1953年 ねん 4月 がつ 18日 にち に行 おこな われたアメリカのアップショット・ノットホール作戦 さくせん の火 ひ 球 だま
核兵器 かくへいき の歴史 れきし (かくへいきのれきし)では、核兵器 かくへいき の開発 かいはつ 史 し を時 とき 系列 けいれつ で記述 きじゅつ する。核兵器 かくへいき とは、核分裂 かくぶんれつ および核 かく 融合 ゆうごう を用 もち いた大量 たいりょう 破壊 はかい 兵器 へいき の総称 そうしょう である。
1930年代 ねんだい になされた核 かく 物理 ぶつり 学 がく 上 うえ の発見 はっけん によって核兵器 かくへいき の実現 じつげん 可能 かのう 性 せい が示 しめ された後 のち 、1940年代 ねんだい には実用 じつよう 兵器 へいき として使用 しよう できる原子 げんし 爆 ばく 弾 だん が開発 かいはつ され、冷戦 れいせん 期間 きかん 中 ちゅう に、米 べい ソ両国 りょうこく による核 かく 開発 かいはつ 競争 きょうそう を招 まね いた。21世紀 せいき 現在 げんざい においても核 かく 開発 かいはつ は続 つづ いている。
原子 げんし 爆 ばく 弾 だん と呼 よ ばれる核分裂 かくぶんれつ を利用 りよう した兵器 へいき は、最初 さいしょ ケベック協定 きょうてい を背景 はいけい としたアメリカ 、イギリス 、カナダ の協力 きょうりょく によるマンハッタン計画 けいかく によって開発 かいはつ された。そしてその計画 けいかく によって開発 かいはつ された核兵器 かくへいき は、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の終 お わりに広島 ひろしま と長崎 ながさき で実際 じっさい に使用 しよう された。ソ連 それん はその後 ご 独自 どくじ の核兵器 かくへいき 開発 かいはつ 計画 けいかく を進 すす め、1949年 ねん に原爆 げんばく を開発 かいはつ した。その後 ご 両国 りょうこく は、より強力 きょうりょく な水素 すいそ 爆 ばく 弾 だん 又 また は熱 ねつ 核 かく 爆 ばく 弾 だん と呼 よ ばれる核兵器 かくへいき を開発 かいはつ した。
冷戦 れいせん 期間 きかん 中 ちゅう を通 つう じて、米 べい ソ両国 りょうこく は数 すう 千 せん の核兵器 かくへいき を備蓄 びちく し、核弾頭 かくだんとう を備 そな えた世界 せかい のどこをも狙 ねら うことができるミサイルを多数 たすう 配備 はいび した。50年代 ねんだい から60年代 ねんだい にかけて他 た 3国 こく が核兵器 かくへいき を開発 かいはつ した。21世紀 せいき 初頭 しょとう 、少 すく なく見積 みつ もっても9つの国 くに が使用 しよう 可能 かのう な核兵器 かくへいき を所持 しょじ しているとされている。核兵器 かくへいき の脅威 きょうい と新 あら たな国 くに への核 かく 拡散 かくさん を防 ふせ ぐために、国際 こくさい 的 てき な交渉 こうしょう が数多 かずおお くなされている。
これまで、少 すく なくとも4回 かい の大 おお きな偽 にせ の核 かく 警報 けいほう が発令 はつれい されていて、最近 さいきん では1995年 ねん に起 お こっている[ 1] 。それらは、アメリカとロシア両方 りょうほう の早期 そうき 警戒 けいかい 手続 てつづ き (early warning protocols) による核 かく 攻撃 こうげき の可能 かのう 性 せい を招 まね いている[ 2] 。
ウラン235に中性子 ちゅうせいし が衝突 しょうとつ させられると、ウランはバリウム141とクリプトン92へ核分裂 かくぶんれつ し、1個 いっこ から3個 こ の熱 ねつ 中性子 ちゅうせいし を放出 ほうしゅつ する。そのとき同時 どうじ に莫大 ばくだい なエネルギーも放出 ほうしゅつ する。
20世紀 せいき の最初 さいしょ の10年 ねん に、原子 げんし の性質 せいしつ について物理 ぶつり 学 がく 上 じょう の革命 かくめい 的 てき な発見 はっけん がなされた。1898年 ねん に、フランス の物理 ぶつり 学者 がくしゃ のピエール・キュリー と、そのポーランド人 じん の妻 つま マリ・キュリー によってピッチブレンド (閃ウラン鉱 こう ) 内 ない から放射 ほうしゃ 性 せい 物質 ぶっしつ が発見 はっけん され、彼 かれ らはその放射 ほうしゃ 性 せい 物質 ぶっしつ をラジウム と名付 なづ けた[ 3] 。この発見 はっけん を知 し った科学 かがく 者 しゃ と一般 いっぱん の人 ひと たち両方 りょうほう は、我々 われわれ のまわりにある物質 ぶっしつ が、莫大 ばくだい な量 りょう の見 み えないエネルギーを有 ゆう していることを知 し り、これを利用 りよう できるかもしれないと考 かんが えるようになった。
1911年 ねん にアーネスト・ラザフォード によって行 おこな われた実験 じっけん によって、原子 げんし のほとんどの質量 しつりょう は、原子核 げんしかく と呼 よ ばれる原子 げんし の中心 ちゅうしん 部 ぶ に存在 そんざい しているということ、原子 げんし は陽子 ようし という正 せい の電化 でんか を持 も った粒子 りゅうし と、そのまわりを囲 かこ む電子 でんし を含 ふく むことが示 しめ された[ 4] [ 5] 。1932年 ねん に、ジェームス・チャドウィック は、原子核 げんしかく にはもう一 ひと つの基本 きほん 的 てき な要素 ようそ 、中性子 ちゅうせいし を含 ふく むことを発見 はっけん した[ 6] 。
同年 どうねん 、ジョン・コッククロフト とアーネスト・ウォルトン は、原子 げんし を世界 せかい で初 はじ めて"分割 ぶんかつ "し、元素 げんそ を別 べつ の元素 げんそ に人工 じんこう 的 てき に変換 へんかん する実験 じっけん を行 おこ なった[ 7] 。そして1933年 ねん 、レオ・シラード は、中性子 ちゅうせいし を用 もち いた連鎖 れんさ 反応 はんのう のアイデアを構想 こうそう し、原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の理論 りろん 的 てき な可能 かのう 性 せい を提案 ていあん した[ 8] 。シラードの取得 しゅとく した原子力 げんしりょく の利用 りよう に関 かん する特許 とっきょ は、1936年 ねん 、秘密裏 ひみつり にイギリス海軍 かいぐん に譲渡 ゆずりわた された。実際 じっさい に核兵器 かくへいき を開発 かいはつ したわけではないものの、このことをもってシラードを学術 がくじゅつ 的 てき な原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の父 ちち と呼 よ ぶものも居 い る。
1934年 ねん 、マリ・キュリーの娘 むすめ イレーヌ・ジョリオ=キュリー とその夫 おっと フレデリック は、アルミニウム へα線 あるふぁせん を照射 しょうしゃ することによって、人工 じんこう 放射 ほうしゃ 性 せい 同位 どうい 元素 げんそ の製造 せいぞう に成功 せいこう し、翌年 よくねん 二 に 人 にん はノーベル賞 しょう を得 え た[ 9] 。また同年 どうねん 、イタリア人 じん 物理 ぶつり 学者 がくしゃ のエンリコ・フェルミ は中性子 ちゅうせいし をウランへ照射 しょうしゃ することで、同様 どうよう に放射 ほうしゃ 性 せい 同位 どうい 体 たい が得 え られることを雑誌 ざっし のネイチャーで報告 ほうこく している[ 10] 。
1938年 ねん の12月、ドイツ人 じん 化学 かがく 者 しゃ のオットー・ハーン とフリッツ・シュトラスマン はウランへ中性子 ちゅうせいし を照射 しょうしゃ した後 のち 、ウランよりも原子 げんし 量 りょう の小 ちい さいバリウムが発見 はっけん されたと科学 かがく 雑誌 ざっし に発表 はっぴょう した[ 11] 。
同時 どうじ に、二人 ふたり はスウェーデンで働 はたら く物理 ぶつり 学者 がくしゃ のリーゼ・マイトナー にこの結果 けっか を手紙 てがみ で相談 そうだん した。マイトナーとその甥 おい オットー・ロベルト・フリッシュは、すぐにこの結果 けっか が、核分裂 かくぶんれつ (このときはそうは呼 よ ばれていなかったが) によるものだと解釈 かいしゃく した[ 12] 。
1939年 ねん 1月 がつ 13日 にち に、フリッシュはこれを実験 じっけん で確 たし かめている[ 13] 。
この実験 じっけん の見学 けんがく 希望 きぼう 者 しゃ の中 なか に、ウィリアム・A・アーノルド というアイルランド系 けい アメリカ人 じん 生物 せいぶつ 学者 がくしゃ がおり、彼 かれ の言葉 ことば からバクテリアの細胞 さいぼう 分裂 ぶんれつ になぞらえてこの現象 げんしょう を"分裂 ぶんれつ (fission) "と名付 なづ けたという[ 14] 。
オットーとストラスマンの実験 じっけん に対 たい するマイトナーとフリッツの解釈 かいしゃく は、すぐに公表 こうひょう 前 まえ から大西洋 たいせいよう を渡 わた り、アメリカのプリンストン大学 ぷりんすとんだいがく 教授 きょうじゅ ニールス・ボーア のもとへ届 とど けられた。プリンストンで働 はたら くコロンビア大学 ころんびあだいがく 教授 きょうじゅ のイジドール・イザーク・ラービ とウィリス・ラム の2人 ふたり は、核分裂 かくぶんれつ のニュースを聞 き き、それをコロンビア大学 ころんびあだいがく へ持 も ち帰 かえ った。そこで、ラービは数カ月 すうかげつ 前 ぜん ノーベル賞 しょう を受 う けたばかりのエンリコ・フェルミ にそのニュースを伝 つた えたという。フェルミは核分裂 かくぶんれつ が起 お こったという結果 けっか の正 ただ しさを確信 かくしん した。その後 ご すぐにボーアはフェルミに会 あ うためにプリンストンへ向 むか った。フェルミの教授 きょうじゅ 室 しつ には彼 かれ が居 い なかったので、ボーアはプリンストン大学 ぷりんすとんだいがく のサイクロトロン エリアへと降 お りていった。ボーアはそこで中性子 ちゅうせいし の研究 けんきゅう 中 ちゅう の大学院生 だいがくいんせい ハーバート・アンダーソンを見付 みつ けると、そこでウランの原子核 げんしかく の分裂 ぶんれつ と、その説明 せつめい モデルについて語 かた ったという[ 15] 。
ウランへ中性子 ちゅうせいし を照射 しょうしゃ したときに起 お きる核分裂 かくぶんれつ によって放出 ほうしゅつ されるエネルギーを計測 けいそく する必要 ひつよう がある、とコロンビア大学 ころんびあだいがく の多 おお くの科学 かがく 者 しゃ は考 かんが えていた。1939年 ねん の1月 がつ 25日 にち に、コロンビア大学 ころんびあだいがく の実験 じっけん チームは大学 だいがく 内 ない のピューピンホール(Pupin Hall)の地下 ちか で、アメリカ初 はつ の核分裂 かくぶんれつ 実験 じっけん を実施 じっし した[ 16] 。
ナチス が1938年 ねん にチェコスロバキア へ、次 つ いで1939年 ねん にポーランド へ侵攻 しんこう し、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が勃発 ぼっぱつ すると、ヨーロッパのトップ物理 ぶつり 学者 がくしゃ たちは差 さ し迫 せま った危機 きき を避 さ け、アメリカへと渡 わた っていった。枢軸 すうじく 国 こく 側 がわ 、連合 れんごう 国 こく 側 がわ 両方 りょうほう の科学 かがく 者 しゃ たちは、核分裂 かくぶんれつ を利用 りよう した兵器 へいき の実現 じつげん 可能 かのう 性 せい について自覚 じかく していたものの、その時点 じてん ではどのように実現 じつげん されるのかまったく分 わ かっていなかった。にもかかわらず、第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん の初期 しょき の数 すう 年 ねん のうちに、物理 ぶつり 学者 がくしゃ たちは不意 ふい に核 かく 物理 ぶつり 学 がく について公表 こうひょう することを差 さ し控 ひか えるようになった。敵対 てきたい する側 がわ がどんなアドバンテージも得 え られないようにするための自主 じしゅ 検閲 けんえつ であった。
1940年 ねん に英 えい 米 べい で発表 はっぴょう された日本 にっぽん の研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
