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STS-41-C

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
STS-41-C
徽章きしょう
ミッションの情報じょうほう
ミッションめい STS-41-C
シャトル チャレンジャー
発射はっしゃだい 39-A
打上うちあ日時にちじ 1984ねん4がつ6にち 13:58:00 UTC
着陸ちゃくりくまたは着水ちゃくすい日時にちじ 1984ねん4がつ13にち 13:38:07 UTC
エドワーズ空軍くうぐん基地きち
ミッション期間きかん 6にち23あいだ40ふん7びょう
周回しゅうかいすう 108
高度こうど 580 km
軌道きどう傾斜けいしゃかく 28.5°
航行こうこう距離きょり 4,620,000 km
乗員じょういん写真しゃしん
年表ねんぴょう
前回ぜんかい 次回じかい
STS-41-B STS-41-B STS-41-D STS-41-D

STS-41-Cは、アメリカ航空こうくう宇宙うちゅうきょくの11度目どめスペースシャトルのミッションであり、チャレンジャーの5度目どめのミッションである。1984ねん4がつ6にち打上うちあげげは、スペースシャトルとしてはじめて、直接ちょくせつ上昇じょうしょう軌道きどうせるものであった。STS-41-Cは、ソーラーマックス捕獲ほかく問題もんだいしょうじたことから、1にち延長えんちょうされ、4がつ13にちに、計画けいかくされたケネディ宇宙うちゅうセンターではなくエドワーズ空軍くうぐん基地きち着陸ちゃくりくした。この飛行ひこうは、当初とうしょSTS-13とされていた[1][2]

乗組のりくみいん

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パラメータ

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  • 質量しつりょう:
    • 離陸りりく:115,328 kg
    • 着陸ちゃくりく:89,346 kg
    • ペイロード:25,981 kg
  • きんてん:222 km
  • とおてん:468 km
  • 軌道きどう傾斜けいしゃかく:28.5°
  • 軌道きどう周期しゅうき:91.4ふん

宇宙うちゅう遊泳ゆうえい

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  • 1度目どめ - ネルソンとファン・ホーフェン
    • 開始かいし:1984ねん4がつ8にち 1418ふんUTC
    • 終了しゅうりょう:1984ねん4がつ8にち 1656ふんUTC
    • 時間じかん:2あいだ38ふん
  • 2度目どめ - ネルソンとファン・ホーフェン
    • 開始かいし:1984ねん4がつ11にち 0858ふんUTC
    • 終了しゅうりょう:1984ねん4がつ11にち 1542ふんUTC
    • 時間じかん:6あいだ44ふん

ミッションの概要がいよう

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長期ちょうき曝露ばくろ実験じっけん施設しせつは、スペースデブリについての重要じゅうよう情報じょうほうあたえる。
ジョージ・ネルソンは、ソーラーマックスを捕獲ほかくしようとこころみた。
ネルソンとファン・ホーヘンは、捕獲ほかくしたソーラーマックスの修理しゅうりおこなった。
着陸ちゃくりくである13にち金曜日きんようびあらわしたミッション徽章きしょうべつあん[3]

1984ねん4がつ6にち858ふんESTにげられた。このミッションは、スペースシャトルをはじめて直接ちょくせつ上昇じょうしょう軌道きどうせるもので、オービタル・マニューバリング・システム・エンジンを1起動きどうしただけで、533㎞の軌道きどうたっし、周回しゅうかい軌道きどうはいった。

この飛行ひこうには2つの主要しゅよう目的もくてきがあった。1つは、長期ちょうき曝露ばくろ実験じっけん施設しせつをすることであった。この施設しせつは、回収かいしゅう可能かのうであり、質量しつりょうは9,700㎏、ながさは4.3m、直径ちょっけいは9.1mで、側面そくめんに12のシリンダーをつけ、57の科学かがく実験じっけんおこなうことができた。2つ目的もくてきは、1980ねんげられ、故障こしょうしたソーラーマックスを捕獲ほかくし、回収かいしゅうさい投入とうにゅうすることであった。

5にん乗組のりくみいんは、全員ぜんいん男性だんせいで、機長きちょうのロバート・クリッペンは唯一ゆいいつ宇宙うちゅう飛行ひこう経験けいけんしゃで3度目どめ飛行ひこうであった。パイロットはディック・スコビー、ミッションスペシャリストは、ジョージ・ネルソン、ジェームズ・ファン・ホーフェンおよびテリー・ハートであった。

打上うちあげの段階だんかいで、ミッションコントロールセンターのメインコンピュータが故障こしょうし、バックアップのコンピュータをもちいた。やく1あいだあいだ、コントロールセンターにはスペースシャトルからのデータがとどかなかった[4]

