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ヤクザ映画えいが

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任侠にんきょう映画えいがから転送てんそう
映画えいが > 映画えいがのジャンル > ヤクザ映画えいが

ヤクザ映画えいが(ヤクザえいが)は、犯罪はんざい映画えいがなかでも日本にっぽんヤクザ暴力団ぼうりょくだん対立たいりつこうそう任侠にんきょうなどをモチーフとするカテゴリーである[出典しゅってん 1]

仁侠にんきょう映画えいが(にんきょうえいが)ともしょうされる[出典しゅってん 2]東映とうえい中心ちゅうしん1960年代ねんだいから70年代ねんだいにかけて一大いちだいジャンルをきずいた[出典しゅってん 3]

ほんこうでは、その東映とうえい筆頭ひっとう各社かくしゃがこのジャンルの映画えいが量産りょうさんした[1]1960年代ねんだいから70年代ねんだい中心ちゅうしんに、その状況じょうきょうまでを記述きじゅつする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

やくざ自体じたい主題しゅだいとする映画えいがは、長谷川はせがわしんの『まぶたはは』や子母澤しもざわひろし股旅またたびもの[出典しゅってん 4]伊藤いとう大輔だいすけ監督かんとくの『忠次ちゅうじたび日記にっき』など、戦前せんぜんからあった[出典しゅってん 5]。また戦後せんごも『清水しみず次郎じろうちょうでん』『次郎じろうちょう意外いがいでん』『次郎じろう長富ながとみ』『国定くにさだ忠治ただはる』など[10]さかんに制作せいさくされた[出典しゅってん 6]清水しみず次郎じろうちょう登場とうじょうする映画えいがやく200ほん[10]国定くにさだ忠治ただはる登場とうじょうする映画えいがやく130ほんぐらいあるとされる[10]。ヤクザ映画えいが日本人にっぽんじん心情しんじょうになじんだ主題しゅだい現代げんだいえたもので[6]制作せいさく本格ほんかくするのは日本にっぽん経済けいざい高度こうど成長せいちょうけてはしはじめた1960年代ねんだいはいってからである[出典しゅってん 7]

ヤクザ映画えいがという呼称こしょう[編集へんしゅう]

「やくざ映画えいが」という呼称こしょう一般いっぱんしたのは、1963ねん当時とうじ東映とうえい東京とうきょう撮影さつえいしょ以下いか東映とうえい東京とうきょう所長しょちょう岡田おかだしげる鶴田つるた浩二こうじ主演しゅえんさわ島忠しまちゅう監督かんとくでプロデュースした『人生じんせい劇場げきじょう 飛車ひしゃかく』をだいヒットさせてからである[出典しゅってん 8]。「やくざ路線ろせん」という呼称こしょうは『人生じんせい劇場げきじょう 飛車ひしゃかく封切ふうきり文献ぶんけんすでられる[出典しゅってん 9]

欧米おうべいギャングマフィアえがいたジャンルはギャング映画えいがしょうされ[26]東映とうえいでも任侠にんきょう路線ろせん前史ぜんしとして岡田おかだが「東映とうえいギャング路線ろせん」をいていた時期じきがあった[出典しゅってん 10]

東映とうえい任侠にんきょう路線ろせん[編集へんしゅう]

