ソニー「HiT BiT」 HB-75
パナソニック FS-A1WX(MSX2+)
規格 きかく の提唱 ていしょう 元 もと であるアスキーの創設 そうせつ 者 しゃ の一人 ひとり である西 にし 和彦 かずひこ が2023年 ねん のインタビューの中 なか で語 かた ったところによると、NECや日立 ひたち といった企業 きぎょう が自社 じしゃ 製品 せいひん 向 む けのBASICの制作 せいさく をアスキーに依頼 いらい する際 さい 、コマンドの追加 ついか や特定 とくてい や周辺 しゅうへん 機器 きき のサポートまで頼 たの まれて大変 たいへん だったため、統一 とういつ した規格 きかく を制定 せいてい してIBM PCと一緒 いっしょ に売 う ろうとしたことが、MSX誕生 たんじょう のきっかけだったという。とはいえ、16ビット機 き であるIBM PCは当時 とうじ の価格 かかく で1000ドル以上 いじょう もしたため、MSXはより安価 あんか なパソコン の決定 けってい 版 ばん として位置 いち づけられた。[7]
1980年代 ねんだい 初頭 しょとう 、日本 にっぽん 国内 こくない におけるホビーユースのパーソナルコンピューター (ホビーパソコン )では主 おも にマイクロソフト 社 しゃ のBASIC インタープリター がROM で組 く み込 こ まれ、システムの中心 ちゅうしん を担 にな っていた。しかし、ハードウェアの設計 せっけい は同 おな じプロセッサーを用 もち いても各々 おのおの のシステムは大 おお きく異 こと なり、BASICレベルの互換 ごかん 性 せい も、二 に 次 じ 記憶 きおく 装置 そうち の取 と り扱 あつか いやフォーマット・ハードウェアの仕様 しよう 、性能 せいのう の差異 さい や拡張 かくちょう によって独自 どくじ の変更 へんこう が加 くわ えられ、俗 ぞく にBASICの「方言 ほうげん 」と呼 よ ばれる非 ひ 互換 ごかん の部分 ぶぶん が存在 そんざい し、機種 きしゅ ごとにアプリケーションは作成 さくせい ・販売 はんばい されていた。
当時 とうじ マイクロソフトの極東 きょくとう 担当 たんとう 副 ふく 社長 しゃちょう であり、アスキー の副 ふく 社長 しゃちょう だった西 にし 和彦 かずひこ は大半 たいはん の機種 きしゅ の開発 かいはつ に関 かか わっていたことから、多 おお くのメーカーと繋 つな がりがあった。そのため、日本電気 にほんでんき (NEC) ・シャープ ・富士通 ふじつう のパソコン御三家 ごさんけ に対 たい して出遅 でおく れた家電 かでん メーカー の大同団結 だいどうだんけつ を背景 はいけい として、西 にし が主導 しゅどう 権 けん を握 にぎ る形 かたち でMSX規格 きかく は考案 こうあん され、1983年 ねん 6月 がつ 27日 にち に発表 はっぴょう された。ハードウェア規格 きかく はスペクトラビデオ社 しゃ の「SV-318 」と「SV-328 」が参考 さんこう にされている。当初 とうしょ 、マイクロソフト社長 しゃちょう (当時 とうじ )のビル・ゲイツ は「ソフトウェアに専念 せんねん すべき」との考 かんが えからMSX規格 きかく には反対 はんたい だったが、西 にし に説得 せっとく される形 かたち で承認 しょうにん 。「MSX」の名称 めいしょう は発売 はつばい 当時 とうじ マイクロソフトの商標 しょうひょう だったが、1986年 ねん のアスキーとの提携 ていけい 解消 かいしょう の折 おり に著作 ちょさく 権 けん をマイクロソフト、商標 しょうひょう 権 けん (販売 はんばい 権 けん )をアスキーが所有 しょゆう することになった。
MSXの発表 はっぴょう 会 かい には参入 さんにゅう 家電 かでん メーカー以外 いがい にも家庭 かてい 用 よう パソコン市場 いちば に参入 さんにゅう した経験 けいけん を持 も つ企業 きぎょう 、または参入 さんにゅう を計画 けいかく していた企業 きぎょう が参加 さんか した。しかし、参入 さんにゅう メーカー各社 かくしゃ の足並 あしな みを揃 そろ えるため1984年 ねん に発売 はつばい 時期 じき を調整 ちょうせい している間 あいだ に、任天堂 にんてんどう のファミリーコンピュータ やセガ・エンタープライゼス(後 ご のセガ )SC-3000 等 ひとし の競合 きょうごう 機種 きしゅ が発売 はつばい され、苦戦 くせん が予想 よそう された。また、当時 とうじ 国内 こくない パソコン市場 いちば シェア1位 い のNECは発売 はつばい せず、シャープも海外 かいがい でのみ発売 はつばい するに留 とど まった。FM-X を発売 はつばい した富士通 ふじつう も「自社 じしゃ の製品 せいひん と競合 きょうごう する」といった理由 りゆう でMSX市場 いちば からは短期間 たんきかん で撤退 てったい 。そのため、MSX規格 きかく は「弱者 じゃくしゃ 連合 れんごう 」などと揶揄 やゆ された。
発売 はつばい は当初 とうしょ 予定 よてい より前倒 まえだお しされ、主要 しゅよう 家電 かでん メーカーの製品 せいひん は1983年 ねん の秋 あき から年末 ねんまつ までに出揃 でそろ った。アスキーは当初 とうしょ 「1年間 ねんかん で70万 まん 台 だい の出荷 しゅっか 」という強気 つよき な目標 もくひょう 値 ち を掲 かか げ、目標 もくひょう は達成 たっせい できなかったものの、発売 はつばい から2年 ねん 強 きょう が経過 けいか した1986年 ねん 1月 がつ にはMSXシリーズの総 そう 出荷 しゅっか 台数 だいすう が100万 まん 台 だい を突破 とっぱ した。当時 とうじ 、国内 こくない メーカー製 せい の8ビットパソコン市場 いちば で大 おお きなシェアを有 ゆう していたNECのPC-8801 シリーズが累計 るいけい 100万 まん 台 だい キャンペーンを企画 きかく していたが、台数 だいすう 的 てき に達成 たっせい 出来 でき ず結果 けっか として実現 じつげん しておらず、当時 とうじ としてはMSXは“日本 にっぽん 製 せい で最 もっと も売 う れた8ビットパソコン”として位置 いち づけられる。その後 ご も1988年 ねん の年末年始 ねんまつねんし 商戦 しょうせん だけで、FDD内蔵 ないぞう 型 がた のMSX2(ソニー のHB-F1XDとパナソニック のFS-A1F)が22万 まん 台 だい の売 う り上 あ げを記録 きろく した[8] 。
そしてMSX参入 さんにゅう 各社 かくしゃ は、他社 たしゃ 製品 せいひん と差別 さべつ 化 か を図 はか るべくワープロ や動画 どうが 編集 へんしゅう など様々 さまざま な機能 きのう を付加 ふか したMSXパソコンを発売 はつばい した。しかし大 だい 部分 ぶぶん の購入 こうにゅう 者 しゃ はMSXを単 たん なるゲーム機 き としか見 み ておらず、高機能 こうきのう ・高 こう 価格 かかく な機種 きしゅ よりも低 てい 機能 きのう ・低 てい 価格 かかく な機種 きしゅ を購入 こうにゅう したため、参入 さんにゅう 各社 かくしゃ 間 あいだ で価格 かかく 競争 きょうそう が勃発 ぼっぱつ 。また他 た 機種 きしゅ のパソコンとの競争 きょうそう も熾烈 しれつ であり、MSX2が発売 はつばい された1980年代 ねんだい 後半 こうはん には16ビットや32ビットCPUを採用 さいよう した、より高性能 こうせいのう な他 た 機種 きしゅ の次世代 じせだい パソコンや家庭 かてい 用 よう ゲーム機 き との販売 はんばい 競争 きょうそう に晒 さら されたこともあり、元々 もともと 参入 さんにゅう が少 すく なかった国外 こくがい メーカーはMSX2で大半 たいはん が撤退 てったい 、次 つぎ の規格 きかく であるMSX2+の対応 たいおう 機種 きしゅ を発売 はつばい したのは日本 にっぽん のメーカー3社 しゃ のみとなった。
1990年 ねん には販売 はんばい 台数 だいすう が全 ぜん 世界 せかい 累計 るいけい で400万 まん 台 だい を突破 とっぱ 。各 かく MSX専門 せんもん 誌 し には「夢 ゆめ を乗 の せてMSX 400万 まん 台 だい 」のキャッチコピーが躍 おど った。
しかし、この頃 ころ よりMSXを取 と り巻 ま く環境 かんきょう は急速 きゅうそく に悪化 あっか していき、1990年 ねん 10月 がつ には16ビットCPUを搭載 とうさい した新 しん 規格 きかく のMSXturboR [注釈 ちゅうしゃく 1] がリリースされたものの、参入 さんにゅう メーカーは松下電器 まつしたでんき 1社 しゃ のみとなった。同社 どうしゃ の機種 きしゅ は好調 こうちょう なセールスを記録 きろく し、翌 よく 1991年 ねん 末 まつ にも新 しん 機種 きしゅ を投入 とうにゅう したが、サードパーティー によるMSX向 む け商品 しょうひん のリリース数 すう は減少 げんしょう 傾向 けいこう にあり、MSX専門 せんもん 誌 し は休刊 きゅうかん や廃刊 はいかん が相次 あいつ ぎ、『MSX・FAN 』 (徳間書店 とくましょてん インターメディア ) のみが形態 けいたい を変 か えて発刊 はっかん を続 つづ けた。
松下電器 まつしたでんき は1994年 ねん に家庭 かてい 用 よう ゲーム機 き 3DO REAL とIBM PC/AT互換 ごかん 機 き WOODYを発売 はつばい 。MSXの開発 かいはつ 部隊 ぶたい は、大半 たいはん が3DOの開発 かいはつ に移行 いこう した。同年 どうねん に最後 さいご のMSX規格 きかく 対応 たいおう パソコンである「FS-A1GT」の生産 せいさん を終了 しゅうりょう し、翌 よく 1995年 ねん には出荷 しゅっか も終了 しゅうりょう した。これをもって日本 にっぽん でのMSX規格 きかく は終焉 しゅうえん したと世間 せけん 一般 いっぱん では解釈 かいしゃく されている。
この時期 じき にはMicrosoft Windows 95 が登場 とうじょう し、パソコン市場 いちば を拡大 かくだい してデファクトスタンダード となりつつあった。MSX以外 いがい にもX68000 やFM TOWNS といった日本 にっぽん 独自 どくじ 規格 きかく のパソコンが姿 すがた を消 け して行 い き、日本 にっぽん のパソコン市場 いちば はWindows 95が動作 どうさ するPC/AT互換 ごかん 機 き およびPC-98 またはその互換 ごかん 機 き か、あるいはMacintosh へと集約 しゅうやく されていき、その一方 いっぽう でMSXのコアユーザーによるハード製作 せいさく などの活動 かつどう が活発 かっぱつ に行 おこな われるようになった。有志 ゆうし が東京 とうきょう 、大阪 おおさか 、名古屋 なごや 、福岡 ふくおか 、札幌 さっぽろ 、倉敷 くらしき でイベントや集 つど いを開催 かいさい したり、パソコン通信 つうしん 上 じょう などでは多数 たすう のフリーウェアが公開 こうかい されたりした。特 とく に漫画 まんが 家 か の青井 あおい 泰 やすし 研 けん [注釈 ちゅうしゃく 2] が東京 とうきょう で開催 かいさい したイベント「MSXフェスタ」には、日本 にっぽん 各地 かくち だけでなく海外 かいがい からのユーザーも集 あつ まった。この他 ほか にもMSX復活 ふっかつ プロジェクト(MFP)がハードディスクインターフェイスを開発 かいはつ するなど、最 もっと もMSXの同人 どうじん の活動 かつどう が盛 さか んだったのもこの時期 じき である。だが最終 さいしゅう 的 てき には、それらコアユーザーの多 おお くもWindowsなど別 べつ の環境 かんきょう へ移行 いこう した[14] [15] 。
ワンチップMSX
1990年代 ねんだい 末期 まっき から顕著 けんちょ になったMSXコアユーザーや同人 どうじん サークルによるMSX離 ばな れは、JavaやFlashなど自由 じゆう 度 ど の高 たか い環境 かんきょう の登場 とうじょう により拍車 はくしゃ がかかっていた。その一方 いっぽう MSXを使 つか い続 つづ けるユーザーも少 すく なからず存在 そんざい したが、MSXの製造 せいぞう ・サポートの中止 ちゅうし かつハードウェアの老朽 ろうきゅう 化 か による問題 もんだい を抱 かか え、解決 かいけつ 策 さく にエミュレーターやFPGAなどが用 もち いられた。
2000年 ねん 8月 がつ 20日 はつか 、東京 とうきょう ・秋葉原 あきはばら のヒロセ無線 むせん 本社 ほんしゃ ビル5Fにて「MSX電 でん 遊 ゆう ランド2000」が開催 かいさい され、そのイベント中 ちゅう で西 にし がMSXの復活 ふっかつ 計画 けいかく を発表 はっぴょう する[16] 。2002年 ねん には商標 しょうひょう やシステムソフトウェア などの管理 かんり を行 おこな う任意 にんい 団体 だんたい 「MSXアソシエーション」が発足 ほっそく し、公式 こうしき エミュレーター 「MSXPLAYer 」も公開 こうかい された。後 のち に従来 じゅうらい 多数 たすう のチップで構成 こうせい されていたMSXの機能 きのう をひとつのチップに集積 しゅうせき した「1chipMSX 」が製品 せいひん 化 か されている。そのほかのエミュレーターとしてはfMSX 、ルーMSX、NLMSX、blueMSX、openMSX、WebMSXなどがあり、Windowsやマッキントッシュのほか、PSP やニンテンドーDS やゲームボーイアドバンス といった携帯 けいたい 型 がた ゲーム機 き や、Java 、Pocket PC などプラットフォーム上 じょう で動作 どうさ させることができる。
2006年 ねん 、Wii の価格 かかく 発表 はっぴょう の場 ば で、旧来 きゅうらい のゲームマシン・パソコンで供給 きょうきゅう されていたゲームソフトをインターネット上 じょう からダウンロード販売 はんばい する「バーチャルコンソール 」へのMSXソフトの投入 とうにゅう が発表 はっぴょう された。i-revo などで多 おお くのMSXゲームの復刻 ふっこく 実績 じっせき を有 ゆう するD4エンタープライズ が参入 さんにゅう したことによって実現 じつげん した。
2007年 ねん 、MSXの商標 しょうひょう 権 けん は西 にし 和彦 かずひこ と共 とも に『株式会社 かぶしきがいしゃ MSXライセンシングコーポレーション』へ移 うつ る。日本 にっぽん での商標 しょうひょう 登録 とうろく 番号 ばんごう は第 だい 2709130号 ごう ほか[注釈 ちゅうしゃく 3] 。
GR8BITキット
2011年 ねん 、ロシアのAGE Labsがコンピューターの学習 がくしゅう を目的 もくてき としたGR8BITというMSXキットの発売 はつばい を発表 はっぴょう 。価格 かかく はUS$499(369ユーロ)。また、日本 にっぽん の株式会社 かぶしきがいしゃ H&SがこのGR8BITを輸入 ゆにゅう 販売 はんばい すると発表 はっぴょう し、価格 かかく は2012年 ねん 3月 がつ 末 まつ まで4万 まん 2千 せん 5百 ひゃく 円 えん [17] 、以降 いこう は5万 まん 3000円 えん [18] (送料 そうりょう /税 ぜい /手数料 てすうりょう 別 べつ )で販売 はんばい していたが、2015年 ねん にはドメインが失効 しっこう しており、国内 こくない での販売 はんばい はされていない。
PSG音源 おんげん 、AY-3-8910A
2000年代 ねんだい の別 べつ の動向 どうこう として、日本 にっぽん でもチップチューン (ゲームボーイ やファミリーコンピュータ 等 ひとし による音楽 おんがく 演奏 えんそう )ブームが起 お こった。それに伴 ともな いMSXによる音楽 おんがく 活動 かつどう も比較的 ひかくてき 少数 しょうすう ではあるが再 さい 活発 かっぱつ 化 か した。かつて1980年代 ねんだい 後半 こうはん から1990年代 ねんだい 前半 ぜんはん 頃 ごろ に、MSXを扱 あつか う雑誌 ざっし の投稿 とうこう コーナーやパソコン通信 つうしん のフォーラムで、その後 ご のチップチューンに相当 そうとう する音楽 おんがく が発表 はっぴょう されていた時期 じき があった。しかし発表 はっぴょう 環境 かんきょう の衰退 すいたい や消滅 しょうめつ により、同 どう ブームまでの間 あいだ は一時 いちじ 停滞 ていたい していた。
またエミュレータや1チップMSXの登場 とうじょう により、PSG・FM音源 おんげん ・SCC互換 ごかん 音源 おんげん 、さらにMSX-AUDIOや2個 こ のSCC音源 おんげん を同時 どうじ 発声 はっせい させた音楽 おんがく が昔 むかし に比 くら べ多 おお く発表 はっぴょう されるようになった。
2022年 ねん 9月 がつ 3日 にち 、MSX DEVCON TOKYO 1が開催 かいさい され、MSX0、MSX3、MSX turbo規格 きかく が西 にし 和彦 かずひこ 及 およ び同氏 どうし が理事 りじ を務 つと める特定 とくてい 非 ひ 営利 えいり 活動 かつどう 法人 ほうじん IoTメディアラボラトリー発表 はっぴょう された。
2023年 ねん 1月 がつ 13日 にち 、IoT向 む けMSX0規格 きかく の実装 じっそう であるMSX0 Stackのクラウドファンディングが開始 かいし された。
MSXの400万 まん 台 だい 以上 いじょう の販売 はんばい 台数 だいすう のうち、約 やく 半分 はんぶん が日本 にっぽん 、残 のこ りの半分 はんぶん は海外 かいがい での販売 はんばい である。
MSXは日本 にっぽん 国内 こくない のみならず、オランダ 、ブラジル 、韓国 かんこく を中心 ちゅうしん に現地 げんち 企業 きぎょう でも生産 せいさん され、他 た の国 くに にも輸出 ゆしゅつ された。日本 にっぽん でパソコン御三家 ごさんけ に対 たい して出遅 でおく れた家電 かでん メーカーがMSXに参入 さんにゅう したのと同様 どうよう に、ブラジルのグラジエンテ やオランダのフィリップス といった、Apple II やZX Spectrumに対 たい して出遅 でおく れた現地 げんち の大手 おおて 家電 かでん メーカーがMSX規格 きかく に頼 たよ らざるを得 え なかったという事情 じじょう もあり、MSXに注力 ちゅうりょく したこれら大手 おおて 企業 きぎょう の影響 えいきょう 力 りょく が強 つよ い諸国 しょこく ではそれなりに普及 ふきゅう した。
MSXは、文字 もじ キャラクタをROMに記憶 きおく せずユーザが生成 せいせい することができ、各国 かっこく の言語 げんご の独特 どくとく の文字 もじ に柔軟 じゅうなん に対応 たいおう でき、英語 えいご 以外 いがい のマイナーな言語 げんご を使 つか う国々 くにぐに 向 む けにローカライゼーションをするうえで好都合 こうつごう なので、非 ひ 英語 えいご 圏 けん を中心 ちゅうしん に高 たか く評価 ひょうか された。用途 ようと は国 こく ごとに異 こと なり、主 おも に教育 きょういく 用途 ようと で使 つか われた国 くに と、主 おも にゲーム用 よう に使 つか われた国 くに に分 わ かれる。アルゼンチンやソヴィエト連邦 れんぽう 諸国 しょこく では主 おも に教育 きょういく 用 よう コンピュータとして用 もち いられた。スペイン、ブラジル、韓国 かんこく などでは主 おも にゲーム用 よう に使 つか われ、MSXはグラフィックチップにTMS9918 を搭載 とうさい するなどハードウェア構成 こうせい がゲーム機 き のコレコビジョン やマスターシステム とよく似 に ておりそれらのゲームが移植 いしょく しやすかった点 てん も評価 ひょうか され普及 ふきゅう に繋 つな がることとなった。一方 いっぽう で英語 えいご 圏 けん ではあまり普及 ふきゅう しなかった。
北米 ほくべい ではスペクトラビデオとヤマハのMSXのみ発売 はつばい された。すでに成功 せいこう を収 おさ めていたコモドール64 やアタリ 製 せい のコンピュータの牙城 がじょう を崩 くず すには至 いた らず、スペクトラルビデオも倒産 とうさん した[注釈 ちゅうしゃく 4] 。MSXが発売 はつばい された1984年 ねん の時点 じてん で価格 かかく 帯 たい やスペック的 てき に直接的 ちょくせつてき な競合 きょうごう 製品 せいひん となったのはコモドールPlus/4とコモドール16 であるが、同 どう 時期 じき に初代 しょだい MSXのスペックを遥 はる かに上回 うわまわ る上位 じょうい 機種 きしゅ のコモドール64 やAtari 8ビット・コンピュータ などが低 てい 価格 かかく 競争 きょうそう に突入 とつにゅう し急速 きゅうそく に普及 ふきゅう したため、ZX Spectrumやコモドール16など同 どう 時期 じき の諸 しょ 外国 がいこく でエントリークラスとされたパソコン自体 じたい がそれほど普及 ふきゅう しなかった。学校 がっこう などで使 つか われる「教育 きょういく 用 よう コンピュータ」としても既 すで にApple IIが存在 そんざい したため普及 ふきゅう しなかった。