飛行ひこう2にちシャトル・リモート・マニピュレータ・システムもちいて長期ちょうき曝露ばくろ実験じっけん施設しせつ軌道きどうへの投入とうにゅう成功せいこうした。57の実験じっけんは、8つのくにからた200にん研究けんきゅうしゃによっておこなわれた。長期ちょうき曝露ばくろ実験じっけん施設しせつ改修かいしゅうは1985ねん予定よていされていたが、計画けいかく延長えんちょうし、1986ねんチャレンジャーごう爆発ばくはつ事故じこ影響えいきょうによって1990ねん1がつ12にちSTS-32まで延期えんきされた。

飛行ひこう3にち飛行ひこう高度こうどやく560kmまで上昇じょうしょうさせ、ソーラーマックスのから61mの距離きょりまでちかづいた。ネルソンとファン・ホーフェンは、ふねがい活動かつどうよう推進すいしん装置そうちもちいてふねがい活動かつどうおこない、Trunnion Pin Acquisition Deviceという装置そうちもちいて衛星えいせい捕獲ほかくしようとこころみたが、3挑戦ちょうせん失敗しっぱいわった。ネルソンがつかもうとしたときにソーラーマックスはじく回転かいてんはじめ、つかむことはできなかった。クリッペンは、2人ふたりをシャトルじょうめるために過度かど操作そうさおこない、燃料ねんりょうきそうになった。

夜間やかんには、ゴダード宇宙うちゅう飛行ひこうセンターから磁気じきトルクを制御せいぎょする指令しれいおくることができ、回転かいてん安定あんていさせることができた。

翌日よくじつ、クリッペンはふたたびチャレンジャーをソーラーマックスにちかづけ、ハートがシャトル・リモート・マニピュレータ・システムでソーラーマックスを捕獲ほかくすることに成功せいこうした。ソーラーマックスはそのままペイロードベイに格納かくのうされ、高度こうど制御せいぎょシステムとコロナグラフ観測かんそくシステムの電子でんし回路かいろ修理しゅうりおこなわれた。最終さいしゅうてきには、2ふねがい活動かつどう修理しゅうり完了かんりょうし、ソーラーマックスは翌日よくじつ軌道きどうさい投入とうにゅうされた。ゴダード宇宙うちゅう飛行ひこうセンターによる30日間にちかん監視かんしえて、この衛星えいせい運用うんよう再開さいかいした。

その活動かつどうとしては、学生がくせい教育きょういくよう実験じっけんとして、ミツバチ微小びしょう重力じゅうりょく環境かんきょうでもハニカム構造こうぞうつくれるのか確認かくにんする実験じっけんがあった。ミツバチは、地球ちきゅうにいるときおなじようにハニカム構造こうぞうつくるのに成功せいこうした。

長期ちょうき曝露ばくろ実験じっけん施設しせつ投入とうにゅうやソーラーマックスの修理しゅうりふくむこのミッションのハイライトはIMAX撮影さつえいされ、The Dream is Aliveという映画えいが使つかわれた。

6日間にちかんと23あいだ40ふん7びょうのミッションは、1984ねん4がつ13にち538ふんPSTに、チャレンジャーがエドワーズ空軍くうぐん基地きちだい17滑走かっそう着陸ちゃくりくして終了しゅうりょうした。チャレンジャーは、1984ねん4がつ18にちにケネディ宇宙うちゅうセンターにもどった。

起床きしょうコール

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NASAでは、ジェミニ計画けいかくときから、宇宙うちゅう飛行ひこうのために音楽おんがくをかけはじめ、アポロ15ごうから、乗組のりくみいん起床きしょうのために音楽おんがく使つかうようになった。それぞれのきょくは、宇宙うちゅう飛行ひこう家族かぞくとうえらんだもので、それぞれの乗組のりくみいんにとって特別とくべつ意味いみつものや、日々ひび活動かつどうてきしたものである[5]

日程にってい きょく 歌手かしゅ/作曲さっきょく
2にち "A Boy Named Sue" ジョニー・キャッシュ
3にち "Lehigh University Fight Song"
4にち 不明ふめい
5にち "ロッキーのテーマ"
6にち 不明ふめい
7にち
8にち "University of Texas Fight Song"

出典しゅってん

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  1. ^ "James D. A. van Hoften", NASA Johnson Space Center Oral History Project, 5 December 2007.
  2. ^ "Terry J. Hart", NASA Johnson Space Center Oral History Project, 10 April 2003.
  3. ^ Space Shuttle Challenger: Ten Journeys into the Unknown by Ben Evans. Google Books. Retrieved 2012-05-30.
  4. ^ Hale, Wayne. “Ground Up Rendezvous”. 2012ねん7がつ5にち閲覧えつらん
  5. ^ Fries, Colin (25 June 2007). “Chronology of Wakeup Calls” (PDF). NASA. https://www.nasa.gov/wp-content/uploads/2023/07/wakeup-calls.pdf 13 August 2007閲覧えつらん 

外部がいぶリンク

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