1940年 ねん 5月 がつ 3日 にち 付 づ けの理研 りけん の仁科 にしな 芳雄 よしお と東京 とうきょう 帝国 ていこく 大学 だいがく 理学部 りがくぶ 化学 かがく 科 か の木村 きむら 健二郎 けんじろう 等 ひとし の論文 ろんぶん に、ウラン238 に高速 こうそく 中性子 ちゅうせいし を照射 しょうしゃ した実験 じっけん において、今 いま では核兵器 かくへいき の爆発 ばくはつ によって生成 せいせい することが知 し られているネプツニウム 237[ 17]
を生成 せいせい した[ 18] ことが記 しる され、同年 どうねん 、米国 べいこく の物理 ぶつり 学 がく 誌 し フィジカル・レビュー に掲載 けいさい された[ 19] 。また、同 どう 実験 じっけん では、1回 かい の核分裂 かくぶんれつ で10個 こ 以上 いじょう の中性子 ちゅうせいし が放出 ほうしゅつ され核分裂 かくぶんれつ 連鎖 れんさ 反応 はんのう (超 ちょう 臨界 りんかい )を伴 ともな うことが知 し られている対称 たいしょう 核分裂 かくぶんれつ による生成 せいせい 物 ぶつ [ 20] が生成 せいせい されたことが、『Fission Products of Uranium produced by Fast Neutrons(高速 こうそく 中性子 ちゅうせいし によって生成 せいせい された核分裂 かくぶんれつ 生成 せいせい 物 ぶつ )』と題 だい して、同年 どうねん 7月 がつ 6日 にち 付 づ けの英国 えいこく の学術 がくじゅつ 雑誌 ざっし ネイチャー に掲載 けいさい された[ 21] [ 22] 。
ロスアラモス研究所 けんきゅうじょ のリーダーを勤 つと め、"原爆 げんばく の父 ちち "と称 しょう される物理 ぶつり 学者 がくしゃ ロバート・オッペンハイマー
ウラン238 (青 あお ) とウラン235 (赤 あか ) の割合 わりあい 。 上 うえ から、天然 てんねん ウラン (ウラン235の含有 がんゆう 量 りょう 0.7 %) 、低 てい 濃縮 のうしゅく ウラン (3から4 %:原子力 げんしりょく 発電 はつでん の燃料 ねんりょう 用 よう ) 、高 こう 濃縮 のうしゅく ウラン (80 %超 ちょう :原子 げんし 爆 ばく 弾 だん 用 よう )
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の初期 しょき 、連合 れんごう 国 こく 側 がわ の科学 かがく 者 しゃ たちは、ドイツ国 こく がノルウェーに対 たい して重水 じゅうすい の全 ぜん 在庫 ざいこ を購入 こうにゅう する注文 ちゅうもん を行 おこな っていたことを察知 さっち し、ナチス・ドイツ が既 すで に独自 どくじ の原子 げんし 爆 ばく 弾 だん 開発 かいはつ 計画 けいかく を始 はじ めているのではないかと懸念 けねん していた。連合 れんごう 国 こく での最初 さいしょ の核兵器 かくへいき 開発 かいはつ に関 かん する組織 そしき 的 てき 研究 けんきゅう は、イギリス でチューブ・アロイズ の一部 いちぶ として開始 かいし された。アメリカでもレオ・シラード のフランクリン・ルーズベルト 大統領 だいとうりょう に対 たい する進言 しんげん ののち1939年 ねん に、リーマン・ジェイムス・ブリッグス (en:Lyman James Briggs ) の指揮 しき のもとでウラン諮問 しもん 委員 いいん 会 かい によって、アメリカでもウラン兵器 へいき の開発 かいはつ 可能 かのう 性 せい についての研究 けんきゅう が始 はじ められた。
イギリス人 じん 科学 かがく 者 しゃ によって、核兵器 かくへいき が数 すう 年 ねん 以内 いない に完成 かんせい しうるという計算 けいさん がなされたが、それを受 う けてアメリカで1941年 ねん には核兵器 かくへいき 開発 かいはつ を計画 けいかく する部局 ぶきょく が設立 せつりつ 、1942年 ねん にレズリー・グローヴス 准 じゅん 将 しょう の監督 かんとく のもとに「マンハッタン計画 けいかく 」としてアメリカで本格 ほんかく 的 てき な核兵器 かくへいき 開発 かいはつ が始 はじ まった。
アメリカの物理 ぶつり 学者 がくしゃ ロバート・オッペンハイマー によって指揮 しき されたこのプロジェクトは、当世 とうせい 最高 さいこう の科学 かがく 的 てき 知性 ちせい の持 も ち主 ぬし たち (その多 おお くはヨーロッパからの亡命 ぼうめい 者 もの であった) と、アメリカの工業 こうぎょう 力 りょく の粋 いき を結集 けっしゅう し、ドイツより先 さき に核分裂 かくぶんれつ を元 もと とした爆発 ばくはつ 装置 そうち を作 つく りあげるという目的 もくてき に向 む かって邁進 まいしん させた。イギリスとアメリカは、両国 りょうこく のリソースと情報 じょうほう をこの計画 けいかく のために共有 きょうゆう するという合意 ごうい に至 いた ったが、ソ連 それん などの他 ほか の連合 れんごう 国 こく には知 し らされなかった
[ 23] 。
濃縮 のうしゅく ウラン とプルトニウム の生産 せいさん のために、アメリカ各地 かくち に大 だい 規模 きぼ な新型 しんがた 物理 ぶつり 装置 そうち を備 そな えた秘密 ひみつ 工場 こうじょう が建設 けんせつ された。
莫大 ばくだい な工業 こうぎょう 力 りょく と科学 かがく 力 りょく によって、マンハッタン計画 けいかく は世界中 せかいじゅう の優 すぐ れた科学 かがく 者 しゃ を研究 けんきゅう ・開発 かいはつ の両面 りょうめん に巻 ま き込 こ んでいった。アメリカは前例 ぜんれい がないほどの莫大 ばくだい な投資 とうし をこの計画 けいかく の戦時 せんじ 中 ちゅう の研究 けんきゅう に費 つい やし、この研究 けんきゅう に関 かか わった研究所 けんきゅうじょ はアメリカ・カナダ の30ヶ所 かしょ 以上 いじょう にも登 のぼ る。科学 かがく 的 てき な研究 けんきゅう は、主 おも にロスアラモス研究所 けんきゅうじょ として知 し られる秘密 ひみつ 研究所 けんきゅうじょ で行 おこな われた。
さて、ウランは自然 しぜん 界 かい では2つの同位 どうい 体 たい 、ウラン238 とウラン235 として出現 しゅつげん する。ウラン235が中性子 ちゅうせいし を吸収 きゅうしゅう すると、核分裂 かくぶんれつ を起 お こし2つの核分裂 かくぶんれつ 生成 せいせい 物 ぶつ を産 う みだす。そのとき同時 どうじ に途方 とほう もないエネルギーと、平均 へいきん 2.5個 こ の中性子 ちゅうせいし を放出 ほうしゅつ する。しかしウラン238は、中性子 ちゅうせいし を吸収 きゅうしゅう しても核分裂 かくぶんれつ を起 お こさず、核分裂 かくぶんれつ 反応 はんのう を止 と める働 はたら きを持 も つ(但 ただ し、これは低速 ていそく な中性子 ちゅうせいし 線 せん の場合 ばあい であって、高速 こうそく な中性子 ちゅうせいし の照射 しょうしゃ によりU238も核分裂 かくぶんれつ を起 おこ し、U235と同様 どうよう に分裂 ぶんれつ に際 さい して大 おお きなエネルギーと中性子 ちゅうせいし を放出 ほうしゅつ する)。
ウランによる原子 げんし 爆 ばく 弾 だん を作成 さくせい するためには、ほとんど純粋 じゅんすい な (少 すく なくとも80 %の) ウラン235が必要 ひつよう であり、そうでなければウラン238が即座 そくざ に核分裂 かくぶんれつ の連鎖 れんさ 反応 はんのう を止 と めてしまうということが分 わ かった。最大 さいだい の難問 なんもん は、天然 てんねん ウランの中 なか でたった0.7 %しか含 ふく まれず、化学 かがく 的 てき な性質 せいしつ も変 か わらないウラン235だけを濃縮 のうしゅく することだ、とフェルミらマンハッタン計画 けいかく の科学 かがく 者 しゃ チームは即座 そくざ に認識 にんしき した。
戦時 せんじ のプロジェクト中 ちゅう に、遠心 えんしん 分離 ぶんり 法 ほう 、ガス拡散 かくさん 法 ほう そして電磁 でんじ 濃縮 のうしゅく 法 ほう という3つのウラン濃縮 のうしゅく 方法 ほうほう が開発 かいはつ された。そのどれも、ウラン238は235よりもほんの少 すこ しだけ原子 げんし 量 りょう が大 おお きいという物理 ぶつり 的 てき 性質 せいしつ を利用 りよう したものである。このうち遠心 えんしん 分離 ぶんり 法 ほう は効率 こうりつ が良 よ くなく、更 さら なる研究 けんきゅう を要 よう するため、早々 そうそう に放棄 ほうき された。アーネスト・ローレンス によって発明 はつめい されたサイクロトロン によって可能 かのう になったのが電磁 でんじ 濃縮 のうしゅく 法 ほう で、この方法 ほうほう は質量 しつりょう の差 さ によるローレンツ力 つとむ の違 ちが いに基 もと づいている。しかし、大金 たいきん を投 とう じて建設 けんせつ されたサイクロトロンによるウラン濃縮 のうしゅく も思 おも ったような成果 せいか を挙 あ げられなかった。ガス拡散 かくさん 法 ほう は、原子 げんし の質量 しつりょう 差 さ による気体 きたい の拡散 かくさん 速度 そくど の差 さ を利用 りよう したものであるが、これが当時 とうじ 一 いち 番 ばん 効率 こうりつ が良 よ く、別 べつ の秘密 ひみつ 研究所 けんきゅうじょ がテネシー州 しゅう オークリッジ に建設 けんせつ され、ウラン235の製造 せいぞう と精製 せいせい が大 だい 規模 きぼ に行 おこな われた。
ウラン濃縮 のうしゅく への投資 とうし は莫大 ばくだい であった。当時 とうじ 、オークリッジ内 ない の工場 こうじょう の一 ひと つであるK-25 (en:K-25 ) は、一 ひと つの建物 たてもの にある工場 こうじょう としては世界 せかい 最大 さいだい のものだった。オークリッジの研究所 けんきゅうじょ では最大 さいだい で1万 まん 人 にん もの従業 じゅうぎょう 員 いん を雇 やと っていたが、彼 かれ らのほとんどは自分 じぶん が何 なに をしているのかについて知 し らされていなかった。
ウラン238は原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の最初 さいしょ の段階 だんかい では使用 しよう できないものの、ウラン238が中性子 ちゅうせいし を吸収 きゅうしゅう すると最初 さいしょ 不安定 ふあんてい なウラン239となり、その後 ご いくつかの不安定 ふあんてい 核 かく への崩壊 ほうかい を経 へ て、安定 あんてい な核種 かくしゅ である人工 じんこう の原子 げんし プルトニウム 239に崩壊 ほうかい する。プルトニウムも核分裂 かくぶんれつ 性 せい の物質 ぶっしつ であり、核 かく 爆 ばく 弾 だん に使用 しよう しうる。反応 はんのう の制御 せいぎょ と持続 じぞく が可能 かのう な原子 げんし 堆 うずたか (atmic pile ) —原始 げんし 的 てき な原子 げんし 炉 ろ の呼 よ び方 かた —が世界 せかい で初 はじ めて、エンリコ・フェルミによってシカゴ大学 だいがく の地下 ちか に作 つく られ、その後 ご 大 だい 規模 きぼ な反応 はんのう 炉 ろ が秘密裏 ひみつり にワシントン州 しゅう のハンフォード・サイト として知 し られる場所 ばしょ へ建設 けんせつ された。ハンフォード・サイトでは、コロンビア川 がわ の水 みず を冷却 れいきゃく 水 すい として使 つか い、ウラン238を原爆 げんばく のためのプルトニウムへ変化 へんか させていた。
核分裂 かくぶんれつ 兵器 へいき を作動 さどう させるためには、中性子 ちゅうせいし が照射 しょうしゃ される際 さい に臨界 りんかい 質量 しつりょう の核分裂 かくぶんれつ 性 せい 物質 ぶっしつ がなければいけない。最 もっと も単純 たんじゅん な原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の動作 どうさ 方式 ほうしき は、ガンバレル型 がた 又 また はガンタイプと呼 よ ばれるもので、臨界 りんかい 量 りょう に達 たっ しない核分裂 かくぶんれつ 性 せい 物質 ぶっしつ (ウラン235など) に対 たい して別 べつ の核分裂 かくぶんれつ 物質 ぶっしつ を衝突 しょうとつ させ、臨界 りんかい を起 お こさせ、速 はや い速度 そくど で核分裂 かくぶんれつ の連鎖 れんさ を起 お こし、所望 しょもう の爆発 ばくはつ を生 しょう じさせるものである。1942年 ねん までに考案 こうあん された核兵器 かくへいき には、ウランを使用 しよう した「リトルボーイ 」、プルトニウム型 がた の「シン・マン 」、そして、爆 ばく 縮 ちぢみ 方式 ほうしき による「ファット・マン 」があった。
