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プロレス中継ちゅうけい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

プロレス中継ちゅうけい(プロレスちゅうけい)は、プロレス試合しあい模様もようをテレビなどで放送ほうそうする番組ばんぐみ俗称ぞくしょう。なお「プロレス中継ちゅうけい」の呼称こしょうおも日本にっぽん国内こくない団体だんたい使用しようされており、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく団体だんたいについては「中継ちゅうけい」ではなく「番組ばんぐみ」とぶのが一般いっぱんてきである(テレビ番組ばんぐみであるから日本にっぽんでも当然とうぜん呼称こしょうする)。以下いか、この項目こうもくでは日本にっぽんの「中継ちゅうけい」とともにアメリカの「番組ばんぐみ」などもわせてべる。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおける歴史れきし[編集へんしゅう]

日本にっぽんプロレス - 男子だんし3団体だんたい女子じょし1団体だんたい時代じだい[編集へんしゅう]

1953ねん力道山りきどうざん日本にっぽん最初さいしょ本格ほんかくてきプロレス団体だんたい日本にっぽんプロレス協会きょうかいげ。あたらしいプロスポーツとして注目ちゅうもくされたプロレスは、早速さっそくその旗揚はたあせんからテレビ中継ちゅうけいおこなわれた。その端緒たんしょとなったのは、日本にほんテレビおよびNHKだが、やがて後発こうはつ民放みんぽう・ラジオ東京とうきょうテレビ(げんTBSテレビ)、大阪おおさかテレビ放送ほうそうげんABCテレビ)も中継ちゅうけい参入さんにゅうした。ただし当初とうしょは、主要しゅよう試合しあい不定期ふていき中継ちゅうけいするだけだった(とく民放みんぽう場合ばあい提供ていきょうスポンサーも流動的りゅうどうてきだった)。なお旗揚はたあげしてあいだもないころは、NHK・民放みんぽうとも、ラジオでの中継ちゅうけいさかんにおこなわれた。また、NHK大阪おおさか放送ほうそうきょく実験じっけん放送ほうそう期間きかんちゅうの1954ねん2がつ6にち全日本ぜんにほんプロレス協会きょうかい主催しゅさいの「マナスル登山とざんたい後援こうえん日米にちべい対抗たいこう試合しあい」が大阪おおさか府立ふりつ体育館たいいくかんからテレビ中継ちゅうけいされた。ほん放送ほうそうでないことをかんがえなければ、これが日本にっぽん最初さいしょのテレビによるプロレス中継ちゅうけいである[1]詳細しょうさいこちら)。

1957ねん日本にほんテレビが毎週まいしゅう土曜日どようび夕方ゆうがたに、プロレスの普及ふきゅうはか目的もくてき定期ていき番組ばんぐみプロレス・ファイトメン・アワー」を開始かいし(この番組ばんぐみ途中とちゅうから、後年こうねん提供ていきょうスポンサーとなる三菱電機みつびしでんきく)。これを発展はってんさせたかたち1958ねん8がつ29にちから、日本にほんテレビは金曜きんよう20わくの「三菱みつびしダイヤモンド・アワー」(三菱電機みつびしでんき単独たんどく提供ていきょう)にて、日本にっぽんプロレスの試合しあい独占どくせん中継ちゅうけいする定期ていき番組ばんぐみ開始かいしした(当初とうしょはテレビ映画えいがディズニーランド」とのしゅうわり放送ほうそうであった)。また大阪おおさかテレビ放送ほうそうでは1957ねんに「OTVスポーツファンシート・プロレスアワー」を開始かいし。テレビスタジオないにリングをもうけ、力道山りきどうざん解説かいせつきによる定期ていき中継ちゅうけい番組ばんぐみ開始かいしした。

1968ねんには、吉原よしはらいさおヒロ・マツダんで旗揚はたあげした団体だんたい国際こくさいプロレス」の中継ちゅうけいを1がつ3にちからTBSが「TWWAプロレス中継ちゅうけい」のタイトルでスタートさせる。また日本にほんテレビが放送ほうそうしていた「三菱みつびしダイヤモンド・アワー」ない日本にっぽんプロレス中継ちゅうけいも、2がつ23にちから毎週まいしゅう金曜きんよう20わく放送ほうそう移行いこうした。

1969ねん7がつ2にち当時とうじのNETテレビ(げんテレビ朝日てれびあさひ)がプロレス番組ばんぐみ参入さんにゅうし、「ワールドプロレスリング」を水曜すいよう21わくにて(のち月曜げつよう20わく移動いどう開始かいしする。しかし、メインイベンターのジャイアント馬場ばば、ナンバー3の坂口さかぐちせいりょう選手せんしゅ試合しあい、およびおもだったタイトルマッチなどは日本にほんテレビが独占どくせん中継ちゅうけいとしていたため、どう団体だんたいナンバー2の地位ちいにいたアントニオ猪木いのき関連かんれん試合しあい放送ほうそうするにとどまった(すなわち、メインイベントの中継ちゅうけいほとん不可能ふかのうだったということになる)。だが、1971ねん猪木いのきどう団体だんたい解雇かいこにちプロは協会きょうかいとしてっていたため、公式こうしきには除名じょめいである)される。猪木いのきという主役しゅやくうしなったNETテレビは、にちプロに馬場ばば試合しあい中継ちゅうけいけん要求ようきゅうし、にちプロがわ快諾かいだくした。だが日本にほんテレビがわには了承りょうしょうっておらず、1972ねん4がつ3にち、NETテレビが日本にほんテレビとの協定きょうていやぶり、馬場ばば試合しあい中継ちゅうけいしたため日本にほんテレビ関係かんけいしゃ激怒げきど。1972ねん5がつ12にち放送ほうそうぶんを以って日本にほんテレビ、日本にっぽんプロレス中継ちゅうけいりとなった。これにより、日本にっぽんプロレス中継ちゅうけいはNETテレビが独占どくせんすることになり、1972ねん7がつ28にちには金曜きんよう20わく進出しんしゅつし「NET日本にっぽんプロレスリング中継ちゅうけい」をスタートさせ、9がつまで月曜げつよう金曜きんよう並行へいこう放送ほうそうとなった。

1972ねん10月、日本にほんテレビがうしたてとなって馬場ばばをトップレスラーとする全日本ぜんにほんプロレス旗揚はたあげされると、同時どうじ日本にほんテレビも全日本ぜんにほんプロレス中継ちゅうけい以下いか全日ぜんじつ中継ちゅうけい)を、1972ねん10がつ7にちから土曜どよう20わくでスタートさせた。一方いっぽう猪木いのき1972ねんしん日本にっぽんプロレス旗揚はたあげしていたものの、こちらはテレビ中継ちゅうけいいこともあり人材じんざいなん資金しきんなんで、倒産とうさん時間じかん問題もんだいとされた。しん日本にっぽんがわがかつて猪木いのき試合しあい中継ちゅうけいしていたNETテレビに放送ほうそう再開さいかいもとめたところ、すで崩壊ほうかい寸前すんぜんであったプロに残留ざんりゅうしていた坂口さかぐち加入かにゅう絶対ぜったい条件じょうけんという回答かいとうがあり、新日本しんにほん坂口さかぐちに「トップの猪木いのき対等たいとう条件じょうけん」をしてく(だが、しん日本にっぽん入団にゅうだん対等たいとうではなく、つね猪木いのき黒子くろこまわらざるをなかった)。このことで1973ねん4がつ6にちより、しん日本にっぽんプロレスを中継ちゅうけいするしん番組ばんぐみとしての「ワールドプロレスリング」(以下いか、WPW)が金曜きんよう20わくでスタートする。えに日本にっぽんプロレス中継ちゅうけいは1973ねん3がつ30にち終了しゅうりょうし、日本にっぽんプロレスも同年どうねん4がつ20にちを以って崩壊ほうかいした。

