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オルセー美術館びじゅつかん

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オルセー美術館びじゅつかん
Musée d'Orsay
オルセー美術館びじゅつかん内部ないぶおくうつっているのがオルセー名物めいぶつだい時計とけい。オルセーえき時代じだいからいていたものでターミナルえきオルセーの面影おもかげのこす。
オルセー美術館の位置(パリ内)
オルセー美術館
パリない位置いち
オルセー美術館の位置(パリ7区内)
オルセー美術館
オルセー美術館びじゅつかん (パリ7)
施設しせつ情報じょうほう
正式せいしき名称めいしょう Musée d'Orsay
専門せんもん分野ぶんや 19世紀せいき美術びじゅつ
収蔵しゅうぞう作品さくひんすう 常設じょうせつ展示てんじで4000作品さくひん
来館らいかんしゃすう 3,000,000にん (2016ねん)[1]
開館かいかん 1986ねん
所在地しょざいち フランスの旗 フランス パリ7リールどおり62番地ばんち
62 rue de Lille 75343 Paris cedex 07
位置いち 北緯ほくい4851ふん36びょう 東経とうけい219ふん37びょう / 北緯ほくい48.86000 東経とうけい2.32694 / 48.86000; 2.32694座標ざひょう: 北緯ほくい4851ふん36びょう 東経とうけい219ふん37びょう / 北緯ほくい48.86000 東経とうけい2.32694 / 48.86000; 2.32694
アクセス ミュゼ・ドルセーえき
外部がいぶリンク 公式こうしきウェブサイト
プロジェクト:GLAM
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オルセー美術館びじゅつかん(オルセーびじゅつかん、ふつ: Musée d'Orsay)は、フランスパリにある19世紀せいき美術びじゅつせんもん美術館びじゅつかんである。印象派いんしょうは画家がか作品さくひん数多かずおお収蔵しゅうぞうされていることで有名ゆうめい

概要がいよう

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オルセー美術館びじゅつかん建物たてものはもともと1900ねんパリ万国博覧会ばんこくはくらんかい開催かいさいわせて、オルレアン鉄道てつどうによって建設けんせつされたオルセーえき鉄道てつどう駅舎えきしゃけんホテルであった。設計せっけいしゃヴィクトール・ラルー1850ねん - 1937ねん)である。もともとオルセーえきはオルレアンやフランス南西なんせいかう長距離ちょうきょり列車れっしゃのターミナルであり、かまぼこじょうだい屋根やねトレイン・シェッド)のした地下ちかに10せん以上いじょうのホームをそなえていた。せまくて不便ふべんだったことから、1939ねん近距離きんきょり列車れっしゃ専用せんようえきとなり、えき施設しせつ大幅おおはば縮小しゅくしょうした。その、この建物たてものはさまざまな用途ようともちいられ、一時いちじこわしのはなしもあったが、1970年代ねんだいからフランス政府せいふによって保存ほぞん活用かつようさく検討けんとうされはじめ、イタリア建築けんちくガエ・アウレンティ改修かいしゅうにより19世紀せいき美術びじゅつ展示てんじする美術館びじゅつかんとしてまれわることとなった。こうして1986ねん、オルセー美術館びじゅつかん開館かいかんした。美術館びじゅつかん中央ちゅうおうホールは、地下ちかホームのトレイン・シェッドによる構造こうぞうをそのまま活用かつようしている。建物たてもの内部ないぶには鉄道てつどうえきであった面影おもかげ随所ずいしょのこる。現在げんざいではパリの観光かんこう名所めいしょとしてすっかり定着ていちゃくしたかんがある。なお、きゅう印象派いんしょうは美術館びじゅつかんジュ・ド・ポーム)の収蔵しゅうぞうひんはすべてオルセーにがれている。

かん方針ほうしんとしては、原則げんそくとして2がつ革命かくめいのあった1848ねんから、だいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつした1914ねんまでの作品さくひん展示てんじすることになっており、それ以前いぜん作品さくひんルーヴル美術館びじゅつかん以降いこう作品さくひんポンピドゥー・センターという役割やくわり分担ぶんたんがなされている(むろん、多少たしょう例外れいがいはある)。絵画かいが彫刻ちょうこくだけでなく、写真しゃしん、グラフィック・アート、家具かぐ工芸こうげいしななど19世紀せいき幅広はばひろ視覚しかく芸術げいじゅつ作品さくひん収集しゅうしゅう展示てんじ対象たいしょうになっている。

オルセーでは、印象派いんしょうはポスト印象派いんしょうはなど19世紀せいきまつパリの前衛ぜんえい芸術げいじゅつのコレクションが世界せかいてき有名ゆうめいだが、19世紀せいき主流しゅりゅう美術びじゅつのち忘却ぼうきゃくされたアカデミズム絵画かいがアール・ポンピエ)を多数たすう収蔵しゅうぞう展覧てんらんし、そのさい評価ひょうかにつなげていることもこの美術館びじゅつかん重要じゅうよう活動かつどう側面そくめんである。

