飛行機ひこうき歴史れきし

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レオナルド・ダ・ヴィンチによるフライングマシン(オーニソプター)の設計せっけい(1488ねんごろ

飛行機ひこうき歴史れきし(ひこうきのれきし)について、おおまかな発展はってん状況じょうきょうかく時代じだい象徴しょうちょうする機体きたいについて解説かいせつする。関連かんれんする項目こうもくについては#関連かんれん項目こうもくのセクションを参照さんしょう

機体きたい解説かいせつ凡例はんれい

メーカーめい 機種きしゅめい
説明せつめいぶん

れい

ボーイング 747
はつ飛行ひこうxxとし……

はつ飛行ひこう(1903ねん[編集へんしゅう]

飛行ひこうするライトフライヤー

アメリカライト兄弟きょうだいは、1903ねん12月17にち飛行機ひこうき動力どうりょくそなえたじゅう航空機こうくうき)「ライトフライヤーごう」による世界せかいはつ本格ほんかくてき有人ゆうじん飛行ひこうおこなった。この機体きたいはただんだだけではなく、下記かき技術ぎじゅつてき特徴とくちょうそなえていた[1]

  • みぎひだり主翼しゅよくぎゃく方向ほうこうにねじることにより左右さゆう揚力ようりょくバランスを機体きたいかたむける(バンクさせる)機構きこうそなえた。現在げんざいでは、飛行ひこうちゅう方向ほうこう転換てんかんするさいまずバンクさせるのが当然とうぜんであるが、当時とうじそのことを理解りかい実際じっさい機体きたい構造こうぞう操縦そうじゅう要素ようそとして導入どうにゅうしたのはライト兄弟きょうだいのみだった(この「つばさねじり」はのちエルロンってわられる)。
  • 自作じさく風洞ふうどう試験しけん選定せんていしたつばさがた採用さいようした。
  • 馬力ばりき重量じゅうりょう比率ひりつたかガソリンエンジン採用さいよう(ただし、当時とうじはそのようなエンジンがられていなかったため、兄弟きょうだいによって自作じさくされている。そのかれらは飛行機ひこうきメーカーではなく、エンジンメーカーとして名声めいせいることになる)。
  • 減速げんそく機構きこう採用さいよう。エンジンの回転かいてんはそのままでははやぎるので、プロペラが効率こうりつ推力すいりょく発揮はっきできる回転かいてんすうまで減速げんそくした。しかし減速げんそく機構きこうローラーチェーン使つかったのは不適切ふてきせつであり、その採用さいようされた減速げんそく歯車はぐるましき主体しゅたいである。
  • 木製もくせい骨組ほねぐみ羽布はぶりという軽量けいりょう構造こうぞう
  • 操縦そうじゅうしゃはらばいになっているため、操縦そうじゅうには左右さゆう使つかった。すなわみぎ操縦そうじゅう桿でバンクと旋回せんかいを、左手ひだりて操縦そうじゅう桿で機首きしゅげをおこなった。操縦そうじゅう桿のうごきは金属きんぞくせい操縦そうじゅうさくによってかくつばさめんかじめんつたえられた(人力じんりき操舵そうだ)。

だいいち世界せかい大戦たいせんまで(1904ねん - 1914ねん[編集へんしゅう]

ライト兄弟きょうだい以後いご飛行機ひこうきはよりはやくよりたかくよりとおくへべるよう改良かいりょうつづけられた。また陸上りくじょう飛行場ひこうじょうだけでなく、海面かいめん軍艦ぐんかん甲板かんぱんからも発進はっしんできるようになっていった。この時代じだい機体きたい構造こうぞうはフライヤーごうおなじく木製もくせい骨組ほねぐみ羽布はぶりが主体しゅたいだった。また操縦そうじゅう桿による操縦そうじゅう方法ほうほう現在げんざいおな方式ほうしき統一とういつされていった。

ブレリオ XI
サントス・デュモン
1906ねん10月22にち、ヨーロッパでははつとなる動力どうりょく飛行ひこう成功せいこうした。このためしばらくのあいだ、デュモンが世界せかいはつおもわれていた時代じだいがあった。そのライト兄弟きょうだいがヨーロッパで実演じつえん飛行ひこうおこない、その技術ぎじゅつたかさをしめしている。
ブレリオ XI
1909ねん7がつ25にち世界せかいはじめて英仏海峡えいふつかいきょう横断おうだん飛行ひこうしたフランスの単葉たんよう操縦そうじゅう桿を前後ぜんごたおして機首きしゅげを、左右さゆうかたぶければバンク操作そうさを、また足元あしもとぼうんで旋回せんかいおこなうという、現代げんだいおな操縦そうじゅう方法ほうほう確立かくりつした。最大さいだい速度そくど75 km/
アンリ・ファルマンIII
はつ飛行ひこう1909ねん最大さいだい速度そくど60 km/世界せかいはじめて2めい乗客じょうきゃくせてんだフランスの複葉ふくよう
1910ねん12月19にち徳川とくがわ好敏よしとく大尉たいい日本にっぽんはじめての動力どうりょく飛行ひこうおこなったさい使用しようされた機体きたいでもある。
カーチス モデルD(カーチス ゴールデンフライヤー)
はつ飛行ひこう1909ねん最大さいだい速度そくど72 km/すこ小型こがた複葉ふくようのアメリカであるが、運動うんどうせい1910ねん停泊ていはくちゅうのアメリカ巡洋艦じゅんようかんバーミングハムかんくび特設とくせつ甲板かんぱんから世界せかい最初さいしょはなれはつかんおこない、翌年よくねん装甲そうこう巡洋艦じゅんようかんペンシルベニアのち甲板かんぱん仮設かせつされた飛行ひこう甲板かんぱん世界せかいはじめてのちゃくかんおこなった。こののち海軍かいぐん軍艦ぐんかんからの航空機こうくうき運用うんよう注力ちゅうりょく航空こうくう母艦ぼかんへと発展はってんしてゆく。
ドペルデュサン レーサー
はつ飛行ひこう1912ねん最大さいだい速度そくど209 km/速度そくど記録きろくつくるために製作せいさくされた世界せかい最初さいしょ機体きたい木造もくぞうモノコックなめらかな胴体どうたい単葉たんよう主翼しゅよくわせた速度そくど重視じゅうしのフランス
ベノイストXIV
はつ飛行ひこう1913ねん最大さいだい速度そくど103 km/世界せかいはつ飛行ひこうていであり、世界せかい最初さいしょ定期ていき旅客りょかく路線ろせん運航うんこうしたアメリカの複葉ふくよう

だいいち世界せかい大戦たいせん - 軍用ぐんよう実用じつよう(1914ねん - 1919ねん[編集へんしゅう]

