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阿賀野川 - Wikipedia

阿賀野川あがのがわ

新潟にいがたけん福島ふくしまけんながれる河川かせん

阿賀野川あがのがわ(あがのがわ)は、福島ふくしまけん源流げんりゅうち、新潟にいがたけんなが日本海にほんかいそそ日本にっぽん河川かせんくに指定していした一級いっきゅう水系すいけい阿賀野川あがのがわ水系すいけい本流ほんりゅうであり一級いっきゅう河川かせん指定していされている。

阿賀野川あがのがわ阿賀川あががわ大川おおかわ
阿賀野川あがのがわ名前なまえわる新潟にいがた福島ふくしまけんさかい付近ふきん
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 阿賀野川あがのがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 210 km
平均へいきん流量りゅうりょう 451 m3/s
馬下まおろし観測かんそくしょ 1951ねん - 2002ねん
流域りゅういき面積めんせき 7,710 km2
水源すいげん 荒海山あらかいやま福島ふくしまけん
水源すいげん標高ひょうこう 1,581 m
河口かこう合流ごうりゅうさき 日本海にほんかい新潟にいがたけん
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん
新潟にいがたけん福島ふくしまけん群馬ぐんまけん

地図

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新潟にいがた市街しがい北部ほくぶ画像がぞうおく)から日本海にほんかいそそ阿賀野川あがのがわ河口かこう手前てまえ信濃川しなのがわ河口かこう関屋せきや分水ぶんすい

阿賀野川あがのがわ水系すいけいとしての本流ほんりゅう指定してい部分ぶぶんいちきゅう河川かせん阿賀野川あがのがわいちきゅう河川かせん阿賀川あががわ(あががわ)であり、その全長ぜんちょうは 210キロメートル(日本にっぽんだい10)、流域りゅういき面積めんせき 7,710平方へいほうキロメートル日本にっぽんだい8)。また、下流かりゅう河川かせん水流すいりゅうりょう日本にっぽん最大さいだいきゅう一級いっきゅう水系すいけいである。

概要がいよう

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阿賀野川あがのがわ本流ほんりゅう福島ふくしまけん荒海川あらかいがわ(あらかいがわ)を源流げんりゅうとし、会津あいづ地方ちほう阿賀川あががわ大川おおかわ)、新潟にいがたけんはいると阿賀野川あがのがわえる。

阿賀川あががわ

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阿賀川あががわ本流ほんりゅういちきゅう河川かせん指定してい区間くかん[1]は、左岸さがん福島ふくしまけん南会津みなみあいづぐん南会津みなみあいづまちたきはら獅子じし小屋こや1706番地ばんちさき右岸うがん福島ふくしまけん南会津みなみあいづぐん南会津みなみあいづまちたきげんあさ日岐ひき1699番地ばんちさきから、新潟にいがたけんさかいまでである。くに直轄ちょっかつ区間くかんは 43.15キロメートル 、けん直轄ちょっかつ区間くかんは 79.85キロメートル 、合計ごうけい 123キロメートル で、流域りゅういき面積めんせきは3,260 平方へいほうキロメートルである。

阿賀野川あがのがわ

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阿賀川あががわ新潟にいがたけんはいるとせま峡谷きょうこく部分ぶぶん阿賀野川あがのがわえる。分類ぶんるいいちきゅう河川かせん水系すいけいめいもとになった河川かせんである。くにから阿賀川あががわとも阿賀野川あがのがわ水系すいけい本流ほんりゅう本川ほんがわ指定していけている。東蒲原ひがしかんばらぐん阿賀あがまち津川つがわ常浪川とこなみがわと、阿賀あが野市のいち分田ぶんだ付近ふきん早出川はやでがわ合流ごうりゅう、さらに新潟にいがた秋葉あきは満願寺まんがんじ付近ふきん一部いちぶ小阿賀野川こあがのがわ分流ぶんりゅう信濃川しなのがわつながる。阿賀野川あがのがわ自身じしん新潟にいがたきた松浜まつはま付近ふきん日本海にほんかいそそぐ。阿賀野川あがのがわ信濃川しなのがわとともに、広大こうだい新潟にいがた平野へいやつくった河川かせんである。河口かこう信濃川しなのがわ河口かこうちかく、時代じだいによっては新潟にいがた合流ごうりゅうして河口かこう共有きょうゆうしていたこともあった。現在げんざいでもその名残なごり通船川かよいぶねがわのこしている。

阿賀野川あがのがわ水系すいけいいちきゅう河川かせん阿賀野川あがのがわ

一級いっきゅう河川かせん指定してい区間くかん福島ふくしま県境けんきょうから河口かこうまでの 87キロメートル[2]

阿賀野川あがのがわ名称めいしょう使用しようれい

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  • 阿賀川あががわ大川おおかわ)」と上流じょうりゅうの「荒海川あらかいがわ」をふくむ、便宜上べんぎじょう使用しようされる総称そうしょうとしての河川かせんめい
  • 一部いちぶ「一級河川阿賀川本川」部分ぶぶんふくむ、新潟にいがた県内けんないながれる阿賀野川あがのがわ管理かんりする国土こくど交通省こうつうしょう河川かせん事務所じむしょめい[注釈ちゅうしゃく 1]
  • 阿賀野川あがのがわすべてのかわから阿賀野川あがのがわ河口かこうまでと、阿賀野川あがのがわから小阿賀野川こあがのがわ信濃川しなのがわ河口かこうむまでの水面すいめん連続れんぞくする河川かせんめい[注釈ちゅうしゃく 2]
  • 新潟にいがた県内けんないながれる河川かせんめい
  • 国土こくど交通こうつう大臣だいじん行政ぎょうせい管理かんりじょう指定していした一級いっきゅう河川かせん
    • 指定してい区間くかん福島ふくしま県境けんきょうから河口かこうまでである。
  • 国土こくど交通省こうつうしょう政令せいれい行政ぎょうせい管理かんりじょう指定していした一級いっきゅう河川かせん本流ほんりゅうとする水系すいけい[注釈ちゅうしゃく 3]
    • 指定していいちきゅう河川かせん阿賀野川あがのがわとそのささえかわ一級いっきゅう河川かせん阿賀川あががわとそのささえかわ[注釈ちゅうしゃく 4]

阿賀野川あがのがわ阿賀川あががわ名前なまえ由来ゆらいについては諸説しょせつがあり、さだかではない[4]

  • あげ」のあてで、開墾かいこんしても水田すいでんにならない小高こだか土地とちす。
  • 「アガ」はがけ意味いみする地形ちけいの「ハカ」の転化てんかしたもの。
  • 仏教ぶっきょう用語ようごの「閼伽」(みず)が変化へんかしたもので、水量すいりょう豊富ほうふであることを意味いみする[5]
  • アイヌの「ワッカ」(みず)から転化てんかしたもの。

福島ふくしまけん新潟にいがたけん連絡れんらくする磐越西線ばんえつさいせんいわおえつ自動車じどうしゃどう国道こくどう49ごうはほぼ阿賀野川あがのがわ沿ってはしっている。途中とちゅう銚子ちょうしくち麒麟きりんやまはじめとする渓谷けいこく只見川ただみがわ合流ごうりゅうてんから阿賀あがまち三川みかわまでつづいており、「阿賀野川あがのがわライン」(Rhein)とばれる。これに沿って国道こくどう459ごう磐越西線ばんえつさいせん走行そうこうしており、新緑しんりょく紅葉こうよう時期じき優美ゆうび風景ふうけいたのしめる。

猪苗代湖いなわしろこには長瀬川ながせがわはじおおくの河川かせん流入りゅうにゅうするが、長瀬川ながせがわ上流じょうりゅう1888ねん磐梯山ばんだいさん噴火ふんかともなやまたい崩壊ほうかい火山かざんどろりゅうによってかわめられた。これによって、桧原ひのはら小野川湖おのがわこ秋元湖あきもとこの「うら磐梯ばんだいさん」や五色沼ごしきぬま曽原湖そはらこなど大小だいしょう様々さまざま湖沼こしょううら磐梯ばんだい湖沼こしょうぐん)が誕生たんじょうした。現在げんざい磐梯ばんだい朝日あさひ国立こくりつ公園こうえん主要しゅよう観光かんこうとして、おおくの観光かんこうきゃくおとずれる。長瀬川ながせがわ猪苗代湖いなわしろこそそさい三角州さんかくす形成けいせいしている。

だい水俣病みなまたびょう(新潟にいがた水俣病みなまたびょう)

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阿賀野川あがのがわちゅう流域りゅういき阿賀あがまち鹿瀬かのせ写真しゃしん中央ちゅうおう)に昭和電工しょうわでんこう鹿瀬かのせ工場こうじょうがあり、ここから排出はいしゅつされたメチル水銀すいぎん新潟にいがた水俣病みなまたびょうをひきこした。

阿賀野川あがのがわ古来こらいから清冽せいれつみず流域りゅういきめぐみをあたえていた。だが、高度こうど経済けいざい成長せいちょうさい工業こうぎょう廃水はいすいによって水質すいしつ汚染おせんされた。よんだい公害こうがいびょうひとつであるだい水俣病みなまたびょう(新潟にいがた水俣病みなまたびょう)である。

ことこりは1964ねん昭和しょうわ39ねん)、阿賀野川あがのがわ流域りゅういき原因げんいん不明ふめい中枢ちゅうすう神経しんけい疾患しっかん患者かんじゃ多発たはつしたことからはじまる。1965ねん昭和しょうわ40ねん)に発生はっせい正式せいしき確認かくにんされたが、症状しょうじょう熊本くまもとけん水俣みなまた中心ちゅうしん発生はっせいした水俣病みなまたびょう酷似こくじしていた。このため政府せいふ科学技術庁かがくぎじゅつちょうめいじて1964ねん - 1967ねん昭和しょうわ42ねん)までの3年間ねんかん特別とくべつ研究けんきゅうおこなって原因げんいん究明きゅうめいおこなった。その結果けっか政府せいふ1968ねん昭和しょうわ43ねん)に、この水俣病みなまたびょうさま疾患しっかん原因げんいんを「昭和電工しょうわでんこう鹿瀬かのせ工場こうじょうから排出はいしゅつされたメチル水銀すいぎんによる有機ゆうき水銀すいぎん中毒ちゅうどく」であるとの見解けんかい発表はっぴょうした。すなわち、水俣病みなまたびょうおな疾患しっかん阿賀野川あがのがわ流域りゅういきでも発生はっせいしたということである。

昭和電工しょうわでんこう鹿瀬かのせ工場こうじょう化学かがく製品せいひん生産せいさんするさいなかあいだ産物さんぶつとしてアセトアルデヒド精製せいせいしていた。このアセトアルデヒドを精製せいせいするさい触媒しょくばいとして無機むき水銀すいぎん使用しようするが、精製せいせい過程かていにおいて猛毒もうどくであるメチル水銀すいぎんさんされる。工場こうじょうはこのメチル水銀すいぎんふく工場こうじょう廃水はいすい処理しょりせずに阿賀野川あがのがわながしていた。その結果けっか食物しょくもつ連鎖れんさ過程かてい魚介ぎょかいるいこう濃度のうどのメチル水銀すいぎんたくわえられ、それをくえした流域りゅういき住民じゅうみん慢性まんせい水銀すいぎん中毒ちゅうどく発症はっしょうした。水俣病みなまたびょうまったおな発症はっしょう過程かていであった。