原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の2種類 しゅるい の起爆 きばく 方法 ほうほう 。 ガンバレル型 がた (上 うえ ) とインプロージョン型 がた (下 した )
1943年 ねん の始 はじ め、オッペンハイマーは、シン・マンとファット・マンの両方 りょうほう の計画 けいかく を続 つづ けるべきか決定 けってい しなければならなかった。プルトニウム砲身 ほうしん 型 がた は大量 たいりょう の研究 けんきゅう 資源 しげん を費 つい やしていたにもかかわらず、最 もっと も核 かく 爆 ばく 弾 だん を製造 せいぞう できるか不確 ふたし かなプロジェクトだった。1944年 ねん の4月 がつ にエミリオ・セグレ によって、これはシン・マンに使 つか われていたプルトニウムに、同位 どうい 体 たい のプルトニウム240が含 ふく まれており、それが不完全 ふかんぜん 核 かく 爆発 ばくはつ を起 お こしたためであるとされている。そのため、リトルボーイとファットマンの研究 けんきゅう のみが続 つづ けられることとなった。
特 とく に、爆 ばく 縮 ちぢみ 方式 ほうしき によるファットマンの開発 かいはつ が優先 ゆうせん されることになった。その方法 ほうほう は、化学 かがく 的 てき な爆発 ばくはつ 物 ぶつ を使 つか い、臨界 りんかい 量 りょう 以下 いか のプルトニウムを周囲 しゅうい から強 つよ い圧力 あつりょく を掛 か けて圧縮 あっしゅく し、臨界 りんかい を起 お こさせるというものである。爆 ばく 縮 ちぢみ 方式 ほうしき には、火薬 かやく の衝撃波 しょうげきは を完全 かんぜん に均等 きんとう な形 かたち でプルトニウムに伝 つた えなければならないという難問 なんもん がある。もし、わずかでも圧縮 あっしゅく 力 りょく が不 ふ 均等 きんとう だった場合 ばあい 、臨界 りんかい を起 お こす前 まえ にプルトニウムもろとも木 こ っ端微塵 ぱみじん に飛散 ひさん してしまい、効果 こうか 的 てき な爆発 ばくはつ を起 お こすことができなくなってしまう。爆破 ばくは 加工 かこう に用 もち いられていた爆薬 ばくやく レンズ を応用 おうよう し、光学 こうがく 的 てき なレンズ のように、燃焼 ねんしょう 速度 そくど の速 はや い火薬 かやく と遅 おそ い火薬 かやく を組 く み合 あ わせることで、対称 たいしょう な衝撃波 しょうげきは を伝 つた える、という方法 ほうほう によってこの問題 もんだい は解決 かいけつ された。
Dデイ の後 のち 、グローブス将軍 しょうぐん はアルソス (英語 えいご 版 ばん ) 計画 けいかく (Project Alsos) として知 し られる科学 かがく 者 しゃ チームに命 めい じて、ヨーロッパに上陸 じょうりく し東 ひがし へと邁進 まいしん する連合 れんごう 国軍 こくぐん に追従 ついしょう してドイツの核 かく 計画 けいかく の進行 しんこう 状 じょう 況 きょう を調 しら べさせ、また同時 どうじ に、侵攻 しんこう してくるソ連 それん 軍 ぐん にドイツの核 かく 物質 ぶっしつ や人材 じんざい を奪 うば われないようにさせた。ナチスドイツもヴェルナー・ハイゼンベルク らによって原爆 げんばく 製造 せいぞう を計画 けいかく していたものの、結果 けっか としては、ナチスは計画 けいかく に対 たい して目立 めだ った投資 とうし をしておらず、それゆえ成功 せいこう とはほど遠 とお いものだったという。
一部 いちぶ の歴史 れきし 家 か は、このとき科学 かがく 者 しゃ チームはナチスの核 かく 爆 ばく 弾 だん のラフな設計 せっけい 図 ず を発見 はっけん した、と主張 しゅちょう している[ 24] 。研究 けんきゅう は、ドイツ核 かく エネルギー計画 けいかく (en:German nuclear energy project ) によって指揮 しき されていた。1945年 ねん の3月 がつ には、物理 ぶつり 学者 がくしゃ クルト・ディーブナー (en:Kurt Diebner ) によってナチスの科学 かがく 者 しゃ チームが指揮 しき されていて、原始 げんし 的 てき な核 かく 装置 そうち の開発 かいはつ に当 あ たっていたとされる[ 24] [ 25] 。
1945年 ねん 5月8日 にち にドイツが連合 れんごう 国 こく に対 たい して無条件 むじょうけん 降伏 ごうぶく した時点 じてん で、マンハッタン計画 けいかく は、いまだ使用 しよう できる兵器 へいき の完成 かんせい まで数 すう ヶ月 かげつ 遅 おく れていた。同年 どうねん 4月 がつ にはアメリカの大統領 だいとうりょう フランクリン・ルーズベルト が死去 しきょ し、前 ぜん 副 ふく 大統領 だいとうりょう であったハリー・トルーマン が後 ご を継 つ いだ。当時 とうじ は戦時 せんじ であり、なし崩 くず し的 てき に大統領 だいとうりょう の権限 けんげん は拡大 かくだい しており、トルーマンは大統領 だいとうりょう 就任 しゅうにん まで核 かく 開発 かいはつ 計画 けいかく について知 し らされていなかったと伝 つた えられている[ 26] 。トルーマンは大統領 だいとうりょう 就任 しゅうにん 後 ご 24時間 じかん 以内 いない に、この戦時 せんじ 秘密 ひみつ 計画 けいかく について初 はじ めて知 し らされたという。とはいえ、まったく無知 むち であったわけではないようで、『トルーマン委員 いいん 会 かい 』と呼 よ ばれた上院 じょういん 国家 こっか 防衛 ぼうえい 調査 ちょうさ 委員 いいん 会 かい において、莫大 ばくだい な戦費 せんぴ が使 つか われていることを知 し り、調査 ちょうさ 活動 かつどう に出 で たがスティムソン 軍事 ぐんじ 長官 ちょうかん の要請 ようせい を受 う けて中止 ちゅうし したという[ 26] 。
核 かく の時代 じだい の幕開 まくあ けを告 つ げる、トリニティ実験 じっけん で発生 はっせい した人類 じんるい 初 はつ の核 かく の火 ひ 球 だま 。
確実 かくじつ に動作 どうさ するプルトニウム兵器 へいき を作 つく るのは難 むずか しかったので、事前 じぜん に核 かく 実験 じっけん の実施 じっし が望 のぞ まれた。トルーマンは、すぐ後 のち に控 ひか えた戦後 せんご のヨーロッパ情勢 じょうせい を決定 けってい する会談 かいだん を有利 ゆうり に進 すす めるため、その前 まえ に核 かく 実験 じっけん の結果 けっか を知 し りたいと望 のぞ んでいた。1945年 ねん 7月 がつ 16日 にち 、ニューメキシコ州 しゅう アラモゴード 北 きた の砂漠 さばく で、ガジェット と名付 なづ けられた原爆 げんばく を用 もち いてトリニティ実験 じっけん というコードネームを付 つ けられた人類 じんるい 最初 さいしょ の核 かく 実験 じっけん が実施 じっし された。原爆 げんばく はTNT 換算 かんさん で約 やく 19 ktものエネルギーを放出 ほうしゅつ した。これは当時 とうじ までに使用 しよう されたあらゆる兵器 へいき の威力 いりょく を上回 うわまわ るものであった。実験 じっけん 成功 せいこう のニュースは直 ただ ちにトルーマン大統領 だいとうりょう へ届 とど けられた。
トルーマンは、科学 かがく 者 しゃ たちや軍 ぐん 上層 じょうそう 部 ぶ の日本 にっぽん への原爆 げんばく 使用 しよう 方法 ほうほう についての意見 いけん を総合 そうごう し、最終 さいしゅう 的 てき に日本 にっぽん の都市 とし へ原爆 げんばく を投下 とうか することを決定 けってい した。一部 いちぶ には、原爆 げんばく をデモンストレーション用 よう として無人 むじん の地区 ちく に使用 しよう するべきとの意見 いけん [ 27] [ 28] もあったが、大 だい 部分 ぶぶん は人 ひと の住 す む都市 とし で実際 じっさい に原爆 げんばく が兵器 へいき として使 つか われることを望 のぞ んだ[ 29] 。これには、日本 にっぽん 政府 せいふ に対 たい して抗戦 こうせん の意図 いと を挫 くじ くために強力 きょうりょく なメッセージを送 おく り、特 とく に日本 にっぽん 本土 ほんど に対 たい しての上陸 じょうりく 作戦 さくせん を不要 ふよう にすることによって、米 べい 軍 ぐん 将兵 しょうへい の犠牲 ぎせい を減 へ らすという軍事 ぐんじ 的 てき な動機 どうき に基 もと づくものであったとされる。もし本土 ほんど への上陸 じょうりく が行 おこな われれば、米 べい 軍 ぐん 将兵 しょうへい の死傷 ししょう 者 しゃ は50万 まん 人 にん を超 こ える[ 30] とされており、また日本 にっぽん 側 がわ にも同数 どうすう 以上 いじょう の犠牲 ぎせい 者 しゃ が出 で ると想定 そうてい されたので、トルーマンは「原爆 げんばく の投下 とうか は戦争 せんそう を短縮 たんしゅく し、何 なん 百 ひゃく 万 まん もの生命 せいめい を救 すく った ("We have used it in order to shorten the agony of war, in order to save the lives of thousands and thousands of young Americans.")」[ 31] と主張 しゅちょう している。
原爆 げんばく 投下 とうか 後 ご の広島 ひろしま の廃墟 はいきょ
1945年 ねん 5月 がつ 10日 とおか ロスアラモス内 ない のオッペンハイマーの執務 しつむ 室 しつ で、8月 がつ 初 はじ めに使用 しよう 予定 よてい の2発 はつ の原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の投下 とうか 目標 もくひょう として、次 つぎ の4都市 とし がはじめて選定 せんてい された[ 32] 。それは、京都 きょうと 、広島 ひろしま 、横浜 よこはま 、小倉 おぐら である。最終 さいしゅう 的 てき には、広島 ひろしま と長崎 ながさき がターゲットに選 えら ばれ、1945年 ねん 8月 がつ 6日 にち に広島 ひろしま へウラン型 がた 原爆 げんばく のリトルボーイが、3日 にち 後 ご にプルトニウム型 がた のファットマンが長崎 ながさき へ投下 とうか された。犠牲 ぎせい 者 しゃ については諸説 しょせつ あるが、2発 はつ の原爆 げんばく で計 けい 20万 まん 人 にん 程度 ていど が亡 な くなったとされている[ 33] 。
日本 にっぽん に対 たい する原爆 げんばく の使用 しよう が不可避 ふかひ であったのかには議論 ぎろん がある[ 34] が、ソ連 それん への示威 じい 行為 こうい であったとの指摘 してき もある。
マンハッタン計画 けいかく は米 べい 英 えい 加 か の共同 きょうどう 作業 さぎょう であり、情報 じょうほう 共有 きょうゆう の賜物 たまもの であったが、アメリカの1946年 ねん 原子力 げんしりょく 法 ほう (英語 えいご 版 ばん ) で導入 どうにゅう された「ボーン・シークレット 」である秘密 ひみつ 資料 しりょう の管理 かんり により、協力 きょうりょく 体制 たいせい は実質 じっしつ 的 てき には一旦 いったん 終 お わりを迎 むか えた。
ソビエト連邦 れんぽう (ソ連 それん )は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく と他 た の連合 れんごう 国 こく 間 あいだ による核 かく 開発 かいはつ 計画 けいかく の共有 きょうゆう に参加 さんか できなかった。しかし、戦時 せんじ 中 ちゅう を通 とお して、ソ連 それん は多 おお くの情報 じょうほう をマンハッタン計画 けいかく 内 うち の自主 じしゅ 的 てき なスパイ から受 う けとっていたとされている
(ヴェノナ・プロジェクト も参照 さんしょう 。ソビエトの暗号 あんごう 通信 つうしん では、Enormozというコードネームで知 し られていた)。
また、ソ連 それん の核 かく 物理 ぶつり 学者 がくしゃ イーゴリ・クルチャトフ は、連合 れんごう 国 こく の兵器 へいき 開発 かいはつ を注意深 ちゅういぶか く見守 みまも っていた。そのため、ポツダム会談 かいだん の席 せき でヨシフ・スターリン はトルーマン に、アメリカが"強力 きょうりょく な新型 しんがた 兵器 へいき "を開発 かいはつ した、と聞 き かされても驚 おどろ かなかった。スターリンが興味 きょうみ を示 しめ さないことに、トルーマンはショックを受 う けたという。