だいいち世界せかい大戦たいせんでは、飛行機ひこうき最初さいしょ偵察ていさつとして使用しようされた。当初とうしょてき偵察ていさつ遭遇そうぐうしても「おなじパイロット仲間なかま同志どうし」としてハンカチったという逸話いつわがあるが、すぐにピストルうようになり、武器ぶき自体じたい機関きかんじゅうへと進化しんかして戦闘せんとうまれた。またてき上空じょうくうまでんでいってばくだんとすばくげき誕生たんじょうした。イギリスは世界せかい最初さいしょ雷撃らいげき製造せいぞうした。一部いちぶ機体きたいでは骨組ほねぐみやそとばん金属きんぞくもちいられるようになった。

フォッカー E.III
フォッカー E.III
はつ飛行ひこう1915ねん最大さいだい速度そくど140 km/。ドイツがはじめて戦闘せんとうとして設計せっけいした単葉たんよう前方ぜんぽうにあるのプロペラに銃弾じゅうだんたらないようにする同調どうちょうしき機銃きじゅう発射はっしゃ装置そうち世界せかいはじめて装備そうびした。
ソッピース キャメル
はつ飛行ひこう1916ねん最大さいだい速度そくど185 km/同調どうちょうしき機銃きじゅう発射はっしゃ装置そうちそなえ、だい馬力ばりきエンジンを装備そうびし、運動うんどうせいい(かじきがい)イギリスの複葉ふくよう主力しゅりょくとして5,400生産せいさんされた。
ニューポール 17
はつ飛行ひこう1916ねん最大さいだい速度そくど177 km/一葉いちようはん主翼しゅよくつフランスの戦闘せんとう複葉ふくようしきしもつばさちいさいので下方かほう視界しかい良好りょうこう。この主翼しゅよく形式けいしきはその複葉ふくようならんで採用さいようされつづけた。
ゴータ G.IV
はつ飛行ひこう1916ねん最大さいだい速度そくど115 km/。ドイツせい複葉ふくよう双発そうはつじゅう爆撃ばくげき前線ぜんせんのはるか後方こうほうにあるロンドン爆撃ばくげきして、飛行機ひこうきによるばくげき一般いっぱん市民しみん多数たすう殺傷さっしょうすることを証明しょうめいした。最初さいしょ昼間ひるまばくげきおこなったが、その戦闘せんとう反撃はんげきけて損害そんがいし、以後いご夜間やかん爆撃ばくげき変更へんこうした。ばくだん搭載とうさいりょう400 kg。
イリヤー・ムーロメツ
はつ飛行ひこう1914ねん最大さいだい速度そくど105 km/後年こうねんアメリカにわたヘリコプターなどを多数たすう生産せいさんしたイーゴリ・シコルスキーが、帝政ていせいロシア時代じだい設計せっけい生産せいさんした4はつ複葉ふくよう大型おおがた当社とうしゃ旅客機りょかくきとして設計せっけいされたが、ロシアのだいいち世界せかい大戦たいせんへの参戦さんせんばくげきとして生産せいさん継続けいぞくされた世界せかい最初さいしょの4はつじゅう爆撃ばくげき
ショート184 水上すいじょう偵察ていさつ
はつ飛行ひこう1914ねん最大さいだい速度そくど130 km/単発たんぱつ複葉ふくよう水上すいじょうで、世界せかいはじめて航空機こうくうきによる魚雷ぎょらい攻撃こうげき雷撃らいげき)をおこなった機体きたい

大戦たいせん合間あいま - レシプロ成熟せいじゅく(1919ねん - 1939ねん[編集へんしゅう]

飛行機ひこうきだいいち世界せかい大戦たいせんおおきく発展はってんし、信頼しんらいせい向上こうじょうした。そこで戦後せんご飛行機ひこうきによる本格ほんかくてき輸送ゆそう開始かいしされた。最初さいしょ上流じょうりゅう階級かいきゅうによる旅行りょこうのための旅客機りょかくき郵便ゆうびん運送うんそう利用りようされたが、機体きたい大型おおがたするにつれて一般いっぱん金持かねも階級かいきゅう利用りようできるようになっていった。大洋たいようわた路線ろせん長距離ちょうきょり大型おおがたとしては、離着陸りちゃくりくまんいちさい広大こうだい海面かいめん利用りようできる飛行ひこうてい充当じゅうとうされた。骨組ほねぐみそとばんすべてをアルミニウム合金ごうきんジュラルミンなど)で製作せいさくしたぜん金属きんぞくせい機体きたい開発かいはつされたが、鋼管こうかん骨組ほねぐみ羽布はぶとう構造こうぞう機体きたいのこっていた。また1930年代ねんだいには高揚こうようりょく装置そうち(フラップ)が実用じつようされ離着陸りちゃくりく特性とくせい改善かいぜんされた。