1965ねん症例しょうれい報告ほうこくののち、昭和電工しょうわでんこうただちに工場こうじょう排水はいすい停止ていしするもときすでおそく、新規しんき患者かんじゃ続々ぞくぞく発生はっせいしてしまう。1970ねん昭和しょうわ45ねん)の段階だんかい報告ほうこく患者かんじゃすうは49にんであった。患者かんじゃおよびその家族かぞく遺族いぞく昭和電工しょうわでんこう相手取あいてどって損害そんがい賠償ばいしょう訴訟そしょうこし、1971ねん昭和しょうわ46ねん)9がつだいいち新潟にいがた水俣病みなまたびょう訴訟そしょう判決はんけつ原告げんこく勝訴しょうそ判決はんけつくだされた。2002ねん平成へいせい14ねん時点じてんにおいて公害こうがい健康けんこう被害ひがい補償ほしょうほうもとづく新潟にいがた水俣病みなまたびょう認定にんてい患者かんじゃは690にんおよぶ。責任せきにん所在しょざいみとめられたが、患者かんじゃくるしみはいまもなおつづいている。

阿賀野川あがのがわ水銀すいぎん汚染おせんによって鹿瀬かのせから下流かりゅうにおける魚介ぎょかいるい摂取せっしゅ全面ぜんめん禁止きんしとなった。1970ねんの『公害こうがい白書はくしょ』では阿賀野川あがのがわ水質すいしつ常態じょうたいもどっていると報告ほうこくされているが、科学かがくてき証明しょうめい確実かくじつであったため摂取せっしゅ規制きせい継続けいぞくされ、阿賀野川あがのがわ漁業ぎょぎょう関係かんけいしゃ失業しつぎょうなどの深刻しんこく被害ひがいけた。こうした窮状きゅうじょう打開だかいするため、1976ねん昭和しょうわ51ねん)には阿賀野川あがのがわ下流かりゅう汚泥おでい浚渫しゅんせつによって除去じょきょする作業さぎょう開始かいしし、どう時期じきから「阿賀野川あがのがわ水銀すいぎん汚染おせん総合そうごう調査ちょうさ」が開始かいしされた。2年間ねんかん調査ちょうさ結果けっか1978ねん昭和しょうわ53ねん)に調査ちょうさ結果けっかがまとめられ、阿賀野川あがのがわ土壌どじょうおよび魚介ぎょかいるいにおける水銀すいぎん濃度のうどくにさだめる暫定ざんてい基準きじゅん以下いかであるとの結論けつろんされた。この結果けっかけて阿賀野川あがのがわ魚介ぎょかいるい摂取せっしゅ規制きせい解除かいじょされた。

その継続けいぞくてき調査ちょうさつづけられているが、阿賀野川あがのがわにおける水銀すいぎん濃度のうど環境省かんきょうしょうさだめる基準きじゅん(0.0005 mg/L 以下いか)を下回したまわっており、水銀すいぎんによる汚染おせん収束しゅうそくしている。

阿賀野川あがのがわ水系すいけい

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阿賀野川あがのがわ阿賀川あががわみなもと流域りゅういき荒海山あらかいやまとその周辺しゅうへんそらつまみ

阿賀野川あがのがわ水系すいけいいちきゅう河川かせん阿賀野川あがのがわいちきゅう河川かせん阿賀川あががわ本川ほんがわとするくに指定してい一級いっきゅう水系すいけいである。阿賀川あががわ上流じょうりゅう大川おおかわともばれ、荒海あらうみ山麓さんろく荒海川あらかいがわ多数たすうさわながんでいる。信濃川しなのがわ水系すいけいとともに越後平野えちごへいや形作かたちづくった日本にっぽん有数ゆうすう水系すいけいである。

新潟にいがた市内しない阿賀野川あがのがわから小阿賀野川こあがのがわ分流ぶんりゅうし、小阿賀野川こあがのがわ信濃川しなのがわ合流ごうりゅうしているので、信濃川しなのがわ阿賀野川あがのがわかけじょうどういち水系すいけいである。しかし、上流じょうりゅう信濃川しなのがわ長野ながのけん阿賀野川あがのがわ福島ふくしまけんとかけはなれているので、別々べつべつ水系すいけいとして分類ぶんるいされている。なお、小阿賀野川こあがのがわ名前なまえはんして信濃川しなのがわ水系すいけいぞくするものとして河川かせん管理かんりされている。

荒海川あらかいがわ

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阿賀川あががわさい上流じょうりゅう別称べっしょう阿賀野川あがのがわ水系すいけい本川ほんかわさい上流じょうりゅうにあたる。福島ふくしまけん栃木とちぎけん県境けんきょう付近ふきん荒海山あらかいやま太郎岳たろうだけ、1,581メートル)の北面ほくめんからなが多数たすうさわとともに阿賀川あががわながんでいる。

阿賀川あががわ

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荒海川あらかいがわつづくのが阿賀川あががわ(または大川おおかわ)で一級いっきゅう河川かせんくにから阿賀野川あがのがわとともに阿賀野川あがのがわ水系すいけい本流ほんりゅう本川ほんがわ)の指定していけている。会津あいづ西にし街道かいどう下野げや街道かいどう)に沿って北上ほくじょうし、うら磐梯ばんだい湖沼こしょうぐん猪苗代湖いなわしろこ源流げんりゅうとする日橋川にっぱしがわ喜多方きたかた塩川しおかわまち会知かいち付近ふきん合流ごうりゅうし、西にしきをえる。さらに福島ふくしま群馬ぐんまけんとのさかいにある尾瀬沼おぜぬまおよび越後山脈えちごさんみゃくにある尾瀬ヶ原おぜがはら川上川かわかみがわ源流げんりゅうとする只見川ただみがわ喜多方きたかた山都やまとまち三津合みつあい付近ふきん合流ごうりゅう新潟にいがたけんさかいまでながれる。

水系すいけいかわ系図けいず

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            日本海にほんかい
            信濃しなの一級いっきゅう水系すいけい
            阿賀野川あがのがわ水系すいけい   阿賀野川あがのがわいちきゅう水系すいけい
              河口かこう         河口かこう    河口かこう
 ━━━━━━━━━━━━━┓┏━━━━━━━━━┓┏━━━━┓┏━━━━━
              ┃┃      ┏━━┫┃    ┃┃
              ┣┻━━┓  通船川かよいぶねがわ ┣┻━━┓ ┣┛
           ┏━━┛ 小阿賀野川こあがのがわ    ┃   ┗━┫
          信濃川しなのがわ     ┗━━━━━━┫   新井郷川にいごうがわ
         ━━┛             ┣━━┓
                 ┏━━━━━━━┫ やす野川のがわ
                早出川はやでがわ      ┣━━━┓
                    ┏━━━━┫ ツベタがわ
                   成沢なりさわがわ   ┣━━━━┓
                    ┏━━━━┫  沢川そうごう
                   大沢おおさわ    ┣━━━━━━━━┓
                         ┣━━━━┓ じょう沢川そうごう
                 ┏━━━━━━━┫   石戸いしとがわ        
                長谷川はせがわ  ┏━━━┫
                   じゅうははがわ  ┣━━━━━━━━┓
                         ┣━━━━┓ 中ノ沢川なかのさわがわ
                     ┏━━━┫   新谷川あらやがわ
                    谷沢たにさわがわ あげがわダム
                    ┏━━━━┫
                   常浪川とこなみがわ   ┣━━━━━━━━━━┓
                         ┣━━━━━━━┓ 水沢川みずさわがわ
                         ┣━━━━┓ 大谷川おおたにがわ
                         ┣━━┓ 実川じつかわ
                  ┏━━━━━━┫ かわ
                おにこう頭川ずかわ  阿賀川あががわ大川おおかわ
 〓〓〓 福島ふくしまけん新潟にいがたけん県境けんきょう 〓〓〓       ┣━━━━━━┓
                         ┣━━━━┓ 奥川おくがわ
                         ┣━━┓ 笹川ささがわ
           ┏━━━━━━━━━━━━━┫ 井谷いたにがわ
          大沼おおぬま ┏━━━━━━━━━━━┫
            安座あんざがわ ┏━━━━━━━━┫              
               長谷川はせがわ ┏━━━━━┫
                   松川まつかわ ┏━━┫
                     只見川ただみがわ ┣━━━━━┓
                  尾瀬おぜ━━┛  ┣━┓ 一ノ戸川いちのとがわ
                    ┏━━━━┫ 原川はらがわ
                   鶴沼川つるぬまがわ   ┣━━━━━━━━━━━┓
                         ┣━━━━━━━┓ 阿賀川あががわきゅう川道かわみち
                         ┣━━━━━┓ 濁川にごりかわ
                         ┣━━┓ 田付たつきかわ
                    ┏━━━━┫ 日橋川にっぱしがわ━━猪苗代湖いなわしろこ長瀬川ながせがわ秋元湖あきもとこ
                    宮川みやがわ   ┣━━━━━┓
                         ┣━┓ 湯川ゆかわ放水ほうすい
                   ┏━━━━━┫ 沢川そうごう
                  戸沢川とざわがわ ┏━━┫  
                     西ノ川にしのかわ ┣━━━━━┓
                         ┣━━┓ まるさわ
                       大川おおかわダム やみがわ
                         ┣━━━━┓
                  ┏━━━━━━┫   鶴沼川つるぬまがわ
                  小野川おのがわ ┏━━┫ 
                     大沢川おおさわかわ ┣━━━━━┓
                         ┣━━┓ 男女だんじょがわ
                    ┏━━━━┫ 観音川かんのんがわ
                   戸石川といしかわ   ┣━━━━━━┓
                         ┣━━┓ 加藤谷川かどたにがわ
                    ┏━━━━┫ 水無川みずなしがわ
                   檜沢川ひのきざわがわ   ┣━━━━━┓
                         ┣━━┓ 小柱おばしらがわ
                    ┏━━━━┫ 金地かなじがわ
                   富貴ふうきさわ   ┣━━━━┓
                    ┏━━━━┫   あな沢川そうごう
                    長沢ながそ   ┣━━━━┓
                        荒海川あらかいがわ  山王さんのうがわ
                    ┏━━━━┫
                   かま越沢こえさわ   ┣━━━━┓
                   ┏━━━━━┫   恋路こいじさわ
                 分木ぶんきさわ ┏━━┫ 
                      りゅうさわ ┣━━━━┓
                        荒海川あらかいがわ  朝日あさひさわ

阿賀野川あがのがわ水系すいけい開発かいはつ

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日本にっぽん有数ゆうすう豪雪ごうせつ地帯ちたいかかえる阿賀野川あがのがわ水系すいけい全国ぜんこく屈指くっし水量すいりょうほこる。流域りゅういき住民じゅうみん豊富ほうふみずして新潟にいがた平野へいや会津盆地あいづぼんち肥沃ひよく土地とち変貌へんぼうさせ、多大ただい恩恵おんけい享受きょうじゅしてきた。しかしその反面はんめん、かつては度重たびかさなる洪水こうずい発生はっせいによって甚大じんだい被害ひがいけており、流域りゅういき周辺しゅうへんではふるくから治水ちすい事業じぎょうすすめられてきた。

近世きんせい近代きんだい治水ちすい

編集へんしゅう
 
新津にいつ市街しがい近郊きんこう蛇行だこうする阿賀野川あがのがわ流域りゅういき早出川はやでがわ小阿賀野川こあがのがわ信濃川しなのがわなどのほか阿賀野川あがのがわきゅうかわどうあとられる地形ちけいれる。解説かいせつ画像がぞうはこちら

新潟にいがた平野へいや阿賀野川あがのがわ信濃川しなのがわ上流じょうりゅうから土砂どしゃ運搬うんぱんすることで形成けいせいされた堆積たいせき平野へいやである。まず河口かこう周辺しゅうへん中心ちゅうしんとする砂浜すなはま洪水こうずい発生はっせいする多量たりょう土砂どしゃ形成けいせいされ、その徐々じょじょ平野へいや全体ぜんたい形成けいせいされていった。しかし、平野へいや形成けいせいされる過程かていで、元々もともとりゅうのこったくぼや、土砂どしゃ流入りゅうにゅうすくなかった地域ちいき湖沼こしょうぐんのこった。このため、阿賀野川あがのがわ周辺しゅうへんには紫雲寺しうんじかた福島潟ふくしまがた島見しまみ前潟まえがたなどの湖沼こしょう形成けいせいされたうえに、周囲しゅうい低地ていちのままで湿地しっちおびとなっていった。これにくわ阿賀野川あがのがわ現在げんざい阿賀あが野市のいち早出川はやでがわ合流ごうりゅうてんから同市どうしおよび新潟にいがた秋葉あきは江南えなきたひがしにかけて複雑ふくざつ蛇行だこうかえし、かわどう洪水こうずいによって頻繁ひんぱん変化へんかしたため新田しんでん開発かいはつもままならない状態じょうたいであった。