当時 とうじ の欧州 おうしゅう のマイコン(パソコン)の市場 いちば は、アメリカ系 けい のコモドール64(略称 りゃくしょう C64)とイギリス系 けい シンクレアZX Spectrum がシェアを二分 にぶん しており、1984年 ねん にはさらにイギリスのAmstrad社 しゃ からCPC 464 が発売 はつばい され(300万 まん 台 だい ほど売 う れ)先行 せんこう するC64とZX Spectrumのシェアを少 すこ し奪 うば うという状況 じょうきょう だった。欧州 おうしゅう 全体 ぜんたい ではMSXとほぼ同 おな じスペックで値段 ねだん が安 やす かったイギリス産 さん のZX Spectrumの方 ほう がMSXより人気 にんき が高 たか く、特 とく にシンクレア社 しゃ の地元 じもと イギリス、コモドールとアタリが強 つよ かったドイツなどではMSXはほとんど売 う れなかった。スペクトラビデオのジェネラル・マネージャーであるスティーブン・チューは、『MSXマガジン』1986年 ねん 8月 がつ 号 ごう に掲載 けいさい されたインタビューの中 なか で、北米 ほくべい 同様 どうよう 欧州 おうしゅう においてもMSXはゲームマシンとして受 う け止 と められていたが、オランダのフィリップスに加 くわ え、日本 にっぽん のメーカーが進出 しんしゅつ していたため、ゲーム以外 いがい への分野 ぶんや の対応 たいおう も図 はか られつつあると語 かた っている。一方 いっぽう で、フィリップス社 しゃ の地元 じもと オランダのほか、イタリア、スペインではMSXは人気 にんき があった。しかしこれらの国 くに でも、1985年 ねん 発売 はつばい のコモドールAmiga とAtari ST にMSX2は対抗 たいこう できず、1980年代 ねんだい 末 まつ にかけて衰退 すいたい していった。
欧州 おうしゅう での展開 てんかい では、序盤 じょばん からテクニカルサポート体制 たいせい の不備 ふび が指摘 してき されるなど、海外 かいがい 進出 しんしゅつ を念頭 ねんとう に置 お いた戦略 せんりゃく が十分 じゅうぶん ではなく、一部 いちぶ 正規 せいき 品 ひん の互換 ごかん 性 せい 問題 もんだい などで苦戦 くせん を強 し いられていた[注釈 ちゅうしゃく 6] [23] 。
1985年 ねん にはMSX1の後継 こうけい 規格 きかく ・MSX2が誕生 たんじょう し、ヨーロッパのほか、共産 きょうさん 圏 けん や南米 なんべい にも進出 しんしゅつ したが、まもなくプラザ合意 ごうい による円 えん 高 だか によって他 た の輸出 ゆしゅつ 産業 さんぎょう とともに窮地 きゅうち に立 た たされる[23] 。
同 どう 時期 じき 、アスキーとマイクロソフトの対立 たいりつ が激化 げきか し、翌年 よくねん 1986年 ねん 2月 がつ に両社 りょうしゃ の提携 ていけい が解消 かいしょう されたほか、アスキーの上層 じょうそう 部 ぶ の間 あいだ でもMSXの扱 あつか いで対立 たいりつ が起 お きていた[23] 。
その結果 けっか 、MSXはヨーロッパ市場 いちば からの撤退 てったい を余儀 よぎ なくされた[23] 。
イギリス ではZX Spectrumの人気 にんき が非常 ひじょう に高 たか く、MSXは東芝 とうしば の現地 げんち 法人 ほうじん が大 おお きな宣伝 せんでん をかけたわりにほとんど売 う れなかった。現地 げんち 企業 きぎょう のドラゴンデータ (英語 えいご 版 ばん ) が参入 さんにゅう を表明 ひょうめい していたが、「ドラゴンMSX (英語 えいご 版 ばん ) 」として知 し られるプロトタイプ機 き がいくつか作 つく られたのみで発売 はつばい 前 まえ に倒産 とうさん した。MSXはZX SpectrumとCPUが同 おな じだったため、ZX Spectrum用 よう ソフトのベタ移植 いしょく という形 かたち でMSX用 よう ソフトもそれなりに発売 はつばい されているが、MSXではスロットの割 わ り当 あ てやキーバインドなどメーカーごとの細 こま かい差異 さい を考慮 こうりょ する必要 ひつよう があり、さらにVDPを介 かい したVRAMという構造 こうぞう は同一 どういつ のアルゴリズムでの描画 びょうが 処理 しょり には速度 そくど 的 てき に足 あし かせとなった(MSX Video access method を参照 さんしょう )。規格 きかく としてはメモリ16Kだったものの現実 げんじつ にはメモリ48Kが標準 ひょうじゅん だったZX Spectrumに対 たい し、MSXにはメモリがたった8KBのCasio PV-7 が現実 げんじつ に存在 そんざい したことも悪 わる い意味 いみ で大 おお きかった。ヨーロッパでMSXの最低 さいてい ラインとなったフィリップス VG 8000もメモリが16KBしかなく、しかもフィリップスの初期 しょき シリーズは正規 せいき のMSXを標榜 ひょうぼう しながら互換 ごかん 性 せい 問題 もんだい が発生 はっせい した。また、イギリスには1984年 ねん に「MSXNET」という会員 かいいん 制 せい のコミュニティが発足 ほっそく しており、ハードおよびソフトメーカーや報道 ほうどう 関係 かんけい 者 しゃ を中心 ちゅうしん とした「プロフェッショナル」会員 かいいん と、それ以外 いがい の一般 いっぱん 会員 かいいん に分 わ かれていたが、『MSXマガジン』1986年 ねん 9月 がつ 号 ごう によると大半 たいはん が前者 ぜんしゃ だったという。
オランダ では現地 げんち の家電 かでん 大手 おおて フィリップス がMSX機 き を販売 はんばい していた。1980年代 ねんだい のオランダではMSXはコモドール 社 しゃ のコモドール64 やシンクレア 社 しゃ のZX Spectrum を抑 おさ え、最 もっと も人気 にんき のあるコンピューター[25] であり、世界 せかい 的 てき にもユーザー数 すう で考 かんが えた場合 ばあい に日本 にっぽん に次 つ ぐ第 だい 2の市場 いちば となった。MSX専門 せんもん 誌 し の「MSX Computer Club Magazine」の定期 ていき 刊行 かんこう は1995年 ねん 12月/1996年 ねん 1月 がつ 号 ごう まで続 つづ き、これは日本 にっぽん のMSX・FANよりも長 なが い。MSXの商業 しょうぎょう 的 てき な活動 かつどう が終息 しゅうそく した後 のち 、1990年代 ねんだい 以降 いこう の同人 どうじん ベースでの活動 かつどう 、また2000年代 ねんだい 以降 いこう のwebベースでの活動 かつどう も活発 かっぱつ であり、世界 せかい のMSX情報 じょうほう の集積 しゅうせき 地 ち となっているwebサイト「MSX Resource Center [1] 」もオランダのサイトである。
スペイン ではリリースされたMSX用 よう ソフトの数 かず が日本 にっぽん に次 つ いで多 おお く、ソフトウェア販売 はんばい 数 すう で考 かんが えた場合 ばあい には日本 にっぽん に次 つ ぐ第 だい 2の市場 いちば となった。リリースされたソフトはほとんどがゲームで、ほかに実用 じつよう ソフトも販売 はんばい されており、ワープロなどを含 ふく んだ統合 とうごう GUI環境 かんきょう の「EASE」まで存在 そんざい していた。EASEはフィリップス社 しゃ 製 せい MSX2機 き に標準 ひょうじゅん 添付 てんぷ されたため、オランダやイタリアでも愛用 あいよう 者 しゃ が多 おお かった。スペインのMSX市場 いちば は1985年 ねん に最盛 さいせい 期 き を迎 むか え、MSX専門 せんもん 誌 し が3誌 し も販売 はんばい されていたが、1980年代 ねんだい 末 まつ にかけて衰退 すいたい していった。MSXの商業 しょうぎょう 的 てき な活動 かつどう が終息 しゅうそく した1989年 ねん 以降 いこう は同人 どうじん による活動 かつどう が活発 かっぱつ になり、やはり多 おお くのゲームがリリースされたが、著作 ちょさく 権 けん 的 てき に問題 もんだい のある移植 いしょく ものが多 おお い。webでは2002年 ねん 設立 せつりつ の同人 どうじん ゲームサークルが母体 ぼたい となった Karoshi MSX がコミュニティの総本山 そうほんざん にあたり、2003年 ねん から開催 かいさい されている欧州 おうしゅう のMSX1用 よう インディーズゲームコンテストの MSXdev を2011年 ねん より引 ひ き継 つ いで主宰 しゅさい している。
韓国 かんこく で販売 はんばい された、大宇 だいう 電子 でんし 「IQ-2000」 CPC-300E(MSX2)
韓国 かんこく におけるMSXは三星電子 さんせいでんし 、金星 かなぼし 電子 でんし 、大宇 だいう 電子 でんし といった現地 げんち の大手 おおて 家電 かでん メーカーから発売 はつばい され、Apple II とシェアを二分 にぶん する成功 せいこう を収 おさ めた。三星電子 さんせいでんし と金星 かなぼし 電子 でんし は早期 そうき に撤退 てったい し、MSX2は大宇 だいう 電子 でんし のみが発売 はつばい した。初期 しょき のMSXは家庭 かてい 用 よう が3割 わり だったのに対 たい し、教育 きょういく 用 よう が7割 わり を占 し めていた。FDDも周辺 しゅうへん 機器 きき として発売 はつばい されたが、当時 とうじ としてはかなり高価 こうか だったためにあまり普及 ふきゅう しなかった。ただしMSX発売 はつばい 当時 とうじ の韓国 かんこく はコンピュータプログラムに対 たい する法的 ほうてき 保護 ほご がなかったことから、コンピュータショップではROMゲームを手数料 てすうりょう 程度 ていど でFDにコピーするサービスを行 おこな っており、それらの恩恵 おんけい を受 う けるために高額 こうがく なFDDを買 か う需要 じゅよう が多少 たしょう あった。
MSXソフトが動作 どうさ するものの、キーボードがないなど、MSXとしての絶対 ぜったい 条件 じょうけん を満 み たしていない互換 ごかん 機 き としての扱 あつか いの家庭 かてい 用 よう ゲーム機 き をZemmix (大宇 だいう 電子 でんし )というブランド で展開 てんかい されており、韓国 かんこく で人気 にんき を博 はく した。
また、韓国 かんこく では日本 にっぽん 製 せい のゲームソフトが人気 にんき を集 あつ めていたが、当時 とうじ は著作 ちょさく 権 けん の扱 あつか いがいい加減 かげん だったため[注釈 ちゅうしゃく 7] 、安価 あんか な海賊版 かいぞくばん が市場 いちば を占 し めていた。
1980年 ねん 年代 ねんだい には三星電子 さんせいでんし におけるセガ・マスターシステム のライセンス機 き が出回 でまわ り、Zemmixと競合 きょうごう ハードとなったことで韓国 かんこく 製 せい ゲーム作品 さくひん はMSXとのクロスプラットフォーム 作品 さくひん が珍 めずら しくなかった。1990年代 ねんだい には三星電子 さんせいでんし におけるメガドライブ のライセンス機 き 、現代 げんだい 電子 でんし におけるNintendo Entertainment System やSuper Nintendo Entertainment System のライセンス機 き 、金星 かなぼし 電子 でんし における3DO の規格 きかく 機 き なども発売 はつばい されたが、高価 こうか な次世代 じせだい 機 き に移行 いこう できない層 そう の存在 そんざい と、Zemmixの普及 ふきゅう 率 りつ から、旧 きゅう 世代 せだい 機 き であるZemmixの市場 いちば が長 なが く併存 へいそん したことにより、大宇 だいう 電子 でんし は1995年 ねん までZemmixを販売 はんばい し続 つづ け、日本 にっぽん 国外 こくがい の製品 せいひん としては唯一 ゆいいつ MSX2+規格 きかく に対応 たいおう したゲーム機 き としてZemmix Turboを発売 はつばい していた。また、韓国 かんこく 仕様 しよう のMSX2はハングル 表示 ひょうじ 用 よう のSCREEN9があり、ゲーム雑誌 ざっし 編集 へんしゅう 者 しゃ の前田 まえだ 尋 ひろ 之 の は、これが韓国 かんこく 内 ない で普及 ふきゅう した一番 いちばん の理由 りゆう ではないかと推測 すいそく している。
香港 ほんこん では、1984年 ねん の時点 じてん において香港 ほんこん 製 せい のコンピュータが高額 こうがく だったことに加 くわ え、業務 ぎょうむ 用 よう ソフト[注釈 ちゅうしゃく 8] を作 つく る人 ひと や企業 きぎょう が多 おお く、マイコン用 よう ソフトの開発 かいはつ 者 しゃ は少数 しょうすう 派 は だった。それから2年 ねん 後 ご の1986年 ねん においてもMSXはゲームマシンとして扱 あつか われていた。香港 ほんこん では日本 にっぽん 製 せい ソフトがテープとして流通 りゅうつう していたが、こちらも著作 ちょさく 権 けん の扱 あつか いがいい加減 かげん [注釈 ちゅうしゃく 9] だったため、他 た のパソコンと同様 どうよう にMSX用 よう ソフトの海賊版 かいぞくばん も売 う られていた。他方 たほう 、『MSXマガジン』1986年 ねん 8月 がつ 号 ごう では香港 ほんこん 在住 ざいじゅう の日本人 にっぽんじん 読者 どくしゃ の話 はなし として、違法 いほう コピーが多 おお い分 ぶん ディスクの普及 ふきゅう が日本 にっぽん よりも進 すす んだとしている。
ブラジルで販売 はんばい された、Gradiente 「Expert」 GPC-1(MSX)
ブラジルでは現地 げんち 大手 おおて 家電 かでん メーカーのグラジエンテと、シャープのブラジル法人 ほうじん シャープ・ド・ブラジルが1986年 ねん 頃 ごろ より製造 せいぞう 販売 はんばい した。Atari 2600 の代理 だいり 店 てん からMSX機 き の販売 はんばい に切 き り替 か えた経緯 けいい があるグラジエンテを始 はじ めとして、シャープもMSXをパソコンというより安価 あんか なゲーム機 き の代替 だいたい 品 ひん として捉 とら えていたようで、MSX2規格 きかく の発表 はっぴょう 以後 いご にもかかわらず初代 しょだい MSXしか販売 はんばい されなかった。ブラジルでは国内 こくない 産業 さんぎょう 保護 ほご のために海外 かいがい 製 せい ハード・ソフトの輸入 ゆにゅう に法外 ほうがい な関税 かんぜい をかけて事実 じじつ 上 じょう 禁止 きんし する法律 ほうりつ があるため(ライセンスを得 え て現地 げんち 生産 せいさん することで関税 かんぜい を回避 かいひ できる。または密輸 みつゆ か違法 いほう コピー)、当地 とうち で流通 りゅうつう したゲームは全 すべ て国内 こくない 製 せい 、販売 はんばい されたMSX機 き は上記 じょうき の現地 げんち 大手 おおて 家電 かでん メーカー2社 しゃ によるものだけだったが、テレビCMを含 ふく む積極 せっきょく 的 てき なキャンペーンの結果 けっか 、MSXは発売 はつばい から2年 ねん で10万 まん 台 だい 、トータルで40万 まん 台 だい の大 だい ヒットとなった。
初代 しょだい MSXが普及 ふきゅう し専門 せんもん 誌 し による情報 じょうほう 交換 こうかん も盛 さか んだったブラジルではユーザーコミュニティがMSX2の発売 はつばい を切望 せつぼう していたが、シャープは1988年 ねん にMSXから撤退 てったい 。グラジエンテも1990年 ねん にはMSXから撤退 てったい し、以降 いこう はMSX2ではなくファミコンを販売 はんばい した。そのため、サードパーティーからMSX2相当 そうとう にパワーアップする製品 せいひん などが発売 はつばい され、ユーザーコミュニティによる自主 じしゅ 制作 せいさく も盛 さか んとなった。それなりの知識 ちしき があれば、各種 かくしゅ アップグレードパーツを用 もち いてMSX2用 よう のメガROMのゲームを日本 にっぽん と同様 どうよう にプレイすることが可能 かのう だった。5.25インチフロッピーディスクを流通 りゅうつう 媒体 ばいたい とする独特 どくとく の同人 どうじん 文化 ぶんか も発達 はったつ した。
アルゼンチンでは地元 じもと メーカーのテレマティカが1984年 ねん にDaewoo MSX DPC-200をベースにしたTalent MSX DPC-200を発売 はつばい 。他 た にはスペクトラビデオやグラジエンテ、東芝 とうしば の製品 せいひん もわずかながら販売 はんばい された。また、アルゼンチンではMSXを「教育 きょういく 用 よう コンピューター」として学校 がっこう 教育 きょういく で国家 こっか レベルで導入 どうにゅう されたており、学校 がっこう 教育 きょういく の中 なか でMSX-LOGO 言語 げんご が教 おし えられていた。テレマティカが1987年 ねん に発売 はつばい したMSX2 TPC-310はコマーシャルで「ターボ」のキャッチコピーを売 う りにしていたが、あくまでキャッチコピー上 じょう の文句 もんく だけで、実際 じっさい は普通 ふつう のMSX2機 き である。アルゼンチンでのMSXの販売 はんばい は1990年 ねん に終息 しゅうそく した。
キューバでは東芝 とうしば とパナソニックのMSXが1985年 ねん に学校 がっこう 教育 きょういく で採用 さいよう され、"Intelligent keyboards"の名称 めいしょう で呼 よ ばれた。ただしパソコンの一般 いっぱん への販売 はんばい は禁止 きんし されていた。
アラビア語 ご にローカライズされアラブ諸国 しょこく で販売 はんばい されたSakhr AX-150。YamahaのロゴとSakhr(صخر)のロゴが確認 かくにん できる
アラブ諸国 しょこく ではクウェートの大手 おおて SI であるAl Alamiah[注釈 ちゅうしゃく 10] が日本 にっぽん からヤマハや三洋 さんよう などのMSX機 き を輸入 ゆにゅう しており、子会社 こがいしゃ のSakhr社 しゃ によってアラビア語 ご 用 よう ローカライズを行 おこな い販売 はんばい していた。このようにMSXは、韓国 かんこく 向 む けではハングル 、アラブ諸国 しょこく 向 む けにアラビア文字 もじ を使 つか えるなど、現地 げんち 向 む けに仕様 しよう をローカライズすることが可能 かのう だった。Sakhr AX330はファミコンとMSXの複 ふく 合 ごう 機 き 、Sakhr AX660とSakhr AX990はメガドライブとMSXの複 ふく 合 ごう 機 き であるが、アル・アラミアはMSXのライセンスを得 え ていないため、ハードの詳細 しょうさい は不明 ふめい である。パソコンとゲーム機 き の複 ふく 合 ごう 機 き はテラドライブ など他 た に例 れい があるが、1993年 ねん に発売 はつばい されたSakhr AX990がMSX2以降 いこう ではなく初代 しょだい MSXとの複 ふく 合 ごう 機 き なのは、MSXマガジンでも「謎 なぞ 」としている。ソフトウェアは、ファーストパーティであるAl Alamiah/Sakhr社 しゃ が本体 ほんたい にバンドルしていたもの以外 いがい にも、Methali社 しゃ など複数 ふくすう の現地 げんち メーカーから供給 きょうきゅう されていたが、SakhrはMSXを「教育 きょういく 用 よう コンピューター」と銘打 めいう って販売 はんばい していたため、教育 きょういく ソフトや教育 きょういく ゲームが多 おお い。また、日本 にっぽん から輸出 ゆしゅつ された作品 さくひん にはアラビア語 ご のマニュアルが新 あら たに同 どう 梱 こり されている。珍 めずら しいソフトとしては、Al AlamiahがMSX版 ばん 『コーラン 』を販売 はんばい していた。