マンハッタン計画 けいかく でのソ連 それん のスパイは、全員 ぜんいん 自主 じしゅ 的 てき なスパイであり、ロシア人 じん は居 い なかった
[ 35]
[ 36] 。
スパイの中 なか には、ドイツからの亡命 ぼうめい 者 もの である理論 りろん 物理 ぶつり 学者 がくしゃ のクラウス・フックス などがおり、貴重 きちょう な情報 じょうほう が彼 かれ によってソ連 それん にもたらされたという。その他 た 、ロスアラモスに居 い たスパイ (お互 たが いに面識 めんしき はなかったが) には、セオドア・ホール (en:Theodore Hall ) やデビッド・グリーングラス (en:David Greenglass ) などが居 い る。しかしロシアはまだ大 だい 祖国 そこく 戦争 せんそう (独 どく ソ戦 せん )で忙 いそが しかったため、これらの情報 じょうほう を生 い かすのには戦後 せんご を待 ま たなければいけなかった。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 直後 ちょくご の年 とし 、核兵器 かくへいき の国際 こくさい 的 てき な統制 とうせい の必要 ひつよう 性 せい が世界中 せかいじゅう で議論 ぎろん の的 まと となった。原爆 げんばく 開発 かいはつ に関 かか わったロスアラモスの科学 かがく 者 しゃ たちは、「原子力 げんしりょく の国際 こくさい 統制 とうせい 」の必要 ひつよう 性 せい を説 と き、1945年 ねん 11月には米 べい 英 えい 加 か 3国 こく によって原子力 げんしりょく の国際 こくさい 管理 かんり を司 つかさど る委員 いいん 会 かい の国連 こくれん への設置 せっち が提案 ていあん
[ 37] 、
12月27日 にち の米 べい 英 えい ソ外相 がいしょう 級 きゅう が臨席 りんせき したモスクワ三 さん 国 こく 外相 がいしょう 会議 かいぎ では国連 こくれん での設置 せっち 検討 けんとう が声明 せいめい として盛 も り込 こ まれ、翌 よく 46年 ねん には原子力 げんしりょく 委員 いいん 会 かい を安全 あんぜん 保障 ほしょう 理事 りじ 会 かい のもとに設立 せつりつ することが決議 けつぎ された。それにもかかわらず、米国 べいこく は国際 こくさい 管理 かんり 体制 たいせい が機能 きのう するようになるまでは原爆 げんばく を保有 ほゆう し続 つづ ける姿勢 しせい を明確 めいかく にしたため、早々 そうそう とソ連 それん の離反 りはん を招 まね き、ソ連 それん は独自 どくじ の核兵器 かくへいき の開発 かいはつ を進 すす めることとなった。国連 こくれん 原子力 げんしりょく 委員 いいん 会 かい は1948年 ねん 5月 がつ に無 む 期限 きげん 休会 きゅうかい した。
その後 ご 、マンハッタン計画 けいかく から得 え た情報 じょうほう を元 もと にしながら、ソ連 それん はその工業 こうぎょう 力 りょく と人材 じんざい を核 かく 開発 かいはつ へと注 つ ぎ込 こ んだ。ソ連 それん の核 かく 開発 かいはつ 計画 けいかく でまず問題 もんだい となったのは、兵器 へいき として使用 しよう 可能 かのう なウランをどこから採掘 さいくつ するかという問題 もんだい である。ソ連 それん 領土 りょうど 内 ない からはウランを発見 はっけん できず、またアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく は当時 とうじ 知 し られていた最大 さいだい の (純度 じゅんど の高 たか い) ベルギー領 りょう コンゴのウラン鉱山 こうざん を独占 どくせん していた。ソ連 それん は囚人 しゅうじん を使 つか ってチェコスロヴァキア 内 うち の旧 ふる い鉱山 こうざん を発掘 はっくつ させ、最終 さいしゅう 的 てき にはウランを発見 はっけん した。
ソ連 それん は、NKVD の議長 ぎちょう ラヴレンチー・ベリヤ (スターリンの腹心 ふくしん であり大 だい 粛清 しゅくせい の実行 じっこう 者 しゃ として知 し られる) の監督 かんとく のもとで「原爆 げんばく 開発 かいはつ プロジェクト 」を開始 かいし 、それらのプロジェクトは"秘密 ひみつ 都市 とし "と呼 よ ばれる地図 ちず にすら載 の らない都市 とし の中 なか だけで研究 けんきゅう されていた。
ロスアラモスを模 も したソ連 それん の都市 とし 、サロフ では物理 ぶつり 学者 がくしゃ のユーリ・ハリトン が原爆 げんばく 開発 かいはつ の科学 かがく 的 てき な指揮 しき を取 と った。しかし、監督 かんとく 者 しゃ たるベリヤは科学 かがく 者 しゃ たちのことも、集 あつ められたスパイの情報 じょうほう も信用 しんよう していなかった。そのため、ベリヤは複数 ふくすう の科学 かがく 者 しゃ チームを (互 たが いにそうとは知 し らせずに) 同 おな じタスクに割 わ り当 あ てさせ、もしそれぞれが違 ちが う結果 けっか に至 いた った場合 ばあい のみ、彼 かれ らを互 たが いに引 ひ き会 あ わせ結果 けっか を議論 ぎろん させた。彼 かれ は研究 けんきゅう の進行 しんこう 状 じょう 況 きょう の二 に 重 じゅう 確認 かくにん のために科学 かがく 者 しゃ たちの間 あいだ にスパイをもぐりこませたという。また、ベリヤは効率 こうりつ 的 てき な原爆 げんばく の設計 せっけい ではなく、アメリカによって成功 せいこう が確 たし かめられた、ファットマン型 がた の原爆 げんばく を開発 かいはつ することを決定 けってい した。
頑強 がんきょう で科学 かがく 的 てき な知識 ちしき の欠 か けたベリヤの監督 かんとく の下 した ではあったものの、ソ連 それん の科学 かがく 者 しゃ たちは研究 けんきゅう を続 つづ け、1949年 ねん 8月 がつ 29日 にち には、アメリカ側 がわ では"Joe-1"(RDS-1 )と呼 よ ばれたソ連 それん 初 はつ の原爆 げんばく 実験 じっけん がセミパラチンスク核 かく 実験 じっけん 場 じょう で行 おこな われた。アメリカの見込 みこみ よりも数 すう 年 ねん 早 はや い完成 かんせい だった。ソ連 それん が最初 さいしょ の核兵器 かくへいき を開発 かいはつ したというニュースは、アメリカによって世界 せかい へもたらされた。というのは、アメリカがカザフスタン 国境 こっきょう 近 ちか くで放射 ほうしゃ 性 せい 降下 こうか 物 ぶつ を観測 かんそく したためである。
アメリカは核兵器 かくへいき の「独占 どくせん 」を失 うしな い、この後 のち 両国 りょうこく は終 お わりのない核 かく 開発 かいはつ 競争 きょうそう を続 つづ けていくことになる。ソ連 それん の核 かく 開発 かいはつ はアメリカで恐怖 きょうふ をもって受 う けいれられ、ジョセフ・マッカーシー 上院 じょういん 議員 ぎいん による赤狩 あかが り (マッカーシズム )のような事件 じけん を引 ひ き起 お こした。しかし、近年 きんねん ソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 のち に得 え られた情報 じょうほう によると、ソ連 それん のスパイは全員 ぜんいん この赤狩 あかが りを逃 のが れていたとされている。
ハンガリー人 じん 物理 ぶつり 学者 がくしゃ のエドワード・テラー は、水爆 すいばく の起爆 きばく 方法 ほうほう の研究 けんきゅう に従事 じゅうじ し、"水爆 すいばく の父 ちち "と呼 よ ばれている。
核分裂 かくぶんれつ 兵器 へいき を核 かく 融合 ゆうごう 過程 かてい の点火 てんか に使 つか うことができるかもしれないという考 かんが えは、1941年 ねん にまで遡 さかのぼ る。
真偽 しんぎ のほどは分 わ からないが、日本 にっぽん の京都 きょうと 大学 だいがく 理学部 りがくぶ の萩原 はぎはら 篤太郎 とくたろう が1941年 ねん 5月 がつ の講演 こうえん のなかで、U235の爆発 ばくはつ 的 てき 連鎖 れんさ 反応 はんのう についてと、それを起爆 きばく 剤 ざい とした水素 すいそ の熱 ねつ 核 かく 融合 ゆうごう のアイデアを議論 ぎろん したと言 い われている[ 38] 。
1942年 ねん には、バークレー のカリフォルニア大学 だいがく でオッペンハイマーが開催 かいさい した、最初 さいしょ の核兵器 かくへいき の開発 かいはつ に関 かん する核 かく 物理 ぶつり 学理 がくり 論 ろん のカンファレンスにおいて、参加 さんか 者 しゃ の一人 ひとり のエドワード・テラー は、エンリコ・フェルミの提案 ていあん した、太陽 たいよう の力 ちから そのものと同 おな じ反応 はんのう を用 もち いる超 ちょう 強力 きょうりょく 爆 ばく 弾 だん の開発 かいはつ を進 すす めるべきだと強硬 きょうこう に主張 しゅちょう した[ 39] 。テラーは共産 きょうさん 革命 かくめい 下 か のハンガリーで少年 しょうねん 期 き を過 す ごし、それ以来 いらい 共産党 きょうさんとう をそしてソ連 それん を恐 おそ れ憎 にく んでいた。ソビエトの脅威 きょうい に対抗 たいこう することのできる超 ちょう 強力 きょうりょく 兵器 へいき の開発 かいはつ を、自分 じぶん の天命 てんめい だと考 かんが えていたのである[ 40] 。
しかし当時 とうじ は、核分裂 かくぶんれつ 爆 ばく 弾 だん の開発 かいはつ のほうが容易 ようい で、水素 すいそ 爆 ばく 弾 だん よりは第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の終了 しゅうりょう までに完成 かんせい できる可能 かのう 性 せい が高 たか いと考 かんが えられていた。しかし、実際 じっさい のところ"普通 ふつう の"原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の開発 かいはつ すらその後 ご 数 すう 年間 ねんかん の莫大 ばくだい な研究 けんきゅう を要 よう したので、実現 じつげん 可能 かのう 性 せい に乏 とぼ しい超 ちょう 強力 きょうりょく 爆 ばく 弾 だん にはあまり関心 かんしん が向 む けられなかった。テラーだけが、計画 けいかく のリーダーのオッペンハイマーとハンス・ベーテ の指示 しじ に逆 さか らい、水爆 すいばく の研究 けんきゅう を続 つづ けていた。
日本 にっぽん への原爆 げんばく 投下 とうか の後 のち 、ロスアラモスの多 おお くの科学 かがく 者 しゃ たちは、最初 さいしょ の原爆 げんばく よりも強力 きょうりょく な兵器 へいき を作 つく るという考 かんが えに反対 はんたい し、研究所 けんきゅうじょ を去 さ っていった。彼 かれ らの疑問 ぎもん は、一部 いちぶ は技術 ぎじゅつ 的 てき なもの、つまり、そのような兵器 へいき の設計 せっけい がうまくできるのかどうか分 わ からなかったというものもあるし、そのほかには道徳 どうとく 的 てき な疑問 ぎもん もあった。そのような超 ちょう 強力 きょうりょく 兵器 へいき は、科学 かがく 者 しゃ たちの考 かんが えによると、戦場 せんじょう では使 つか えず、それゆえ一般 いっぱん 市民 しみん に対 たい する虐殺 ぎゃくさつ 用 よう の兵器 へいき としてしか使 つか えないものであるからだ。
ベーテ、そしてフェルミのような多 おお くの科学 かがく 者 しゃ たちは、アメリカはそのような兵器 へいき を作 つく るべきではなく、もしも開発 かいはつ すればソ連 それん による水爆 すいばく の軍拡 ぐんかく を招 まね くと主張 しゅちょう して反対 はんたい した。一方 いっぽう で水爆 すいばく の推進 すいしん 者 しゃ たち、テラーやアーネスト・ローレンス 、ルイ・アルヴァレ らは、そのような兵器 へいき の開発 かいはつ は避 さ けられないことであって、水爆 すいばく の否定 ひてい はアメリカ国民 こくみん の防衛 ぼうえい を否定 ひてい するものであると主張 しゅちょう した。
