(Translated by https://www.hiragana.jp/)
薄田美朝 - Wikipedia コンテンツにスキップ

薄田うすだよしあさ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
薄田うすだよしあさ
すすきだ よしとも
生年月日せいねんがっぴ 1897ねん1がつ16にち
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 秋田あきたけん
ぼつ年月日ねんがっぴ (1963-04-16) 1963ねん4がつ16にち(66さいぼつ
出身しゅっしんこう 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法学部ほうがくぶ法律ほうりつ学科がっかえいほう卒業そつぎょう
ぜんしょく 内務ないむ官僚かんりょう
所属しょぞく政党せいとう自由党じゆうとう→)
自由民主党じゆうみんしゅとう

選挙せんきょ きゅう北海道ほっかいどう1
当選とうせん回数かいすう 3かい
在任ざいにん期間きかん 1952ねん10月1にち - 1953ねん3月14にち
1955ねん2がつ27にち - 1960ねん10月24にち

鹿児島県の旗 官選かんせん だい26だい 鹿児島かごしま県知事けんちじ
在任ざいにん期間きかん 1941ねん10がつ20日はつか - 1943ねん4がつ23にち

群馬県の旗 官選かんせん だい33だい 群馬ぐんま県知事けんちじ
在任ざいにん期間きかん 1940ねん8がつ6にち - 1941ねん10がつ20日はつか
テンプレートを表示ひょうじ

薄田うすだ よしあさ(すすきだ よしとも、1897ねん1がつ16にち - 1963ねん4がつ16にち)は、日本にっぽん内務ないむ官僚かんりょう政治せいじ弁護士べんごし官選かんせん県知事けんちじ警視総監けいしそうかん衆議院しゅうぎいん議員ぎいん

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

秋田あきたけん出身しゅっしん薄田うすだ正美まさみ長男ちょうなんとしてまれる。函館はこだて中学ちゅうがく旧制きゅうせいだい高等こうとう学校がっこうて、1920ねん7がつ東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法学部ほうがくぶ法律ほうりつ学科がっかえいほう)を卒業そつぎょう1919ねん10月、高等こうとう試験しけん行政ぎょうせい試験しけん合格ごうかく。1920ねん7がつ内務省ないむしょうはい大阪おおさかぞくけん警部けいぶとして警察けいさつ特別とくべつ高等こうとう警察けいさつ配属はいぞくされた。

1921ねん11月、香川かがわけん警視けいしとなり警察けいさつ勤務きんむ1923ねん2がつ朝鮮ちょうせん総督そうとくてん総督そうとく官房かんぼう庶務しょむ勤務きんむし、警務けいむきょく異動いどう

1926ねん12月、地方ちほう事務じむかんとして栃木とちぎけんのうしょう課長かちょう就任しゅうにん以後いご内務ないむ事務じむかん警務けいむかん岡山おかやまけん書記官しょきかん警察けいさつちょう長崎ながさきけん書記官しょきかん警察けいさつちょう広島ひろしまけん書記官しょきかん警察けいさつちょう京都きょうと書記官しょきかん警察けいさつちょう警視庁けいしちょう警務けいむ部長ぶちょうなどを歴任れきにん

1937ねん7がつ満州まんしゅうこくてんじ、治安ちあん次長じちょう就任しゅうにん以後いご総務庁そうむちょう参事官さんじかんけん治安ちあん次長じちょう総務庁そうむちょう次長じちょう歴任れきにんし、1940ねん5月に退任たいにんした。

1940ねん8がつ群馬ぐんまけん知事ちじ就任しゅうにん鹿児島かごしまけん知事ちじ就任しゅうにん鹿児島かごしま県知事けんちじ時代じだい1942ねん衆院しゅういんせん鹿児島かごしま2選挙せんきょ無効むこうもとめる裁判さいばん大審院だいしんいん出張しゅっちょう法廷ほうてい証人しょうにんとして出廷しゅっていしている(この裁判さいばん1945ねん3がつ選挙せんきょ無効むこう判決はんけつた)。1943ねん4がつ警視総監けいしそうかんとなる。1944ねん7がつ辞職じしょくし、弁護士べんごしとなる。

戦後せんご1946ねんから1952ねん2がつまで公職こうしょく追放ついほうとなった。留岡とめおかぐみ社長しゃちょうなどをつとめ、1952ねん10月のだい25かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ北海道ほっかいどうだい1自由党じゆうとうから立候補りっこうほ当選とうせん1953ねん4がつだい26かいそう選挙せんきょ落選らくせんしたが、1955ねん2がつだい27かいそう選挙せんきょかえき、1958ねん5月のだい28かいそう選挙せんきょ再選さいせんされ、衆議院しゅうぎいん議員ぎいん通算つうさん3つとめた。1960ねん11月のだい29かいそう選挙せんきょ出馬しゅつばせず引退いんたい。このあいだ北海道開発ほっかいどうかいはつ審議しんぎかい委員いいん地方ちほう制度せいど調査ちょうさかい委員いいん裁判官さいばんかん訴追そつい委員いいん自由党じゆうとう政調せいちょうかい治安ちあん部長ぶちょう自由民主党じゆうみんしゅとう総務そうむなどをつとめた。墓所はかしょ青山あおやま霊園れいえん(1ロ12-1~6)。

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • はたいくへん日本にっぽんきん現代げんだい人物じんぶつ履歴りれき事典じてん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2002ねん
  • 歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかいへん新編しんぺん日本にっぽん歴代れきだい知事ちじ歴代れきだい知事ちじ編纂へんさんかい、1991ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん
  • はたいく彦編『日本にっぽん官僚かんりょうせい総合そうごう事典じてん:1868 - 2000』東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2001ねん
官職かんしょく
先代せんだい
吉永よしなが時次ときじ
日本の旗 警視総監けいしそうかん
だい51だい:1943ねん - 1944ねん
次代じだい
さか信彌しんや
先代せんだい
新居にい善太郎ぜんたろう
鹿児島県の旗 鹿児島かごしま県知事けんちじ
官選かんせんだい26だい:1941ねん - 1943ねん
次代じだい
柴山しばやまひろし
先代せんだい
熊野くまのすぐる
群馬県の旗 群馬ぐんま県知事けんちじ
官選かんせんだい33だい:1940ねん - 1941ねん
次代じだい
村田むらた五郎ごろう