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国立こくりつがん研究けんきゅうセンター

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国立こくりつがんセンターから転送てんそう
国立こくりつ研究けんきゅう開発かいはつ法人ほうじん国立こくりつがん研究けんきゅうセンター
前身ぜんしん 国立こくりつがんセンター
設立せつりつ 2010ねん4がつ1にち
種類しゅるい 国立こくりつ研究けんきゅう開発かいはつ法人ほうじん
法人ほうじん番号ばんごう 6010005015219 ウィキデータを編集
所在地しょざいち 東京とうきょう中央ちゅうおう築地つきじ5丁目ちょうめ1ばん1ごう
座標ざひょう 北緯ほくい3539ふん56びょう 東経とうけい13946ふん05びょう / 北緯ほくい35.66556 東経とうけい139.76806 / 35.66556; 139.76806座標ざひょう: 北緯ほくい3539ふん56びょう 東経とうけい13946ふん05びょう / 北緯ほくい35.66556 東経とうけい139.76806 / 35.66556; 139.76806
理事りじちょう ちゅうがまひとし
ウェブサイト https://www.ncc.go.jp/jp/index.html
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国立こくりつがん研究けんきゅうセンター中央ちゅうおう病院びょういん

国立こくりつがん研究けんきゅうセンター
(2018ねん10がつ撮影さつえい
情報じょうほう
英語えいご名称めいしょう National Cancer Center Hospital
標榜ひょうぼう診療しんりょう 内科ないか呼吸こきゅう内科ないか循環じゅんかん内科ないか消化しょうか内科ないか血液けつえき内科ないか緩和かんわケア内科ないか消化しょうか外科げか乳腺にゅうせん外科げか呼吸こきゅう外科げか小児しょうに外科げか整形せいけい外科げか脳神経のうしんけい外科げか形成けいせい外科げか精神せいしん小児科しょうにか皮膚ひふ泌尿器ひにょうき婦人ふじん眼科がんか耳鼻咽喉科じびいんこうか放射線ほうしゃせん麻酔ますい歯科しか歯科しか口腔こうくう外科げか病理びょうり診断しんだん
許可きょか病床びょうしょうすう 578しょう
一般いっぱん病床びょうしょう:578しょう
機能きのう評価ひょうか 一般いっぱん500しょう以上いじょう:Ver5.0
開設かいせつしゃ 国立こくりつ研究けんきゅう開発かいはつ法人ほうじん国立こくりつがん研究けんきゅうセンター
管理かんりしゃ 瀬戸せと 泰之やすゆき中央ちゅうおう病院びょういんちょう
開設かいせつ年月日ねんがっぴ 1962ねん2がつ1にち
所在地しょざいち
104-0045
東京とうきょう中央ちゅうおう築地つきじ丁目ちょうめ1ばん1ごう
位置いち 北緯ほくい3539ふん56びょう 東経とうけい13946ふん05びょう / 北緯ほくい35.66556 東経とうけい139.76806 / 35.66556; 139.76806
医療いりょうけん 中央ちゅうおう
法人ほうじん番号ばんごう 6010005015219 ウィキデータを編集
PJ 医療いりょう機関きかん
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国立こくりつがん研究けんきゅうセンターひがし病院びょういん
情報じょうほう
英語えいご名称めいしょう National Cancer Center Hospital East
前身ぜんしん 国立こくりつかしわ病院びょういん
国立こくりつ療養りょうようしょ松戸まつど病院びょういん
標榜ひょうぼう診療しんりょう 内科ないか精神せいしん呼吸こきゅう内科ないか消化しょうか内科ないか消化しょうか外科げか小児科しょうにか外科げか整形せいけい外科げか形成けいせい外科げか脳神経のうしんけい外科げか呼吸こきゅう外科げか眼科がんか耳鼻咽喉科じびいんこうか、リハビリテーション放射線ほうしゃせん皮膚ひふ泌尿器ひにょうき婦人ふじん歯科しか麻酔ますい病理びょうり診断しんだん
許可きょか病床びょうしょうすう 425しょう
一般いっぱん病床びょうしょう:425しょう
機能きのう評価ひょうか 一般いっぱん200しょう以上いじょう500しょう未満みまん:Ver5.0
開設かいせつしゃ 国立こくりつ研究けんきゅう開発かいはつ法人ほうじん国立こくりつがん研究けんきゅうセンター
管理かんりしゃ 土井どい 俊彦としひこひがし病院びょういんちょう
開設かいせつ年月日ねんがっぴ 1992ねん7がつ1にち[1]
所在地しょざいち
277-8577
千葉ちばけんかしわかしわろく丁目ちょうめ5番地ばんち1
位置いち 北緯ほくい3554ふん04びょう 東経とうけい13956ふん29びょう / 北緯ほくい35.90111 東経とうけい139.94139 / 35.90111; 139.94139
医療いりょうけん ひがしかずら北部ほくぶ
法人ほうじん番号ばんごう 6010005015219 ウィキデータを編集
PJ 医療いりょう機関きかん
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国立こくりつ研究けんきゅう開発かいはつ法人ほうじん国立こくりつがん研究けんきゅうセンター(こくりつがんけんきゅうセンター、英語えいご: National Cancer Center)は、日本にっぽん国立こくりつ研究けんきゅう開発かいはつ法人ほうじん国立こくりつ高度こうど専門せんもん医療いりょう研究けんきゅうセンター(ナショナルセンター)のひとつであり、日本にっぽんにおけるがんせいあつ中核ちゅうかく拠点きょてんとして、がんその悪性あくせいしん生物せいぶつたいする診療しんりょう研究けんきゅう技術ぎじゅつ開発かいはつ治験ちけん調査ちょうさ政策せいさく提言ていげん人材じんざい育成いくせい情報じょうほう提供ていきょうおこなう。

厚生こうせい労働省ろうどうしょう直営ちょくえい施設しせつとう機関きかんであったきゅう国立こくりつがんセンターは、2010ねんからの独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん数々かずかず改革かいかくて、2015ねんから国立こくりつ研究けんきゅう開発かいはつ法人ほうじん移行いこうしている。

国立こくりつがん研究けんきゅうセンターの目的もくてき業務ぎょうむ

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高度こうど専門せんもん医療いりょうかんする研究けんきゅうとうおこな独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじんかんする法律ほうりつだい3じょうだい1こうによると、その目的もくてきは「がんその悪性あくせいしん生物せいぶつかか医療いりょうかんし、調査ちょうさ研究けんきゅうおよび技術ぎじゅつ開発かいはつならびにこれらの業務ぎょうむ密接みっせつ関連かんれんする医療いりょう提供ていきょう技術ぎじゅつしゃ研修けんしゅうなどをおこなうことにより、くに医療いりょう政策せいさくとして、がんその悪性あくせいしん生物せいぶつかんする高度こうどかつ専門せんもんてき医療いりょう向上こうじょうはかり、もって公衆こうしゅう衛生えいせい向上こうじょうおよび増進ぞうしん寄与きよすること」とある。

