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大砲 - Wikipedia

大砲たいほう(たいほう)は、火薬かやく燃焼ねんしょうりょくもちいて砲弾ほうだん高速こうそく発射はっしゃし、砲弾ほうだん運動うんどうりょうまたは砲弾ほうだん自体じたい化学かがくてき爆発ばくはつによって、てきおよび構造こうぞうぶつ破壊はかい殺傷さっしょうする兵器へいき総称そうしょう火砲かほうかほうほうほうともしょうす。

17世紀せいきカノンほう

概要がいよう

編集へんしゅう

おも分類ぶんるいされる火器かき重火器じゅうかきで、じゅうより口径こうけいおおきいものとされる。ただし、このじゅうほうとの境界きょうかいとなる口径こうけいのサイズはぐん時代じだいによってことなる。かぞえるさい単位たんいていではなくもんである。一般いっぱんてきには「じゅうよりも威力いりょく殺傷さっしょうりょく破壊はかいりょく)のおおきく、個人こじんではあつかえないおおきな火器かき」と認識にんしきされる。大砲たいほうたま砲弾ほうだんといい、大砲たいほうせんもんあつかへい砲兵ほうへいとく発射はっしゃするひと砲手ほうしゅという。

大砲たいほう役割やくわりてき容赦ようしゃなく攻撃こうげきし、防御ぼうぎょかべちくことにある。こういった大砲たいほう威力いりょく決定けっていづける要素ようそとは、『射程しゃてい』『精度せいど』『発射はっしゃ速度そくど』『機動きどうせい』『貫通かんつうりょく』『砲弾ほうだん運動うんどうエネルギー』『砲弾ほうだん炸薬さくやく形状けいじょう含)』『破片はへん殺傷さっしょうせい』の8つである。

なお、火器かきおよび漢字かんじ漢語かんご発祥はっしょうした中国ちゅうごく原義げんぎでは、「ほう」とは投石とうせきるいふくだい質量しつりょうだん投射とうしゃ兵器へいき全般ぜんぱんすものである。これにたいし「じゅう」は金属きんぞくとうたま火薬かやく充填じゅうてんする機械きかい構造こうぞうすものであり、元来がんらいじゅうほう単純たんじゅんにサイズで区別くべつする同列どうれつ概念がいねんではない。実際じっさい古来こらいより鉄砲てっぽうというように、おおきければほうという認識にんしき確固かっことしてあったわけではない。さらに、佐賀さがはん大砲たいほう製造せいぞうのため設置せっちした部署ぶしょは「だいじゅう製造せいぞうかた」といい幕末ばくまつごろまで大砲たいほう大型おおがたじゅうとして「だいじゅう」ともんでいた。

じゅう手段しゅだんほう目的もくてきすものともいえる。たようなことはしほう戦車せんしゃにもえ、戦車せんしゃとは戦術せんじゅつ目的もくてきじょう概念がいねんであり、その手段しゅだんとしてはしほう形態けいたいをとっている。初期しょき戦車せんしゃ大砲たいほうそなえていないものもあった。

カタパルトトレビュシェットバリスタのように、機械きかいてきちからによって弾丸だんがん放出ほうしゅつする兵器へいき古代こだいから存在そんざいした。それらは射程しゃていばすために「ねじれ」や「回転かいてん」といった物理ぶつり法則ほうそく原理げんり応用おうようしていた。「ねじれ」によってたエネルギーをロープにつたえることが重要じゅうようだったのだ。初期しょき大型おおがた兵器へいきいしなどをとおくにばすためこのちから利用りようした。アームの部分ぶぶんくとロープがねじれてちからくわわりエネルギーをたくわえられ、あとは金具かなぐはずすだけでその瞬間しゅんかんちから解放かいほうされる。2メートルちか巨大きょだい、そしていしかたまりが、とおはなれたてき容赦ようしゃなくおそった。そのためバリスタやカタパルトが戦場せんじょう姿すがたあらわすと、てきおそれおののき、ふるがったという。

中世ちゅうせい

編集へんしゅう

中国ちゅうごくでは1259ねんみなみそう寿ことぶきはる開発かいはつされた突火やりばれるたけせい火砲かほうはや時期じきものとみられる、また1332ねんには大元おおもと統治とうちで、青銅せいどう鋳造ちゅうぞう砲身ほうしんちょう35.3cm口径こうけい10.5cmの火砲かほう製造せいぞうされ、もとまつきた農民のうみん蜂起ほうきでも多数たすう使用しようされた。中央ちゅうおうアジア西にしアジアでもティムールぐんイランイラク地域ちいき征服せいふくオスマン帝国ていこくバヤズィト1せいジョチ・ウルスのトクタミシュとの戦役せんえきにおいておさむしろよう重砲じゅうほう野戦やせんようしょう口径こうけい火砲かほうもちいている。

 
西洋せいよう最古さいこ大砲たいほう記録きろく, De nobilitatibus sapientii et prudentiis regum, Walter de Milemete, 1326
 
16世紀せいき各種かくしゅ大砲たいほうえがいたぜんそうほうのほか、こうそうほう臼砲きゅうほうもある

西欧せいおう世界せかい現存げんそんする最古さいこ火砲かほうてきもの記録きろくは、14世紀せいき1326ねん[1]イギリススコラがくもの Walter de Milemete稿こうにあるスケッチには、細長ほそながのようなものほうのようなものがえがかれている。ただし、これは実際じっさいつくられたかどうかも、実戦じっせん使つかわれたかどうかも不明ふめいである。その西欧せいおうではいち世紀せいき以上いじょう東方とうほう技術ぎじゅつつたわり、現在げんざいのようなかたち改良かいりょうされる。つまり、じょう投射とうしゃぶつではなく球形きゅうけい砲丸ほうがん発射はっしゃするための、ふとさが均一きんいつかんかたちをした大砲たいほうは、西欧せいおうでは15世紀せいき初頭しょとうごろからられるようになったということだ。この時代じだい大砲たいほうせきほうまたはボンバードほうばれ、いし砲丸ほうがん発射はっしゃするものだった。15世紀せいきなかごろまでには、西欧せいおうにも火砲かほう革新かくしんつたわった。砲丸ほうがんおおきく、射出しゃしゅつ速度そくどはやくして投射とうしゃぶつ巨大きょだい運動うんどうりょうあたえるためには、多量たりょうそうやく爆発ばくはつえうる強靭きょうじん砲身ほうしん必要ひつようであるが、その強度きょうどるために鋳造ちゅうぞうによって一体いったい成型せいけいされた大砲たいほうが、この時期じきつくられるようになった[2]

たか破壊はかいりょくった重砲じゅうほう発達はったつによってそれまで難攻不落なんこうふらくであった防衛ぼうえい設備せつび短時間たんじかんのうちに陥落かんらくさせることができるようになり、防衛ぼうえいがわ攻撃こうげきがわちから関係かんけい変化へんかしょうじさせた。1453ねんにオスマン帝国ていこくによるコンスタンティノポリス包囲ほういせんという歴史れきしてき出来事できごときたが、それには口径こうけいおおきな重砲じゅうほう決定的けっていてき役割やくわりたしている。また、ひゃくねん戦争せんそう末期まっきノルマンディーボルドーからのイギリスぐん撤退てったいにおいても火砲かほう重要じゅうよう役割やくわりたした。