女子じょしプロレスは、1968ねん日本にっぽん女子じょしプロレス協会きょうかい中継ちゅうけい女子じょしプロレス中継ちゅうけい 世界せかい選手権せんしゅけんシリーズ」(東京とうきょう12チャンネル=げんテレビ東京てれびとうきょう)が定期ていき番組ばんぐみとして登場とうじょうし、こう視聴しちょうりつげたが1ねんあまりで終了しゅうりょう(その団体だんたい活動かつどう休止きゅうし)。その実質じっしつてき女子じょしプロレス団体だんたいは、全日本ぜんにほん女子じょしプロレス1団体だんたいのみとなったが、どう団体だんたい定期ていき番組ばんぐみとして「全日本ぜんにほん女子じょしプロレス中継ちゅうけい」がフジテレビ放送ほうそうされた。解説かいせつとして後援こうえんデイリースポーツ記者きしゃき、実況じっきょうもと日本にほんテレビアナウンサーのこころざし生野いくのあつしおっと2002ねん番組ばんぐみ終了しゅうりょうまでつとめた(ちなみに「全日本ぜんにほん女子じょしプロレス中継ちゅうけい」を製作せいさくしていたのは、スポーツではなく、芸能げいのう・バラエティ番組ばんぐみ担当たんとうする部署ぶしょだった)。

一方いっぽう東京とうきょう12チャンネルはおなじく1968ねんに「プロレスアワー」のタイトルで海外かいがいプロレスの中継ちゅうけい開始かいし当時とうじ同局どうきょくとしては人気にんき番組ばんぐみともえる10%ちか視聴しちょうりつし、15%えも記録きろくした。

国際こくさいプロは1968ねん中継ちゅうけい開始かいし以降いこう、TBSが中継ちゅうけいっていた(一時いちじ団体だんたいめいも「TBSプロレス」と名乗なのった)。サンダー杉山すぎやまストロング小林こばやしがエースとして団体だんたいささえてきたが、ゴールデン撤退てったい・30ふん縮小しゅくしょうや、小林こばやしがフリーとなり新日本しんにほん参戦さんせんしてしまい経営けいえいきびしくなると、1974ねん3がつ30にちを以ってしょ事情じじょうりとなった。これを国際こくさいプロレス社長しゃちょう吉原よしはらいさお東京とうきょう12チャンネルに中継ちゅうけい再開さいかい嘆願たんがんし、これがつうじて1974ねん9月23にちより東京とうきょう12チャンネル(げんテレビ東京てれびとうきょう)で「プロレスアワー」を国際こくさいプロレス中継ちゅうけい変更へんこうするかたち月曜げつよう20に「国際こくさいプロレスアワー」として中継ちゅうけい開始かいしする。この中継ちゅうけいからはラッシャー木村きむらマイティ井上いのうえらがブレイクするものの、東京とうきょう12チャンネルは当時とうじネットきょくっておらず、関東かんとうけん以外いがいでは放送ほうそうむずかしかったことや、これにともな中京ちゅうきょう関西かんさいけんでは愛知あいち大阪おおさかの2府県ふけんネットとなったこと、当初とうしょ中継ちゅうけい対象たいしょう会場かいじょう関東かんとうけんのみであったことがあり、全国ぜんこくてき人気にんきるまでにはいかなかった(そのため、全日ぜんじつしんにちりょう団体だんたい参戦さんせんすることもあった)。

このころ試合しあい過激かげきになるがあまりに中継ちゅうけいにおける問題もんだいてん指摘してきされたりした。とく1962ねんおこなわれたフレッド・ブラッシーからんだ試合しあいがカラーテレビで中継ちゅうけいされたとき、その流血りゅうけつシーンをたとされる老人ろうじんらがショックする事故じこがあり、カラー放送ほうそう一旦いったん中止ちゅうししたほか、国際こくさいプロレスで日本にっぽんはじめてこころみられた「金網かなあみデスマッチ」でも流血りゅうけつシーンが放送ほうそうされたため、当時とうじ放映ほうえいしたTBSがその模様もよう一切いっさい放映ほうえいしなかったこともあった。その国際こくさいプロの中継ちゅうけいいだ東京とうきょう12chでは金網かなあみデスマッチこそ放送ほうそうされたものの、凶器きょうき攻撃こうげきがあった場合ばあい死亡しぼう事故じこ再発さいはつをなくすためということで「凄惨せいさん場面ばめんですので、放送ほうそうをご容赦ようしゃくださいませ」という字幕じまくし、応援おうえんせきうつしたというケースもあった。

1980年代ねんだい[編集へんしゅう]

1970年代ねんだいより新日本しんにほん猪木いのき異種いしゅ格闘技かくとうぎせんなどで絶大ぜつだい人気にんき獲得かくとくし、1980年代ねんだい前半ぜんはんにはタイガーマスク佐山さやまさとし)の登場とうじょうなどで全盛期ぜんせいきむかえた。金曜きんよう20定着ていちゃくしていたWPWは「伝説でんせつ金曜きんよう8」ともわれ、視聴しちょうりつが20%をえることもめずらしくなかった。この全盛期ぜんせいきには、テレビ朝日てれびあさひアナウンサーの古舘ふるたち伊知郎いちろうの「マシンガン実況じっきょう」ともばれる、独特どくとくのフレーズをマシンガンのごと過激かげき実況じっきょう絶大ぜつだい人気にんきたこともおおきく関係かんけいしている。当時とうじ生放送なまほうそうであり、番組ばんぐみ終盤しゅうばん時間じかんたいになると、不可解ふかかい裁定さいてい脈絡みゃくらくのない反則はんそく無理むり試合しあいわらせることもすくなくなかった。

一方いっぽう全日ぜんじつ中継ちゅうけいジャンボ鶴田つるたというあらたなエースが誕生たんじょうテリー・ファンクアブドーラ・ザ・ブッチャーなどの豪華ごうか外国がいこくじん招聘しょうへいしたものの、人気にんき新日本しんにほんくらべると地味じみかんじがいなめなかった。1979ねん4がつには土曜どよう夕方ゆうがたわく移行いこうとなり、WPWより一足ひとあしさきゴールデンタイムから陥落かんらくしてしまう。しかし、1985ねん長州ちょうしゅうりょくひきいるジャパンプロレス参戦さんせんすると、その話題わだいせいから人気にんき回復かいふくし、1985ねん10月にふたた土曜どよう19のゴールデンわくかえいた。また、この時代じだいは、日本にほんテレビと全日本ぜんにほんとのむすびつきがもっとつよ時期じきでもあり、全日本ぜんにほん社長しゃちょうポストは日本にほんテレビの役員やくいん出向しゅっこうかたちいていた。しかし1988ねん4がつには日曜にちよう2230ふんからの放送ほうそうとなり、再度さいどゴールデンタイムから陥落かんらくしてしまった。