このとき、マンハッタン計画 けいかく を継承 けいしょう したGeneral Advisory Committeeのリーダであったオッペンハイマーは、アメリカ原子力 げんしりょく 委員 いいん 会 かい において水爆 すいばく の開発 かいはつ をしないように提言 ていげん した[ 41] 。その理由 りゆう は、オッペンハイマーの考 かんが えによると、水爆 すいばく 技術 ぎじゅつ の開発 かいはつ によるソ連 それん に対 たい するアドバンテージは一時 いちじ 的 てき なものであり、また合衆国 がっしゅうこく の原子力 げんしりょく 開発 かいはつ のリソースを水爆 すいばく の開発 かいはつ に向 む けるよりは、強力 きょうりょく で数 すう 多 おお くの原爆 げんばく の開発 かいはつ ・生産 せいさん に向 む けたほうがより効率 こうりつ 的 てき であるとの考 かんが えたからであった。より多 おお くの原子 げんし 爆 ばく 弾 だん を所持 しょじ したほうが、巨 きょ 大 だい で扱 あつか いにくく、限 かぎ られた標的 ひょうてき しか破壊 はかい できない強力 きょうりょく な水爆 すいばく を所持 しょじ するよりは有効 ゆうこう だ、というのである。
それに加 くわ えて、もしそのような強力 きょうりょく な兵器 へいき が米 べい ソ両国 りょうこく によって開発 かいはつ されたのならば、それがアメリカに対 たい して使 つか われたときのほうがより破壊 はかい 的 てき な効果 こうか をもたらすと考 かんが えられた。それは、アメリカのほうが都市 とし の工業 こうぎょう の集積 しゅうせき 度 ど と人口 じんこう 密度 みつど が高 たか い地域 ちいき が多 おお く存在 そんざい し、巨 きょ 大兵 だいひょう 器 き による理想 りそう 的 てき な標的 ひょうてき となるからである。
1952年 ねん のアイビー作戦 さくせん での最初 さいしょ の水爆 すいばく の火 ひ 球 だま
結局 けっきょく 、トルーマン大統領 だいとうりょう は、ソ連 それん による1949年 ねん の核 かく 実験 じっけん を受 う け、最終 さいしゅう 決断 けつだん を下 くだ した。1950年 ねん 1月 がつ 31日 にち 、トルーマンは水爆 すいばく 開発 かいはつ の強硬 きょうこう 計画 けいかく を表明 ひょうめい した。テラーの提案 ていあん した原子力 げんしりょく の第 だい 二 に 研究所 けんきゅうじょ 、ローレンス・リバモア国立 こくりつ 研究所 けんきゅうじょ が建設 けんせつ され研究 けんきゅう が始 はじ まった。しかしこの時点 じてん では、水爆 すいばく の正確 せいかく なメカニズムはいまだ知 し られていなかった。"伝統 でんとう 的 てき な"水素 すいそ 爆 ばく 弾 だん —核分裂 かくぶんれつ の熱 ねつ を核 かく 融合 ゆうごう 物質 ぶっしつ の点火 てんか に使 つか うもの—は動作 どうさ しえないと思 おも われていた。しかし、ロスアラモスの数学 すうがく 者 しゃ スタニスワフ・ウラム の洞察 どうさつ によって、原子 げんし 爆 ばく 弾 だん と核 かく 融合 ゆうごう 物質 ぶっしつ を爆 ばく 弾 だん の中 なか の別 べつ の場所 ばしょ に配置 はいち し、原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の圧力 あつりょく を核 かく 融合 ゆうごう 物質 ぶっしつ を起爆 きばく する前 ぜん 段階 だんかい の圧縮 あっしゅく に使 つか えば核 かく 融合 ゆうごう 兵器 へいき が実現 じつげん 可能 かのう だということが示 しめ された。
テラーはこの考 かんが えを更 さら に押 お し進 すす め、"George"と名付 なづ けられた強化 きょうか 型 がた の核分裂 かくぶんれつ 実験 じっけん (少量 しょうりょう の核 かく 融合 ゆうごう 燃料 ねんりょう を用 もち いて核分裂 かくぶんれつ 反応 はんのう を強化 きょうか した装置 そうち ) を行 おこな い重水 じゅうすい の核 かく 融合 ゆうごう の実現 じつげん 可能 かのう 性 せい を確 たし かめ、その後 ご 真 しん の多 た 段階 だんかい 水爆 すいばく 、テラー・ウラム型 がた 水爆 すいばく 実験 じっけん を実施 じっし した。オッペンハイマーやベーテといった多 おお くの科学 かがく 者 しゃ たちは最初 さいしょ この兵器 へいき に反対 はんたい したが、その後 ご この種 たね の兵器 へいき の開発 かいはつ が止 と められないと分 わ かると考 かんが えを覆 くつがえ した。
最初 さいしょ の核 かく 融合 ゆうごう 爆 ばく 弾 だん 実験 じっけん は、1952年 ねん 11月1日 にち アメリカでアイビー作戦 さくせん としてエニウェトク環礁 かんしょう で実行 じっこう された[ 42] 。コードネームはマイク (Mike) と名付 なづ けられた。マイクは液体 えきたい の重水素 じゅうすいそ を核 かく 融合 ゆうごう 燃料 ねんりょう として使 つか い、原子 げんし 爆 ばく 弾 だん を起爆 きばく 装置 そうち として用 もち いるものであった。この水爆 すいばく はプロトタイプであり、実戦 じっせん 兵器 へいき としては使用 しよう できないものだった。というのは、6mもの高 たか さと64tもの重量 じゅうりょう があり、それに加 くわ えて重水素 じゅうすいそ を液体 えきたい に保 たも つための、10tを超 こ える重量 じゅうりょう の冷却 れいきゃく 装置 そうち まであったので、その当時 とうじ のいかなる飛行機 ひこうき によっても運搬 うんぱん できなかったからである。
マイクの爆発 ばくはつ は10.4メガトンのエネルギーを放出 ほうしゅつ した。これは長崎 ながさき に落 お とされた原爆 げんばく の450倍 ばい を超 こ えるものである。水爆 すいばく の設置 せっち されたエルゲラブ島 とう は跡形 あとかた もなく消滅 しょうめつ し、直径 ちょっけい 1.9km、深 ふか さ50mにもなるクレーターが水中 すいちゅう に形成 けいせい された。トルーマンは最初 さいしょ 、次 つぎ の大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ への影響 えいきょう を考 かんが え実験 じっけん について秘密 ひみつ にしようとしたが、1953年 ねん 1月 がつ 7日 にち 、トルーマンはメディアを通 つう じて水爆 すいばく 開発 かいはつ の成功 せいこう を示唆 しさ した。
テラー・ウラム型 がた 水爆 すいばく の基礎 きそ 。原爆 げんばく は核 かく 融合 ゆうごう 燃料 ねんりょう の圧縮 あっしゅく と起爆 きばく に使用 しよう される。
ソ連 それん はそれに負 ま けることなく、1953年 ねん 8月 がつ 12日 にち にアンドレイ・サハロフ によって設計 せっけい された最初 さいしょ の熱 ねつ 核兵器 かくへいき を爆発 ばくはつ させた。これは西側 にしがわ では"Joe-4"(RDS-6 )として知 し られている。ソ連 それん の水爆 すいばく 開発 かいはつ はアメリカ政府 せいふ と軍部 ぐんぶ 両方 りょうほう に、ソ連 それん が既 すで に運搬 うんぱん 可能 かのう な水爆 すいばく を所有 しょゆう しているのではないかとの懸念 けねん を抱 いだ かせた。しかし、ソ連 それん の最初 さいしょ の"水爆 すいばく "は真 しん の水爆 すいばく ではなく、数 すう 百 ひゃく キロトンのエネルギーを放出 ほうしゅつ しただけだとされている。しかし、この兵器 へいき の完成 かんせい はソ連 それん にとって強力 きょうりょく なプロパガンダの道具 どうぐ となり、技術 ぎじゅつ 的 てき な違 ちが いはアメリカの一般 いっぱん 市民 しみん と政治 せいじ 家 か に無視 むし された。
ソ連 それん の水爆 すいばく 実験 じっけん がマイクのすぐ後 ご に行 おこな われたので、結局 けっきょく のところアメリカの水爆 すいばく 開発 かいはつ は避 さ けられなかったのだ、水爆 すいばく 開発 かいはつ の推進 すいしん は正 ただ しかったのだ、とテラーら水素 すいそ 爆 ばく 弾 だん の推進 すいしん 者 しゃ たちは自 みずか らを正当 せいとう 化 か した。当時 とうじ は、マッカーシーによる赤狩 あかが りの真 ま っ最中 さいちゅう だったので、オッペンハイマーら水爆 すいばく の反対 はんたい 者 しゃ はロスアラモス研究所 けんきゅうじょ を追 お われてしまった。
1954年 ねん 3月 がつ 1日 にち 、アメリカはリチウムの同位 どうい 体 たい を用 もち いた最初 さいしょ の航空機 こうくうき に搭載 とうさい 可能 かのう な小型 こがた の熱 ねつ 核兵器 かくへいき を爆裂 ばくれつ させた。この水爆 すいばく はキャッスル・ブラボー実験 じっけん の"シュリンプ (Shrimp) " (小 こ エビの意 い ) という名前 なまえ の爆 ばく 弾 だん で知 し られている。実験 じっけん はマーシャル諸島 しょとう にあるビキニ環礁 かんしょう で実施 じっし された。水爆 すいばく は15メガトンの出力 しゅつりょく があり、想定 そうてい より倍 ばい 以上 いじょう も大 おお きいものだったため、アメリカの歴史 れきし において最悪 さいあく の放射 ほうしゃ 性 せい 物質 ぶっしつ による被害 ひがい をもたらした。
想定 そうてい より大 おお きな爆発 ばくはつ と、悪 わる い天候 てんこう 状況 じょうきょう 、そしてアメリカの危険 きけん 区域 くいき の設定 せってい の狭 せま さから、1万 まん 平方 へいほう キロメートル以上 いじょう に渡 わた って死 し の灰 はい が降 ふ りそそぎ、周囲 しゅうい の人間 にんげん に健康 けんこう 被害 ひがい を及 およ ぼした。この中 なか には日本 にっぽん の漁船 ぎょせん 第 だい 五 ご 福竜丸 ふくりゅうまる やマーシャル諸島 しょとう の住人 じゅうにん も含 ふく まれている。これらの地域 ちいき は現在 げんざい でも人 ひと が住 す んでいないが、かつての住人 じゅうにん は今 いま でも放射能 ほうしゃのう による癌 がん や障碍 しょうがい に苦 くる しめられている。第 だい 五 ご 福竜丸 ふくりゅうまる の事件 じけん は日本 にっぽん でも大 おお きな反響 はんきょう を呼 よ び、反核 はんかく 運動 うんどう が起 お こるきっかけとなった。
水爆 すいばく の時代 じだい の到来 とうらい は、一般 いっぱん の人々 ひとびと と軍人 ぐんじん の両方 りょうほう にとって、核 かく 戦争 せんそう についての考 かんが え方 かた に深刻 しんこく な影響 えいきょう を及 およ ぼした。それまでは、原子 げんし 爆 ばく 弾 だん による核 かく 戦争 せんそう の影響 えいきょう はある程度 ていど 限定 げんてい されうると考 かんが えられていた。原爆 げんばく が航空機 こうくうき から投下 とうか され、一 ひと つの大 おお きな都市 とし を破壊 はかい できるのみであるとするなら、原爆 げんばく は先 さき の大戦 たいせん での空爆 くうばく (例 たと えば日本 にっぽん やドイツに対 たい して行 おこな われた激 はげ しい空襲 くうしゅう ) の技術 ぎじゅつ 的 てき な拡大 かくだい に過 す ぎないと考 かんが えられるからである。そして、そのような兵器 へいき が世界 せかい 規模 きぼ での死傷 ししょう 者 しゃ を生 う みだす、というのは単 たん なる深刻 しんこく ぶった誇張 こちょう だと考 かんが えられていた。
当時 とうじ のたった10年 ねん ほど前 まえ にも一部 いちぶ の人 ひと は、原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の力 ちから によって、事故 じこ か意図 いと してかによらず人類 じんるい が地上 ちじょう の全 すべ ての生命 せいめい を終 お わらせる力 ちから を持 も ってしまうかもしれないと心配 しんぱい していた。しかし、当時 とうじ のテクノロジーは人類 じんるい がそんな力 ちから を持 も つところまでは至 いた っていなかった。それでも、水爆 すいばく のとてつもない力 ちから によって人類 じんるい は世界 せかい を破滅 はめつ させる力 ちから にまた一 いち 歩 ほ 近 ちか づいたように思 おも われた。
キャッスル・ブラボー事件 じけん は、核 かく 戦争 せんそう の生存 せいぞん 可能 かのう 性 せい についての多 おお くの疑問 ぎもん を生 しょう じさせた。米 べい ソ両国 りょうこく の政府 せいふ の科学 かがく 者 しゃ は、核 かく 融合 ゆうごう 兵器 へいき は核分裂 かくぶんれつ 兵器 へいき と違 ちが って危険 きけん な放射 ほうしゃ 性 せい の副産物 ふくさんぶつ を生成 せいせい しないため、より"綺麗 きれい "だと主張 しゅちょう した。技術 ぎじゅつ 的 てき には真実 しんじつ だが、これは重大 じゅうだい な問題 もんだい を隠 かく してしまっている。多 た 段階 だんかい の水爆 すいばく の最終 さいしゅう ステージでは、核 かく 融合 ゆうごう によって生成 せいせい される中性子 ちゅうせいし を使 つか って水爆 すいばく の周囲 しゅうい を包 つつ む天然 てんねん ウランを分裂 ぶんれつ させる。水爆 すいばく は、この核分裂 かくぶんれつ によって核 かく 出力 しゅつりょく の半分 はんぶん 以上 いじょう のエネルギーを得 え ているのである。
