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ヤクートじん

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サハじんから転送てんそう
ヤクートじん
サハ: Саха

サハ共和きょうわこくはた
ヤクートじん女性じょせい
そう人口じんこう
やく47まんにん
居住きょじゅう地域ちいき
ロシア連邦れんぽうサハ共和きょうわこく
言語げんご
ヤクート
宗教しゅうきょう
ロシア正教せいきょうシャーマニズム
関連かんれんする民族みんぞく
ドルガンじんウラルけい民族みんぞく

ヤクートじんロシア: Якутыサハ: Саха)は、おも北東ほくとうアジア居住きょじゅうするテュルクけい民族みんぞくぞくして、サハじん自称じしょうする。ロシア連邦れんぽうサハ共和きょうわこく主要しゅよう構成こうせい民族みんぞくの1つである。人種じんしゅてきにはモンゴロイドにあたる。

民族みんぞく衣装いしょうおどるヤクートの人々ひとびと

居住きょじゅう人口じんこう

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サハテュルク諸語しょごぞくし、ロシア連邦れんぽうない話者わしゃ人口じんこうはサハ共和きょうわこく中心ちゅうしんに45まん6せんにんかぞえる(ロシア国勢調査こくせいちょうさ、2002ねん)。サハ共和きょうわこく以外いがいにも、周辺しゅうへんアムールしゅうマガダンしゅう樺太からふとサハリン)およびタイミル自治じち管区かんくエヴェンキ自治じち管区かんくりょう管区かんくとも2007ねんクラスノヤルスク地方ちほう併合へいごうされた)にも居住きょじゅうしている。サハ共和きょうわこく人口じんこうはおよそ98まんにん[1]、そのうちやく38まん2せんにんがヤクートとされ[2]、これは人口じんこうやく39%に相当そうとうする。サハ共和きょうわこく人口じんこうめるヤクートぞく割合わりあいは、ソヴィエト連邦れんぽう時代じだいに、強制きょうせい移住いじゅうをはじめとする移住いじゅう政策せいさくによって減少げんしょうしたが、ソ連それん崩壊ほうかいはわずかながら増加ぞうかてんじている。話者わしゃ人口じんこう比較的ひかくてきおおきいため、ロシア連邦れんぽうないほか少数しょうすう言語げんごくらべると、サハ絶滅ぜつめつ危険きけんせいすくないとされている。

起源きげん

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おおくの民族みんぞく学者がくしゃ見解けんかいによれば、ヤクートはもともとオリホンとうおよびバイカル一帯いったいからレナがわちゅう流域りゅういきアルダンがわビリュイがわ流域りゅういきにかけての地域ちいき居住きょじゅうし、ツングースけいエヴェンエヴェンキなどのほか北方ほっぽうけい少数しょうすう民族みんぞく混交こんこうし、その現在げんざい移住いじゅうしたものとかんがえられる。

遺伝いでん学的がくてきにはウラルけい民族みんぞくおおY染色せんしょくたいハプログループNを88%のこう頻度ひんど[3]。もともとウラル語族ごぞく使用しようする民族みんぞくサモエードじんなど)であったが、ある時点じてんテュルクけい言語げんご言語げんご交換こうかんこしたものとかんがえられる。 ancient north eurasianとばれるヨーロッパ関連かんれん人口じんこうから10〜20%程度ていど遺伝いでんてき流動りゅうどうけている。

細分さいぶん

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現在げんざいのヤクートは居住きょじゅう地域ちいき生計せいけい手段しゅだんてんから、2つのグループにけられる。すなわち、北部ほくぶむヤクートは歴史れきしてきにはトナカイ飼育しいくしながらはん遊牧ゆうぼくてき生活せいかつおく狩猟しゅりょう採集さいしゅうみんであるのにたいし、南部なんぶむヤクートはウマウシ畜産ちくさんにも従事じゅうじしている。どちらのグループも歴史れきしてきにはゲル居住きょじゅうし、なつふゆ居住きょじゅう移動いどうする[4]