1598ねん慶長けいちょう3ねん上杉うえすぎ景勝かげかつ会津あいづうつりふうによって新発田しばたじょうげん新発田しばた)には溝口みぞぐち秀勝ひでかつにゅうふうし、以後いご溝口みぞぐちが6まん1せんせきをもって代々だいだい領有りょうゆうした。代々だいだい藩主はんしゅ新田にった開発かいはつ積極せっきょくてき実施じっししていったが、これを円滑えんかつすすめるための治水ちすい事業じぎょう推進すいしんした。領内りょうないでは新井郷川にいごうがわ加治川かじがわかたともな阿賀野川あがのがわ合流ごうりゅうしており、その阿賀野川あがのがわ信濃川しなのがわ河口かこう付近ふきん合流ごうりゅうしていた。このため阿賀野川あがのがわ流域りゅういき方々かたがた内水うすいまっており「あくすい」としてその排除はいじょ新田にった開発かいはつには必要ひつよう不可欠ふかけつであった。

新発田しばたはんだい6だい藩主はんしゅ溝口みぞぐち直治なおじはん財政ざいせい回復かいふくさせるべく新田にった開発かいはつ推奨すいしょうしたが、その阻害そがい要因よういんとなる阿賀野川あがのがわ流域りゅういきりゅう修正しゅうせい内水うすい排除はいじょ計画けいかくした。まず1721ねんとおる6ねん)に紫雲寺しうんじかた内水うすい排除はいじょするため落堀川おちぼりがわ開削かいさくして紫雲寺しうんじかた干拓かんたくはかり、1730ねんとおる15ねん)には信濃川しなのがわ合流ごうりゅうしていた阿賀野川あがのがわかわどう日本海にほんかい直接ちょくせつ流出りゅうしゅつさせるべく、松ヶ崎まつがさき新潟にいがたひがし下山げざんきた松浜まつはま付近ふきん地点ちてんにおいてとし水路すいろ開削かいさくした松ヶ崎まつがさき掘割ほりわり。このとし水路すいろよく1731ねんとおる16ねんはる融雪ゆうせつ洪水こうずいでの決壊けっかい拡張かくちょうされ、これによって阿賀野川あがのがわ日本海にほんかい直接ちょくせつそそぎ、きゅうりゅうは「通船川かよいぶねがわ」となったが、この「松ヶ崎まつがさき開削かいさく」によって大野新田おおのしんでん相馬そうま新田にった俵橋たわらばし新田しんでん大中島おおなかじま新田しんでん開発かいはつ成功せいこうし、一定いってい成果せいかおさめた。

1732ねんとおる17ねん)に藩主はんしゅだい7だい溝口みぞぐちただしあつしわるも阿賀野川あがのがわりゅう修正しゅうせい継続けいぞくされた。同年どうねんから松ヶ崎まつがさき直上ちょくじょうりゅう津島屋つしまや新潟にいがたひがし津島屋つしまや付近ふきん)の阿賀野川あがのがわ蛇行だこう直線ちょくせんする「津島屋つしまやいでしゅう掘割ほりわり開削かいさく」に着手ちゃくしゅ、11ねん1743ねんひろし2ねん)に完成かんせいして阿賀野川あがのがわ最下さいかりゅう直線ちょくせんした。1734ねんとおる19ねん)には阿賀野川あがのがわ信濃川しなのがわ連絡れんらくする小阿賀野川こあがのがわ改修かいしゅうして新田にった整備せいび実施じっし。さらにだい8だい藩主はんしゅ溝口みぞぐちただしよう1773ねん安永やすなが2ねん)に阿賀野川あがのがわきゅうりゅうである通船川かよいぶねがわ改修かいしゅうし、りゅう整備せいび実施じっしした。こうして新発田しばたはん阿賀野川あがのがわ治水ちすいつうじて新田にった開発かいはつおこない、財政ざいせいなおしをはかろうとした。だが、一部いちぶでは成果せいかがあったものの根本こんぽんてき解決かいけつにはいたらず、ぎゃくだい9だい藩主はんしゅ溝口みぞぐちただしこうだい1789ねん寛政かんせい元年がんねん)には精魂せいこんめて開墾かいこんした蒲原かまはらぐん2まんせき陸奥みちのく信夫しのぶぐん田村たむらぐん楢葉ならはぐんさんぐん分散ぶんさんしてこうなおしをさせられたため、財政ざいせいはさらに逼迫ひっぱくしてった。

 
只見川ただみがわ合流ごうりゅう付近ふきん阿賀川あががわ蛇行だこう狭窄きょうさく開削かいさくによって直線ちょくせんてきながれ変更へんこうされ、治水ちすい安全あんぜん向上こうじょうした。

一方いっぽう上流じょうりゅう会津盆地あいづぼんちにおいても阿賀野川あがのがわりゅうえず変動へんどうしていた。1419ねんには宮川みやがわ鶴沼川つるぬまがわ若郷わかごう上流じょうりゅう合流ごうりゅうする鶴沼川つるぬまがわとはことなる)が阿賀野川あがのがわ本流ほんりゅうであったが、1536ねんには現在げんざいりゅうになっていたと推定すいていされている。1611ねん慶長けいちょう16ねん)、会津盆地あいづぼんち慶長けいちょう会津あいづ地震じしんおそい、阿賀野川あがのがわ中流ちゅうりゅう狭窄きょうさく地震じしんによる山崩やまくずれで河水こうすいめられて「山崎やまざきみずうみ」とばれるせきとめみずうみ形成けいせいされた。会津あいづはんおもであった蒲生がもう秀行ひでゆきただちに山崎やまざき排水はいすい事業じぎょう実施じっししたが容易ようい排水はいすいできず、以後いご蒲生がもうただしきょう加藤かとう嘉明よしあき加藤かとう明成めいせいといった代々だいだい会津あいづ藩主はんしゅ排水はいすい事業じぎょう継承けいしょうし、加藤かとうあきらなり会津あいづ騒動そうどう改易かいえきとなったあとににゅうふうした保科ほしな正之まさゆきさんだい将軍しょうぐん徳川とくがわ家光いえみつ実弟じってい)のだいになってようや排水はいすい成功せいこうした。

近代きんだい1924ねん大正たいしょう13ねん)から1935ねん昭和しょうわ10ねん)、およ戦争せんそうとうによる中断ちゅうだん期間きかん2005ねん平成へいせい17ねん)から2006ねん平成へいせい18ねん))においても只見川ただみがわ合流ごうりゅう近辺きんぺん阿賀川あががわ下流かりゅう蛇行だこう狭窄きょうさくみぎ画像がぞう)の開削かいさくにより治水ちすい安全あんぜん向上こうじょうした[6][7]

安積あさか疏水そすい

編集へんしゅう
 
安積あさか疏水そすい水源すいげんである猪苗代湖いなわしろこ

明治めいじ時代じだいはいり、東北とうほく地方ちほう戊辰戦争ぼしんせんそう混乱こんらん明治めいじ政府せいふ管轄かんかつはいった。政府せいふ民心みんしん安定あんてい富国強兵ふこくきょうへい、さらに「四民しみん平等びょうどう」の身分みぶん制度せいど改定かいていによる士族しぞく不満ふまんらすために北海道ほっかいどうをはじめ全国ぜんこくさかんに開拓かいたく事業じぎょうおこなおうとしていた。

阿武隈川あぶくまがわ左岸さがんひろがる安積あさか原野げんや福島ふくしまけん郡山こおりやま)は広大こうだい土地とちであったが、きわめてみず便びんわる荒野あらのとして放置ほうちされていた。だがこの原野げんや開発かいはつ東北とうほく南部なんぶにとっておおいに有益ゆうえきであり、当時とうじ福島ふくしまけんてんごとであった中条ちゅうじょうあきらつね安積あさか台地だいち開発かいはつはかるため1873ねん明治めいじ6ねん)にだい槻原かえきばら開拓かいたく開始かいしし、その拠点きょてんとして1874ねん明治めいじ7ねん)に「開成かいせいかん」を設立せつりつした。

一方いっぽう明治天皇めいじてんのう行幸ぎょうこう安積あさか原野げんやだい規模きぼ農業のうぎょう経営けいえい可能かのう土地とちとして中央ちゅうおう注目ちゅうもく本格ほんかくてき農地のうち開墾かいこん事業じぎょう内務省ないむしょうすこととなった。内務ないむきょう大久保おおくぼ利通としみち安積あさか原野げんや用水ようすい供給きょうきゅうはかるべく阿賀野川あがのがわ上流じょうりゅう位置いちする猪苗代湖いなわしろこからの分水ぶんすい技術ぎじゅつてき可能かのうかどうかを調査ちょうさすることとなり、オランダから招聘しょうへいされたファン・ドールン用水ようすい実施じっし計画けいかく調査ちょうさ1878ねん明治めいじ11ねん)にめいじた。ファン・ドールンの調査ちょうさによって用水路ようすいろ建設けんせつ可能かのうであると判断はんだんした政府せいふは、よく1879ねん明治めいじ12ねん)に疏水そすい開削かいさく起工式きこうしき挙行きょこうした。日本にっぽんはつとなるくに直轄ちょっかつ農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう安積あさか疏水そすい事業じぎょう)のはじまりである。

計画けいかくでは猪苗代湖いなわしろこ水量すいりょう調節ちょうせつ安定あんていした水量すいりょう確保かくほすることが必要ひつようとなった。このため猪苗代湖いなわしろこから流出りゅうしゅつする唯一ゆいいつ河川かせん日橋川にっぱしがわ)のこうで、ふるくから交通こうつう軍事ぐんじ要衝ようしょうであったくちじゅうろくきょう付近ふきん会津若松あいづわかまつくち)にじゅうろくきょう水門すいもん建設けんせつして猪苗代湖いなわしろこダムし、耶麻やまぐん猪苗代いなわしろまち上戸じょうご取水しゅすいこう設置せっちして阿武隈川あぶくまがわつながる支流しりゅう五百川いもかわ分水ぶんすいかいまたいだりゅう変更へんこうおこなった。そしてそう延長えんちょう52.0キロメートル 、分水ぶんすい延長えんちょう78.0キロメートル の水路すいろ安積あさか原野げんやめぐらせて灌漑かんがいおこなった。この安積あさか疏水そすい建設けんせつともない、工事こうじたずさわるきゅう士族しぞく定住ていじゅう募集ぼしゅうおこなったところ、会津あいづはん二本松にほんまつはん米沢よねざわはん棚倉たなぐらはんといった奥羽おううえつ列藩れっぱん同盟どうめい参加さんかはん出身しゅっしん士族しぞくのみならず久留くるべいはん土佐とさはん松山まつやまはん岡山おかやまはん鳥取とっとりはんといった西日本にしにほんしょはん出身しゅっしん士族しぞく参加さんか定住ていじゅうした。そのかず当時とうじ郡山こおりやま人口じんこうやく5,000にんの3ぶんの1をめるやく2,000にんであったといわれる。