水爆 すいばく における核分裂 かくぶんれつ 段階 だんかい は単独 たんどく で使用 しよう されたときより"汚 きたな い"、つまりより多 おお くの放射 ほうしゃ 性 せい 降下 こうか 物 ぶつ を生 う みだすと考 かんが えられている。この事実 じじつ は、ブラボー実験 じっけん の後 のち にできた高 たか くそびえ立 た つような死 し の灰 はい の雲 くも ができたことによって確 たし かめられた。1955年 ねん にソ連 それん が初 はつ のメガトン級 きゅう 爆発 ばくはつ 実験 じっけん を行 おこ なったとき、一般人 いっぱんじん も政治 せいじ 家 か たちも"限定 げんてい "核 かく 戦争 せんそう はもはや不可能 ふかのう だと考 かんが えた。都市 とし や国 くに が直接 ちょくせつ の核 かく 攻撃 こうげき 対象 たいしょう とならなくても、普段 ふだん からの大気 たいき の流 なが れによって放射 ほうしゃ 性 せい 降下 こうか 物 ぶつ の雲 くも と危険 きけん な核分裂 かくぶんれつ の副産物 ふくさんぶつ が四散 しさん し、世界中 せかいじゅう の目標 もくひょう 外 がい の都市 とし の土壌 どじょう や水 みず の中 なか に入 はい り込 こ んでしまうからである。
世界 せかい 規模 きぼ での核兵器 かくへいき の打 う ち合 あ いによる放射 ほうしゃ 性 せい 降下 こうか 物 ぶつ の影響 えいきょう はいかほどかという考察 こうさつ が、世界中 せかいじゅう で始 はじ められた。この中 なか には、核兵器 かくへいき を保有 ほゆう しておらずそれゆえ直接 ちょくせつ の核兵器 かくへいき の脅威 きょうい のない国 くに も含 ふく まれていた。世界 せかい の運命 うんめい は今 いま や核兵器 かくへいき を生産 せいさん しうる大国 たいこく の運命 うんめい と結 むす び付 つ くこととなったからである。
核 かく の冬 ふゆ も参照 さんしょう 。
核 かく 抑止 よくし 政策 せいさく と瀬戸際 せとぎわ 外交 がいこう [ 編集 へんしゅう ]
1950年代 ねんだい から1960年代 ねんだい 初頭 しょとう にかけて、米 べい ソ両国 りょうこく はお互 たが いに相手 あいて が核 かく 戦力 せんりょく の優位 ゆうい を得 え ることのないように、数 すう 多 おお くの原爆 げんばく ・水爆 すいばく を開発 かいはつ していった。この競争 きょうそう は、技術 ぎじゅつ 的 てき にも政策 せいさく 的 てき にも、さまざまな形 かたち をとって冷戦 れいせん 期間 きかん 中 ちゅう を通 つう じて続 つづ けられた。
広島 ひろしま と長崎 ながさき に投下 とうか された最初 さいしょ の原爆 げんばく は、巨大 きょだい なカスタムメイドの爆 ばく 弾 だん であり、装備 そうび と配備 はいび には高度 こうど な訓練 くんれん を受 う けた専門 せんもん 職員 しょくいん が必要 ひつよう とされた。それらの原爆 げんばく は、大型 おおがた 爆撃 ばくげき 機 き —当時 とうじ ではB-29 —によってしか投下 とうか できなかったし、一 いち 機 き につき一発 いっぱつ の原爆 げんばく しか装備 そうび できなかった。
初期 しょき の水爆 すいばく も、同様 どうよう に巨大 きょだい で複雑 ふくざつ な爆 ばく 弾 だん であった。一 いち 機 き の飛行機 ひこうき に対 たい した一発 いっぱつ の核 かく 爆 ばく 弾 だん の重量 じゅうりょう 比率 ひりつ は、伝統 でんとう 的 てき な非 ひ 核兵器 かくへいき と比 くら べると途方 とほう もなく大 おお きかった。しかし、他 た の核保有 かくほゆう 国 こく に対峙 たいじ する場合 ばあい にはこれは深刻 しんこく な危険 きけん 性 せい があると考 かんが えられた。戦後 せんご 直後 ちょくご の数 すう 年間 ねんかん に、アメリカは一般 いっぱん 的 てき な兵士 へいし が使 つか えるような、ノーベル賞 しょう 物理 ぶつり 学者 がくしゃ ではなくても扱 あつか えるような核兵器 かくへいき の開発 かいはつ を進 すす めた。そして、1950年代 ねんだい には、核兵器 かくへいき を改善 かいぜん するための一連 いちれん の核 かく 実験 じっけん が繰 く り返 かえ された。
1951年 ねん に始 はじ まった、ネバダ州 しゅう の砂漠 さばく の中 なか にあるネバダ核 かく 実験 じっけん 場 じょう がアメリカの全 すべ ての核 かく 実験 じっけん の主要 しゅよう な実験 じっけん 場 じょう となった。(ソ連 それん ではセミパラチンスク核 かく 実験 じっけん 場 じょう が似 に た役割 やくわり を果 はた した。) 核 かく 実験 じっけん は、大 おお きく2つのカテゴリに分 わ けられた。兵器 へいき 関係 かんけい ("weapons related") (新兵 しんぺい 器 き が動作 どうさ するかの検証 けんしょう 、または新 しん 兵器 へいき が正確 せいかく にはどのように動作 どうさ するかの観察 かんさつ ) と兵器 へいき 効果 こうか ("weapons effects") (兵器 へいき が様々 さまざま な条件 じょうけん の下 した でどのように振 ふ る舞 ま うか、軍 ぐん 組織 そしき が核兵器 かくへいき に晒 さら されたときどのように行動 こうどう するかの観察 かんさつ ) である。
初期 しょき の核 かく 実験 じっけん はほとんど全 すべ て大気 たいき 中 なか (地上 ちじょう ) か水中 すいちゅう (マーシャル諸島 しょとう での実験 じっけん のように) で行 おこな われた。核 かく 実験 じっけん は、国力 こくりょく と技術 ぎじゅつ 力 りょく の両方 りょうほう の力 ちから を示 しめ すしるしとして使 つか われたが、このころ実験 じっけん の安全 あんぜん 性 せい についての疑問 ぎもん も起 お こった。核 かく 実験 じっけん は放射 ほうしゃ 性 せい 降下 こうか 物 ぶつ を大気 たいき 中 ちゅう にまき散 ち らすからである。(1954年 ねん のキャッスル作戦 さくせん の事件 じけん で、これは劇的 げきてき に証明 しょうめい された。)
ネバダ核 かく 実験 じっけん 場 じょう では、何 なん 百 ひゃく 回 かい もの核 かく 実験 じっけん が実施 じっし された。
核 かく 実験 じっけん は技術 ぎじゅつ 的 てき な開発 かいはつ 力 りょく のしるしとして考 かんが えられてきたが (使用 しよう 可能 かのう な核兵器 かくへいき を核 かく 実験 じっけん することなしに設計 せっけい できる能力 のうりょく があるとは考 かんが えにくい)、核 かく 開発 かいはつ 競争 きょうそう の中止 ちゅうし のための見返 みかえ りとして、実験 じっけん の中止 ちゅうし がたびたび要請 ようせい されてきた。多 おお くの優秀 ゆうしゅう な科学 かがく 者 しゃ と政治 せいじ 家 か は、核 かく 実験 じっけん の中止 ちゅうし を訴 うった えた。1958年 ねん 、アメリカ、ソ連 それん そしてイギリス連邦 れんぽう (新規 しんき の核保有 かくほゆう 国 こく ) は政治 せいじ 問題 もんだい と健康 けんこう 問題 もんだい への配慮 はいりょ から、共同 きょうどう で宣言 せんげん を発表 はっぴょう し核 かく 実験 じっけん の一時 いちじ 的 てき な停止 ていし (モラトリアム) を宣言 せんげん した。しかし1960年 ねん に新 あら たにフランス が核兵器 かくへいき を開発 かいはつ 、1961年 ねん になってソ連 それん が停止 ていし を撤回 てっかい し核 かく 実験 じっけん を再開 さいかい すると、米 べい ソ両国 りょうこく はこれまで以上 いじょう の頻度 ひんど で核 かく 実験 じっけん を繰 く り返 かえ すようになった。
政治 せいじ 力 りょく の誇示 こじ のために、1961年 ねん 10月にソ連 それん は史上 しじょう 最大 さいだい の水爆 すいばく 、ツァーリ・ボンバ の実験 じっけん を実施 じっし している。ツァーリ・ボンバは、最大 さいだい で100Mtの出力 しゅつりょく を想定 そうてい されていたが、半分 はんぶん 程度 ていど にまで出力 しゅつりょく を下 さ げて実験 じっけん が行 おこな われた。これはあまりにも巨大 きょだい すぎるために実用 じつよう 兵器 へいき としては不 ふ 適当 てきとう なものであったが、100km先 さき でも人体 じんたい に最 もっと も酷 ひど い火傷 かしょう を起 お こすことができるほどの熱 ねつ を放出 ほうしゅつ したという。またその稚拙 ちせつ な設計 せっけい のために、1945年 ねん からこの時 とき までに全 ぜん 世界 せかい で放出 ほうしゅつ された放射 ほうしゃ 性 せい 降下 こうか 物 ぶつ の4分 ぶん の1がこのときに放出 ほうしゅつ されたという。
1963年 ねん 、このときの4カ国 かこく の核兵器 かくへいき 保有 ほゆう 国 こく と、それ以外 いがい の多 おお くの非核 ひかく 国 こく は部分 ぶぶん 的 てき 核 かく 実験 じっけん 禁止 きんし 条約 じょうやく に調印 ちょういん し、大気 たいき 中 ちゅう ・水中 すいちゅう ・大気圏 たいきけん 外 がい での核 かく 実験 じっけん を禁止 きんし した。しかし、この条約 じょうやく は地下 ちか 核 かく 実験 じっけん を禁止 きんし していなかったため、その後 ご も核 かく 実験 じっけん は続 つづ けられることになった。
60年代 ねんだい に入 はい ると、多 おお くの核 かく 実験 じっけん は比較的 ひかくてき 穏 おだ やかな (つまり、出力 しゅつりょく の低 ひく い) ものが多 おお くなり、純粋 じゅんすい に技術 ぎじゅつ 的 てき 目的 もくてき の"実験 じっけん "というよりは、政治 せいじ 力 りょく の暗示 あんじ 目的 もくてき での実験 じっけん もなされた。そして、兵器 へいき の改良 かいりょう は2つの形 かたち を取 と るようになっていった。つまりは、より強力 きょうりょく で効率 こうりつ 的 てき な核 かく の開発 かいはつ と、核兵器 かくへいき の小型 こがた 化 か の2つである。
核兵器 かくへいき が小 ちい さければ、爆 ばく 撃 げき 機 き はより多 おお くの核 かく 爆 ばく 弾 だん を運搬 うんぱん することができる。それはつまり、相手 あいて がどれほど厳 きび しい防空 ぼうくう 体制 たいせい を敷 し こうとも、核 かく 攻撃 こうげき が脅威 きょうい となるということを意味 いみ する。また、1950年代 ねんだい から60年代 ねんだい にかけて近代 きんだい 的 てき なロケット が多 おお く開発 かいはつ されたが、小 ちい さな核兵器 かくへいき はロケットで使用 しよう しやすいということも意味 いみ する。アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく は、戦後 せんご 弾道 だんどう ミサイル の開発 かいはつ に尽力 じんりょく した。それらの多 おお くは、第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 中 ちゅう にナチス が開発 かいはつ したV-2 のようなロケット技術 ぎじゅつ を鹵獲 ろかく したものから、またはヴェルナー・フォン・ブラウン のようにドイツからアメリカに亡命 ぼうめい した技術 ぎじゅつ 者 しゃ の協力 きょうりょく のもとで研究 けんきゅう が進 すす められた。アメリカのペーパークリップ作戦 さくせん によって、彼 かれ らの多 おお くが戦争 せんそう 末期 まっき にアメリカに渡 わた っていたためである。
各 かく 年代 ねんだい の核兵器 かくへいき の大 おお きさ比較 ひかく 。核兵器 かくへいき は改良 かいりょう を重 かさ ねて小型 こがた 化 か していった(左上 ひだりうえ :ファットマン 、右 みぎ 上 じょう :Mark 17核 かく 爆 ばく 弾 だん 、左下 ひだりした :W59核弾頭 かくだんとう 、右 みぎ 下 か :W87核弾頭 かくだんとう )。