ソ連 それん などの共産 きょうさん 圏 けん ではMSXは学校 がっこう などに多数 たすう 納入 のうにゅう され、初等 しょとう 教育 きょういく の現場 げんば でも応用 おうよう されていた。当時 とうじ の東側 ひがしがわ 諸国 しょこく は政府 せいふ によって市場 いちば が統制 とうせい された社会 しゃかい 主義 しゅぎ の国家 こっか であり、『物資 ぶっし は全 すべ て、国家 こっか が人民 じんみん に供給 きょうきゅう ・配給 はいきゅう する』という形態 けいたい をとっていたので、資本 しほん 主義 しゅぎ 経済 けいざい のもとで市場 いちば 競争 きょうそう によってホビーパソコンが大 おお きな市場 いちば を築 きず いた西側 にしがわ 諸国 しょこく とは違 ちが って、東側 ひがしがわ 諸国 しょこく のパソコンは国営 こくえい 企業 きぎょう が独占 どくせん 的 てき に製造 せいぞう し、ほとんどが産業 さんぎょう 用途 ようと か教育 きょういく 用途 ようと に回 まわ された。一方 いっぽう で年収 ねんしゅう くらいする高価 こうか なパソコンを自分 じぶん で購入 こうにゅう したり、市場 いちば に存在 そんざい する数 すう 百 ひゃく 個 こ のパーツを集 あつ めてパソコンを文字通 もじどお り自作 じさく する方法 ほうほう を指南 しなん する無線 むせん マニア向 む け雑誌 ざっし も存在 そんざい した。当時 とうじ 、輸入 ゆにゅう パソコンは外貨 がいか で購入 こうにゅう 可能 かのう な公営 こうえい ショップ(東 ひがし ドイツのインターショップ など)で高 こう 価格 かかく で販売 はんばい されるのが一般 いっぱん 的 てき で、一般人 いっぱんじん が購入 こうにゅう するのは現実 げんじつ 的 てき ではなかったが、実際 じっさい には多 おお くの東側 ひがしがわ 諸国 しょこく に西側 にしがわ 諸国 しょこく のパソコン(日本 にっぽん 製 せい も含 ふく む)が政府 せいふ の監視 かんし をかいくぐってこっそりと持 も ち込 こ まれており、その流通 りゅうつう には不明 ふめい な点 てん が多 おお い。
「東側 ひがしがわ 諸国 しょこく 」と言 い っても、必 かなら ずしも国営 こくえい 企業 きぎょう の製造 せいぞう したパソコンがメインで普及 ふきゅう したというわけではなく、例 たと えばチェコスロバキアでは、国営 こくえい メーカーが製造 せいぞう 販売 はんばい したZX Spectrum互換 ごかん 機 き に次 つ いで、輸入 ゆにゅう パソコンなのになぜか普通 ふつう に電気 でんき 店 てん で販売 はんばい されていたSharp MZ-800 の人気 にんき が高 たか かったりするなど、国 くに によって特色 とくしょく がある。MSXは、ソ連 それん で特 とく に教育 きょういく 用 よう として普及 ふきゅう し、国営 こくえい メーカーによる教育 きょういく 用 よう MSX互換 ごかん 機 き 製造 せいぞう の試 こころ みが続 つづ けられたり、宇宙 うちゅう 開発 かいはつ 用 よう として宇宙 うちゅう ステーションミール に搭載 とうさい されるなど、1985年 ねん ごろは大 おお きな影響 えいきょう 力 りょく を持 も った。ただしソ連 それん でMSXは「学校 がっこう で使 つか う教育 きょういく 用 よう パソコン」のイメージがあったのと、高価 こうか だったため、1986年 ねん 以後 いご に低 てい 価格 かかく 化 か した国産 こくさん 機 き のエレクトロニカBKシリーズ の方 ほう が家庭 かてい 用 よう としてはユーザー数 すう はずっと多 おお かった。
ソ連 それん の学校 がっこう 教育 きょういく 用 よう ネットワークシステムKUVTで採用 さいよう された、ヤマハ YIS 503IIR。日本 にっぽん 市場 いちば 向 む けYIS 503IIをSECAM のビデオ出力 しゅつりょく に対応 たいおう させたソ連 それん 専用 せんよう モデルで、КУВТ のロゴが見 み える[37] 。
冷戦 れいせん 時代 じだい 、西側 にしがわ 諸国 しょこく ではコンピューターを含 ふく む電子 でんし 機器 きき の輸出 ゆしゅつ を対 たい 共産 きょうさん 圏 けん 輸出 ゆしゅつ 統制 とうせい 委員 いいん 会 かい (ココム)で制限 せいげん しており、ソビエト連邦 れんぽう を中心 ちゅうしん とする共産 きょうさん 圏 けん の国々 くにぐに では16ビット 以上 いじょう の高性能 こうせいのう コンピューターを西側 にしがわ から輸入 ゆにゅう することが出来 でき なかった[38] 。そのため、規制 きせい 対象 たいしょう 外 がい とされていた8ビット 機 き を大量 たいりょう に輸入 ゆにゅう し、またコピー して使用 しよう していた。機種 きしゅ は用途 ようと に応 おう じて選別 せんべつ されていた。
これらの中 なか にはMSXも含 ふく まれており、特 とく にソ連 それん やキューバでは国家 こっか の教育 きょういく プログラムで導入 どうにゅう された。その拡張 かくちょう 性 せい や互換 ごかん 性 せい などが評価 ひょうか された結果 けっか 、学校 がっこう 教育 きょういく のみならず各 かく 分野 ぶんや で応用 おうよう された。教育 きょういく 用 よう には独自 どくじ に簡易 かんい ネットワークシステムまで構築 こうちく して利用 りよう していた例 れい もある[39] 。
冷戦 れいせん 終了 しゅうりょう 前後 ぜんこう にはMSX機 き が東側 ひがしがわ で正式 せいしき に販売 はんばい され、ビデオタイトラーやラベリング機 き のアーキテクチャなどとしても利用 りよう された。市場 いちば が開放 かいほう された時期 じき は国 くに によって違 ちが うが、例 たと えばソ連 それん で西側 にしがわ のパソコンが正式 せいしき に発売 はつばい されるのはゴルバチョフ 政権 せいけん による1988年 ねん の協同 きょうどう 組合 くみあい (コーポラティヴ)解禁 かいきん 以降 いこう となる。ソ連 それん では他 た の東欧 とうおう 諸国 しょこく より市場 いちば 開放 かいほう そのものが遅 おく れたうえ、ZX Spectrumが4万 まん ルーブル(年収 ねんしゅう の13年 ねん 分 ぶん )で販売 はんばい されるなど、西側 にしがわ の旧型 きゅうがた 機 き を輸入 ゆにゅう して高 こう 価格 かかく で売 う る企業 きぎょう が多 おお かったので[40] 、パソコンの普及 ふきゅう も他 た の東欧 とうおう 諸国 しょこく より遅 おく れたが、1991年 ねん にZX Spectrum互換 ごかん 機 き 「ペンタゴン 」がZX Spectrumの心臓 しんぞう 部 ぶ であるゲートアレイ の解析 かいせき を完了 かんりょう すると、旧 きゅう ソ連 それん 地域 ちいき でもZX Spectrumの海賊版 かいぞくばん であるPentagonのさらに海賊版 かいぞくばん メーカーが乱立 らんりつ して市場 いちば を埋 う め尽 つ くした。
ソ連 それん では1985年 ねん に学校 がっこう へのコンピュータ導入 どうにゅう プロジェクト「комплекс учебной вычислительной техники 」、略称 りゃくしょう :КУВТ (KUVT)が開始 かいし され、ヤマハのMSX機 き をベースとする教育 きょういく 用 よう ネットワークシステムが「YAMAHA KUVT 」として各 かく 学校 がっこう に構築 こうちく された(そのため、ソ連 それん ではMSXは「YAMAHA」(Ямаха)の愛称 あいしょう で呼 よ ばれる)。ヤマハの機種 きしゅ を用 もち いたシステムとしては、YIS 805R(先生 せんせい 側 がわ )とYIS 503IIR(生徒 せいと 側 がわ )が採用 さいよう されたКУВТ と、YIS 128R(先生 せんせい 側 がわ )とYIS 503IIIR(生徒 せいと 側 がわ )が採用 さいよう されたКУВТ2 が存在 そんざい する。それぞれ、単純 たんじゅん に輸入 ゆにゅう したものではなく、ロシア語 ご キーボードを搭載 とうさい したソ連 それん 向 む け専用 せんよう モデルである。1986年度 ねんど のКУВТ-86 では国産 こくさん 機 き のБК-0010Ш が採用 さいよう されるなど、すぐに輸入 ゆにゅう 機 き から国産 こくさん 機 き に切 き り替 か わったため、YISの採用 さいよう 数 すう は1万 まん 5千 せん 台 だい 程度 ていど とされる。教育 きょういく 映画 えいが の『Поехал поезд в Бульзибар 』(1986年 ねん )では、教育 きょういく の一環 いっかん として教師 きょうし の監督 かんとく の元 もと 『イーアルカンフー 』や『けっきょく南 みなみ 極大 きょくだい 冒険 ぼうけん 』を楽 たの しそうにプレイする子供 こども たちの姿 すがた が描 えが かれている。
1985年 ねん 当時 とうじ 、MSX機 き は一般 いっぱん には販売 はんばい されておらず、国産 こくさん 機 き と言 い えども一般人 いっぱんじん には購入 こうにゅう できないほど高価 こうか だったため、当時 とうじ のソ連 それん の人民 じんみん が触 ふ れることのできたコンピュータは、基本 きほん 的 てき に学校 がっこう にあるこのヤマハの教育 きょういく 用 よう パソコンであり、「YAMAHA」はパソコンの代名詞 だいめいし となった[注釈 ちゅうしゃく 11] 。ただし導入 どうにゅう 状 じょう 況 きょう は学校 がっこう によるので、MSXを全然 ぜんぜん 知 し らない人 ひと も多 おお い。また、1980年代 ねんだい 後半 こうはん 以降 いこう には、ヤマハ以外 いがい にも大宇 だいう 電子 でんし や東芝 とうしば など、数 かず は少 すく ないながら日本 にっぽん や韓国 かんこく から複数 ふくすう のメーカのMSX機 き が教育 きょういく 用 よう として輸入 ゆにゅう された。
1980年代 ねんだい 後半 こうはん には国産 こくさん 機 き の展開 てんかい が本格 ほんかく 的 てき に始 はじ まったこともあり、MSX機 き は家庭 かてい 用 よう ホビーパソコンとしてはあまり普及 ふきゅう したわけではない。当時 とうじ は月収 げっしゅう が100-150ルーブルの中 なか 、パソコンは1000ルーブルくらいの高 こう 価格 かかく のためにほとんど普及 ふきゅう していなかったが、1987年 ねん 頃 ごろ には国産 こくさん 機 き のエレクトロニカBKシリーズが650ルーブルまで低 てい 価格 かかく 化 か したこともあって、ホビースト向 む けに7万 まん 8000台 だい を売 う り上 あ げる大 だい ヒット機 き となり[42] 、MSXの家庭 かてい 普及 ふきゅう 率 りつ を大 おお きく上回 うわまわ った。BKシリーズは教育 きょういく 用 よう パソコンとしてもYAMAHAと並 なら ぶ勢 いきお いがあったが、一方 いっぽう でMSXのアーキテクチャ自体 じたい は政府 せいふ に好評 こうひょう で、その後 ご もソ連 それん で教育 きょういく 用 よう パソコン向 む けにMSX互換 ごかん 機 き の開発 かいはつ が行 おこな われた。
ペンザ州 しゅう 計算 けいさん 機 き 工場 こうじょう が1987年 ねん にリリースしたПК8000 は、MSXアーキテクチャをベースとして開発 かいはつ が行 おこな われたが、当時 とうじ のソ連 それん はMSXの心臓 しんぞう 部 ぶ であるZ80互換 ごかん プロセッサ、TMS9918互換 ごかん ビデオプロセッサ、PSG互換 ごかん 音源 おんげん を自国 じこく 内 ない だけで開発 かいはつ することができず、MSX規格 きかく との互換 ごかん 性 せい は限定 げんてい 的 てき にならざるを得 え なかった。それでもMSX-BASIC互換 ごかん を目指 めざ し、GW-BASICを拡張 かくちょう したインタプリタを搭載 とうさい した。64Kの大 だい 容量 ようりょう RAMなど良 よ い点 てん もあったが、場合 ばあい によって非常 ひじょう に遅 おそ くなる、圧 あつ 電 でん スピーカー(ビープ1音 おと )、1000ルーブルを超 こ える高 こう 価格 かかく など、悪 わる い点 てん も多 おお く、市場 いちば ではあまり受 う け入 い れられなかった。
1989年 ねん にリリースされた後継 こうけい 機 き の「ПК8002『エルフ』 」は、MSX2アーキテクチャを目指 めざ して設計 せっけい されたパソコンであり、PSG音源 おんげん 相当 そうとう の3チャネルサウンドなどを搭載 とうさい したが、V9938互換 ごかん ビデオプロセッサを開発 かいはつ することができなかったため、MSX2規格 きかく との互換 ごかん 性 せい は限定 げんてい 的 てき にならざるを得 え なかった。それでも教育 きょういく 用 よう コンピュータとしての導入 どうにゅう を目指 めざ して1000台 だい から2000台 だい が製造 せいぞう され、『ロードファイター 』や『ボンバーマン 』の移植 いしょく なども行 おこな われたが、ソ連 それん 崩壊 ほうかい に伴 ともな う経済 けいざい 危機 きき により以後 いご の開発 かいはつ は中止 ちゅうし された。なお、ПК8002には『PUT UP』(MSXマガジン87年 ねん 10月 がつ 号 ごう に掲載 けいさい )が移植 いしょく されており、1987年 ねん 当時 とうじ のソ連 それん 政府 せいふ はMマガを購読 こうどく していたとされる。
ミール・コアモジュール (1996年 ねん )。左側 ひだりがわ の「GENLOCKER」(ゲンロッカー、複数 ふくすう の機器 きき で映像 えいぞう を同期 どうき させる信号 しんごう を生成 せいせい する装置 そうち )と書 か かれた白 しろ い機材 きざい がHB-G900AP、その上 うえ にある「VIDEOTIZER」(ビデオタイザー、映像 えいぞう をパソコンに取 と り込 こ む装置 そうち )と書 か かれた機材 きざい がHBI-G900と見 み られる
ソ連 それん の軌道 きどう 宇宙船 うちゅうせん ミール でも、MSX2規格 きかく の動画 どうが 編集 へんしゅう 機 き であるソニーHB-G900AP[注釈 ちゅうしゃく 12] と見 み られる機材 きざい [43] が設置 せっち されており、1990年 ねん 12月のTBS宇宙 うちゅう プロジェクト『日本人 にっぽんじん 初 はつ !宇宙 うちゅう へ 』にて撮影 さつえい されたビデオの編集 へんしゅう に使用 しよう されていたことがスポンサーであるソニーの技術 ぎじゅつ 情報 じょうほう 誌 し の特集 とくしゅう 記事 きじ として掲載 けいさい された[44] 。
音楽 おんがく 制作 せいさく ではYAMAHA CX-5が良 よ く使 つか われ(アルバムのジャケット写真 しゃしん やライナーの使用 しよう 機材 きざい 紹介 しょうかい でよく載 の っている)、アンドレイ・ロジオノフ&ボリスチホミーロフ (ロシア語 ご 版 ばん ) はソ連 それん 初 はつ のテクノアルバム『パルス1』(1985年 ねん )を制作 せいさく している。これは当時 とうじ のソ連 それん ではテレビのエアロビクス番組 ばんぐみ が流行 はや っており、体操 たいそう 用 よう の音楽 おんがく としてソビエト連邦 れんぽう 文化 ぶんか 省 しょう の要請 ようせい により制作 せいさく されたものである。当時 とうじ のソ連 それん はアフガン侵攻 しんこう による経済 けいざい 制裁 せいさい 中 ちゅう ながら、ヤマハがソ連 それん の教育 きょういく プログラム「YAMAHA KUVT」向 む けにMSXの特注 とくちゅう モデルを制作 せいさく して輸出 ゆしゅつ するなど、ソ連 それん と日本 にっぽん の通商 つうしょう は比較的 ひかくてき 活発 かっぱつ であり、YAMAHA CX-5やRoland TR-909など、西側 にしがわ とそれほど変 か わらない日本 にっぽん 製 せい の機材 きざい が使用 しよう されていることがアルバムのライナーで紹介 しょうかい されている。アルバム『512 kbytes』(1987年 ねん )のジャケットでは、DTMやアートワークの制作 せいさく に使 つか ったYAMAHA YIS 805Rや、EIZO製 せい のモニターなどの周辺 しゅうへん 機器 きき が紹介 しょうかい されている(КУВТで導入 どうにゅう されたものと同 おな じ機材 きざい )。アンドレイ・ロジオノフはMSX用 よう ゲームも制作 せいさく してリリースしている。こちらも教育 きょういく 用 よう としてソ連 それん 文化 ぶんか 省 しょう と防衛 ぼうえい 省 しょう の要請 ようせい によって作 つく られたもので、パッケージにはその旨 むね の記載 きさい がある。また、リズムマシンYAMAHA RX15の制御 せいぎょ にCX-5を使用 しよう した『Танцы на битом стекле』(1989)を手掛 てが けたアレクセイ・ヴィシュニャ (ロシア語 ご 版 ばん ) や、CX-5に搭載 とうさい されたFM音源 おんげん モジュールYAMAHA SFG-05を活用 かつよう したНовая Коллекцияなども、MSXを活用 かつよう したソ連 それん のテクノミュージシャンである。ただし、当時 とうじ のソ連 それん にテクノやDTMが存在 そんざい したことが西側 にしがわ 諸国 しょこく に知 し られるのは、ソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご のことである。
ソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご にパソコンやゲーム機 き の海賊版 かいぞくばん メーカーが乱立 らんりつ した時期 じき には、MSX-DOSと一部 いちぶ に互換 ごかん 性 せい のあるOSを搭載 とうさい したAmstrad CPC ベースのMSX互換 ごかん 機 き Алеста(1993年 ねん )や、MSX-DOSと一部 いちぶ に互換 ごかん 性 せい のあるOSを搭載 とうさい したZX Spectrum互換 ごかん 機 き のATMターボ2(1993年 ねん )など、特殊 とくしゅ なハードもリリースされた。なお、ソ連 それん 時代 じだい はMSX機 き は一般 いっぱん には販売 はんばい されていないので、MSX機 き の所有 しょゆう 者 しゃ は存在 そんざい しないはずだが、YAMAHA製 せい のキーボードやリズムマシンと一緒 いっしょ にYAMAHAのMSX機 き を使 つか っているテクノミュージシャン以外 いがい に一般人 いっぱんじん の中 なか にもなぜか正規 せいき のYAMAHA製 せい MSX機 き を所有 しょゆう している熱狂 ねっきょう 的 てき なファンもおり、2000年代 ねんだい 以降 いこう にも熱狂 ねっきょう 的 てき なファンによる互換 ごかん 機 き が制作 せいさく されたり、海賊版 かいぞくばん ハードの乱立 らんりつ 時期 じき に製造 せいぞう された製品 せいひん をFPGAを利用 りよう してさらに進化 しんか させたハードがリリースされた。
MSXは「子供 こども に買 か い与 あた えられる安価 あんか なパーソナルコンピューター」「コンピューターの学習 がくしゅう に繋 つな げられるコンピューターの入門 にゅうもん 機 き 」として構想 こうそう された[45] 。その一方 いっぽう で必要 ひつよう に応 おう じてシステムを拡張 かくちょう することで本格 ほんかく 的 てき なプログラミングや実務 じつむ 処理 しょり にも使 つか うことが可能 かのう な、総合 そうごう 的 てき なホームコンピューターとしても設計 せっけい されている。
MZ-700 、ぴゅう太 ふとし 、M5 、JR-100 、PC-6001 、RX-78 、SC-3000 など、他 た の当時 とうじ の低 てい 価格 かかく 入門 にゅうもん 機 き のパソコンと同 おな じ様 さま にテレビやカセットデッキをモニターや二 に 次 じ 記憶 きおく 装置 そうち として流用 りゅうよう するようなシステムとなっている。
MSXは単 たん なる入門 にゅうもん 型 がた パソコンとしてのみならず、当時 とうじ の大人 おとな のマニア向 む けゲームハードという側面 そくめん をもつ。時 とき には家電 かでん 品 ひん として、時 とき には楽器 がっき として、時 とき には当時 とうじ の「ニューメディア 」として分類 ぶんるい される。それは、MSXが松下電器 まつしたでんき や日本 にほん ビクターなどのように家電 かでん 品 ひん のルートで販売 はんばい されたり、ヤマハや河合楽器 かわいがっき などの楽器 がっき 店 てん のルートで販売 はんばい されたり、フィリップスやNTTのキャプテンシステム のようにニューメディアと位置 いち づけて販売 はんばい されたが、それは主 おも にゲーム機 き として利用 りよう された事情 じじょう による。
またメーカーを越 こ えてハードウェアおよびソフトウェア資産 しさん が利用 りよう できる統一 とういつ 規格 きかく であり、「オープンアーキテクチャ 」のさきがけである。CPU、VDP 、メモリーマップ、I/Oマップ等 とう のハードウェア仕様 しよう を規定 きてい するレベルに留 と まらず、後述 こうじゅつ のようなスロット機構 きこう の採用 さいよう とシステム(BASICおよびDOS)と密接 みっせつ に連携 れんけい し、機能 きのう 拡張 かくちょう の抽象 ちゅうしょう 化 か を担 にな うBIOS を介 かい することを前提 ぜんてい に、柔軟 じゅうなん 性 せい と互換 ごかん 性 せい を維持 いじ する形 かたち となっている。
