桜田 武
来歴 ・人物
1904
1942
財界 の代表 的 闘士 として
共同 調査 会 と反共 活動
1950
財界 主流 派 として
日清紡 社長 として
日経連 会長 として
事業 家 として
逸話
櫻田 の師 、宮島 清次郎 に政府 から叙勲 の話 があった時 、「男 が民間 で一生 をかけてやった仕事 に役所 が一等 だ、二 等 だとランクづけするのはおかしい。櫻 田 行 って断 って来 い」との命 を受 け、辞退 の使者 役 となった。櫻田 自身 にも当然 叙勲 の話 があったが、師 ・宮島 に倣 い叙勲 を辞退 した[8][42][43]。
叙勲 は辞退 したが、素朴 な市民 の気持 ちを大事 にしたいという考 えから故郷 ・福山 の名誉 市民 の称号 だけは受 けている[16]。
宮島 が会長 引退 に際 して、いっさい退職 金 を受 け取 らない現場 を目 のあたりにして、私欲 を捨 てて、公 につくす、という指導 者 の処世 術 を学 び実践 した[16]。
- 1949
年 、第 3次 吉田 内閣 の発足 で宮島 を通 じて吉田 茂 首相 から「大蔵 大臣 は民間 から採用 したい。適当 な人材 を推薦 して欲 しい」と依頼 を受 け、大蔵省 を退官 し1949年 1月 の総 選挙 で初 当選 を果 たして1ヶ月 もたたない同郷 の池田 勇人 を推薦 した。宮島 が考 えた人材 が、みな戦後 のパージにかかっていたこともあったが、これを宮島 が電話 で「お前 の党 に入 ったばかりの池田 でどうだ」と吉田 に伝 えると、「君 がいうなら、役人 あがりではあるが、よかろう」と電話 一本 で決定 、吉田 は党内 の反対 を押 し切 って池田 を第 3次 吉田 内閣 の大蔵 大臣 に抜擢 した[17][44]。
池田 首相 時代 に「財界 四天王 」と呼 ばれた桜田 と小林 中 、水野 成夫 、永野 重雄 の関係 の始 まりは、永野 と桜田 は同郷 で六 高 ~東大 を通 じて柔道 部 仲間 。水野 も一 高 と六 高 の柔道 の試合 で対戦 経験 があり、宮島 が国策 パルプで、元 共産 党員 の水野 と南 喜一 を使 おうとして桜田 に首実検 をさせたとき、すぐに意気投合 した[45]。小林 は戦後 の経済同友会 を通 じてのもので、それ以外 の関係 、小林 -水野 、小林 -永野 、水野 -永野 も経済同友会 を通 じてのもの。そしてこの4人 に近 いグループが鹿内 信隆 、今里 広 記 、五島 昇 、小坂 徳三郎 である[19]。
- 1949
年 、GHQからの指示 で国営 事業 の公社 化 が行 われたが、またも吉田 茂 首相 から「国鉄 は民間 の人間 にやらせたい」との要請 を受 け、宮島 が推薦 したのが小林 中 で、桜田 はその旨 小林 に伝 えるが、一 週間 後 、鉄道 国有 法 などを読 んだ小林 が怒鳴 り込 んできて「あらゆる予算 は国会 で承認 する。総裁 は何 も出来 ない。飾 りものはゴメンだ!」などと就任 要請 を固辞 した。代 わって国鉄 の初代 総裁 になったのが下山 定則 である[46]。皮肉 にも、この事件 で小林 は評価 を高 める[47]。
- 1949
年 、50年 頃 、後 に首相 となる池田 勇人 蔵相 を中心 とし、後 の「財界 四天王 」が集 まる「亥 二黒 会 」という会合 が毎月 柳橋 の料亭 で開催 されていた。池田 は師 ・吉田 と同様 に財界 との交流 を重 んじた[48]。毎回 、熱 い議論 が繰 り広 げられ、桜田 は池田 蔵相 などにも遠慮 なく苦言 を呈 し、池田 蔵相 らが言葉 を詰 まらせる場面 がしばしばあったと、当時 池田 蔵相 秘書官 を務 めていた宮澤 喜一 元 首相 は語 っている。なお、この「亥 二黒 会 」は、最初 はそういう名前 ではなく、内輪 の小 人数 の財界 人 だけの会 で、一 万田 尚登 や白洲 次郎 なども入 っていた。そこへ池田 が「俺 も入 れろ」と言 って入 ってきたが、池田 と一 万 田 が仲 が悪 いため、そこで小林 中 と水野 成夫 が池田 を中心 とした明治 32年 生 まれ(亥 の二黒 )だけに会 にしようと一 万 田 と白洲 に退 いてもらい、小池 厚 之 助 、堀田 庄三 、東畑 精一 を加 えて、明治 32年 生 まれだけ6人 の会 にした[48][49][50]。