核弾頭 かくだんとう を装備 そうび したオネスト・ジョン のようなロケットは、1953年 ねん に初 はじ めて実戦 じっせん 配備 はいび されたのだが、それらは比較的 ひかくてき 短距離 たんきょり (最大 さいだい 25km) の射程 しゃてい しか持 も たず[ 43] 、威力 いりょく もファットマンの倍 ばい 程度 ていど に限 かぎ られた地 ち 対地 たいち ミサイルであった。そのため、これらのミサイルは限 かぎ られた軍事 ぐんじ 的 てき 状況 じょうきょう で使 つか われることだけを想定 そうてい されていた。つまり例 れい を挙 あ げると、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 国内 こくない に配備 はいび された短距離 たんきょり ミサイルは、モスクワに対 たい して即時 そくじ 攻撃 こうげき するという脅 おど しのためには使 つか えないわけである。そのため、これらのミサイルは"戦術 せんじゅつ 的 てき な"、つまり規模 きぼ の小 ちい さい軍事 ぐんじ 的 てき 状況 じょうきょう での使 つか い方 かた しかできないのである。
"戦略 せんりゃく 的 てき な"目的 もくてき — 敵国 てきこく 全体 ぜんたい への脅威 きょうい となる兵器 へいき —のためには、当時 とうじ 長距離 ちょうきょり を航続 こうぞく 可能 かのう な戦略 せんりゃく 爆撃 ばくげき 機 き によってしか、相手 あいて 国内 こくない に投下 とうか することはできなかった。米国 べいこく では、1946年 ねん に戦略 せんりゃく 航空 こうくう 軍団 ぐんだん が創設 そうせつ され、命令 めいれい があったときにすぐにモスクワを爆撃 ばくげき できるように24時間 じかん 常 つね に航空機 こうくうき を飛 と ばし続 つづ けた。戦略 せんりゃく 航空 こうくう 軍団 ぐんだん の司令 しれい 官 かん にはカーチス・ルメイ 将軍 しょうぐん (日本 にっぽん への焼夷弾 しょういだん による大 だい 空襲 くうしゅう の発案 はつあん で知 し られる) があたった。
核兵器 かくへいき とその運搬 うんぱん 技術 ぎじゅつ の開発 かいはつ は、それまでの軍事 ぐんじ 思想 しそう とは違 ちが った核 かく 戦略 せんりゃく という新 あら たな理論 りろん の発展 はってん を促 うなが した。核 かく 戦争 せんそう が起 お こったときの被害 ひがい があまりにも甚大 じんだい であると考 かんが えられたため、人類 じんるい の歴史 れきし が始 はじ まって以来 いらい 初 はじ めて、もはや今後 こんご 戦争 せんそう をすることは不可能 ふかのう かもしれないと考 かんが えられるようになった。冷戦 れいせん のはじめの数 すう 年 ねん にソ連 それん に向 む けたメッセージで、当時 とうじ の合衆国 がっしゅうこく 大統領 だいとうりょう ドワイト・アイゼンハワー は大量 たいりょう 報復 ほうふく 戦略 せんりゃく ドクトリン考 かんが えを明 あき らかにした。それによると、もしソビエト赤軍 せきぐん がポツダム会議 かいぎ で保証 ほしょう された東側 ひがしがわ 諸国 しょこく 以外 いがい のヨーロッパ諸国 しょこく へ侵略 しんりゃく しようとした際 さい には、アメリカはソ連 それん 軍 ぐん (とおそらくソ連 それん のリーダーも) に対 たい して核兵器 かくへいき を使 つか うだろうと宣言 せんげん していた。
即応 そくおう テクノロジー (ミサイルや長距離 ちょうきょり 爆撃 ばくげき 機 き ) の発達 はったつ によって、これらの政策 せいさく は変化 へんか していった。もし、ソ連 それん も核兵器 かくへいき を所持 しょじ しており、かつ、同様 どうよう の大量 たいりょう 報復 ほうふく 政策 せいさく を取 と っていたとすると、アメリカによる核 かく 先制 せんせい 攻撃 こうげき や通常 つうじょう 兵器 へいき に対 たい する核 かく による報復 ほうふく は、必然 ひつぜん 的 てき にソ連 それん による報復 ほうふく を招 まね くことになる。この認識 にんしき が、後 のち に相互 そうご 確証 かくしょう 破壊 はかい (Mutually Assured Destruction:MAD ) として知 し られるようになる理論 りろん が軍部 ぐんぶ やゲーム理論 りろん 家 いえ やランド研究所 けんきゅうじょ といったところで研究 けんきゅう されるきっかけとなった。
潜水 せんすい 艦 かん から発射 はっしゃ されるトライデントIIミサイル。潜水艦 せんすいかん 発射 はっしゃ 弾道 だんどう ミサイル の脅威 きょうい から都市 とし を防衛 ぼうえい することはほとんど不可能 ふかのう だと考 かんが えられていた。
MAD理論 りろん では、起 お こりうる核 かく 戦争 せんそう を初期 しょき 攻撃 こうげき と第 だい 二 に 攻撃 こうげき の二 に 段階 だんかい に分 わ けていた。初期 しょき 攻撃 こうげき は、核保有 かくほゆう 国 こく A国 こく による別 べつ の核保有 かくほゆう 国 こく B国 こく への、核兵器 かくへいき による最初 さいしょ の攻撃 こうげき である。もしA国 こく が初期 しょき 攻撃 こうげき の段階 だんかい で、B国 こく に対 たい して核 かく 報復 ほうふく が不可能 ふかのう なほどのダメージを与 あた えることができなければ、B国 こく はA国 こく に対 たい して核兵器 かくへいき による第 だい 二 に 攻撃 こうげき を行 おこな うだろう。A,B国 こく のどちらがアメリカかソ連 それん であったとしても、戦争 せんそう の結果 けっか 、もはや両国 りょうこく が国 くに としての体 からだ を成 な しえないほどにまで完全 かんぜん に破壊 はかい されてしまうだろうと考 かんが えられた。
ゲーム理論 りろん によれば、核 かく 戦争 せんそう を始 はじ めることは破滅 はめつ 的 てき な行為 こうい なので、理性 りせい を持 も った国 くに の指導 しどう 者 しゃ は、わざわざ核 かく 戦争 せんそう に突入 とつにゅう するようなことをしないだろうと考 かんが えられる。しかしながら、もしある国 くに が初期 しょき 攻撃 こうげき で敵国 てきこく の報復 ほうふく 能力 のうりょく を完全 かんぜん に破壊 はかい することができるのであれば、そのとき両国 りょうこく のパワーバランスは崩 くず れ、核 かく 戦争 せんそう は安全 あんぜん に遂行 すいこう できることになってしまう。
MAD戦略 せんりゃく は、人間 にんげん の2つの相対 そうたい する思考 しこう 様式 ようしき に基 もと づいていると考 かんが えられる: 冷静 れいせい な論理 ろんり と、感情 かんじょう 的 てき な恐怖 きょうふ である。MADの"核 かく 抑止 よくし (nuclear deterrence) "として知 し られるフレーズは、フランスでは"諫止 (dissuasion) "、ロシアでは"脅迫 きょうはく (terrorization) "を意味 いみ する言葉 ことば に翻訳 ほんやく されて紹介 しょうかい された。イギリスの首相 しゅしょう のウィンストン・チャーチル は、核 かく 戦争 せんそう についての明白 めいはく なパラドックスを称 しょう して「物事 ものごと が悪 わる くなればなるほど、もっと良 よ くなる ("the worse things get, the better they are")」と言 い った。つまり相互 そうご 破壊 はかい の危機 きき が大 おお きくなればなるほど、それを使用 しよう することができないために、世界 せかい はより安全 あんぜん になるという訳 わけ である。
核保有 かくほゆう 国 こく は相互 そうご 確証 かくしょう 破壊 はかい の思想 しそう によって、さまざまな技術 ぎじゅつ 的 てき ・政治 せいじ 的 てき 要求 ようきゅう を満 み たす必要 ひつよう に迫 せま られた。たとえば、敵国 てきこく は常 つね に、"初期 しょき 攻撃 こうげき 能力 のうりょく (first strike capability) "を得 え ようとしているために、我々 われわれ はそれを何 なに としてでも防 ふせ がなければならない、とさかんに議論 ぎろん された。この問題 もんだい はアメリカでは50年代 ねんだい に、ミサイルギャップ や爆 ばく 撃 げき 機 き ギャップに関 かん する議論 ぎろん として知 し られている。(それらの"ギャップ"は政治 せいじ 家 か によって作 つく り出 だ されたものだったのだが、当時 とうじ はそれは分 わ からなかったのである。) 敵国 てきこく に初期 しょき 攻撃 こうげき 能力 のうりょく を与 あた えないように、アメリカ、ソ連 それん 両国 りょうこく は数 すう 千 せん 発 はつ もの核兵器 かくへいき を生産 せいさん した。それらは、相手 あいて の国民 こくみん と民間 みんかん ・軍事 ぐんじ インフラ全 すべ てを破壊 はかい してもなおあり余 あま るほどの量 りょう であった。
これらの政策 せいさく と核 かく 戦略 せんりゃく は、スタンリー・キューブリック の1964年 ねん の映画 えいが 、『博士 はかせ の異常 いじょう な愛情 あいじょう 』で風刺 ふうし された。その映画 えいが ではソ連 それん は、アメリカの初期 しょき 攻撃 こうげき 能力 のうりょく を無能 むのう 化 か するために皆殺 みなごろ し装置 そうち (en:Doomsday machine ) —核 かく 爆発 ばくはつ を検知 けんち すると巨 きょ 大水 おおみず 爆 ばく が爆発 ばくはつ し、死 し の灰 はい で世界中 せかいじゅう を埋 う めつくし世界 せかい を破滅 はめつ させる装置 そうち —を開発 かいはつ する。その後 ご 、気 き の狂 くる ったアメリカの将軍 しょうぐん がソ連 それん への核 かく 攻撃 こうげき を命令 めいれい 、皆殺 みなごろ し装置 そうち が発動 はつどう し、世界 せかい は滅 ほろ ぶ、というプロットである。
SAGE制御 せいぎょ 室 しつ 。スクリーンにはアメリカ東海岸 ひがしかいがん が表示 ひょうじ されている。二 ふた つのターゲットが追跡 ついせき されているところ。
核 かく 政策 せいさく は初期 しょき の弾道 だんどう ミサイル早期 そうき 警戒 けいかい システム の開発 かいはつ も促進 そくしん した。伝統 でんとう 的 てき な戦争 せんそう は、どんなに速 はや くても、せいぜいが1日 にち か1週 しゅう を単位 たんい として動 うご いていた。長距離 ちょうきょり 爆撃 ばくげき 機 き により、攻撃 こうげき の命令 めいれい から実際 じっさい の攻撃 こうげき までの間隔 かんかく は、1時 じ 間 あいだ 単位 たんい にまで縮 ちぢ まった。さらに、ロケットにより、その間隔 かんかく は1分 ふん を単位 たんい とするまでになった。伝統 でんとう 的 てき な指揮 しき 統制 とうせい 体制 たいせい では、核 かく 攻撃 こうげき への素早 すばや い対応 たいおう ができないと考 かんが えられたため、敵 てき の攻撃 こうげき の探知 たんち と直接 ちょくせつ の即時 そくじ の反応 はんのう ができるような初期 しょき のコンピュータ の開発 かいはつ も促 うなが された。
アメリカでは、半 はん 自動 じどう 式 しき 防空 ぼうくう 管制 かんせい 組織 そしき (SAGE) の開発 かいはつ に莫大 ばくだい な資金 しきん が使用 しよう された。それは遠隔 えんかく 地 ち のレーダー からの情報 じょうほう を使 つか い、敵 てき 爆撃 ばくげき 機 き を追跡 ついせき ・迎撃 げいげき するシステムである。SAGEは、世界 せかい 初 はつ のリアルタイム処理 しょり 、多重 たじゅう 化 か システムであり、ディスプレイ を備 そな えた近代 きんだい 的 てき な汎用 はんよう コンピュータであった。
爆 ばく 撃 げき 機 き と短距離 たんきょり ロケットは信頼 しんらい できない。何故 なぜ なら、航空機 こうくうき は撃 う ち落 お とされる可能 かのう 性 せい があり、初期 しょき の核 かく ミサイルは限 かぎ られた射程 しゃてい しか持 も たなかったからである。たとえば、最初 さいしょ のソ連 それん のロケットの射程 しゃてい はヨーロッパまでに限 かぎ られていた。しかし、1960年代 ねんだい までには、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 、ソビエト連邦 れんぽう 共 ども に大陸 たいりく 間 あいだ 弾道 だんどう ミサイル (ICBM) や潜水艦 せんすいかん 発射 はっしゃ 弾道 だんどう ミサイル (SLBM) を開発 かいはつ していた。ICBMによって、世界中 せかいじゅう のほぼどこをも狙 ねら うことができるようになり、SLBMはそれより射程 しゃてい が短 みじか いものの、相手 あいて に気付 きづ かれることなく水中 すいちゅう から接近 せっきん し、近距離 きんきょり から核兵器 かくへいき を発射 はっしゃ できるようになった。これらのミサイルの開発 かいはつ は、どの国 くに にとってもそれまで以上 いじょう に核 かく 攻撃 こうげき からの防衛 ぼうえい が非 ひ 実用 じつよう 的 てき になった。