マイクロソフト説 せつ
アスキーの副 ふく 社長 しゃちょう だった西 にし 和彦 かずひこ が1984年 ねん に語 かた ったところによれば、由来 ゆらい はM icroS oft eX の略 りゃく とされる。Xには「eXchangeable 」「eXpandable 」「eXtended 」などの意味 いみ が含有 がんゆう され、また日本語 にほんご 訳 やく のときにXは拡張 かくちょう 性 せい が無限 むげん に広 ひろ がるという意味 いみ もこめて未知数 みちすう のXであるとされている。後年 こうねん のDirectX 、ActiveX 、X box 、Windows X P 、X NA など、マイクロソフトの「X好 す き 」はこの頃 ころ から現 あらわ れていると指摘 してき する声 こえ もある[46] 。
松下 まつした とソニー説 せつ (MSX販売 はんばい 当時 とうじ )
MSX2+以降 いこう 、参入 さんにゅう メーカーが松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう (後 ご のパナソニックホールディングス )、ソニー 、三洋電機 さんようでんき と、頭文字 かしらもじ が軒並 のきな みMとSだったことから、そのうちの代表 だいひょう 格 かく と言 い えるメーカーから「M atsushita(松下 まつした )・S ony(ソニー)・Xの略 りゃく では?」などと、当時 とうじ のユーザーや雑誌 ざっし 編集 へんしゅう 者 しゃ が冗談 じょうだん 混 ま じりに語 かた ることもあった(三洋電機 さんようでんき も略称 りゃくしょう 内 ない に含 ふく めることもあった)。この冗談 じょうだん は、統一 とういつ 規格 きかく を謳 うた いながらも限 かぎ られた会社 かいしゃ からしかハードが発売 はつばい されなくなってしまった状況 じょうきょう の変化 へんか を皮肉 ひにく ったものだった。
同様 どうよう の説 せつ を冗談 じょうだん だと断 ことわ った上 うえ で、単 たん に家電 かでん メーカーの代表 だいひょう 格 かく が松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう とソニーであるという趣旨 しゅし で紹介 しょうかい した書籍 しょせき もある。
松下 まつした とソニー説 せつ (規格 きかく 発表 はっぴょう 以前 いぜん )
主 おも に後年 こうねん になって語 かた られるようになったものとして、規格 きかく 構想 こうそう 時 じ は確 たし かに「松下 まつした とソニーのMSX 」であり、それが後 のち に建前 たてまえ 上 じょう の理由 りゆう から「MicroSoftX」に変化 へんか した、との説 せつ も存在 そんざい する。書籍 しょせき により語 かた られるようになった後 のち 、当事 とうじ 者 しゃ が当時 とうじ を振 ふ り返 かえ っての公演 こうえん ・発言 はつげん をする際 さい に同様 どうよう の趣旨 しゅし の内容 ないよう が言 い われるようになった。
曰 いわ く、MSXの初期 しょき の構想 こうそう 時 じ にはマイクロソフトは関与 かんよ しておらず、西 にし 和彦 かずひこ と、規格 きかく の推進 すいしん 役 やく かつ後 うし ろ盾 たて だった松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう (後 ご のパナソニック)の前田 まえだ 一 はじめ 泰 たい のイニシャルから、当初 とうしょ はMNX と呼 よ ばれていた。だがこの名称 めいしょう は既 すで に商標 しょうひょう 登録 とうろく されていたため、ソニーが話 はなし に加 くわ わったことでMSXと改 あらた まった。西 にし によると、松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう に企画 きかく を持 も っていく際 さい には「MSのMは松下 まつした 」、ソニー に企画 きかく を持 も っていく際 さい は「MSのSはソニー」だと言 い ってアピールしたと語 かた っている[48] 。
しかし日本 にっぽん のメーカーが提唱 ていしょう する規格 きかく にアメリカのMicrosoftが関与 かんよ するという点 てん に通商産業省 つうしょうさんぎょうしょう からクレームがついたことで、松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう とソニーは前面 ぜんめん に立 た つわけにいかなかったため、名称 めいしょう はそのままに、「マイクロソフトのMSX 」と説明 せつめい したという経緯 けいい とされる。
このことは書籍 しょせき に初 はじ めて書 か かれた後 のち 、規格 きかく 発表 はっぴょう 当初 とうしょ はマイクロソフトから取 と ったと語 かた った西 にし 和彦 かずひこ も同様 どうよう に語 かた るようになった。2000年 ねん のイベント「電 でん 遊 ゆう ランド2000」の講演 こうえん 会 かい で、この説 せつ について質問 しつもん された際 さい も「そう受 う け取 と っても構 かま わない」と答 こた えたという。翌 よく 2001年 ねん の「電 でん 遊 ゆう ランド2001」での前田 まえだ 一 はじめ 泰 たい の講演 こうえん でも、同様 どうよう の趣旨 しゅし の発言 はつげん がされている。
候補 こうほ に上 あ がった名称 めいしょう
規格 きかく 発表 はっぴょう 以前 いぜん の段階 だんかい では、MSX や前述 ぜんじゅつ のMNX の他 ほか に、西 にし 和彦 かずひこ の名 な からNSX 、アスキーから取 と られたASX などが候補 こうほ に上 のぼ り、商標 しょうひょう 登録 とうろく された。
キヤノンV-20。右 みぎ 下隅 したすみ にMSXのロゴマークが見 み える。
MSX仕様 しよう に準拠 じゅんきょ したハードウェアとソフトウェアにはMSXのロゴマークが付与 ふよ された。このMSXマークで「MSXで動 うご く」と分 わ かるように、ホームビデオのVHS を参考 さんこう に発案 はつあん ・デザインされた。以後 いご 、MSX2、MSX2+、MSXturboRとMSXがバージョンアップする度 たび にロゴは作 つく られ、MSX2からは起動 きどう 画面 がめん にMSXロゴが表示 ひょうじ されるようになった。公式 こうしき MSXエミュレーターの「MSXPLAYer」でもMSXのロゴは踏襲 とうしゅう された。デザインは全 すべ て西 にし が元 もと になるアイデアを出 だ した。
このロゴマークのついたMSX仕様 しよう のソフトウェアを発売 はつばい する際 さい にロイヤルティー は不要 ふよう だった。これはMSX発表 はっぴょう 当時 とうじ 、対抗 たいこう 規格 きかく を打 う ち出 だ して来 き た日本 にっぽん ソフトバンク(後 ご のソフトバンク )の孫 まご 正義 まさよし と西 にし 和彦 かずひこ のトップ会談 かいだん によって決定 けってい されたものである。
MSX0、MSX3、MSX turboでは従来 じゅうらい のロゴマーク踏襲 とうしゅう しつつ、やや細身 ほそみ となったMSXの文字 もじ と、ピクセル化 か された英数字 えいすうじ の組 く み合 あ わせとなっている。
後述 こうじゅつ のスロットによるアドレス空間 くうかん の拡張 かくちょう や、BIOSによるリソース管理 かんり の仕組 しく みの特徴 とくちょう は、後継 こうけい 製品 せいひん でもモード切替 きりかえ に因 よ らないシームレスな後方 こうほう 互換 ごかん 性 せい の実現 じつげん や、規格 きかく の拡張 かくちょう に寄与 きよ している。
MSX1, MSX2, MSX2+は8ビット CPU のZ80 A相当 そうとう のプロセッサを3.579545MHzで使用 しよう 。MSXturboRはそれに加 くわ えて16ビット CPUのR800 も搭載 とうさい し、システムチップにより排他 はいた 的 てき にシステムを担 にな うプロセッサを選択 せんたく することが可能 かのう である。
MSX0、MSX3、MSX turboにおいては、MSX1、MSX2、MSX2+、及 およ びMSXturboR(上位 じょうい 機種 きしゅ のみ)の下位 かい 互換 ごかん 機能 きのう が組 く み込 こ まれたマイクロコントローラーやFPGAによる上位 じょうい 互換 ごかん 実装 じっそう となっている。
互換 ごかん 性 せい を維持 いじ しながらフレキシブルな実装 じっそう を可能 かのう にするため、MSXではZ80 のメモリ空間 くうかん (アドレス空間 くうかん )を拡張 かくちょう したバンク切 き り替 か え と、メモリ管理 かんり ユニット の間 あいだ の性質 せいしつ を持 も つスロット と呼 よ ばれる仕組 しく みが設 もう けられた。
MSXではメモリ空間 くうかん [注釈 ちゅうしゃく 13] を四 よん 分割 ぶんかつ した「ページ」を単位 たんい として管理 かんり し、16KiBごとにリソースを割 わ り当 あ てるようになっている。さらに「スロット」1つ当 あ たり64KiBの空間 くうかん を持 も ち、標準 ひょうじゅん で4つの「プライマリ・スロット」が設定 せってい され、任意 にんい のスロットの該当 がいとう アドレスのページをメモリ空間 くうかん に接続 せつぞく することが可能 かのう になっている。また、プライマリスロットはさらに4つのセカンダリスロットを拡張 かくちょう することができ、仕様 しよう 上 じょう は最大 さいだい で16のスロットシステムに接続 せつぞく できるようになっている。従 したが って仕様 しよう 上 じょう は16KiB ×4ページ×4スロット×4セカンダリスロットで=1MiB のアドレス空間 くうかん が確保 かくほ され、その空間 くうかん に対 たい し、ROM、RAM、I/Oをページ単位 たんい で任意 にんい に割 わ り当 あ ててアクセスする形 かたち になっている。
プライマリ/セカンダリスロットは基本 きほん 的 てき には同等 どうとう とされ、多 おお くの機器 きき はどのスロットに挿入 そうにゅう しても規格 きかく の上 うえ では変 か わらず動作 どうさ する。なお、セカンダリスロットは再帰 さいき 的 てき な拡張 かくちょう を想定 そうてい していないため、セカンダリスロット拡張 かくちょう を行 おこな う機器 きき は、セカンダリスロットへの接続 せつぞく が出来 でき ない。見 み かけは一 ひと つのカートリッジであっても、複数 ふくすう のデバイスを収 おさ めるために内部 ないぶ 的 てき にスロット拡張 かくちょう をしていたμ みゅー ・PACKやMSX-DOS2カートリッジ、拡張 かくちょう スロットなどの周辺 しゅうへん 機器 きき がこの制限 せいげん にあたり、プライマリスロットへの挿入 そうにゅう 以外 いがい では動作 どうさ しなかった。
Z80のシステムでありながら、ハードウェアとの接続 せつぞく にI/O空間 くうかん ではなく基本 きほん 的 てき にメモリーマップドI/O 方式 ほうしき を用 もち いることが推奨 すいしょう された。アクセスの際 さい にはBIOSコール(BIOS割 わ り込 こ みルーチン )の時点 じてん でスロット切 き り換 か えによってメモリ空間 くうかん が切 き り替 か えられ、同時 どうじ にハードウェアへの割 わ り当 あ てリソースも変更 へんこう されることで競合 きょうごう は回避 かいひ された。I/Oアドレス空間 くうかん は8ビットとして想定 そうてい [注釈 ちゅうしゃく 14] されており、一部 いちぶ のアドレスが規格 きかく として予約 よやく されている。外 そと 付 づ けデバイスとして実装 じっそう される場合 ばあい は接続 せつぞく 先 さき のI/O空間 くうかん の状態 じょうたい が不定 ふてい であるため初期 しょき 化 か 時 じ にチェックの上 うえ 割 わ り当 あ てるようになっているため、直接 ちょくせつ ハードウェアを初期 しょき 化 か するような場合 ばあい には設計 せっけい の差異 さい を考慮 こうりょ する必要 ひつよう がある。
これらの仕組 しく みを物理 ぶつり 的 てき に拡張 かくちょう する手段 しゅだん として、スロット機構 きこう に接続 せつぞく するコネクター が最低 さいてい 1基 き 装備 そうび された。多 おお くの機種 きしゅ では差 さ しこみ口 こう が筐体 きょうたい 上面 うわつら や前面 ぜんめん などに配置 はいち されていたため、他 た の多 おお くのシステムのように、背面 はいめん の拡張 かくちょう スロットで挿抜したり筐体 きょうたい を開 あ けることなく手軽 てがる に増設 ぞうせつ 機器 きき の差 さ し替 か えができた。電源 でんげん 投入 とうにゅう 時 じ の着脱 ちゃくだつ 防止 ぼうし 機構 きこう やホットプラグは規格 きかく としては用意 ようい されていない。着脱 ちゃくだつ 時 じ に電源 でんげん を切 き る機構 きこう は一部 いちぶ 機種 きしゅ にあり、カートリッジが正常 せいじょう に装着 そうちゃく されるとこの機構 きこう がキャンセルされ電源 でんげん が入 はい るようになっていた。2基 き 目 め のスロットは初期 しょき の一部 いちぶ の機種 きしゅ でエクスパンションバスの形状 けいじょう を持 も つものがあったが(ピン配列 はいれつ は同 おな じ)、程 ほど なくして見 み られなくなった。
「スロット」の仕組 しく みは柔軟 じゅうなん な運用 うんよう や設計 せっけい を可能 かのう にしたものの、「1つのスロットに4ページ/64KiBを越 こ える空間 くうかん を配置 はいち できない」「ページ間 あいだ のアドレス空間 くうかん の移動 いどう や再 さい マッピングができない」といった、Z80に由来 ゆらい するメモリー空間 くうかん ・アドレッシングに依存 いぞん した制約 せいやく があった。特 とく にワークエリアとスタックが置 お かれるページ3の切 き り替 か えには若干 じゃっかん の困難 こんなん が伴 ともな い、単純 たんじゅん にRAMページをスロットに増設 ぞうせつ するだけでは増設 ぞうせつ されたメモリーの有効 ゆうこう な活用 かつよう がやや煩雑 はんざつ なものとならざるを得 え ないという事情 じじょう があった。これを改善 かいぜん するため、MSX2規格 きかく 制定 せいてい 時 じ にRAMページの拡張 かくちょう を行 おこな う“メモリーマッパー”が拡張 かくちょう 規格 きかく として追加 ついか された。このメモリーマッパーを用 もち いることで、ページの割 わ り当 あ てに対 たい する制限 せいげん を軽減 けいげん することが出来 でき た。また、後 のち に登場 とうじょう したメガROMの一部 いちぶ にもメモリーマッパー規格 きかく を応用 おうよう し、酷似 こくじ した仕様 しよう でROM空間 くうかん の切 き り替 か えや拡張 かくちょう を行 おこな う製品 せいひん が登場 とうじょう した。ただし、これらは市販 しはん アプリケーションもしくはZ80バイナリによって直接 ちょくせつ 実行 じっこう するソフトに限 かぎ られた話 はなし で、MSX-BASICではメモリ空間 くうかん を前半 ぜんはん にROM、後半 こうはん にRAMを固定 こてい で割 わ り当 あて てその末尾 まつび に拡張 かくちょう 用 よう のワークエリア、フックなどを配置 はいち していることもあり、これらのメモリをユーザーエリアとして有効 ゆうこう 活用 かつよう する仕組 しく みが無 な く、RAMDISKなどの形 かたち で活用 かつよう するようになっている。
ディスプレイや文字 もじ 表示 ひょうじ 関連 かんれん の規格 きかく
編集 へんしゅう
MSX1、MSX2及 およ びMSX2+は一般 いっぱん 家庭 かてい への普及 ふきゅう を目指 めざ すため、標準 ひょうじゅん の構成 こうせい で家庭 かてい 用 よう テレビ にRF を標準 ひょうじゅん 装備 そうび [注釈 ちゅうしゃく 15] し、専用 せんよう モニター を必須 ひっす としない仕様 しよう となっていた。
これは他 た の低 てい 価格 かかく 帯 たい の入門 にゅうもん 機 き にも見 み られた仕様 しよう で、文字 もじ の滲 にじ みや解像度 かいぞうど の低 ひく さなどのデメリットもあったが、家庭 かてい 用 よう 電気 でんき 製品 せいひん を流用 りゅうよう できるようにすることでシステムのトータルコストを下 さ げる効果 こうか があった。TMS9918Aの出力 しゅつりょく がそもそもNTSCであり、初代 しょだい 規格 きかく ではRGB出力 しゅつりょく を持 も つ製品 せいひん は限 かぎ られた。
初代 しょだい 規格 きかく のVDPがテキスト表示 ひょうじ の拡張 かくちょう によってグラフィックス処理 しょり も実現 じつげん していたこともあり、文字 もじ フォント (文字 もじ キャラクタ )は基本 きほん 形状 けいじょう がシステムROMから初期 しょき 化 か 時 じ に定義 ていぎ はされるものの、表示 ひょうじ 性能 せいのう の制限 せいげん の範囲 はんい で任意 にんい の形状 けいじょう 、色 いろ に書 か き換 か えが可能 かのう なPCG として利用 りよう することが可能 かのう である。SCREEN0,1,2,4では全 すべ ての文字 もじ 形状 けいじょう をユーザーが自由 じゆう に定義 ていぎ して使 つか うことが出来 でき 、SCREEN1,2,4ではBASICのサポートは無 な いもののVDPの画面 がめん モードを変更 へんこう することによって1ライン当 あ たり任意 にんい の2色 しょく をフォントに割 わ り当 あ てることも可能 かのう である。
日本 にっぽん 向 む けのMSXではPC-6000シリーズ に近似 きんじ したキャラクターコードを採用 さいよう しており、特定 とくてい の漢字 かんじ (日月 じつげつ 火 ひ 水木 みずき 金 きん 土 ど ・大 だい 中小 ちゅうしょう ・年 ねん 時 じ 分秒 ふんびょう ・百 ひゃく 千 せん 万 まん 円 えん )や罫線 けいせん が記号 きごう として定義 ていぎ されているほか、カタカナに加 くわ えてひらがな も標準 ひょうじゅん で定義 ていぎ されていた。これらのコードは海外 かいがい 向 む けMSXではアクセント記号 きごう 付 つ きアルファベット[注釈 ちゅうしゃく 16] に割 わ り当 あ てられた。なおMSXで半角 はんかく ひらがなに割 わ り当 あ てられていたコード領域 りょういき は、現在 げんざい のSHIFT JIS コードで使用 しよう されている。MSX1の時点 じてん では半角 はんかく 文字 もじ の80カラム(1行 ぎょう 80桁 けた )表示 ひょうじ も不可能 ふかのう だった。初代 しょだい 規格 きかく の時点 じてん では漢字 かんじ ROMの仕様 しよう がなく、ワープロなどの実装 じっそう に伴 ともな うハードウェアが独自 どくじ にアプリケーション依存 いぞん で実装 じっそう されていた。MSX2ではそれらのうち、第 だい 1水準 すいじゅん のフォントを持 も つ東芝 とうしば 仕様 しよう のものが表示 ひょうじ 用 よう のBIOSと共 とも にオプションとして定義 ていぎ され、後 のち にI/Oマップにも東芝 とうしば 仕様 しよう の物 もの が割 わ り当 あ てられている。
コネクタ類 るい に関 かん しては、主 おも にジョイパッド やマウス の接続 せつぞく 用 よう にアタリ のAtari 2600 相当 そうとう の9ピンコネクター(アタリ仕様 しよう ジョイスティック のもの)が2ボタン仕様 しよう に拡張 かくちょう されて定義 ていぎ された。また、オプションでセントロニクス 仕様 しよう の14ピンプリンター インターフェースも搭載 とうさい された。
汎用 はんよう 的 てき な仕様 しよう のコネクタを採用 さいよう したことは、のちに電子 でんし 工作 こうさく の接続 せつぞく ・制御 せいぎょ 用途 ようと として重宝 ちょうほう された。上記 じょうき のスロットコネクターに関 かん しては、電子 でんし 部品 ぶひん を扱 あつか う店 みせ で電子 でんし 工作 こうさく 用 よう の汎用 はんよう 基板 きばん が入手 にゅうしゅ できた。