ダグラス DC-3
マーチン M130 チャイナクリッパーの1つ
ユンカース F.13
はつ飛行ひこう1919ねん乗客じょうきゃく4めい敗戦はいせん直後ちょくごのドイツが生産せいさんした革新かくしんてき機体きたい胴体どうたいつばさともぜん金属きんぞくせいていつばさ単葉たんよう外観がいかんは、当時とうじ主流しゅりゅうであった複葉ふくよう羽布はぶ機体きたいなかでは際立きわだって近代きんだいてきであった。
ライアン NYP-1
1927ねん5月、スピリットオブセントルイスごうづけられたこの単葉たんようは、チャールズ・リンドバーグ操縦そうじゅう単独たんどく大西洋たいせいよう着陸ちゃくりく横断おうだん飛行ひこうはじめて達成たっせいした。単発たんぱつだかつばさきん混合こんごう機体きたいであった。巡航じゅんこう速度そくど180 km/
マッキ M.C.72 水上みずかみけいそく
はつ飛行ひこう1931ねん最大さいだい速度そくど709 km/現在げんざいでもレシプロ水上すいじょう速度そくど記録きろくほんゆうしている。陸上りくじょうふくプロペラ全体ぜんたいなか比較ひかくしても、この速度そくどだい世界せかい大戦たいせんちゅうまで10ねん以上いじょうやぶられなかっただい記録きろくていつばさ単葉たんようそうフロートの機体きたい機首きしゅに1,500馬力ばりきエンジン2直列ちょくれつはいし、同軸どうじく2じゅう反転はんてんプロペラまわして高速こうそくねらったイタリア
ボーイング 247
はつ飛行ひこう1933ねん巡行じゅんこう速度そくど304 km/とき乗客じょうきゃく10めいぜん金属きんぞくせい機体きたい金属きんぞくセミモノコック胴体どうたいていつばさ単葉たんようあしなど近代きんだいてき旅客機りょかくきとして必要ひつよう要素ようそすべ具現ぐげんした最初さいしょ旅客機りょかくき双発そうはつ)。アメリカ大陸あめりかたいりくない路線ろせん使つかわれたが乗客じょうきゃく10めいすくなく、短期間たんきかんで DC-3 にってわられた。
ダグラス DC-3
はつ飛行ひこう1935ねん巡行じゅんこう速度そくど345 km/とき乗客じょうきゃく21めい。ボーイング 247とおなじくぜん金属きんぞくせい・セミモノコック・ていつばさ単葉たんようあし採用さいようすると同時どうじに、よりおおきなエンジンを搭載とうさいし、客室きゃくしつはばたかさ・ながともおおきくして旅客りょかくすうやし快適かいてきせいげた双発そうはつ最大さいだい速度そくどがボーイング 247よりおおきいにもかかわらず、フラップの採用さいようにより離着陸りちゃくりく速度そくどぎゃく低下ていかした(これは離着陸りちゃくりく距離きょり短縮たんしゅく意味いみする)。もとアメリカ大陸あめりかたいりく横断おうだん給油きゅうゆ着陸ちゃくりくり)路線ろせんよう設計せっけいされた寝台しんだいだい世界せかい大戦たいせんちゅう軍用ぐんよう輸送ゆそう (C-47) として大量たいりょう生産せいさんされたこともあり、ぜん生産せいさんすうは10,000以上いじょうおよぶベストセラー
マーチン M130
はつ飛行ひこう1934ねん巡行じゅんこう速度そくど252 km/とき乗客じょうきゃく14めいパンアメリカン航空こうくう太平洋たいへいよう横断おうだん路線ろせん投入とうにゅうした4はつ大型おおがた豪華ごうか飛行ひこうてい。アメリカからフィリピンまで4はく5にちんだ。(よるハワイ、ミッドウェイ、ウェーキ、グアムかくしまのホテルに宿泊しゅくはくした)客船きゃくせんの1とう船室せんしつ対抗たいこうしてラウンジや食堂しょくどうもありおおきさのりに乗客じょうきゃくすうすくないが、短距離たんきょりときは41にんまでめた。
ボーイング 307B "ストラトライナー"
はつ飛行ひこう1938ねん巡行じゅんこう速度そくど357 km/とき乗客じょうきゃく33めい。ボーイングしゃの4はつじゅう爆撃ばくげきB-17主翼しゅよく尾翼びよく流用りゅうようしてあらたにふと胴体どうたい設定せっていした機体きたい客室きゃくしつあずかあつして快適かいてき高空こうくうたび提供ていきょうできた最初さいしょ機体きたい

だい世界せかい大戦たいせん(1939ねん - 1945ねん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん飛行機ひこうき戦闘せんとう主役しゅやくとなった。陸上りくじょう海上かいじょうわず制空権せいくうけんにぎったがわたたかいに勝利しょうりした。

大戦たいせん初期しょきにドイツがポーランドやフランスに侵攻しんこうした作戦さくせんは、その進軍しんぐんはやさから電撃でんげきせんばれたが、ドイツ空軍くうぐん戦闘せんとうによる制空権せいくうけんもとでの多数たすうばくげきによる攻撃こうげき侵攻しんこうはやさをささえた。ドイツがイギリス侵攻しんこう目指めざした航空こうくうせんバトル・オブ・ブリテンでは、ドイツ戦闘せんとう本国ほんごく上空じょうくう周辺しゅうへんでの戦闘せんとうしか想定そうていしておらず、ばくげきたい充分じゅうぶん援護えんごができなかった。その結果けっかドイツばくげきたいはイギリス防空ぼうくう戦闘せんとうによって重大じゅうだい損害そんがいけ、イギリスへの侵攻しんこう断念だんねんされた。地中海ちちゅうかいでは、イギリスは有力ゆうりょく航空こうくう母艦ぼかん勢力せいりょく利用りようしてジブラルタルからイタリアの鼻先はなさきにあるマルタとう経由けいゆアレキサンドリアたっする地中海ちちゅうかいのシーレーンを維持いじした。イギリス空母くうぼイラストリアスに搭載とうさいされた攻撃こうげきは、1940ねん11月11にちよる、イタリアのタラント軍港ぐんこうかみなり爆撃ばくげきし、停泊ていはくちゅうのイタリア海軍かいぐん戦艦せんかん2せき大破たいはそこさせほかかんにも損傷そんしょうあたえるだい戦果せんかげた。大西洋たいせいようでは戦争せんそう初期しょきおおいにあばれまわったドイツの潜水せんすいかんUボート)であったが、1943ねん以後いごアメリカで大量たいりょう生産せいさんされた護衛ごえい空母くうぼ搭載とうさいされた飛行機ひこうきによるたいせん作戦さくせんはじまると形勢けいせいまった逆転ぎゃくてんした。戦争せんそう末期まっきドイツ本土ほんど昼間ひるまはアメリカのB-17、夜間やかんはイギリスのランカスターという4はつじゅう爆撃ばくげきコンビの攻撃こうげきけて荒廃こうはいしていった。これらの攻撃こうげきたいしドイツは高速こうそくのジェット戦闘せんとうはたレーダー装備そうびした夜間やかん戦闘せんとう開発かいはつして対抗たいこうしたが、べいえい物量ぶつりょうまえ敗北はいぼくした。なお世界せかいはつジェット機じぇっときはドイツのエルンスト・ハインケルが完成かんせいさせ1939ねん8がつはつ飛行ひこうしたHe 178だが、この機体きたい実用じつようされなかった。

アジアではにちちゅう戦争せんそう勃発ぼっぱつしていた。大陸たいりく奥地おくち退しりぞいた国民党こくみんとうぐん攻撃こうげきするため、航続こうぞく距離きょりなが日本にっぽん海軍かいぐん陸上りくじょう攻撃こうげき重慶たーちんなどの都市とし爆撃ばくげきしたけん戦略せんりゃく爆撃ばくげきはじまりとわれている。このばくげきでも中国ちゅうごくぐん戦闘せんとうによる被害ひがいおおきく、ばくげきのみの侵攻しんこう危険きけんであることがあきらかになった。太平洋戦争たいへいようせんそう1941ねん12月8にち日本にっぽん空母くうぼ6せきからはっした雷撃らいげきばくげき護衛ごえい戦闘せんとうたいによるハワイ・真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきからはじまった。この攻撃こうげき戦艦せんかん2せき沈没ちんぼつ、4せき大破たいはそこした。アメリカ太平洋艦隊たいへいようかんたいは、その航空こうくう母艦ぼかん主力しゅりょくとする戦法せんぽうえた。2にち12月10にちには、航行こうこうちゅうのイギリス戦艦せんかん2せき日本にっぽん陸上りくじょう攻撃こうげきかみなりばくげき撃沈げきちんされ、海上かいじょうでの航空こうくう優位ゆういあきらかとなった。戦争せんそう長引ながびくにつれアメリカの生産せいさんりょく大量たいりょう航空機こうくうき太平洋たいへいようせいし、日本にっぽん海上かいじょう戦力せんりょく壊滅かいめつさせ輸送ゆそう能力のうりょくうばった。日本にっぽん占領せんりょうしていた島々しまじま補給ほきゅう途絶とだ戦力せんりょく喪失そうしつし、順次じゅんじアメリカにうばわれていった。アメリカはこれらの島々しまじま飛行場ひこうじょう整備せいびし、大型おおがた爆撃ばくげきB-29発進はっしんさせ戦略せんりゃく爆撃ばくげきおこな日本にっぽんつぎせん能力のうりょくうばった。B-29は最後さいご実験じっけんてき広島ひろしま長崎ながさき原子げんしばくだん投下とうかし、日本にっぽん敗戦はいせんむかえる。 敗戦はいせん日本にっぽんは、GHQ指令しれいにより、飛行機ひこうき研究けんきゅうとう個人こじんレベルまでめられた[2]

