(Translated by https://www.hiragana.jp/)
STS-41-D - Wikipedia コンテンツにスキップ

STS-41-D

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
STS-41-D
徽章きしょう
ミッションの情報じょうほう
ミッションめい STS-41-D
シャトル ディスカバリー
発射はっしゃだい 39-A
打上うちあ日時にちじ 1984ねん8がつ30にち 12:41:50 UTC
着陸ちゃくりくまたは着水ちゃくすい日時にちじ 1984ねん9がつ5にち 13:37:54 UTC
エドワーズ空軍くうぐん基地きち
ミッション期間きかん 6にち56ふん4びょう
周回しゅうかいすう 97
高度こうど 341 km
軌道きどう傾斜けいしゃかく 28.5°
航行こうこう距離きょり 4,010,000 km
乗員じょういん写真しゃしん
後列こうれつひだりから: ウォーカー、レズニック
前列ぜんれつひだりから: マレーン、ホーリー、ハーツフィールド、コーツ
年表ねんぴょう
前回ぜんかい 次回じかい
STS-41-C STS-41-C STS-41-G STS-41-G

STS-41-Dは、アメリカ航空こうくう宇宙うちゅうきょくオービタディスカバリーはつ飛行ひこうとなったミッションである。スペースシャトル計画けいかくとしては12かいのミッションで、1984ねん8がつ30にちフロリダしゅうケネディ宇宙うちゅうセンターからげられた。6日間にちかんのミッションのあいだに3つの商業しょうぎょうよう通信つうしん衛星えいせい軌道きどう投入とうにゅうされ、多数たすう科学かがく実験じっけんおこなわれた。

ミッションは当初とうしょ計画けいかくであった1984ねん6がつ26にち打上うちあげの6びょうまえ打上うちあげを中止ちゅうしして以来いらい、2かげつ以上いじょうおくれ、これはスペースシャトル計画けいかくとしてはつ打上うちあげげの中止ちゅうしとなった。

乗組のりくみいん

[編集へんしゅう]

ミッションパラメータ

[編集へんしゅう]
  • 質量しつりょう:
    • 離陸りりく:119,511 kg
    • 着陸ちゃくりく:91,478 kg
    • ペイロード:18,681 kg
  • きんてん:346 km
  • とおてん:354 km
  • 軌道きどう傾斜けいしゃかく:28.5°
  • 軌道きどう周期しゅうき:90.6ふん

ミッションの概要がいよう

[編集へんしゅう]

打上うちあげは、当初とうしょ、1984ねん6がつ26にち計画けいかくされていたが、不調ふちょうメインエンジン交換こうかんとう、いくつかの技術ぎじゅつてき問題もんだいによりスペースシャトル組立くみたてとうもどらなければならず、打上うちあげは2かげつ以上いじょう延期えんきされた。さい打上うちあ当日とうじつの8がつ30にちにも、自家用じかよう打上うちあ施設しせつ周辺しゅうへん制限せいげん区域くいき侵入しんにゅうして6ふん50びょうおくれ、最終さいしゅうてきに841ふん(EDT)に打上うちあげがおこなわれた。これは、4度目どめ打上うちあげげのこころみであった。6月の打上うちあげげのこころみは、有人ゆうじん宇宙うちゅう飛行ひこうとしてはジェミニ6-Aごう以来いらいはじめて、打上うちあげの直前ちょくぜんにエンジンが停止ていしされた。

The launch of STS-41-D.

STS-41-Dの打上うちあげげが2かげつおくれたため、STS-41-Fは中止ちゅうしされ(STS-41-Eはすで中止ちゅうしまっていた)、STS-41-Fではこ予定よていだったペイロードは、STS-41-Dでげられることになった。そのため、ペイロードのカーゴの重量じゅうりょうは18,681kgとなり、当時とうじのスペースシャトルでの最高さいこう記録きろくとなった。