大筒おおづつは、日本にっぽん戦国せんごく時代じだい後期こうきから江戸えど時代じだいにかけての大砲たいほう呼称こしょうであり、その一種いっしゅこと戦国せんごく時代じだい後期こうきよりもちいられ、おさむしろせん海戦かいせんにおいて構造こうぞうぶつ破壊はかい威力いりょく発揮はっきした[ちゅう 1]

 
ひゃく目玉めだま火矢ひやじゅう火縄銃ひなわじゅうひゃく目玉めだまかか大筒おおづつ

さらに15世紀せいき後半こうはんには、いし弾丸だんがんわるてつせい弾丸だんがんや、燃焼ねんしょう速度そくどはや粒状りゅうじょう火薬かやくなどのしんテクノロジーの発達はったつもあり、また小型こがた軽量けいりょうながらうまきで運搬うんぱん可能かのう強力きょうりょくおさむしろほう出現しゅつげんした[4]。ちなみにそれ以前いぜんまでのおさむしろほう巨大きょだいなカスタムメイドの兵器へいきであり、たとえばコンスタンティノープルの城壁じょうへきやぶったウルバンほう戦場せんじょうから200キロメートルつよばなれた首都しゅとエディルネで鋳造ちゅうぞうされていた。

近代きんだいてき意味いみでの大砲たいほうは15世紀せいきまつまでにはほぼ完成かんせいており、1840年代ねんだいまでは瑣末さまつ改良かいりょうのぞいて本質ほんしつてきにはおな設計せっけいのものが使つかわれつづけた。1494ねんナポリ王位おうい継承けいしょうけんあらそってフランスおうシャルル8せいイタリアに侵入しんにゅうしたとき、フランスぐん牽引けんいん可能かのう車輪しゃりんづけほうそなえた大砲たいほうれていた。この大砲たいほう旧来きゅうらいたか城壁じょうへきいちにち戦闘せんとうくずしてしまった[5]。それによって、つちるいによって大砲たいほうげきりょく吸収きゅうしゅうすることを目的もくてきとした築城ちくじょうじゅつ革命かくめいこした。

一方いっぽう初期しょき大砲たいほう鋳鉄ちゅうてつ鍛鉄たんてつせいであったが、素材そざい強度きょうど威力いりょく向上こうじょういつかず、金属きんぞく文明ぶんめい定性ていせい逆行ぎゃっこう鋳造ちゅうぞうせい青銅せいどうせいってわった。この名残なごり青銅せいどう砲金ほうきんともいう。連射れんしゃせい装填そうてん作業さぎょうせい改善かいぜんするこうそうしき大砲たいほう概念がいねんフランキほうのようにはやくから存在そんざいしたが、増大ぞうだいする発射はっしゃガスあつをやはりふうどめできない問題もんだいがありすたれた。ライフリング発明はつめいも15世紀せいきだが、ぜんそうしきでは装填そうてん面倒めんどうであることにくわえ、たまたいがライフリングにみながら銃砲じゅうほう身内みうちすすむことでける抵抗ていこうのため内圧ないあつ上昇じょうしょうすることで破裂はれつ腔発)をこす問題もんだい解決かいけつできず、これらのアイデアの実用じつよう鋼鉄こうてつせい火器かき製造せいぞう可能かのうになるのをたねばならなかった。

また、大砲たいほう発達はったつ海上かいじょう戦闘せんとうたいして、地上ちじょう戦闘せんとうとはちがった革命かくめいてき変化へんかをもたらした。船舶せんぱく同士どうしたたかいでは衝角装備そうびしてのてき船体せんたいへの体当たいあたり攻撃こうげきおよびてきせんうつっての白兵戦はくへいせん古来こらい戦法せんぽうであったが、これに大砲たいほうくわわることとなった。当時とうじ艦載かんさいほう威力いりょくでは船体せんたい完全かんぜん破壊はかいすること不可能ふかのうであったが、自立じりつ航行こうこう不可能ふかのうになるまで損傷そんしょうわせることや、白兵戦はくへいせんぜん段階だんかいとして敵艦てきかんへい死傷ししょうさせること可能かのうであった。16世紀せいき西にし地中海ちちゅうかいにおいてオスマン帝国ていこくつね制海権せいかいけんにぎつづけたのは、船舶せんぱく性能せいのうもあるが、それよりも大砲たいほう性能せいのうによる部分ぶぶんおおきかったといえる。また1571ねんレパントの海戦かいせんにおいても、スペイン中心ちゅうしんとした連合れんごうぐんによる、地中海ちちゅうかい覇者はしゃオスマン帝国ていこく撃破げきはには大砲たいほう火力かりょくおおきく貢献こうけんしていた。

こういった兵器へいき仕組しくみは原始げんしてきだが、てきたいして心理しんりてきにもダメージをあたえること出来できことを、古代こだい中世ちゅうせい砲兵ほうへいたち十分じゅうぶんっていた。そのすさまじい威力いりょくのために、その砲火ほうかにさらされた兵士へいしたち敗北はいぼく予測よそくしてしまい、精神せいしんめんけて絶望ぜつぼうかんいた。精神せいしんてきにダメージをった兵士へいしにとってたまんでくるおと恐怖きょうふ象徴しょうちょうであり、それは古代こだいいし現代げんだい砲弾ほうだんおなじであった。ねらわれたら抵抗ていこうするじゅつく、まさ最強さいきょう兵器へいき想像そうぞうせざるをない状況じょうきょうにもなり、勇敢ゆうかん兵士へいしたち気力きりょくこじいてたたかうことをあきらめさせてしまう、大砲たいほうにはそれほどまでにおそろしい破壊はかいてき威力いりょくがあった。

近世きんせい

編集へんしゅう

近世きんせいでは大砲たいほう野戦やせんでの活用かつようおこなわれるようになる。性能せいのうえておさえるという設計せっけい指針ししんもとづいて砲身ほうしん軽量けいりょうほう改良かいりょうがなされ、また榴弾りゅうだんぶどうだんといった軟目標もくひょう有効ゆうこう砲弾ほうだんもちいられはじめた。なにより中央ちゅうおう集権しゅうけんによるとみ権力けんりょく集中しゅうちゅうは、それまで高価こうかかずそろえられなかった大砲たいほう配備はいびすうおおきくやすことにつながり、大砲たいほう戦場せんじょうにおける重要じゅうよう地位ちいめることになる。18世紀せいきにはグリボーバル・システムにより、大砲たいほう規格きかく工業こうぎょうさらすすめられた。

近代きんだい

編集へんしゅう
 
ベトナムヴィンロン設置せっちされていた木製もくせい大砲たいほう(1862ねん
 
大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん1882ねん明治めいじ15ねん当時とうじ砲兵ほうへい下士かしそつ軍装ぐんそう

18世紀せいきごろからの産業さんぎょう革命かくめいともな製鉄せいてつ技術ぎじゅつ向上こうじょうによって、もろこわれやすい鋳鉄ちゅうてつからより強靭きょうじん良質りょうしつ錬鉄れんてつ大量たいりょう生産せいさん可能かのうとなり、鋳鋼ちゅうこうせい大砲たいほう製造せいぞう可能かのうとなった。また、製造せいぞう精度せいど向上こうじょうによって、ちゅう退すさこうそうしき砲身ほうしんへのライフリングなど、現在げんざい大砲たいほうもちいられる基礎きそてき技術ぎじゅつ実用じつようされた。