桜田 は「亥 二黒 会 」のメンバーではないため、この話 は柳橋 ではなく築地 の割烹 旅館 「栄 家 」[51]でないかと思 われる。この店 は女将 が池田 、桜田 と同郷 の広島 出身 で、永野 や賀 屋 興 宣 、高橋 朝次郎 らも根城 にしていた。「財界 四天王 」の内 、池田 と桜田 は特別 に親 しく、桜田 は池田 が亡 くなった後 も「宏池会 」の面倒 をよくみた[14]。「宏池会 」の長 が前尾 繁 三郎 から大平 正芳 に交代 する話 し合 いも桜田 がこの「栄 家 」で進 めたという[13][52]。桜田 は、今里 広 記 と二 人 が中心 になって「春 芳 会 」と呼 ぶ大平 を囲 む財界 人 有志 の団体 を作 って大平 を支 えた。このため、大平 に対 しても手厳 しく叱責 することがあったという[14]。
桜田 の真骨頂 は、先見 性 とズバリ直言 する気骨 だった[1][28]。「財界 四天王 」の中 では、他 の三 人 よりあとになって発言 や行動 が話題 となった[16]。1960年代 から1970年代 半 ばには、歯 に衣 きせぬ発言 が何 かにつけてジャーナリズムの話題 となった[1][20]。日経連 総会 や雑誌 インタビューなどで「今 の日本 は糖尿 病 だ」「日本 は国家 不在 、政治 家 不在 の半人前 国家 だ」「三木 首相 は、日本 丸 の船長 ではなく広報 課長 に過 ぎない」「日本 は政治 は三流 だが、民間 と官僚 が一流 だからもっている」[54]などと辛辣 な発言 を繰 り返 した[1]。昭和 40年 不況 のさなか、都議会 選挙 、参議院 選挙 での自民党 惨敗 にあたり、日経連 臨時 総会 で「戦後 20年 かかって、この程度 の政治 家 しか育 てられなかった不明 を恥 ず」と財界 人 としては初 めて保守党 不信 の爆 弾 発言 をした[1]。国家 不在 発言 は1969年 10月16日 の日経連 総会 での発言 で、十 年来 の持論 だとして「自主 防衛 力 を高 め国防 のあり方 を規定 するための憲法 改正 も必要 」1970年 2月 20日 には「憲法 第 9条 を改正 して、防衛 力 についてははっきり書 き込 むべきだ。また非常 事態 宣言 が出 せるようにし、弾薬 の備蓄 をふやす必要 がある」[55]などと改憲 論 を堂々 と公式 の場 でぶち上 げ物議 を醸 した[14][20][56][57]。
楯 の会 結成 の資金 調達 の為 に藤原 岩 市 が三島 由紀夫 を連 れて桜田 武 に資金 協力 を申 し出 たが、桜田 武 はこれを拒否 。三島 に150万 円 を投 げ銭 し、三島 由紀夫 に対 し「君 、私兵 はいかんよ」と言 った。三島 はこの件 で政治 の醜悪 さをしったと言 われている[59]。
小林 中 の追悼 録 の序文 は桜田 が書 いた[60]。
略歴
- 1904
年 出生 - 1926
年 東京 帝国 大学 法学部 を卒業 、日清紡績 に入社 。 - 1939
年 従軍 (~1942年 ) - 1945
年 日清紡績 取締役 社長 就任 。 - 1946
年 経済同友会 幹事 就任 。 - 1947
年 経団連 常任 委員 就任 。 - 1948
年 日本 工業 倶楽部 理事 就任 。日経連 副 議長 就任 。 - 1949
年 日経連 総 理事 就任 。 - 1950
年 経団連 常任 理事 就任 。日本 商工 会議 所 代議員 就任 。 - 1953
年 大倉 製糸 取締役 相談役 就任 。 - 1954
年 ニッポン放送 発起人 ・取締役 就任 。広島 県 人 会 副 会長 (会長 ・永野 重雄 )就任 。日本 生産 本部 理事 就任 。 - 1956
年 日本無線 相談役 就任 。産業 計画 会議 常任 委員 (委員 長 ・松永 安 左 ヱ門 )就任 。 - 1957
年 フジテレビ監査 役 就任 。 - 1958
年 アラビア石油 発起人 ・監査 役 就任 。 - 1960
年 日経連 代表 常任 理事 (74年 より会長 へ名称 変更 )就任 。 - 1961
年 JOC(日本 体育 協会 )組織 委員 就任 、日本 実業 団 バレーボール連盟 発足 と同時 に会長 に就任 [61]。 - 1964