国際こくさいプロは、1977ねんから関東かんとうけん以外いがいおこなわれる試合しあい中継ちゅうけい本格ほんかくてき開始かいしし、1980ねん2がつには東京とうきょう12チャンネル主導しゅどう大木おおき金太郎きんたろう獲得かくとくし、「国際こくさいプロレスアワー」も1980ねん10がつ4にちから土曜どよう20移動いどうしたものの視聴しちょうりつ回復かいふくにはつながらず、1981ねん3月28にちにレギュラー放送ほうそう終了しゅうりょうして特番とくばんわく放送ほうそう移行いこうし、団体だんたい同年どうねん8がつ9にち活動かつどう停止ていし同年どうねん9がつ24にち特番とくばんわく放送ほうそう終了しゅうりょうし、同年どうねん9がつ30にち国際こくさいプロ自体じたい崩壊ほうかいし、所属しょぞく選手せんしゅ全日本ぜんにほん新日本しんにほんりょう団体だんたい移籍いせきすることになった。

1984ねん新日本しんにほん離脱りだつした前田まえだ日明ひあがり佐山さやまさとしらが従来じゅうらいのプロレスよりも格闘かくとうしょくつよくしたしんプロレス路線ろせん目指めざしてUWF旗揚はたあげする。団体だんたい後期こうきの「シューティングプロレス」を展開てんかいした時期じき国際こくさいプロ中継ちゅうけいあとテレビ東京てれびとうきょうが、そのとお世界せかいのプロレス団体だんたい模様もよう紹介しょうかいしていた「世界せかいのプロレス」という番組ばんぐみなか一部いちぶ試合しあい中継ちゅうけい放映ほうえいしたものの、レギュラー放送ほうそうわく獲得かくとくまでにはいたらず、またネットきょくすくなさから知名度ちめいどアップにも貢献こうけんしなかった。だいいちUWFはスポンサー企業きぎょう倒産とうさん資金しきんなんにより崩壊ほうかい

WPWも1986ねん9月26にちに14ねんはんわた金曜きんよう20での放送ほうそう終了しゅうりょうし、同年どうねん10がつ13にちから月曜げつよう20放送ほうそう時間じかん変更へんこうした。1987ねん3がつには古館ふるだて実況じっきょうから降板こうばんしたと同時どうじに、実況じっきょうせい中継ちゅうけい終了しゅうりょうしてしまう。同年どうねん4がつからは、山田やまだ邦子くにこをメインパーソナリティとし、バラエティしょくつよめた「ギブUPまでてない!ワールドプロレスリング」にリニューアルするが、視聴しちょうりつ半分はんぶんにまで低下ていかしてしまう事態じたいおちいる。そして1988ねん土曜どよう夕方ゆうがたわく移行いこう。プロレスのレギュラー放送ほうそうはゴールデンわくから転落てんらくすることになった。

1980年代ねんだいまでは「プロレス団体だんたいにはテレビ中継ちゅうけい不可欠ふかけつ」とわれており、放映ほうえいけんりょう団体だんたい収入しゅうにゅういて、興行こうぎょう収入しゅうにゅうよりもおおきなウエイトをめていた。前述ぜんじゅつとおりUWFの崩壊ほうかいには、レギュラー放送ほうそう獲得かくとく失敗しっぱいしたことが一因いちいんげられる。仲田なかたりゅうによると当時とうじ日本にほんテレビから全日本ぜんにほん支払しはらわれていた放映ほうえいけんりょうは7おくえんだという。当時とうじの7おくえんは、だい規模きぼ会場かいじょうでの興行こうぎょう日本武道館にほんぶどうかん両国りょうこく国技こくぎかん田園でんえんコロシアムなど)にたよらずとも選手せんしゅにギャランティがじゅうふん支払しはらえるがくであった。

テレビかん戦記せんきコーナーをもうけていたころ週刊しゅうかんプロレス週刊しゅうかんゴングは、発売はつばい前週ぜんしゅう放送ほうそう視聴しちょうりつデータを掲載けいさいしていた。しゅうプロがビデオリサーチのデータのみ掲載けいさいしていたのにたいし、ゴングはビデオリサーチとニールセン両社りょうしゃのデータを掲載けいさいしていた。WPWと全日ぜんじつ中継ちゅうけい関東かんとう関西かんさい地区ちくのデータが掲載けいさいされていたが、「世界せかいのプロレス」と関西かんさいテレビぜんおんな中継ちゅうけい関東かんとう地区ちくのデータのみ掲載けいさいしていた。

新生しんせいUWF、インディーズの台頭たいとう中継ちゅうけい転機てんき[編集へんしゅう]

1988ねん一度いちど崩壊ほうかいしたUWFが2ねんのブランクをいてふたた発足ほっそく通称つうしょう新生しんせいUWF)。所属しょぞく選手せんしゅたちは2年間ねんかん新日本しんにほんもどっており、衝撃しょうげきてき試合しあい披露ひろうしたことで、UWFスタイルの格闘技かくとうぎ注目ちゅうもくされていた。そのため、旗揚はたあせんのチケットはすうじゅうふん完売かんばいつき1かいしか興行こうぎょうたないものの、その興行こうぎょう収入しゅうにゅうとスポンサー収入しゅうにゅう団体だんたい資金しきん十分じゅうぶんまかなえており、テレビ中継ちゅうけいかったが1989ねんには東京とうきょうドーム興行こうぎょうつまでになった。このことがプロレス団体だんたいにとってテレビの放映ほうえいけんりょうたよらずとも団体だんたい運営うんえい可能かのうなことをけるおおきな結果けっかとなった。そのUWFものちに、創成そうせいBS放送ほうそうチャンネルWOWOWとのあいだで、独占どくせん中継ちゅうけい契約けいやく締結ていけつ成功せいこうしたが、中継ちゅうけい開始かいし直前ちょくぜん内部ないぶ不協和音ふきょうわおんから団体だんたい崩壊ほうかい。しかし、3つに分裂ぶんれつした後継こうけい団体だんたいふくめ、これらの事項じこうにより「TV中継ちゅうけい」、「主要しゅようキーきょく以外いがいとの放送ほうそう契約けいやく」という、プロレスかい格闘技かくとうぎかいあらたないちページをきざむことになった(ちなみにWOWOWは、前田まえだ後継こうけい団体だんたいリングス」と契約けいやくし、2002ねんまで中継ちゅうけい放送ほうそうつづけたほか、WOWOWもリングスをキラーコンテンツとしてアピールしていたことから、リングスがわ世界せかい規模きぼのネットワーク構想こうそうとうかたちにすることが出来できHERO'Sいしずえにつながってゆくこととなった)。