近代きんだい以前いぜん大砲たいほうは、砲撃ほうげきおこなうたび反動はんどうによってほう全体ぜんたい後退こうたいふたたねらいをつけて砲撃ほうげきをするため、連続れんぞくした砲撃ほうげきおこなうことができなかった。また、大砲たいほう自体じたいうごくため砲撃ほうげき精度せいど保証ほしょうされず、砲撃ほうげきたび着弾ちゃくだんてんおおきくわるといった欠点けってんがあった。1840ねんごろから実用じつようされはじめたちゅう退すさ登場とうじょうによって、発射はっしゃ反動はんどう砲身ほうしん後退こうたい吸収きゅうしゅうし、ほう自体じたい位置いち後退こうたいさせずにむようになり、砲撃ほうげき精度せいど向上こうじょうした。また、1897ねんにはフランスのM1897 75mm野砲やほうえき気圧きあつしきちゅう退すさふく採用さいようされ、高速こうそく連射れんしゃ可能かのうになった[6]

ほう後方こうほうから砲弾ほうだん火薬かやく装填そうてんするのちそうしきぜんそうしきくらべ、砲弾ほうだん装填そうてん容易よういにかつ迅速じんそくおこなえる。初期しょきのちそうしきほうは15世紀せいきまでには登場とうじょうしており、フランキしきたてせんしきがあった。しかし、この当時とうじ技術ぎじゅつによるのちそうしきほうせん気密きみつせいひく燃焼ねんしょうガスれや強度きょうど不足ふそくにより、ぜんそうしきたいして威力いりょくおとっていたり暴発ぼうはつなどがこった。これにたいして産業さんぎょう革命かくめい製造せいぞう精度せいど向上こうじょうせん機密きみつ精度せいど向上こうじょうさせ、また錬鉄れんてつによる頑丈がんじょう砲身ほうしんによって、こうそうしき大砲たいほう実用じつようされた。

ライフリングによる精度せいど向上こうじょうもあった。ライフイングは砲身ほうしん内部ないぶほどこされた螺旋らせんじょうみぞ沿って砲弾ほうだん回転かいてんしながら射出しゃしゅつされることにより砲弾ほうだんジャイロ効果こうかはたらき、精度せいど速度そくど射程しゃてい向上こうじょうする方法ほうほうである。ぜんそうしきほうでは装填そうてん面倒めんどうさなどから実用じつようされていなかったが、こうそうしきほう登場とうじょうによって大砲たいほう実用じつようされるようになった。

これらの技術ぎじゅつは1800年代ねんだい中盤ちゅうばんから実用じつようされはじめ、南北戦争なんぼくせんそうもちいられたホイットワースほうなどがある。産業さんぎょう革命かくめいによってもたらされたこれらの技術ぎじゅつは、この時代じだい以降いこうそれまでのほうとは比較ひかくにならないほどの威力いりょくと、砲撃ほうげき精度せいど射程しゃてい向上こうじょう大砲たいほうにもたらした。

だいいち世界せかい大戦たいせんだい世界せかい大戦たいせん

編集へんしゅう
 
りょう大戦たいせんイギリスぐん使用しようした「QF 4.5インチ榴弾りゅうだんほう」Mk.1P(1940ねん撮影さつえいされた、イギリスにおけるニュージーランドぐん演習えんしゅう
 
列車れっしゃほうクルップK5」(復元ふくげんアバディーン戦車せんしゃ博物館はくぶつかん
 
主砲しゅほう斉射せいしゃするアイオワ(モスボール解除かいじょの1984ねん
 
大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんはしほう一式十糎自走砲(ホニII)

だいいち世界せかい大戦たいせん犠牲ぎせいしゃの7わり大砲たいほうによるものだった。だいいち大戦たいせんでは塹壕ざんごうせん中心ちゅうしんであり、その前方ぜんぽうきずかれた鉄条てつじょうもう機関きかんじゅうにより従来じゅうらい戦法せんぽう(生身なまみ兵士へいしによる突撃とつげき)の効果こうかうすくなっていった。大砲たいほうはそれらの防御ぼうぎょ陣地じんち遠距離えんきょりから破壊はかいすることが可能かのうだったため、戦術せんじゅつてき価値かちはよりみとめられるようになったが、これには攻撃こうげき目標もくひょうてきつたわってしまうという欠点けってんがあった。

戦闘せんとうでは継続けいぞくてきてきへの攻撃こうげき必要ひつようだったため、短期間たんきかん相手あいて以上いじょうおおくの損害そんがいあたえられる巨大きょだい火砲かほう必要ひつようとされた。そのニーズにともな大砲たいほう口径こうけい巨大きょだいつづけ、その代表だいひょうとしてはよりたかするど位置いち角度かくどからてき砲弾ほうだんとすことができた榴弾りゅうだんほうなどがげられる。大砲たいほう威力いりょくすととも兵士へいしたちへの精神せいしんてき負担ふたん増加ぞうかしたが、これをイギリスの人々ひとびと戦闘せんとうストレス反応はんのう(シェルショック=砲弾ほうだんによるショック)という言葉ことばあらわした。はげしい砲撃ほうげきおおきい心理しんりてきダメージをけたのが原因げんいんであり、シェルショックはその体験たいけんあらわれだった。

速射そくしゃほうもちいられたのはこのころであり、M1897 75mm野砲やほう18ポンド野砲やほう、77mm野砲やほうなどが開発かいはつされた。とくにM1897 75mm野砲やほうのデザインは、それ以降いこう一部いちぶ大砲たいほうにもがれている。

また当時とうじとく重要じゅうよう箇所かしょではコンクリートせい地下ちか居住きょじゅう要塞ようさいつくられ、遠距離えんきょりからの砲撃ほうげきではそれを破壊はかいすることができなかった。そのため近距離きんきょりまで肉薄にくはく攻略こうりゃくする必要ひつようまれたが、主力しゅりょく部隊ぶたい前進ぜんしんさせるには同士討どうしうちをけるため砲撃ほうげき停止ていしさせなくてはならず、それはてきがわとしても「相手あいて主力しゅりょくいまから侵攻しんこうしてくる」という合図あいずになった。守備しゅびへい位置いちにつくと接近せっきんするてき機関きかんじゅうほうたおすということをかえし、そのたび攻撃こうげきがわ多大ただい犠牲ぎせいげることになった。その対抗たいこうさくとして装甲そうこうまもられた砲座ほうざ機銃きじゅうそのものを車両しゃりょうして前進ぜんしんさせ、守備しゅびがわ迎撃げいげきえつつ銃座じゅうざ砲座ほうざ近距離きんきょりからねらちして無力むりょくさせるアイデアを各国かっこく具現ぐげんした。戦車せんしゃ誕生たんじょうである。

だい世界せかい大戦たいせんでも基本きほんてきには同様どうよう戦法せんぽう使つかわれた。太平洋戦争たいへいようせんそうにおけるアメリカぐんの「てつあらし」とわれる苛烈かれつ砲撃ほうげきはそのいちれいといえる。 前述ぜんじゅつしたとおだいいち大戦たいせんしきなが砲撃ほうげきでは事前じぜん攻撃こうげき地点ちてんてきつたわってしまうという欠点けってんがあり、それを回避かいひするため攻撃こうげき地点ちてん火力かりょく集中しゅうちゅうさせ、短時間たんじかん多数たすう砲弾ほうだんおくむように戦術せんじゅつ変化へんかしていった。ここで重要じゅうようされたのは「火力かりょく集中しゅうちゅう」であり、それは大砲たいほうこう火力かりょくのみならず、機動きどうりょく獲得かくとく必要ひつようとしたのである。これにより大砲たいほうには車輪しゃりんけられ、より高速こうそく陣地じんち転換てんかん可能かのうにした。これにはだいいち大戦たいせんのフランスの大砲たいほうをベースにべいぐん開発かいはつした155mmカノンほうM2などがあり、これらは牽引けんいんほう呼称こしょうされる。