だい世界せかい大戦たいせんちゅう陸上りくじょう輸送ゆそうによる長距離ちょうきょり高速こうそく輸送ゆそう定着ていちゃくし、飛行ひこうていはその存在そんざい意義いぎ低下ていかさせていった。この時代じだいつくられた機体きたいほとんどがぜん金属きんぞくせいであったが、イギリスやソ連それんでは木製もくせい登場とうじょうした。機体きたい高速こうそくともな離着陸りちゃくりく性能せいのう改善かいぜんのためのこう揚力ようりょく装置そうち(フラップ)は不可欠ふかけつとなったが、一部いちぶ機体きたいではフラップを空中くうちゅうでの運動うんどうせい改善かいぜんにも応用おうようした。ライト兄弟きょうだい以来いらいのガソリンエンジンは排気はいきタービンの使用しようによりほとん完成かんせいいきたっした。また高空こうくう大型おおがたにはあずかあつしつ採用さいようされるようになった。

メッサーシュミット Bf109
れいせん
P-51 マスタング
メッサーシュミット Me262
ロッキード コンステレーション


きゅうろくしき陸上りくじょう攻撃こうげき
はつ飛行ひこう1935ねん最高さいこう速度そくど373 km/とき、ワシントン条約じょうやく戦艦せんかん空母くうぼかずべいえい6わりさえられた日本にっぽん海軍かいぐんが、陸上りくじょう基地きち発進はっしんして洋上ようじょうにいる敵艦てきかん攻撃こうげきすべく開発かいはつした長距離ちょうきょり攻撃こうげきにちちゅう戦争せんそうでは航続こうぞく性能せいのうかして中国ちゅうごく奥地おくち戦略せんりゃく爆撃ばくげきし、太平洋戦争たいへいようせんそう開始かいし直後ちょくごにイギリス戦艦せんかんプリンス・オブ・ウェールズとめぐよう戦艦せんかんレパルスを撃沈げきちんした。
ユンカース Ju 87
はつ飛行ひこう1935ねん最高さいこう速度そくど410 km/ときだい世界せかい大戦たいせん初期しょきのドイツぐんによる電撃でんげきせんささえた急降下きゅうこうか爆撃ばくげき。ポーランドやフランスへの侵攻しんこうでは自国じこく制空権せいくうけんもと活躍かつやくしたが、バトル・オブ・ブリテンではおおきな損害そんがいした。
スーパーマリン スピットファイア
はつ飛行ひこう1935ねん最高さいこう速度そくど657 km/ときだい世界せかい大戦たいせんのイギリスを代表だいひょうする戦闘せんとう。バトル・オブ・ブリテンではイギリスのそらまもいた。エンジン出力しゅつりょく向上こうじょう火力かりょく強化きょうかなどさまざまに改良かいりょうされながら終戦しゅうせんまで使つかわれ、そう生産せいさんすうやく22,000たっした。
メッサーシュミット Bf 109
だい世界せかい大戦たいせんのドイツを代表だいひょうする戦闘せんとう。スピットファイアの好敵手こうてきしゅとして大戦たいせん初期しょき中期ちゅうきおも活躍かつやくした。30,000以上いじょうという生産せいさんすう戦闘せんとうとして史上しじょう最多さいた
ボーイング B-17
はつ飛行ひこう1936ねん最高さいこう速度そくど510 km/当時とうじ4はつじゅう爆撃ばくげき運動うんどうせいわるいので戦闘せんとう迎撃げいげきけやすい昼間ひるま爆撃ばくげきにはかないとかんがえられていたが、その常識じょうしきやぶった高速こうそくじゅう武装ぶそうのアメリカせい爆撃ばくげき空気くうきうす高空こうくうでもエンジン出力しゅつりょく低下ていかさせにくい排気はいきタービン(ターボチャージャー)を採用さいようし、10ちょう以上いじょう防御ぼうぎょ火器かきそなえ、主要しゅよう防弾ぼうだんほどこされていた。ヨーロッパではドイツ工業こうぎょう地帯ちたい昼間ひるまばくげき担当たんとうした。
フェアリー ソードフィッシュ
はつ飛行ひこう1936ねん最高さいこう速度そくど230 km/ときだい世界せかい大戦たいせん前半ぜんはんのイギリス海軍かいぐん主力しゅりょく雷撃らいげきばくげき複葉ふくよう羽布はぶりの旧式きゅうしき構造こうぞうであるが、対戦たいせん相手あいてのドイツとイタリアが海上かいじょう充分じゅうぶん活動かつどうができる戦闘せんとうたいゆうしていなかったので活躍かつやくできた。イタリアのタラント軍港ぐんこう夜間やかん攻撃こうげきしてイタリア海軍かいぐん戦力せんりょく大幅おおはば低下ていかさせ、ドイツ戦艦せんかんビスマルクに魚雷ぎょらい命中めいちゅうさせ操舵そうだ能力のうりょくうばひとし海上かいじょうでの航空こうくう優位ゆういらしめた機体きたい
きゅうななしき艦上かんじょう攻撃こうげき
はつ飛行ひこう1937ねん最高さいこう速度そくど378 km/ときだい世界せかい大戦たいせん初期しょきから中期ちゅうきまでの日本にっぽん海軍かいぐん主力しゅりょく攻撃こうげきぜん金属きんぞくせい単葉たんようあし艦上かんじょう攻撃こうげきとしては世界せかい最初さいしょ採用さいようした。真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきでは、水平すいへい爆撃ばくげき魚雷ぎょらい攻撃こうげきによりアメリカ太平洋艦隊たいへいようかんたい主力しゅりょく戦艦せんかんぐん壊滅かいめつさせ、その作戦さくせんでも多数たすう連合れんごうこくがわ艦船かんせんしずめた。
れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう
はつ飛行ひこう1939ねん最高さいこう速度そくど518 km/とき開戦かいせん太平洋たいへいよう地域ちいき最強さいきょう戦闘せんとう高速こうそくじゅう武装ぶそう良好りょうこう運動うんどうせい長大ちょうだい航続力こうぞくりょくという相反あいはんする性能せいのう高度こうど達成たっせいした。日本にっぽん海軍かいぐん主力しゅりょく戦闘せんとうとして終戦しゅうせんまで改良かいりょうされながら10,000以上いじょう生産せいさんされたが、機体きたい構造こうぞう余裕よゆうすくなくおおきな性能せいのう向上こうじょうかったうえ後継こうけい開発かいはつおくれたため性能せいのうてきけられた戦争せんそう後期こうきまで使つかわれた。
ノースアメリカン P-51
はつ飛行ひこう1940ねん最高さいこう速度そくど702 km/ときだい世界せかい大戦たいせん最優秀さいゆうしゅうともひょうされる戦闘せんとう。スピットファイアなどとおな水冷すいれいエンジン・マーリンを搭載とうさいし、スピットファイアを上回うわまわ速度そくど航続力こうぞくりょくゆうする戦闘せんとう長大ちょうだい航続力こうぞくりょくかしアメリカばくげきたい援護えんご戦闘せんとうとしてドイツや日本にっぽん上空じょうくう活躍かつやくした。
デ・ハビランド モスキート
はつ飛行ひこう1940ねん最高さいこう速度そくど612 km/ときぜん木製もくせい高速こうそく双発そうはつ最初さいしょばくげきとして生産せいさんされたが、高速こうそくかして機首きしゅレーダー装備そうびした夜間やかん戦闘せんとうタイプなどもつくられた万能ばんのう木製もくせい構造こうぞう使つかいようによっては優秀ゆうしゅうとなれることを証明しょうめいした。
メッサーシュミット Me 262
はつ飛行ひこう1942ねん最高さいこう速度そくど866 km/とき、ドイツが開発かいはつした世界せかい最初さいしょ実用じつようジェット戦闘せんとう
ボーイング B-29
はつ飛行ひこう1942ねん最高さいこう速度そくど576 km/ときあずかあつしつ採用さいよう機銃きじゅう遠隔えんかく操作そうさとう技術ぎじゅつんで製作せいさくされたアメリカじゅう爆撃ばくげき強力きょうりょくなエンジンと排気はいきタービンのわせによりすぐれた高空こうくう侵攻しんこう能力のうりょくゆうした。日本にっぽんかく都市とし戦略せんりゃく爆撃ばくげきによって焦土しょうどにした。
ロッキード コンステレーション
はつ飛行ひこう1943ねん巡行じゅんこう速度そくど526 km/とき乗客じょうきゃく81めい最大さいだい)。あずかされた客室きゃくしつち、アメリカ大陸あめりかたいりく着陸ちゃくりく横断おうだんできる機体きたいとして製作せいさくされたアメリカせいレシプロエンジン4はつ旅客機りょかくき戦争せんそうちゅう開発かいはつされたため当初とうしょ軍用ぐんよう輸送ゆそうとして使用しようされた。この旅客機りょかくき当時とうじれいしき艦上かんじょう戦闘せんとうではいつけなかった。