具体ぐたいてき業務ぎょうむつぎとおりである(どうほうだい13じょう)。

  • がんその悪性あくせいしん生物せいぶつかか医療いりょうかんし、調査ちょうさ研究けんきゅうおよ技術ぎじゅつ開発かいはつおこなう(だい1ごう)。
  • がんその悪性あくせいしん生物せいぶつかか業務ぎょうむ密接みっせつ関連かんれんする医療いりょう提供ていきょうする(だい2ごう)。
  • がんその悪性あくせいしん生物せいぶつかか医療いりょうかんし、技術ぎじゅつしゃ研修けんしゅうおこなう(だい3ごう)。
  • 研修けんしゅうかか成果せいか普及ふきゅうおよ政策せいさく提言ていげんおこなう(だい4ごう)。
  • これらに附帯ふたいする業務ぎょうむおこなう(だい5ごう)。

国立こくりつがんセンターの歴史れきし

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設立せつりつ経緯けいい - 病院びょういん研究所けんきゅうじょ運営うんえいさんしゃ体制たいせい確立かくりつ(1961-62ねん

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東側ひがしがわより

日本にっぽんではだい世界せかい大戦たいせん、それまでの感染かんせんしょうわり悪性あくせいしん生物せいぶつ(がん)による死亡しぼうりつ急速きゅうそく上昇じょうしょうし、1953ねんには死因しいんとなり、その翌年よくねんから全国ぜんこく国立こくりつ大学だいがくにがん診療しんりょう施設しせつもうけられることになった。やがて、そうした各地かくちのがん診療しんりょう施設しせつ拠点きょてんとなる国立こくりつ機関きかん必要ひつようせいがうたわれるようになり、1959ねん厚生省こうせいしょうが「がんセンター」を発表はっぴょうよく1960ねん、「国立こくりつがんセンター設立せつりつ準備じゅんび委員いいんかい」がげられた。当初とうしょ構想こうそうでは、財団ざいだん法人ほうじん癌研究会がんけんきゅうかいがんけん)を吸収きゅうしゅうするかたちでの一本いっぽんかんがえられていたが、設立せつりつ準備じゅんび委員いいんかいでの議論ぎろん結果けっかがんけん並立へいりつするかたちで設立せつりつされることになった。

厚生こうせい大臣だいじんなだ弘吉ひろきち医学いがくかい最高さいこう権威けんい幹部かんぶにすることですぐれた研究けんきゅうしゃあつめるようにし、それまでとちがった病院びょういんスタイルをそうと発案はつあん[2][3]。「センター」という言葉ことばは、なだ内務省ないむしょう若手わかてのとき、欧米おうべい資料しりょう翻訳ほんやくするにたり、訳語やくごつくらず、そのまま「センター」として使つかったのがはじまりで[2]漢字かんじ平仮名ひらがな片仮名かたかなざった看板かんばんなだには感慨かんがいがあった[2]。「センター」という言葉ことばはここからひろ使つかわれるようになった[3]。1961年度ねんど予算よさん建設けんせつ初年度しょねんど運営うんえいなど9おく5せんまんえん計上けいじょうされ、予定よていとなった東京とうきょう中央ちゅうおう築地つきじきゅう海軍かいぐん軍医ぐんい学校がっこう建物たてもの改装かいそうはじまる[注釈ちゅうしゃく 1]初代しょだい総長そうちょうには田宮たみや猛雄たけお日本にっぽん学会がっかい会長かいちょう)がえらばれた。当時とうじ日本にっぽん医師いしかい会長かいちょうでがんセンター設立せつりつ立役者たてやくしゃ一人ひとりであった武見たけみ太郎たろうが、だつ学閥がくばつだつ派閥はばつによる人物じんぶつ本位ほんい人材じんざい起用きよう提言ていげんしており、派閥はばつ中立ちゅうりつてき田宮たみや白羽しらはったのである[4]

田宮たみやは、病院びょういんちょう久留くるまさる大阪大学おおさかだいがくがん研究所けんきゅうじょちょう)を、研究所けんきゅうじょちょう中原なかはら和郎かずおがん研究所けんきゅうじょちょう)を指名しめいし、がんセンターの組織そしきづくりにあたった。このときの組織そしきづくりで特徴とくちょうてきだったのが、武見たけみ太郎たろう見識けんしきによって、病院びょういん研究所けんきゅうじょ有機ゆうきてきにつなぐために、両者りょうしゃのコーディネーターやくとして運営うんえい独立どくりつさせたことである。運営うんえい存在そんざいによって組織そしきない医師いし研究けんきゅうしゃがその本来ほんらい職務しょくむ専念せんねんできるようになり、また、同時どうじ運営うんえいは、全国ぜんこくてきながん対策たいさく中核ちゅうかくとしての機能きのうたすことになった。そして、総長そうちょうは、これら病院びょういん研究所けんきゅうじょ運営うんえいさん組織そしき統轄とうかつするものとして位置いちづけられた(がんセンターのシンボルマークは、病院びょういん研究所けんきゅうじょ運営うんえいひとつの共同きょうどうたいであることを象徴しょうちょうさせたものでもある)。

センター病院びょういん開院かいいん(1962ねん)と黎明れいめい発展はってん(1960年代ねんだい

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当初とうしょ計画けいかく大幅おおはばにずれみ、1962ねん5がつ、センター病院びょういん開院かいいん久留くるが「年増としま芸者げいしゃがお白粉おしろいったくったようだった」[5]かえるように、当時とうじ建物たてもの亀裂きれつはいったかべ雨漏あまもりのする病室びょうしつがあちこちにある、ひどい環境かんきょうであった。また、開院かいいん当初とうしょは、学閥がくばつ無視むしして全国ぜんこく各地かくち大学だいがくから業績ぎょうせき主義しゅぎによって気骨きこつのある医師いしあつめたために[6]、カルテの様式ようしき手術しゅじゅつ方式ほうしきもまちまちであり、たとえば、手術しゅじゅつ場合ばあいは、久留くる院長いんちょう久留くる外科げか方式ほうしき東大とうだいひと東大とうだい方式ほうしき慶応けいおうひと慶応けいおう方式ほうしきといったありさまであった[7]。しかし、やがて、こうした初期しょき混乱こんらんは、「久留くる天皇てんのう」の異名いみょうをとった久留くる院長いんちょう陣頭じんとう指揮しきと、かく分野ぶんやのエキスパートたちの切磋琢磨せっさたくまによってえられていくことになった。とくに、大学だいがく病院びょういんりゅう各科かっか並列へいれつのセクショナリズムをはいし、臓器ぞうき単位たんい横断おうだんてき診療しんりょう体制たいせい確立かくりつされ、かく臓器ぞうき症例しょうれい検討けんとうは、深夜しんやおよぶまで活発かっぱつ議論ぎろんわされた。