これらの兵器へいきは「つねわっていく戦況せんきょうなかでどのよう対応たいおうしていくのか」という問題もんだい直面ちょくめんした。牽引けんいんほうはそのとお牽引けんいんしゃはこばれていた。そのさい車輪しゃりんけられているものは戦場せんじょうでの移動いどう簡単かんたんなものにしたが、まぐるしくわる戦況せんきょうなか牽引けんいんによる移動いどうでは限界げんかいがあり、だい大戦たいせん当初とうしょのドイツなどうま大砲たいほういていたものにかんしてはより一層いっそう致命ちめいてき問題もんだいであった。その解決かいけつさくとして大砲たいほう車体しゃたい・エンジンを搭載とうさいし、牽引けんいん必要ひつようとせず独力どくりょく移動いどうできるようにしたはしほう開発かいはつされたが、こういった大砲たいほう戦車せんしゃへの随伴ずいはん可能かのうにし、機動きどうせんたいする適応てきおうりょく向上こうじょうさせた。代表だいひょうてきだい大戦たいせんはしほうとしてはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくM7はしほう(プリースト)や英国えいこくセクストンはしほうなどがあり、そのはしほうだいいち大戦たいせんころには少数しょうすうながら登場とうじょうしていた。

また移動いどうにおいても陸上りくじょうすすむだけではなく、そらくことも可能かのうになった。大砲たいほう空輸くうゆ可能かのうとなり、てき空挺くうてい部隊ぶたい運用うんようされるようになった。1944ねんノルマンディー上陸じょうりく作戦さくせんマーケットガーデン作戦さくせんとおして、連合れんごうぐん空挺くうてい部隊ぶたい敵陣てきじんへとそらからった。輸送ゆそう空挺くうてい部隊ぶたいそらはこぶことが出来できるのだから、大砲たいほう輸送ゆそうはこべるおおきさにすればいという発案はつあんのもと、必要ひつよう場所ばしょ直接ちょくせつおく方法ほうほう採用さいようした。6ポンドほう、17ポンドほう、40mm対空たいくう機関きかんほうさらに75mm榴弾りゅうだんほうおくった。これらの大砲たいほうてき孤立こりつしている空挺くうてい部隊ぶたいにとって心強こころづよ味方みかたとなった。てきかこまれた空挺くうてい部隊ぶたいため、あらゆる種類しゅるい大砲たいほう必要ひつよう場所ばしょおくられた。また、少数しょうすうだが航空機こうくうき大砲たいほう装着そうちゃくするようになった。大砲たいほう重量じゅうりょう反動はんどうえうる、かつ照準しょうじゅんのための機動きどうせい確保かくほしうるB-25よんしきじゅう爆撃ばくげきキ109)のような中型ちゅうがた爆撃ばくげきクラスがえらばれることがおおかったが、比較的ひかくてき軽量けいりょう攻撃こうげきであるHs 129に75mmたい戦車せんしゃほう搭載とうさいしたれいもある。

かんほううみでのたたかいをせいするために発達はったつしてきた。だい大戦たいせんまでにうみかぶ火力かりょくとして戦艦せんかん巡洋艦じゅんようかんなど戦闘せんとうかん火砲かほう数々かずかず砲弾ほうだん発射はっしゃし、熾烈しれつ砲撃ほうげきせんかえしていた。うみにおける戦闘せんとう自身じしん標的ひょうてきともににうごつづけており、なにもない海洋かいようであるがために位置いち関係かんけい把握はあくしづらいなど、複雑ふくざつ問題もんだいかかえておりりくでの砲撃ほうげきとはあらゆるめんことなっていた。戦闘せんとうかん巨大きょだい大砲たいほうけられるようになったのはだいいち大戦たいせん時期じきからであり、はる遠方えんぽうてき見定みさだめるため海兵かいへいたちは高性能こうせいのう測定そくてい観測かんそくよう航空機こうくうき使用しようした。たか破壊はかいりょくをもつかんほうたたかいの行方ゆくえ十分じゅうぶん左右さゆうしえるものであり、大和やまとがた戦艦せんかん象徴しょうちょうでもある45口径こうけい46cm3連装れんそうほうは、専用せんよう運搬船うんぱんせん樫野かしの」を建造けんぞうするほど巨大きょだいなものとなった。アイオワきゅう戦艦せんかんニュージャージーは、だい大戦たいせん有名ゆうめい戦艦せんかんひとつである。

一方いっぽうりくでも戦闘せんとうかん同様どうよう巨大きょだい大砲たいほう開発かいはつされた。だいいち世界せかい大戦たいせんではよりおおきな火砲かほう使つかえば膠着こうちゃく状態じょうたい打破だはできるという思想しそうのもと鉄道てつどう利用りようした巨大きょだい列車れっしゃほう設計せっけいされたが、ドイツぐんつくった当時とうじ最大さいだい長距離ちょうきょりほうパリほう」の効果こうかはさほどではなく、それよりかはむしろ「恐怖きょうふ象徴しょうちょう」ともいうべきものだった。だい世界せかい大戦たいせんでもきょほう進化しんかつづけ、アドルフ・ヒトラーとその側近そっきんたちは政治せいじてき宣伝せんでん効果こうか重視じゅうしして巨大きょだい火砲かほう追求ついきゅうしていった。その極限きょくげんクルップK5 80cm列車れっしゃほう名称めいしょう:ドーラ/グスタフ)であり、史上しじょう最大さいだいにして最後さいご列車れっしゃほうとなった。

ベトナム戦争せんそう

編集へんしゅう
 
ケサンのたたかにおいて、友軍ゆうぐん支援しえんするアメリカ陸軍りくぐんM107

ベトナム戦争せんそうでも大砲たいほうはこぶことがのぞまれ、ヘリコプター開発かいはつすすむと、従来じゅうらいでは運搬うんぱん困難こんなんだった場所ばしょはこべるようになった。このとき大砲たいほう砲兵ほうへいのチームが、激戦げきせんたたか兵士へいしたちの支援しえん戦闘せんとうのため、そらからった。ケサンのたたかにおいても、正確せいかくたい砲兵ほうへい射撃しゃげきおこな味方みかた部隊ぶたいまも活躍かつやくをみせる。てきから味方みかたまもる「てつかべ」をつくってくれたのは大砲たいほうだった。

こういった大砲たいほうとき大陸たいりくえてまで戦場せんじょう輸送ゆそう出来できるかかは、今日きょう戦闘せんとうにおいても勝敗しょうはいおおきな影響えいきょうあたえる。こうしたニーズから、プリミティブな形態けいたい牽引けんいんほうM777 155mm榴弾りゅうだんほうのように最新さいしん技術ぎじゅつ駆使くししてより軽量けいりょうほう開発かいはつするこころみがたゆまずつづけられている。また、戦闘せんとう中距離ちゅうきょり以上いじょう対空たいくうミサイルをたない敵対てきたい勢力せいりょく相手あいて限定げんていされるものの、長大ちょうだい滞空たいくう時間じかんによりていコストで持続じぞくてき対地たいち支援しえんおこないうる、とくゲリラ掃討そうとうせんいた航空こうくう攻撃こうげき手段しゅだんとして、大砲たいほうそなえる航空機こうくうきガンシップ一定いってい価値かちみとめられた。