そう工費こうひ40まん7せんえん現在げんざい貨幣かへい価値かちなおすとやく400おくえん)、従事じゅうじ人員じんいんやく85まんにん施工しこう期間きかん3ねんとき安積あさか疏水そすい1882ねん明治めいじ15ねん)につうすい完成かんせいした。この安積あさか疏水そすいによっていままで不毛ふもう荒野あらのであった安積あさか原野げんややく 3,000ヘクタールあまりが肥沃ひよく農地のうちまれわり、郡山こおりやま発展はってんいしずえきずいた。1886ねん明治めいじ19ねん)に管理かんり福島ふくしまけん移管いかんされたのち安積あさか疏水そすいはさらに利用りようされ、1889ねん明治めいじ32ねん)に日本にっぽんはつとなる長距離ちょうきょりだかあつ送電そうでん設備せつびそなえた水力すいりょく発電はつでんところ沼上ぬまがみ発電はつでんしょ認可にんか出力しゅつりょく:300キロワット)を稼動かどうさせたほか1912ねん明治めいじ45ねん)には郡山こおりやま上水道じょうすいどう水源すいげんにも利用りようされるようになった。1947ねん昭和しょうわ22ねん)には農林省のうりんしょうげん農林水産省のうりんすいさんしょう)による「国営こくえいしん安積あさか開拓かいたく建設けんせつ事業じぎょう」の一環いっかんとして取水しゅすいこう改良かいりょうされ上戸じょうご頭首とうしゅこう建設けんせつされ、疏水そすい取水しゅすい能力のうりょく強化きょうかされた。現在げんざいやく 9,000ヘクタールの農地のうちうるおしている。

このように福島ふくしまけん発展はってんおおきく寄与きよした安積あさか疏水そすいは、栃木とちぎけん那須なす疏水そすい那珂川なかがわ)、京都きょうと琵琶湖びわこ疏水そすい京都きょうと疏水そすい淀川よどがわ)とともに「日本にっぽんさんだい疏水そすい」としてその業績ぎょうせきとなえられている。

阿賀野川あがのがわ水系すいけい電源でんげん開発かいはつ

編集へんしゅう

阿賀野川あがのがわ上流じょうりゅう豪雪ごうせつ地帯ちたいめ、年間ねんかん流水りゅうすいりょう全国ぜんこくでも屈指くっし水量すいりょうほこる。そのうえ急流きゅうりゅうでもあることからふるくから水力すいりょく発電はつでんには絶好ぜっこう開発かいはつ地点ちてんであった。阿賀野川あがのがわ水力すいりょく発電はつでん開発かいはつは、そのまま日本にっぽん水力すいりょく発電はつでんてはまる。

猪苗代いなわしろ発電はつでんしょ

編集へんしゅう
 
阿賀野川あがのがわじょう流域りゅういき磐梯ばんだい高原こうげんそらつまみ画像がぞう秋元湖あきもとこ小野川湖おのがわこ猪苗代湖いなわしろこひとしのぞむ。(2007ねん8がつ26にち

阿賀野川あがのがわ河水こうすい利用りようした水力すいりょく発電はつでん安積あさか疏水そすい利用りよう1899ねん明治めいじ32ねん)に運転うんてん開始かいしした沼上ぬまがみ発電はつでんしょ郡山こおりやま熱海あたみまち認可にんか出力しゅつりょく:300キロワット)である。現在げんざいでも供用きょうようされているこの水力すいりょく発電はつでんしょ現在げんざいは 1,400キロワットを発電はつでん)は長距離ちょうきょりだかあつ送電そうでん日本にっぽんはじめて開始かいしした水力すいりょく発電はつでんしょでもあった。当時とうじ利用りよう地域ちいきにごくちか地点ちてん水力すいりょく発電はつでんしょもうけ、送電そうでんおこなわれていた(うわ発電はつでんしょなど)。だが発電はつでんしょ管理かんりする郡山こおりやま紡績ぼうせき絹糸けんし会社かいしゃは 22キロメートル さき郡山こおりやま工場こうじょう電力でんりょく供給きょうきゅうするため、11,000ボルトこうあつ送電そうでんせんもちいての送電そうでん成功せいこうした。

この長距離ちょうきょりだかあつ送電そうでん成功せいこう当時とうじ全国ぜんこくてきさかんとなった電力でんりょく開発かいはつ事業じぎょうおおきな影響えいきょうあたえたが、猪苗代湖いなわしろこ水力すいりょく利用りようした電源でんげん開発かいはつ計画けいかくしていた猪苗代いなわしろ水力すいりょく電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ1914ねん大正たいしょう3ねん)、猪苗代いなわしろだいいち発電はつでんしょ建設けんせつした。この発電はつでんしょ当時とうじとしては日本にっぽん最大さいだいきゅう出力しゅつりょく・37,500キロワットの認可にんか出力しゅつりょくゆうし、西日本にしにほん最大さいだい水力すいりょく発電はつでんしょである女子畑おなごはた発電はつでんしょ玖珠川くすがわ大分おおいたけん)となら日本にっぽん代表だいひょうする発電はつでんしょとして『ひがし猪苗代いなわしろ西にし女子畑おなごはた』ととなえられた。また、この猪苗代いなわしろだいいち発電はつでんしょ長距離ちょうきょりだかあつ送電そうでん技術ぎじゅつをさらに応用おうようし、猪苗代いなわしろから東京とうきょうまでの長距離ちょうきょり送電そうでん成功せいこうした。この成功せいこう福澤ふくさわももかい浅野あさの総一郎そういちろう水力すいりょく発電はつでん事業じぎょうしゃ刺激しげきし、だい規模きぼ発送はっそうでん技術ぎじゅつ向上こうじょうつながった。猪苗代湖いなわしろこ利用りようした水力すいりょく発電はつでんはその開発かいはつされ、猪苗代いなわしろだい1918ねん大正たいしょう7ねん)、猪苗代いなわしろだいさん猪苗代いなわしろだいよん1926ねん大正たいしょう15ねん)のかく発電はつでんしょ日橋川にっぱしがわ建設けんせつされたほか、磐梯山ばんだいさん爆発ばくはつによって形成けいせいされた小野川湖おのがわこ秋元湖あきもとこ水力すいりょく発電はつでん利用りようされ、1940ねん昭和しょうわ15ねん)には当時とうじ最大さいだいきゅう出力しゅつりょく規模きぼほこ秋元あきもと発電はつでんしょ(107,500キロワット)が秋元湖あきもとこダムして完成かんせいした。

にちはつによる開発かいはつ計画けいかく

編集へんしゅう
 
鹿瀬かのせダム(阿賀野川あがのがわ)。阿賀野川あがのがわにおけるダムしき発電はつでんしょのさきがけでもある。

このころには阿賀野川あがのがわ上流じょうりゅうにもダムしき発電はつでんしょ建設けんせつブームがはじまり、あずましん電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ阿賀野川あがのがわ本流ほんりゅう1927ねん昭和しょうわ2ねん鹿瀬かのせダム建設けんせつしたのを皮切かわきりに1928ねん昭和しょうわ3ねん)には豊実とよみダム、1938ねん昭和しょうわ13ねん)には新郷しんごうダムを完成かんせいさせた。おりから逓信ていしんしょうによって1936ねん昭和しょうわ11ねんだいさん発電はつでん水力すいりょく調査ちょうさおこなわれ、絶好ぜっこう適地てきちである阿賀野川あがのがわ只見川ただみがわ水力すいりょく発電はつでん俄然がぜん注目ちゅうもくされた。1939ねん昭和しょうわ14ねん)に電力でんりょく管理かんりほうによって設立せつりつされた日本にっぽんはつ送電そうでんにちはつ)は、この法律ほうりつもとづき只見川ただみがわなどを中心ちゅうしんに、阿賀野川あがのがわ河口かこうにする複数ふくすう支流しりゅうふくめ、うえ流域りゅういき全体ぜんたいで20ヶ所かしょ発電はつでんようダム建設けんせつ計画けいかく手始てはじめに阿賀野川あがのがわ1943ねん昭和しょうわ18ねん山郷さんごうダムを完成かんせいさせたが、その戦争せんそう激化げきか事業じぎょう中断ちゅうだん余儀無よぎなくされた。

戦後せんご水力すいりょく発電はつでん開発かいはつ再開さいかいされ1947ねん昭和しょうわ22ねんにちはつ東北とうほく支店してんは「只見ただみ川筋かわすじ水力すいりょく開発かいはつ計画けいかく概要がいよう」を立案りつあん戦前せんぜん計画けいかく沿った開発かいはつおこなわれた。この事業じぎょうかくとなったのは只見川ただみがわ上流じょうりゅう巨大きょだいダムしき発電はつでんしょ計画けいかくである。只見川ただみがわ全国ぜんこく屈指くっし水量すいりょう急流きゅうりゅうほこ水力すいりょく発電はつでん最適さいてきとして注目ちゅうもくされ、かり計画けいかくどお開発かいはつおこなわれると当時とうじ東北とうほく計画けいかくされていた新規しんき包蔵ほうぞう水力すいりょくの 75% 、196まんキロワットをまかなうことが可能かのうであった。だがこの豊富ほうふ資源しげん隣接りんせつする自治体じちたい企業きぎょう注目ちゅうもくしており、新潟にいがたけん只見川ただみがわ河水こうすい信濃川しなのがわにまで分水ぶんすいする「只見川ただみがわ分流ぶんりゅうあん」を、きゅう東京とうきょう電燈でんとう主体しゅたいとするにちはつ関東かんとう支社ししゃ尾瀬おぜたかさ85メートル、有効ゆうこう貯水ちょすい容量ようりょう3おく3,000まん立方りっぽうメートル尾瀬おぜげんダム建設けんせつし、利根川とねがわにまで分水ぶんすいする「尾瀬おぜ分水ぶんすいあん」をげ、さんしゃ鼎立ていりつした状況じょうきょうとなった。

只見ただみ特定とくてい地域ちいき総合そうごう開発かいはつ計画けいかく - おく只見ただみ田子倉たごくら -

編集へんしゅう
 
おく只見ただみダム只見川ただみがわ)。日本にっぽん最大さいだいきゅうのダムである。
 
田子倉たごくらダム只見川ただみがわ)。おく只見ただみダムととも日本にっぽん最大さいだいきゅう一般いっぱん水力すいりょく発電はつでんしょゆうする。

こうした状況じょうきょう1950ねん昭和しょうわ25ねん国土こくど総合そうごう開発かいはつほう施行しこうともな全国ぜんこく19地域ちいき総合そうごう開発かいはつ重点的じゅうてんてき実施じっしする「特定とくてい地域ちいき総合そうごう開発かいはつ計画けいかく」に指定していされ、只見川ただみがわ流域りゅういき電力でんりょく開発かいはつ強力きょうりょく推進すいしん首都しゅとけんへの電力でんりょく供給きょうきゅうするべく1951ねん昭和しょうわ26ねん)「只見ただみ特定とくてい地域ちいき総合そうごう開発かいはつ計画けいかく」に指定していされ、国策こくさくとして遂行すいこうされることとなった。にちはつ同年どうねん電気でんき事業じぎょうさい編成へんせいれいによって全国ぜんこく9電力でんりょく会社かいしゃ分割ぶんかつされにちはつ東北とうほく支店してん東北電力とうほくでんりょくに、にちはつ関東かんとう支店してん東京電力とうきょうでんりょくとして発足ほっそくした。だが発足ほっそくあいだもない電力でんりょく会社かいしゃ経営けいえい基盤きばん脆弱ぜいじゃくで、単独たんどくでの事業じぎょう遂行すいこう困難こんなんであると予想よそうされたが発電はつでん用水ようすい利権りけんめぐ両者りょうしゃはげしく対立たいりつ。また只見川ただみがわ開発かいはつをどのようにすすめるかで福島ふくしまけん新潟にいがたけんするど対立たいりつした。政府せいふ電力でんりょく開発かいはつ補強ほきょうするため1952ねん昭和しょうわ27ねん)に電源でんげん開発かいはつ株式会社かぶしきがいしゃ発足ほっそく只見川ただみがわ水力すいりょく開発かいはつ事業じぎょう参入さんにゅう水利すいりけんをどのように調整ちょうせいするかが課題かだいとなった。