オルセー美術館びじゅつかん外観がいかん
オルセー美術館びじゅつかん祝祭しゅくさいあいだ

おも収蔵しゅうぞうひん

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Category:オルセー所蔵しょぞうひん参照さんしょう

しん古典こてん主義しゅぎからアカデミズムへ

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退廃たいはいのローマじんたち』(1847ねんトマ・クチュール
闘鶏とうけい』(1847ねんジャン=レオン・ジェローム
『テピダリウム』(1853ねんテオドール・シャセリオー
ヴィーナスの誕生たんじょう』(1863ねんアレクサンドル・カバネル
『アルジェリアの鷹狩たかがり』(1863ねんウジェーヌ・フロマンタン
『バーブ・ドゥ・リムスキー=コルサコフ夫人ふじん肖像しょうぞう』(1864ねんフランツ・ヴィンターハルター
『ローマのペスト』(1869ねんジュール=エリー・ドローネー
『ムーアおう支配しはいのグラナダでの裁判さいばんきの処刑しょけい』(1870ねんアンリ・ルニョー
『ロベール敬虔けいけんおう破門はもん』(1875ねんジャン=ポール・ローランス
『カイン』(1880ねんフェルナン・コルモン
『サン・プリヴァの墓地ぼち』(1885ねん)アルフォンス・ド・ヌヴィル
『ロジェ・ジュールダン夫人ふじん肖像しょうぞう』(1886ねん)アルベール・ベナール
手術しゅじゅつまえ』(1889ねん)アンリ・ジェルベクス
画家がかトーロゥとかれ子供こどもたち』(1895ねん)ジャック=エミール・ブランシュ
突撃とつげき』(1901ねんアンドレ・ドゥヴァンベ
真実しんじつ』(1901ねんリュック=オリヴィエ・メルソン

アカデミズムの彫刻ちょうこく

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『サッフォー』(1852ねん)ジャン=ジャック・プラディエ
『ダンス』(1863-1869ねんジャン=バティスト・カルポー
ひだり『ポンペイのもの』(1863ねん)イッポリト・ムーラン/みぎ闘鶏とうけい勝利しょうりしゃ』(1864ねん)アレクサンドル・ファルギエール
『ダヴィデ』(1869ねん-1872ねん)アントナン・メルシエ
サラ・ベルナール胸像きょうぞう』(1890ねんごろジャン=レオン・ジェローム
科学かがくまえにヴェールを自然しぜん』(1899ねん)ルイ=エルネスト・バリアス
いずみのミューズ』(1900ねんジャン=バティスト・ユーグ
ろく大陸たいりく』(1878ねん

オルセー美術館びじゅつかんかんがい彫刻ちょうこく

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写実しゃじつ主義しゅぎ自然しぜん主義しゅぎ

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落穂おちぼひろ』(1857ねんジャン=フランソワ・ミレー
耕作こうさく、ニヴェルネ地方ちほうにて』(1849ねんローザ・ボヌール
『クリスパンとスカパン』(1864ねんごろオノレ・ドーミエ
オルナンの埋葬まいそう』(1850ねんギュスターヴ・クールベ
洗濯せんたくおんな』(1860ねん)ポール・ギグー
くさ』(1877ねん)ジュール・バスティアン・ルパージュ
収穫しゅうかくしゃたちへの俸給ほうきゅう』(1882ねんレオン=オーギュスタン・レルミット
くろ大地だいち』(1890ねん)コンスタン・ムーニエ
なつよる』(1890ねんウィンスロー・ホーマー
偉大いだいなる農民のうみん』(1897ねん-1902ねん)エメ・ジュール・ダルー
うみくににて、悲嘆ひたんあるいはうみ犠牲ぎせいしゃ』(1908ねん-1909ねんシャルル・コッテ

印象いんしょう主義しゅぎ

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『トゥルーヴィルの海岸かいがん』(1865ねんウジェーヌ・ブーダン
くさじょう昼食ちゅうしょく』(1862-1863ねんエドゥアール・マネ
『バティニョールのアトリエ』(1870ねんファンタン=ラトゥール
『ゆりかご』(1872ねんベルト・モリゾ
あか屋根やねふゆ効果こうか』(1877ねんカミーユ・ピサロ
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏ぶとうかい』(1863ねんピエール=オーギュスト・ルノワール
『メリクの別荘べっそうのテラスにおける家族かぞくつどい』(1867ねんフレデリック・バジール
くさじょう昼食ちゅうしょく 』(1865-1866ねんクロード・モネ
『ルーアンのだい聖堂せいどうひる』(1892-1893ねんクロード・モネ
オペラのオーケストラフランス語ふらんすごばん』(1870ねんエドガー・ドガ
にわ縫物ぬいものをするわか女性じょせい』(1880ねん-1882ねんメアリー・カサット
『ポール・マルリーの洪水こうずい小舟こぶね』(1876ねんアルフレッド・シスレー
『イブリーの落陽らくよう』(1873ねんアルマン・ギヨマン