また、開院かいいんのもうひとつの混乱こんらんとして、当時とうじそう婦長ふちょう石本いしもとしげる推進すいしんした「こうレベルの看護かんご体制たいせい」にたいする医師いし反発はんぱつげられる。石本いしもとは、がんセンターが通常つうじょう病院びょういんことなり、重症じゅうしょうのがん患者かんじゃかかえており、充実じゅうじつした身体しんたいてき精神せいしんてきケアがようされることから、「たんなる医師いし小間使こまづかいや雑役ざつえきがかりえ」なければならないとかんがえたのである。この構想こうそうは、おおくの医師いし反発はんぱつにあいながらも、着実ちゃくじつ実践じっせんされていくことになった。しかし、病院びょういん職員しょくいん定員ていいんかぎられており、看護かんご体制たいせい充実じゅうじつという理想りそう定員ていいんぞうのない現実げんじつあいだ葛藤かっとうは、今日きょうまでつづいている。

他方たほうで、研究所けんきゅうじょほうでは、研究所けんきゅうじょちょう中原なかはら和郎かずおが、病院びょういん附属ふぞく臨床りんしょう研究所けんきゅうじょといった色彩しきさいつよかった当初とうしょ構想こうそうえ、基礎きそ研究けんきゅう重視じゅうし研究所けんきゅうじょづくりをすすめた。しかも、わか人材じんざいおおく、生化学せいかがく分子ぶんし生物せいぶつ生物せいぶつ物理ぶつり薬理やくり有機ゆうき化学かがく実験じっけん病理びょうりなど分野ぶんや多岐たきにわたっており、病理びょうりはたけ勢力せいりょくつよかった当時とうじがん学会がっかいのなかでは「あんなやりかたで、がん研究けんきゅうなど出来できわけがない。あれは、中原なかはら先生せんせいのホビーだ」[8] というこえもあがっていた。しかし、幅広はばひろ基礎きそ研究けんきゅう土台どだいにした研究所けんきゅうじょは、臨床りんしょう研究けんきゅうではられないすうおおくの国際こくさいてき成果せいかげていくことになった。

開設かいせつ最初さいしょじゅうねんは、がんはいがん早期そうき診断しんだんほう肝硬変かんこうへんかんがん安全あんぜん外科げか手術しゅじゅつほうががんセンターを中心ちゅうしん確立かくりつされ、研究所けんきゅうじょでは動物どうぶつ実験じっけんがんを発生はっせいさせることに成功せいこうするなど、「がんの学問がくもん世界せかいでは、国立こくりつがんセンターの業績ぎょうせき一頭地いっとうちいてかがやいた時代じだいであった」[9]。さらには、1968ねん以後いご、タイ国立こくりつがんセンターの設立せつりつ参画さんかくしたり、1971ねんにはWHO国際こくさいがん情報じょうほうセンターを附設ふせつするなど、国際こくさいてきにも注目ちゅうもく期待きたいあつめるようになった[10]

円熟えんじゅくにおける発展はってん(1970-80年代ねんだい

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ひがし病院びょういん開院かいいん(1992ねん)と中央ちゅうおう病院びょういんしんむね竣工しゅんこう(1998ねん

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1992ねんきゅう国立こくりつかしわ病院びょういんきゅう国立こくりつ療養りょうようしょ松戸まつど病院びょういん統合とうごう移転いてんしてかしわキャンパス(千葉ちばけんかしわ)にひがし病院びょういん開設かいせつ[1]かしわキャンパスにある国立こくりつはつ緩和かんわケア病棟びょうとう[11]、このときにきゅう国立こくりつ療養りょうようしょ松戸まつど病院びょういん開設かいせつされていたターミナルケア病棟びょうとう発展はってんてきいだものである。よく94ねんには、かしわキャンパスに研究所けんきゅうじょ支所ししょ開設かいせつかしわでは、おもはいがん、かんがんを中心ちゅうしんとする難治なんじがんの診断しんだん治療ちりょう研究けんきゅうならびに終末しゅうまつがん患者かんじゃたいする緩和かんわケアの実施じっしまれることになった。さらに、1997ねんには、陽子ようしせん治療ちりょうむね完成かんせいし、世界せかい番目ばんめとなる臨床りんしょう専用せんよう陽子ようしせん治療ちりょう装置そうち設置せっちされた。

このひがし病院びょういんが「国立こくりつ病院びょういんとしてはちょう一流いちりゅう建物たてもの」であったことに触発しょくはつされ、当時とうじバブル経済けいざいした築地つきじキャンパスの病院びょういんについても「世界せかい最高さいこう」のしんむね建設けんせつ計画けいかくされた[12]阿部あべかおる総長そうちょう就任しゅうにんした1994ねんには、基礎きそ工事こうじわっており、そとわく組上くみあげがはじまろうとしていた。阿部あべ設計せっけいしょるや、あまりに現実げんじつてき計画けいかくおどろき、「がった計画けいかくをいかに現実げんじつもどすか」に腐心ふしんすることになった[12]。こうした計画けいかくは、病院びょういんちょう病院びょういん建設けんせつにほとんど関与かんよできず、厚生こうせい労働省ろうどうしょうから出向しゅっこうした役人やくにん中心ちゅうしんとした『運営うんえいきょく』が、民間みんかんくらべて破格はかく建設けんせつ費用ひようをつぎんだためであり(一般いっぱん病院びょういん建設けんせつコストはいちしょうあたりやく3せんまんえんであるのにたいして、センターの場合ばあいは7〜8せんまんえんたっした)、これらの結果けっかどくほうまえ借金しゃっきんは500〜600おくたっしたとされている[13]

こうした状況じょうきょうで、阿部あべ実施じっししたのは、具体ぐたいてきには、当初とうしょきゅうむねしんむねのツインタワー構想こうそう撤回てっかい実体じったいえない臨床りんしょう研究けんきゅうとう2フロア新設しんせつ廃止はいし各部かくぶ重複じゅうふく設備せつび(トイレ、休憩きゅうけいしつなど)の共有きょうゆうなどである。結果けっかとして、1998ねん10がつしんむね竣工しゅんこうされ、1999ねん1がつより「中央ちゅうおう病院びょういん」として診療しんりょう開始かいしした。しんむねでは、HCU計画けいかく治療ちりょうとう、グループ診療しんりょうせいなど、当時とうじ診療しんりょう弊害へいがいをなくすための幾多いくた方策ほうさく実施じっしされた。