1953ねん昭和しょうわ28ねん)「電源でんげん開発かいはつ調整ちょうせい審議しんぎかい」の裁定さいていによって只見川ただみがわ水力すいりょく発電はつでん計画けいかくは「只見川ただみがわ本流ほんりゅうあん」に新潟にいがたけん主張しゅちょうした「只見川ただみがわ分流ぶんりゅうあん」を一部いちぶ折衷せっちゅうあん採用さいようされ、阿賀野川あがのがわ伊南川いながわぜん発電はつでんしょ本名ほんみょうダムよりも下流かりゅう只見川ただみがわ東北電力とうほくでんりょく管掌かんしょうし、電源でんげん開発かいはつ只見川ただみがわ上流じょうりゅうの4ダム計画けいかくと「分流ぶんりゅうあん」による水力すいりょく発電はつでん計画けいかくつことになった。ただし東京電力とうきょうでんりょく主張しゅちょうする「尾瀬おぜ分水ぶんすいあん」はまれなかった(後述こうじゅつ)。こうして只見川ただみがわ水力すいりょく発電はつでん計画けいかく始動しどう、1952ねん東北電力とうほくでんりょく天然てんねんみずうみである沼沢湖ぬまざわこ[注釈ちゅうしゃく 5]上池かみいけ宮下みやしたダム下池しもいけとして日本にっぽんはつじゅん揚水ようすい発電はつでんしょ沼沢沼ぬまざわぬま発電はつでんしょ(43,700キロワット)を完成かんせいさせた。電源でんげん開発かいはつ銀山ぎんざん地点ちてん田子倉たごくら地点ちてん日本にっぽん屈指くっしのダムと、日本にっぽん最大さいだいきゅう一般いっぱん水力すいりょく発電はつでんしょ建設けんせつした。これが1959ねん昭和しょうわ34ねん)に完成かんせいした田子倉たごくらダム1960ねん昭和しょうわ35ねん)に完成かんせいしたおく只見ただみダムである。つつみだかそう貯水ちょすい容量ようりょうたたえ水面すいめんせきいずれも日本にっぽん最大さいだいきゅうで、日本にっぽんのダムの歴史れきしのこすこのダムによって田子倉たごくら発電はつでんしょ(38まんキロワット)・おく只見ただみ発電はつでんしょ(36まんキロワット)が稼動かどう日本にっぽん有数ゆうすう電源でんげん開発かいはつ地帯ちたいとなった。

なお、この電源でんげん開発かいはつ事業じぎょうともな物資ぶっし輸送ゆそうのための鉄道てつどう建設けんせつされたが、ダム建設けんせつは、1961ねん国鉄こくてつ只見線ただみせんとして整備せいびされ1971ねん昭和しょうわ46ねん)に全線ぜんせん開通かいつうした。また1973ねん昭和しょうわ51ねん)には新潟にいがた福島ふくしまむす難所なんしょろくじゅうこし国道こくどう252ごう)がろくじゅうえつトンネル完成かんせいによって通行つうこう可能かのうとなり、りく孤島ことうであった只見川ただみがわ上流じょうりゅう会津若松あいづわかまつ魚沼うおぬま方面ほうめんのアクセスが飛躍ひやくてき向上こうじょうした。

揚水ようすい発電はつでんさい開発かいはつ

編集へんしゅう
 
下郷しもごう発電はつでんしょ福島ふくしまけん)。大川おおかわダム大内おおうちダム利用りようした揚水ようすい発電はつでんで100まんキロワットの電力でんりょく阿賀野川あがのがわ最大さいだい水力すいりょく発電はつでんしょ

おく只見ただみダム完成かんせい日本にっぽん電源でんげん開発かいはつ主軸しゅじく火力かりょく発電はつでん移行いこうしたこともあり、水力すいりょく発電はつでん開発かいはつ下火したびとなったが、とく注目ちゅうもくされたのが、火力かりょく発電はつでん原子力げんしりょく発電はつでんとの連携れんけい可能かのう揚水ようすい発電はつでんであり、全国ぜんこく各地かくちだい規模きぼ揚水ようすい発電はつでんしょ建設けんせつされるようになった。

福島ふくしま県内けんないでも例外れいがいではなく、東北電力とうほくでんりょくは1953ねん運転うんてん開始かいしした沼沢沼ぬまざわぬま発電はつでんしょ老朽ろうきゅうだい規模きぼ出力しゅつりょく増強ぞうきょう計画けいかく1982ねん昭和しょうわ57ねん)にだい沼沢しょうたく発電はつでんしょ只見川ただみがわ完成かんせいさせた。このだい増強ぞうきょうによって、従来じゅうらい4まん3,700キロワットだった認可にんか出力しゅつりょくは 46まんキロワットとじゅうばい以上いじょう拡張かくちょうされ、只見川ただみがわ水力すいりょく発電はつでんあらたな1ページをしるした。また、電源でんげん開発かいはつ阿賀野川あがのがわ利用りようした揚水ようすい発電はつでんしょ計画けいかくてた。これは江戸えど時代じだい街並まちなみをいまのこ大内おおうち宿やど上流じょうりゅう大内おおうちダム小野川おのがわ)を建設けんせつ建設省けんせつしょうげん国土こくど交通省こうつうしょう)が建設けんせつしていた大川おおかわダム阿賀野川あがのがわ)を下池しもいけとして認可にんか出力しゅつりょく 100まんキロワットの下郷しもごう発電はつでんしょ建設けんせつ1988ねん昭和しょうわ63ねん)に1・2号機ごうき稼動かどうさせ、その1991ねん平成へいせい3ねん増設ぞうせつした。

また一般いっぱん水力すいりょく発電はつでんしょ増強ぞうきょう新設しんせつおこなわれた。東北電力とうほくでんりょく阿賀野川あがのがわ本川ほんかわすで完成かんせいしていた新郷しんごう山郷さんごう豊実とよみ鹿瀬かのせの4発電はつでんしょさい開発かいはつ増強ぞうきょうした。1973ねんだい鹿瀬かのせ発電はつでんしょ皮切かわきりに1975ねん昭和しょうわ50ねん)のだい豊実とよみ発電はつでんしょ1984ねん昭和しょうわ59ねん)のだい新郷しんごう発電はつでんしょ1992ねん平成へいせい4ねん)のだい山郷さんごう発電はつでんしょ(22,900キロワット)、そして2002ねん平成へいせい14ねん)にはだい上野尻かみのじり発電はつでんしょ増設ぞうせつされやく 18まんキロワット以上いじょう出力しゅつりょく増加ぞうかされた。一方いっぽう電源でんげん開発かいはつ1999ねん平成へいせい11ねん)からおく只見ただみ発電はつでんしょ増設ぞうせつ実施じっし2003ねん平成へいせい15ねん)に完成かんせい一挙いっきょに 22まんキロワット増強ぞうきょうされ日本にっぽん最大さいだい一般いっぱん水力すいりょく発電はつでんしょとなった。さらに1989ねん平成へいせい元年がんねん)には田子倉たごくらダムの直下ちょっかりゅう只見ただみダムを建設けんせつし、1993ねん平成へいせい5ねん)には単一たんいつラバーダムとしては世界せかい最大さいだいである黒谷くろたに取水しゅすいダムを完成かんせいさせている。

こうして阿賀野川あがのがわ水系すいけい只見ただみ特定とくてい地域ちいき総合そうごう開発かいはつ計画けいかくによって20ヶ所かしょのダムと発電はつでんしょ建設けんせつされ、この開発かいはつによって生成せいせいされる電力でんりょく認可にんか出力しゅつりょく)はやく 370まんキロワットという莫大ばくだいなものとなり、首都しゅとけん東北とうほく地方ちほう電力でんりょく需要じゅようおおきく貢献こうけんしている。

阿賀野川あがのがわ水系すいけい総合そうごう開発かいはつ

編集へんしゅう
 
大川おおかわダム(阿賀野川あがのがわ)。阿賀野川あがのがわ本流ほんりゅうにある唯一ゆいいつ多目的たもくてきダムとして会津あいづ地方ちほう治水ちすい利水りすいになう。
 
白河しらかわ盆地ぼんちにおける農地のうち重要じゅうようみずがめである羽鳥湖はとりこ鶴沼川つるぬまがわ)。

新発田しばたはんによって施工しこうされた阿賀野川あがのがわ治水ちすい事業じぎょうは、明治めいじ時代じだいはい内務省ないむしょう管轄かんかつすることとなった。契機けいきになったのは1913ねん大正たいしょう2ねん)の水害すいがいからであるが、内務省ないむしょう1915ねん大正たいしょう4ねん)から「だいいち阿賀野川あがのがわ改修かいしゅう工事こうじ事業じぎょう」に着手ちゃくしゅした。これよりもまえ阿賀野川あがのがわ河口かこう付近ふきん合流ごうりゅうしていた加治川かじがわを1913ねん大正たいしょう2ねん)に開削かいさく工事こうじによって分離ぶんりし、日本海にほんかい直接ちょくせつ流出りゅうしゅつさせることで河口かこう水害すいがい防止ぼうしした。さらに1920ねん大正たいしょう9ねん)からはおなじく阿賀野川あがのがわ河口かこう付近ふきん合流ごうりゅうしていた新井郷川にいごうがわ阿賀野川あがのがわから分離ぶんりさせる工事こうじ開始かいしし、13ねん歳月さいげつけて1933ねん昭和しょうわ8ねん)に分流ぶんりゅう完了かんりょうした[8]阿賀野川あがのがわ信濃川しなのがわつな小阿賀野川こあがのがわについても改修かいしゅうおこなわれ、1928ねん昭和しょうわ3ねん阿賀野川あがのがわがわ満願寺まんがんじ閘門を、信濃川しなのがわがわしょう阿賀あが閘門を建設けんせつ河水こうすい逆流ぎゃくりゅうによる洪水こうずい被害ひがいふせぐととも水運すいうん便びんはかった。1934ねん昭和しょうわ9ねん)3がつだいいち阿賀野川あがのがわ改修かいしゅう工事こうじ事業じぎょう完了かんりょうし、阿賀野川あがのがわ現在げんざいかわどうさだまった。阿賀野川あがのがわのかつての下流かりゅうは、蛇行だこうかえしながら信濃川しなのがわ合流ごうりゅうしていた。

戦後せんご1947ねん昭和しょうわ22ねん)に堤防ていぼう整備せいびなどを主体しゅたいとした「だい阿賀野川あがのがわ改修かいしゅう工事こうじ事業じぎょう」が施工しこうされた。阿賀野川あがのがわ1964ねん昭和しょうわ39ねん)のしん河川かせんほう施行しこうともな一級いっきゅう水系すいけい指定していされ、建設省けんせつしょう北陸ほくりく地方ちほう建設けんせつきょくげん国土こくど交通省こうつうしょう北陸ほくりく地方ちほう整備せいびきょく)による一貫いっかん管理かんりおこなわれた。阿賀野川あがのがわ福島ふくしまけんうち流域りゅういきとしているが、河口かこう所在地しょざいち新潟にいがたけんであるため北陸ほくりく地方ちほう建設けんせつきょく福島ふくしま県内けんない管理かんりし、東北とうほく地方ちほう建設けんせつきょくげん東北とうほく地方ちほう整備せいびきょく)は管理かんりしていない。一級いっきゅう水系すいけい指定してい阿賀野川あがのがわ総合そうごうてき治水ちすい計画けいかく策定さくていもとめられ、1966ねん昭和しょうわ41ねん)「阿賀野川あがのがわ水系すいけい工事こうじ実施じっし基本きほん計画けいかく」がさだめられた。これが現在げんざいまでつづ阿賀野川あがのがわ河川かせん管理かんり基本きほん方針ほうしんとなるが、この計画けいかくなか阿賀野川あがのがわ治水ちすい安全あんぜん向上こうじょうさせるために、阿賀野川あがのがわ水系すいけいでははじめてとなる特定とくてい多目的たもくてきダム計画けいかくされた。

