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アクセプタンス

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受容じゅようから転送てんそう

わたしたちにえられないものをれるしん平穏へいおんあたえてください。
えることのできるものをえる勇気ゆうきあたえてください。
そして、えることのできるものとできないものを見分みわけるかしこさをあたえてください。

ニーバーのいの

人間にんげん心理しんりがくにおけるアクセプタンス(Acceptance)、受容じゅよう(じゅよう)とは、そのひとかれた現実げんじつ状況じょうきょうについて、変化へんか抵抗ていこうしようとせずに、その過程かてい状況じょうきょう理解りかいしようとする姿すがたである。そのおおくはネガティブで不快ふかい状況じょうきょうについての姿勢しせいである。この概念がいねんはacquiescence(黙諾もくだく)に近似きんじしており、これはラテン語らてんごの 'acquiēscere' に由来ゆらいする[1]

アクセプタンスは、様々さまざま信仰しんこう瞑想めいそう世界せかいにおいて顕著けんちょである。たとえば仏教ぶっきょう四諦したいにおいては「すべてのせい(dukkha)である」という真理しんりべられており、人生じんせい本質ほんしつ不満足ふまんぞくであることを受容じゅようするようさとしている[2]。ユダヤきょうカバラというかたりも、アクセプタンスと同意どういである。

マジョリティがわがマイノリティがわ社会しゃかいてき排除はいじょしないであろう社会しゃかいにおいて、マイノリティ集団しゅうだんLGBTなど)はおおくの場合ばあい自分じぶんたちの目標もくひょうを「受容じゅよう」と表現ひょうげんする。一方いっぽう、マジョリティがマイノリティの社会しゃかい参加さんか特定とくてい分野ぶんやのみに限定げんていしている場合ばあい少数しょうすうを「許容きょよう」しているとえるかもしれないが、「受容じゅよう」しているとはえない。

種類しゅるい

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自己じこ受容じゅよう

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自己じこ受容じゅよう(Self-acceptance)とは、あなたがいまかれている状況じょうきょうあいし、満足まんぞくすることである。いまの時点じてん自分じぶんを、評価ひょうか検証けんしょうし、れ、サポートすることを、自分じぶん自身じしん合意ごういすることである。

たとえば、あなたがいまんでいるいえについて問題もんだいがないことを、自分じぶん自身じしんとアクセプタンスすることをかんがえるとする。あなたはおおきないえほっするかもしれないし、しんめた「ゆめいえ」があるのかもしれないが、あなたがいまんでいるちいさないえにも利点りてんがある。だからあなたはいまっているいえ満足まんぞくできるし、また将来しょうらい現実げんじつとしておおきないえゆめることもできる。

自己じこ受容じゅようは、あなたが現実げんじつとのたたかいにまれたことによって、以前いぜん存在そんざいしなかったあたらしい可能かのうせいし、あたらしい人生じんせいみちびくものである。人々ひとびとはモチベーションの欠如けつじょのため、自身じしん受容じゅようすることが困難こんなんである。一部いちぶひとは、自分じぶん自身じしん満足まんぞくしているのなら、人々ひとびと自分じぶん自身じしんのことをえようとしないという誤解ごかいっている。しかしそれはちがう。あなたは自分じぶん自身じしん不満ふまんかんじる必要ひつようはないし、きでないことを積極せっきょくてきえることができるのだ。

社会しゃかいてき受容じゅよう

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臨床りんしょうにおいて

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キューブラー=ロスモデルいた段階だんかい)においては、アクセプタンスはだい5の最終さいしゅう段階だんかいである。

アルコホーリクス・アノニマス(AA)の書籍しょせきにおいては、アルコール依存いぞんしょう治療ちりょうにおいてアクセプタンスが重要じゅうようであることを説明せつめいしている。アルコール依存いぞん患者かんじゃは「かみ世界せかいでは間違まちがいなどはなにこらない」ということを受容じゅようし、かつ患者かんじゃのその状況じょうきょうは「かみあたえられたものである」ということを受容じゅようするまで、患者かんじゃやすらぎをれることはできないとべられている[3]

