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STS-41-G

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
STS 41-G
徽章きしょう
ミッションの情報じょうほう
ミッションめい STS 41-G
シャトル チャレンジャー
発射はっしゃだい 39-A
打上うちあ日時にちじ 1984ねん10がつ5にち 11:03:00 UTC
着陸ちゃくりくまたは着水ちゃくすい日時にちじ 1984ねん10がつ13にち 16:26:33 UTC
ケネディ宇宙うちゅうセンター
ミッション期間きかん 8にち5あいだ23ふん33びょう
周回しゅうかいすう 133
高度こうど 218海里かいり (404 km)
軌道きどう傾斜けいしゃかく 57.0°
航行こうこう距離きょり 3,289,444マイル (5,293,847 km)
乗員じょういん写真しゃしん
下段げだんひだりからみぎに)ジョン・マクブライド、サリー・ライド、キャサリン・サリバン、デビッド・リーストマ、上段じょうだんひだりからみぎに)ポール・スカリー=パワー、ロバート・クリッペン、マーク・ガルノー。マクブライドのよこかれた金色きんいろ宇宙うちゅう飛行ひこうピンのレプリカは、団結だんけつ象徴しょうちょうしている。
年表ねんぴょう
前回ぜんかい 次回じかい
STS-41-D STS-41-D STS-51-A STS-51-A

STS-41-Gは、アメリカ航空こうくう宇宙うちゅうきょくスペースシャトル計画けいかくの13かい飛行ひこうであり、チャレンジャーの6かい飛行ひこうである。チャレンジャーは、1984ねん10がつ5にちげられ、10月13にちケネディ宇宙うちゅうセンターに2度目どめ着陸ちゃくりくたした。7にん乗組のりくみいんせた最初さいしょのミッションであり、またはじめて2人ふたり女性じょせい宇宙うちゅう飛行ひこうサリー・ライドキャサリン・D・サリバンおよび、はじめてのカナダじん宇宙うちゅう飛行ひこうマーク・ガルノー英語えいごばん)が搭乗とうじょうした。さらに、はじめて女性じょせい宇宙うちゅう遊泳ゆうえい(サリバン)がおこなわれた。

STS-41-Gは、IMAXカメラを搭載とうさいした3度目どめのミッションである。このミッションで撮影さつえいされたフィルム(サリバンとリーストマの宇宙うちゅう遊泳ゆうえいふくむ)は、1985ねんThe Dream Is Aliveという映画えいが使用しようされた。

乗組のりくみいん

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バックアップ

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ミッションパラメータ

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  • 質量しつりょう
    • 離陸りりく:110,120 kg
    • 着陸ちゃくりく:91,746 kg
    • ペイロード:8,573 kg
  • きんてん:351 km
  • とおてん:391 km
  • 軌道きどう傾斜けいしゃかく:57°
  • 軌道きどう周期しゅうき:92.0ふん

宇宙うちゅう遊泳ゆうえい

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  • 開始かいし:1984ねん10がつ11にち
  • 終了しゅうりょう:1984ねん10がつ11にち
  • 時間じかん:3あいだ29ふん

ミッションの概要がいよう

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展開てんかいちゅうのERBS
展開てんかいちゅうのSIR-Bアンテナ
宇宙うちゅう遊泳ゆうえいちゅうのサリバン

1984ねん10がつ5にち73ふん(EDT)、ケネディ宇宙うちゅうセンターからチャレンジャーがげられ、STS-41-Gのミッションがはじまった。チャレンジャーの6かい飛行ひこうであり、スペースシャトル計画けいかくの13かい飛行ひこうであった。

搭乗とうじょうしゃは7めい乗組のりくみいんで、これまでの1のスペースシャトルの打上うちあげげでは最大さいだい人数にんずうであった。機長きちょうはロバート・クリッペンであり、これが4度目どめ宇宙うちゅう飛行ひこうで、しかも6かげつまえにも宇宙うちゅうったばかりだった。パイロットはジョン・マクブライドであり、その、3にんのミッションスペシャリスト(デビッド・リーストマ、サリー・ライド、キャサリン・D・サリバン)と2人ふたりのペイロードスペシャリスト(ポール・スカリー=パワーとマーク・ガルノー)が搭乗とうじょうした。マーク・ガノは、カナダじんとしてはじめて宇宙うちゅうおとずれた。

