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デモティック (Demotic) または民衆 みんしゅう 文字 もじ (みんしゅうもじ)は、古代 こだい エジプト でエジプト語 ご を表記 ひょうき するのに使 つか われた3種類 しゅるい の文字 もじ のうちの1つである。
古代 こだい エジプトでは石 いし に刻 きざ むためのヒエログリフ (聖 せい 刻 こく 文字 もじ )と筆記 ひっき 用 よう のヒエラティック (神官 しんかん 文字 もじ )の両方 りょうほう が並 なら んで発達 はったつ し、後 のち にヒエラティックを崩 くず した簡略 かんりゃく 文字 もじ であるデモティックが作 つく られたと考 かんが えられる。ただし、デモティック書体 しょたい で木 き や石 いし に刻 きざ んだものも多 おお く残 のこ っている。
デモティックは古 ふる くは紀元前 きげんぜん 660年 ねん に使 つか われているのが見 み つかっており、紀元前 きげんぜん 600年 ねん には古代 こだい エジプトでは標準 ひょうじゅん 的 てき な書体 しょたい となったと見 み られている。4世紀 せいき にはエジプトでもギリシア文字 もじ を基 もと にしたコプト文字 もじ が使 つか われており、デモティックはそれ以後 いご 使 つか われなくなった。
後年 こうねん に見 み つかっているデモティックの最後 さいご の使用 しよう 例 れい は、紀元 きげん 452年 ねん にフィラエ神殿 しんでん の壁 かべ に刻 きざ まれたものである。
前期 ぜんき デモティック (Early Demotic)[ 編集 へんしゅう ]
初期 しょき デモティック(ドイツ語 ご ではFrühdemotisch )は、第 だい 25王朝 おうちょう 後期 こうき の下 しも エジプト で発展 はってん し、特 とく にサッカラ のセラペウム から出土 しゅつど した石碑 せきひ に見 み られる。初期 しょき デモティックのテキストは、ほとんどが第 だい 26王朝 おうちょう とその後 ご のアケメネス朝 あさ 属 ぞく 州 しゅう (第 だい 27王朝 おうちょう )の時代 じだい に書 か かれているため、一般 いっぱん に紀元前 きげんぜん 650年 ねん から紀元前 きげんぜん 400年 ねん の間 あいだ に作 つく られたと考 かんが えられている。プサムテク1世 せい によるエジプト再 さい 統一 とういつ 後 ご 、上 うえ エジプト ではデモティックがヒエラティックの後継 こうけい として、特 とく にイアフメス2世 せい の時代 じだい には公式 こうしき の行政 ぎょうせい ・法律 ほうりつ 文書 ぶんしょ に使用 しよう された。この時期 じき 、デモティックは行政 ぎょうせい 文書 ぶんしょ 、法律 ほうりつ 文書 ぶんしょ 、商業 しょうぎょう 文書 ぶんしょ にのみ使用 しよう され、ヒエログリフやヒエラティックは宗教 しゅうきょう 文書 ぶんしょ や文学 ぶんがく にのみ使用 しよう された。
中期 ちゅうき デモティック (Middle (Ptolemaic) Demotic)[ 編集 へんしゅう ]
中期 ちゅうき デモティック(紀元前 きげんぜん 400年 ねん 頃 ごろ 〜30年 ねん 頃 ごろ )は、プトレマイオス朝 あさ で使 つか われていた文字 もじ である。紀元前 きげんぜん 4世紀 せいき 以降 いこう 、文学 ぶんがく や宗教 しゅうきょう のテキストに使用 しよう されるようになり、デモティックの地位 ちい が高 たか まった。紀元前 きげんぜん 3世紀 せいき 末 まつ には、行政 ぎょうせい 言語 げんご であるコイネー の重要 じゅうよう 性 せい が高 たか まり、デモティックの契約 けいやく 書 しょ は、当局 とうきょく に登録 とうろく されたことをギリシャ語 ご で記 しる さない限 かぎ り、その法的 ほうてき 効力 こうりょく をほとんど失 うしな った。
後期 こうき デモティック (Late (Roman) Demotic)[ 編集 へんしゅう ]
ロ ろ ーマ帝国 まていこく のエジプト支配 しはい が始 はじ まって以来 いらい 、デモティックは次第 しだい に公的 こうてき な場 ば では使 つか われなくなった。後期 こうき デモティック(紀元前 きげんぜん 30年 ねん 頃 ごろ 〜紀元 きげん 452年 ねん 、特 とく に紀元 きげん 1〜2世紀 せいき )には多 おお くの文学 ぶんがく 的 てき テキストが書 か かれていたが、2世紀 せいき 末 まつ に急速 きゅうそく に減少 げんしょう した。ラテン語 らてんご が帝国 ていこく 西部 せいぶ の言語 げんご を駆逐 くちく したのとは対照 たいしょう 的 てき に、ギリシャ語 ご がデモティックに置 お き換 か わることはなかった[1] 。その後 ご 、デモティックはごく一部 いちぶ のオストラコン 、ギリシャ語 ご テキスト、ミイラのラベル、落書 らくが きなどに使 つか われただけであった。後年 こうねん に見 み つかっているデモティックの最後 さいご の使用 しよう 例 れい は、紀元 きげん 452年 ねん にフィラエ神殿 しんでん の壁 かべ に刻 きざ まれた落書 らくが きで、452年 ねん 12月12日 にち の日付 ひづけ がつけられている。本文 ほんぶん は「ペトシリスの息子 むすこ ペティセ」とだけ書 か かれており、ペティセが誰 だれ であったかは不明 ふめい である[2] 。