年 日清紡績 取締役 社長 退任 、同 取締役 会長 就任 。新日本無線 取締役 就任 。 - 1965
年 四国 化成 相談役 就任 。 - 1966
年 東邦 レーヨン取締役 相談役 就任 。東京 都 防衛 協会 会長 就任 。財政 制度 審議 会 会長 代理 就任 。 - 1968
年 産経新聞 取締役 就任 。日本 万国博覧会 理事 就任 。 - 1969
年 東邦 レーヨン取締役 会長 就任 。 - 1970
年 日清紡績 取締役 会長 退任 、同 相談役 就任 。 - 1971
年 八王子 ゴルフ倶楽部 取締役 社長 就任 。 - 1972
年 沖縄 海洋 博覧 会 理事 就任 。 - 1973
年 日本 国有 鉄道 諮問 委員 会 委員 長 就任 。日本 ヨルダン協会 会長 就任 。 - 1974
年 産業 計画 懇談 会 代表 世話人 。 - 1975
年 日本 ベネゼラ経済 協力 懇談 会 会長 就任 。財政 制度 審議 会 会長 就任 。明治 神宮 総代 就任 。 - 1978
年 北部 アンデス地域 経済 使節 団 団長 就任 。外務省 顧問 就任 。 - 1979
年 日経連 会長 退任 、同 名誉 会長 就任 。講道館 理事 就任 。 - 1980
年 帝人 相談役 就任 。靖国神社 奉賛 会 会長 就任 。 - 1981
年 福山 市 名誉 市民 。 - 1984
年 日清紡績 相談役 退任 、同 顧問 就任 。 - 1985
年 逝去
脚注
- ^ a b c d e #
人国記 、56-58頁 。 - ^
近代 日本 の産業 人 (20)桜田 武 -戦後 財界 の精神 的 支柱 - ^ a b c d e f g
池内 治彦 . “未来 の視座 に立 った事業 承継 日清紡 元 社長 ・櫻田 武 の日本 的 経営 ”.事業 構想 大学院 大学 . 2017年 12月22日 閲覧 。 - ^
福山 市 の名誉 市民 -福山 市 ホームページ -福山 市役所 - ^
新 霞 が関 人脈 佐々江 外務 事務次官 は広大 付 高 で寮 生活 広島 県 、全国 版 - アカシア会 公式 サイト - ^ #いま
明 かす戦後 秘史 (下 )、92頁 。 - ^ #
履歴 書 12、7-31頁 。 - ^ a b c d e f g h i j k l
津田 眞 澂「日本 的 経営 の経営 思想 (一 )桜田 武 氏 と日清紡績 」『青森公立大学 経営 経済 学 研究 』第 2巻 第 1号 、青森公立大学 経営 経済 学 研究 編集 委員 会 、1996年 9月 、26-49頁 、CRID 1050001337544671360、ISSN 1341-9404、NAID 110000485952。 - ^ a b #いま
明 かす戦後 秘史 (上 )、168-193頁 。 - ^ a b c d e f #
戦後 財界 戦国 史 、9-23、45-77頁 。 - ^
法政大学 大原 社 研 1984~1985年 日経連 と労働 組合 〔日本 労働 年鑑 第 56集 〕 - ^ a b c d e f #カリスマの
秘密 、256-286頁 - ^ a b c #
私 の財界 交友 録 、98-105頁 。 - ^ a b c d e f g h i j #
財界 四天王 保守 本流 を支 えた財界 人脈 、227-281頁 。 - ^ a b c #
寡黙 の巨星 、154-159、183、227頁 - ^ a b c d e f g h #
人間 昭和 史 4、167―178頁 。 - ^ a b c d #
財界 首脳 部 、7―59頁 。 - ^ #いま
明 かす戦後 秘史 (下 )、14-17頁 。 - ^ a b c d #
福本 邦雄 回顧 録 、33、34、235-273頁 。 - ^ a b c
週刊 朝日 1975年 10月 31日 、116-120頁 - ^ #
財界 四天王 保守 本流 を支 えた財界 人脈 、281頁 。 - ^ #いま
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明 かす戦後 秘史 (上 )、193頁 。 - ^ a b #