また、2000ねんには、厚生こうせい労働省ろうどうしょうが「ミレニアム・ゲノム・プロジェクト」におけるがん研究けんきゅう中枢ちゅうすうとして国立こくりつがんセンターを指定していし、よく2001ねん築地つきじ研究所けんきゅうじょ疾病しっぺいゲノムセンターが設置せっちされ、がんにかんする遺伝子いでんし研究けんきゅう充実じゅうじつはかられている。

官僚かんりょう支配しはいかさなる課題かだい - どくほう前夜ぜんや(- 2010ねん

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1962ねん創立そうりつされて以降いこうカメラ、消化しょうかかんじゅう造影ぞうえいほう気管支きかんしきょう開発かいはつなど世界せかいてき業績ぎょうせきげてきた国立こくりつがんセンターもやがて制度せいど疲労ひろうはじめる。

はじめに、病院びょういん研究所けんきゅうじょをつなぎ両者りょうしゃ補佐ほさするとされた運営うんえい権限けんげん肥大ひだいである。杉村すぎむらたかしがこのてん指摘してきした2002ねん段階だんかいでは、すでに、運営うんえい部長ぶちょうが、がんセンターの現場げんば補佐ほさ代表だいひょうする役割やくわりからはなれ、本省ほんしょう意向いこうたん伝達でんたつするしょくになってしまっていた[14]。この運営うんえい部長ぶちょうは、総長そうちょうぐポジションであり、病院びょういんちょうよりもうえ位置いちしているにもかかわらず、本省ほんしょうから出向しゅっこうした現場げんばらない官僚かんりょうすわっていたからだ。総長そうちょうをはじめセンター幹部かんぶ人事じんじけん厚労省こうろうしょうにぎられているため、運営うんえい部長ぶちょう本省ほんしょう威光いこうをかさに絶大ぜつだい権限けんげんをふるったのである[13]くわえて、看護かんご放射線ほうしゃせん技師ぎし臨床りんしょう検査けんさ技師ぎし事務じむ職員しょくいんについても、その任命にんめいけんしゃ総長そうちょうにありながら、実際じっさい指名しめいしゃ本省ほんしょうになってしまっており、総長そうちょう病院びょういんちょうによるガバナンスが機能きのう不全ふぜんおちいっていた。こうしたガバナンスの不在ふざいは、病院びょういん事務じむ職員しょくいんの3,040まんえん横領おうりょう事件じけん麻酔ますい一斉いっせい退職たいしょく数々かずかず週刊しゅうかん沙汰ざたなどとしてあらわれることにもなった。

また、前述ぜんじゅつしたように官僚かんりょう主導しゅどう病棟びょうとう新設しんせつによる莫大ばくだい借金しゃっきん(600おく)の存在そんざい重荷おもにとなった。くに特別とくべつ会計かいけいからのれで金利きんりは4-5%で、返済へんさい期間きかんは25ねん年間ねんかん診療しんりょう報酬ほうしゅう収入しゅうにゅう250おくえんたいして、この借金しゃっきん利息りそくだけでも30おくえんついやしてしまうありさまであった[13]。そして、そのしわせは現場げんばおよび、レジデント、リサーチレジデントの劣悪れつあく就労しゅうろう環境かんきょう医師いしやく半数はんすう非常勤ひじょうきん手取てどりの月給げっきゅうが20まんえんほど)ならびに臨時りんじ職員しょくいんなど、人件じんけん節約せつやくによる収支しゅうしあわせのみをかんがえた経営けいえい姿勢しせいすす[14]研究けんきゅう業績ぎょうせき低迷ていめいなどとなってあらわれることになった[14]

どくほうまえ病院びょういんちょうであった土屋つちやりょうかい当時とうじ発言はつげんりれば、「日本にっぽん代表だいひょうするがんの臨床りんしょう現場げんばであり、専門せんもんがそろったこのセンターで、いま必要ひつようとされているのは、現場げんば自主じしゅ独立どくりつだ。官僚かんりょう管理かんりだっしないかぎり、世界せかいしてやっていけるはずがない」状況じょうきょうにあった[13]

独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん国立こくりつがん研究けんきゅうセンターの歴史れきし

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国立こくりつ高度こうど専門せんもん医療いりょうセンターひとしのぞ国立こくりつ病院びょういん療養りょうようしょは2004ねんから独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん国立こくりつ病院びょういん機構きこう移行いこうしていたが、国立こくりつがんセンターは厚生こうせい労働省ろうどうしょう直営ちょくえい施設しせつとう機関きかんとしてそのままのこされていた。2010ねん4がつ1にち国立こくりつ高度こうど専門せんもん医療いりょうセンターのかく組織そしき独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん移行いこうし、国立こくりつがんセンターは独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん国立こくりつがん研究けんきゅうセンターに改称かいしょうされることになった。

どくほうねらい - 全国ぜんこく公団こうだん特殊とくしゅ法人ほうじん改革かいかく先鞭せんべんとして

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2009ねん11がつまつ行政ぎょうせい改革かいかく一環いっかんとしてどくほうナショナルセンターのありかた検討けんとうするため、仙谷せんごく由人よしと行政ぎょうせい刷新さっしんしょう主宰しゅさいする「独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじんガバナンス検討けんとうチーム」が発足ほっそくし、12月に報告ほうこくしょをまとめ、国立こくりつがん研究けんきゅうセンターと国立こくりつ循環じゅんかんびょう研究けんきゅうセンター理事りじちょう公募こうぼおこなわれることになった。この公募こうぼたいしては、当時とうじ総長そうちょう廣橋ひろはしせつゆうふくめて5にん応募おうぼがあったが、選考せんこう委員いいんかいによる選考せんこう結果けっか国立こくりつがん研究けんきゅうセンターの初代しょだい理事りじちょう予定よていしゃには、山形大学やまがただいがく医学部いがくぶおよび附属ふぞく病院びょういん改革かいかくせていた嘉山かやま孝正たかまさえらばれた[15]

しかし、嘉山かやまは、当初とうしょ各界かくかいから理事りじちょう公募こうぼへの要請ようせいけていたものの、山形大学やまがただいがく改革かいかく、および全国ぜんこく医学いがく部長ぶちょう病院びょういんちょう会議かいぎ国立こくりつ大学だいがく医学いがく部長ぶちょう病院びょういんちょう会議かいぎ立場たちばからんできた日本にっぽん教育きょういく改革かいかく途上とじょうにあったこと、さらには、「がんセンターの役割やくわり必要ひつようせい疑問ぎもんっていた」ことから固辞こじしていた。しかし、最終さいしゅうてきには、「理事りじちょう就任しゅうにん要請ようせいしたほうの、『国立こくりつがんセンターのどくほう改革かいかくは、たんにセンターだけにとどまらず、全国ぜんこく各地かくちにある公団こうだん特殊とくしゅ法人ほうじんとう改革かいかく先鞭せんべんけるものだ』との一言ひとこと決断けつだん」することになったのである[16]