戦後せんご - ジェット時代じだい(1945ねん - 1950年代ねんだい[編集へんしゅう]

大戦たいせん末期まっき実用じつようされたジェットエンジンただちに軍用ぐんよう採用さいようされ、戦闘せんとうばくげきジェットされていった。また後退こうたいつばさ三角みすみつばさかんする技術ぎじゅつもドイツ敗戦はいせん直後ちょくごソ連それんとアメリカに流出りゅうしゅつし、戦闘せんとうばくげき高速こうそく貢献こうけんした。レシプロエンジン爆撃ばくげき直線ちょくせんつばさジェット戦闘せんとう朝鮮ちょうせん戦争せんそうでその使命しめい終了しゅうりょうした。またそれまでえることができないとかんがえられていたおとかべはアメリカのロケット実験じっけん X-1 により突破とっぱされ、そのちょう音速おんそく飛行ひこう可能かのう戦闘せんとう続々ぞくぞく製作せいさくされた。1948ねんのベルリン封鎖ふうさでは、きゅうソ連それん陸路りくろ封鎖ふうさされたベルリンたいアメリカ空軍くうぐん中心ちゅうしんとした航空こうくう輸送ゆそうおこなわれ、飛行機ひこうきのみで大都市だいとし機能きのう維持いじされた。

民間みんかん航空こうくうのジェットはイギリスがコメットで先鞭せんべんをつけたが、その大量たいりょうのアメリカ圧倒あっとうされていった。飛行機ひこうき大型おおがた高速こうそくともない、人力じんりきによる直接ちょくせつ操縦そうじゅう不可能ふかのうとなり、油圧ゆあつアクチュエータかいしてかじめん操作そうさする方式ほうしき一般いっぱんした。