キーボード はパラレル入力 にゅうりょく で同時 どうじ 押 お しも可能 かのう である。規格 きかく の上 うえ では、いくつかの特定 とくてい の3つのキーの組 く み合 あ わせは動作 どうさ の整合 せいごう 性 せい が図 はか られた以外 いがい 、3つ以上 いじょう のキーが同時 どうじ に押下 おうか された場合 ばあい の入力 にゅうりょく の整合 せいごう 性 せい は保証 ほしょう されていない。なおセパレートタイプ(つまり本体 ほんたい と別 べつ の)キーボードは定義 ていぎ されておらず、キーボードのコネクタは機種 きしゅ によって異 こと なる。なお日本 にっぽん 向 む けキーボード の配列 はいれつ にはJIS配列 はいれつ と50音 おと 順 じゅん 配列 はいれつ (かな配列 はいれつ )の両方 りょうほう が規格 きかく にあり、ワークエリアの設定 せってい で選択 せんたく することもできた。
初期 しょき はROMカートリッジ、並 なら びにカセットテープ。MSX2の後期 こうき からはフロッピーディスクにより様々 さまざま なソフトウェアが提供 ていきょう された。規格 きかく にたいして特徴 とくちょう 的 てき な実装 じっそう は下記 かき のとおりである。
前述 ぜんじゅつ のようにBASICやOSの収 おさ められたシステムROM、ゲーム等 とう のROMカートリッジ、メインメモリなどのRAM、そして各社 かくしゃ の独自 どくじ 拡張 かくちょう による周辺 しゅうへん 機器 きき (ハードウェア)などのリソースは「スロット」に接続 せつぞく されているが、それを抽象 ちゅうしょう 化 か し、汎用 はんよう 的 てき に利用 りよう できるようにしているのがBIOSである。基本 きほん 的 てき なBIOSのうち、主 おも な機能 きのう はメモリの先頭 せんとう 部分 ぶぶん からジャンプテーブルとして配置 はいち されており、システムがZ80の割 わ り込 こ みモード1で構成 こうせい されているため、RST命令 めいれい で呼 よ び出 だ せるエントリのうち、RST 00H~28HをBASICがサブルーチンコールに使用 しよう 。RST 30Hがインタースロット・コール、RST 38Hがハードウェア割 わ り込 こ みに割 わ り当 あ てられている。基本 きほん 機能 きのう に含 ふく まれない機能 きのう 、ハードウェアには基本 きほん 的 てき に拡張 かくちょう BIOS並 なら びに対応 たいおう している場合 ばあい は拡張 かくちょう BASICが付随 ふずい し、起動 きどう 時 じ に初期 しょき 化 か ルーチンを呼 よ び出 だ すことで割 わ り込 こ みベクタ がワークエリアに登録 とうろく され、システムに組 く み込 こ まれる。ユーザーは対応 たいおう アプリケーションなどではほぼ無意識 むいしき に、BASICなどでは必要 ひつよう に応 おう じてコマンドによる初期 しょき 化 か で有効 ゆうこう 化 か し、利用 りよう することができた[注釈 ちゅうしゃく 17] 。
基本 きほん 仕様 しよう に組 く み込 こ まれたハードウェアも含 ふく め、互換 ごかん 性 せい をBIOSレベルでのみ保証 ほしょう することによってある程度 ていど の設計 せっけい の自由 じゆう 度 ど を確保 かくほ しており、ワープロやテレビなど民生 みんせい 機器 きき と同化 どうか したような各社 かくしゃ の商品 しょうひん としての独自 どくじ 性 せい を発揮 はっき するのに寄与 きよ し、設計 せっけい の共通 きょうつう 化 か により低 てい コスト化 か を可能 かのう とした他 ほか 、プラグ&インストール&プレイではなく文字通 もじどお りのプラグ&プレイ を実現 じつげん していた。
但 ただ し、基本 きほん 仕様 しよう に含 ふく まれるBIOSの実装 じっそう はハードウェアに強 つよ く依存 いぞん する仕様 しよう になっており、PSGやVDPなどはBIOSが内部 ないぶ レジスタをラップするような実装 じっそう になっているため後継 こうけい 製品 せいひん などでも実際 じっさい には仕様 しよう を包含 ほうがん したものを選択 せんたく せざるを得 え ず、データレコーダの実装 じっそう はZ80の実行 じっこう クロックに強 つよ く依存 いぞん した形 かたち でタイミングを取 と り波形 はけい を生成 せいせい しているため、割 わ り込 こ みを禁止 きんし したうえ、規定 きてい のクロックでプロセッサが動作 どうさ することを要求 ようきゅう する仕様 しよう となっている。
これらスロットやBIOSなどによる特徴 とくちょう 的 てき な実装 じっそう は柔軟 じゅうなん 性 せい がある代 か わりに、ハードウェアの構成 こうせい は規格 きかく として規定 きてい されたもの以外 いがい では固定 こてい されていることは期待 きたい できず、初期 しょき 化 か ・認識 にんしき 処理 しょり はスロットを検索 けんさく する必要 ひつよう があるというオーバーヘッドを伴 ともな うものとなった。一部 いちぶ アプリケーションなどでは、特定 とくてい の構成 こうせい を期待 きたい したコードになっているためMSX2で動作 どうさ しなくなったり、実際 じっさい には接続 せつぞく されているにもかかわらず、その拡張 かくちょう 機器 きき を認識 にんしき できないなどの非 ひ 互換 ごかん 性 せい につながっている。また、ハードウェアの相違 そうい を考 かんが えればかなり互換 ごかん 性 せい が維持 いじ されているFDD等 とう の「同 おな じ種類 しゅるい 」のハードウェアであっても、スタック領域 りょういき やワークエリアなど、実装 じっそう の違 ちが いから特定 とくてい 条件 じょうけん で動作 どうさ しないなどの現象 げんしょう が発生 はっせい することもあった。
またこれらの仕組 しく みは、ハードウェアリソースに対 たい するアクセス自体 じたい に演算 えんざん リソースを必要 ひつよう とし、「スロット」の実装 じっそう にともなうウェイト(wait)の挿入 そうにゅう やBIOSコールを経由 けいゆ する等 ひとし のオーバーヘッド は、3.579545MHz動作 どうさ CPUのZ80に重 おも くのしかかり、パフォーマンスを落 お とす原因 げんいん ともなった。VDPについては処理 しょり 速度 そくど を得 え るため、システムROMの特定 とくてい のアドレスに書 か かれている値 ね からI/Oアドレスを確認 かくにん の上 うえ 、直接 ちょくせつ 制御 せいぎょ することを正式 せいしき に認 みと めている。
二 に 次 じ 記憶 きおく 装置 そうち から直接 ちょくせつ 起動 きどう するソフトウェアや機種 きしゅ 固有 こゆう の内蔵 ないぞう ソフトを除 のぞ けば、ユーザーの操作 そうさ 、利用 りよう を支 ささ えるのがMSX-BASICである。他 た の実装 じっそう で見 み られたマシン語 ご モニタは標準 ひょうじゅん システムとしては用意 ようい されておらず、直接 ちょくせつ のメモリ操作 そうさ や実行 じっこう ではなくDOSないしは、BASICから呼 よ び出 だ す形 かたち となっている。
当時 とうじ の多 おお くのPCで採用 さいよう されていたマイクロソフト系 けい の命令 めいれい セットを持 も っていたが、変数 へんすう 名 めい は先頭 せんとう から2文字 もじ のみでgoto命令 めいれい などの飛 と び先 さき は行 くだり 番号 ばんごう のみなど初期 しょき の実装 じっそう に近 ちか い形 かたち となっている反面 はんめん 、浮動 ふどう 小数点 しょうすうてん の演算 えんざん では仮数 かすう 部 ぶ は6桁 けた または14桁 けた のBCD[注釈 ちゅうしゃく 18] を仮想 かそう 計算 けいさん 機 き として実装 じっそう しており、システムの規模 きぼ や速度 そくど に対 たい して精度 せいど の高 たか いものとなっている。この演算 えんざん 部分 ぶぶん はBASIC以外 いがい からの呼 よ び出 だ しも可能 かのう なようにMath-Packとして外部 がいぶ からも呼 よ び出 だ せる手順 てじゅん が公開 こうかい されているCITEREFMSX-Datapack11991。精度 せいど は高 たか いものの相応 そうおう に演算 えんざん コストが高 たか いため、ゲームなどレスポンスや処理 しょり 速度 そくど を重視 じゅうし するケースでは変数 へんすう を整数 せいすう として宣言 せんげん することがTipsとなっていた。
更 さら にオプションでMSX-DOS と呼 よ ばれるCP/M システムコール互換 ごかん OS も導入 どうにゅう 可能 かのう で、これを導入 どうにゅう すれば既存 きそん のCP/Mアプリケーションの多 おお くがファイルシステムをコンバートすることによりほぼそのまま動作 どうさ し、CP/M環境 かんきょう で利用 りよう 可能 かのう なアセンブリ言語 げんご 、C言語 げんご 、Pascal 、COBOL 、FORTRAN 等 ひとし も使 つか え、またCP/Mで動 うご く欧文 おうぶん ワープロ や表 おもて 計算 けいさん 等 ひとし の実務 じつむ アプリケーションも実行 じっこう できた。
但 ただ し、本体 ほんたい が安価 あんか なMSXでは相対 そうたい 的 てき にFDDは高価 こうか であり、活用 かつよう されるようになるのはFDDを内蔵 ないぞう した本体 ほんたい が安価 あんか に提供 ていきょう されるようになったころからである。
初代 しょだい 規格 きかく ではその構成 こうせい 部品 ぶひん に専 せん 用品 ようひん を用 もち いず、その時点 じてん で市場 いちば に供給 きょうきゅう されていた利用 りよう 実績 じっせき の豊富 ほうふ な既存 きそん の汎用 はんよう 半導体 はんどうたい 製品 せいひん を採用 さいよう し、基本 きほん 仕様 しよう が安価 あんか に製造 せいぞう できるよう構築 こうちく されていた。各 かく メーカーから発売 はつばい された機種 きしゅ はほぼローエンド(低 てい 価格 かかく 帯 たい )だった。
その代償 だいしょう で、仕様 しよう は平凡 へいぼん なものとなり、当時 とうじ の主 おも だったパソコンが高 こう 解像度 かいぞうど 化 か を求 もと められていた中 なか にあって、最大 さいだい でも256×192ドットの解像度 かいぞうど だったことと合 あ わせて「先進 せんしん 的 てき でない」と批判 ひはん する意見 いけん もあった[60] 。
価格 かかく 帯 たい と汎用 はんよう 性 せい に舵 かじ を切 き った実装 じっそう は、日本 にっぽん ではファミリーコンピュータ と比較 ひかく されてしまい、ゲーム専用 せんよう のファミリーコンピュータのグラフィック性能 せいのう と比較 ひかく して劣 おと っていたので「中途半端 ちゅうとはんぱ な子供 こども の玩具 おもちゃ 」として受 う け取 と られた。
MSX向 む けの主要 しゅよう な商用 しょうよう パソコン通信 つうしん サービスとしては、1986年 ねん 12月からアスキーが運営 うんえい したアスキーネット MSX、および松下 まつした グループ(後 ご のパナソニックグループ)系 けい のネットワーク企業 きぎょう ・日本 にっぽん テレネット が運営 うんえい するTHE LINKS(ザ・リンクス)がある。
アスキーネットMSXは、MSXを所有 しょゆう していることが使用 しよう の条件 じょうけん だったが、実際 じっさい に使 つか えるマシンはMSXに限 かぎ らなかった。NHK学園 がくえん のパソコンの通信 つうしん 講座 こうざ で使 つか われたこともあった[61] 。
対 たい して、THE LINKSはMSX専用 せんよう だった。画像 がぞう 通信 つうしん やゲーム配信 はいしん をサポートした独特 どくとく のサービスで、対応 たいおう 機種 きしゅ をMSXに限定 げんてい 、モデムも専用 せんよう ソフト搭載 とうさい のカートリッジのみとすることにより、他 た のパソコン通信 つうしん サービスにはないカラフルなコンテンツの提供 ていきょう や画像 がぞう 配信 はいしん 、動 うご くメールなども実現 じつげん していた。MSXによる日本語 にほんご 表現 ひょうげん の特徴 とくちょう の一 ひと つである半角 はんかく ひらがなやグラフィック文字 もじ はJISの規格 きかく 外 がい で、機種 きしゅ によって全 まった く別 べつ のキャラクタが定義 ていぎ されており、MSXに限 かぎ らず多 た 機種 きしゅ 混在 こんざい のパソコン通信 つうしん では使 つか わないのが常識 じょうしき となっていたが、THE LINKSはその逆 ぎゃく にJISやシフトJISの2bytes文字 もじ の日本語 にほんご は書 か き込 こ むことができず、1byteのMSX文字 もじ でコミュニケーションを取 と ることになっていた。THE LINKSのためだけの専用 せんよう 通信 つうしん ソフトが必要 ひつよう で、通信 つうしん ソフトが内蔵 ないぞう されたTHE LINKS専用 せんよう モデムカートリッジがあった他 ほか 、松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう のモデムカートリッジに通信 つうしん ソフトが内蔵 ないぞう されていた。
当初 とうしょ は通信 つうしん 速度 そくど 300bpsのモデムカートリッジが発売 はつばい され、後 のち には1200bpsの物 もの も出 で た。MSXturboRが発売 はつばい された時期 じき にはパソコン通信 つうしん も9600bpsを超 こ える速度 そくど のモデムが一般 いっぱん 化 か し、MSXでもRS-232C カートリッジとPCモデムを使用 しよう するユーザーが増 ふ えた。MSX2の中 なか には本体 ほんたい に1200bpsモデムを搭載 とうさい した、通信 つうしん パソコンと称 しょう される機種 きしゅ もいくつか存在 そんざい する。
それ以外 いがい にもPC-VAN やNIFTY-Serve にMSXに関係 かんけい するSIGやフォーラムが設 もう けられた。また、MSXの話題 わだい を扱 あつか う草 くさ の根 ね BBS が全国 ぜんこく に開設 かいせつ されており、MSX専門 せんもん 誌 し が休刊 きゅうかん し、商業 しょうぎょう 的 てき にMSXが衰退 すいたい した後 のち は同人 どうじん 活動 かつどう とともにパソコン通信 つうしん での活動 かつどう によって培 つちか われたコミュニティーがMSXを支 ささ えた。パソコン通信 つうしん で発表 はっぴょう されたフリーソフトウェアは、MSX専門 せんもん 誌 し のMSX・FAN に付録 ふろく ディスクに収録 しゅうろく されたり、ソフトの自動 じどう 販売 はんばい 機 き TAKERU で販売 はんばい されたりもした。
その他 た にMSXを用 もち いたネットワークサービスには、囲碁 いご のネット対戦 たいせん 「GO-NET」や株式 かぶしき 投資 とうし などがあった。
通信 つうしん ソフトにはアスキーからMSX-TERMが発売 はつばい されたが性能 せいのう の悪 わる さからあまり使用 しよう されず、フリーソフトウェア のmabTermやRAETERMや松戸 まつど タームが使 つか われた。MSX向 む けのネット運営 うんえい 用 よう ホストプログラムはMSXマガジン が開発 かいはつ した「網元 あみもと さん」やMHRVなどが多 おお く用 もち いられた。
ロムカセット
ページ先頭 せんとう に書 か かれているヘッダによって、起動 きどう 時 じ の初期 しょき 化 か (拡張 かくちょう BASIC等 とう )や自動 じどう 起動 きどう (ゲームソフト等 とう )が可能 かのう 。通常 つうじょう はマスクROM が使用 しよう されたほか、ソフトベンダーTAKERU 用 よう のEPROM カートリッジもあった。
メガROM
メモリコントローラを内蔵 ないぞう し1メガビット(128KB)以上 いじょう の容量 ようりょう を実現 じつげん したカートリッジ。1986年 ねん 4月 がつ にアスキーが仕様 しよう を制定 せいてい し、同年 どうねん 7月 がつ 22日 にち 発売 はつばい の『グラディウス 』で初 はつ 使用 しよう [62] 。その後 ご 、長方形 ちょうほうけい を斜 なな めに3つ連 つら ねた統一 とういつ マークが定 さだ められたが、容量 ようりょう が基準 きじゅん でありコントローラには特殊 とくしゅ なものを用 もち いたソフトウェアも存在 そんざい する。同様 どうよう の物 もの は特 とく に名称 めいしょう はついていないものの、ファミコン などの家庭 かてい 用 よう ゲーム機 き でも見 み られる。
MegaRAM
ブラジルのMSXマーケットでのみ普及 ふきゅう したカートリッジでDDXとCIELの2社 しゃ から発売 はつばい されていた。メガROMのROMの部分 ぶぶん をRAMに交換 こうかん したような構造 こうぞう をしており、このRAM部分 ぶぶん にROMイメージをLOADして使用 しよう する。ブラジルでは、このMegaRAMが存在 そんざい したからこそMSXが普及 ふきゅう したといわれる程 ほど 、大 だい ヒットした。もっとも、主 おも な用途 ようと は「メガROMから吸 す い出 だ したゲームを違法 いほう コピーして使用 しよう する」というものであり、カセットテープまたはFDDの形態 けいたい で流通 りゅうつう するメガROMのゲームをロードしてメガRAMに読 よ み込 こ むことで、元 もと のメガROMのカートリッジと同 おな じ動作 どうさ をさせることができる。
BEE CARD
アダプタカートリッジ「Bee Pack」と組 く み合 あ わせて使用 しよう する。セガ・マークIII のマイカード と同様 どうよう のもの。
増設 ぞうせつ 用 よう RAM カートリッジ
MSXの内蔵 ないぞう RAMを増設 ぞうせつ するためのカートリッジ。スロットに直接 ちょくせつ 接続 せつぞく し、メインメモリを増設 ぞうせつ するカートリッジと、メモリマッパカートリッジがある。前者 ぜんしゃ は、カシオの「16KB増設 ぞうせつ RAMカートリッジ」「64KB増設 ぞうせつ RAMカートリッジ」電子 でんし 部品 ぶひん 通販 つうはん M.A.D.の「らむまっくす2」[63] 等 ひとし で、多 おお くは純正 じゅんせい の拡張 かくちょう 機器 きき として、小 しょう 容量 ようりょう のRAMを持 も つMSXのために用意 ようい された。後者 こうしゃ は、MSXDOS2カートリッジや、テラネットワークシステムの「AddRAM2」、似 に 非 ひ 職人 しょくにん 工房 こうぼう の「うっかりくん」[64] 、クラシックPC研究 けんきゅう 会 かい の「MSX2/2+/turboR用 よう 16MBメモリー拡張 かくちょう カートリッジ(CLPC-MSX16MBRAM)」[65] 等 ひとし 。
SRAM カートリッジ
MSX1発売 はつばい 開始 かいし 当初 とうしょ は、一般 いっぱん 家庭 かてい での需要 じゅよう を見込 みこ んだ、家計 かけい 簿 ぼ ソフトなどのデータ保存 ほぞん 用 よう に発売 はつばい 、もしくは本体 ほんたい に同 どう 梱 こり された。その後 ご は主 おも にゲームデータの保存 ほぞん 用 よう にシフトした。PAC(パナ・アミューズメント・カートリッジ)、FM-PAC、新 しん 10倍 ばい カートリッジなど。
キヤノンVJ-200
ソニーJS-55
キーボード
キーボードが本体 ほんたい と分離 ぶんり しているマシン用 よう に各社 かくしゃ 独自 どくじ 仕様 しよう の物 もの が用意 ようい された他 ほか 、スロットコネクターやジョイスティック端子 たんし を介 かい してつなぐテンキーパッドが市販 しはん されたり、専門 せんもん 誌 し の電子 でんし 工作 こうさく コーナーに作例 さくれい 掲載 けいさい されたりした。なお、MSX規格 きかく では「キーボード接続 せつぞく 専用 せんよう の標準 ひょうじゅん 端子 たんし 」のような物 もの は定 さだ められていない。
鍵盤 けんばん
ヤマハ・SFG-01/05専用 せんよう の物 もの や、MSX-AUDIO用 よう 専用 せんよう キーボード、FS-MKB1等 とう がある。
ジョイスティック ・ジョイパッド
8方向 ほうこう 入力 にゅうりょく スティック+押 お しボタン1、2個 こ を備 そな える。当初 とうしょ は据 す え置 お きタイプは操縦 そうじゅう 桿型、手持 ても ちタイプはスティック付 つ きの物 もの が多 おお かったが、徐々 じょじょ にアーケードゲーム型 がた ・方向 ほうこう ボタン付 つ きの物 もの に移行 いこう し、連射 れんしゃ 機能 きのう などを備 そな えたものもある。右 みぎ がボタン、左 ひだり がレバー(方向 ほうこう ボタン)の物 もの が主流 しゅりゅう であるが、右側 みぎがわ が操縦 そうじゅう ボタンになっている製品 せいひん も存在 そんざい する。
ハイパーショット
押 お しボタン2個 こ のみ、方向 ほうこう 入力 にゅうりょく は無 な し。コナミ「ハイパーオリンピック 」「ハイパースポーツ 」シリーズ専用 せんよう の入力 にゅうりょく 機器 きき 。
ジョイボール
HAL研究所 けんきゅうじょ 製 せい の連射 れんしゃ モードを搭載 とうさい したボール型 がた ジョイスティック。