これが大川おおかわダムであり、1971ねん昭和しょうわ46ねん)に着手ちゃくしゅされ1989ねん平成へいせい元年がんねん)に完成かんせい阿賀野川あがのがわ本川ほんかわ治水ちすい会津あいづ地方ちほう利水りすい前述ぜんじゅつした下郷しもごう揚水ようすい発電はつでんところによるだい規模きぼ揚水ようすい発電はつでんおこな阿賀野川あがのがわ治水ちすいようとなった。また福島ふくしまけん新潟にいがたけん支流しりゅう補助ほじょ多目的たもくてきダム計画けいかく東山ひがしやまダム(湯川ゆかわ)・田島たじまダム(高野たかのがわ)・にちちゅうダム押切川おしきりがわ)・早出川はやでがわダム(早出川はやでがわ)が建設けんせつされ、現在げんざい常浪川とこなみがわ常浪川とこなみがわダムが計画けいかくされている。

一方いっぽう農業のうぎょう整備せいびかんしてであるが、下流かりゅうについては治水ちすい事業じぎょう連動れんどうして1941ねん昭和しょうわ16ねん)から農地のうち開発かいはつ公団こうだんによる「阿賀野川あがのがわ沿岸えんがん農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう」が着手ちゃくしゅされ、戦後せんご農林省のうりんしょうげん農林水産省のうりんすいさんしょう)に継承けいしょうされ「国営こくえい阿賀野川あがのがわ農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう」として1947ねん昭和しょうわ22ねん)に実施じっしされた。このなか新井郷川にいごうがわ排水はいすいじょう整備せいびおこなわれ、1966ねん昭和しょうわ41ねん)からは福島ふくしまかた干拓かんたくして農地のうち造成ぞうせいする「国営こくえい福島潟ふくしまがた干拓かんたく建設けんせつ事業じぎょう」が着手ちゃくしゅ1977ねん昭和しょうわ52ねん)に事業じぎょう完成かんせいした[8]。しかし1978ねん昭和しょうわ53ねん)の集中しゅうちゅう豪雨ごううによるたたえすい被害ひがいこり、これを防止ぼうしするため、1988ねん昭和しょうわ63ねん)から新井郷川にいごうがわ排水はいすいじょう改修かいしゅうふくむ「国営こくえい阿賀野川あがのがわ右岸うがん農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう」が実施じっしされた[8]

福島ふくしま県内けんないにおいては1947ねんの「国営こくえいしん安積あさか開拓かいたく建設けんせつ事業じぎょう」による安積あさか疏水そすい取水しゅすいこう上戸じょうご頭首とうしゅこう改良かいりょう工事こうじのほか、白河しらかわ矢吹やぶき方面ほうめん農地のうち用水ようすい供給きょうきゅうするため同年どうねんに「国営こくえい白河しらかわ矢吹やぶき開拓かいたく建設けんせつ事業じぎょう」が計画けいかくされた。この事業じぎょうにおいても阿賀野川あがのがわから阿武隈川あぶくまがわながれ変更へんこうともな導水どうすい事業じぎょう計画けいかくされ、鶴沼川つるぬまがわ羽鳥はとりダム1956ねん昭和しょうわ31ねん)に建設けんせつされた。羽鳥はとりダムは日本にっぽん最大さいだいきゅう農林水産省のうりんすいさんしょう直轄ちょっかつダムとして白河しらかわ方面ほうめん農地のうち2,160ヘクタールをうるおし、現在げんざい農林水産省のうりんすいさんしょう直轄ちょっかつ管理かんりおこな重要じゅうようなダムである。このほか会津盆地あいづぼんち西部せいぶ用水ようすい補給ほきゅうおこなうため、1980ねん昭和しょうわ55ねん)には「国営こくえい会津あいづ宮川みやがわ地区ちく農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう」が着手ちゃくしゅされた。根幹こんかん施設しせつとして宮川みやがわ新宮しんぐうがわダム建設けんせつされ、2004ねん平成へいせい16ねん)に完成かんせいする。4,490ヘクタールの農地のうち用水ようすい供給きょうきゅうし、直下ちょっかりゅうにある宮川みやがわダムなどの防災ぼうさいダムと連携れんけいして農地のうち水害すいがい防止ぼうしはかっている。

開発かいはつ地域ちいき反対はんたい

編集へんしゅう
 
尾瀬おぜそらつまみ写真しゃしん
左端ひだりはし尾瀬沼おぜぬま中央ちゅうおう只見川ただみがわ源流げんりゅう
この付近ふきん尾瀬おぜげんダム計画けいかくされていた
 
イワナ密漁みつりょうブラックバスみつ放流ほうりゅう防止ぼうしのために官民かんみん一体いったいとなって漁業ぎょぎょう資源しげん保護ほごんでいる奥只見湖おくただみこ

阿賀野川あがのがわ水力すいりょく発電はつでん中心ちゅうしんおおくの開発かいはつおこなわれ、流域りゅういきはおろか流域りゅういきがいにも多大ただい恩恵おんけいあたえている。だが、開発かいはつともな住民じゅうみんとの軋轢あつれきや、環境かんきょうへの影響えいきょうというものが表面ひょうめんした。

只見川ただみがわでは1954ねん昭和しょうわ29ねん)に田子倉たごくらダム補償ほしょう事件じけんこっている。これは田子倉たごくらダム建設けんせつ強硬きょうこう反対はんたいする田子倉たごくら集落しゅうらく只見ただみまち)の住民じゅうみん福島ふくしまけん知事ちじ補償ほしょう斡旋あっせん嘆願たんがんおこない、それをけた知事ちじ当時とうじ補償ほしょう金額きんがく相場そうば大幅おおはばえる補償ほしょうがく事業じぎょうしゃである電源でんげん開発かいはつ呈示ていじ電源でんげん開発かいはつもこの斡旋あっせんあんれたことにはじまる。これが新聞しんぶん発表はっぴょうされて世間せけんおおきなセンセーションをこしたが、河川かせん行政ぎょうせい担当たんとうする建設省けんせつしょう電力でんりょく行政ぎょうせい担当たんとうする通商産業省つうしょうさんぎょうしょうげん経済けいざい産業さんぎょうしょう)がもう反発はんぱつして相場そうばどおりの補償ほしょうがくおさえた。とく建設省けんせつしょうはこの事件じけんのダム事業じぎょう多大ただい影響えいきょうおよぼすことを懸念けねんしての反発はんぱつであったが、その懸念けねん的中てきちゅうし、よろいはたけダム玉川たまがわ)をはじめ、おおくのダム水没すいぼつ予定よてい住民じゅうみんが、田子倉たごくらダムなみ補償ほしょうもとめて交渉こうしょう長期ちょうきする事態じたいとなった。このけんのち事業じぎょうしゃ補償ほしょうしゃ双方そうほうからのほう整備せいび要求ようきゅうとなり、紆余曲折うよきょくせつ1973ねん昭和しょうわ48ねん)の水源すいげん地域ちいき対策たいさく特別とくべつ措置そちほうみずとくほう制定せいていつながっていく。ちなみに阿賀野川あがのがわ水系すいけいでは1977ねん昭和しょうわ52ねん)に大川おおかわダムが、1980ねん昭和しょうわ55ねん)に新宮しんぐうがわダムが、1982ねん昭和しょうわ57ねん)には只見ただみダムが指定していけている。

また尾瀬ヶ原おぜがはらめぐ問題もんだいきていた。「只見ただみ川筋かわすじ水力すいりょく開発かいはつ計画けいかく概要がいよう」でも当初とうしょ計画けいかくされていた尾瀬おぜげんダム計画けいかくであるが、元来がんらい1919ねん大正たいしょう8ねん)に関東かんとうすいでん発案はつあんし、その日本にっぽんはつ送電そうでん東京電力とうきょうでんりょくがこれを承継しょうけい事業じぎょう推進すいしんしていた。すなわち、只見川ただみがわ水源すいげんである尾瀬ヶ原おぜがはらたかさ 85.0メートル のロックフィルダムめ、そう貯水ちょすい容量ようりょう 3おく3,000まんトン のだい貯水池ちょすいち形成けいせいして、貯水ちょすいしたみずはトンネルをつう利根川とねがわ水系すいけい片品川かたしながわ導水どうすいやく 50まんキロワットの発電はつでんおこなうというものであった。この阿賀野川あがのがわから利根川とねがわながれ変更へんこうおこな水力すいりょく発電はつでん実施じっしする「尾瀬おぜ分水ぶんすい計画けいかく」は新潟にいがたけん福島ふくしまけんもう反発はんぱつけた。その原因げんいん慣行かんこう水利すいりけんであり、まった流域りゅういきがい利根川とねがわ只見川ただみがわ河水こうすいられることは、下流かりゅう農業のうぎょう発電はつでんへの影響えいきょうだいであるとして猛烈もうれつ抵抗ていこうした。さらにこの問題もんだい高度こうど経済けいざい成長せいちょうともなみず需要じゅよう緊急きんきゅうせいからみ、最終さいしゅうてき関東かんとう地方ちほういちろくけん東北とうほく地方ちほうろくけんおよび新潟にいがたけん対立たいりつ発展はってん政府せいふによる調停ちょうてい成功せいこうせず、収拾しゅうしゅうかない状態じょうたいとなった。これにくわ環境かんきょう保護ほご観点かんてんから厚生省こうせいしょうげん厚生こうせい労働省ろうどうしょう)や文部省もんぶしょうげん文部もんぶ科学かがくしょう)をはじ平野ひらの長蔵ちょうぞう尾瀬おぜ自然しぜん保護ほごもとめる立場たちばからの「尾瀬おぜ自然しぜんまもれ」というダム建設けんせつ反対はんたい運動うんどう発生はっせい尾瀬おぜ分水ぶんすいあん完全かんぜん暗礁あんしょうげた。最終さいしゅうてき1996ねん平成へいせい8ねん)、東京電力とうきょうでんりょく尾瀬沼おぜぬま水利すいりけん更新こうしん断念だんねん権利けんり放棄ほうきしたことで「尾瀬おぜ分水ぶんすい計画けいかく」は77ねんにしてついえ、尾瀬おぜ保護ほご運動うんどう日本にっぽん自然しぜん保護ほご運動うんどう端緒たんしょになるという結果けっかのこった。

自然しぜん保護ほご観点かんてんでは、尾瀬沼おぜぬまのほかダムみずうみである奥只見湖おくただみこ漁業ぎょぎょう保全ほぜん特筆とくひつされる。これは小説しょうせつだいきでもあった開高かいこうけん1975ねん昭和しょうわ50ねん)に「おく只見ただみさかなそだてるかい」をげたのが契機けいきである。『なつやみ執筆しっぴつのために銀山ぎんざんひらたおとずれた開高かいこうは、奥只見湖おくただみこ自然しぜんイワナんだが、密漁みつりょうおおきな問題もんだいになっていることをると、漁業ぎょぎょう関係かんけいしゃしんあるじんともにイワナの保護ほご活動かつどうはじめた。この結果けっか現在げんざい奥只見湖おくただみこ一部いちぶ区域くいき永久えいきゅうてき禁漁きんぎょとなっている。こうして奥只見湖おくただみこ自然しぜんまもられたが、ブラックバスみつ放流ほうりゅう現在げんざい問題もんだいとなっている。これにたいして「そだてるかい」と魚沼うおぬま漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあい運動うんどうもあり、新潟にいがたけん1999ねん平成へいせい11ねん)12月、県内けんないにおける外来がいらいぎょリリース禁止きんしさだめた。そのバス擁護ようご日本にっぽん釣具つりぐ振興しんこうかいがバス駆除くじょ名目めいもく奥只見湖おくただみこのバス大会たいかい2001ねん平成へいせい13ねん)に提案ていあんしたが、漁協ぎょきょうはこれを一蹴いっしゅうしている。