冷戦れいせん以後いご

編集へんしゅう

だい大戦たいせん当時とうじから、火力かりょく投射とうしゃ手段しゅだんとしてあまりにも肥大ひだいぎたきょほうは、急激きゅうげき発展はってんした航空機こうくうきによるばくげき空爆くうばく)により淘汰とうたされていった。くわえて、大戦たいせん末期まっき萌芽ほうがあらわれたミサイル大砲たいほう領分りょうぶん進出しんしゅつしてくる。大砲たいほう口径こうけい比例ひれいしてはなはだしく増大ぞうだいする重量じゅうりょう射撃しゃげき反動はんどうえる必要ひつようがあるのにくらべ、ミサイルをふくむロケット兵器へいき歩兵ほへい携行けいこうあるいはトラックなど、はるかに軽便けいべん発射はっしゃ母体ぼたいから運用うんよう可能かのうであること、なにより射撃しゃげき誘導ゆうどう修正しゅうせいすることによるちょう射程しゃていたか命中めいちゅう精度せいどのメリットがある。列車れっしゃほう戦艦せんかん主砲しゅほうからたいかんミサイル対戦たいせんしゃほうから対戦たいせんしゃミサイルのように、完全かんぜんにミサイルに駆逐くちくされて土台どだいとなる兵器へいきごと消滅しょうめつしてしまったれいもある。冷戦れいせん中期ちゅうきまでに弾道だんどうミサイル巡航じゅんこうミサイル大陸たいりくレベルの射程しゃていほこ大砲たいほう次元じげんをはるかにえた兵器へいきへと進化しんかげた。

戦闘せんとうから機関きかんほう撤廃てっぱいしたり、ミサイル戦車せんしゃあるいは戦車せんしゃ不要ふようろん喧伝けんでんされたこともあった(ミサイル万能ばんのうろん)。しかしそのせんくんにより、地形ちけいとう理由りゆうによりミサイルはつね射程しゃていながさをかつかせるとはかぎらない、威力いりょく射程しゃていどう程度ていど砲弾ほうだんくら高価こうかうえおおきくかさばるため戦闘せんとう携行けいこう可能かのうたますうでも兵站へいたんレベルでの補給ほきゅう可能かのうりょうにおいてもつぎせん能力のうりょくおとる、ほうのように標的ひょうてき性質せいしつおうじてたましゅ選択せんたくできない、砲弾ほうだんよりずっと初速しょそくおそははから誘導ゆうどうつづけなければならない場合ばあいがありとく近距離きんきょりせん重要じゅうよう即時そくじせいく。

航空こうくうばくだん航空機こうくうきこうコストと滞空たいくう時間じかん限界げんかいから一過いっかせいまり大砲たいほう遍在へんざいせい即応そくおうせい具備ぐびないことなどの問題もんだいあきらかとなり、21世紀せいき現在げんざいいたってもほうはミサイルや航空こうくうばくだん各々おのおのことなる価値かち兵器へいきとして共存きょうぞんつづけている。ガンランチャー誘導ゆうどう砲弾ほうだんなど、ほうとミサイルの美点びてん融合ゆうごうさせるこころみも実用じつよう段階だんかいたっしてきている。

また、中世ちゅうせい以来いらい火薬かやくりょくによるほうから、電気でんきてきエネルギー(ローレンツつとむ)を利用りようするレールガンなど、まったくあらたな射出しゃしゅつ原理げんりもとづくほう研究けんきゅう開発かいはつつづけられている。

日本にっぽんでの歴史れきし

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幕末ばくまつ外国がいこくぜいむかつために、品川しながわ台場だいば設置せっちされていた80ポンド青銅せいどうせいカノンほう口径こうけい250mm、砲身ほうしんちょう3830mm)

1576ねん天正てんしょう4ねん)、大友おおとも宗麟そうりんポルトガル宣教師せんきょうしより石火矢いしびやフランキほう)を入手にゅうしゅし「くにくずし」と名付なづけたのが日本にっぽんにおける最初さいしょ大砲たいほうとされる[ちゅう 2]以後いご石火矢いしびや火縄銃ひなわじゅう大型おおがたした大筒おおづつだい鉄砲てっぽう)ととも海戦かいせんおさむしろせんにおいて構造こうぞうぶつ破壊はかいもちいられる。なお日本にっぽんでは快速かいそく機動きどう重視じゅうし起伏きふくおお地形ちけいため重量じゅうりょうがかさばる大砲たいほう野戦やせんにおける運用うんようほとんどなされていない。

日本にっぽんでは1590年代ねんだいから大砲たいほう生産せいさんさかんになり、1614ねん慶長けいちょう19ねん)には大坂おおさかじんそなえて、徳川とくがわ家康いえやすイギリスオランダよりだい口径こうけいぜんそうしき青銅せいどうほうカルバリンほうひとし)を購入こうにゅうしている。これらはのち国産こくさんされ、和製わせい大砲たいほうとなる[8]

1639ねん寛永かんえい16ねん)には江戸えど幕府ばくふ前年ぜんねん島原しまばららんにおけるせんくんから、榴弾りゅうだんとそれを運用うんようする臼砲きゅうほう供与きょうよオランダ商館しょうかんもとめる。ハンス・ヴォルフガング・ブラウン平戸ひらど臼砲きゅうほう製造せいぞうして江戸えどにて試射ししゃおこなっている。1650ねん慶安けいあん3ねん)にもユリアン・スヘーデルによる臼砲きゅうほう射撃しゃげき江戸えどおこなわれている。

これ以降いこう日本にっぽんではだい規模きぼ戦乱せんらんがなくなり、大砲たいほう発展はってん停滞ていたいする。

1841ねんには高島たかしま秋帆しゅうはん徳丸とくまるばらげん高島平たかしまだいら)で日本にっぽん最初さいしょ近代きんだい砲術ほうじゅつ訓練くんれんおこない、西洋せいようしき大砲たいほう和製わせい大砲たいほう技術ぎじゅつ露呈ろていした。1850年代ねんだい次々つぎつぎ外国がいこく軍艦ぐんかん来航らいこうし、国防こくぼうのため江戸えど幕府ばくふてら梵鐘ぼんしょうかして大砲たいほう鋳造ちゅうぞうするようめいじる鐘鋳かねいほう勅諚ちょくじょう発令はつれいしょはん韮山にらやま反射はんしゃひとし反射はんしゃ建設けんせつして大砲たいほう鋳造ちゅうぞうするなどしん技術ぎじゅつ導入どうにゅうちかられたが、1862ねん薩英戦争せんそう1864ねん下関しものせき戦争せんそう欧米おうべいとの技術ぎじゅつ実戦じっせんによりあきらかとなる。とく下関しものせき戦争せんそうでは、長州ちょうしゅうはん日本にっぽんせい32ポンドほうなどによる砲台ほうだい四国しこく艦隊かんたい艦載かんさい110ポンドアームストロングほうなどにまったく太刀打たちうちできず敗北はいぼくした。