歴史れきし

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1620年代ねんだいに、ロシアひとかれらの居住きょじゅう入植にゅうしょくするようになり、ヤクーチア自国じこく領土りょうどとして併合へいごうし、毛皮けがわぜい賦課ふかするようになる。1634ねんから1642ねんあいだすうかいヤクートは反乱はんらんにより抵抗ていこうしたが、いずれもロシアによって弾圧だんあつされた。きむ発見はっけんと、シベリア鉄道てつどう建設けんせつにより、さらおおくのロシアじん入植にゅうしょくし、1820年代ねんだいにはほぼすべてのヤクートが正教会せいきょうかい改宗かいしゅうさせられた。ただし、ヤクートは今日きょうでもおおくのシャーマニスティック習慣しゅうかんのこしている。

1919ねんあたらしく発足ほっそくしたロシア・ソビエト連邦れんぽう社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく政府せいふは、この地域ちいきヤクート自治じちソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく名付なづけた。

戦時せんじちゅう樺太からふとじきこうやつぐんじきこうやつまちオタスでは、「トナカイおう」とばれたヤクート民族みんぞくドミートリー・ヴィノクーロフ がヤクーチア(サハ共和きょうわこく)の独立どくりつけ、日本にっぽん支援しえんもとめた。

1991ねん8がつ15にち、ヤクート自治じち共和きょうわこく最高さいこう会議かいぎはヤクート共和きょうわこく独立どくりつ宣言せんげんしたが、共和きょうわ国内こくない人口じんこうめるロシアじん割合わりあいがヤクートをおおきく上回うわまわっていたために、実現じつげんにはいたらなかった。

宗教しゅうきょう

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テュルクけい民族みんぞくであるが、イスラム教いすらむきょうではなくロシア正教せいきょう一般いっぱんてきである。一部いちぶには伝統でんとうてきシャーマニズム信仰しんこうがれている。

ヤクートが主題しゅだい作品さくひん

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フランスのプロデューサーエクトル・ザズー1994ねんのアルバムChansons des mers froides(「つめたいうみうた」)に、「ヤクートのうた」としてのど歌手かしゅLioudmila Khandiのうたきょくおさめられている。

出典しゅってん

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  1. ^ "Republic of Sakha (Yakutia) - General Information" Kommersant - Russia's Daily Online;
  2. ^ "The Republic of Sakha (Yakutia) - overview" Russia Trek dotcom source: Yakutsk State University;
  3. ^ Tambets, Kristiina et al. 2004, The Western and Eastern Roots of the Saami—the Story of Genetic “Outliers” Told by Mitochondrial DNA and Y Chromosomes
  4. ^ Yakuts”. Centre for Russian Studies. 2006ねん10がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2006ねん10がつ26にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 極北きょくほく牧畜ぼくちくみんサハ : 進化しんかとミクロ適応てきおうをめぐるシベリア民族みんぞく高倉たかくら浩樹ひろき しる昭和堂しょうわどう、2012年刊ねんかん
  • 『テュルクをるための61しょう小松こまつ久男ひさお 編著へんちょ明石書店あかししょてん、2016年刊ねんかんhttp://www.akashi.co.jp/book/b244171.html
  • Leontˀeva, Sargylana (2002) "Comments on Ойуун Уол 'shaman fellow': a Yakut historical legend." In John M. Clifton and Deborah A. Clifton (eds.), Comments on discourse structures in ten Turkic languages p. 287-291. St. Petersburg, Russia: SIL International.
  • International Business Publications (ed.) (2001) Sakha Yakut Republic Regional Investment and Business Guide (US Government Agencies Business Library) (3rd ed.) International Business Publications, USA, ISBN 0-7397-9012-9
  • Opyt Etnograficheskogo Issledovaniya (ed.) (1993) Yakuty (The Yakuts, text in Russian, w/illustrations) Opyt Etnograficheskogo Issledovaniya, Moscow