よく1964ねん岡田おかだしげる東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ以下いか東映とうえい京都きょうと所長しょちょう復帰ふっきするとどう撮影さつえいしょリストラすす[出典しゅってん 11]不振ふしんつづ従来じゅうらいがた時代じだいげきテレビうつ[出典しゅってん 12]時代じだい劇映画げきえいがからヤクザ映画えいが任侠にんきょう映画えいが路線ろせん転換てんかんおこな[出典しゅってん 13]東映とうえい東京とうきょう成功せいこうした任侠にんきょう路線ろせん東映とうえい京都きょうと改革かいかくふだとして[出典しゅってん 14]、その任侠にんきょうだい路線ろせんとして、はつ本格ほんかくてきヤクザ映画えいが鶴田つるた浩二こうじ主演しゅえん博徒ばくとシリーズ」と高倉たかくらけん主演しゅえん日本にっぽん侠客きょうかくでんシリーズ」を企図きとした[出典しゅってん 15]。『日本にっぽん侠客きょうかくでん』は岡田おかだが、主君しゅくんのために復讐ふくしゅうげた義理堅ぎりがた武士ぶしたちの物語ものがたり日本にっぽん古典こてん忠臣蔵ちゅうしんぐら』をモデルに構想こうそうしたものである[2]。『映画えいがジャーナル』は1965ねん10がつごうで「東映とうえい岡田おかだしげるは、沈滞ちんたいした京都きょうとでひとり奮闘ふんとうし、鶴田つるた浩二こうじ高倉たかくらけん主軸しゅじくしん時代じだいげきともいうべき明治めいじ大正たいしょうものをして、近年きんねんまれなヒットシリーズを連作れんさくしていている」とひょうされている[31]どうごう岡田おかだ鈴木すずき炤成大映だいえいプロデューサーとの対談たいだんであるが[31]岡田おかだは「ぼくが京都きょうと撮影さつえいしょ所長しょちょうになって、時代じだいげきファンをもどそうと、いろいろテをひんえやってみたんですが、どうも結果けっかがよくない。それで大映だいえいの『座頭市ざとういち』というヒット時代じだいげきて、『これはほんとうの時代じだいげきなのだろうか、非常ひじょう特殊とくしゅ作品さくひん系列けいれつぞくするものでないか』などとかんがえたんです。それでおもって、時代じだい明治めいじ大正たいしょうもとめてやってみた。『日本にっぽん侠客きょうかくでん』や『関東かんとうながもの』のような大正たいしょうやくざは、時代じだいげきだという観念かんねんつくったわけです」などとべている[31]岡田おかだ博打ばくちシーンのリアルさをもと[41]撮影さつえいしょ本職ほんしょくのヤクザをまねいて、キャスト・スタッフに演技えんぎ指導しどうさせた[41]本職ほんしょく撮影さつえい所内しょない大勢おおぜい闊歩かっぽするようになったのはこれがはじまり[出典しゅってん 16]。これらはだい成功せいこうし、次々つぎつぎ人気にんき任侠にんきょうシリーズがまれ[1]観客かんきゃく動員どういんNo.1にかえき、興行こうぎょうてきにもだい成功せいこうした[出典しゅってん 17]。こうして東映とうえいみずか一連いちれん企画きかくを「やくざ路線ろせん」と呼称こしょうしはじめた[43]。この東映とうえい任侠にんきょう路線ろせん成功せいこう他社たしゃにも波及はきゅう[24]、そのかず急増きゅうぞうするにつれて、この「やくざ路線ろせんてき企画きかく他社たしゃにも波及はきゅうしはじめたとき、ジャーナリズムがそれらを一括いっかつして「やくざ映画えいが」とびはじめたのである[43]佐藤さとう忠男ただおは「この一連いちれんのやくざ映画えいがを、それまでにもあった時代じだいげきのやくざものや現代げんだいげき暴力団ぼうりょくだんものとはちが独特どくとく美学びがくつものとして区別くべつするためにんだのが任侠にんきょう映画えいがという呼称こしょう」とべている[3]。これらはすこしはあやまりで『人生じんせい劇場げきじょう 飛車ひしゃかく公開こうかいのプレスシートに「東映とうえいやくざ路線ろせんだいいちだんとして重厚じゅうこうあじった意欲いよくさくである」と明記めいきされ[24]、『月刊げっかん明星みょうじょう』1963ねん4がつごうの『人生じんせい劇場げきじょう 飛車ひしゃかく』を紹介しょうかいするぺーじにも「東映とうえいあたらしくした"やくざ路線ろせん"のだいいちだん」とかれており[44]、『人生じんせい劇場げきじょう 飛車ひしゃかく』を公開こうかいするさいに「やくざ映画えいが」や「やくざ路線ろせん」という言葉ことば使用しようされていた[出典しゅってん 18]

それまで、この呼称こしょう戦前せんぜん侠客きょうかく映画えいがしており、明治めいじから昭和しょうわ初期しょきまでの時代じだい侠客きょうかく主人公しゅじんこうとして映画えいがすで存在そんざいしていたが、かくも大量たいりょうつくられはじめたのは日本にっぽん映画えいが史上しじょう、はじめてである[43]。やくざ映画えいが日本にっぽん映画えいが一角いっかくめ、ひとつの様式ようしきつくった[45]。この名称めいしょう定着ていちゃくすると、それはヤクザしゃ主人公しゅじんこうとするあらゆる映画えいがへの適用てきよう範囲はんいひろげ、以前いぜんは「股旅またたび映画えいが」とばれていたるい時代じだいげきから、戦後せんご背景はいけいとしたギャング映画えいが不良ふりょう少年しょうねん映画えいがまでも、ヤクザ映画えいがばれるようになったのが、1970ねん以降いこう[43]東映とうえい中心ちゅうしんとした1960年代ねんだいの「やくざ映画えいが」は「任侠にんきょう映画えいが」とばれるが、「任侠にんきょう映画えいが」という呼称こしょうは1970ねん前後ぜんこう文献ぶんけんられる[46]

1966ねん大手おおて新聞しんぶんがヤクザ映画えいが誌上しじょう批判ひはんしても結局けっきょく映画えいが題名だいめい新聞しんぶん発行はっこう部数ぶすうだけらすことになり、ヤクザ映画えいがするだけという判断はんだん[47]、ヤクザ映画えいが批評ひひょう一切いっさいしないという密約みつやくわし[47]、ヤクザ映画えいがエロダクションみにミニコミあつかいをけた[47]。この処置しょちはらてた東映とうえいは、「それならヤクザ映画えいが試写ししゃかい一切いっさいやらない」とひらなおった[47]今日きょう試写ししゃかい状況じょうきょうからないが、1990年代ねんだいぐらいまでは、新聞しんぶん記者きしゃ映画えいが評論ひょうろん各社かくしゃ新作しんさく試写ししゃをタダでて、そのえとして新聞しんぶん雑誌ざっし記事きじせていたため[47]東映とうえいのヤクザ映画えいがきな映画えいが評論ひょうろんはもとの庶民しょみんもどり、ゼニコはらってヤクザ映画えいがなければならなくなった[47]