ポスト印象いんしょう主義しゅぎ

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カードあそびをする人々ひとびと』(1890 - 1892ねんポール・セザンヌ
ファン・ゴッホの寝室しんしつ』(1889ねん)(フィンセント・ファン・ゴッホ
しろうま』(1898ねんポール・ゴーギャン
『サーカス』(1890ねんジョルジュ・スーラ
『ハイストの浜辺はまべ』(1891ねんジョルジュ・レメン
ゆうふう』(1893ねん-1894ねんアンリ=エドモン・クロス
『1871ねん5がつパリの街路がいろ』(1903ねん-1906ねんマクシミリアン・リュス
おんな道化師どうけしシャ=ユ=カオ』(1895ねんアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
(1990ねん日本人にっぽんじん実業じつぎょう齊藤さいとう了英りょうえいやく125おくえん購入こうにゅうしたものとは同名どうめいべつ作品さくひん

象徴しょうちょう主義しゅぎ世紀せいきまつ芸術げいじゅつ

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オルフェウスのくびつトラキアのむすめ』(1865ねんギュスターヴ・モロー
海岸かいがん少女しょうじょたち』(1879ねんピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ
ポール・ヴェルレーヌ肖像しょうぞう』(1890ねんウジェーヌ・カリエール
仏陀ぶっだ』(1904ねんオディロン・ルドン
『焚香』(1898ねんフェルナン・クノップフ
はか人夫にんぷ』(1890ねんカルロス・シュヴァーベ
静穏せいおん』(1899ねんアンリ・マルタン(1899ねん

アール・ヌーヴォーの工芸こうげい

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色絵いろえづけ装飾そうしょくさら』(1878ねんごろエミール・ガレ
『ベナールてい食堂しょくどう』(1900ねん)アレクサンドル・シャルパンティエ

20世紀せいき芸術げいじゅつ萌芽ほうが

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『タリスマン』(1888ねんポール・セリュジエ
あいもりのマドレーヌ』(1888ねんエミール・ベルナール
格子縞こうしじまのブラウス』(1892ねんピエール・ボナール
寝台しんだいで』(1891ねんヴュイヤール
セザンヌ礼賛らいさん』(1900ねんモーリス・ドニ
存在そんざい』(1894ねん-1896ねんジョルジュ・ラコンブ
戦争せんそう』(1894ねんアンリ・ルソー

ロダン以後いご彫刻ちょうこく

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青銅せいどう時代じだい』(1877ねんオーギュスト・ロダン
ゆみるヘラクレス』(1924ねんアントワーヌ・ブールデル
地中海ちちゅうかい』(1902ねん-1905ねんアリスティド・マイヨール

その

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収蔵しゅうぞうひんのギャラリー

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関連かんれん文献ぶんけん

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  • 新生しんせいオルセー美術館びじゅつかん高橋たかはし明也あきや新潮社しんちょうしゃとんぼのほん〉、2017ねん
    • 旧版きゅうばん『パリ オルセ美術館びじゅつかん印象派いんしょうはたび新潮社しんちょうしゃ〈とんぼのほん〉、1990ねん丹尾たんのおやすてんほか
  • 『オルセーはやまわり さっとふか名画めいが40』ゆう京子きょうこ中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2014ねん新書判しんしょばんのガイドブック
  • 別冊べっさつ太陽たいよう パリ オルセー美術館びじゅつかん平凡社へいぼんしゃ、2006ねん
  • 活字かつじでみるオルセー美術館びじゅつかん 近代きんだい回廊かいろうをゆく』 小島こじまえいひろし丸善まるぜんライブラリー、2001ねん
  • 世界せかい美術館びじゅつかん紀行きこう6 オルセー美術館びじゅつかんNHK世界せかい美術館びじゅつかん紀行きこう取材しゅざいはんへん日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい出版しゅっぱんげんNHK出版しゅっぱん)、2005ねん
  • 『オルセー美術館びじゅつかん名画めいが101せん島田しまだ紀夫のりお監修かんしゅう、アートセレクション:小学館しょうがくかん、2010ねん
  • 『オルセ美術館びじゅつかん 絵画かいが みすず美術館びじゅつかんシリーズ1』
  • 『NHKオルセー美術館びじゅつかんぜん6かん日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、1990ねん丹尾たんのおやすてん責任せきにん編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく

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参照さんしょう

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  1. ^ The Art Newspaper Ranking VISITOR FIGURES 2016” (PDF). The Art Newspaper. 2016ねん10がつ9にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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