アナログジョイスティック
厳密 げんみつ にはデジタル256段階 だんかい のデジタルスティック。電波 でんぱ 新聞 しんぶん 社 しゃ がX68000 用 よう のアフターバーナー 用 よう に開発 かいはつ 、販売 はんばい し、シャープも色 いろ 違 ちが いのものを純正 じゅんせい 品 ひん として販売 はんばい している。後継 こうけい 機 き はコンパクトな設計 せっけい となり、メガドライブ との接続 せつぞく にも対応 たいおう した。2軸 じく スティック+1軸 じく スティック+押 お しボタン12個 こ 。BASICマガジンでMSXでの制御 せいぎょ 方法 ほうほう がプログラムつきで記事 きじ として公開 こうかい され、一部 いちぶ の市販 しはん ソフトでも隠 かく し機能 きのう として対応 たいおう した。
マウス ・トラックボール
ジョイスティック端子 たんし に接続 せつぞく する。トラックボールはソニー・HAL研究所 けんきゅうじょ 等 とう が発売 はつばい 。後 のち にマウスとともに正式 せいしき に規格 きかく に取 と り込 こ まれた。規格 きかく 上 じょう での扱 あつか いには幾 いく 分 ふん かの差異 さい があり、マウス用 よう ソフトでトラックボールを使 つか っても操作 そうさ できない場合 ばあい がある(逆 ぎゃく も同様 どうよう )。
マウスはMSX規格 きかく 準拠 じゅんきょ と同 おな じ物 ぶつ が同 おな じインターフェイスを持 も つPC-8801mkIISR以降 いこう のバスマウスや富士通 ふじつう FM-TOWNS 用 よう としても使用 しよう された。
パドル・タブレット
前者 ぜんしゃ はブロック崩 くず しゲーム 等 とう で用 もち いられるダイヤル状 じょう の物 もの でジョイスティック端子 たんし 1つに最大 さいだい 6つ接続 せつぞく できる。後者 こうしゃ は透明 とうめい な板 いた をペンでタッチするポインティングデバイスでその後 ご のタッチパネル やペンタブレット に近 ちか い。ともにジョイスティック端子 たんし に接続 せつぞく して使用 しよう 。マウスやトラックボールよりも早 はや く、MSX1発表 はっぴょう 当初 とうしょ から規格 きかく に組 く み入 い れられていたアナログ入力 にゅうりょく 機器 きき である。 ただし、パドルは専門 せんもん 誌 し の電子 でんし 工作 こうさく コーナーで作 つく り方 かた が紹介 しょうかい されたのみで、メーカー品 ひん は存在 そんざい しない。タブレットもMSX1初期 しょき に同 どう 仕様 しよう の商品 しょうひん がいくつかのメーカーから発売 はつばい されたのみで、対応 たいおう ソフトも機器 きき 付属 ふぞく のもの以外 いがい ほとんど無 な い。turboRではいずれも非 ひ サポートで、対応 たいおう BIOS・関数 かんすう を呼 よ び出 だ しても必 かなら ず固定 こてい 値 ち が返 かえ る。
ライトペン
三洋 さんよう のMSX1・WAVY-10とWAVY-11に標準 ひょうじゅん 添付 てんぷ 、専用 せんよう の端子 たんし に接続 せつぞく 。他 た 機種 きしゅ 用 よう にカートリッジスロットに接続 せつぞく する物 もの が発売 はつばい されたが、映像 えいぞう 出力 しゅつりょく をカートリッジに経由 けいゆ させる必要 ひつよう があったため一部 いちぶ 機種 きしゅ では使用 しよう できない。MSX2から規格 きかく 化 か されたが、MSX2以降 いこう の画面 がめん モードに対応 たいおう した機器 きき は発売 はつばい されていない。パドル等 とう と同様 どうよう にturboRでは非 ひ サポート。
光線 こうせん 銃 じゅう (ライトガン)
PLUS-X ターミネーターレーザー
中東 ちゅうとう 諸国 しょこく で流行 りゅうこう したゲーム用 よう 光線 こうせん 銃 じゅう 。ジョイスティック端子 たんし に接続 せつぞく 。対応 たいおう ソフトも中東 ちゅうとう で流通 りゅうつう していたMSX1対応 たいおう の物 もの がほぼそのまま売 う られていた。
ガンスティック
スペインの MHT Ingenieros というメーカーによって発売 はつばい されていた銃 じゅう 型 がた のコントローラー。ジョイスティックポートに接続 せつぞく して使用 しよう 。MSX以外 いがい にもコモドール、SPECTRUM、AMSTRAD、PCにも使用 しよう できる。発売 はつばい 元 もと のスペインでのみ普及 ふきゅう 。Space Smugglers など10本 ほん 程 ほど 対応 たいおう ゲームが発売 はつばい されていた。
マイク
turboRには音声 おんせい 取 と り込 こ み用 よう の物 もの が本体 ほんたい に付属 ふぞく 。それ以前 いぜん にも(規格 きかく でサポートされていた訳 わけ ではないが)1ビットサンプリング用 よう に市販 しはん 品 ひん が使用 しよう された。
「シャウトマッチ」付属 ふぞく マイク
ビクター音楽 おんがく 産業 さんぎょう 製 せい の同名 どうめい ゲーム専用 せんよう の物 もの 。ジョイスティック端子 たんし に接続 せつぞく 。感知 かんち できるのは音量 おんりょう のみ。
ブラジル・グラジエンテ社 しゃ のMSXでBASICより「call format」の命令 めいれい を実施 じっし した際 さい の表示 ひょうじ 。5インチ片面 かためん (1DD)と両面 りょうめん (2DD)が追加 ついか されている。
データレコーダー
記録 きろく 速度 そくど は1200bpsと2400bpsを選択 せんたく でき、インターフェイス は大半 たいはん の機種 きしゅ に装備 そうび 。カシオ PV-7などではオプション、ソニーHB-T600・松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう FS-A1WSX/MSXturboRでは削除 さくじょ 。一部 いちぶ の機種 きしゅ にはカセットデッキが内蔵 ないぞう された。特 とく に日立 ひたち MB-H2は、音楽 おんがく 再生 さいせい も意識 いしき したステレオ対応 たいおう デッキで、頭 あたま 出 だ しや早送 はやおく り巻 ま き戻 もど しなどデッキの操作 そうさ を拡張 かくちょう BASICでコントロールできた。信号 しんごう はコンパクトカセットの音声 おんせい 信号 しんごう として扱 あつか われたため、以下 いか のように音声 おんせい 信号 しんごう を取 と り扱 あつか えるデバイスを流用 りゅうよう してデータを記録 きろく したケースもあった。
カセットテープ
FDDのない環境 かんきょう では標準 ひょうじゅん 的 てき な外部 がいぶ 記憶 きおく メディアとして使 つか われた。読 よ み出 だ し・書 か き込 こ みの双方 そうほう が可能 かのう 。ROMカートリッジの生産 せいさん にはある程度 ていど の資金 しきん 力 りょく が必要 ひつよう なため、中小 ちゅうしょう ソフトメーカーではMSX1時代 じだい を中心 ちゅうしん にゲームなどのソフト供給 きょうきゅう メディアでもあった。アイワ のデータレコーダーDR-20(ソニー 同型 どうけい OEM モデルナンバー SDC-600)はテープを倍速 ばいそく 再生 さいせい でき、1200bpsでSAVEしたプログラムやデータを倍速 ばいそく 再生 さいせい により2400bpsでLOADできた。
レコード
アニメの主題歌 しゅだいか とドラマが納 おさ められたレコード『みゆきメモリアル 』(キティレコード)や小久保 こくぼ 隆 たかし の「バウハウスの詩人 しじん たち 」(ネクサスレコード)に音声 おんせい データとしてMSX用 よう プログラムが収録 しゅうろく 。それらのデータはMSXよりCLOADすることで読 よ み込 こ める。また、月刊 げっかん 誌 し PiO のソノシートにMSX用 よう プログラムが収録 しゅうろく されたこともあった。
ビデオテープ
データレコーダーと同 おな じフォーマットで音声 おんせい 記録 きろく 。日本 にっぽん 制作 せいさく のプロモーションビデオ『ヴァリスクラブ 』(日本 にっぽん ソフトバンク)に特典 とくてん としてMSX用 よう プログラムが収録 しゅうろく 。読 よ み出 だ し専用 せんよう (書 か き込 こ みも可能 かのう ではあるが実績 じっせき の程 ほど は不明 ふめい )。
フロッピーディスク ドライブ(3インチ、3.5インチ、5.25インチ)
当初 とうしょ は日立 ひたち などが3インチ、ソニーなどが3.5インチのドライブを開発 かいはつ しており、国内 こくない では1984年 ねん 5月 がつ の発売 はつばい 前 まえ に3.5インチに一本 いっぽん 化 か された。インターフェース カートリッジとドライブ との別売 べつばい 、またはセットで提供 ていきょう された。後年 こうねん にはドライブがインターフェースと一体化 いったいか した形状 けいじょう の物 もの も発売 はつばい 。使用 しよう にはメインメモリーがMSX DISK-BASICで32KB以上 いじょう 、MSX-DOS で64KB以上 いじょう 、MSX-DOS2では128KB以上 いじょう 必要 ひつよう 。MSX2末期 まっき 以降 いこう は大半 たいはん の機種 きしゅ に内蔵 ないぞう された。
ヨーロッパでは当初 とうしょ 、フィリップス が3.5インチ1DDを内蔵 ないぞう した安価 あんか な機種 きしゅ を市場 いちば に投入 とうにゅう したため、1DDが普及 ふきゅう した。その後 ご 、日本 にっぽん と同 おな じく3.5インチ2DDが発売 はつばい された。よって、ヨーロッパのMSX用 よう ソフトウェアは3.5インチ1DDで発売 はつばい される割合 わりあい が日本 にっぽん よりも高 たか い。また、1DDのドライブを2DDに入 い れ替 か えることも盛 さか んに行 おこな われている。
ブラジルではグラジエンテが3.5インチ2DD内蔵 ないぞう のMSX1を発売 はつばい し普及 ふきゅう したが、Apple II やアタリ400/800 やコモドール64 などが先 さき に普及 ふきゅう していたので、それらに接続 せつぞく されていた5インチFDD をMSXに接続 せつぞく できるようになっていた。また、DDXやCIELなどのメーカーが発売 はつばい した拡張 かくちょう FDDシステムも3.5インチFDだけでなく、5インチFDもサポートした。よって、ブラジルでは3.5インチ1DD/2DDと5インチ1DD/2DDが並存 へいそん する状況 じょうきょう となった。
クイックディスク ドライブ
ミツミ電機 みつみでんき 製 せい 。カシオ 、ロジテック 、フィリップス から発売 はつばい 。3.5インチフロッピーディスクが郵送 ゆうそう に当時 とうじ 70円 えん かかったのに対 たい し、60円 えん (当時 とうじ )の封書 ふうしょ で郵送 ゆうそう できたが、フロッピーディスクの急速 きゅうそく な普及 ふきゅう により、メリットが消失 しょうしつ し余 あま り普及 ふきゅう はしていない。機械 きかい 語 ご でローダを書 か いてROMカートリッジよりも番号 ばんごう の若 わか いスロットに差 さ せば、ROMカートリッジより優先 ゆうせん してブートされる仕様 しよう を悪用 あくよう し、ROMカセットをセットした状態 じょうたい で、機械 きかい 語 ご ローダを書 か き込 こ んだクイックディスクから起動 きどう し、ROMカセットの内容 ないよう をクイックディスクにコピーするなどROMカセットのデッドコピーにも使 つか われた。任天堂 にんてんどう のファミリーコンピュータ ディスクシステム もクイックディスクと技術 ぎじゅつ 的 てき 仕様 しよう は同 おな じである。
ハードディスクドライブ
SASI規格 きかく のインターフェースカートリッジ「MSX HD Interface」が1989年 ねん 7月 がつ にアスキーより市販 しはん された。SASI規格 きかく は40MBまでしか利用 りよう できず、ハードディスクドライブも高価 こうか だったため、あまり普及 ふきゅう しなかった。しかし、その後 ご オランダの MSX Computer Club Gouda(ハウダ)が販売 はんばい していたNovaxis SCSIをG-SCSIの名称 めいしょう でTEAM-PMKが輸入 ゆにゅう し販売 はんばい し始 はじ めるとMSXでもハードディスクの普及 ふきゅう が始 はじ まり、有限 ゆうげん 会社 かいしゃ EJがMSX-IDE-INTERFACE[注釈 ちゅうしゃく 19] を、似 に 非 ひ 職人 しょくにん 工房 こうぼう がMEGA-SCSIを、Sunrise for MSXがSunrise ATA-IDEを開発 かいはつ し販売 はんばい した。
ビデオディスク
MSXでは下記 かき の2種類 しゅるい の規格 きかく が使用 しよう できた。
レーザーディスク (Palcom)
CPE(Computer Program Encoded)ディスクと呼 よ ばれ、通常 つうじょう の映像 えいぞう の他 ほか にMSX側 がわ からのコントロールプログラムも格納 かくのう されていた。アナログ音声 おんせい トラックのRチャンネルにデータレコーダー と同 おな じフォーマット(転送 てんそう 速度 そくど は2400bps)で音声 おんせい 記録 きろく されたデータを読 よ み込 こ む仕組 しく みで、方式 ほうしき としてはスタディボックス に近 ちか く、後 ご のレーザーアクティブ によるLD-ROMとは全 まった く異 こと なる。拡張 かくちょう BASICのP-BASICでレーザーディスクを制御 せいぎょ した。パイオニア製 せい MSXでは標準 ひょうじゅん で、他社 たしゃ MSX1ではオプション機器 きき で接続 せつぞく 可能 かのう 。MSX2以降 いこう では使用 しよう 不可 ふか 。
対応 たいおう ソフトとしては、SEGA 「アストロンベルト 」、FUNAI 「インター・ステラ 」、KONAMI 「バッドランズ 」、TAITO 「コスモスサーキット 」、FUNAI 「エシュズオルンミラ 」等 とう が移植 いしょく されたほか、レーザディスク 「スターファイターズ 」などのオリジナルソフトも発売 はつばい された。教育 きょういく 用 よう ソフトウェアとしては、レーザーディスク「スペースディスク」シリーズ(英語 えいご 版 ばん からの移植 いしょく 、NASA 撮影 さつえい の衛星 えいせい 画像 がぞう の検索 けんさく ソフト)、アイペック「ラスコムメイト」シリーズ(中学生 ちゅうがくせい 向 む け学習 がくしゅう 教材 きょうざい )等 とう がある。
VHD (VHDpc INTER ACTION)
VHD言語 げんご という異 い 機種 きしゅ 間 あいだ 共通 きょうつう の言語 げんご 仕様 しよう が用意 ようい され、中間 ちゅうかん 言語 げんご でVHDディスクにデジタル記録 きろく されたプログラムを、MSX側 がわ に用意 ようい されたインタプリターで実行 じっこう する。ただし、実行 じっこう 速度 そくど の都合 つごう から一部 いちぶ 、各 かく 機種 きしゅ 個別 こべつ のソフトをディスクと別売 べつばい で用意 ようい した物 もの もある。VHD言語 げんご はコードがVHD上 じょう にある前提 ぜんてい からユーザー開発 かいはつ は想定 そうてい されておらず、自作 じさく プログラムでVHDプレイヤーをコントロールする場合 ばあい は、(VHD言語 げんご ではなく)拡張 かくちょう BASICを使 つか う。MSX2規格 きかく で標準 ひょうじゅん 化 か したが、MSX2対応 たいおう VHD言語 げんご インタプリターは出 で なかった。
対応 たいおう ソフトはデータイースト 「サンダーストーム 」「ロードブラスター 」、タイトー 「タイムギャル 」等 とう (いずれもVHD言語 げんご 非 ひ 対応 たいおう )。また、ユーザーがプログラムから制御 せいぎょ する前提 ぜんてい で、「ゼビウス マップ」も発売 はつばい された。
CD-ROM ドライブ
MSX2の1987年 ねん 頃 ごろ に東芝 とうしば が外 そと 付 づ け型 がた 、ソニーが内蔵 ないぞう 機 き を試作 しさく したという報道 ほうどう があったが、商品 しょうひん 化 か には至 いた らなかった。後 のち にSCSI/IDE経由 けいゆ で利用 りよう できるようになった。
MSXは音源 おんげん としてPSG(AY-3-8910相当 そうとう 品 ひん ) を持 も っていた。1983年 ねん 当初 とうしょ はそれでも十分 じゅうぶん だったが、他 た のゲーム機 き やパソコンが音源 おんげん 機能 きのう を強化 きょうか する中 なか 、MSXにも対抗 たいこう 上 じょう 各種 かくしゅ ミュージックシステムが開発 かいはつ された。
FM音源 おんげん
SFG-01/SFG-05(ヤマハ)
SFG-01は「FM SOUND SYNTHESIZER UNIT」、SFG-05は「FM SOUND SYNTHESIZER UNIT II」。1983年 ねん に発売 はつばい されたMSX初 はつ のFM音源 おんげん カートリッジ。MSX-AUDIO以降 いこう のFM音源 おんげん が2オペレータだったのに対 たい して、より複雑 ふくざつ な音色 ねいろ を作成 さくせい できる4オペレータのチップを採用 さいよう し、8声 こえ の再生 さいせい が可能 かのう 。詳細 しょうさい は下記 かき MIDIインターフェイスの項 こう を参照 さんしょう 。
MSX-AUDIO
MSX-AUDIOは規格 きかく 名 めい 。音源 おんげん チップはY8950。日本 にっぽん では1987年 ねん にパナソニック から FS-CA1 MSX AUDIO UNITの名称 めいしょう で発売 はつばい された。MSX AUDIO UNIT は34,800円 えん と非常 ひじょう に高価 こうか であり、ほとんど普及 ふきゅう しなかった。ヨーロッパ ではフィリップス が NMS-1205 Muziekmodule(ミュージックモジュール)、東芝 とうしば が、HX-MU900 MSX MUSIC SYSTEMの名称 めいしょう で発売 はつばい 、標準 ひょうじゅん 音源 おんげん として定着 ていちゃく した。
MSX-MUSIC
MSX-MUSICは規格 きかく 名 めい 。音源 おんげん チップはYM2413 。MSX-AUDIOが価格 かかく などから日本 にっぽん で普及 ふきゅう しなかったため、同時 どうじ 発声 はっせい 数 すう は同 おな じだが自作 じさく 音色 ねいろ が1声 こえ のみなど安価 あんか な仕様 しよう のYM2413 (OPLL)を採用 さいよう したMSX-MUSICが策定 さくてい された。拡張 かくちょう 機器 きき としてはFM Pana Amusement Cartridge として1988年 ねん にパナソニックより7,800円 えん で発売 はつばい されているが、初期 しょき 化 か などの手順 てじゅん はMSX-MUSICがMSX本体 ほんたい に内蔵 ないぞう されている機種 きしゅ とは異 こと なる。
MSX-AUDIOが標準 ひょうじゅん 音源 おんげん となったヨーロッパでも、フィリップスがMSX市場 いちば より撤退 てったい し、MSX-MUSICを搭載 とうさい したMSX2+/turboRがヨーロッパに輸出 ゆしゅつ されたため、ある程度 ていど 普及 ふきゅう した。
SCC 音源 おんげん
コナミのMSX2ゲームソフト『スナッチャー 』『SDスナッチャー 』に拡張 かくちょう 音源 おんげん カートリッジとして付属 ふぞく (ゲーム本体 ほんたい は2DDディスク)。元々 もともと メモリコントローラとしての側面 そくめん を持 も つSCCにDRAMを64KiB接続 せつぞく し、プロテクトを兼 か ねたゲームのディスクキャッシュとして用 もち いている。各々 おのおの のカートリッジはDRAMのアドレスが異 こと なり、無 む 改造 かいぞう では双方 そうほう に互換 ごかん 性 せい はない。後 のち に制御 せいぎょ の方法 ほうほう が雑誌 ざっし 上 じょう で公開 こうかい され、フリーソフトを含 ふく む一部 いちぶ の音楽 おんがく ソフトで対応 たいおう が行 おこな われた。また、両 りょう 作品 さくひん が品薄 しなうす になると、厳密 げんみつ には仕様 しよう が異 こと なるSCC内蔵 ないぞう ROMカートリッジのROMの無効 むこう 化 か や取 と り外 はず し、電源 でんげん が入 はい った状態 じょうたい での接続 せつぞく などの方法 ほうほう によって用 もち いられることもあった。
PCM音源 おんげん
とーくまん(エミールソフト)