1. わたしたちはアルコールにたいして無力むりょくであり、おもいどおりにきていけなくなっていたことをみとめた。

信念しんねんにおいて

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イスラム教いすらむきょう礼拝れいはいではアッラーフへの降伏ごうぶくしめ

アクセプタンスは、ほとんどのアブラハムの宗教しゅうきょうにおいて教義きょうぎ中核ちゅうかくてき基本きほんである。イスラームという言葉ことばは、アクセプタンス(acceptance)、降伏ごうぶく(surrender)、自発じはつてきれ(voluntary submission)[4][5]などと翻訳ほんやくすることができ、キリスト教きりすときょうでもナザレのイエス救世主きゅうせいしゅとしてれる。仏教ぶっきょうでもサティ,マインドフルネスといった概念がいねんつ。

宗教しゅうきょう精神療法せいしんりょうほうにおいては、その状況じょうきょう苦痛くつうでありながらも変更へんこう不可能ふかのう場合ばあい、もしくはおおきなリスク・コストをはらってのみ変更へんこう可能かのう場合ばあい、しばしアクセプタンスのみち提案ていあんするであろう。アクセプタンスは、変更へんこう可能かのうせいたいしての外向がいこうてき行動こうどうてきなチャレンジの放棄ほうき意味いみするだけでなく、かんかた仮説かせつ認知にんち感情かんじょう状態じょうたいなどにたいしてももちいられる。

キリスト教徒きりすときょうと信仰しんこうは、その出来事できごと道徳どうとくてき正義まさよし適切てきせつかについて同意どういすることなく、現実げんじつれることを特徴とくちょうとする。イスラム教いすらむきょうにおいてはアッラー高位こうい存在そんざいとしてれるてんについて、キリストきょう類似るいじしている。ユダヤきょうにおいても613のミツワー戒律かいりつ)において、充実じゅうじつした人生じんせいおくるための手法しゅほうとしておなじような教義きょうぎとなっている(Mcdowell and Stewart, 1983)。

上記じょうき記述きじゅつにおいて、キリストきょう道徳どうとくてき側面そくめんてられており、かみあたえた試練しれんとして苦難くなんえる思想しそうについての誤解ごかい見受みうけられる。

信念しんねん(Brief)とアクセプタンスはかさなりえるが、しかしそれは非常ひじょう多様たよう形態けいたいである。心情しんじょうひとつとしてのアクセプタンスは、自身じしん人生じんせい設計せっけい目標もくひょうてるにおいて重要じゅうよう要素ようそである。それはのこるのに必要ひつようなだけでなく、日常にちじょう人間にんげん関係かんけいにおいて活用かつようされる道具どうぐである。一人ひとり人間にんげんかれ友人ゆうじんかられられることは、個人こじん自尊心じそんしん幸福こうふく影響えいきょうすることがしめされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Acquiesce - Define Acquiesce at Dictionary.com”. Dictionary.com. 2017ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ せいなり、ろうなり、やまいなり、なり」はつてん法輪ほうりん, みなみでん大蔵経だいぞうきょう
  3. ^ Dr Paul O, "The big book of Alcoholics Anonymous" P449, 3rd ed or P417, 4th ed.
  4. ^ Lewis, Bernard Ellis; Churchill, Buntzie Ellis (2009). Islam: The Religion and the People. Pearson Education Inc.. p. 8. https://books.google.com/books?id=IVyMAvW9slYC&pg=PA8&dq=surrender+to+will+of+God+islam#v=onepage&q=surrender%20to%20will%20of%20God%20islam&f=false 
  5. ^ admin. “What does ISLAM mean?”. The Friday Journal. qaem.org. 2011ねん3がつ14にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2012ねん4がつ13にち閲覧えつらん

文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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