ヒエログリフの前身 ぜんしん である文字 もじ 体系 たいけい と同様 どうよう に、デモティックも単 たん 字 じ 、つまり「アルファベット」の文字 もじ セットを持 も ち、個々 ここ の音素 おんそ を表現 ひょうげん することができた。単 たん 字 じ はデモティックの中 なか でも頻繁 ひんぱん に使用 しよう され、文章 ぶんしょう 中 ちゅう の全 ぜん 文字 もじ のうち3分 ぶん の1から2分 ぶん の1を占 し めており、特 とく に多 おお くの外来 がいらい 語 ご は単 たん 字 じ で書 か かれている[3] 。後期 こうき (ローマ時代 じだい )のテキストでは、単 たん 字 じ はより頻繁 ひんぱん に使 つか われている[4] 。
次 つぎ の表 ひょう は、単 たん 字 じ 、翻 こぼし 字 じ 、元 もと となったヒエログリフ、そこから派生 はせい したコプト文字 もじ 、および使用 しよう 上 じょう の注意 ちゅうい 点 てん を示 しめ した一覧 いちらん である[3] [4] [5] 。
翻 こぼし 字 じ
デモティック
ヒエログリフ[5]
コプト文字 もじ
備考 びこう
ꜣ
殆 ほとん ど語頭 ごとう で使用 しよう されるが、まれに語末 ごまつ で使用 しよう される。
語頭 ごとう では使用 しよう されない。
ı͗
or or
語頭 ごとう でのみ使用 しよう される。
e
ı͗ または語 かたり 中 ちゅう の e を表 あらわ す。
ꜥ
通常 つうじょう 、他 た の文字 もじ が上下 じょうげ に置 お かれていないときに使 つか う。
通常 つうじょう 、横長 よこなが の文字 もじ の下 した に置 お くときに使 つか う。
通常 つうじょう 、横長 よこなが の文字 もじ の上 うえ に置 お くときに使 つか う。
y
w
or
語 かたり 中 ちゅう または語末 ごまつ で使用 しよう される。
or
語頭 ごとう 子音 しいん として使用 しよう される。
複数 ふくすう 形 がた または3人称 にんしょう 複数 ふくすう 接辞 せつじ の w として使用 しよう される。
b
相互 そうご に置換 ちかん 可能 かのう 。
p
or
1個 いっこ 目 め の字形 じけい の派生 はせい である2個 こ 目 め の字形 じけい に殆 ほとん ど置 お き換 か わった。
f
or
ϥ
m
or
相互 そうご に置換 ちかん 可能 かのう 。2個 こ 目 め の字形 じけい は1個 いっこ 目 め の字形 じけい の派生 はせい 。
n
通常 つうじょう 、他 た の文字 もじ が上下 じょうげ に置 お かれていないときに使 つか うが、前置詞 ぜんちし n や属 ぞく 格 かく 接辞 せつじ n としては使 つか われない。
ⲻ [注釈 ちゅうしゃく 1]
通常 つうじょう 、他 た の文字 もじ が上下 じょうげ に置 お かれているときに使 つか う。
r
r が子音 しいん として保持 ほじ され、音 おと 変化 へんか によって失 うしな われないときに使用 しよう する通常 つうじょう 形 がた 。
or
コプト語 ご ⲉ に対応 たいおう する母音 ぼいん として使用 しよう され、相互 そうご に置換 ちかん 可能 かのう 。前置詞 ぜんちし r のような子音 しいん が失 うしな われることにより生 しょう じることもある。 語頭 ごとう 音 おん ı͗ の付加 ふか に使 つか うこともある。
or
l
h
ⳏ [注釈 ちゅうしゃく 1]
ḥ
or
ⳕ [注釈 ちゅうしゃく 1]
相互 そうご に置換 ちかん 可能 かのう 。
or
ϩ , ⳍ [注釈 ちゅうしゃく 1]
ḫ
ⳓ [注釈 ちゅうしゃく 1] , ⳋ [注釈 ちゅうしゃく 1]
h̭
or
ẖ
ϧ
通常 つうじょう 、他 た の文字 もじ が上下 じょうげ に置 お かれていないときに使 つか う。
通常 つうじょう 、他 た の文字 もじ が上下 じょうげ に置 お かれているときに使 つか う。
s
通常 つうじょう 、他 た の文字 もじ が上下 じょうげ に置 お かれていないときに使 つか う。
しばしば固有名詞 こゆうめいし やギリシャ語 ご からの借用 しゃくよう 語 ご に使用 しよう される。エジプト語 ご の固有 こゆう 語 ご の語頭 ごとう には使用 しよう されない。
or
通常 つうじょう 、横長 よこなが の文字 もじ の下 した に置 お くときに使 つか う。
通常 つうじょう 、横長 よこなが の文字 もじ の上 うえ に置 お くときに使 つか う。
or or
代名詞 だいめいし として使用 しよう 。
š
or
ϣ , ⳅ [注釈 ちゅうしゃく 1]
通常 つうじょう 、他 た の文字 もじ が上下 じょうげ に置 お かれていないときに使 つか う。2個 こ 目 め の字形 じけい は1個 いっこ 目 め の字形 じけい の派生 はせい 。
ⳇ [注釈 ちゅうしゃく 1]
通常 つうじょう 、他 た の文字 もじ が上下 じょうげ に置 お かれているときに使 つか う。
q
ⲹ [注釈 ちゅうしゃく 1]
k
ϭ
しばしば横線 おうせん の下 した に書 か かれる。
本来 ほんらい は2字 じ kꜣ 。 後代 こうだい のテキストではしばしば q として使用 しよう される。
g
or
ⳛ [注釈 ちゅうしゃく 1]
t
or or
ϯ [注釈 ちゅうしゃく 2]
動詞 どうし ḏj (与 あた える)以外 いがい ではあまり使 つか われない。
d
ṱ
or