MSXで音声 おんせい 合成 ごうせい が楽 たの しめるトーキングマシン。付属 ふぞく のマイクをつかって、PCM録音 ろくおん 、再生 さいせい ができる。サンプリング周波数 しゅうはすう は4kHz きろへるつ から8kHz きろへるつ の5段階 だんかい 。音声 おんせい データはエディターを使 つか ってエコーなどエフェクト処理 しょり 、ディスクへのセーブやROMに書 か き込 こ んで市販 しはん の「おしゃべりさん」の音声 おんせい ROMとしても使用 しよう 可能 かのう 。内蔵 ないぞう の拡張 かくちょう BASICによって簡単 かんたん に音声 おんせい 入 い りのプログラムが作製 さくせい できる。
+PCM
A.Hiramatsuという人物 じんぶつ により開発 かいはつ され、同人 どうじん サークルであるフロントラインが販売 はんばい していたハードウェア。MSX本体 ほんたい とは別 べつ にPCMを追加 ついか することができる。M改 あらため が開発 かいはつ し、フロントラインが販売 はんばい したシューティングゲーム「PLESURE HEARTS」では効果 こうか 音 おん に+PCMが使 つか われた。
MSXでMIDI を使用 しよう することができるハードウェアも開発 かいはつ された。
SFG-01/SFG-05(ヤマハ)
MIDI-IN/OUT端子 たんし の他 ほか 、FM音源 おんげん (音源 おんげん チップはSFG-01がYM2151 、SFG-05はYM2164 )、鍵盤 けんばん 端子 たんし も搭載 とうさい 。音声 おんせい 出力 しゅつりょく はステレオ。SFG-01は19,800円 えん 、SFG-05は29,800円 えん 。SFG-01はMSX用 よう FDDの仕様 しよう 決定 けってい 前 まえ に発売 はつばい され、ワークエリアがMSX用 よう FDDとバッティングしていた。それを変更 へんこう してデータ保存 ほぞん 先 さき にフロッピーディスクを指定 してい できるようにした物 もの がSFG-05である。
「サイドスロット」と呼 よ ばれたヤマハ製 せい MSX独自 どくじ スロットに接続 せつぞく する。一部 いちぶ の日本 にほん ビクター製 せい マシンでも動作 どうさ 保証 ほしょう はないが同様 どうよう に使用 しよう できた。ヤマハ以外 いがい のMSXでも使用 しよう できるようアダプターUCN-01が7,800円 えん で発売 はつばい された。
SMD-01(ヤマハ)
上記 じょうき 、SFG-01と同 どう 時期 じき に「MIDI Unit」の名称 めいしょう で12.800円 えん で発売 はつばい されていた[70] 。SFGシリーズとの違 ちが いはFM音源 おんげん が搭載 とうさい されていないこと。SFGシリーズと同 おな じくサイドスロットに接続 せつぞく する。
MIDIサウルス(ビッツー )
専用 せんよう ソフト同 どう 梱 こり で発売 はつばい されたMIDIインターフェイス。専用 せんよう ソフトはSCREEN6を使用 しよう してVRAM使用 しよう 量 りょう を削減 さくげん し、その分 ぶん をトラックバッファに当 あ てていた。ゲームソフトでも、同社 どうしゃ のファミクルパロディックシリーズが対応 たいおう していた。演奏 えんそう 自体 じたい はカートリッジ内部 ないぶ に制御 せいぎょ 用 よう としてZ80 CPU互換 ごかん チップとZ80 CTC,Z80 SIO、Z80 PIO、ほか周辺 しゅうへん チップ構成 こうせい 、バッファメモリを搭載 とうさい することでCPU負荷 ふか をかけずに再生 さいせい していたが、その仕様 しよう は一般 いっぱん 公開 こうかい されなかった。同社 どうしゃ に問 と い合 あ わせると一般人 いっぱんじん でも資料 しりょう がもらえたが、MIDIポート直接 ちょくせつ 入出力 にゅうしゅつりょく の手順 てじゅん だけとなっていた。
MSX-MIDI
turboRのオプション規格 きかく の一 ひと つ。オプション機器 きき としてはビッツー のμ みゅー PACKのカートリッジが発売 はつばい されており、FS-A1GTには同 どう 規格 きかく に対応 たいおう したインターフェイスが内蔵 ないぞう されている。拡張 かくちょう BASICの利用 りよう によりBASICからも制御 せいぎょ ができるが、BIOSは定義 ていぎ されておらず、BASIC以外 いがい からは直接 ちょくせつ ハードウェアを制御 せいぎょ する[71] 。藤本 ふじもと 昌利 まさとし によって開発 かいはつ されたMSX MIDI Interface3は規格 きかく のうち、FS-A1GT相当 そうとう のハードウェアのみを回路 かいろ として実装 じっそう したもの。ハードウェア設計 せっけい の問題 もんだい から、一定 いってい のCPUパワーを必要 ひつよう とし、MIDI-IN として使 つか う場合 ばあい や割 わ り込 こ み機能 きのう を使 つか う場合 ばあい はturboR相当 そうとう のパフォーマンスを必要 ひつよう とする。取 と りこぼしなどの影響 えいきょう が無 な いよう、MIDI-OUT として使 つか うだけなら turboR以外 いがい でもソフトウェアがサポートすれば利用 りよう 可能 かのう である。ゲームソフトでは幻影 げんえい 都市 とし とグラムキャッツ2、隠 かく し機能 きのう として一部 いちぶ のBGMに対 たい してXak -ガゼルの塔 とう - が対応 たいおう していた。
これらインテリジェントなものや、スロットに差 さ し込 こ むハードウェアはコストが高 たか く、規定 きてい のシリアルデータとしての信号 しんごう を生成 せいせい できれば演奏 えんそう は可能 かのう であるため、汎用 はんよう インターフェイス等 とう を利用 りよう したMIDI出力 しゅつりょく の方法 ほうほう ならびに実装 じっそう がユーザによって行 おこな われている。
プリンター端子 たんし (パラレルポート)に接続 せつぞく して使用 しよう するもの
只 ただ MIDI、Dual MIDIなどMSXのプリンター端子 たんし (ポート)に接続 せつぞく して利用 りよう する簡易 かんい インターフェイス。前者 ぜんしゃ はソフトウェア的 てき な検出 けんしゅつ ができないものの、抵抗 ていこう 二 ふた つとコネクターを配線 はいせん するのみで完成 かんせい し、後者 こうしゃ はソフトウェアにより存在 そんざい を検出 けんしゅつ できるほかプリンターポートの信号 しんごう を出力 しゅつりょく ポートへ割 わ り当 あ てているため、処理 しょり が間 ま に合 あ えば最大 さいだい 8ポートの制御 せいぎょ が可能 かのう となっている。
ジョイスティック端子 たんし を使用 しよう するもの
MSXのジョイスティック端子 たんし (汎用 はんよう ポート)に接続 せつぞく してMIDI出力 しゅつりょく を行 おこな うもの。Acrobat232、Joy Serial、へろへろ5号 ごう などが存在 そんざい する。
RS-232CインターフェイスとMIDIアダプターを使用 しよう するもの
RS-232Cに準拠 じゅんきょ するシリアル信号 しんごう を前提 ぜんてい としたアダプタも流用 りゅうよう 可能 かのう である。主 おも にPC-9800シリーズ 向 む けとして売 う られているものを利用 りよう する。インターフェイスが、RS-232Cに準拠 じゅんきょ していない場合 ばあい は動作 どうさ しない可能 かのう 性 せい もある。またSC-55mkIIなどMIDI楽器 がっき 側 がわ にもパソコン接続 せつぞく 用 よう 端子 たんし (RS-232Cから接続 せつぞく する端子 たんし )を持 も ち、MIDIアダプターを必要 ひつよう としない製品 せいひん も存在 そんざい する。RS-232Cカートリッジに関 かん しては後述 こうじゅつ する。
MSX規格 きかく のもの、MSX向 む けのもののみ
ドットインパクトプリンター
ブラザ ぶらざ ー工業 こうぎょう M-1024X(モノクロ・24ドット、MSXロゴあり)
ソニー PRN-M24(モノクロ・24ドット、M-1024XのOEM供給 きょうきゅう 品 ひん )
松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう FS-P400(モノクロ・24ドット、M-1024XのOEM供給 きょうきゅう 品 ひん )
ブラザ ぶらざ ー工業 こうぎょう M-1024II P/X(モノクロ・24ドット、M-1024X後継 こうけい 品 ひん 、背面 はいめん のディップスイッチ切 せつ 換 かわ によりNEC PC-PR101系 けい の互換 ごかん プリンターとして使用 しよう 可能 かのう 、MSXロゴなし)
東芝 とうしば HX-P550(モノクロ)
プロッタプリンター
熱転写 ねつてんしゃ 式 しき サーマルプリンター
ソニー HBP-F1(モノクロ)、HBP-F1C(カラー)
松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう FS-PW1(モノクロ・ワープロソフト付 づけ )、FS-PK1(モノクロ・JIS第 だい 1水準 すいじゅん 漢字 かんじ ROM搭載 とうさい )、FS-PA1(モノクロ)、FS-PC1(カラー・48ドット)
カシオ計算機 かしおけいさんき MW-24(ワープロソフトを内蔵 ないぞう した専用 せんよう ROMカートリッジを介 かい して接続 せつぞく 、ワープロソフトからの印刷 いんさつ のみ可能 かのう でありBASICからの利用 りよう はできない)
YAMAHA PN-01 - FS-PC1以外 いがい は24ドット
感熱 かんねつ 式 しき サーマルプリンター
インクジェットプリンター
レーザープリンター
RS-232Cカートリッジ
モデムの接続 せつぞく のほか、CP/Mのディスクが読 よ めないMSX-DOSにソフトをコンバートするための他 た 機種 きしゅ との接続 せつぞく などにも用 もち いられた。
CT-80NET
ブラジルのグラジエンテ社 しゃ より発売 はつばい されていたカートリッジで「CARTAO 80 COLUNAS & RS-232C(80カラム&RS-232Cカートリッジ)」と書 か かれている。つまり、RS-232CだけでなくMSX1で80文字 もじ を実現 じつげん する機能 きのう を持 も っている。80文字 もじ を実現 じつげん するためにV9938を搭載 とうさい している。
ASCII MSX SERIAL-232
似 に 非 ひ 職人 しょくにん 工房 こうぼう はるかぜ
モデムカートリッジ
THE LINKSモデム
MSX専用 せんよう のパソコン通信 つうしん サービス"THE LINKS"専用 せんよう モデム。300bps・半二重 はんにじゅう という当時 とうじ の他 ほか のモデムではあまり見 み かけない仕様 しよう だった。THE LINKS利用 りよう 者 しゃ に事実 じじつ 上 じょう 無償 むしょう 貸与 たいよ されていた。
拡張 かくちょう スロットユニット
MSX本体 ほんたい のプライマリスロットに接続 せつぞく して4つのセカンダリスロットを供給 きょうきゅう する。各種 かくしゅ 拡張 かくちょう 機器 きき の併用 へいよう や、複数 ふくすう スロットを使 つか う周辺 しゅうへん 機器 きき の使用 しよう に用 もち いられた。MSX仕様 しよう 準拠 じゅんきょ (MSXマーク付 つ き)の物 もの が、東芝 とうしば HX-E601など複数 ふくすう のメーカーから発売 はつばい 。
EX-4(NEOS)
MSX向 む けの製品 せいひん だが、厳密 げんみつ にはMSXの仕様 しよう を満 み たさないため、MSXマークは付 つ いていない。
映像 えいぞう ユニット
MPC-X(三洋電機 さんようでんき )
同社 どうしゃ のMSX1、WAVY-11などに接続 せつぞく する。MSX2が発表 はっぴょう される前 まえ の1984年 ねん 秋 あき に発売 はつばい 。解像度 かいぞうど 512×204、もしくは256×204ドット。最大 さいだい で512色 しょく 中 ちゅう 16色 しょく を使用 しよう 可能 かのう 。16色 しょく なら1面 めん 、2色 しょく なら4面 めん というように色 いろ 数 すう と解像度 かいぞうど で持 も てる画面 がめん 数 すう が変化 へんか した。スーパーインポーズ機能 きのう と8階 かい 調 ちょう のビデオデジタイズ機能 きのう 付 つ き。価格 かかく は89,800円 えん [72] 。GDCというLSIを採用 さいよう している。一時期 いちじき のMSXマガジンの表紙 ひょうし CGはこの両機 りょうき の組 く み合 あ わせで作成 さくせい されていた。
HBI-V1(ソニー)
MSX2以降 いこう 用 よう のビデオデジタイザ。ビデオ映像 えいぞう をMSX2のSCREEN8・MSX2+以降 いこう のSCREEN10から12までの画像 がぞう に変換 へんかん する。価格 かかく は29,800円 えん 。
VHDインターフェース(日本 にほん ビクター)
VHD PC接続 せつぞく 端子 たんし およびMSX1用 よう VHD言語 げんご インタプリタを搭載 とうさい 、スーパーインポーズ機能 きのう つき。日本 にほん ビクター製 せい MSXの独自 どくじ スロットに接続 せつぞく する。ヤマハ製 せい マシンでも同様 どうよう に使用 しよう 可能 かのう (ただし動作 どうさ 保証 ほしょう は無 む し)。他 た のMSXで使用 しよう する場合 ばあい は要 よう ・専用 せんよう アダプタ。
拡張 かくちょう グラフィックプロセッサER-101(パイオニア)
パイオニア製 せい 以外 いがい のMSXにLDプレーヤーを接続 せつぞく して使 つか うための機器 きき 。スーパーインポーズ機能 きのう つき。MSX2以降 いこう では使用 しよう 不可 ふか 。
バージョンアップユニット
MSX2バージョンアップアダプタ(NEOS MA-20)
MSX1をMSX2(VRAM 128KB)にバージョンアップすることが出来 でき る。RAMは要 よう 64KBで、増設 ぞうせつ でも可 か 。MSX2+やturboRに挿入 そうにゅう すると、MSX2にバージョンダウンする。メインROMとサブROMは同 どう 一 いち スロットに並存 へいそん できないため、メインROMカートリッジとVDP/サブROMカートリッジで2スロット使用 しよう 。メインROMはサブROMよりも先 さき に初期 しょき 化 か される必要 ひつよう があるため、メインROMカートリッジの方 ほう をより若 わか い番号 ばんごう のスロットに挿入 そうにゅう しないと正常 せいじょう 動作 どうさ しない。
μ みゅー ・PACK(ビッツー)
FS-A1GTで拡張 かくちょう された機能 きのう を他 た のMSXturboRでも使用 しよう できるよう用意 ようい された。MSX-MIDIと拡張 かくちょう マッパーRAMを同時 どうじ 搭載 とうさい 。同 どう 一 いち スロットに並存 へいそん できないマッパーRAMとROMとを1カートリッジ内 ない に収 おさ めるために、内部 ないぶ でプライマリ→セカンダリへのスロット拡張 かくちょう を行 おこな っており、セカンダリスロットに挿入 そうにゅう した場合 ばあい は動作 どうさ しない。
日本語 にほんご 処理 しょり カートリッジ
MSX-WriteII(アスキー)
MSX2用 よう 日本語 にほんご 処理 しょり ワードプロセッサーソフトでMSX-JE連文節 れんぶんせつ 変換 へんかん 機能 きのう つき。
HBI-J1(ソニー)
MSX2用 よう 日本語 にほんご 処理 しょり カートリッジ。このカートリッジを挿 さ すだけでMSX2でも漢字 かんじ BASICがサポートされる。対応 たいおう のワープロソフトは別売 べつばい 、FDDで供給 きょうきゅう 。
GUI
HALNOTE (HAL研究所 けんきゅうじょ )
MSX2以降 いこう 向 む けのMSX-DOSにGUI環境 かんきょう 、オフィススイート 機能 きのう を提供 ていきょう するソフト。カートリッジにMSX-JEと漢字 かんじ ROM、キャッシュメモリとなるSRAMを内蔵 ないぞう 。後 のち にMSXTurboRに標準 ひょうじゅん 搭載 とうさい されたため、対応 たいおう アプリケーションはMSXViewでも動作 どうさ 可能 かのう 。
スキャナ
スキャナ/ハンディプリンターインターフェイス FS-IFA1(松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう )
同社 どうしゃ のワープロ機 き パナワードU1シリーズのハンディスキャナFW-RSU1W等 とう をMSX2で使用 しよう する周辺 しゅうへん 機器 きき 。
ハンディースキャナーMSX2(HAL研究所 けんきゅうじょ )
モノクロのハンディスキャナー。カートリッジには「HALSCAN 」のラベルが貼 は られている。
エミュレータ
MSX上 じょう で他 た のプラットフォームを動作 どうさ させるハードウエア機器 きき を挙 あ げる。他 た のプラットフォームでMSX用 よう ソフトを動作 どうさ させるものについては#歴史 れきし を参照 さんしょう 。
MEGA MSX ADAPTER (tanam)
一部 いちぶ 店舗 てんぽ で一般 いっぱん 販売 はんばい された、MSX上 じょう でSG-1000 用 よう ソフトを吸 す い出 だ して動作 どうさ させる同人 どうじん 基板 きばん [74] 。
規格 きかく 提唱 ていしょう 企業 きぎょう と賛同 さんどう メーカー
編集 へんしゅう
1980年代 ねんだい 当時 とうじ パソコンは、一般 いっぱん への普及 ふきゅう を標榜 ひょうぼう していたため、テレビCMや雑誌 ざっし ・新聞 しんぶん 広告 こうこく に知名度 ちめいど の高 たか い芸能人 げいのうじん やキャラクターを起用 きよう する場合 ばあい が多 おお かった。MSXも数々 かずかず のキャラクターでの宣伝 せんでん を展開 てんかい していた。
アスキー
MSX坊 ぼう や - 特定 とくてい 機種 きしゅ ではなく、規格 きかく としてのMSXのマスコットキャラクターとして作成 さくせい 。MSX1からMSX2初期 しょき にかけて雑誌 ざっし 広告 こうこく やアスキー発行 はっこう の『MSXマガジン』で使用 しよう された。
ソニー
松田 まつだ 聖子 せいこ - MSXだけでなくSMC-777 シリーズを含 ふく むソニーのパソコンブランドHiTBiT のイメージキャラクター[75] 。
三洋電機 さんようでんき 特 とく 機 き
宮本 みやもと 武蔵 むさし - PHC-30が本体 ほんたい のみでROMカートリッジ・カセットテープの両 りょう メディアが使 つか える機種 きしゅ だったことから、「二刀流 にとうりゅう 」が謳 うた い文句 もんく だった。
三菱電機 みつびしでんき
(名称 めいしょう 不明 ふめい ) - 最初 さいしょ の機種 きしゅ ・ML-8000の広告 こうこく には、カエルに似 に たオリジナルキャラクタがマスコットとして用 もち いられた。同機 どうき の発売 はつばい 時 じ に行 おこな われた「おもしろ・ソフト・コンテスト」の告知 こくち を兼 か ねた広告 こうこく には「三菱 みつびし MSXのかわいいキャラクター」との記載 きさい のみで、キャラクター名 めい は書 か かれていない。なお、キャラクターイラストには「©CHEWIE NEWGETT COMPANY 1983」とのコピーライト表記 ひょうき がされている。
Let usシリーズの広告 こうこく では一般 いっぱん の女子大 じょしだい 生 せい を起用 きよう 、以降 いこう はCMキャラクターなし。
東芝 とうしば
横山 よこやま やすし ・木村 きむら 一八 かずや - MSX以前 いぜん のパソピア シリーズからの続投 ぞくとう 。MSX1の初期 しょき 広告 こうこく に登場 とうじょう [76] 。
岡田 おかだ 有希子 ゆきこ - MSX1中期 ちゅうき からMSX2に起用 きよう [77] 。1986年 ねん の死去 しきょ 以降 いこう の後継 こうけい はおらず、同社 どうしゃ 撤退 てったい まではCMキャラクターなし。
日立製作所 ひたちせいさくしょ
工藤 くどう 夕貴 ゆき [75] - MB-H1の頃 ころ は月 つき 変 が わりで雑誌 ざっし 広告 こうこく を展開 てんかい 、セ せ ーラ ら ー服 ふく 姿 すがた の工藤 くどう がパソコンを持 も って色々 いろいろ なところを闊歩 かっぽ するシリーズが1年間 ねんかん 続 つづ いた。以降 いこう 撤退 てったい までは機種 きしゅ 毎 ごと に固定 こてい の写真 しゃしん が使 つか われた。
松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう (後 ご のパナソニック)
キングコング - MSX1およびナショナルブランドで発売 はつばい されたMSX2を担当 たんとう 。同社 どうしゃ MSXマシン自体 じたい のブランド名 めい にも「キングコング」の名称 めいしょう が使 つか われた。
アシュギーネ - MSX2のA1シリーズを担当 たんとう 。MSX2用 よう ゲームの主人公 しゅじんこう に使 つか われた他 ほか にボードゲーム[79] や神崎 かんざき 将 すすむ 臣 しん 作 さく の漫画 まんが にもなった。