1973ねん、「政治せいじぶし」もピークアウトした段階だんかいで、東映とうえい実際じっさい暴力団ぼうりょくだん実態じったいドキュメンタリーちか質感しつかんえがく『仁義じんぎなきたたか』を製作せいさくだいヒットさせると[出典しゅってん 19]義理ぎり人情にんじょうあついヤクザではなく、利害りがい得失とくしつうご現実げんじつてきなヤクザ社会しゃかいえが映画えいがを「実録じつろくシリーズ、または実録じつろくヤクザ映画えいが」と[出典しゅってん 20]、それまでのヤクザ映画えいがは“任侠にんきょう映画えいが”と区別くべつされるようになった。「60年代ねんだい着流きなが任侠にんきょうもの」と「70年代ねんだい実録じつろくもの」をわせて「ヤクザ映画えいが」とぶケースもある[51]

"任侠にんきょう映画えいが"というと今日きょう東映とうえい作品さくひんすケースもおお[52]、1960年代ねんだいはじまって同年代どうねんだい後半こうはんにはプログラムピクチャー過半かはんめるまでに繁栄はんえいし、1970年代ねんだいになると衰退すいたいしていった特殊とくしゅ映画えいがジャンルを[出典しゅってん 21]例外れいがいもあるが、東映とうえいの"任侠にんきょう映画えいが"は、大正たいしょう明治めいじ時代じだい舞台ぶたいにしているため、登場とうじょう人物じんぶつ着流きながおおいが、"実録じつろく映画えいが"は昭和しょうわ戦後せんご舞台ぶたいにするため着流きながしではなく、スーツなどの洋服ようふくおお[12]。これらはほぼすべ岡田おかだしげるもと東映とうえい社長しゃちょう)としゅんふじひろししげるりょうプロデューサーによって製作せいさくされた[出典しゅってん 22]

任侠にんきょう路線ろせん通常つうじょう明治めいじから昭和しょうわはじめを時代じだい背景はいけいとし[1]着流きなが姿すがた主人公しゅじんこうががまんをかさねて最後さいご義理ぎり人情にんじょうられてかたきくというほぼ似通にかよった筋立すじだてで[出典しゅってん 23]、『人生じんせい劇場げきじょう 飛車ひしゃかく』シリーズにはじまって[3]、『博徒ばくと』、『日本にっぽん侠客きょうかくでん[3]、『関東かんとうながもの』、『網走あばしり番外地ばんがいち』、『昭和しょうわざん侠伝[3]、『兄弟きょうだい仁義じんぎ』、『博奕ばくえきち』、『緋牡丹ひぼたん博徒ばくと[3]、『日本にっぽんおんな侠伝』のかくシリーズで頂点ちょうてんむかえた[出典しゅってん 24]俳優はいゆう鶴田つるた浩二こうじ高倉たかくらけんふじ純子じゅんこ北島きたじま三郎さぶろう村田むらた英雄ひでおらが主役しゅやくになり[出典しゅってん 25]池部いけべりょう若山わかやま富三郎とみさぶろう田中たなか邦衛くにえまち田京たきょうかい丹波たんば哲郎てつろうあらしひろし寿郎としお安部あべとおる松方まつかた弘樹ひろき梅宮うめみや辰夫たつお大原おおはら麗子れいこ三田みた佳子けいこ佐久間さくま良子りょうこらがわきえた[出典しゅってん 26]マキノ雅弘まさひろ佐伯さえききよし加藤かとうやすし小沢おざわ茂弘しげひろ石井いしい輝男てるお山下やました耕作こうさくらがメガホンをった[出典しゅってん 27]任侠にんきょう路線ろせん当時とうじ、サラリーマン・職人しょくにんから本業ほんぎょうヤクザ学生がくせい運動うんどう闘士とうしたちにまで人気にんきがあり、「いちにち運動うんどうわると映画えいがかん直行ちょっこうし、映画えいがかっさいをおくった」という学生がくせいもいた[42]。『博奕ばくえきち』シリーズだい4さく博奕ばくえき総長そうちょう賭博とばく』は三島みしま由紀夫ゆきお絶賛ぜっさんされた[出典しゅってん 28]当時とうじのヤクザ映画えいがは、60ねん安保あんぽれる「政治せいじぶし」を反映はんえいしていた[2]村上むらかみ春樹はるきは、早稲田大学わせだだいがく在学ざいがくちゅうの1960年代ねんだい後半こうはんは「大学だいがくへはほとんどかず、新宿しんじゅくでアルバイトなどをしながら、歌舞伎町かぶきちょう東映とうえいでほとんど毎週まいしゅうヤクザ映画えいがていた」とはなしている[59]。また大島おおしまなぎさ山田やまだ太一たいち[60]倉本くらもとさとしらも東映とうえい任侠にんきょう映画えいがのファンだったとはなしている。柏原かしわばらひろしは「メインの高倉たかくらけんさん、鶴田つるた浩二こうじさんがいて、ゲストにあらしひろし寿郎としおとか北島きたじま三郎さぶろうとか、みんなててつくって、徐々じょじょ整理せいりしていって、最後さいご、メインの対決たいけつにいく。すごいテクニック。東映とうえい任侠にんきょう映画えいがは、プロのシナリオじゅつ基本きほん」とべている[61]。1970年代ねんだい前半ぜんはんには、東映とうえいはそれまでの高倉たかくらけんによる着物きもの日本にっぽんがたなといった任侠にんきょう路線ろせんから、菅原すがわら文太ぶんた現代げんだいヤクザが主役しゅやくとなった『仁義じんぎなきたたかい』へと路線ろせん変更へんこうをおこない[出典しゅってん 29]選手せんしゅ交替こうたいするかたち任侠にんきょう映画えいがえた[3]