ベル X-1
デ・ハビランド コメット
ボーイング707
ベル X-1
はつ飛行ひこう1947ねん最高さいこう速度そくどマッハ1.45、ロケットエンジン推進すいしん実験じっけん。アメリカが「飛行機ひこうきちょう音速おんそくでも操縦そうじゅう可能かのうか」といういに回答かいとうするために製作せいさくした。チャック・イェーガー操縦そうじゅうにより、1947ねん 10月14にち世界せかいはじめて音速おんそく突破とっぱした。飛行ひこう実験じっけん通常つうじょう大型おおがた爆撃ばくげきげられて高空こうくうたっし、そこからロケットエンジンで加速かそくしたが、通常つうじょう離陸りりく可能かのうであった。
ミコヤン MiG-15
はつ飛行ひこう1947ねん最高さいこう速度そくど1,100 km/ときソ連それんせい後退こうたいつばさジェット戦闘せんとう朝鮮ちょうせん戦争せんそうにおいてその性能せいのう発揮はっきし、西側にしがわ各国かっこく戦慄せんりつさせた。アメリカやイギリスの直線ちょくせんつばさジェット戦闘せんとうではたず、日本にっぽんいたB-29も容易ようい撃墜げきついした。ほん優位ゆうい下記かきF-86Fが戦線せんせん参加さんかするまでつづいた。
ノースアメリカン F-86F セイバー
はつ飛行ひこう1947ねん最高さいこう速度そくど1,118 km/とき、アメリカせい後退こうたいつばさジェット戦闘せんとう朝鮮ちょうせん戦争せんそうでMiG-15に対抗たいこうするふだとして戦線せんせん投入とうにゅうされ、制空権せいくうけん回復かいふくした。その西側にしがわ各国かっこく採用さいようされ、1964ねん東京とうきょうオリンピック開会かいかいしき上空じょうくうに5りんえがいた航空こうくう自衛隊じえいたいブルーインパルス使用しようした機体きたいほんだった。
ボーイング B-47
はつ飛行ひこう1947ねん最高さいこう速度そくど1,060 km/とき、アメリカ最初さいしょ後退こうたいつばさジェット爆撃ばくげき細長ほそなが後退こうたいつばさはしなりやすく、エルロンリバーザル(補助ほじょつばさぎゃくき)の問題もんだい克服こくふくして実用じつようされた。冷戦れいせん当時とうじかくばくだん搭載とうさいしいつでもてるように24あいだ待機たいきしていた。
  • エルロンリバーザル : 通常つうじょうエルロンげたがわつばさでは揚力ようりょくす。しかしながらしなりやすいつばさ場合ばあいつばさはしにあるエルロンをおおきくげるとエルロンにたる空気くうきちからつばさはしげる方向ほうこうはたらき、つばさがねじられてぜんはしがりむかかくちいさくなってしまう。意図いととはぎゃく揚力ようりょく低下ていかすることになり、のぞみどおりの姿勢しせい変更へんこう困難こんなんとなってしまう。こうした現象げんしょうをエルロンリバーザルという。
デ・ハビランド コメット
はつ飛行ひこう1949ねん巡行じゅんこう速度そくど740 km/とき乗客じょうきゃく36めい。イギリスの名門めいもんデ・ハビランドしゃ開発かいはつした世界せかいはつのジェット旅客機りょかくき。4のエンジンを主翼しゅよく基部きぶ軽度けいど後退こうたいした主翼しゅよくつ。レシプロエンジン特有とくゆう振動しんどうく、あずかされた客室きゃくしつによって空気くうきみだれのすくない高空こうくうほんそらたび快適かいてきせいおおきく向上こうじょうした。あずかあつしつ金属きんぞく疲労ひろうたいする設計せっけい不備ふびから連続れんぞく墜落ついらく事故じここしたり、乗客じょうきゃく36めいという中型ちゅうがたであったため国際線こくさいせん主力しゅりょくとして活躍かつやくした期間きかんみじかかった。この事故じこよりものちつくられた機体きたいには、まんいちこわれても致命ちめいてき事故じこにつながりづらいフェイルセーフ設計せっけい思想しそう採用さいようされている。フェイルセーフを確認かくにんするテストとしてたとえば「ギロチンテスト」がある。これはあずかあつちゅう機体きたい一部いちぶおおきなおのたたみ、から破断はだん拡大かくだいしないこと確認かくにんするもので、コメット事故じこ再発さいはつ防止ぼうし確認かくにんテストである。
ボーイング 707
はつ飛行ひこう1954ねん巡行じゅんこう速度そくど973 km/とき乗客じょうきゃく202めい最大さいだい)。アメリカのボーイングしゃ自社じしゃ開発かいはつした大型おおがた4はつジェット旅客機りょかくき従来じゅうらいのレシプロ旅客機りょかくきの2ばい乗客じょうきゃくせ2ばい速度そくどんだため、エアラインにとって4ばい効率こうりつがる機体きたいとなった。707によってボーイングは旅客機りょかくきメーカーの第一人者だいいちにんしゃとなった。基本きほん設計せっけい同一どういつ輸送ゆそう C-135空中くうちゅう給油きゅうゆ KC-135、707をもとにした早期そうき警戒けいかい管制かんせい E-3 などの派生はせいがたおおい。
ロッキード C-130
はつ飛行ひこう1954ねん巡行じゅんこう速度そくど620 km/とき前線ぜんせんみじか滑走かっそうでの運用うんようかんがえて製作せいさくされた4はつターボプロップ輸送ゆそう旅客機りょかくきがた多数たすう機銃きじゅうそなえたガンシップなど多様たよう派生はせい存在そんざい現在げんざい生産せいさんつづいている。航空こうくう自衛隊じえいたい採用さいようしており2004ねんにはイラク復興ふっこう派遣はけんされた。
マクドネル F-4
はつ飛行ひこう1958ねん最高さいこう速度そくどマッハ2.4、"ファントム" のられ5,000以上いじょう生産せいさんされた西側にしがわのベストセラージェット戦闘せんとう最初さいしょ艦隊かんたい防空ぼうくうようそら対空たいくうミサイル装備そうびした艦上かんじょう戦闘せんとうとして設計せっけいされたが、その性能せいのう優秀ゆうしゅうさから空軍くうぐん採用さいようし、そのイギリス海軍かいぐん航空こうくう自衛隊じえいたいでも使用しようされた。強力きょうりょくなエンジン2胴体どうたいないおさめ、パイロットと電子でんし装備そうび担当たんとうの2めい大型おおがた搭載とうさい兵器へいき当初とうしょミサイルのみだったが、のちにはベトナム戦争せんそうせんくんから機関きかんほう搭載とうさいした。

旅客機りょかくき大型おおがた(1960年代ねんだい - 1970年代ねんだい[編集へんしゅう]

飛行機ひこうきはこれまで「よりはやく・よりたかく・よりとおくへ」と発展はってんしてきたが、1960年代ねんだいには、飛行ひこう速度そくど高度こうど航続こうぞく距離きょりとも実際じっさいじょう頭打あたまうちとなった。ジェット戦闘せんとう速度そくどは、ねつかべなどの問題もんだいからほぼマッハ2が相場そうばとなり、旅客機りょかくき飛行ひこう高度こうども10,000 m付近ふきん効率こうりつてき運用うんようできる最良さいりょう高度こうどである。長距離ちょうきょり飛行ひこうする機体きたいは、地球ちきゅう裏側うらがわ到達とうたつ可能かのう航続こうぞく性能せいのうゆうするようになった。

