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ミシュテカ文字もじ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナットール文書ぶんしょ模写もしゃみぎじょうはち鹿しかしるされており、みぎ人物じんぶつはち鹿しか・ジャガーのつめであることをしめす。そのひだりなないえとし(1097)をあらわす。ひだり人物じんぶつよんのジャガー

ミシュテカ文字もじ(ミシュテカもじ)は、いまメキシコ南部なんぶオアハカしゅう西部せいぶからプエブラしゅう南部なんぶにかけてひろがるミシュテカ文明ぶんめいによって使用しようされた文字もじこう古典こてんからスペインじんによる征服せいふく以降いこうの17世紀せいきごろまで使つかわれたが、部分ぶぶんてきにしか解読かいどくされていない。

中央ちゅうおうメキシコのアステカ文字もじ同様どうように、中心ちゅうしんとして、数字すうじこよみ日付ひづけ固有名詞こゆうめいしなどをおぎなうために文字もじ使用しようされる。このため、単語たんごしるすことはあっても文字もじだけで文章ぶんしょうしるすことはなく、文字もじというよりもはら文字もじちかい。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ミシュテック英語えいごばんは、サポテックおなオト・マンゲ語族ごぞくぞくしており、アステカ文字もじあらわされるユト・アステカ語族ごぞくナワトルとはまったくことなるが、ミシュテカ文字もじはアステカ文字もじとよくていて、主要しゅよう情報じょうほうによってあらわされ、では表現ひょうげんむずかしい日付ひづけ人名じんめい地名ちめいなどが文字もじによっておぎなわれる。ライデン大学だいがくのヤンセンによると、両者りょうしゃはおそらくともにテオティワカン起源きげんつという[1]

ミシュテカのでは、もとサポテカ文字もじちかいニュイニェ文字もじばれる文字もじ使つかわれていたが、こう古典こてん早期そうき以降いこうはミシュテカ文字もじってかわった[1]

アステカ文字もじ同様どうように、地名ちめいではときに表音ひょうおんてき文字もじ使用しようされる。たとえば、Yucu Dzaa(鳥山とりやま、トゥトゥテペク)という地名ちめいは、やまとりあらわされるが、とりなかあごふくまれており、dzaa(あご)とむことをあらわしている[1]

数字すうじえんならべることであらわす。たとえば13はえんを13ならべる。ミシュテカでもメソアメリカで一般いっぱんてきな260にちこよみ使つかわれたが、これは13の数字すうじと20の日付ひづけ記号きごうおおくは動物どうぶつかお)をわせる。52ねんカレンダー・ラウンドあらわすための特別とくべつ記号きごうがあり、ラテン・アルファベット大文字おおもじのAとOをわせたようなかたちをしている。この記号きごうなかに4つの日付ひづけ記号きごうのひとつ(ウサギ・あし石刀いわといえ)をき、数字すうじくわえる。

資料しりょう[編集へんしゅう]

現存げんそんするミシュテカ文字もじおも資料しりょう鹿しかがわかれた文書ぶんしょぬの(lienzo)である。ミシュテカ文書ぶんしょはティラントンゴを中心ちゅうしんとするミシュテカの歴史れきし、とくにはち鹿しか「ジャガーのつめ」の事績じせきしるしている[2]だい部分ぶぶん文書ぶんしょイギリスイタリアなどのヨーロッパにあるが、コロンビーノ文書ぶんしょはメキシコにある。

  • ボドリ文書ぶんしょ(Codex Bodley)
  • ウィーン文書ぶんしょ(Codex Vienna / Codex Vindobonensis Mexicanus 1[3])
  • ナットール文書ぶんしょ(Codex Zouche-Nuttall)
  • コロンビーノ文書ぶんしょ(Codex Colombino-Becker)
  • セルデン文書ぶんしょ(Codex Selden)
  • エジャートン文書ぶんしょ(Codex Egerton 2895 / Codex Waecker-Götter / Codex Sánchez Solís)
  • ムーロ文書ぶんしょ(Codex Muro)
  • テュレーン文書ぶんしょ(Codex Tulane)

このうち、エジャートン文書ぶんしょとムーロ文書ぶんしょはラテン文字もじでミシュテックしるしている[4]

メキシコの考古こうこ学者がくしゃアルフォンソ・カソは、これらの文書ぶんしょをスペインじんのこした地図ちず比較ひかくすることでミシュテカのおうみつるあきらかにした。

ほかに、ボルジア文書ぶんしょなどの宗教しゅうきょうてき内容ないよう文書ぶんしょぐん(ボルジア・グループとばれる)の一部分いちぶぶんもミシュテカのものとわれることがあるが、学者がくしゃ意見いけん一致いっちしていない[5]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c Jansen (2001b) p.344
  2. ^ Jansen (2001a) pp.331-332
  3. ^ Vindobonensis は「ウィーンの」を意味いみするラテン語らてんご
  4. ^ Smith (1973) pp.48-49
  5. ^ Jansen (2001a) p.331

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Jansen, Maarten E. R. G. N. (2001a). “Mixtec Group of Pictorial Manuscripts”. The Oxford Encyclopedia of Mesoamerican Cultures. 2. Oxford University Press. pp. 331-333. ISBN 0195108159 
  • Jansen, Maarten E. R. G. N. (2001b). “Writing Systems: Mixtec Systems”. The Oxford Encyclopedia of Mesoamerican Cultures. 3. Oxford University Press. pp. 344-346. ISBN 0195108159 
  • Smith, Mary Elizabeth (1973). “The Relationship between Mixtec Manuscript Painting and the Mixtec Language: A Study on Some Personal Names in Codices Muro and Sánchez Solís”. In Elizabeth P. Benson. Mesoamerican Writing Systems: A Conference at Dumbarton Oaks, October 30th and 31st, 1971. Dumbarton Oaks 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]