東映とうえい東京とうきょう[編集へんしゅう]

1963ねん東映とうえい東京とうきょう撮影さつえいしょによる『人生じんせい劇場げきじょう 飛車ひしゃかく』を皮切かわきりに、義理ぎり人情にんじょうあつくヤクザの人間にんげん模様もようえが作品さくひん続々ぞくぞく製作せいさくされていった[出典しゅってん 30]どう撮影さつえいしょでは『網走あばしり番外地ばんがいちシリーズ』、『昭和しょうわざん侠伝シリーズ』、『子守こもりうたシリーズ』、『現代げんだいやくざシリーズ』、『関東かんとうテキヤ一家いっかシリーズ』を[出典しゅってん 31]高倉たかくらけん菅原すがわら文太ぶんた千葉ちば真一しんいち主演しゅえんで、石井いしい輝男てるお佐伯さえききよし鷹森たかもりたていち降旗ふるはた康男やすお鈴木すずきのりぶん監督かんとくとして参画さんかくしている[出典しゅってん 32]

東映とうえい京都きょうと[編集へんしゅう]

一方いっぽう東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ1950年代ねんだい時代じだいげきブームで絶好調ぜっこうちょうだったものの、1961ねん1962ねんに、仲代なかだい達矢たつや主演しゅえん本格ほんかく時代じだいげき用心棒ようじんぼう』、『椿つばき三十郎さんじゅうろう』がヒットすると、東映とうえい京都きょうと製作せいさくされた時代じだいげきでは浪人ろうにんまずしい町人ちょうにんもヤクザもきれいな厚化粧あつげしょうをしており、かたなってもおとない旧来きゅうらい歌舞伎かぶきなため、客足きゃくあしはみるみるっていった。「時代じだいげき東映とうえい」とわれ、観客かんきゃく動員どういんNo.1だった東映とうえいは、他社たしゃのように現代げんだいげきでカバーできず、深刻しんこく影響えいきょうけた。東映とうえい京都きょうとでは、きゃくはいらなくなっていた時代じだいげきめ、ヤクザ映画えいがえ、量産りょうさんはじめる[出典しゅってん 33]。『博徒ばくとシリーズ』、『日本にっぽん侠客きょうかくでんシリーズ』、『極道ごくどうシリーズ』、『緋牡丹ひぼたん博徒ばくとシリーズ』を鶴田つるた浩二こうじ若山わかやま富三郎とみさぶろう高倉たかくらふじ純子じゅんこ主演しゅえん[出典しゅってん 34]メガホン小沢おざわ茂弘しげひろマキノ雅弘まさひろ山下やました耕作こうさく鈴木すずき加藤かとうやすしった[出典しゅってん 35]

りょう撮影さつえいしょ上記じょうき作品さくひんには、助演じょえんとして片岡かたおか千恵ちえぞうあらしひろし寿郎としお丹波たんば哲郎てつろう池部いけべりょう安部あべとおる田中たなか邦衛くにえまち田京たきょうかい山城やましろ新伍しんご梅宮うめみや辰夫たつお三田みた佳子けいこ松方まつかた弘樹ひろき大原おおはら麗子れいこ渡瀬わたせ恒彦つねひこらが出演しゅつえんしていた[出典しゅってん 36]映画えいがプロデューサーには岡田おかだしげるしゅんふじひろししげるがおり[出典しゅってん 37]とくしゅんふじ任侠にんきょう路線ろせん定着ていちゃくさせ、次々つぎつぎとヒットさくおくし、その功績こうせきおおきい[65]サラリーマン自営業じえいぎょう職人しょくにんから本業ほんぎょうヤクザ学生がくせい運動うんどう闘士とうしたちにまで人気にんきがあり、「いちにち運動うんどうわると映画えいがかん直行ちょっこうし、映画えいが喝采かっさいおくった」という学生がくせいもいた[42]。1968ねん東京大学とうきょうだいがく駒場こまばさいポスターでは『昭和しょうわざん侠伝 唐獅子からじし牡丹ぼたん』の主題歌しゅだいか歌詞かしすじった「とめてくれるなおっかさん/背中せなかのいちょうがいている/おとこ東大とうだいどこへく」(橋本はしもとおさむ)というキャッチコピーかかげられるなど[66]東映とうえい任侠にんきょう映画えいが時代じだい空気くうきをいっぱいにはらんだサブカルてきアイコンでさえあった。東映とうえい任侠にんきょう路線ろせんは1973ねんの「現代げんだい任侠にんきょう」までやく10ねんつづいた[3]