相互 そうご に置換 ちかん 可能 かのう 。実際 じっさい に発音 はつおん される語末 ごまつ の t を表 あらわ し、女性 じょせい 接尾 せつび 辞 じ の無音 むおん t とは区別 くべつ される。
ṯ
本来 ほんらい は動詞 どうし ṯꜣj (取 と る)の表記 ひょうき であったが、時々 ときどき 表音 ひょうおん 的 てき に使用 しよう される。
ḏ
ⳙ [注釈 ちゅうしゃく 1]
相互 そうご に置換 ちかん 可能 かのう 。コブラの字形 じけい は稀 まれ 。
ϫ , ⳗ [注釈 ちゅうしゃく 1]
^ a b c d e f g h i j k l 古 こ コプト語 ご のテキストにのみ出現 しゅつげん する。
^ あるいは、 ϯ はⲧ と ⲓ の合 ごう 字 じ の可能 かのう 性 せい がある。[6]
デモティック期 き のエジプト語 ご [ 編集 へんしゅう ]
デモティックという語 かたり は、この文字 もじ を用 もち いて書 か かれた、新 しん エジプト語 ご 後期 こうき の段階 だんかい を指 さ す場合 ばあい もある。デモティックによるエジプト語 ご は、その後 ご に現 あらわ れたコプト語 ご に非常 ひじょう に近 ちか いものである。当初 とうしょ 、デモティックで書 か かれたエジプト語 ご の表現 ひょうげん は、それまで使用 しよう されていた常套句 じょうとうく が多 おお く含 ふく まれるなど、当時 とうじ の人々 ひとびと の日常 にちじょう 語 ご の特徴 とくちょう を多 おお く有 ゆう していたものと思 おも われる。しかし、デモティックの使用 しよう が次第 しだい に文学 ぶんがく や宗教 しゅうきょう 文書 ぶんしょ などの非 ひ 日常 にちじょう 的 てき な分野 ぶんや に限 かぎ られてくるようになると、デモティックによるエジプト語 ご は人工 じんこう 的 てき な性格 せいかく を帯 お びるようになり、当時 とうじ の日常 にちじょう 語 ご からの乖離 かいり が大 おお きくなっていった。
^ Haywood, John (2000). Historical atlas of the classical world, 500 BC–AD 600 . Barnes & Noble Books. p. 28. ISBN 978-0-7607-1973-2 . "However, Greek did not take over as completely as Latin did in the west and there remained large communities of Demotic...and Aramaic speakers"
^ Cruz-Uribe, Eugene (2018). “The Last Demotic Inscription”. Hieratic, Demotic, and Greek Studies and Text Editions: Of Making Many Books There Is No End. Festschrift in Honour of Sven P. Vleeming . Leiden. pp. 6–8. ISBN 978-9-0043-4571-3
^ a b Clarysse, Willy (1994) Demotic for Papyrologists: A First Acquaintance , pages 96–98.
^ a b Johnson, Janet H. (1986). Thus Wrote ꜥOnchsheshonqy: An Introductory Grammar of Demotic . Studies in Ancient Oriental Civilization, No. 45. Chicago: The Oriental Institute. pp. 2–4
^ a b “The Demotic Palaeographical Database Project (DPDP) ”. 129.206.5.162 . 2022年 ねん 4月 がつ 12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Quack (2017). “How the Coptic Script Came About” . Greek Influence on Egyptian-Coptic: Contact-Induced Change in an Ancient African Language . Widmaier Verlag. p. 75. https://www.academia.edu/42127007 . "It has normally been claimed that it derives from the form of the infinitive ti in Demotic, but the actual forms do not fit well; and furthermore it is a point of some concern that this sign never turns up in any ‘Old Coptic’ text (where we always have ⲧⲓ for this sound sequence). For this reason the proposal by Kasser that it is actually a ligature of t and i seems to me quite convincing."