これらの戦闘せんとうのち薩摩さつまはん長州ちょうしゅうはんおもにイギリスから兵器へいき輸入ゆにゅうすすめる一方いっぽう幕府ばくふもフランスの援助えんじょけてぐん近代きんだいすすめた結果けっか両者りょうしゃ衝突しょうとつしただい長州ちょうしゅう征伐せいばつ戊辰戦争ぼしんせんそうでは各地かくち近代きんだいてき大砲たいほうによる野戦やせんおさむしろせんひろげられた。フランスで開発かいはつされたよんきん山砲さんぽうだい長州ちょうしゅう征伐せいばつ幕府ばくふぐん使用しようして以降いこう輸入ゆにゅうやコピーがすすみ、一連いちれん戦争せんそうつうじて両者りょうしゃ主力しゅりょく野戦やせんほうとなった。このころにはしょはん技術ぎじゅつ向上こうじょうし、上野うえの戦争せんそうではしん政府せいふがわ佐賀さがはん製造せいぞうしたアームストロングほう投入とうにゅうされ、会津あいづ戦争せんそうではしん政府せいふぐん焼玉やきだましき焼夷弾しょういだん会津若松あいづわかまつじょう攻撃こうげきもちいた。きゅう幕府ばくふかた長岡ながおかはん北越ほくえつ戦争せんそうでアームストロングほうガトリングほう使用しようしてしん政府せいふぐんくるしめている。

明治維新めいじいしんこう大砲たいほう国産こくさんすすんだ。(大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん兵器へいき一覧いちらん#火砲かほう投擲とうてき参照さんしょう

中国ちゅうごくでの歴史れきし

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火薬かやく、およびその燃焼ねんしょうガスあつにより物体ぶったい投射とうしゃする火器かきならびにロケット概念がいねん中国ちゅうごくけん発明はつめいされたものだが、その科学かがく技術ぎじゅつ発展はってん停滞ていたいし、ぎゃく西洋せいようがわからの知見ちけん現物げんぶつ輸入ゆにゅうたよるようになった。

中国ちゅうごくにおける西洋せいようしき大砲たいほう輸入ゆにゅう15世紀せいきはじめ、あきらなりの交趾征伐せいばつであり[9]、ポルトガルから輸入ゆにゅうした「べにえびすほう」が後金あときんたいして使用しようされた[10]あかりでは「かみほう」とび、「かみ営」という砲兵ほうへいたいもうけられたが、おも爆音ばくおん相手あいておどろかせる用途ようとで、あまり改良かいりょうはされなかった[9]。その1621ねんにポルトガル宣教師せんきょうし火砲かほう従軍じゅうぐんさせたり、ドイツ宣教師せんきょうし砲術ほうじゅつつたえたが[11]中国人ちゅうごくじん製造せいぞう砲術ほうじゅつ基礎きそとなる自然しぜん科学かがく精神せいしん理解りかいとぼしかったため、火砲かほう中心ちゅうしんとした近代きんだいおさむしろせん野戦やせん戦術せんじゅつ採用さいようする姿勢しせいがなく[12]製造せいぞうした大砲たいほうに「安国やすくにちょん軍平ぐんぺいりょうやすしはだ将軍しょうぐん」のごうあたえ、あつく祭祀さいしするさまだった[12]

大砲たいほう分類ぶんるい

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大砲たいほうはその形状けいじょう構造こうぞう用途ようと歴史れきしてき経緯けいいとうによって様々さまざま分類ぶんるいがある。

用途ようととうによる分類ぶんるい

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M198 155mm榴弾りゅうだんほう 射撃しゃげき瞬間しゅんかん
1953ねんおこなわれたW9かく砲弾ほうだん実験じっけん。M65 280mmカノンほう発射はっしゃかく出力しゅつりょく広島ひろしま投下とうかされたのとおなじ15kt。
Mk 45 5インチほう 射撃しゃげき瞬間しゅんかん

用途ようと歴史れきしてき分類ぶんるいによる種別しゅべつ以下いかとお

射程しゃてい弾道だんどうによる分類ぶんるい

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火砲かほう射程しゃてい弾道だんどう特性とくせいによって大別たいべつしたしき
(1)対戦たいせんしゃほうおよ戦車せんしゃほう)はとおるきのえだんひとしによって目標もくひょう装甲そうこう貫徹かんてつすることがしゅ目的もくてきで、かく水平すいへいちか砲弾ほうだんていしん弾道だんどうをとる。また、(2)対空たいくうほうは「よりたかく」、(5)野砲やほうカノンほうのう)は「よりとおく」へ砲弾ほうだん到達とうたつさせることがもとめられる。カノンほう後述こうじゅつする榴弾りゅうだんほう一般いっぱんてき弾道だんどうは擲射弾道だんどうぶ。
(1)(2)(5)はかくことなるだけで、いずれも砲弾ほうだんこう初速しょそく発射はっしゃする"gun"、つまり広義こうぎのカノンほうふくまれちょう砲身ほうしんである。したがって、対戦たいせんしゃ戦闘せんとう可能かのう対空たいくうほうやカノンほう存在そんざいし、とく現代げんだいかんほう遠距離えんきょり砲戦ほうせんをはじめ至近しきんでの水平すいへい射撃しゃげきから対空たいくう戦闘せんとうまで幅広はばひろくカバーする。
これらとくらべ、(3)迫撃はくげきほう臼砲きゅうほう)の砲弾ほうだんおおきく湾曲わんきょくした曲射きょくしゃ弾道だんどうえがき、ほうこう初速しょそくひくおさえているため射程しゃていみじかい。空気くうき抵抗ていこう安定あんていつばさ使用しようによって着弾ちゃくだん角度かくど垂直すいちょくちかくなる。
狭義きょうぎの(4)榴弾りゅうだんほうはカノンほうくらたん砲身ほうしんてい初速しょそく最大さいだい射程しゃていみじかい。ただし、榴弾りゅうだんほうとカノンほう定義ていぎ曖昧あいまい[ちゅう 3]で、現代げんだいでは榴弾りゅうだんほうちょう砲身ほうしんにより野砲やほう・カノンほう消滅しょうめつ統合とうごうされ、(4)(5)ともに"howitzer"と名付なづけられるれいおおい。
なお、たい戦車せんしゃほう対空たいくうほう機関きかんほうのぞく)は現在げんざいおおくの軍隊ぐんたいミサイル代替だいたいされている。