1990年代ねんだいになると、世間せけんではすでバブル崩壊ほうかいへとかっていたが、プロレスかいのバブルはこの時代じだいから隆盛りゅうせいむかえることとなった。まず全日本ぜんにほんからまい看板かんばん一人ひとり天龍てんりゅう源一郎げんいちろうかれ、メガネスーパーがスポンサーとなって設立せつりつされたSWSは、その資金しきんりょくをバックに、それまでのプロレスかいではかんがえられなかった演出えんしゅつ高額こうがく年俸ねんぽうなどで話題わだいとなった。このSWSの旗揚はたあせんテレビ東京てれびとうきょうのゴールデンわく放送ほうそうされ、木村きむらただしディスクジョッキーふう実況じっきょう展開てんかいするという一風いっぷうわった中継ちゅうけいおこなっていた(同局どうきょく団体だんたい後期こうきについても、つきいち限定げんてい半年はんとしあいだ中継ちゅうけい放送ほうそうした)。これらの演出えんしゅつ当時とうじ、「派手はで」「時代じだい先取さきどりしすぎ」との批判ひはんおおく、またSWS自体じたい一部いちぶマスコミから「金権きんけんプロレス」などと大々的だいだいてきたたかれ、結局けっきょく内部ないぶ闘争とうそうなどもあり呆気あっけなく団体だんたい崩壊ほうかいになってしまうこととなった。

一時いちじだいさん勢力せいりょくともられた新生しんせいUWFやSWSがあっさりと崩壊ほうかいしていくなか、意外いがい健闘けんとうせたのが、「馬場ばばほう」でも「猪木いのきほう」でもないインディペンデント、すなわちインディーズ団体だんたいである。その最大さいだい団体だんたいが、1989ねん誕生たんじょうしたFMWであった。全日本ぜんにほんプロレスで引退いんたいフリーランスのレスラーとして細々こまごま活動かつどうしていただい仁田にったあつし設立せつりつしたこの団体だんたいは、新生しんせいUWFのぎゃく方向ほうこうき、それまでの日本にっぽんのプロレス団体だんたいでははばかられた電流でんりゅう爆破ばくはなどの過激かげきデスマッチものにした。同時どうじに「おれたちはこんなかたしか出来できない、それでもおれたちはプロレスをやりたい」といった、弱小じゃくしょうであるがゆえの一生懸命いっしょうけんめいさをうったえかけることで、ファンのハートをつかんでいった。こうしたインディーズ団体だんたいは、規模きぼ知名度ちめいどのマイナーさ(および放送ほうそう躊躇ためらうほどの過激かげきさ)などから定期ていきてきなテレビ中継ちゅうけいはおろか、テレビでげることさえもむずかしいものがあったが、一方いっぽうではいままでにない形式けいしき興味きょうみび、いわゆる「くちコミ」などで確実かくじつ固定こていきゃく獲得かくとくしていく。FMWの場合ばあい中継ちゅうけいがないのをおぎなうかのように、大仁田おおにた一般いっぱんメディアやテレビのバラエティ番組ばんぐみ積極せっきょくてき登場とうじょうし、かおりまくったのもおおきかった。その甲斐かいあって、FMWは川崎球場かわさききゅうじょうなどの大会たいかいじょうでの興行こうぎょうおこなうまでに成長せいちょう、そして大仁田おおにたは、一般いっぱん知名度ちめいどだけなら、馬場ばば猪木いのきかたならべるくらいになっていた(一般いっぱんのメディアに数多かずおお露出ろしゅつして知名度ちめいどたかめるという手法しゅほうは、新生しんせいUWF当時とうじ前田まえだ日明ひあがりすでこころみていたものだったが、大仁田おおにたほどに媒体ばいたいえらばずに際限さいげんなく露出ろしゅつすることはなかった)。

新生しんせいUWFによってくずされた「テレビ中継ちゅうけい不可欠ふかけつ」というあるしゅ法則ほうそくは、FMWの成功せいこうくつがえされるかたちとなり、そうした成功せいこうれい刺激しげきされ、テレビ中継ちゅうけいたよらない団体だんたい経営けいえいたりまえようおこなわれるようになった。かくして以降いこうは、小規模しょうきぼ団体だんたい旗揚はたあげしては崩壊ほうかい旗揚はたあげしては崩壊ほうかいかえすこととなっていく。

ちなみに「中継ちゅうけい」というかたちではないが、1990年代ねんだい中期ちゅうきテレビ東京てれびとうきょうのスポーツニュース番組ばんぐみげきせい!スポーツTODAY」では、しゅう1かい「バトルウィークリー」というコーナーをもうけていた。独占どくせん契約けいやくのあるメジャー団体だんたいのぞいた、プロレスかい格闘技かくとうぎかいの1週間しゅうかんうごきをうというもので、ここでもインディーズ団体だんたい積極せっきょくてきげていた。)

一方いっぽうメジャー団体だんたい新日本しんにほん全日本ぜんにほんもテレビ主導しゅどうではない、現場げんば主導しゅどう全盛期ぜんせいきむかえていた。すでりょう団体だんたいども放送ほうそうわく深夜しんやうつっており、視聴しちょうりつ放映ほうえいけんりょうなどのめん全盛期ぜんせいき後塵こうじんはいする状態じょうたいとはなっていたが、新日本しんにほん闘魂とうこんさんじゅう活躍かつやくにより東京とうきょうドームをはじめとする全国ぜんこくドーム会場かいじょう大会たいかいひらき、つねに5まんにん以上いじょう観客かんきゃく動員どういんあつめるようになり、全日本ぜんにほん馬場ばば堅実けんじつ経営けいえいもあってドーム会場かいじょうでの興行こうぎょうひかえたものの、プロレス四天王してんのう空前くうぜん人気にんき獲得かくとくしており、年間ねんかん7かい開催かいさい日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいすべちょう満員まんいん札止ふだどめを記録きろくするようになっていた。また通常つうじょうのプロレス中継ちゅうけいこそ深夜しんやたいであったが、1990年代ねんだいしん日本にっぽんドーム大会たいかいなどはスペシャル番組ばんぐみとしてゴールデンわく放送ほうそうされており、とく2000ねんおこなわれた小川おがわ直也なおやvs橋本はしもとしんいちせんは、「橋本はしもとしんけたらそく引退いんたいとうあお文句もんくけるなど、賛否さんぴ内容ないようではあったが、瞬間しゅんかん最高さいこう視聴しちょうりつ24%を記録きろくするほどであり[2]数字すうじだければ1980年代ねんだい黄金おうごん時代じだい以来いらい注目ちゅうもくとなった。しかし深夜しんやたいのレギュラー放送ほうそうは、1994ねん4がつから全日本ぜんにほんプロレスの放送ほうそう時間じかんが1あいだから30ふん短縮たんしゅくされて「全日本ぜんにほんプロレス中継ちゅうけい30」となるなど、えて冷遇れいぐうされていくようになる。

そんななか最大さいだいのインディーズ団体だんたいFMW」は、大仁田おおにた退団たいだんによりエンタメ路線ろせんへの大幅おおはば軌道きどう修正しゅうせいおこなったこともあり、1998ねんより当時とうじ日本にっぽん展開てんかいはじめたばかりのCS放送ほうそうチャンネルディレクTVと「3ねん3おくえん」の放映ほうえい契約けいやく締結ていけつ横浜よこはまアリーナひとしだい規模きぼ会場かいじょう興行こうぎょうおこなうほか、AV女優じょゆうまでリングにげてしまうという、まさにショープロレス路線ろせんすすんだが、ファンの支持しじることが出来できず、迷走めいそうはじまる。迷走めいそう歯止はどめがかからず、2000ねんにディレクTVがSKY PerfecTV!事実じじつじょう統合とうごうされると、放映ほうえいけんりょう大幅おおはば下落げらく団体だんたい倒産とうさんし、荒井あらい昌一しょういち社長しゃちょう自殺じさつするという最悪さいあく結末けつまつむかえた。