乗組のりくみいんは6にんで、船長せんちょうヘンリー・ハーツフィールドパイロットマイケル・コーツ、3にんのミッションスペシャリストはマイク・マレーンスティーヴン・ホーリージュディス・レズニック、ペイロードスペシャリストはチャールズ・ウォーカーで、2度目どめ飛行ひこうとなるハーツフィールド以外いがいは、すべはつ飛行ひこうであった。また、ウォーカーはマクドネル・ダグラス社員しゃいんで、スペースシャトルに搭乗とうじょうしたはつ民間みんかんのペイロードスペシャリストとなった。

ディスカバリーのだい1カーゴには、3つの商業しょうぎょうよう通信つうしん衛星えいせいサテライト・ビジネス・システムズしゃのSBS-D、カナダのテレサットしゃテルスター3-C、ヒューズしゃ作製さくせいし、アメリカ海軍かいぐんしたリーサット-2が搭載とうさいされた。リーサット-2は、スペースシャトルから軌道きどう投入とうにゅうするために設計せっけいされた最初さいしょ民間みんかん大型おおがた衛星えいせいであった。3つの人工じんこう衛星えいせいすべて、軌道きどうへの投入とうにゅう運用うんよう成功せいこうした。

そののペイロードには、はば4.0m、たかさ31mで、180mmにたたまれたOAST-Iソーラーパネルがある。このソーラーパネルにはなんしゅかのことなる実験じっけん段階だんかい太陽たいよう電池でんちまれていた。これは、有人ゆうじん飛行ひこうから軌道きどう投入とうにゅうされたこれまでで最大さいだい構造こうぞうぶつであり、将来しょうらい国際こくさい宇宙うちゅうステーションのようなだい規模きぼ構造こうぞうぶつのためのおおきくてかるいソーラーパネルの実現じつげん可能かのうせいしめした。

マクドネル・ダグラスが資金しきん提供ていきょうするContinuous Flow Electrophoresis System (CFES)実験じっけんは、生体せいたい細胞さいぼうもちいるもので、これまでのミッションよりも複雑ふくざつなものであり、ウォーカーは飛行ひこうちゅう100時間じかん以上いじょうをこの実験じっけんついやした。ほろ重力じゅうりょく状態じょうたいでの結晶けっしょう成長せいちょう観察かんさつする学生がくせいけの実験じっけんおこなわれた。このミッションのハイライトは、IMAXカメラをもちいて撮影さつえいされ、のちThe Dream Is Aliveというドキュメンタリー映画えいがにまとめられた。

ミッションは6日間にちかんと56ふん4びょうつづき、1984ねん9がつ5にち637ふん(PDT)にエドワーズ空軍くうぐん基地きちだい17滑走かっそう着陸ちゃくりくした。ディスカバリーはこの飛行ひこう地球ちきゅうを97しゅうし、401まんkmを飛行ひこうした。オービタは、9がつ10日とおかにケネディ宇宙うちゅうセンターに移送いそうされた。

ミッションの徽章きしょう

[編集へんしゅう]

青地あおじかがやく12ほしは、このミッションが当初とうしょ、STS-12とばれていたことをしめしている。ディスカバリーの名前なまえがシャトルにつながる帆船はんせんからびるあかしろあおのテープにえがかれ、これがディスカバリーの処女しょじょ航海こうかいであることをしめしている。

起床きしょうコール

[編集へんしゅう]

NASAでは、ジェミニ計画けいかくときから宇宙うちゅう飛行ひこうのために音楽おんがくをかけはじめ、アポロ15ごうはじめて起床きしょうようもちいられた。それぞれの楽曲がっきょくは、しばしば宇宙うちゅう飛行ひこう家族かぞく特別とくべつえらんだもので、それぞれの乗組のりくみいん特別とくべつ意味いみがあるか、日々ひび活動かつどうてきしたものである[1]

きょく 歌手かしゅ/作曲さっきょく
2にち "Anchors Aweigh" チャールズ・ジマーマン

ギャラリー

[編集へんしゅう]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ Fries, Colin (25 June 2007). “Chronology of Wakeup Calls” (PDF). NASA. https://www.nasa.gov/wp-content/uploads/2023/07/wakeup-calls.pdf 13 August 2007閲覧えつらん 

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]