さらに奥只見湖おくただみこから導水どうすいトンネルを信濃川しなのがわ水系すいけい発電はつでん用水ようすいおくる「只見川ただみがわ分流ぶんりゅうあん」にもとづき、電源でんげん開発かいはつ計画けいかくしていた「湯之谷ゆのたに揚水ようすい発電はつでん計画けいかく」が自然しぜん破壊はかいするとして、自然しぜん保護ほご団体だんたいから反対はんたいけた。だがこの「湯之谷ゆのたに揚水ようすい発電はつでん計画けいかく」も電力でんりょく需要じゅよう低迷ていめいによって採算さいさんれないという理由りゆうから、2001ねん平成へいせい13ねん)に建設けんせつ中止ちゅうしとなり、「尾瀬おぜ分水ぶんすい計画けいかく」につづき「只見川ただみがわ分流ぶんりゅうあん」もここについえた。

そして1990年代ねんだい以降いこう全国ぜんこくてきこった公共こうきょう事業じぎょう見直みなおしについても、阿賀野川あがのがわ水系すいけい影響えいきょうけた。猪苗代湖いなわしろこ高度こうどみず利用りよう日橋川にっぱしがわ治水ちすい目的もくてき1986ねん昭和しょうわ61ねん)よって建設省けんせつしょう北陸ほくりく地方ちほう整備せいびきょくによって計画けいかくされていた「日橋川にっぱしがわ総合そうごう開発かいはつ事業じぎょう」が中止ちゅうしされている(国土こくど交通省こうつうしょう直轄ちょっかつダム#北陸ほくりく地方ちほう整備せいびきょく中止ちゅうし事業じぎょう参照さんしょう)。また、常浪川とこなみがわダム(常浪川とこなみがわ)についてはダム建設けんせつ是非ぜひめぐ論争ろんそうがあり、1973ねん昭和しょうわ48ねん)の計画けいかく発表はっぴょう以来いらい現在げんざいいたるまで本体ほんたい工事こうじ着手ちゃくしゅしていない。新宮川しんぐうがわダムについても建設けんせつちゅう一部いちぶ市民しみん団体だんたいから、「緊急きんきゅう中止ちゅうしすべき公共こうきょう事業じぎょう100」にえらばれている。現在げんざい新規しんきのダム計画けいかく常浪川とこなみがわダム以外いがいはないが、全国ぜんこく河川かせん同様どうよう阿賀野川あがのがわについても今後こんご地域ちいき一体いったいとなった整備せいびもとめられている。

おも支流しりゅう

編集へんしゅう

阿賀野川あがのがわ水系すいけい阿賀川あががわ本流ほんりゅう日橋川にっぱしがわ流域りゅういき只見川ただみがわ流域りゅういきさん水域すいいき福島ふくしまけん喜多方きたかた付近ふきん合流ごうりゅう阿賀野川あがのがわラインを形成けいせいして新潟にいがたけんはいる。いずれも上流じょうりゅう有数ゆうすう豪雪ごうせつ地帯ちたいであり、阿賀野川あがのがわ豊富ほうふ水量すいりょうささえる。また猪苗代湖いなわしろこはじ天然てんねん湖沼こしょうおおいのも特徴とくちょうひとつである。

河川かせん ながれ
延長えんちょう
(km)
流域りゅういき
面積めんせき
(km2)
主要しゅよう

ささえかわ
主要しゅよう
湖沼こしょう
流域りゅういき
都県とけん
流域りゅういき
ぐん
鶴沼川つるぬまがわ 羽鳥湖はとりこ 福島ふくしまけん 岩瀬いわせぐん南会津みなみあいづぐん
湯川ゆかわ 29.8 85.5 福島ふくしまけん 会津若松あいづわかまつ
宮川みやがわ 36.5 257.8 東尾岐ひがしおまたがわ 会津あいづ美里みさと 福島ふくしまけん 会津若松あいづわかまつ河沼かわぬまぐん大沼おおぬまぐん
日橋川にっぱしがわ 25.4 1,136.8 長瀬川ながせがわ
大谷川おおたにがわ
大塩川おおしおがわ
安積あさか疏水そすい
猪苗代湖いなわしろこ
桧原ひのはら
小野川湖おのがわこ
秋元湖あきもとこ
五色沼ごしきぬま
曽原湖そはらこ
雄国沼おぐにぬま
福島ふくしまけん 会津若松あいづわかまつ喜多方きたかた
郡山こおりやま耶麻やまぐん
田付たつきかわ 26.9 53.8 福島ふくしまけん 喜多方きたかた河沼かわぬまぐん
濁川にごりかわ 28.0 167.9 押切川おしきりがわ 福島ふくしまけん 喜多方きたかた河沼かわぬまぐん
只見川ただみがわ 146.2 2,742.0 大津岐川おおつまたがわ
伊南川いながわ
野尻川のじりかわ
尾瀬沼おぜぬま
沼沢湖ぬまざわこ
奥只見湖おくただみこ
田子倉湖たごくらこ
群馬ぐんまけん 利根とねぐん
福島ふくしまけん 南会津みなみあいづぐん大沼おおぬまぐん河沼かわぬまぐん
耶麻やまぐん喜多方きたかた
常浪川とこなみがわ 26.7 365.2 柴倉川しばくらがわ
音無おとなしがわ
新潟にいがたけん 東蒲原ひがしかんばらぐん
早出川はやでがわ 44.8 264.0 仙見川せんみがわ
杉川すぎかわ
新潟にいがたけん 東蒲原ひがしかんばらぐん五泉いいずみ阿賀あが野市のいち
新井郷川にいごうがわ 9.3 257.3 福島潟ふくしまがた放水ほうすい 福島潟ふくしまがた 新潟にいがたけん 新潟にいがた新発田しばた阿賀あが野市のいち
小阿賀野川こあがのがわ 能代川のうだいがわ 新潟にいがたけん 新潟にいがた五泉いいずみ

ちゅう)カッコない湖沼こしょう人造湖じんぞうこ(ダム)。

河川かせん施設しせつ

編集へんしゅう

阿賀野川あがのがわ水系すいけいは、明治めいじ大正たいしょう時代じだいはじまった猪苗代湖いなわしろこ利用りようした安積あさか疏水そすい水力すいりょく発電はつでんよって河川かせん開発かいはつはじまった。日本にっぽんはつ送電そうでんをへて電源でんげん開発かいはつ東北電力とうほくでんりょく阿賀野川あがのがわ只見川ただみがわに20ヶ所かしょダム建設けんせつおく只見ただみダム田子倉たごくらダム日本にっぽんのダムの歴史れきしのこだい事業じぎょうとなった。また日本にっぽんはつアスファルトフェイシングフィルダムである大津おおつ岐ダムや世界せかい最大さいだい単一たんいつラバーダムである黒谷くろたにダムも建設けんせつされた。

治水ちすい施設しせつでは大川おおかわダム阿賀野川あがのがわ水系すいけい唯一ゆいいつ特定とくてい多目的たもくてきダムとして建設けんせつされたほか福島ふくしまけん新潟にいがたけん県営けんえいダムいくつか建設けんせつされている。農林水産省のうりんすいさんしょう直轄ちょっかつダムには羽鳥はとりダムのほか、福島ふくしまけん管理かんり移行いこうされた新宮しんぐうがわダムにちちゅうダムがあり、会津盆地あいづぼんちのみならず阿武隈川あぶくまがわ左岸さがん灌漑かんがい貢献こうけんしている。下流かりゅうでは阿賀野川あがのがわ頭首とうしゅこう福島潟ふくしまがた放水ほうすい建設けんせつ阿賀野川あがのがわ右岸うがん灌漑かんがい事業じぎょう福島潟ふくしまがた干拓かんたくおこなわれた。

現在げんざい発電はつでんようしょうあらダムさい開発かいはつ事業じぎょう常浪川とこなみがわダム建設けんせつ事業じぎょう施工しこうちゅう。ちなみに阿賀野川あがのがわ水系すいけいでは猪苗代湖いなわしろこ秋元あきもと沼沢湖ぬまざわこといった天然てんねん湖沼こしょう利用りようした開発かいはつおこなわれた。

くに管理かんり事務所じむしょ

編集へんしゅう
  • 国土こくど交通省こうつうしょう北陸ほくりく整備せいびきょく 阿賀川あががわ河川かせん事務所じむしょ

 総務そうむ工務こうむ管理かんり

    • 北会津きたあいづ出張所しゅっちょうしょ
    • 塩川しおかわ出張所しゅっちょうしょ
    • 大川おおかわダム管理かんり支所ししょ
  • 国土こくど交通省こうつうしょう北陸ほくりく整備せいびきょく 阿賀野川あがのがわ河川かせん事務所じむしょ

