害しょうがいるケースがられた。

カラオケVHDと、EXTRA SOUNDカラオケVHD

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レーザーディスクとの競争きょうそうやぶれてのちは、VHDはカラオケようでののこりをはかることとなった。そして1990ねんころには「EXTRA SOUND方式ほうしき」という、従来じゅうらいのモノラルカラオケ+モノラルの2チャンネルの音声おんせいのほかにステレオのカラオケを収録しゅうろくしたVHDソフトと再生さいせいするプレイヤーが発売はつばいされたが、一般いっぱんには認知にんちされることはなかった。

VHDカラオケソフトはビクターエンタテインメントより販売はんばい生産せいさん長期間ちょうきかんわた継続けいぞくされ、2003ねん6月の新譜しんぷ最後さいごにVHDの歴史れきしまくろすこととなった。

VHDプレイヤーの愛称あいしょう

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  • 日本にほんビクター「ディスクワールド」(DiscWorld)
  • 松下電器産業まつしたでんきさんぎょう「ディスクロード」(DiscLord)
  • 東芝とうしば「マイドリーム」(MyDream)
  • シャープ「マイディスク」(MyDisc)

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ 神尾かみお 1985, pp. 48–49.
  2. ^ a b c 山川やまかわ 1986, p. 31.
  3. ^ このキャディーの裏面りめん中心ちゅうしん付近ふきんにはちいさなあなけられており、そこからえるディスクさいうちしゅう印刷いんさつされた白線はくせん有無うむで、AめんBめん識別しきべつができる
  4. ^ 店頭てんとうでは内部ないぶのディスクがえる透明とうめいキャディーのVHD(プレイヤーへの挿入そうにゅう不可ふか)が展示てんじされた。
  5. ^ 山川やまかわ 1986, p. 105.
  6. ^ 松村まつむら純孝すみたかLD(レーザディスクシステム)の開発かいはつ実用じつようかんする系統けいとう調査ちょうさ」(PDF)『国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん技術ぎじゅつ系統けいとう調査ちょうさ報告ほうこくだい21かん国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん、2014ねん5がつ、150ぺーじ2022ねん5がつ17にち閲覧えつらん 
  7. ^ 山川やまかわ 1986, pp. 63–64.
  8. ^ 岩淵いわぶち 1988, p. 200.
  9. ^ 岩淵いわぶち 1988, pp. 72, 85–86.
  10. ^ 神尾かみお 1985, pp. 46–47.
  11. ^ 佐藤さとう 2003, pp. 480–483.
  12. ^ a b 村瀬むらせ & はやし 2004, p. 153.
  13. ^ a b 神尾かみお 1985, p. 71.
  14. ^ a b 佐藤さとう 2003, p. 491.
  15. ^ 岩淵いわぶち 1988, p. 199.
  16. ^ 岩淵いわぶち 1988, p. 194.
  17. ^ 神尾かみお 1995, p. 197.
  18. ^ 神尾かみお 1985, pp. 72–73.
  19. ^ a b 佐藤さとう 2003, p. 492.
  20. ^ 神尾かみお 1995, pp. 201–204.
  21. ^ a b 荒井あらい 1990, pp. 260–261.
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  23. ^ 山川やまかわ 1986, p. 42.
  24. ^ 山川やまかわ 1986, p. 52.
  25. ^ 山川やまかわ 1986, p. 102.
  26. ^ 山川やまかわ 1986, p. 54.
  27. ^ a b c d 大口おおぐち孝之たかゆき (2010ねん11月22にち). “3Dテレビのなが歴史れきし(3) : だいさん革命かくめい 立体りったい3D映画えいが時代じだい”. 映画えいが.com. 2022ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  28. ^ a b 山川やまかわ 1986, pp. 60–61.
  29. ^ ブラウン管ぶらうんかんTVは毎秒まいびょう30コマ。1/60びょう単位たんい左右さゆう画像がぞうえる。
  30. ^ 平田ひらた 1985, p. 35.
  31. ^ 神尾かみお 1985, pp. 52–53.
  32. ^ 神尾かみお 1985, pp. 158–159.
  33. ^ 山川やまかわ 1986, p. 108.
  34. ^ 村瀬むらせ & はやし 2004, pp. 153–154.
  35. ^ 平田ひらた 1985, pp. 30–31.
  36. ^ 山川やまかわ 1986, pp. 62, 109.
  37. ^ 平田ひらた 1985, pp. 65, 121.
  38. ^ 平田ひらた 1985, p. 69.
  39. ^ 平田ひらた 1985, pp. 56–61.
  40. ^ 平田ひらた 1985, pp. 124–125.
  41. ^ 平田ひらた 1985, pp. 126, 162.

参考さんこう書籍しょせき

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  • 神尾かみお三郎さぶろう『ビデオディスクがひら世界せかい 円盤えんばんじょう技術ぎじゅつ革命かくめい中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ〉、1985ねん 
  • 平田ひらた渥美あつみ『パソコンでVHDをたのしむほん工学こうがくしゃ、1985ねん 
  • 山川やまかわただしこう『ビデオディスクをまえほんまことぶんどう新光しんこうしゃ、1986ねん 
  • 小林こばやしおさむきょう『ソニーのだい逆襲ぎゃくしゅう松下電器まつしたでんきがあせる理由りゆう パイオニア・ビクターまじえてAVだい混戦こんせん光文社こうぶんしゃ、1987ねん 
  • 『スーパーハイバンド2 50まんビデオマニア衝撃しょうげき必読ひつどくばん』(1987ねん)、電波でんぱ新聞しんぶんしゃ
  • 岩淵いわぶち明男あきおしんビデオ時代じだい衝撃しょうげき AV業界ぎょうかいのこれるのはどこか』日本にっぽんソフトバンク、1988ねん 
  • 荒井あらいさとし由紀ゆき『パイオニア1vs13のけ 「ドキュメント」孤立こりつからの逆転ぎゃくてん』1990、日本にっぽん能率のうりつ協会きょうかい 
  • 神尾かみお健三けんぞうるレコードを開発かいはつせよ!』くさおもえしゃ、1995ねん 
  • 佐藤さとう正明まさあき映像えいぞうメディアの世紀せいき ビデオ・おとこたちの産業さんぎょう』(1999ねん日経にっけいBP
  • 佐藤さとう正明まさあきはまたのぼ映像えいぞうメディアの世紀せいき文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう文春ぶんしゅん文庫ぶんこ〉、2003ねん 
  • 村瀬むらせたかしはやし正儀まさよし放送ほうそう技術ぎじゅつ80ねんのドラマ』毎日まいにちコミュニケーションズ、2004ねん 

関連かんれん項目こうもく

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