松竹しょうちく東宝とうほう[編集へんしゅう]

ホームドラマ・文芸ぶんげい作品さくひん得意とくい松竹しょうちくジリ貧じりひんだったが、1960年代ねんだい中盤ちゅうばん安藤あんどうのぼる主演しゅえんの『おきて』など、わずかながらヤクザ映画えいが制作せいさくされる[出典しゅってん 38]渥美あつみきよしがTVでえんじたテキヤ主人公しゅじんこうの『おとこはつらいよ』を1969ねん映画えいがし、成功せいこう[54]。『おとこはつらいよ』は東映とうえいヤクザ映画えいがパロディとして企画きかくされたといわれる[出典しゅってん 39]。ヤクザしゅうをなくし松竹しょうちく得意とくいのほのぼのとした人情にんじょう喜劇きげきとし、1990年代ねんだいまでつづくロングシリーズとなった[54]

東宝とうほうは、1960年代ねんだいには鶴田つるた浩二こうじ主演しゅえんの『暗黒あんこくがい』シリーズを制作せいさく。1971ねんには傍系ぼうけい会社かいしゃ東京とうきょう映画えいが東映とうえいばい以上いじょう予算よさんをかけ、仲代なかだい達矢たつや主演しゅえんわきには他社たしゃでは主演しゅえんきゅう安藤あんどう丹波たんば江波えば杏子あんずらをそろえた)の『出所しゅっしょいわ』を制作せいさくした[24]。しかし、どう時期じき東映とうえい制作せいさくした高倉たかくらの『昭和しょうわざん侠伝 えろから獅子しし』のまえ惨敗ざんぱい。そのはヤクザ路線ろせんから撤退てったいし、東宝とうほう得意とくいとする特撮とくさつ映画えいがゴジラ』シリーズや『日本にっぽん沈没ちんぼつ』『ノストラダムスのだい予言よげん』といったパニック映画えいが制作せいさくした。

日活にっかつ大映だいえい[編集へんしゅう]

深刻しんこくきゃくばなれにあった日活にっかつは、石原いしはら裕次郎ゆうじろう小林こばやしあさひわたり哲也てつや高橋たかはし英樹ひでき野川のがわ由美子ゆみこらを主演しゅえんにした「擬似ぎじ東映とうえい路線ろせん」といえるヤクザ映画えいが量産りょうさんしたが[出典しゅってん 40]、いずれも東映とうえいヤクザ映画えいが人気にんきにはとおおよばなかった[出典しゅってん 41]。そのなか日活にっかつ代表だいひょうするシリーズとしては高橋たかはし英樹ひできの『おとこ紋章もんしょうシリーズ』があった[出典しゅってん 42]。また、わたり哲也てつやの『無頼ぶらい』シリーズについては、評論ひょうろん西脇にしわき英夫ひでおが、「延々えんえんとくりひろげられるっかけ、どろまみれ、まみれになり、られてもられてもがりみじかいドスをふりかざし青筋あおすじててびかかってわたりかおには、鶴田つるた浩二こうじややかさも、高倉たかくらけん豪放ごうほうさもなく、狂気きょうきとしかいようのない孤独こどくさびしさがある」[72]ひょうした。

大映だいえいは、江波えば杏子あんずの『おんな賭博とばく』シリーズやかつ新太郎しんたろうの『座頭市ざとういちシリーズ』『悪名あくめいシリーズ』がヒットし[出典しゅってん 43]東映とうえいった[54]。しかしかつ新太郎しんたろう市川いちかわ雷蔵らいぞうにん以外いがい人気にんき男優だんゆうもおらず、主役しゅやくささえる脇役わきやくもいなかった[54]。『悪名あくめい』に出演しゅつえんしていた田宮たみや二郎じろうが1968ねん大映だいえいはなれ、翌年よくねんに『わか親分おやぶんシリーズ』の市川いちかわ雷蔵らいぞう病死びょうししたころには苦境くきょうおちいっていた[54]。ヤクザ映画えいがブームのながれにり、延命えんめいのため「ダイニチうつはい」を設立せつりつしてヤクザ映画えいが市場いちば供給きょうきゅうした両社りょうしゃだったが、1971ねん大映だいえい倒産とうさん日活にっかつ同年どうねんからロマンポルノ路線ろせん転進てんしんし、著名ちょめい俳優はいゆう日活にっかつはなれた。