旅客機りょかくき分野ぶんや
長距離ちょうきょり旅客機りょかくきさら大型おおがたしワイドボディー登場とうじょうした。また、比較的ひかくてき短距離たんきょり移動いどうにも飛行機ひこうきがよく使つかわれるようになり、コミューターばれるジャンルの機体きたい多数たすう生産せいさんされるようになった。かくエアラインあいだ競争きょうそう一層いっそうきびしくなり、かつて名門めいもんばれた会社かいしゃ倒産とうさん(パン・アメリカン航空こうくうとう)や合併がっぺいさかんにおこなわれた。このうごきは2000年代ねんだい現在げんざいでも継続けいぞくちゅうである。飛行機ひこうき要求ようきゅうされる仕様しようも、性能せいのうくわえて運航うんこうコストの削減さくげん整備せいびせいさが重大じゅうだいなポイントとなってきた。
軍事ぐんじ関係かんけい
冷戦れいせん終結しゅうけつし、大国たいこくあいだ全面ぜんめん戦争せんそうのおそれがなくなったので、各国かっこく装備そうびする軍用ぐんようかず減少げんしょうした。とく敵国てきこく上空じょうくうまでんでばくだんやミサイルを投下とうかする大型おおがた爆撃ばくげきはその使命しめい終了しゅうりょうし、あらたに開発かいはつされることもなくなった。軍事ぐんじ分野ぶんやでのあらたな進展しんてんてきつからないことを目指めざステルスせい実用じつようである。
構造こうぞう材料ざいりょう
従来じゅうらいはアルミニウム合金ごうきん主流しゅりゅうであった構造こうぞう材料ざいりょうに、繊維せんい強化きょうかプラスチックなどのふくあい材料ざいりょう使つかわれるようになった。出現しゅつげん当初とうしょはあまり強度きょうど要求ようきゅうされないなど、さほど重要じゅうようでない部分ぶぶん軽量けいりょう使つかわれていたが、信頼しんらいせい確保かくほされるにつれて胴体どうたい主翼しゅよくなどの重要じゅうよう構造こうぞう部材ぶざいにも適用てきようされはじめ、大幅おおはば軽量けいりょう実現じつげん成功せいこうしつつある。ふくあい材料ざいりょう金属きんぞくよりもレーダー反射はんしゃしにくく、そのてんからもステルス多用たようされる。
操縦そうじゅうシステム
従来じゅうらいの「操縦そうじゅう桿 - ケーブル - 油圧ゆあつアクチュエータ - どうつばさ」というながれの操縦そうじゅうシステムにわり、「操縦そうじゅう桿 - コンピュータと電線でんせん - 油圧ゆあつアクチュエータ - どうつばさ」というフライ・バイ・ワイヤ (FBW) 方式ほうしき確立かくりつされた。この結果けっか機内きない縦横じゅうおうはしっていたケーブルやこうあつ作動さどう配管はいかん一部いちぶがシンプルな電線でんせんへとえられ、さらバス (コンピュータ)Local Area Network進歩しんぽ多数たすう電線でんせん少数しょうすう電線でんせんひかりファイバーにわらせ、重量じゅうりょう整備せいびせい生存せいぞんせいなどが改善かいぜんされた。同時どうじに、コンピュータによる操縦そうじゅう制御せいぎょ可能かのうとなったことで、従来じゅうらいかんがえられなかったような「本来ほんらいてき不安定ふあんてい機体きたい」などの飛行ひこう可能かのうとなるなど、航空機こうくうき制御せいぎょ将来しょうらいおおきくけた。
ボーイング747-400BCF
ホーカー・シドレー ハリアー
はつ飛行ひこう1960ねん最高さいこう速度そくど1,180 km/とき、イギリスせい垂直すいちょく離着陸りちゃくりくジェット攻撃こうげき滑走かっそう破壊はかいされたのちでもてき攻撃こうげきできる機体きたいとして開発かいはつされた[よう出典しゅってん]垂直すいちょく離着陸りちゃくりくとしては世界せかい最初さいしょ実用じつよう。その艦上かんじょう戦闘せんとうとして発展はってんがたシーハリアーが開発かいはつされ、1982ねんフォークランド戦争せんそうだい活躍かつやくした。小型こがた空母くうぼとシーハリアーのわせはちょう大国たいこくでなくても保有ほゆう可能かのうであり、スペインやインドなどが採用さいようした。
ボーイング 747
はつ飛行ひこう1969ねん巡行じゅんこう速度そくど910 km/とき乗客じょうきゃく550めい最大さいだい)。ジャンボの愛称あいしょうられる大型おおがた旅客機りょかくき当時とうじ世界せかい最大さいだい旅客機りょかくき。ジャンボの功績こうせきは、ひろ客室きゃくしつ完備かんびした映像えいぞう設備せつび音楽おんがくサービスなど快適かいてきせい向上こうじょうともに、おおきな収容しゅうようりょくたすための廉価れんかなパック旅行りょこうんで庶民しょみん海外かいがい旅行りょこうけるようになったてん騒音そうおんちいさいだいバイパスターボファンエンジンを4装備そうびし、騒音そうおんてんではぜん世代せだいのボーイング707より良好りょうこう慣性かんせい誘導ゆうどう装置そうち民間みんかん最初さいしょ採用さいようした。
コンコルド
はつ飛行ひこう1969ねん巡行じゅんこう速度そくどマッハ2.05、乗客じょうきゃく100めい西側にしがわ唯一ゆいいつちょう音速おんそくジェット旅客機りょかくきであったが、2003ねんすべての運航うんこう終了しゅうりょうした。三角みすみつばさ基本きほんとしたオージーつばさばれる微妙びみょう曲線きょくせん主翼しゅよくしたアフターバーナーづけのターボジェットエンジンを4装備そうびしていた。衝撃波しょうげきは問題もんだいから陸地りくち上空じょうくうでのちょう音速おんそく飛行ひこう禁止きんしされたり、騒音そうおんおおきなエンジンのため着陸ちゃくりくできる空港くうこう制限せいげんされたりしていた。乗客じょうきゃくすうすくなく全席ぜんせきファーストクラスあつかいであった。

デジタル時代じだい(1980年代ねんだい - 1990年代ねんだい[編集へんしゅう]

20世紀せいき最後さいご四半期しはんきは、飛行ひこう速度そくど航続こうぞく距離きょり材料ざいりょう技術ぎじゅつにおいて革命かくめいてき進歩しんぽはなかったが、アビオニクス航空機こうくうき設計せっけいおよび製造せいぞう技術ぎじゅつ両方りょうほうでデジタル革命かくめいひろがった。 デジタルフライ・バイ・ワイヤシステムにより、航空機こうくうきリラックスした静的せいてき安定あんていせい英語えいごばん設計せっけい出来できるようになった。当初とうしょジェネラルダイナミクスF-16ファイティングファルコンなどの軍用ぐんよう機動きどうせいたかめるために使用しようされていたが、現在げんざい民間みんかん旅客機りょかくき抗力こうりょくらすために使用しようされている。

