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STS-70

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
STS-70
TDRS-Gの展開てんかい準備じゅんびをするディスカバリー
任務にんむ種別しゅべつ人工じんこう衛星えいせい展開てんかい
運用うんようしゃNASA
COSPAR ID1995-035A
SATCAT №23612
任務にんむ期間きかん8にち22あいだ20ふん05びょう
飛行ひこう距離きょり6,000,000 km
周回しゅうかいすう143
特性とくせい
宇宙うちゅうスペースシャトルディスカバリー
ペイロード重量じゅうりょう20,159 kg
乗員じょういん
乗員じょういんすう5
乗員じょういんテレンス・ヘンリクス英語えいごばん
ケビン・クリーゲル英語えいごばん
ナンシー・J・カリー
ドナルド・トーマス英語えいごばん
メアリー・E・ウェーバー
任務にんむ開始かいし
1995ねん7がつ13にち13:41:55.078(UTC)
打上うちあ場所ばしょケネディ宇宙うちゅうセンターだい39発射はっしゃ施設しせつB
任務にんむ終了しゅうりょう
着陸ちゃくりく1995ねん7がつ22にち12:02(UTC)
着陸ちゃくりく地点ちてんケネディ宇宙うちゅうセンターNASAシャトル着陸ちゃくりく施設しせつ33ばん滑走かっそう
軌道きどう特性とくせい
参照さんしょう座標ざひょう地球ちきゅう周回しゅうかい軌道きどう
体制たいせいてい軌道きどう
きんてん高度こうど257 km
とおてん高度こうど257 km
傾斜けいしゃかく28.45°
軌道きどう周期しゅうき90.5ふん

ひだりから、クリーゲル、カリー、ヘンリクス、ウェーバー、トーマス
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STS-70は、スペースシャトルディスカバリーの21かい飛行ひこうで、TDRS運搬うんぱんした7かいのうち最後さいごのミッションである。ジョンソン宇宙うちゅうセンターあたらしいミッションコントロールセンターしつからはじめてコントロールがおこなわれたミッションである[1]。また、エンジン性能せいのう安全あんぜんせい両方りょうほう改良かいりょうするために設計せっけいされたあたらしいブロック1オービタメインエンジンをもちいた最初さいしょ飛行ひこうである。1995ねん7がつ13にちケネディ宇宙うちゅうセンターからげられた。これは、アトランティス打上うちあげげからわずか6にちのことで、スペースシャトル計画けいかく史上しじょうもっとみじか間隔かんかくでの打上うちあげとなった。

乗組のりくみいん

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準備じゅんび打上うちあ

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70かいのスペースシャトルミッション

ロシアのスペクトル実験じっけんしつミールへの打上うちあげげがおくれたため、STS-70は当初とうしょSTS-71よりもさきげられることになっていたが、1995ねん5がつ31にちハシボソキツツキ営巣えいそうによる外部がいぶ燃料ねんりょうタンク損傷そんしょう評価ひょうかおこなわれた。ねつ防護ぼうごよう発泡はっぽう断熱だんねつざい直径ちょっけい4インチから0.5インチの71個いっこあなひらいており、6月2にちNASA管理かんりしゃは、ディスカバリーの修理しゅうりのために打上うちあげを延期えんきし、STS-71をSTS-70のまえげることを決定けっていした。ディスカバリーは6がつ8にちスペースシャトル組立くみたてとうもどされ、6月15にちふたた発射はっしゃだい移動いどうされた。打上うちあげは1995ねん7がつ13にち9:41:55.078 a.m. (EDT)におこなわれた。打上うちあげウィンドウは、2あいだ30ふんであった。8:13am (EDT)にハッチがじられ、T-31びょうまでスムーズにカウントされた。T-31びょう時点じてんで、外部がいぶ燃料ねんりょうタンクの自動じどう利得りとく制御せいぎょ安全あんぜんシステム受信じゅしん変動へんどうられたため、カウントが55秒間びょうかん停止ていしされた。打上うちあ実施じっし基準きじゅん偶発ぐうはつ手順てじゅん発動はつどうし、そのカウントが再開さいかいされた。STS-70は、あたらしいブロック1オービタメインエンジンの処女しょじょ飛行ひこうとなった。エンジン番号ばんごう2036は、あたらしいこうあつ液体えきたい酸素さんそターボポンプ、2ダクト発動はつどうバッフル燃料ねんりょう噴射ふんしゃ装置そうち一巻いっかんしきねつ交換こうかんとう特徴とくちょうで、起動きどう順序じゅんじょ改良かいりょうされた。の2つのエンジンは、既存きそんのフェーズIIのデザインであった。