1980年代ねんだい[編集へんしゅう]

1980年代ねんだいはヤクザ映画えいがにとっては昭和しょうわのラストランといえる時期じき[2]本家ほんけ東映とうえいは『おにりゅういん花子はなこ生涯しょうがい』『極道ごくどうつまたちシリーズ」など、女優じょゆうしたヤクザ映画えいが量産りょうさんした[2]。1980年代ねんだいからレンタルビデオによる映画えいが供給きょうきゅう可能かのうとなり、これをけて東映とうえいは、映画えいがかんでの上映じょうえい考慮こうりょせず、ビデオカセットのみで発売はつばいされる作品さくひんとして、東映とうえい子会社こがいしゃ東映とうえいビデオ」から「東映とうえいVシネマ」とばれる多数たすうのヤクザ映画えいが発売はつばいし、成功せいこうをおさめた[出典しゅってん 44]。これをて、大手おおて映画えいが会社かいしゃオリジナルビデオ製作せいさくし、GPミュージアムソフトなど独立どくりつけい追従ついしょうして、オリジナルビデオの制作せいさく会社かいしゃ多数たすう設立せつりつされた[2]哀川あいかわしょう竹内たけうちつとむ松方まつかた弘樹ひろき小沢おざわ仁志ひとし清水しみず健太郎けんたろう中条ちゅうじょうきよしはくりゅう清水しみず宏次こうじろう的場まとば浩司こうじ主演しゅえんの、てい予算よさんヤクザ映画えいが量産りょうさんされ、竹内たけうちつとむ主演しゅえんの『難波なんば金融きんゆうでん・ミナミの帝王ていおう』など「金融きんゆうヤクザ映画えいが」ともぶべきしんジャンルも存在そんざいする[2]。1980年代ねんだい後半こうはんからの北野きたのたけし監督かんとくによる一連いちれんのヤクザ映画えいが評価ひょうかけた[2]

日本にっぽんのヤクザ映画えいが海外かいがいでも注目ちゅうもくあつめ、その影響えいきょうつよけた映画えいが登場とうじょうした。ハリウッドではロバート・ミッチャムが、高倉たかくらけん主演しゅえんの『ザ・ヤクザ』や[45]ブラック・レイン』(1989ねん)を制作せいさく米国べいこく以外いがいではフランスイタリア香港ほんこん台湾たいわん韓国かんこくでヤクザ映画えいが意識いしきした作品さくひん製作せいさくされている。代表だいひょうてき監督かんとくにはクエンティン・タランティーノがいる(キル・ビルなど多数たすう)。

1990年代ねんだい以降いこう[編集へんしゅう]

テレビ放映ほうえいなど[編集へんしゅう]

現在げんざいはレンタルビデオ・DVDでの鑑賞かんしょう中心ちゅうしんだが、かつては「ヤクザ映画えいが」の上映じょうえいとくした映画えいがかんもあった。東京とうきょうでは新宿しんじゅく昭和しょうわかん2002ねん閉館へいかん)・浅草あさくさ名画めいが2012ねん10月閉館へいかん[74])、大阪おおさかしん世界せかい東映とうえいにちげき会館かいかん(2012ねん8がつゲイ映画えいがかん転換てんかん)、神戸こうべ福原ふくはら国際こくさい東映とうえい現在げんざい成人せいじん映画えいが上映じょうえい)などが有名ゆうめいであった。

2006ねん4がつより経済けいざい産業さんぎょうしょう指導しどうCESAコンピュータソフトウェア倫理りんり機構きこう日本にっぽんアミューズメントマシン工業こうぎょう協会きょうかい映倫えいりん管理かんり委員いいんかい日本にっぽんビデオ倫理りんり協会きょうかい映像えいぞうコンテンツ倫理りんり連絡れんらく会議かいぎ仮称かしょう)において審査しんさ基準きじゅん表示ひょうじ一本いっぽん協議きょうぎすることが決定けっていしている。それにともない、年齢ねんれい指定していわる可能かのうせいがある。

沖縄おきなわけんでは1990年代ねんだい前半ぜんはん県内けんないきた暴力団ぼうりょくだん抗争こうそう以後いご、テレビ放送ほうそうならびに上映じょうえい自粛じしゅくしている。東京とうきょうキーきょくでテレビ放送ほうそうされる場合ばあいは、沖縄おきなわのみえられることもすくなくない(とく系列けいれつネットの場合ばあい)。