ゴールデンわくとの決別けつべつ、インディーズ団体だんたい乱立らんりつ、CS中継ちゅうけい拡大かくだい[編集へんしゅう]

2000ねん馬場ばば逝去せいきょ全日本ぜんにほん社長しゃちょういていた三沢みさわ光晴みつはるが、馬場ばば夫人ふじんでオーナーの馬場ばば元子もとことの確執かくしつから代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょうしょく解任かいにんされると、三沢みさわ以下いかほとんどの選手せんしゅ社員しゃいん全日本ぜんにほん退社たいしゃし、プロレスリング・ノア旗揚はたあげ。そのさい放映ほうえいけん全日本ぜんにほんだい株主かぶぬしでもあった日本にほんテレビもかぶ手放てばなし、同年どうねん6がつ19にち中継ちゅうけいそくりを発表はっぴょうし、同年どうねん6がつ21にち終了しゅうりょうした。28ねんにもおよどう番組ばんぐみ終了しゅうりょうは、あまりにも突然とつぜんであった。なお、番組ばんぐみわくかけぬの雅之まさゆき司会しかいのプロレス情報じょうほう番組ばんぐみコロッセオ」にわるものの、よく2001ねん4がつからはしん番組ばんぐみプロレスリング・ノア中継ちゅうけい」(以下いか、ノア中継ちゅうけい)を開始かいし一方いっぽう全日本ぜんにほん資金しきんなん人材じんざいなんでピンチをむかえ、外国がいこくじん選手せんしゅやフリーランスにささえられてのこったもののしばらくのあいだ地上波ちじょうは中継ちゅうけいゼロの状態じょうたいへと転落てんらくすることとなってしまった。

WPWは全国ぜんこくのネットきょく放送ほうそうわくがバラバラであったものの、ドーム大会たいかいになるとゴールデンわくで、真夏まなつ祭典さいてんG1 CLIMAX決勝けっしょうせん日曜にちよう夕方ゆうがた高校こうこう野球やきゅう優先ゆうせんのABCテレビだけは時差じさ放送ほうそう)で、それぞれ特番とくばん放送ほうそうしていた。しかしきょくが「K-1」や「PRIDE」など格闘技かくとうぎ番組ばんぐみ次々つぎつぎ放送ほうそうするようになったことや、いわゆるビッグマッチでのプロレス中継ちゅうけいにおける度重たびかさなる乱闘らんとうげきやノーコンテスト判定はんてい、および昨今さっこんのバラエティ番組ばんぐみによくられるテイストをゴールデンでの中継ちゅうけい導入どうにゅうしたことから、次第しだいにファンやぞくう「一見いっけんさん」がプロレス中継ちゅうけいからはなれていくこととなり、テレビ朝日てれびあさひ2002ねん5月のドーム大会たいかい以降いこうゴールデンわくでの特番とくばんから撤退てったい。それにより、ゴールデンわくでのプロレス中継ちゅうけい完全かんぜん消滅しょうめつし、G1決勝けっしょうせん特番とくばん2003ねん最後さいご全国ぜんこくネットからはずれてしまった。さらに、2004ねん4がつからは放送ほうそう時間じかんが1あいだから30ふん短縮たんしゅくされてしまう。

2000年代ねんだいからは、スカパー!(SKY PerfecTV!)の普及ふきゅうなどで衛星えいせい放送ほうそうでの中継ちゅうけい目立めだつようになる。ノアの中継ちゅうけい日本にほんテレビのCSチャンネルであるにっテレG+で、しん日本にっぽん中継ちゅうけいテレビ朝日てれびあさひのBSチャンネルであるBS朝日あさひなどにメイン放送ほうそうがシフトしていった(ただし従来じゅうらい地上波ちじょうはプロレス中継ちゅうけい時間じかん短縮たんしゅくさせながら継続けいぞくしている)。また、乱立らんりつするインディーズ団体だんたい女子じょしプロレス団体だんたい中継ちゅうけいにも、CS放送ほうそう一役ひとやくっており、格闘技かくとうぎ専門せんもんチャンネル「FIGHTING TV サムライ」(サムライTV)を筆頭ひっとうに、スポーツけいかくチャンネルが中継ちゅうけいしている。

一方いっぽう長年ながねんにおいて全日本ぜんにほん女子じょし試合しあい中継ちゅうけいしたフジテレビは、1998ねんから番組ばんぐみタイトルを「格闘かくとう女神めがみATHENA」にリニューアルし、エンターテイメントせいたか番組ばんぐみへと移行いこうさせていたが、団体だんたい不渡ふわたりやテレビコンテンツとしてりたなくなった状況じょうきょうなどから2002ねん、20ねん以上いじょう女子じょしプロレス中継ちゅうけい歴史れきしまくじた(ただしフジテレビは放送ほうそう終了しゅうりょう以前いぜんからフジテレビ社屋しゃおくでのぜんおんな台場だいば大会たいかい興行こうぎょうおこなっており、放送ほうそう終了しゅうりょうもお台場だいば興行こうぎょう自体じたいはノーTVの状態じょうたいおこなっていた)。

2003ねん新日本しんにほん退団たいだんしていた橋本はしもとしん設立せつりつしたプロレスリングZERO-ONE中継ちゅうけい番組ばんぐみ破壊はかいおうプロレスZERO-ONE」がテレビ東京てれびとうきょうでスタート。ベッキー後半こうはん森下もりした千里せんり)やプロレスどおりられる勝俣かつまたしゅう番組ばんぐみげ、つき1かいの(後半こうはんは2がつに1ペース)オンエアーであった。(おおむ土曜どよう夕方ゆうがたの75分間ふんかん)だが、こちらは自然しぜん消滅しょうめつした。

2004ねん武藤むとうたかし社長しゃちょう体制たいせい新生しんせい全日本ぜんにほん地上波ちじょうはレギュラー番組ばんぐみプロレスLOVEがテレビ東京とうきょうでスタート。テレビ東京てれびとうきょう制作せいさく一切いっさいかかわらず、GAORA放送ほうそう素材そざい使つかってアテレコかたち実況じっきょうれて全日本ぜんにほん番組ばんぐみつくり、テレビ東京てれびとうきょう放送ほうそうしてもらうあたらしいスタイルの番組ばんぐみであった。そのため視聴しちょうりつなどはにする必要ひつようかったが、番組ばんぐみ制作せいさく予算よさん全日本ぜんにほん予算よさんわなくなったことでよく2005ねん終了しゅうりょう。だが2006ねんに、スペシャルばんとして深夜しんやわく復活ふっかつ放送ほうそうされた。

設立せつりつ直後ちょくごから日本にほんテレビと蜜月みつげつ関係かんけいにあり、団体だんたいとして安泰あんたいつづいていたノアだったが、小橋こはし建太けんた腎臓じんぞうがん長期ちょうき欠場けつじょうはいった2006ねんあたりから観客かんきゃく動員どういん視聴しちょうりつともに低迷ていめいはじめ、2008ねん9月に読売よみうりテレビ放送ほうそう終了しゅうりょうし、さらに日本にほんテレビも2009ねん3がつまつをもって地上波ちじょうは放送ほうそうり、55ねんにわたる日本にほんテレビのプロレス中継ちゅうけい終止符しゅうしふたれた。そのもCSでノアの試合しあい中継ちゅうけいしていたが、2020ねんにノアの中継ちゅうけいから完全かんぜん撤退てったいした。