構造こうぞうによる分類ぶんるい

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ライフルほう
砲身ほうしん内側うちがわほどこせじょうにより、砲弾ほうだん飛翔ひしょう回転かいてんくわえることによって、弾道だんどう安定あんていはか方式ほうしきほう
すべり腔砲
砲身ほうしん内側うちがわなめらかになっているほう。ライフルほうたいするレトロニム。
ゲルリッヒほう
ほうからほうこうにかけて口径こうけいちいさくなってゆくほう口径こうけい漸減ぜんげんほうともばれる
くすりしつほう(その形状けいじょうからムカデほうともばれる)
通常つうじょうせんがわれられたそうやくちからによって砲弾ほうだん発射はっしゃするところを、複数ふくすうくすりしつもう段階だんかいてき加速かそくすること射程しゃてい延長えんちょうなどを目指めざしたほう
液体えきたいそうやくほう
発射はっしゃやくとして液体えきたい薬剤やくざい使用しようするほう
反動はんどうほう
ロケットほう
低圧ていあつほう
おも対戦たいせんしゃほうないし軽量けいりょう戦車せんしゃほうとして運用うんようされる。通常つうじょう火砲かほうよりもひくい腔圧、てい初速しょそく発射はっしゃすることにより、軽量けいりょうてい反動はんどうはかったほう総称そうしょう歩兵ほへいよう擲弾発射はっしゃひろ利用りようされる高低こうていあつ理論りろんもとづくコッカリル 90mm低圧ていあつほうや、反動はんどうほうロケットだん発射はっしゃなどからの派生はせいてき形式けいしきなどがある。
ぜんそうしきほう
こうそうしきほう
嚢砲
弾丸だんがんふくろつめされた発射はっしゃやくとをじゅんめて使用しようするほうほう気密きみつのための構造こうぞう必要ひつようになる
さいかちほう
金属きんぞく薬莢やっきょうしきほう
固定こてい薬莢やっきょうほう
砲弾ほうだん薬莢やっきょう固定こていされているさいかちほう
分離ぶんり薬莢やっきょうほう
砲弾ほうだん薬莢やっきょう固定こていされていないさいかちほう

砲兵ほうへい

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大砲たいほうせんもん運用うんようするための軍隊ぐんたい兵科へいか砲兵ほうへいぶ。

砲弾ほうだん

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大砲たいほう使つかわれるたま砲弾ほうだんぶ。砲弾ほうだんは、発射はっしゃされるさい運動うんどうエネルギーによって破壊はかい殺傷さっしょう効果こうかおよぼす運動うんどうエネルギーだんと、命中めいちゅう爆発ばくはつすることで被害ひがいをもたらす化学かがくエネルギーだん大別たいべつされる。

大砲たいほう自体じたい発展はってんともない、砲弾ほうだん殺傷さっしょうりょくたかめるために進化しんかしていく。初期しょき砲弾ほうだんかたいし使つかわれていた。そして徐々じょじょ殺傷さっしょうりょく向上こうじょうさせ、金属きんぞく砲弾ほうだんなか爆薬ばくやく仕込しこんだ砲弾ほうだん登場とうじょうした。1784ねんイギリスの砲兵ほうへいヘンリー・シュラプネル榴散だんという画期的かっきてき砲弾ほうだんした。殺傷さっしょう能力のうりょく桁違けたちがいでシュラプネルのが榴散だん別名べつめいになっているほどである。さらアルフレッド・ノーベル爆薬ばくやく開発かいはつにより、砲弾ほうだん飛躍ひやくてき進化しんかする。これにより砲弾ほうだん爆発ばくはつするさい殺傷さっしょう能力のうりょくたかまった。ぐんでも爆薬ばくやく開発かいはついそしみ、コルダイトなどの爆薬ばくやく誕生たんじょうした。爆発ばくはつぶつとしての性能せいのうじつたかく、破壊はかいりょくいちじるしく向上こうじょうした。

基本きほん用語ようごしゅう

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あいうえおじゅん

  • あしきゃっか
    迫撃はくげきほうおよ反動はんどうほうにおいて、高低こうてい装置そうちあしなどで構成こうせいされ、方向ほうこう装置そうちかいして砲身ほうしんささえる装置そうち
  • 前車ぜんしゃぜんしゃ
    野戦やせんほう牽引けんいん行軍こうぐんするさい装着そうちゃくする補助ほじょ
  • ちゅうすきちゅうじょ
    おもほう後端こうたんにつく、地面じめんんでたいはん動力どうりょく強化きょうかする器具きぐスペードともいう。
  • ちゅう退すさちゅうたいき
    砲身ほうしん後退こうたいさせて射撃しゃげき反動はんどう一部いちぶがし、もと位置いち復帰ふっきさせる、一種いっしゅのサスペンション装置そうち
  • 平衡へいこうへいこうき
    砲身ほうしん俯仰ふぎょう動作どうささまたげになる、前後ぜんご重量じゅうりょうかたよりを補正ほせいする装置そうち
  • 閉鎖へいさへいさき
    せんのうち、とくそうしき火器かきくすりしつ閉鎖へいさ開放かいほうおこな機構きこうだい部分ぶぶん大砲たいほうへだたにししきくさりせんしきに2ふんされる。
  • ほうこうほうこう
    砲身ほうしん先端せんたん
  • ほうくちせい退すさうつわほうこうせいたいき
    たんせい退すさうつわマズルブレーキともいう。ほうこうからの発射はっしゃガスあつ一部いちぶ後方こうほうりに偏向へんこう反動はんどう軽減けいげんする装置そうち
  • ほうみみほうじ
    大砲たいほうねらいをつける(射距離しゃきょり調節ちょうせつする)ための、砲身ほうしん上下じょうげ俯仰ふぎょう動作どうさおこな可動かどうじく
  • ほうほうび
    砲身ほうしん後端こうたん
  • ほうほうか
    砲身ほうしん支持しじ架台かだい
  • 砲車ほうしゃほうしゃ
    大砲たいほう移動いどうさせるための車輪しゃりん車台しゃだい普通ふつうほう一体いったいされている。
  • ガリレオ・ガリレイは、大砲たいほう弾道だんどうがく研究けんきゅうした。
  • 世界せかい最初さいしょコンピュータのひとつであるENIAC火砲かほう弾道だんどう計算けいさん目的もくてき製作せいさくされた。
  • 大砲たいほう製造せいぞうする技術ぎじゅつ資材しざいのない土地とちでは、ほう製作せいさくして利用りようすることがあった。ほうとは、砲身ほうしんひとつの丸木まるきからくりぬくか、または複数ふくすう木材もくざいてて形成けいせいし、周囲しゅういたけのたがやロープ幾重いくえにもいて補強ほきょうしたものである。金属きんぞくせい大砲たいほうくら使用しようできる発射はっしゃやくりょう砲身ほうしん命数めいすう当然とうぜんおおきくおとる。砲身ほうしん英語えいごたるおなbarrelぶのは、ほうづくりにたるづくりの技術ぎじゅつ応用おうようした名残なごりといわれる。有名ゆうめいはなしとしては、にち戦争せんそうさい旅順りょじゅんたたかにおいて日本にっぽんぐんほうつく使用しようしたというはなしのこっている[ちゅう 4]
  • 弾丸だんがんたま)をとおくにはこぶ」というイメージから野球やきゅうにおいて頻繁ひんぱん本塁打ほんるいだ打者だしゃまた強打者きょうだしゃのことをあらわ言葉ことばとしてももちいられる。日本人にっぽんじん強打者きょうだしゃ和製わせい大砲たいほうともばれる。
    • 野球やきゅうでは投手とうしゅ捕手ほしゅくみを「バッテリー」というが、「battery」には「いちくみの」という意味いみほかに「砲兵ほうへい中隊ちゅうたいほうれつ」という意味いみもある。これは、チームの投手とうしゅりょく砲台ほうだいたとえたことが由来ゆらいとされる。
  • 楽器がっきとしてもちいられることもある。よくられているものはチャイコフスキー作曲さっきょくの「序曲じょきょく1812ねん」だが[13]、それ以前いぜんベートーヴェンの「ウェリントンの勝利しょうり」にも使つかわれている。どちらのきょくにも、楽譜がくふじょうに “Cannon” とうのように楽器がっき指定していされている。
    • 陸上りくじょう自衛隊じえいたい音楽おんがくたい観閲かんえつしきなどで「序曲じょきょく1812ねん」を演奏えんそうするさいには、とく部隊ぶたい音楽おんがくたい編入へんにゅうされ、本物ほんもの大砲たいほうにより空砲くうほうつ。この演奏えんそう使つかわれるのは、旧式きゅうしきM101 105mm榴弾りゅうだんほうである[14]。2007ねん富士ふじ総合そうごう火力かりょく演習えんしゅうでは現役げんえき装備そうびである155mm口径こうけいFH70使用しようしたが、発砲はっぽうおん強力きょうりょくぎて演奏えんそうしゃ聴衆ちょうしゅう聴覚ちょうかく麻痺まひしたため、失敗しっぱいわった[15]
  • 人間にんげん砲弾ほうだんとして曲芸きょくげい人間にんげん大砲たいほうばれる。