また暴力団ぼうりょくだん対策たいさくほう以後いご全国ぜんこく地上波ちじょうはテレビにおいてヤクザ映画えいがとくに“実録じつろくシリーズ”)にかんしては、さい放映ほうえいでも放映ほうえいすることがきわめて困難こんなんであるとされ、高倉たかくらけん死去しきょしたさいにも『網走あばしり番外地ばんがいちシリーズとうすうおおくのヤクザ映画えいが出演しゅつえん映像えいぞう放送ほうそうされなかった。菅原すがわら文太ぶんた松方まつかた弘樹ひろき梅宮うめみや辰夫たつお死去しきょさい同様どうようにヤクザ映画えいが出演しゅつえん映像えいぞう一切いっさい放送ほうそうされなかった[75]現在げんざいでは、スポンサーやコンプライアンスの関係かんけいから、テレビにおいてヤクザやヌードげることがタブーとなる傾向けいこうにある。ただ、テレビ東京てれびとうきょうやTOKYO MX、BS / CS放送ほうそうにおいては、ヤクザ映画えいがやロマンポルノが放映ほうえいされる可能かのうせいがある。

21世紀せいき製作せいさくじょうきょう[編集へんしゅう]

1992ねん暴力団ぼうりょくだんいんによる不当ふとう行為こうい防止ぼうしとうかんする法律ほうりつ暴力団ぼうりょくだん対策たいさくほう施行しこう[6]2010ねんぜん都道府県とどうふけん暴力団ぼうりょくだん排除はいじょ条例じょうれい(暴排条例じょうれい)の施行しこうがあり、ヤクザ映画えいが製作せいさく本数ほんすうはめっきりった[6]。ヤクザは警察けいさつによる壊滅かいめつ対象たいしょうとなるばかりで、大衆たいしゅう共感きょうかんあこがれをあつめることはなくなった[6]。『おおかみ』『おおかみ LEVEL2』の紀伊きい宗之むねゆき東映とうえいプロデューサーは、「1980年代ねんだいはいってバブルへとすすなかで、バンカラダサいわれ、恋愛れんあいすることが青春せいしゅんのようにわっていった。時代じだいゆたかになっていくと同時どうじ衰退すいたいしていきました。ヤクザ映画えいがもドロップしていきました。Vシネマというかたちわり、2000年代ねんだいはいってもしばらくはのこっていたけれど、やがてそれもられなくなって、時代じだいのこされていった。映画えいがとしてのクオリティーを担保たんぽできなかったこともあるとおもう。いまわかひとにとってみれば、ヤクザはファンタジー」などとべている[5]

現実げんじつのヤクザの命脈めいみゃく途絶とだえようとしている平成へいせいわりかられいにかけて、『ヤクザと憲法けんぽう』(2016ねん)、『おおかみ』(2018ねん)、『ヤクザと家族かぞく The Family』(2021ねん)、『すばらしき世界せかい』(2021ねん)、『おおかみ LEVEL2』(2021ねん)と5ほんものヤクザを主人公しゅじんこうとする映画えいがられ[2]、いずれも作品さくひんとして内容ないよう評価ひょうかされ、世間せけんげられたことでの注目ちゅうもくあつめてヒットした[出典しゅってん 45]。『ヤクザと憲法けんぽう』は、劇映画げきえいがではなく、ヤクザの生活せいかつ密着みっちゃくし、そのシノギ(稼業かぎょう)をえがいたはじめてといえる異色いしょくドキュメンタリーだった[76]。『おおかみ LEVEL2』は製作せいさくにあたり、多田ただ憲之のりゆき東映とうえい会長かいちょうが「時代じだい風穴かざあなける作品さくひんつくつづけることが東映とうえい使命しめいですので、続編ぞくへん決定けっていいたします」とコメントした[77]白石しらいし和彌かずや監督かんとくは「むかし本物ほんもののヤクザから色々いろいろけたそうですが、いまけない。それこそもう『仁義じんぎなきたたかい』をてくださいになる。時代じだいげきとしてつくっていくものになりつつあります。役者やくしゃみな広島ひろしま言葉ことば怒鳴どないたい、がなりいたいという、あこがれのような気持きもちがあります。いろんな役者やくしゃわたしも『広島ひろしまれてってください』ってわれるんです。刑事けいじやくでオファーするとことわられたりもして。ヤクザやくがいいそうです。たのしいんだとおもいますよ。そこはみな一様いちよういますね。プロデューサーからは『ながらくこういう作品さくひんつくっていない。とにかくあばたおしてほしい』とわれました。『韓国かんこく映画えいがさきかれているので、尻尾しっぽをつかんでほしい』とわれました」などとべている[出典しゅってん 46]。『ヤクザと家族かぞく The Family』では、もとヤクザの作家さっか沖田おきた臥竜がりょう監修かんしゅうつとめた[78]。『すばらしき世界せかい』の西川にしかわ美和みわ監督かんとくは、「日本にっぽんのヤクザ映画えいがは1つのジャンルになっていますが、いまはヤクザ映画えいがエンターテイメントとしててきたカタルシス通用つうようしなくなっています。脚本きゃくほんくうえで、日本にっぽんのヤクザ映画えいが直接的ちょくせつてき参照さんしょうはしていません」などとべている[79]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