 総務そうむ工事こうじ品質ひんしつ管理かんりかん建設けんせつ監督かんとくかん工務こうむ調査ちょうさ品質ひんしつ確保かくほ管理かんりうらないよう調整ちょうせい

    • 胡桃山くるみやま出張所しゅっちょうしょ
    • 満願寺まんがんじ出張所しゅっちょうしょ

河川かせん施設しせつ一覧いちらん

編集へんしゅう
いち
ささえかわ
本川ほんがわ

ささえかわ
さん
ささえかわ
ダムめい つつみだか
(m)
そう貯水ちょすい
容量ようりょう
(せんm3)
型式けいしき 事業じぎょうしゃ 備考びこう
阿賀野川あがのがわ あさひダム 16.1 1,437 重力じゅうりょくしき 昭和電工しょうわでんこう
阿賀野川あがのがわ 大川おおかわダム 75.0 57,500 ふくごうしき 国土こくど交通省こうつうしょう みずとくほう指定してい
阿賀野川あがのがわ 新郷しんごうダム 27.5 22,720 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
阿賀野川あがのがわ 山郷さんごうダム 22.5 7,591 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
阿賀野川あがのがわ 上野尻かみのじりダム 30.0 12,370 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
阿賀野川あがのがわ 豊実とよみダム 34.2 18,667 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
阿賀野川あがのがわ 鹿瀬かのせダム 32.6 16,525 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
阿賀野川あがのがわ あげがわダム 19.0 13,748 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
阿賀野川あがのがわ 阿賀野川あがのがわ頭首とうしゅこう 可動かどうせき 農林水産省のうりんすいさんしょう
桧沢川ひざわがわ 高野川こうのかわ 田島たじまダム 32.7 523 重力じゅうりょくしき 福島ふくしまけん
小野川おのがわ 大内おおうちダム 102.0 18,500 ロックフィル 電源でんげん開発かいはつ
鶴沼川つるぬまがわ 羽鳥はとりダム 36.8 27,321 アース 農林水産省のうりんすいさんしょう
湯川ゆかわ 東山ひがしやまダム 70.0 12,500 重力じゅうりょくしき 福島ふくしまけん
宮川みやがわ 新宮しんぐうがわダム 69.0 10,320 重力じゅうりょくしき 福島ふくしまけん 農林水産省のうりんすいさんしょう施工しこう
みずとくほう指定してい
宮川みやがわ 宮川みやがわダム 45.0 2,330 ふくごうしき 福島ふくしまけん
日橋川にっぱしがわ じゅうろくきょう水門すいもん 5.2 540,000 水門すいもん 福島ふくしまけん 猪苗代湖いなわしろこ
日橋川にっぱしがわ 長瀬川ながせがわ 桧原ひのはらダム 3.4 127,590 重力じゅうりょくしき 福島ふくしまけん
日橋川にっぱしがわ 長瀬川ながせがわ 小野川湖おのがわこダム 4.9 13,640 アース 福島ふくしまけん
日橋川にっぱしがわ 長瀬川ながせがわ 秋元湖あきもとこダム 10.6 37,924 ふくごうしき 福島ふくしまけん
日橋川にっぱしがわ 安積あさか疏水そすい 上戸じょうご頭首とうしゅこう 540,000 可動かどうせき 農林水産省のうりんすいさんしょう 猪苗代湖いなわしろこ
日橋川にっぱしがわ だい深沢ふかさわダム 36.5 250 アース 農林水産省のうりんすいさんしょう
濁川にごりかわ 押切川おしきりがわ にちちゅうダム 101.0 24,600 ロックフィル 福島ふくしまけん 農林水産省のうりんすいさんしょう施工しこう
只見川ただみがわ おく只見ただみダム 157.0 601,000 重力じゅうりょくしき 電源でんげん開発かいはつ
只見川ただみがわ 大鳥おおとりダム 83.0 15,800 重力じゅうりょくアーチ 電源でんげん開発かいはつ
只見川ただみがわ 田子倉たごくらダム 145.0 494,000 重力じゅうりょくしき 電源でんげん開発かいはつ
只見川ただみがわ 只見ただみダム 30.0 4,500 ロックフィル 電源でんげん開発かいはつ みずとくほう指定してい
只見川ただみがわ たきダム 46.0 27,000 重力じゅうりょくしき 電源でんげん開発かいはつ
只見川ただみがわ 本名ほんみょうダム 51.5 25,769 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
只見川ただみがわ 上田うえだダム 34.0 20,500 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
只見川ただみがわ 宮下みやしたダム 53.0 20,500 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
只見川ただみがわ 柳津やないづダム 34.0 24,309 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
只見川ただみがわ 片門かたかどダム 29.0 16,172 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく
只見川ただみがわ 大津岐川おおつまたがわ 大津おおつ岐ダム 52.0 1,825 ロックフィル 電源でんげん開発かいはつ
只見川ただみがわ 伊南川いながわ 黒谷川くろたにがわ 黒谷くろたにダム 6.0 可動かどうせき 電源でんげん開発かいはつ ラバーダム
実川じつかわ 新小しんこあらダム 19.2 しょう 重力じゅうりょくしき 東北電力とうほくでんりょく さい開発かいはつちゅう
常浪川とこなみがわ 常浪川とこなみがわダム 66.4 33,300 重力じゅうりょくしき 新潟にいがたけん 計画けいかくちゅう
早出川はやでがわ 早出川はやでがわダム 82.5 14,900 重力じゅうりょくしき 新潟にいがたけん
新井郷川にいごうがわ 福島潟ふくしまがた 福島潟ふくしまがた放水ほうすい 放水ほうすい 新潟にいがたけん
小阿賀野川こあがのがわ 満願寺まんがんじ閘門 水門すいもん 新潟にいがたけん
ちゅう1)黄色おうしょくらん建設けんせつちゅう計画けいかくちゅうさい開発かいはつちゅうのダム(2006ねん現在げんざい
ちゅう2)桧原ひのはら小野川湖おのがわこ秋元湖あきもとこ元来がんらい磐梯山ばんだいさん噴火ふんかによって形成けいせいされたせきとめみずうみである。秋元湖あきもとこ東京電力とうきょうでんりょくによってダムがもうけられたが1989ねん平成へいせい元年がんねん)8がつ水害すいがいさんいちじるしい被害ひがい流域りゅういきあたえたため、福島ふくしまけんによる治水ちすい事業じぎょう1997ねん平成へいせい9ねん)から実施じっしされ、このさい洪水こうずい調節ちょうせつ特定とくてい利水りすい水力すいりょく発電はつでん目的もくてきとした多目的たもくてきダムとしてさい開発かいはつされた。このときうら磐梯ばんだいさんにはダム(河川かせんほううえではせきあつかい)が建設けんせつされている[9]

阿賀野川あがのがわ水系すいけいのダム

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おも橋梁きょうりょう

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河口かこうからじゅん記載きさい

  • 阿賀野川あがのがわ
日本海にほんかい)- 松浜まつはまきょう - ござれや阿賀あがきょう - 阿賀野川あがのがわ大橋おおはし - 泰平たいへいきょう - 阿賀野川あがのがわ橋梁きょうりょう白新線はくしんせん)- 阿賀あがのかけはし日本海にほんかい東北自動車道とうほくじどうしゃどう)- だい阿賀あがきょう - 横雲よこぐもきょう - しん横雲よこぐもきょう - 阿賀野川あがのがわ橋梁きょうりょう羽越本線うえつほんせん)- 阿賀あがうらきょう - 阿賀野川あがのがわきょういわおえつ自動車じどうしゃどう)- 安田やすだきょう - 馬下まおろしきょう - 石間いしまひとしはまきょういわおえつ自動車じどうしゃどう)- つりはまきょう - 取上とりあげきょう - 五十島いがしまきょう - 岩津いわつきょう - 白崎しらさききょう - 阿賀野川あがのがわ御前ごぜん橋梁きょうりょう磐越西線ばんえつさいせん)- たにはなきょういわおえつ自動車じどうしゃどう)- 谷沢たにさわ大橋おおはし - あげがわきょういわおえつ自動車じどうしゃどう) - あげがわダム - しょう花地はなじ大橋おおはし - 麒麟きりんきょう - 鹿瀬かのせきょう - 鹿瀬かのせ大橋おおはし - 阿賀野川あがのがわふか橋梁きょうりょう磐越西線ばんえつさいせん)- すみ神橋しんきょう - 阿賀野川あがのがわ当麻とうま橋梁きょうりょう磐越西線ばんえつさいせん) - 平瀬ひらせきょう - 菱潟ひしがた大橋おおはし - 船渡ふなと大橋おおはし - とくせき大橋おおはし - 新渡しんと大橋おおはし - 阿賀野川あがのがわ徳沢とくさわ橋梁きょうりょう磐越西線ばんえつさいせん
  • 阿賀川あががわ
阿賀野川あがのがわ徳沢とくさわ橋梁きょうりょう磐越西線ばんえつさいせん)- 奥川おくがわきょう - 柴崎しばざききょう - きゅう柴崎しばざききょうはいきょう)- 橋屋はしやきょう - 明神みょうじんきょう - 阿賀野川あがのがわがまわき橋梁きょうりょう磐越西線ばんえつさいせん)- みねきょう - 塩坪しおつぼきょう - 山都やまときょう - 長井ながいきょう - 袋原ふくろばら大橋おおはしきゅうかわどう)- あわまききょう - かい青橋あおはし - 立川たちかわきょう - 宮古みやこきょう - 阿賀川あががわきょういわおえつ自動車じどうしゃどう)- 会津あいづ大橋おおはし - 蟹川かにかわきょう - 高田たかだきょう - 大川おおかわ橋梁きょうりょう只見線ただみせん)- 本郷ほんごう大橋おおはし - 馬越うまごえきょう - 小谷おたにきょう - あしまききょう - しん大川橋おかわはし - 大川おおかわきょう - 大川おおかわ湖面こめんきょう - だいさん大川おおかわ橋梁きょうりょう会津あいづ鉄道てつどう会津線あいづせん)- 二川ふたかわきょう - 湯野上ゆのかみきょう - 江川えがわきょう - だいよん大川おおかわ橋梁きょうりょう会津あいづ鉄道てつどう会津線あいづせん)- だい大川おおかわ橋梁きょうりょう会津あいづ鉄道てつどう会津線あいづせん)- とうの岪橋 - 藤見ふじみきょうとうのへつり)- 幾世橋きよはし - 若水わかみずきょう - 楢原ならはらきょう - 旭橋あさひばし - だいろく大川おおかわ橋梁きょうりょう会津あいづ鉄道てつどう会津線あいづせん)- 八幡橋はちまんばし - 長野ながのきょう - 田島たじまきょう - 丹藤たんどうきょう - 御蔵おぐらにゅう大橋おおはし - 永田ながたきょう - 永井ながいきょう - 磐根いわねきょう - 荒海あらうみきょう - 荒海あらうみきょう - 七森ななもりきょう - こうたききょう - 小滝こだききょう - 三滝みたききょう - 大滝おおたききょう - どうりゅうきょう

はしができるまえには、かわ横断おうだんするわたぶね各地かくち存在そんざいした。1939ねん昭和しょうわ14ねん11月1にちには、河口かこう付近ふきん渡船とせん沈没ちんぼつ乗客じょうきゃくら30にん死亡しぼうする事故じこ発生はっせいした[10]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 阿賀野川あがのがわ河川かせん事務所じむしょは、一級いっきゅう河川かせん阿賀川あががわ下流かりゅう傾斜地けいしゃち一部いちぶ砂防さぼう管理かんりしている。阿賀川あががわ河川かせん事務所じむしょとはくに管理かんりする一級いっきゅう河川かせん阿賀川あががわでの一部いちぶ管理かんり業務ぎょうむのこりは福島ふくしまけん管理かんり)を関係かんけいである。
  2. ^ 小阿賀野川こあがのがわ上流じょうりゅう部分ぶぶん阿賀野川あがのがわがあり、そのため小阿賀野川こあがのがわなが下流かりゅう信濃川しなのがわ河口かこう阿賀野川あがのがわ河口かこうひとつにあたる[3]満願寺まんがんじ閘門としょう阿賀あがといもん極端きょくたん高低こうていことなる水面すいめんできるようにしている。
  3. ^ 分流ぶんりゅういちきゅう河川かせん信濃川しなのがわ水系すいけいそそ一級いっきゅう河川かせん小阿賀野川こあがのがわは、行政ぎょうせい管理かんりじょう信濃川しなのがわ合流ごうりゅうまで信濃川しなのがわ水系すいけいぞく
  4. ^ 一級いっきゅう河川かせん小阿賀野川こあがのがわいちきゅう河川かせん信濃川しなのがわ水系すいけい所属しょぞくする。行政ぎょうせい管理かんりされない普通ふつう河川かせんのみ水系すいけいにはふくまれていない。
  5. ^ 当時とうじ沼沢沼ぬまざわぬまばれた。

出典しゅってん

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  1. ^ 一級いっきゅう河川かせん阿賀川あががわ 国交こっこうしょう [リンク]
  2. ^ 阿賀野川あがのがわ水系すいけいいちきゅう河川かせん阿賀野川あがのがわ 国交こっこうしょう [リンク]
  3. ^ 小阿賀野川こあがのがわ [リンク]
  4. ^ かわのQ&A Answer”. 日本にっぽん河川かせん協会きょうかい. 2019ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  5. ^ 阿賀川あががわとあいづとのかかわり”. www.hrr.mlit.go.jp. 2019ねん9がつ6にち閲覧えつらん [リンク]
  6. ^ 阿賀川あががわ歴史れきし近代きんだい 国土こくど交通省こうつうしょう北陸ほくりく地方ちほう整備せいびきょく 阿賀川あががわ河川かせん事務所じむしょ [リンク]
  7. ^ だい1かい 阿賀川あががわ掘削くっさく対策たいさく検討けんとう委員いいんかい 津尻つじり地区ちく掘削くっさく工事こうじ概要がいよう 平成へいせい18ねん8がつ10日とおか 阿賀川あががわ河川かせん事務所じむしょ 郡山こおりやま国道こくどう事務所じむしょ] (PDF) [リンク]
  8. ^ a b c みずいしずえ阿賀野川あがのがわ右岸うがん農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう”. 農業のうぎょう農村のうそん整備せいび情報じょうほう総合そうごうセンター. 2020ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  9. ^ 福島ふくしまけん土木どぼくのダム 福島ふくしまけん
  10. ^ 日外にちがいアソシエーツ編集へんしゅう へん日本にっぽん災害さいがい事典じてん 1868-2009』日外にちがいアソシエーツ、2010ねん9がつ27にち、55ぺーじISBN 9784816922749 

出典しゅってん

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書籍しょせき

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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