インターネットの普及ふきゅうによる視聴しちょう形態けいたい変化へんか[編集へんしゅう]

2000年代ねんだいはいってからはインターネットの普及ふきゅうにより、中継ちゅうけい形態けいたい変化へんかしている。プロレス中継ちゅうけいのネット配信はいしんおこなわれるようになり、日本にほんテレビのノア中継ちゅうけいのサイトから過去かこ試合しあい有料ゆうりょう閲覧えつらんできるようになったほかしん日本にっぽんオフィシャル動画どうが配信はいしんサイトとうでもめい勝負しょうぶ動画どうがることが可能かのうとなっている。

また、PPV方式ほうしき普及ふきゅうし、2004ねんからはじまったハッスルは、おな興行こうぎょう団体だんたい主催しゅさいしていたPRIDEとおなじくSKY PerfecTV!によるPPV方式ほうしき採用さいようし、また公式こうしきサイトでの有料ゆうりょう動画どうが配信はいしんおこなうなど、地上波ちじょうはにウェイトをかない中継ちゅうけいシステムを採用さいようしている(ちなみにハッスルは一時いちじ、やはりPRIDEとともに「東海とうかい地方ちほうのみの地上波ちじょうは定期ていき放送ほうそう」というめずらしい方式ほうしき採用さいようしていた。くわしくはハッスルの項目こうもく参照さんしょう)。

またGyaOYahoo!動画どうがなどのブロードバンドの普及ふきゅうにより、日本にほんテレビとつながりのふかいノアをのぞおおくの団体だんたいがブロードバンド配信はいしんによる中継ちゅうけい配信はいしん進出しんしゅつしている。これらはネットに接続せつぞくさえすればいつでもることが可能かのうであるので、少々しょうしょう強引ごういんではあるが、かんがえようによっては、「プロレスがゴールデンにかえってきた」と表現ひょうげんすることもできる。2010ねんからはUstreamによるなま中継ちゅうけい採用さいようした19女子じょしプロレスはじまっており、あらたな中継ちゅうけい手段しゅだんとして注目ちゅうもくびている。こちらはしめすとおり19、すなわちゴールデンのリアルタイム中継ちゅうけいである。2013ねんからはニコニコ動画どうがにてプロレス番組ばんぐみ放送ほうそうする「ニコニコプロレスチャンネル」が開始かいしされ、おもにインディ団体だんたい興行こうぎょうなま中継ちゅうけいあるいは録画ろくが中継ちゅうけい適宜てきぎっている。

他方たほう地上波ちじょうはかんしては2000ねん以降いこう、K-1やPRIDEなどの格闘技かくとうぎ番組ばんぐみされ、さらには格闘技かくとうぎ番組ばんぐみ衰退すいたいもスポーツ中継ちゅうけい自体じたい減少げんしょうしたため、地上波ちじょうはにおけるプロレス中継ちゅうけい衰退すいたい一途いっと辿たどり、ゴールデンタイムでのプロレス中継ちゅうけい完全かんぜん皆無かいむとなった。しかしながら、2022ねんにはタレントのフワちゃんのプロレスデビューせん地上波ちじょうはのゴールデンタイムで放送ほうそうしているバラエティ番組ばんぐみうち放送ほうそうされ、番組ばんぐみの1コーナーとしてではあったが、20ねんぶりにプロレスの試合しあいがゴールデンタイムで放送ほうそうされた[3]

2014ねんにはしん日本にっぽんプロレスとテレビ朝日てれびあさひ共同きょうどう定額ていがく制動せいどう配信はいしんサービスであるしん日本にっぽんプロレスワールド開始かいしし、大会たいかい中継ちゅうけい国内こくないだけでなく国外こくがいでも配信はいしんするようになり、過去かこ試合しあいのアーカイブ配信はいしんおこなうようになった[4]。それ以降いこうもDDT UNIVERSE(げん:WRESTLE UNIVERSE)や全日本ぜんにほんプロレスTVなど、おおくの団体だんたい追従ついしょうするようになり、だい企業きぎょう放送ほうそうきょくがバックについている団体だんたいでは自社じしゃによる大会たいかい中継ちゅうけいやアーカイブ配信はいしん増加ぞうかした。

2017ねんにはDDTプロレスリングサイバーエージェント買収ばいしゅうされ2018ねんからは同社どうしゃ運営うんえいするインターネットテレビ局てれびきょくのAbemaTV(げん:ABEMA)にて毎週まいしゅう2あいだのプロレス中継ちゅうけいDDT LIVE! マジまんじ」が開始かいし以降いこうもABEMAにてプロレス中継ちゅうけいおこない、2020ねんにはノアも買収ばいしゅうされ、おなじくABEMAにてビックマッチのプロレス中継ちゅうけいおこなっている。

また、2010年代ねんだい後半こうはんには検証けんしょう番組ばんぐみ、トーク番組ばんぐみなかには場外じょうがい乱闘らんとうこるたび番組ばんぐみなど、試合しあい中継ちゅうけいというかたちにとらわれないプロレス番組ばんぐみ衛星えいせい放送ほうそう、インターネット配信はいしん番組ばんぐみでは現出げんしゅつしている。

新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうによる変化へんか - 現在げんざい[編集へんしゅう]

2020ねん初頭しょとうから日本にっぽんでも新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこう発生はっせいし、それによる4がつからの緊急きんきゅう事態じたい宣言せんげんにより、観客かんきゃく動員どういんしての興行こうぎょう開催かいさいがままならない状況じょうきょうおちいり、おのずと試合しあい中継ちゅうけい重要じゅうようになった。スターダムは3がつ8にち観客かんきゃく試合しあい敢行かんこう。その模様もようYouTube無料むりょうせい配信はいしんした[5]。この観客かんきゃく試合しあい配信はいしんするながれはノアや全日本ぜんにほんなどのおおくの主要しゅよう団体だんたい追従ついしょうした[6][7]他方たほうで、新日本しんにほんは110にち興行こうぎょうおこなえなかったが[8]、「Togetherプロジェクト」とだいし、オリジナルコンテンツや過去かこ試合しあい映像えいぞう配信はいしんなどでこの難局なんきょくった[9]

感染かんせんしょう流行りゅうこうにより、メジャーインディわずおおくの団体だんたい選手せんしゅが、YouTubeなどの動画どうが投稿とうこうサイトでのインターネット配信はいしん活路かつろいだすことが[10]毎日まいにちようなま配信はいしんおこなうレスラーもあらわれるようになった。さらに、2021ねん旗揚はたあげしたGLEATはビックマッチをふくめ、おおくの興行こうぎょうをYouTubeにて無料むりょう配信はいしんしている[11]

なお、試合しあい映像えいぞうやなどを動画どうが投稿とうこうサイトで配信はいしんした場合ばあい広告こうこく収入しゅうにゅうせんによる収益しゅうえきることが可能かのうで、団体だんたい選手せんしゅ収入しゅうにゅうはしらとなる場合ばあいがあることから配信はいしんちかられている団体だんたいおおく、スターダムはYouTubeでのチャンネル登録とうろくしゃすう100まんにんを2023ねん達成たっせいした[12]