  • 佐藤さとう忠男ただおは「日本にっぽん映画えいが大正たいしょう初期しょきからにん映画えいが流行りゅうこう直前ちょくぜんまで、つくられる映画えいが半数はんすうちかくが時代じだいげきだったが、にん映画えいが流行りゅうこうとともに時代じだいげきせんもんのスターやスタッフはこぞってこれにうつり、そしてその流行りゅうこうわったときには、一部いちぶのリアリズムけい時代じだいげきべつとして、チャンバラをおもにした大衆たいしゅう時代じだいげきはもう復活ふっかつしなかった。つまりにん映画えいがは、大衆たいしゅう時代じだいげきえてゆくまえ最後さいごにもあざやかな大輪たいりん花火はなびのようなものであった。たんなる暴力団ぼうりょくだんとは一線いっせんかくした、やくざではあっても非道ひどうなことはしない、義理ぎり人情にんじょうにあついいいおとこたちとおんなたち。権力けんりょくびて非道ひどうなことをする新興しんこう暴力団ぼうりょくだんとはきびしく対立たいりつして、“よわきをたすけ、きょうきをくじく”にん俠道にきようとする高倉たかくらけん鶴田つるた浩二こうじふじ純子じゅんこの俠客たち。かれらがさわやかな表情ひょうじょう死地しちんでゆく姿すがたの、その恰好かっこうさとさびしさと悲愴ひそうさ。それらは、それ以前いぜん東映とうえい時代じだいげきのメインのながれだった清水次郎長しみずのじろちょうもの一心いっしん太助たすけもの、『旗本はたもと退屈たいくつおとこ』などの、あくまで陽気ようきなおまつさわ気分きぶんとはちがって、ゆめのようにたのしくうつくしかったひとつの世界せかいがいまやえてうしなわれてゆく、というかんちていた。えてゆくのはなにか。義理ぎり人情にんじょうむすびつきか、親分おやぶん子分こぶんの、それなしにはこのやみだとおもえるようなあつしんきずなか。いずれにしろそこには、きたるべきグローバリゼーション時代じだいにはどうなるかわからないふる人情にんじょうさをしむ気持きもちがあふれていた。にん映画えいがくらい、日本人にっぽんじん立居たちいふるまいを折目おりめただしくえがいたものはない。高倉たかくらけん鶴田つるた浩二こうじふじ純子じゅんこ池部いけべりょうも、着物きものうつくしくえるための、すっくとった姿勢しせいさにほれぼれとさせる。とくにどの作品さくひんにもあるみに場面ばめん。それは西洋せいようのやたらあたまたかくするばしかたとはちがう。またサムライりゅう左様さようしからばとかしこまったのともちがう。かたちからをそっといたような、謙虚けんきょ自然体しぜんたいである。けんかたひじをろうとする気持きもちと、所詮しょせん自分じぶんはやくざなのだとへりくだ気持きもちとのごうあいだに、あの姿勢しせいりたつ。やくざ映画えいが、とっても、そこには時代じだい転換期てんかんき社会しゃかい転換期てんかんきゆめ真実しんじつあざやかにきざまれていたのだ」などとろんじている[3]
  • 菅原すがわら文太ぶんたは、1976ねん川本かわもと三郎さぶろうとの対談たいだん[80]で「テレビが出来できてから活動かつどうはそれにかって映画えいが独自どくじヒーローさがしてきました。テレビと対立たいりつして、ヒーローをつくろうとすると暴力ぼうりょくてき人物じんぶつにいかざるをえなかった。ここなんねん東映とうえい他社たしゃしておきゃくさんに映画えいがとしては支持しじされてきたし、けんさんが代表だいひょうする任侠にんきょう映画えいがの10ねんというのはそうだったとおもうんですけどね。周期しゅうきみじか時代じだいにしては任侠にんきょう映画えいが時代じだいってのは、りとながつづいたろうとおもうんです。まあそういうものがきられた時点じてんで、ぼくなんか『ひと与太よた』なんかでてきたわけなんですけど、もちろんサクさんもぼくも中島なかじま貞夫さだお鈴木すずきのりぶんなんかもそうだけど、そういうものからそうとしたわけです。ぼくなんか任侠にんきょう映画えいがさんぶんいちぐらいは時代じだいとしてはかかわってきたわけですから、そうやって『ひと与太よた』から『仁義じんぎなきたたかい』へきて、まあいま『トラック野郎やろう』をやってる。なにかますますみじかくなってますね。そういう意味いみでのヒーローというのはけんさんでやっぱりわったんだろうとおもうんです、一応いちおうね。またいつの時代じだいけんさんを凌駕りょうがするというか、長谷川はせがわ一夫かずおばんつま大河内おおこうち傳次郎でんじろうから鶴田つるた浩二こうじがれた、そういうヒーロー時代じだいがまたるのかからないけど、いずれにしてもおおきな意味いみでの映画えいがなかのヒーローってのは、ぼくはやっぱりけんさんでわりをげたんだろうとおもいますね」などとべている[81]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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出典しゅってん(リンク)[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]