また、この結果けっかけて3がつには中央ちゅうおう病院びょういんちょう土屋つちやりょうかい辞意じい表明ひょうめいしたため[17]嘉山かやま中央ちゅうおう病院びょういんちょう併任へいにんすることになった。

初代しょだい理事りじちょう嘉山かやま孝正たかまさのもとでの改革かいかく(2010年度ねんど - 2011年度ねんど

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2010ねん4がつ1にちしん理事りじちょうとして嘉山かやま着任ちゃくにんすると、まずは、改革かいかくすすかたとして組織そしき改革かいかく重点じゅうてんき、「一切いっさい先入観せんにゅうかんをもたず、すべて白紙はくしいちからおこないます。利権りけん縁故えんこ一切いっさい排除はいじょし、大学だいがく教授きょうじゅ選考せんこう同様どうよう厳正げんせい決定けっていし」、責任せきにん所在しょざい明確めいかくしたうえで、「いまいる職員しょくいんのモチベーションをたかめ、いかに仕事しごとをしてもらうかをだいいちかんがえ」ることを明言めいげん[18]同日どうじつつげのなかでは、「世界せかいトップ10〜20のがん研究けんきゅう医療いりょう展開てんかい」や「正規せいき職員しょくいん増員ぞういん職員しょくいん福利ふくり厚生こうせい向上こうじょう」などの基本きほんてきプリンシプルがしめされた[19]

そして、どくほう2かげつあいだで、診療しんりょう体制たいせい抜本ばっぽんてき見直みなおし、各種かくしゅ委員いいんかい組織そしき再編さいへん統合とうごう病院びょういん研究所けんきゅうじょ連結れんけつ)、治験ちけん実施じっしじょうきょう治療ちりょう成績せいせき公開こうかい、「がん対話たいわ外来がいらい」の設置せっち総合そうごう内科ないか新設しんせつ、レジデントの処遇しょぐう改善かいぜん東京大学とうきょうだいがくとの連携れんけい大学院だいがくいん構想こうそうなど「新生しんせいNCC」のみがすすめられるとともに、「世界せかい最高さいこう医療いりょう研究けんきゅうおこなう」、「患者かんじゃ目線めせん政策せいさく立案りつあんおこなう」とする理念りねんと「がん難民なんみんをつくらない」などの使命しめい発表はっぴょうされた[20]

こうしたみの成果せいか着実ちゃくじつられ、たとえば、2010ねん10がつ総合そうごう内科ないか設置せっちによって、これまでのがんセンターではることのできなかった合併症がっぺいしょうかかえるがん患者かんじゃにも対応たいおうできるようになり、「がん相談そうだん対話たいわ外来がいらい」については利用りようしゃのほぼすべてのほう満足まんぞくしているという結果けっかられている [1]経営けいえい改善かいぜんについても、2010ねん4がつから6がつまでの決算けっさん当初とうしょ計画けいかくくらべて17おくえんほど収支しゅうし改善かいぜんられ、これらを財源ざいげんとして、事務じむ職員しょくいん常勤じょうきんによる専門せんもんしょくによる管理かんり運営うんえい部門ぶもん強化きょうかにもつとめている[21]。さらに、ドラッグラグ解消かいしょう目指めざして、全国ぜんこく377のがん診療しんりょう連携れんけい拠点きょてん病院びょういんをとりまとめ、がん治療ちりょうやく治験ちけん共同きょうどう実施じっしおこな枠組わくぐみを整備せいびしている(2011ねん1がつより実施じっし[22]

研究けんきゅうめんでの改革かいかくは、病院びょういん研究けんきゅうセンターの連携れんけいふかめるために、2011ねん2がつから「リサーチカンファレンス」を開始かいし病院びょういん研究所けんきゅうじょ双方そうほうのスタッフが参加さんかし、闊達かったつ議論ぎろんをたたかわせるカンファレンスをつき1かい開催かいさいし、臨床りんしょう研究けんきゅう連携れんけい強化きょうかするとともに研究けんきゅう成果せいか検証けんしょうおこなっている[23]。2011ねん5がつからは、中央ちゅうおう病院びょういんひがし病院びょういんにおいて「バイオバンク(検体けんたいバンク)」を試験しけんてき実施じっしあきから本格ほんかくてき稼働かどうはいった[24]。さらに、島津製作所しまづせいさくしょ[25] をはじめかく企業きぎょう包括ほうかつ同意どういむすび、企業きぎょうとの連携れんけい強化きょうかするとともに、産官学さんかんがく連携れんけいするしん研究けんきゅうとう整備せいびはいっている。さんかん連携れんけいでは、すでに、CICSと世界せかいはつ病院びょういん設置せっちがた加速器かそくきによるホウ素ほうそ中性子ちゅうせいし捕捉ほそく療法りょうほうかんする共同きょうどう研究けんきゅうはじまっている[26]

教育きょういくめんでは、「築地つきじユニバーシティー」「築地つきじ学会がっかい総会そうかい」などがスタートし院内いんない教育きょういく体制たいせい整備せいびすすみ、2012年度ねんどからは、慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく順天堂大学じゅんてんどうだいがくとの連携れんけい大学院だいがくいん制度せいど開始かいし。これによって、レジデントがセンターにせききながら医学いがく博士はかせごう取得しゅとくできるようになった[27][28]

また、人事じんじめんでは、どくほう以前いぜん中央ちゅうおう官庁かんちょう国立こくりつ病院びょういん機構きこうとの「まわ人事じんじ」が、どくほうすぐの中央ちゅうおう病院びょういん看護かんご部長ぶちょう異動いどう辞令じれいにとりやめられた。採用さいよう公募こうぼせいるようになり、11年度ねんど新卒しんそつ採用さいよう事務じむ職員しょくいん公募こうぼには定員ていいん8めいたいして800にん応募おうぼがあった。さらに、後述こうじゅつ経営けいえい改善かいぜんにより、2010年度ねんどちゅうやく150にん常勤じょうきん職員しょくいん採用さいようされ、派遣はけん委託いたく職員しょくいん削減さくげん処遇しょぐう改善かいぜんがなされたことで職員しょくいんのモチベーションがたかまった(就任しゅうにんまえ不足ふそく問題もんだいになった麻酔ますいも10にんから15にん増加ぞうか[23]