F-117
ロッキード F-117
はつ飛行ひこう1981ねん最高さいこう速度そくど1,040 km/とき、アメリカせい世界せかい最初さいしょ本格ほんかくてき実用じつようステルス攻撃こうげき最大さいだい 1,800 kg のばくだん胴体どうたいないのウェポンベイにおさめ、レーダーに探知たんちされにくく夜間やかんてき上空じょうくうへと侵入しんにゅう攻撃こうげきする。電波でんぱはっするレーダーはステルスにはんするので装備そうびしていない。ステルス性能せいのう優先ゆうせんして設計せっけいされたため、うみエイたその外観がいかん一般いっぱん飛行機ひこうきいちじるしくことなり、操縦そうじゅうにはコンピュータのたすけをりるFBWが不可欠ふかけつ
エンブラエル EMB 120
はつ飛行ひこう1983ねん巡行じゅんこう速度そくど555 km/とき乗客じょうきゃく30めい。ブラジルの航空機こうくうきメーカー エンブラエルしゃ開発かいはつしたターボプロップ双発そうはつのコミューター。30せきではあるが機内きないあずかされ快適かいてきはつ飛行ひこう以来いらい350以上いじょう生産せいさん販売はんばいされている。
バート・ルータン ボイジャー(ヴォヤージャー)
はつ飛行ひこう1984ねん巡行じゅんこう速度そくど196 km/とき航続こうぞく距離きょり44,000 km。1986ねん12月に216あいだかけて世界せかいはつ給油きゅうゆ着陸ちゃくりく世界せかい一周いっしゅう飛行ひこうおこなった。
エアバス A320
はつ飛行ひこう1987ねん最大さいだい巡航じゅんこう速度そくどマッハ0.82。旅客機りょかくきとしてはじめてデジタルFBWおも操縦そうじゅう系統けいとうとして採用さいようした機体きたい

21世紀せいき[編集へんしゅう]

21世紀せいき航空こうくう業界ぎょうかいでは、燃料ねんりょう節約せつやく燃料ねんりょう多様たよう格安かくやす航空こうくう会社かいしゃ航空こうくう施設しせつ英語えいごばんへの関心かんしんたかまった。さらに、航空こうくう輸送ゆそうへのアクセスが良好りょうこうでなかった発展はってん途上とじょうこくおおくは航空機こうくうき航空こうくう施設しせつ追加ついかしているが、深刻しんこく混雑こんざつ依然いぜんとして問題もんだいとなっている。やく20,000の都市としあいだ[3]商業しょうぎょう運航うんこうされている。

RQ-4 グローバルホーク

21世紀せいきはじめに、デジタルテクノロジーにより、音速おんそく軍用ぐんようはパイロットを排除はいじょはじめ、遠隔えんかく操作そうさまたは完全かんぜん自律じりつがた無人むじん航空機こうくうき(UAV)を支持しじした。2001ねん4がつ無人むじん航空機こうくうきグローバルホーク米国べいこくエドワーズ空軍くうぐん基地きちからオーストラリアにノンストップで燃料ねんりょう補給ほきゅうせずに飛行ひこうした。これは、無人むじん航空機こうくうきがこれまでにった最長さいちょうのポイントツーポイント飛行ひこうであり、23あいだ23ふんかかった。2003ねん10月、コンピューター制御せいぎょ模型もけい飛行機ひこうきによる大西洋たいせいよう横断おうだんする最初さいしょ完全かんぜん自律じりつ飛行ひこうおこなった。UAVは、現代げんだい戦争せんそう確立かくりつされた機能きのうであり、リモートオペレーターの制御せいぎょでピンポイント攻撃こうげき実行じっこうする。

ソーラープレーンプロジェクトソーラー・インパルス
はつ飛行ひこう2009ねん巡航じゅんこう速度そくど70 km/とき航行こうこう時間じかん36あいだ2015ねん、アンドレ・ボルシュベルクとベルトラン・ピカールは、日本にっぽん名古屋なごやからハワイのホノルルまで、太陽たいよう電池でんちしき飛行機ひこうきソーラー・インパルス2で記録きろくてき距離きょり4,481マイル(7,211 km)をやく5日間にちかん飛行ひこうした。夜間やかん航空機こうくうきはバッテリーとにちちゅうられた位置いちエネルギー使用しようした[4]

2017ねん12月、日本航空にほんこうくうは、ブーム資本しほん提携ていけいしん世代せだいちょう音速おんそく旅客機りょかくき商業しょうぎょう運航うんこう目指めざあらたな関心かんしんあつまった[5]

2019ねん7がつ24にち航空こうくう業界ぎょうかいもっといそがしいであった。Flightradar24はその合計ごうけい225,000かい以上いじょうのフライトを記録きろくした。これには、ヘリコプター、プライベートジェット、グライダー、観光かんこうフライト、および個人こじんよう航空機こうくうきふくまれる。ウェブサイトは2006ねん以来いらいフライトを追跡ついせきしている[6]

2019ねんすえは、COVID-19パンデミックの流行りゅうこうはじまり、結果けっかとしてしょうじる旅行りょこう制限せいげん旅行りょこうしゃ需要じゅよう低迷ていめいした。航空こうくう業界ぎょうかい重大じゅうだい影響えいきょうおよぼし、そらたび将来しょうらいにも影響えいきょうあたえる可能かのうせいがある[7]れい:2020ねん以降いこう飛行ひこうは、機内きないでのフェイスマスクの強制きょうせい着用ちゃくよう一般いっぱんてきになっている)[8]

ピストレル英語えいごばん ピストレル・ヴェリス・エレクトロ英語えいごばん
はつ飛行ひこう2020ねん巡航じゅんこう速度そくど170 km/とき航続こうぞく距離きょり3,700 km。2020ねん6がつ10日とおかスロベニアけい飛行機ひこうき。ピストレル・ヴェリス・エレクトロは欧州おうしゅう航空こうくう安全あんぜん機関きかんから型式けいしき証明しょうめい取得しゅとくした最初さいしょ電気でんき航空機こうくうき[9]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Telegram from Orville Wright in Kitty Hawk, North Carolina, to His Father Announcing Four Successful Flights, 1903 December 17”. World Digital Library (1903ねん12月17にち). 2013ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ 民間みんかん航空こうくう全面ぜんめんてき禁止きんし指令しれい昭和しょうわ20ねん11月19にち 朝日新聞あさひしんぶん)『昭和しょうわニュース辞典じてんだい8かん 昭和しょうわ17ねん/昭和しょうわ20ねん』p260 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  3. ^ Global city pairs top 20,000 for the first time”. Routes Online (2017ねん12月5にち). 2021ねん8がつ4にち閲覧えつらん
  4. ^ 8th leg from Nagoya to Hawaii, Solar Impulse RTW, http://www.solarimpulse.com/leg-8-from-Nagoya-to-Hawaii 
  5. ^ Japan Airlines buys into US start-up's supersonic dream”. Routes Online (2017ねん12月5にち). 2020ねん7がつ1にち閲覧えつらん
  6. ^ Wednesday was one of the busiest recorded days in aviation history — and it's going to keep getting busier”. Business Insider. 2019ねん8がつ4にち閲覧えつらん
  7. ^ How Covid-19 will change air travel as we know it”. BBC. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  8. ^ EU to make face masks compulsory on all European flights”. The Local. 2020ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  9. ^ Sarsfield, Kate (2020ねん6がつ10日とおか). “Pipistrel Velis Electro earns first all-electric aircraft type certification”. Flight Global. 2020ねん6がつ11にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん6がつ11にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]