スパーキー - MSX2+以降 いこう を担当 たんとう 。「デザインにルーカスフィルム が関 かか わった、スター・ウォーズ 世界 せかい の住人 じゅうにん 」という触 ふ れ込 こ みだった。
富士通 ふじつう
タモリ [75] - 他 た のFMシリーズから続 つづ けての起用 きよう 。
カシオ計算機 かしおけいさんき
佐倉 さくら しおり[80] [81] - PV-7、PV-16のイメージキャラクター。
山田 やまだ 邦子 くにこ [75] - MX-10のイメージキャラクター。
日本 にほん ビクター
小泉 こいずみ 今日子 きょうこ [75] - 同社 どうしゃ MSXが"IO"(イオ)というブランド名 めい を使用 しよう した頃 ころ に起用 きよう されていた。
MSXマガジン (アスキー出版 しゅっぱん 局 きょく )
1983年 ねん 10月 がつ 創刊 そうかん →1992年 ねん 5月 がつ 休刊 きゅうかん →1992年 ねん 8月 がつ 「夏 なつ 号 ごう (ムック )」発刊 はっかん →2002年 ねん 12月「永久 えいきゅう 保存 ほぞん 版 ばん 」としてムック形 くけい 態 たい で復刊 ふっかん
MSX・FAN (徳間書店 とくましょてん インターメディア )
1987年 ねん 3月 がつ 創刊 そうかん →1995年 ねん 7月 がつ 休刊 きゅうかん
MSX応援 おうえん 団 だん (大陸 たいりく 書房 しょぼう ・マイクロデザイン )
1987年 ねん 7月 がつ 創刊 そうかん →1988年 ねん 9月 がつ 廃刊 はいかん 。1988年 ねん 5月 がつ 号 ごう からはMSX oendanと表記 ひょうき した。すべて創刊 そうかん 時 じ は月刊 げっかん 、毎月 まいつき 8日 にち 発売 はつばい
Oh!HiTBiT (日本 にっぽん ソフトバンク )
季刊 きかん ・1984年 ねん 4月 がつ 創刊 そうかん →1986年 ねん 12月休刊 きゅうかん 。創刊 そうかん 号 ごう の題号 だいごう のみ、Bが小文字 こもじ 表記 ひょうき になっていた。 ソニーのパソコンの専門 せんもん 誌 し で、MSX以外 いがい にソニー独自 どくじ マシン・SMCシリーズも扱 あつか っていた。ソニーMSXには独自 どくじ 拡張 かくちょう されている部分 ぶぶん が少 すく なかったため、掲載 けいさい 内容 ないよう は他社 たしゃ MSXにもそのまま応用 おうよう できた。
なお、MSX発売 はつばい メーカーの機種 きしゅ の専門 せんもん 誌 し としては他 た にOh!FM ・Oh!PASOPIA があるが、どちらもMSXは発売 はつばい 時 じ に紹介 しょうかい された程度 ていど の扱 あつか いしかされていない。
これら以外 いがい にも、ユーザーにより自主 じしゅ 制作 せいさく されたものも存在 そんざい する。
MSXは単価 たんか が安 やす く、またカートリッジスロットからZ80のメモリーバス、アドレスバスをそのまま引 ひ き出 だ すことが出来 でき るため、Z80の付随 ふずい 回路 かいろ としてシンプルに設計 せっけい でき、拡張 かくちょう や工作 こうさく が容易 ようい である。80系 けい /Z80系 けい の環境 かんきょう では標準 ひょうじゅん とも言 い えるCP/M互換 ごかん のMSX-DOSという原始 げんし 的 てき なOSや開発 かいはつ 環境 かんきょう も整 ととの っており、既存 きそん のCP/M環境 かんきょう やMS-DOS環境 かんきょう からのクロス開発 かいはつ も容易 ようい だったため、組 く み込 こ み用 よう や制御 せいぎょ 用 よう にも多 おお く流用 りゅうよう されていた。
一部 いちぶ の市販 しはん ビデオタイトラーやビデオテックス(キャプテン )システム、また公共 こうきょう 施設 しせつ 等 とう に設置 せっち されたビデオ端末 たんまつ や簡易 かんい ゲーム機 き などにもMSXを流用 りゅうよう したハードウェアが内蔵 ないぞう され、稼動 かどう していた例 れい も少 すく なくない。
特 とく にビデオタイトラーでは、ソニーのXV-J550/J770/T55Fシリーズや松下電器産業 まつしたでんきさんぎょう のVW-KT300などの家庭 かてい 用 よう タイトラーのハードウェア構成 こうせい は明 あき らかにMSXを応用 おうよう ・流用 りゅうよう したものである。ただし、これらの機種 きしゅ では基本 きほん はMSXシステムをベースとしていても独自 どくじ の実装 じっそう がなされており、特 とく にBIOSなどは大幅 おおはば に簡略 かんりゃく 化 か されMSXとしての機能 きのう は望 のぞ めないなど、簡単 かんたん な加工 かこう 程度 ていど では汎用 はんよう のMSXシステムとして使 つか うことは不可能 ふかのう である。それらのMSXベースのタイトラーは安価 あんか なビデオタイトラーとしてはかなり普及 ふきゅう していた時期 じき があり、一時期 いちじき は企業 きぎょう ビデオパッケージ、解説 かいせつ ビデオやインディーズAVなどの小規模 しょうきぼ なビデオ関連 かんれん の作品 さくひん などにMSXの漢字 かんじ ROMフォントとまったく同 おな じフォントを用 もち いたテロップを多 おお く見 み かけることが出来 でき た。
まなぶくん
MSXをベースに学研 がっけん が作製 さくせい した学習 がくしゅう コンピューター。誰 だれ でも簡単 かんたん に操作 そうさ ができるようにパネルタッチ式 しき のキー入力 にゅうりょく が可能 かのう 。本体 ほんたい の製造 せいぞう および修理 しゅうり は三洋電機 さんようでんき が行 おこな っていたが既 すで にメーカー修理 しゅうり の受付 うけつけ は終了 しゅうりょう している[82] 。
ビデオタイトラー
SONYのXV-J550/XV-J555/XV-J770/XV-T55Fやビクターの漢字 かんじ ビデオタイトラーの中身 なかみ はMSXだった。基板 きばん 上 じょう にカートリッジスロットが存在 そんざい するがBIOS等 とう が無 な いため、MSXのゲームは動 うご かない。MSXマウスはそのまま使用 しよう 可能 かのう [83] 。
SVI-606 MSX GAME ADAPTOR
スペクトラビデオ社 しゃ の SVI-318/328/318mkII/328mkII 用 よう のオプションハードウェアでMSX1用 よう の16KBまでのROMカートリッジが使用 しよう できる。このアダプターにはジョイスティックポートが用意 ようい されており、MSX用 よう のコントローラーはアダプター側 がわ のジョイスティックポートに接続 せつぞく して使用 しよう する。
日本 にっぽん で300万 まん 台 だい 、海外 かいがい で100万 まん 台 だい くらい売 う れたMSXは、1983年 ねん の日経 にっけい 優秀 ゆうしゅう 製品 せいひん 賞 しょう も受賞 じゅしょう した一方 いっぽう でマスコミからは同 どう 世代 せだい の家庭 かてい 用 よう ゲーム機 き ・ファミリーコンピュータ と比較 ひかく され、「失敗 しっぱい したゲーム機 き 」と評 ひょう されることもあった[2] 。西 にし 和彦 かずひこ は著書 ちょしょ [2] や2023年 ねん のインタビュー[7] の中 なか でファミコンと比較 ひかく する形 かたち で酷評 こくひょう されてつらかったと振 ふ り返 かえ っている。
「失敗 しっぱい だった」と語 かた られる理由 りゆう に関 かん して西 にし は2つ挙 あ げている[2] 。1つ目 め はMSXの位置 いち づけであり、上位 じょうい 機種 きしゅ である16ビット機 き はIBMが既 すで に事実 じじつ 上 じょう の標準 ひょうじゅん になっており、ゲーム機 き である任天堂 にんてんどう のファミリーコンピュータは安 やす かったことで、MSXは存在 そんざい 意義 いぎ を発揮 はっき することができなかった点 てん である[2] 。2つ目 め はネットワークが不十分 ふじゅうぶん であるがゆえに、電話 でんわ やテレビのように一家 いっか に一 いち 台 だい の必需 ひつじゅ 品 ひん になれず、ペンや電卓 でんたく などのアナログを代替 だいたい することができなかった点 てん である[84] 。
一方 いっぽう でMSXが発売 はつばい されて10年 ねん 以上 いじょう 過 す ぎたころ、西 にし は「MSXが初 はじ めて出会 であ ったコンピュータであり、この出会 であ いがなければ、コンピュータの仕事 しごと をしていない」と語 かた る人 ひと に出会 であ ったことで、「MSXは使 つか ってくれた人 ひと たちの記憶 きおく の中 なか に生 い きていると思 おも う」と語 かた っている[84] 。
^ MSX3という名称 めいしょう にはならなかったが、MSX2が発表 はっぴょう された1985年 ねん 前後 ぜんご には、Z80互換 ごかん の16bitCPUのZ280 、VDPはV9948、音源 おんげん はMSX-AUDIO (Y8950)という内容 ないよう でMSX3が計画 けいかく されていたという資料 しりょう が存在 そんざい している。別 べつ の証言 しょうげん では、コードネームはTryX、CPUはZ80互換 ごかん の高速 こうそく CPU、VDPにはV9978かV9998とナンバリングされたVDPが予定 よてい されていたが、VDPの開発 かいはつ の遅 おく れから高速 こうそく CPUであるR800のみがMSXturboRに搭載 とうさい されたとされる。後年 こうねん に開発 かいはつ されたMSX3[12] とは異 こと なる。そちらはMSX3.1という試作 しさく 機 き も作 つく られた[13] 。
^ 後 のち に青井 あおい 大地 だいち に改名 かいめい
^ 2013年 ねん に本田技研工業 ほんだぎけんこうぎょう がオートバイ ・グロム (海外 かいがい 名 めい :MSX125)を発売 はつばい する際 さい 、同年 どうねん 2月 がつ 25日 にち にMSXライセンシングコーポレーションがオートバイの商標 しょうひょう として 登録 とうろく 5717616で「MSX」を出願 しゅつがん した。
^ スペクトラビデオのジェネラル・マネージャーであるスティーブン・チューは、『MSXマガジン』1986年 ねん 8月 がつ 号 ごう に掲載 けいさい されたインタビューの中 なか で北米 ほくべい におけるMSXはゲームマシンとしてのイメージが強 つよ すぎると話 はな しており、アタリなどのホビーパソコンに追従 ついしょう しつつも、娯楽 ごらく としてのゲームが頭打 あたまう ちになっているため不利 ふり な状況 じょうきょう に立 た たされていると語 かた っている。また、この時点 じてん で同社 どうしゃ はMSX2用 よう パソコンの発売 はつばい 予定 よてい はないとしていた。
^ 同 どう 著 ちょ の著者 ちょしゃ であるトム佐藤 さとう は、マイクロソフト社員 しゃいん として欧州 おうしゅう でのMSX2の普及 ふきゅう に携 たずさ わった人物 じんぶつ である。
^ アスキーによる『マイクロソフト戦記 せんき ―世界 せかい 標準 ひょうじゅん の作 つく られ方 かた ―』(著 ちょ :トム佐藤 さとう [注釈 ちゅうしゃく 5] )の紹介 しょうかい 記事 きじ の中 なか では、本来 ほんらい ならマイクロソフトがMSXソフト開発 かいはつ キットをヨーロッパで発売 はつばい すべきだったと指摘 してき されている[23] 。また、同 どう 著 ちょ では佐藤 さとう 自身 じしん がアスキー側 がわ に「マイクロソフトが信頼 しんらい できないのなら、アスキーがイギリスに拠点 きょてん を置 お いてはどうか」と説得 せっとく したものの失敗 しっぱい に終 お わったことが語 かた られている[23] 。
^ 『MSXマガジン』1986年 ねん 8月 がつ 号 ごう では「著作 ちょさく 権 けん 法 ほう がまだないので(さ来年 らいねん の7月 がつ に施行 しこう 予定 よてい )[攻略 こうりゃく ]」と記 しる されている。
^ 原文 げんぶん では「オフコン やミニコン クラスのソフト」と表現 ひょうげん されている
^ 『MSXマガジン』1986年 ねん 10月 がつ 号 ごう の記事 きじ では著作 ちょさく 権 けん 法 ほう がないと記 しる されている。
^ 『MSXマガジン』1987年 ねん 4月 がつ 号 ごう では、日本 にっぽん 代理 だいり 店 てん である「アララミヤ・ジャパン」についても言及 げんきゅう している
^ 後 のち にWikipediaのサーバーで使 つか われているnginx を制作 せいさく することになる、カザフ・ソビエト社会 しゃかい 主義 しゅぎ 共和 きょうわ 国 こく 生 う まれのイーゴリ・シソエフ (Игорь Сысоев )は、 nginxのユーザー会 かい のために2014年 ねん に来日 らいにち した際 さい に、学校 がっこう で日本 にっぽん の「YAMAHA」に出会 であ ったことがきっかけでコンピュータサイエンスの道 みち に進 すす んだことを公言 こうげん した[41] 。
^ HB-G900シリーズは、日本 にっぽん ではソニー製 せい MSXの最 さい 上位 じょうい 機種 きしゅ として「HitBit PRO」の愛称 あいしょう で1986年 ねん に発売 はつばい されたSONY HB-F900シリーズの欧州 おうしゅう 版 ばん である。「AVクリエイター」の愛称 あいしょう で販売 はんばい された周辺 しゅうへん 機器 きき のHBI-F900と組 く み合 あ わせることで、家庭 かてい でスーパーインポーズやモザイク処理 しょり など「プロ並 な み」のビデオ編集 へんしゅう ができることがウリであり、HB-F900の本体 ほんたい 価格 かかく が148,000円 えん 、「AVクリエイター」も64,800円 えん とビデオ編集 へんしゅう 機 き としては安価 あんか なことから、日本 にっぽん でも結婚式 けっこんしき や運動会 うんどうかい などの用途 ようと で重宝 ちょうほう された(なおソニーは業務 ぎょうむ 用 よう ビデオ編集 へんしゅう 機 き として「SMCシリーズ」と言 い う別 べつ のラインがあり、業務 ぎょうむ 用 よう や宇宙 うちゅう 開発 かいはつ 用 よう としてMSX機 き を使 つか うことは本来 ほんらい は想定 そうてい されていない)。
^ Z80はI/O専用 せんよう のアドレス空間 くうかん が用意 ようい されている為 ため 明示 めいじ 的 てき にメモリ空間 くうかん と表記 ひょうき する。
^ Z80は制限 せいげん 付 つ きで16bitのI/Oアドレス空間 くうかん を確保 かくほ することが可能 かのう な仕様 しよう となっている。
^ 設計 せっけい 当時 とうじ コンポジット映像 えいぞう 入力 にゅうりょく 対応 たいおう のテレビの普及 ふきゅう 率 りつ が低 ひく かったため。
^ 例 たと えばフランス語 ふらんすご アルファベットのÉ, é、À, È, Ù, à, è, ù ,Â, Ê, Î, Ô, Û, â, ê, î, ô, û , Ë
^ 基本 きほん 的 てき にはユーザーがcall命令 めいれい などにより初期 しょき 化 か と組 く み込 こ みを行 おこな う。起動 きどう 時 じ に無条件 むじょうけん に組 く み込 こ まれ、明示 めいじ 的 てき に切 き り離 はな したいときに操作 そうさ を行 おこな うFDDや、特定 とくてい アプリケーションからの直接 ちょくせつ 制御 せいぎょ を前提 ぜんてい に汎用 はんよう のサポートを提供 ていきょう しないSRAMカートリッジやSCCカートリッジが実装 じっそう としては例外 れいがい である。
^ リリース時期 じき からIEEE 754とは非 ひ 互換 ごかん のフォーマットである。
^ ただし、販売 はんばい については多 おお くのトラブルを生 う んだ。
MSXマガジン
『MSXマガジン』1986年 ねん 8月 がつ 号 ごう 、アスキー、1986年 ねん 8月 がつ 1日 にち 。
『MSXマガジン』1986年 ねん 9月 がつ 号 ごう 、アスキー、1986年 ねん 9月 がつ 1日 にち 。
『MSXマガジン』1987年 ねん 4月 がつ 号 ごう 、アスキー、1986年 ねん 10月 がつ 1日 にち 。
『MSX MAGAZINE 永久 えいきゅう 保存 ほぞん 版 ばん 』アスキー、2002年 ねん 12月24日 にち 。ISBN 978-4756142108 。
『MSX MAGAZINE 永久 えいきゅう 保存 ほぞん 版 ばん 2』アスキー、2003年 ねん 12月3日 にち 。ISBN 978-4756143747 。
『MSX MAGAZINE 永久 えいきゅう 保存 ほぞん 版 ばん 3』アスキー、2005年 ねん 5月 がつ 12日 にち 。ISBN 978-4756146182 。
その他 た
「ASCII 1983年 ねん 8月 がつ 号 ごう 」第 だい 7巻 かん 第 だい 8号 ごう 、アスキー出版 しゅっぱん 、1983年 ねん 8月 がつ 1日 にち 。
「ASCII 1983年 ねん 11月 がつ 号 ごう 」第 だい 7巻 かん 第 だい 11号 ごう 、アスキー出版 しゅっぱん 、1983年 ねん 11月1日 にち 。
「MSXスーパーAV活用 かつよう 法 ほう パソコンで創 つく る映像 えいぞう と音楽 おんがく 」、アスキー、1986年 ねん 8月 がつ 。
『パソコン大 だい 図鑑 ずかん 84 徹底 てってい 納得 なっとく パソコンガイド』渡辺 わたなべ 茂 しげる 、講談社 こうだんしゃ 、1983年 ねん 9月 がつ 25日 にち 。ISBN 4-06-200580-8 。
角 すみ 宮 みや 二郎 じろう 『MSXパソコン比較 ひかく 大 だい 図鑑 ずかん 全 ぜん 機種 きしゅ ・全 ぜん ソフト徹底 てってい ガイド』学習研究社 がくしゅうけんきゅうしゃ 、1984年 ねん 4月 がつ 1日 にち 。ISBN 978-4051010447 。
平田 ひらた 渥美 あつみ 『パソコンでVHDを楽 たの しむ本 ほん 』工学 こうがく 社 しゃ 、1985年 ねん 12月5日 にち 。ISBN 978-4-87593-070-9 。
藤田 ふじた 洋一 よういち 『ビギナー必読 ひつどく MSXウルトラ活用 かつよう 術 じゅつ 』ナツメ社 しゃ 、1986年 ねん 1月 がつ 。ISBN 978-4816305627 。
鎗田 やりた 竜一 りゅういち 、宮崎 みやざき 暁 あきら 、清水 しみず 真 しん 佐志 さし 『MSX2テクニカル・ハンドブック』アスキー、1986年 ねん 4月 がつ 5日 にち 。ISBN 978-4871481946 。
那 な 野比 のび 古 いにしえ 『アスキー 新人 しんじん 類 るい 企業 きぎょう の誕生 たんじょう 』文藝春秋 ぶんげいしゅんじゅう 、1988年 ねん 10月 がつ 15日 にち 。ISBN 978-4163426709 。
『MSX-Datapack Volume 1』アスキー、1991年 ねん 2月 がつ 1日 にち 。
『MSX-Datapack Volume 2』アスキー、1991年 ねん 2月 がつ 1日 にち 。
滝田 たきた 誠一郎 せいいちろう 『電脳 でんのう のサムライたち-西 にし 和彦 かずひこ とその時代 じだい 』実業之日本社 じつぎょうのにほんしゃ 、1997年 ねん 2月 がつ 1日 にち 。ISBN 978-4408102535 。
トム佐藤 さとう 『マイクロソフト戦記 せんき 世界 せかい 標準 ひょうじゅん の作 つく られ方 かた 』新潮社 しんちょうしゃ 〈新潮 しんちょう 新書 しんしょ 〉、2009年 ねん 1月 がつ 20日 はつか 。ISBN 978-4106102981 。
前田 まえだ 尋 ひろ 之 の 『MSXパーフェクトカタログ』ジーウォーク、2020年 ねん 5月 がつ 28日 にち 。ISBN 978-4-86717-028-1 。
出典 しゅってん は列挙 れっきょ するだけでなく、脚注 きゃくちゅう などを用 もち いてどの記述 きじゅつ の情報 じょうほう 源 げん であるかを明記 めいき してください。記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく をお願 ねが いいたします。(2022年 ねん 10月 がつ )
竹内 たけうち あきら、湯浅 ゆあさ 敬 たかし 、安田 やすだ 吾 われ 太 ふとし 『MSXホームコンピュータ読本 とくほん 』(1984年 ねん 、アスキー) - 表紙 ひょうし には「OFFICIAL MSX HANDBOOK」。「MicrosoftX」の記述 きじゅつ や、メーカーの参入 さんにゅう が記 しる された「MSX月報 げっぽう 」など。
小林 こばやし 紀 おさむ 興 きょう 『西 にし 和彦 かずひこ の閃 ひらめ き孫 まご 正義 せいぎ のバネ-日本 にっぽん の起業 きぎょう 家 か の光 ひかり と影 かげ 』(1998年 ねん 、光文社 こうぶんしゃ )
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