具体ぐたいてき処遇しょぐう改善かいぜんは、派遣はけん委託いたく職員しょくいん常勤じょうきんのほかに、レジデントの処遇しょぐう改善かいぜん(2009年度ねんど年収ねんしゅう350まんえん程度ていどを、550まんえん以上いじょうに)、がん相談そうだん対話たいわ外来がいらい手当てあて創設そうせつ(1かい5000えん)、かんてき処置しょちでリスクのたか業務ぎょうむたいする危険きけん手当てあて創設そうせつ診療しんりょう報酬ほうしゅう一定いってい割合わりあい医師いし還元かんげん)、ガバナンス手当てあて創設そうせつちょうふくちょう対象たいしょうつき3まんえん)、夜間やかん看護かんご手当てあてとう改定かいてい(7600えんから1まんえんに)、専門せんもん薬剤師やくざいし手当てあて創設そうせつつき5000えん)がげられる[29]

そして、これらの改革かいかくすすんだことで経営けいえいめんでも大幅おおはば改善かいぜんせ、全身ぜんしん麻酔ますい手術しゅじゅつ件数けんすう病床びょうしょう稼働かどうりつがいずれもやく5%増加ぞうかするなど、2010年度ねんど経常けいじょう利益りえきは29.6おくえん目標もくひょうは3.1おくえん)、経常けいじょう収支しゅうし比率ひりつは107.2%にたっした[29]どくほう1ねんナショナルセンターたいする厚生こうせい労働省ろうどうしょうどくほう評価ひょうか委員いいんかい高度こうど専門せんもん医療いりょう研究けんきゅう部会ぶかい座長ざちょう永井ながい良三りょうぞう)の業務ぎょうむ実績じっせき評価ひょうかでは、6ナショナルセンターのなかでトップとなった[30]

堀田ほった理事りじちょう時代じだいみ(2012年度ねんど - 2015年度ねんど

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2012ねん4がつ理事りじちょうについた堀田ほったともこうは、「最先端さいせんたんのがん研究けんきゅうやがん医療いりょういどむ」ことにくわえて、がん患者かんじゃ人生じんせいそのものを見据みすえた治療ちりょうむとの方針ほうしんかかげ、「がんサバイバーシップ支援しえん研究けんきゅう」を発足ほっそくさせた。研究けんきゅうでは、がんサバイバーシップかんする研究けんきゅう社会しゃかい啓発けいはつ人材じんざい育成いくせいの3つのみをおこなうことになった[31]

2015ねん9がつ9にち国立こくりつがん研究けんきゅうセンターは、日本にっぽんはつのがん免疫めんえき治療ちりょうやく開発かいはつ目指めざすノイルイミューン・バイオテック(株)かぶしきがいしゃを、どうセンターはつベンチャーとして認定にんていした[32]

2016ねん1がつ11にち堀田ほったともこう理事りじちょう免疫めんえき療法りょうほうについて「免疫めんえき療法りょうほうについてはほんがんけんでは得意とくいではなかったため、人材じんざい外部がいぶからあつめて研究けんきゅう開発かいはつすすめたい。免疫めんえき療法りょうほうつぎのブレークスルーになる」とべた[33]

2017ねん4がつ10日とおか国立こくりつがん研究けんきゅうセンターは、学校がっこう法人ほうじん慶應義塾けいおうぎじゅく山形やまがたけん鶴岡つるおか協定きょうてい締結ていけつ鶴岡つるおかにある慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく先端せんたん生命せいめい科学かがく研究所けんきゅうじょ連携れんけいしていくために、同市どうし先端せんたん研究けんきゅう産業さんぎょう支援しえんセンターに「がんメタボロミクス研究けんきゅうしつ」を開所かいしょした[34]

沿革えんかく

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  • 1962ねん 2がつ1にち 東京とうきょう中央ちゅうおう築地つきじ国立こくりつがんセンター設立せつりつ
  • 1992ねん 7がつ1にち きゅう国立こくりつかしわ病院びょういんきゅう国立こくりつ療養りょうようしょ松戸まつど病院びょういん統廃合とうはいごうかしわキャンパスにひがし病院びょういん開設かいせつ[1]築地つきじキャンパスの病院びょういん中央ちゅうおう病院びょういんとなる
  • 1993ねん かしわキャンパスに研究所けんきゅうじょ支所ししょ開設かいせつげん臨床りんしょう開発かいはつセンター)
  • 1999ねん 中央ちゅうおう病院びょういんしんむね完成かんせい
  • 2005ねん 臨床りんしょう開発かいはつセンター発足ほっそくかしわキャンパス)
  • 2006ねん がん対策たいさく情報じょうほうセンター発足ほっそく
  • 2010ねん4がつ1にち 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん国立こくりつがん研究けんきゅうセンターとなる
  • 2014ねん6月1にち 希少きしょうがんセンター発足ほっそく
  • 2015ねん4がつ1にち 国立こくりつ研究けんきゅう開発かいはつ法人ほうじん移行いこう国立こくりつ研究けんきゅう開発かいはつ法人ほうじん国立こくりつがん研究けんきゅうセンターとなる。臨床りんしょう開発かいはつセンターが先端せんたん医療いりょう開発かいはつセンターに改組かいそ
  • 2016ねん1がつ1にち がん予防よぼう検診けんしん研究けんきゅうセンターが改組かいそされ社会しゃかい健康けんこう研究けんきゅうセンターとなる

組織そしき

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りょう病院びょういん臨床りんしょう研究けんきゅう中核ちゅうかく病院びょういん指定していされている[35]

中央ちゅうおう病院びょういん築地つきじ

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ひがし病院びょういんかしわ

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先端せんたん医療いりょう開発かいはつセンター

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社会しゃかい健康けんこう研究けんきゅうセンター(築地つきじ

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2016ねん1がつより、がん予防よぼう検診けんしん研究けんきゅうセンターが改組かいそされ、社会しゃかい健康けんこう研究けんきゅうセンターとなった。

世界せかい保健ほけん機関きかんにより、1970ねんに「がんのだいいち予防よぼう診断しんだん治療ちりょう」の、また1981ねんには「喫煙きつえん健康けんこう」の、かく指定してい研究けんきゅう協力きょうりょくセンターに指定していされている。

がん対策たいさく情報じょうほうセンター(築地つきじ

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2006ねん設立せつりつされ、「がん情報じょうほうサービス」などの信頼しんらいのできるがん情報じょうほう発信はっしんがん登録とうろく院内いんないがん登録とうろく全国ぜんこくがん登録とうろく)をはじめとする各種かくしゅがん統計とうけいをとりまとめるなど、くに都道府県とどうふけん病院びょういんはじめとした様々さまざまなレベルにおけるがん対策たいさく情報じょうほうめんから支援しえんする役割やくわりになっている。