2020ねん4がつ、WPWがBS朝日あさひ放送ほうそう形態けいたいこそわったが、じつに34ねんぶりに金曜きんようの8放送ほうそうされることとなった[13][ちゅう 1]。また、それとどう時期じき女子じょしプロレスのスターダムが東京とうきょうローカルながらも地上波ちじょうはゴールデンタイムでの放送ほうそう開始かいしし、34ねんぶりに女子じょしプロレスが地上波ちじょうはゴールデンタイムに復活ふっかつした[14][15]。しかしながら、2023ねん現在げんざい地上波ちじょうは全国ぜんこくネットでレギュラー中継ちゅうけいされているプロレス団体だんたい現在げんざいでは新日本しんにほんのみとなり、地方ちほうきょくやローカルきょくふくめたとしてもすう団体だんたいほどで、それもおおくが深夜しんやたいでの放送ほうそうとなっており、衛星えいせい中継ちゅうけいやインターネットでのPPVにおもきを団体だんたいおおい。

また、解散かいさんしたGAEA JAPAN[16]、かつて全日本ぜんにほんやノアを中継ちゅうけいした日本にほんテレビなどが[17][18]各種かくしゅ配信はいしんサイトにて所有しょゆうしている過去かこ試合しあい映像えいぞう配信はいしん開始かいしするなど、映像えいぞうのデジタルをするうごきもある。

現在げんざいのプロレス中継ちゅうけい番組ばんぐみ放映ほうえいけん放送ほうそうきょく[編集へんしゅう]

専門せんもんきょくであるFIGHTING TV サムライのプロレス中継ちゅうけいわくにおける番組ばんぐみのぞく(独自どくじ番組ばんぐみめいいたものは記載きさい)。

しん日本にっぽんプロレス[編集へんしゅう]

全日本ぜんにほんプロレス[編集へんしゅう]

プロレスリング・ノア[編集へんしゅう]

  • にっテレG+(CS)「NOAH di コロッセオ」「プロレスリング・ノアSP」「プロレス激闘げきとう記憶きおく」(過去かこ大会たいかいのアーカイブ放送ほうそう
  • ABEMA(ウェブ)「NOAH “NEW HOPE”」、「NOAH ABEMA中継ちゅうけい
  • WRESTLE UNIVERSE(SVOD)

DRAGON GATE[編集へんしゅう]

DDTプロレスリング[編集へんしゅう]

だい日本にっぽんプロレス[編集へんしゅう]

大阪おおさかプロレス[編集へんしゅう]

  • GAORA(CS)「なにわのバトルエンターテイメント 大阪おおさかプロレス」

スターダム[編集へんしゅう]

  • BS11(BS)、独立どくりつきょく地上波ちじょうは)など「We are STARDOM!!~世界せかい注目ちゅうもく女子じょしプロレス~」
  • FIGHTING TV サムライ(CS)「きらめく まるごとスターダム」(トーク番組ばんぐみ主体しゅたい
  • スターダムワールド(SVOD)

東京とうきょう女子じょしプロレス[編集へんしゅう]

  • WRESTLE UNIVERSE(SVOD)

OZアカデミー[編集へんしゅう]

  • GAORA(CS)「OZアカデミー 女子じょしプロレス」、「GAORAプロレスミュージアム」

その[編集へんしゅう]

北米ほくべい[編集へんしゅう]

北米ほくべいでは、興行こうぎょう自体じたいがテレビ番組ばんぐみとしてパッケージされ、これを「テレビマッチ」とぶ。ビッグマッチはPPVで放送ほうそうされ「特番とくばん」とばれる。一方いっぽう、テレビでは放送ほうそうされない興行こうぎょうを「ハウス・ショー」とぶ。

1953ねんNWA発足ほっそくメンバーのひとりドン・オーウェンひきいるオレゴンしゅうパシフィック・ノースウェスト・レスリング(PNW)がKPTVにてテレビ放送ほうそう開始かいし[19]

1970年代ねんだいまでテレビマッチは観客かんきゃくれずにスタジオで収録しゅうろくする方式ほうしきっていた。当時とうじさんだいネットワークでもプロレス番組ばんぐみまれていたが、ケーブルテレビの普及ふきゅうすすんだ1980年代ねんだい以降いこうはそちらが主流しゅりゅうとなる。NWA傘下さんかジョージアしゅうテリトリーのGCW放送ほうそうが1972ねんにWQXI-TV(現在げんざいのWXIA)からWTCG(のちにWTBS)移籍いせき、1973ねんよりそのWTBSが全国ぜんこく放送ほうそう移行いこうしたのがきっかけとなった。一方いっぽう、1983ねんにWWF(げんWWE)も「WWFオール・アメリカン・レスリング」を開始かいしのちに「マンデー・ナイト・ウォーズ」へとつながる。

さんだいネットワークのひとつであるNBCでは1980年代ねんだい後半こうはんから1990ねん前半ぜんはんまでWWFの番組ばんぐみ放送ほうそうされており、2006ねんから2008ねんまで「サタデー・ナイト・メイン・イベント」がリバイバルされた。

インディー団体だんたい大半たいはんはテレビ番組ばんぐみたず、興行こうぎょう映像えいぞうソフトとして収録しゅうろくする方式ほうしきるケースがおおいが、最近さいきんではインターネットPPV(iPPV)を利用りようして放送ほうそうおこなうケースもられるようになった。

2020ねん初頭しょとうからの新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうにより、観客かんきゃくでのなま中継ちゅうけいもままならない状況じょうきょうになったが、WWEなどが本拠地ほんきょちとするフロリダしゅうがプロレス中継ちゅうけい必要ひつよう不可欠ふかけつなサービスとみとめ、WWEにおいては試合しあいなま中継ちゅうけい敢行かんこうされるようになった[20]

WWE[編集へんしゅう]

WWE当時とうじWWF)は、1980年代ねんだいNWAなど団体だんたいのテレビ放送ほうそうわくり、テレビ番組ばんぐみ利用りようした拡大かくだい戦略せんりゃくすすめている。1985ねんはつのPPV「レッスルマニア」を放送ほうそうした。

レギュラー番組ばんぐみとして1993ねんより「RAW」(開始かいし当時とうじは「Monday Night RAW」)、1999ねんより「SmackDown」(2016ねん7がつより「SmackDown LIVE」)が放送ほうそうされている。前者ぜんしゃ原則げんそく生放送なまほうそう後者こうしゃ収録しゅうろく方式ほうしきられていたが、2023ねん現在げんざいりょう番組ばんぐみともに基本きほんてき生放送なまほうそうである(放送ほうそう年末年始ねんまつねんしなどにかさなる場合ばあい収録しゅうろく放送ほうそうとなる場合ばあいがある)。

AEW[編集へんしゅう]

2019ねん旗揚はたあげした新興しんこう団体だんたいだが、おおくの番組ばんぐみ放送ほうそうしている。

ROH[編集へんしゅう]

SBGがROHのオーナーとなったことにともない、2011ねんより同局どうきょく放送ほうそう

メキシコ[編集へんしゅう]