ハイライト

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ペイロードベイにあるTDRS-G

おも任務にんむは、段式だんしき慣性かんせい上段じょうだんロケットによる7かいのTDRSの打上うちあげと展開てんかいであった。これはTRWしゃによって製造せいぞうされ、やく2,200kgのおもさがあった。衛星えいせいは、ディスカバリーのカーゴベイから2:55 p.m.(CDT)ちょうどに放出ほうしゅつされた。衛星えいせい放出ほうしゅつは、ミッションスペシャリストのドナルド・トーマス英語えいごばんメアリー・E・ウェーバー担当たんとうした。やく15ふん軌道きどうげて衛星えいせい慣性かんせい上段じょうだんロケットのちかくからはなれるために、船長せんちょうテレンス・ヘンリクス英語えいごばんはエンジンを点火てんかした[1]。3:55 p.mころ慣性かんせい上段じょうだんロケットの一段いちだん点火てんかし、TDRS-Gを適切てきせつ高度こうど22,000マイル西経せいけい178°で太平洋たいへいよう中央ちゅうおう上空じょうくう適切てきせつ静止せいし軌道きどうまで移動いどうさせた。展開てんかい作業さぎょうは、3かしょのコントロールセンターによりおこなわれた。ホワイトサンズ地上ちじょうきょくはTDRS、ジョンソン宇宙うちゅうセンターのミッションコントロールセンターはスペースシャトル、オニヅカ空軍くうぐん基地きち英語えいごばんはブースタの運用うんようになった。目的もくてき地点ちてんたっしたのち完全かんぜん展開てんかいした衛星えいせいつばさちょうは57フィートとなった。TDRSの配置はいちは6度目どめとなった。最初さいしょTDRS-1英語えいごばんは1983ねん4がつ4にちSTS-6げられ、寿命じゅみょうは7ねん計画けいかくされていた。2TDRS-B英語えいごばんは、STS-51-Lチャレンジャーとともに消失しょうしつした。TDRS-3英語えいごばんSTS-26TDRS-4英語えいごばんSTS-29TDRS-5英語えいごばんSTS-43TDRS-6英語えいごばんSTS-54でそれぞれ展開てんかいされた。

のペイロードと実験じっけん

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バイオリアクタのサンプルをつドナルド・A・トーマス

ミッションのほか目的もくてきは、Physiological and Anatomical Rodent Experiment / National Institutes of Health-Rodents (PARE/NIH-R); Bioreactor Demonstration System (BDS), Commercial Protein Crystal Growth (CPCG); Space Tissue Loss/National Institutes of Health-Cells (STL/NIH-C); Biological Research in Canisters (BRIC); Shuttle Amateur Radio Experiment-II (SAREX-II), Visual Function Tester-4 (VFT-4); Hand-Held, Earth Oriented, Real-Time, Cooperative, User-Friendly, Location-Targeting and Environmental System (HERCULES); Microcapsules in Space-B (MIS-B); Windows Experiment (WINDEX); Radiation Monitoring Equipment-III (RME-III); and the Military Applications of Ship Tracks (MAST)とうである。

BDSは、地上ちじょう宇宙うちゅうのバイオリアクタをもちいて、個々ここ細胞さいぼうもと組織そしきまたは器官きかん形態けいたいてき機能きのうてき類似るいじした組織そしき成長せいちょうさせるシステムである。BDSはジョンソン宇宙うちゅうセンターでつくられた装置そうちで、回転かいてんする円筒えんとう成長せいちょうえきちゅう細胞さいぼう組織そしき保持ほじし、微小びしょう重力じゅうりょく影響えいきょうをシミュレーションする。地上ちじょうでの実験じっけんではすでなん使つかわれているこのシステムは、さらにガスと栄養素えいようそ交換こうかんおこなわれる。宇宙うちゅう飛行ひこう実験じっけんによって、実際じっさい微小びしょう重力じゅうりょくちゅうでのバイオリアクタの性能せいのう調しらべられた。当初とうしょ目標もくひょうは、微小びしょう重力じゅうりょくちゅうでのバイオリアクタの流体りゅうたい力学りきがく特性とくせい評価ひょうかであった[2]

着陸ちゃくりく

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ディスカバリーの帰還きかん

1995ねん7がつ21にちの7:54 am(EDT)と9:31 am(EDT)のケネディ宇宙うちゅうセンターへの着陸ちゃくりく機会きかいは、NASAシャトル着陸ちゃくりく施設しせつ上空じょうくうきりのために延期えんきされた。フライトディレクターのリック・ジャクソンは、司会しかいわるさに2かい連続れんぞく着陸ちゃくりく機会きかいはばまれたのち、5にん乗組のりくみいんに、さらに1にち宇宙うちゅうまるように指示しじした。宇宙うちゅう飛行ひこうスティーヴ・オズワルドが気象きしょう偵察ていさつ着陸ちゃくりく観察かんさつし、見晴みはらしの地点ちてんから3マイルちょう滑走かっそうえなかったと報告ほうこくしたのち乗組のりくみいんは、翌日よくじつ7:10 a.m.(CDT)の着陸ちゃくりくになるとつたえられた。STS-70は、1995ねん7がつ22にち8:02 a.m.(EDT)にケネディ宇宙うちゅうセンターの33ばん滑走かっそう着陸ちゃくりくした。6:26 a.m.(EDT)の着陸ちゃくりく機会きかいは、天候てんこういま若干じゃっかん回復かいふくしていなかったため、延期えんきされた[3]

ギャラリー

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出典しゅってん

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  1. ^ a b STS-70 Status Report # 1,p.1,MCC,1995
  2. ^ STS-70 Press Kit,p.36,PAO,1995
  3. ^ KSC Press Release 71-95,PAO, 1995

外部がいぶリンク

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