研究所けんきゅうじょ

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疾病しっぺいゲノムセンター

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企画きかく戦略せんりゃくきょく

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幹部かんぶ職員しょくいん

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歴代れきだい総長そうちょう

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カッコないまえしょくなど

歴代れきだい理事りじちょう

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費用ひよう負担ふたん

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  • 中央ちゅうおう病院びょういんでは、先進せんしん医療いりょうとして、以下いか医療いりょうおこなっている。
    • CTガイド気管支きかんしきょう検査けんさはい腫瘍しゅようかかるものにかぎる。)
    • 腫瘍しゅようせいこつ病変びょうへんおよ骨粗鬆症こつそしょうしょうともなほね脆弱ぜいじゃくせい病変びょうへんたいするけいがわてきほね形成けいせいじゅつ転移てんいせい脊椎せきついこつ腫瘍しゅよう骨粗鬆症こつそしょうしょうによる脊椎せきつい骨折こっせつまた難治なんじせい疼痛とうつうともなしいたい圧迫あっぱく骨折こっせつしくはうすぶた骨折こっせつかかるものにかぎる。)
    • 悪性あくせい黒色こくしょくしゅにおけるセンチネルリンパぶし同定どうてい転移てんい検索けんさく
    • にゅうがんにおけるセンチネルリンパぶし同定どうてい転移てんい検索けんさく
    • 胸部きょうぶ悪性あくせい腫瘍しゅようたいするラジオ焼灼しょうしゃく療法りょうほうはいがん(従来じゅうらい外科げかてき治療ちりょうほう実施じっし困難こんなんなものまた外科げかてき治療ちりょうほう実施じっしにより根治こんじせい期待きたいできないものにかぎる。))
    • 胸部きょうぶ悪性あくせい腫瘍しゅようたいするラジオ焼灼しょうしゃく療法りょうほうにゅうがん(従来じゅうらい外科げかてき治療ちりょうほう実施じっし困難こんなんなものまた外科げかてき治療ちりょうほう実施じっしにより根治こんじせい期待きたいできないものにかぎる。)
    • じん悪性あくせい腫瘍しゅようたいするラジオ焼灼しょうしゃく療法りょうほうじん悪性あくせい腫瘍しゅよう従来じゅうらい外科げかてき治療ちりょうほう実施じっし困難こんなんなものまた外科げかてき治療ちりょうほう実施じっしにより根治こんじせい期待きたいできないものにかぎる。)
    • ほね腫瘍しゅようのCT透視とうしガイドけいがわてきラジオ焼灼しょうしゃく療法りょうほう転移てんいせいこつ腫瘍しゅよう既存きそん治療ちりょうほうにより制御せいぎょ不良ふりょうなものにかぎる。)
  • ひがし病院びょういんでは、先進せんしん医療いりょうとして、以下いか医療いりょうおこなっている。
    • 悪性あくせい腫瘍しゅようたいする陽子ようしせん治療ちりょう固形こけいがんにかかるものにかぎる。)
    • こうEGFR抗体こうたい医薬いやく投与とうよまえにおけるKRAS遺伝子いでんし変異へんい検査けんさ(EGFR陽性ようせい治癒ちゆ切除せつじょ不能ふのう進行しんこうまた再発さいはつ結腸けっちょうまた直腸ちょくちょうがんにかかるものにかぎる。)

新型しんがたコロナウイルス感染かんせん

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  • 2020ねん4がつ1にち都内とないでの新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしゃが78にん確認かくにんされ、うち2にん国立こくりつがん研究けんきゅうセンター中央ちゅうおう病院びょういん女性じょせい看護かんご男性だんせい医師いしだった。医師いし外来がいらい診療しんりょう担当たんとうから、病院びょういん一部いちぶのぞき、当面とうめん外来がいらい入院にゅういん患者かんじゃれを中止ちゅうしする[37]。2020ねん4がつ14にち患者かんじゃれが再開さいかいされた。[38]

交通こうつうアクセス

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不祥事ふしょうじ

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  • 2022ねん10がつ5にち放射線ほうしゃせん医療いりょう機器きき新規しんき調達ちょうたつめぐり、便宜べんぎはかった謝礼しゃれいとして業者ぎょうしゃからタブレット端末たんまつなどけいやく97まんえん相当そうとう物品ぶっぴんったとして、中央ちゅうおう病院びょういん放射線ほうしゃせん技術ぎじゅつ部長ぶちょう収賄しゅうわいうたがいで逮捕たいほされた[39]。10月26にちおな業者ぎょうしゃからべつ謝礼しゃれいとしてタブレット端末たんまつなどけい180まんえんちょう物品ぶっぴんったとしてさい逮捕たいほされた[40]。2023ねん8がつ収賄しゅうわいざい懲役ちょうえき2ねん執行しっこう猶予ゆうよ4ねん追徴金ついちょうきんやく163まんえん、タブレットとう没収ぼっしゅう判決はんけつ確定かくてい[41]。センターはぜん部長ぶちょうを9月8にちづけ懲戒ちょうかい解雇かいこ処分しょぶんとした[41][42]
  • 2023ねん9がつ21にち国立こくりつがん研究けんきゅうセンターひがし病院びょういんもと医長いちょう在職ざいしょくちゅう医療いりょう機器ききメーカーがわ便宜べんぎはか見返みかえりに賄賂わいろっていたとして、収賄しゅうわい容疑ようぎ逮捕たいほされた。また、医療いりょう機器ききメーカーのゼオンメディカル(日本にっぽんゼオン子会社こがいしゃ)のぜん社長しゃちょう贈賄ぞうわい容疑ようぎ逮捕たいほされた[43]逮捕たいほ容疑ようぎは、肝胆かんたん膵内医長いちょうだった2021ねん5がつ、ゼオンメディカルが販売はんばいするステント他社たしゃ製品せいひんより優先ゆうせんてき治療ちりょう使つかうなどの便宜べんぎはかり、その見返みかえりとして同社どうしゃから現金げんきんやく170まんえん自分じぶん口座こうざませたとしている。警視庁けいしちょうによると、もと医長いちょうとゼオンメディカルはステント使用しようかん有効ゆうこうせいなどを同社どうしゃ報告ほうこくすると同社どうしゃが1ほんごとに1まんえん支払しはら契約けいやくむすび、金銭きんせんのやりとりをしていた。しかし、契約けいやく実態じったいはなく、実質じっしつてき賄賂わいろだったとみられる[44][45]。10月12にち、ほかにもやく150まんえん賄賂わいろったとしてもと医長いちょうさい逮捕たいほされた[46]