大砲たいほうは、そのおおきさ・威力いりょくがあることから、それになぞらえてインパクトのある物事ものごとたとえることがある。

れいとして日本銀行にっぽんぎんこう政策せいさくを「日銀にちぎんほう(黒田くろだほう)」、週刊文春しゅうかんぶんしゅんのスクープを「文春ぶんしゅんほう」と[16][17]など。

2ちゃんねるにおける「田代たしろほう」も、ごく短時間たんじかん迷惑めいわくメールサーバを破壊はかいする、大量たいりょう組織そしきひょうれられることなどから「ほう」の名前なまえ[18]

また野球やきゅうにおいて、たか打力だりょく本塁打ほんるいだ量産りょうさん期待きたいできる選手せんしゅを「大砲たいほう」と形容けいようする。日本人にっぽんじん選手せんしゅ場合ばあいには「和製わせい大砲たいほう」ともばれる。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 城郭じょうかく軍船ぐんせんなどの構造こうぞうぶつ破壊はかいする目的もくてき登場とうじょうしたが、近世きんせい江戸えどになると砲術ほうじゅつ技能ぎのう誇示こじするためにもちいた[3]
  2. ^ 大友おおとも興廃こうはい天正てんしょう4ねん1576ねん)の記述きじゅつとして、南蛮なんばんから石火矢いしびやよろこび、「くにくずし」と名付なづけたと記述きじゅつがあり、天正てんしょう14ねん1586ねん)の薩摩さつまとのたたかいにおいて使用しようされ、おおきな威力いりょく発揮はっきしたとされる[7]
  3. ^ ほう全般ぜんぱん分類ぶんるい用語ようごそのものが曖昧あいまいで、厳密げんみつ分類ぶんるい非常ひじょう困難こんなんおな用語ようごでもくに時代じだいによって語義ごぎやその範囲はんいことなることもある。また、日本語にほんごにはまぎらわしい和訳わやく造語ぞうごおおいので注意ちゅういようする。れいとして、英語えいごの"cannon(キャノン)"はすべての火砲かほう包括ほうかつする名詞めいしだが、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんにおいて「のう(カノンほう)」とはちょう砲身ほうしんほうす(帝国ていこく陸軍りくぐんはドイツしきはんをとったため、ドイツの"kanone"に由来ゆらい)。また、「榴弾りゅうだん」はたましゅ用語ようごでほぼすべての火砲かほうほうしゅ)で使用しようする砲弾ほうだんだが、「榴弾りゅうだんほう」としてほう自体じたい名称めいしょうもちいられる。
  4. ^ ただし、製作せいさくしたものは今日きょう分類ぶんるいにおいては迫撃はくげきほうたる。

出典しゅってん

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  1. ^ マクニール 2002, p. 114.
  2. ^ マクニール 2002, p. 117.
  3. ^ 『テーマてん 武装ぶそう -大阪城おおさかじょう天守閣てんしゅかく収蔵しゅうぞう武具ぶぐてん-』 大阪城おおさかじょう天守閣てんしゅかく特別とくべつ事業じぎょう委員いいんかい 2007ねん p.76
  4. ^ マクニール 2002, p. 120.
  5. ^ マクニール 2002, p. 121.
  6. ^ 荘司しょうじ武夫たけお火砲かほう発達はったつあい事業じぎょうしゃ、1943ねん、214-215ぺーじdoi:10.11501/1707339https://dl.ndl.go.jp/pid/1707339/1/123 
  7. ^ 菊池きくち, 俊彦としひこ図譜ずふ 江戸えど時代じだい技術ぎじゅつ 恒和つねかず出版しゅっぱん、1988ねん、544ぺーじISBN 4-87536-060-6 
  8. ^ 歴史れきしうごかした兵器へいき武器ぶきすごはなし河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ〈KAWADEゆめ文庫ぶんこ〉、2013ねん、133ぺーじISBN 978-4-309-49884-3 
  9. ^ a b 貝塚かいづか 1970, p. 50.
  10. ^ 貝塚かいづか 1970, p. 49.
  11. ^ 貝塚かいづか 1970, p. 51.
  12. ^ a b 貝塚かいづか 1970, p. 52.
  13. ^ ダイアプレス 2009, p. 72.
  14. ^ 荒木あらき 2012, p. 79.
  15. ^ ダイアプレス 2009, p. 73.
  16. ^ 「ワイド特集とくしゅう文春ぶんしゅんほう』ってなにだ?」『週刊文春しゅうかんぶんしゅん』2016ねん12月1にちごう
  17. ^ 有井ありい太郎たろう (2016ねん3がつ11にち). “『週刊文春しゅうかんぶんしゅん編集へんしゅうちょうかした、列島れっとうるがす「文春ぶんしゅんほう」の神髄しんずい. 週刊しゅうかんダイヤモンド (ダイヤモンド社だいやもんどしゃ). https://diamond.jp/articles/-/87743 2016ねん6がつ28にち閲覧えつらん 
  18. ^ 田代たしろほう - アンサイクロペディア”. 2023ねん10がつ25にち閲覧えつらん

参考さんこう資料しりょう

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  • 防衛ぼうえいしょう規格きかく 火器かき用語ようご(火砲かほう)” (PDF). 防衛ぼうえいしょう. 2016ねん2がつ17にち閲覧えつらん
  • マクニール, ウィリアム しる高橋たかはしひとし やく戦争せんそう世界せかい』(初版しょはんかたなすい書房しょぼう、2002ねんISBN 4-88708-271-1、ISBN-13:978-4-88708-271-7。 
  • わらえる世界せかい軍隊ぐんたい』ダイアプレス〈DIA COLLECTION〉、2009ねん11月。ISBN 978-4-86214-365-5 
  • 荒木あらき, 雅也まさや陸上りくじょう自衛隊じえいたい車両しゃりょう装備そうび」『PANZER 1がつごう臨時りんじ増刊ぞうかん』525ごう、アルゴノートしゃ、2012ねん12月27にち 
  • 貝塚かいづか, 茂樹しげき中国ちゅうごく歴史れきし 岩波いわなみ新書しんしょ、1970ねんISBN 4-00-413042-5、ISBN-13:978-4-00-413042-0。 
  • 『ミリタリーだい百科ひゃっか大砲たいほう‐』ディスカバリーチャンネルのがせナイト] 番組ばんぐみない説明せつめい逸話いつわ参考さんこうにした。[出典しゅってん無効むこう]

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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