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歴史 的 役割 を終 えた経団連 、一 から出直 しを | nippon.com - ^ a b c d e f g h i j k l m n o #
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楠 綾子 「冷戦 と日米 知的 交流 :下田 会議 (1967)の一 考察 」『国際 学 研究 』第 3巻 第 1号 、関西学院大学 国際 学部 研究 会 、2014年 3月 、31-44頁 、ISSN 2186-8360、NAID 120005447630。 p.37-38 より - ^ a b c d e f g h i j k #メディア1、362-365
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石油 ショック後 の狂乱 物価 で1974年 の春闘 は、30%を超 す空前 の賃上 げ率 になった。~日本経済新聞 2012/3/13 - ^
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永野 重雄 『わが財界 人生 』ダイヤモンド社 、1982年 、167頁 では、新橋 の榮 家 。 - ^
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江田 けんじNET 「霞ヶ関 の周到 な手口 教 えます!」月刊 「WiLL」2008年 12月 号 - ^
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衆議院 会議 録 情報 第 063回 国会 内 閣 委員 会 第 18号 - ^
創刊 号 に寄 せて - ^
麻生 太郎 対談 - ^
山本 舜 勝 『自衛隊 「影 の部隊 」―三島 由紀夫 を殺 した真実 の告白 』 - ^ 『
追悼 小林 中 』小林 中 追悼 録 編集 委員 会 、1982年 - ^ リコーインダストリー
東北 . “櫻田 記念 とは”. 2013年 8月 16日 閲覧 。
参考 文献
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私 の履歴 書 経済 人 12永野 重雄 』日本経済新聞社 、1979年 。 今里 廣 記 『私 の財界 交遊 録 』サンケイ出版 、1981年 。三鬼 陽之助 『財界 四天王 の遺訓 』東洋経済新報社 、1985年 。ISBN 4492060391。山下 剛 『財界 四天王 保守 本流 を支 えた財界 人脈 』ぱる出版 、1985年 。ISBN 9784938238124。阪口 昭 『寡黙 の巨星 ―小林 中 の財界 史 』日本経済新聞社 、1985年 。ISBN 9784532093631。田原 総一朗 『戦後 財界 戦国 史 総理 を操 った男 たち』講談社 、1986年 。ISBN 4062029278。鹿内 信隆 『鹿内 信隆 は語 る―理想 なきものに創造 性 は生 まれぬ』1986年 。ISBN 4062028964。大 来 佐武郎 監修 『ビジュアル版 ・人間 昭和 史 (4)財界 の指導 者 』講談社 、1987年 。ISBN 9784061925540。福本 邦雄 『表 舞台 裏 舞台 ―福本 邦雄 回顧 録 』講談社 、2007年 。ISBN 4062137607。中川 一徳 『メディアの支配 者 (上巻 )』講談社 、2005年 。ISBN 4062124521。大津 寄 勝典 「産業 発展 と企業 活動 -日本 紡績 産業 の盛衰 と企業 経営 -」『中国短期大学 紀要 』第 20巻 、中国短期大学 、1989年 6月 、261-279頁 、CRID 1050282677790112384、ISSN 0914-1227、NAID 120006588054。
関連 書籍
櫻田 武 論集 (櫻田 武 論集 刊行 会 編 ・日経連 出版 部 )桜田 武 の人 と哲学 (大谷 健 著 ・日経 連盟 弘報 部 )桜田 武 、鹿内 信隆 『いま明 かす戦後 秘史 (上 )』サンケイ出版 、1983年 。ISBN 9784383022880。桜田 武 ・鹿内 信隆 『いま明 かす戦後 秘史 (下 )』サンケイ出版 、1983年 。ISBN 9784383022897。