エピソード

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  • 柳田やなぎだ邦男くにおの『ガン回廊かいろうあさ』に、ほんセンターの研究けんきゅうしゃ深夜しんや帰宅きたく電車でんしゃ車中しゃちゅうから東京医科歯科大学とうきょういかしかだいがく研究けんきゅうしつ煌々こうこうあかりがともっているのをてショックをけ、その対抗心たいこうしんからほんセンターの研究けんきゅうしゃたち終電しゅうでんぎりぎりまで研究けんきゅうむようになったエピソードがしるされている[47]
  • 一部いちぶ病院びょういんちが原則げんそくてき患者かんじゃ症状しょうじょう本人ほんにんにすべて通知つうちされるとされている[注釈ちゅうしゃく 2]ただしその治療ちりょう方針ほうしんやケアなどは患者かんじゃ医師いしがわ熟慮じゅくりょがなされるという。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 築地つきじ跡地あとち利用りようは、がんけん再建さいけん計画けいかくにもはいっていた。
  2. ^ 佐藤さとうしんうみラッキーガール。

出典しゅってん

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  3. ^ a b 機関きかんじん」 - 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん がん研究けんきゅう振興しんこう財団ざいだん だい17ごう (1982ねん発行はっこう) 、8–14ぺーじ
  4. ^ 武見たけみ(1973)
  5. ^ 国立こくりつがんセンター(1983: 18)
  6. ^ 武見たけみはこのてんについて、「すくなくとも封建ほうけんてき医学いがく世界せかいでは、このような人選じんせん方式ほうしきおおやけ場合ばあいおこなわれたことがなかった」としている(武見たけみ 1973: x)。
  7. ^ 国立こくりつがんセンター(1983: 20)
  8. ^ 国立こくりつがんセンター(1983: 26)
  9. ^ 国立こくりつがんセンター(1992: 35)
  10. ^ 国立こくりつがんセンター(1973: vii)
  11. ^ 国立こくりつ病院びょういんにホスピス病棟びょうとう だいがんセンター 家族かぞくごす工夫くふう”. 朝日新聞あさひしんぶん (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ): p. 朝刊ちょうかん 30. (1990ねん9がつ5にち) 
  12. ^ a b 阿部あべ(2002)
  13. ^ a b c d 瀕死ひんしの「国立こくりつがんセンター」あつろう官僚かんりょうが「倒産とうさん危機きき」にむ」集中しゅうちゅう
  14. ^ a b c 杉村すぎむら(2002)
  15. ^ 厚生こうせい労働省ろうどうしょう独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん国立こくりつがん研究けんきゅうセンター理事りじちょう公募こうぼについて
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  17. ^ わたしは、3月でがんセンター院長いんちょうめます:日経にっけいメディカル オンライン総長そうちょうという神輿しんよがこけた、かつしゅわるべき」- 土屋つちやりょうかい国立こくりつがんセンター中央ちゅうおう病院びょういん院長いんちょうく◆Vol.1|医療いりょう維新いしん - m3.comの医療いりょうコラム(いずれも2010ねん4がつ1にち閲覧えつらん)。
  18. ^ 一切いっさい先入観せんにゅうかんたず白紙はくしから組織そしき改革かいかくいどむ-山形大学やまがただいがく医学いがく部長ぶちょう嘉山かやま孝正たかまさく◆Vol.2」 m3.com 2010ねん2がつ4にち
  19. ^ 嘉山かやましん理事りじちょう職員しょくいん自立じりつ自律じりつ自浄じじょうもとめる 国立こくりつがん研究けんきゅうセンター」『ロハスメディカル』2010ねん4がつ1にち「「自立じりつ自律じりつ自浄じじょうがキーワード」、嘉山かやま孝正たかまさ国立こくりつがん研究けんきゅうセンター理事りじちょう m3.com 2010ねん4がつ5にち「NCどくほう露見ろけんした政治せいじ主導しゅどう可能かのうせい限界げんかい集中しゅうちゅう』2010ねん5がつ6にち
  20. ^ 「「がん難民なんみんはもはやつくらず」、嘉山かやま国立こくりつがん研究けんきゅうセンター理事りじちょう宣言せんげん m3.com 2010ねん6がつ10日とおか
  21. ^ 最初さいしょは“アンビリーバブル”の連続れんぞくだった - 国立こくりつがん研究けんきゅうセンター理事りじちょう嘉山かやま孝正たかまさく◆Vol.1」 m3.com 2010ねん10がつ15にち
  22. ^ 国立こくりつがんセンター:治験ちけん共同きょうどうで 新薬しんやく承認しょうにん迅速じんそく目指めざす」毎日新聞まいにちしんぶん』2010ねん10がつ22にち
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  45. ^ 医療いりょう機器きき「1ほん使つかえば対価たいか1まんえん」…選定せんてい使用しようめぐり170まんえん贈収賄ぞうしゅうわい容疑ようぎ がんけんもと医長いちょう販売はんばい会社かいしゃぜん社長しゃちょう逮捕たいほ. 東京とうきょう新聞しんぶん. (2023ねん9がつ21にち). オリジナルの2023ねん9がつ21にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230921191848/https://www.tokyo-np.co.jp/article/278877 2023ねん9がつ21にち閲覧えつらん 
  46. ^ 総額そうがく320まんえん受領じゅりょうか がんセンター汚職おしょくもと医長いちょうさい逮捕たいほ. 産経新聞さんけいしんぶん. (2022ねん10がつ12にち). https://www.sankei.com/article/20231012-EEHLWZDL6VLABO6OVKIX5KZOZU/ 2023ねん10がつ12にち閲覧えつらん 
  47. ^ 柳田やなぎだ邦男くにお1979『ガン回廊かいろうあさ講談社こうだんしゃ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 阿部あべかおる(2002)「創立そうりつ40周年しゅうねんせて」『国立こくりつがんセンター40周年しゅうねん記念きねん
  • 国立こくりつがんセンター(1973)『国立こくりつがんセンターじゅう周年しゅうねん記念きねん
  • 国立こくりつがんセンター(1983)『国立こくりつがんセンター20周年しゅうねん記念きねん
  • 国立こくりつがんセンター(1992)『国立こくりつがんセンター30周年しゅうねん記念きねん
  • 国立こくりつがんセンター(2002)『国立こくりつがんセンター40周年しゅうねん記念きねん
  • 杉村すぎむらたかし(2002)「国立こくりつがんセンター創立そうりつ40周年しゅうねんによせて」国立こくりつがんセンターへん国立こくりつがんセンター40周年しゅうねん記念きねん
  • 武見たけみ太郎たろう(1973)「国立こくりつがんセンター創立そうりつ当時とうじおも国立こくりつがんセンターへん国立こくりつがんセンターじゅう周年しゅうねん記念きねん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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