メキシコでは当初とうしょテレビでのプロレス中継ちゅうけいみとめられておらず、1980年代ねんだい後半こうはんはい解禁かいきんされた。現在げんざいではCMLLなどメジャー団体だんたいではPPVもおこなわれている。

CMLL[編集へんしゅう]

  • テレビサ
  • LATV(米国べいこく
  • KWHY(米国べいこく
  • BTビジョン(イギリス)
  • FIGHTING TV サムライ(日本にっぽん

AAA[編集へんしゅう]

  • テレビサ

おもなプロレス解説かいせつしゃ[編集へんしゅう]

日本にっぽん[編集へんしゅう]

ワールドプロレスリング[編集へんしゅう]

プロレスリング・ノア中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

全日本ぜんにほんプロレス中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

大日だいにち大戦たいせん[編集へんしゅう]

ALLJAPAN B-Banquet[編集へんしゅう]

ニコプロ[編集へんしゅう]

We are STARDOM!!~世界せかい注目ちゅうもく女子じょしプロレス~[編集へんしゅう]

GLEAT中継ちゅうけい[編集へんしゅう]

女子じょしプロレス[編集へんしゅう]

  • ブル中野ぶるなかの(2020ねんまでスターダム中継ちゅうけいレギュラー解説かいせつ以降いこう特別とくべつ試合しあい限定げんてい

過去かこ[編集へんしゅう]

アメリカ[編集へんしゅう]

おもなプロレス実況じっきょうアナウンサー[編集へんしゅう]

日本にっぽん
アメリカ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 2023ねん10がつからは21変更へんこうされた

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ NHK大阪おおさか放送ほうそうきょく70ねん「こちらJOBK」
  2. ^ 橋本はしもとしん也vs.小川おがわ直也なおやから20ねん。『けたらそく引退いんたい!』によるひかりかげ。(堀江ほりえガンツ)”. Number Web - ナンバー. 2023ねん7がつ5にち閲覧えつらん
  3. ^ 週刊しゅうかんSPA!編集へんしゅう (2022ねん11月15にち). “フワちゃんも参戦さんせん!“女子じょしプロレス”をコロナでも売上うりあげ5ばいにした経営けいえい秘密ひみつ”. 日刊にっかんSPA!. 2023ねん1がつ18にち閲覧えつらん
  4. ^ 【WK9】「会員かいいん100まんにん目指めざしましょう!!」(棚橋たなはし月額げつがく999えん動画どうが放題ほうだい!! 話題わだいしんサービス『しん日本にっぽんプロレスワールド』が発進はっしん!!【会見かいけん”. www.njpw.co.jp. 2023ねん1がつ18にち閲覧えつらん
  5. ^ プロレスの聖地せいち観客かんきゃく試合しあい開催かいさい 女子じょしプロレス・スターダムはこの状況じょうきょうにどうったか”. ENCOUNT. 2023ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  6. ^ プロレスリング・ノア、観客かんきゃく試合しあい後楽園こうらくえんホールでレスラーたちがかんじた覚悟かくご戸惑とまどい…3・29GHC4だい選手権せんしゅけんぜん成績せいせき”. スポーツ報知ほうち (2020ねん3がつ30にち). 2023ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  7. ^ 新型しんがたコロナにけず全日本ぜんにほんプロレスが観客かんきゃく試合しあい世界せかいタッグ王座おうざせん実施じっし!「さんかんヘビーきゅう王座おうざ防衛ぼうえいせんもやりたい」”. バトル・ニュース. 2023ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  8. ^ しん日本にっぽんプロレス、110にちぶり大会たいかい再開さいかいはつ観客かんきゃく、まるで地下ちか格闘技かくとうぎ会場かいじょうのよう”. スポーツ報知ほうち (2020ねん6がつ15にち). 2023ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  9. ^ https://ddnavi.com/interview/610431/a/
  10. ^ プロレスラーのYouTuberまとめ「こんなにいたんだ」「秘蔵ひぞうトークが面白おもしろい」 | プロレスTODAY” (2020ねん3がつ18にち). 2023ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  11. ^ 東中野ひがしなかのミツル, Writer: (2023ねん8がつ4にち). “マジですっげえプロレス!GLEAT(グレイト)両国りょうこく国技こくぎかん大会たいかいがYouTubeで無料むりょうせい中継ちゅうけいなきゃそんだぞ!”. びょうかんSUNDAY. 2023ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  12. ^ https://twitter.com/wwr_stardom/status/1713362620684906838?t=V4o7Ut5nOjKieUML6CIQzw&s=19”. X (formerly Twitter). 2023ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  13. ^ 34ねんぶりにかえってくる金曜きんようの「ワールドプロレスリング」…テレ朝てれあさの“決断けつだん”の裏側うらがわ”. スポーツ報知ほうち (2020ねん2がつ11にち). 2023ねん1がつ19にち閲覧えつらん
  14. ^ 【スターダム戦略せんりゃく発表はっぴょうかいまとめ】女子じょしプロレス『スターダム』ブシロードグループり2ねんきゅう成長せいちょう! 2022ねん1がつ~BS11全国ぜんこく放送ほうそう&TOKYO MXゴールデン開始かいし! 1/1『あけましてスターダム!元日がんじつ12あいだスペシャル』放送ほうそう決定けってい!! 1/1()22:00~よく1/2()11:00@TOKYO MXにてオンエア!”. スターダム✪STARDOM. 2023ねん1がつ19にち閲覧えつらん
  15. ^ スターダムが地上波ちじょうはゴールデン進出しんしゅつ女子じょしプロではぜんおんな以来いらい34ねんぶり MXテレビで/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2023ねん1がつ19にち閲覧えつらん
  16. ^ GAEAISM公式こうしきチャンネル - YouTube”. www.youtube.com. 2023ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  17. ^ にっテレプロレス中継ちゅうけいアーカイ公式こうしき】 - YouTube”. www.youtube.com. 2023ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  18. ^ にちテレプロレスアーカイブ プレミアムセレクションhttps://www.hulu.jp/nippon-television-pro-wrestling-archive-premium-selection2023ねん9がつ2にち閲覧えつらん 
  19. ^ Heidelberg Wrestling at Yesterday's KPTV site”. 2008ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  20. ^ WWEのプロレス実況じっきょう再開さいかい不可欠ふかけつなサービス」と認定にんてい”. CNN.co.jp. 2023ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  21. ^ 21ねんぶり、にっテレグループが全日本ぜんにほんプロレス中継ちゅうけい解説かいせつは「四天王してんのう小橋こはし建太けんた”. 読売新聞よみうりしんぶんオンライン (2022ねん9がつ12にち). 2023ねん8がつ28にち閲覧えつらん
  22. ^ 【GLEAT】吉野よしの正人まさとが「GLEAT チャンピオンベルト管理かんり委員いいんかい G PROWRESTLING 部門ぶもん コミッショナー」に就任しゅうにん | プロレスTODAY” (2022ねん10がつ3にち). 2023ねん8がつ28にち閲覧えつらん
  23. ^ NJPW WORLD NJPWWORLD NOW! #339 『GLEAT Ver.3 -旗揚はたあげ1周年しゅうねん記念きねん大会たいかい』を山崎やまざき&ミラノ&デスペラード&村田むらた解説かいせつ”. njpwworld.com. 2023ねん8がつ28にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]