サリバンは、1984ねん10がつ11にちに3あいだ宇宙うちゅう遊泳ゆうえいおこない、宇宙うちゅう遊泳ゆうえいおこなったはじめてのアメリカじん女性じょせいとなった。

打上うちあげから9あいだ、2,307kgの大気たいき放射ほうしゃ収支しゅうし衛星えいせい(ERBS)がシャトル・リモート・マニピュレータ・システムによってペイロードベイから展開てんかいされ、スラスターを噴射ふんしゃして560㎞の軌道きどう放出ほうしゅつされた。この衛星えいせいは、地球ちきゅう太陽たいようからるエネルギーのりょう宇宙うちゅうへのさい放射ほうしゃりょう測定そくていするために計画けいかくされた3つの衛星えいせいのうち最初さいしょのものであった。また、赤道あかみち地方ちほうからごく地方ちほうへのエネルギーのぶし移動いどう観測かんそくにももちいられた。

ミッションのもう1つのおも目的もくてきは、Shuttle Imaging Radar-B (SIR-B)の運用うんようであった。SIR-BはOSTA-3の一部いちぶであり、地球ちきゅう撮影さつえいするためのLarge Format Camera (LFC)や大気たいき汚染おせん測定そくていするためのMAPSとばれるカメラからっていた。

SIR-Bをもちいて撮影さつえいされた画像がぞうれい

SIR-Bは、STS-2おこなわれたOSTA-1の改良かいりょうバージョンであった。これは8まいパネルのアンテナで、飛行ひこうあいだちゅうずっと運用うんようされていたが、チャレンジャーのKuおびアンテナが故障こしょうし、当初とうしょ計画けいかくどおりにリアルタイムで地球ちきゅう伝送でんそうできなず、機体きたいじょう記録きろく装置そうち記録きろくされることとなった。

ペイロードスペシャリストでアメリカ海軍かいぐん研究所けんきゅうじょのスカリー=パワーは、一連いちれん海洋かいようがく観測かんそくおこなった。ガノは、CANEXとばれる、医学いがく大気たいきがく気象きしょうがく材料ざいりょうがく、ロボットがく関連かんれんするカナダ政府せいふ委託いたく実験じっけんおこなった。

のちに、ソビエト連邦れんぽうTerra-3が1984ねん10がつ10日とおかてい出力しゅつりょくレーザーでチャレンジャーを追跡ついせきしていたとほうじられたが、このせつ乗組のりくみいんによって完全かんぜん否定ひていされている[1]

8にちと5あいだ23ふん33びょうのミッションで、チャレンジャーは地球ちきゅうを132しゅうし、5,293,847km飛行ひこうした。1984ねん10がつ13にち1226ふん(EDT)、ケネディ宇宙うちゅうセンターのNASAシャトル着陸ちゃくりく施設しせつ着陸ちゃくりくした。この施設しせつ利用りようされたのは、2度目どめのことであった。

徽章きしょう

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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく国旗こっき青地あおじえがかれた13ほしは、だい13かいのスペースシャトル計画けいかくであることをしめしている。一方いっぽう黒地くろじえがかれた17ほしは、当初とうしょ計画けいかくめいSTS-17であったことをしめしている。それぞれの乗組のりくみいん名前なまえよこには性別せいべつマークがえがかれ、ガルノーの名前なまえよこにはカナダの国旗こっきえがかれている。

宇宙うちゅう史家しかコリン・バージェス著書ちょしょOceans to Orbit: The Story of Australia's First Man in Space, Paul Scully-Powerでは、STS-41-Gのミッションが詳細しょうさいえがかれている。

起床きしょうコール

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NASAでは、ジェミニ計画けいかくときから伝統でんとうてき宇宙うちゅう飛行ひこうのために音楽おんがくながすことをはじめ、アポロ15ごうでははじめて宇宙うちゅう飛行ひこう起床きしょうのためにもちいられた。それぞれのきょくは、宇宙うちゅう飛行ひこう家族かぞくとうえらんだもので、しばしば各人かくじんにとって特別とくべつ意味いみっている[2]

きょく 歌手かしゅ/作曲さっきょく
2にち "Flashdance - What A Feeling" アイリーン・キャラ
3にち "ロッキーのテーマ"

出典しゅってん

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外部がいぶリンク

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