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ラテン文字の「Ǝ」とは異なります。 |
∃
存在記号(そんざいきごう、existential quantifier)とは、数理論理学(特に述語論理)において、少なくとも1つのメンバーが述語の特性や関係を満たすことを表す記号である。通常「∃」と表記され、存在量化子(そんざいりょうかし)、存在限量子(そんざいげんりょうし)、存在限定子(そんざいげんていし)などとも呼ばれる。この記号(∃)は1897年にジュゼッペ・ペアノによって導入された[1][2]。
これとは対照的に全称記号は、全てのメンバーについての量化である。
例として、「ある自然数の平方が25である」を表す式を考える。最も素朴な方法として、次のように式を書いていく:
- 0·0 = 25, または 1·1 = 25, または 2·2 = 25, または 3·3 = 25, などなど
これは 「または」を繰り返しているので、一種の論理和となっている。しかし、「などなど」があるため形式論理の論理和であるとは言えない。その代わりに以下のような文を書く:
- ある自然数 について、 である。
これは存在量化(existential quantification)を用いた、形式論理として妥当な単一の文である。
この文は前者の書き方よりも正確である点に注意されたい。前者は「などなど」が全ての自然数を指し、それ以外を含まないことを汲み取れはするが、明確には述べられていない。そのため、形式的表現に変換できない。一方、後者の量化された文では、自然数について明確に言及しているため、解釈の誤りは通常の場合生じない。
5 は自然数のもとで、5 を に代入すると "5·5 = 25" となり、式は真となる。"" が5以外の自然数 で偽となることは関係がない。少なくとも1つの解が存在すれば、存在量化で真となるに十分である。
一方、「ある偶数 について、 である」という文は、偶数の解が存在しないため偽となる。また、「ある奇数 について、 である」という文は、5 が奇数であるため真となる。この事実は変数 が取りうる値の範囲を示す「議論領域(domain of discourse)」が重要であることを示している。
何らかの述語を満たす値だけを議論領域としたい場合、存在量化では論理積を使用すればよい。
例として、「ある奇数 について、 である」という文は「ある自然数 について、 は奇数であり、かつ である」という文と論理的に同値である。この場合、「かつ」は論理積を表している。
数理論理学で存在量化を表す存在記号は ""(サンセリフ体の "E" を裏返した字)で表される。なお、これは英語で存在を意味するexistに由来する[要検証 – ノート]。
故に、 が "" を表す述語で、 が自然数の集合であるとすると、
という論理式が以下の文を表すことになる[4]。
- ある自然数 について、 である。
同様に、 が 「 は偶数である」を表す述語とすると
という論理式が以下の文を表すことになる。
- ある偶数 について、 である。
存在記号の各種記号法は全称記号の項目に参照されたし。
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