迎撃 げいげき する間 あいだ もなくミサイルで都市 とし が壊滅 かいめつ しうるという軍事 ぐんじ 的 てき リアリティは、不安定 ふあんてい な外交 がいこう 状況 じょうきょう を生 う み出 だ した。各国 かっこく の指導 しどう 者 しゃ たちは瀬戸際 せとぎわ 外交 がいこう 政策 せいさく を採 と り、もし対抗 たいこう する国 くに が核 かく 戦力 せんりょく 上 じょう のアドバンテージを得 え るくらいならば、核 かく 戦争 せんそう も辞 じ さない、とまで主張 しゅちょう するようになった。超 ちょう 大国 たいこく では民間 みんかん 防衛 ぼうえい プログラムが実施 じっし されて核 かく シェルター の建設 けんせつ などが進 すす められ、核 かく 戦争 せんそう の生存 せいぞん 可能 かのう 性 せい がさかんに議論 ぎろん された。
1962年 ねん 、アメリカのスパイ航空機 こうくうき U-2 (航空機 こうくうき ) が撮影 さつえい したキューバの建設 けんせつ 途中 とちゅう のミサイル基地 きち 。キューバ危機 きき のきっかけとなった写真 しゃしん である。
瀬戸際 せとぎわ 外交 がいこう のクライマックスは、1962年 ねん に起 お こったキューバ危機 きき だろう。アメリカのスパイ航空機 こうくうき U-2 が、アメリカのわずか150kmほど南 みなみ に位置 いち するキューバ に準 じゅん 中距離 ちゅうきょり 弾道 だんどう ミサイル基地 きち 群 ぐん が建設 けんせつ されているのを発見 はっけん し、米 べい ソの対立 たいりつ が激化 げきか した事件 じけん である。当時 とうじ のアメリカ大統領 だいとうりょう ジョン・F・ケネディ は、エクスコム を設置 せっち し、キューバの首相 しゅしょう フィデル・カストロ がソビエト連邦 れんぽう 第 だい 一 いち 書記 しょき ニキータ・フルシチョフ と共謀 きょうぼう してキューバへ核 かく ミサイルを持 も ち込 こ んだのだと結論 けつろん 付 つ けた。同年 どうねん 10月 がつ 22日 にち 、ケネディ大統領 だいとうりょう はテレビ演説 えんぜつ でミサイルの発見 はっけん を公表 こうひょう 、ソ連 それん を非難 ひなん した。そして、キューバ周辺 しゅうへん でソ連 それん 船 せん に対 たい する海上 かいじょう 封鎖 ふうさ と臨検 りんけん を行 おこな うことを宣言 せんげん 、同時 どうじ に"あらゆる状況 じょうきょう に対 たい する"軍事 ぐんじ 的 てき な準備 じゅんび ができている、とソ連 それん に対 たい して警告 けいこく を行 おこ なった。キューバに持 も ちこまれたミサイルの射程 しゃてい は4,000 kmほどであり、もしもミサイル基地 きち が完成 かんせい すればアメリカ東海岸 ひがしかいがん の主要 しゅよう 都市 とし を射程 しゃてい に収 おさ めることになるだろうと思 おも われた。
米 べい ソ両国 りょうこく の指導 しどう 者 しゃ たちは、第 だい 三 さん 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 突入 とつにゅう の危機 きき を背負 せお いながら対峙 たいじ し交渉 こうしょう した。フルシチョフがキューバに核 かく を配備 はいび したがった直接 ちょくせつ の動機 どうき は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく がイギリス 、イタリア やトルコ 近 ちか くに似 に た兵器 へいき を配備 はいび しており、それに対 たい する対抗 たいこう のためだったとされている。10月26日 にち には、フルシチョフからケネディに対 たい して妥協 だきょう 案 あん が示 しめ された。その内容 ないよう は、もしアメリカが将来 しょうらい キューバに対 たい する軍事 ぐんじ 行動 こうどう を一切 いっさい 行 おこな わないならば、ソ連 それん は全 すべ てのミサイルを撤退 てったい させるというものだった。フルシチョフは、相互 そうご の破滅 はめつ 的 てき な運命 うんめい を避 さ けるために雄弁 ゆうべん に訴 うった えた。
『我々 われわれ は、戦争 せんそう という結 むす び目 め のできたロープの端 はし と端 はし をこれ以上 いじょう 引 ひ くべきではありません。なぜなら、引 ひ っぱれば引 ひ っぱるほど結 むす び目 め は固 かた くなってしまうからです。そして、いつかこの結 むす び目 め があまりに固 かた く結 むす ばれすぎて、もはや誰 だれ にもほどけなくなってしまうでしょう。そうしたら結 むす び目 め を切 き るよりほかなくなってしまいます。私 わたし の言 い いたいことを説明 せつめい する必要 ひつよう はないでしょう。なぜならあなたは我々 われわれ 2人 ふたり の国 くに がどれほど恐 こわ しい力 りょく を所持 しょじ しているか、完璧 かんぺき にご存知 ぞんじ だからです。』[ 44] [ 45]
しかしながら1日 にち 後 ご の10月 がつ 27日 にち 、ソビエトはさらなる条件 じょうけん を追加 ついか する。その内容 ないよう は、アメリカに対 たい してトルコに配備 はいび されたジュピターミサイル を撤去 てっきょ するように求 もと めるものであった。この要求 ようきゅう はアメリカ側 がわ には受 う け入 い れ難 がた いものであり、また同 どう 日 にち キューバ上空 じょうくう を偵察 ていさつ していたアメリカ空軍 くうぐん のU-2がソ連 それん 軍 ぐん によって撃墜 げきつい され、ソ連 それん 商船 しょうせん も臨検 りんけん ラインの近 ちか くにまで迫 せま った。ケネディは最初 さいしょ の条件 じょうけん を受 う け入 い れることを発表 はっぴょう し、また弟 おとうと のロバート・ケネディ に命 めい じて秘密裏 ひみつり にソ連 それん 大使 たいし に第 だい 二 に の条件 じょうけん 、トルコからのミサイル撤去 てっきょ 、も受 う け入 い れることを伝 つた えさせた。
10月28日 にち 、ソ連 それん 船 せん は臨検 りんけん ライン前 まえ で停止 ていし し、その後 ご 少 すこ しそこに留 とど まったあと、ソ連 それん に向 む けて返 かえ っていった。フルシチョフは、キューバから全 すべ てのミサイルを撤去 てっきょ するように命 めい じたと放送 ほうそう した。
この危機 きき は、後 のち にアメリカとソ連 それん による全面 ぜんめん 核 かく 戦争 せんそう に最 もっと も近 ちか づいて、両国 りょうこく の最後 さいご の妥協 だきょう によりすんでのところで戦争 せんそう 突入 とつにゅう が避 さ けられたと考 かんが えられている。コミュニケーションの齟齬 そご からの危機 きき の再発 さいはつ の不安 ふあん から、これを契機 けいき として米 べい ソ間 あいだ の初 はじ めてのホットライン が設置 せっち された。これは、米 べい ソ首脳 しゅのう 間 あいだ を直接 ちょくせつ に繋 つな ぎ、軍事 ぐんじ 活動 かつどう や政策 せいさく についてより容易 ようい に話 はな し合 あ うことができるようにするものである。この事件 じけん によって、アメリカ・ソ連 それん 両国 りょうこく のミサイル、爆 ばく 撃 げき 機 き 、潜水 せんすい 艦 かん とコンピュータ化 か された発射 はっしゃ 装置 そうち によって、ささいな状況 じょうきょう から世界 せかい の破滅 はめつ までの拡大 かくだい が、それまで考 かんが えられていたより簡単 かんたん に起 お こりうるということが証明 しょうめい された。
キューバミサイル危機 きき 後 ご の数 すう 年間 ねんかん で、アメリカとソ連 それん は両国 りょうこく の核 かく による緊張 きんちょう 状態 じょうたい を解消 かいしょう するために力 ちから を尽 つ くした。核軍縮 かくぐんしゅく への動 うご きにおける一 ひと つの頂点 ちょうてん は、1963年 ねん の部分 ぶぶん 的 てき 核 かく 実験 じっけん 禁止 きんし 条約 じょうやく への調印 ちょういん であろう。この条約 じょうやく では、アメリカ・ソ連 それん は今後 こんご 大気 たいき ・水中 すいちゅう ・宇宙 うちゅう での核 かく 実験 じっけん を行 おこな わないとした。この条約 じょうやく では地下 ちか 核 かく 実験 じっけん は禁止 きんし されていなかったため両国 りょうこく はこれ以後 いご も核兵器 かくへいき の開発 かいはつ を進 すす めたものの、世界中 せかいじゅう の放射 ほうしゃ 性 せい 降下 こうか 物 ぶつ による危険 きけん は減少 げんしょう することになり、武力 ぶりょく の誇示 こじ のための大 だい 規模 きぼ 核 かく 実験 じっけん の時代 じだい は終焉 しゅうえん を迎 むか えることとなった。
キューバ危機 きき 後 ご 、米 べい ソ両国 りょうこく はPTBT を初 はじ めとする条約 じょうやく を締結 ていけつ し、核 かく 戦争 せんそう の危機 きき は去 さ ったかに見 み えた。しかし、これらの条約 じょうやく で廃止 はいし された核兵器 かくへいき は、老朽 ろうきゅう 化 か して解体 かいたい を待 ま っているような、両国 りょうこく の核 かく 軍備 ぐんび への障碍 しょうがい にならないようなものだけであった[ 46] 。現 げん に、ソ連 それん が核兵器 かくへいき の備蓄 びちく 数 すう でアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく を上回 うわまわ ったのはこの時期 じき である。米国 べいこく はレーガン政権 せいけん 時代 じだい に軍縮 ぐんしゅく から軍拡 ぐんかく 路線 ろせん へと転換 てんかん した。
1950年代 ねんだい から60年代 ねんだい にかけて、米 べい ソ両国 りょうこく 以外 いがい に他 た 3カ国 かこく が"核 かく クラブ"入 い りした。
イギリス連邦 れんぽう は、1943年 ねん にケベック協定 きょうてい でアメリカと核 かく 開発 かいはつ のリソースを共有 きょうゆう [ 47] して以来 いらい 、マンハッタン計画 けいかく の初期 しょき からのメンバーであった。しかし、1946年 ねん にアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく でマクマホン法 ほう (en:McMahon Act ) として知 し られる、原子力 げんしりょく 技術 ぎじゅつ の国外 こくがい 転移 てんい を禁 きん じる法律 ほうりつ [ 48] が成立 せいりつ した後 のち 、アメリカは一方 いっぽう 的 てき にイギリスとのパートナーシップを破棄 はき し、今後 こんご イギリスには一切 いっさい の情報 じょうほう を渡 わた さないと通告 つうこく した。クレメント・アトリー 政権 せいけん 下 か のイギリスは、英国 えいこく 独自 どくじ の原爆 げんばく 開発 かいはつ がなんとしても必要 ひつよう であると決定 けってい した。マンハッタン計画 けいかく に協力 きょうりょく していたため、イギリスは一部 いちぶ の分野 ぶんや では豊富 ほうふ な知識 ちしき を持 も っていたものの、実用 じつよう 兵器 へいき を開発 かいはつ するまでの道 みち はまだほど遠 とお かった。
ファットマンを改良 かいりょう した型 かた の原爆 げんばく が開発 かいはつ され、1952年 ねん 2月 がつ 26日 にち には当時 とうじ の首相 しゅしょう ウィンストン・チャーチル がイギリスも核兵器 かくへいき を開発 かいはつ したと宣言 せんげん 、最初 さいしょ の核 かく 実験 じっけん であるハリケーン作戦 さくせん は1952年 ねん 10月 がつ 3日 にち に実施 じっし された。最初 さいしょ は自由 じゆう 落下 らっか 爆 ばく 弾 だん であったがその後 ご ミサイルを開発 かいはつ している。米 べい 英 えい 間 あいだ の核兵器 かくへいき に関 かん する協力 きょうりょく 関係 かんけい は、1958年 ねん の米 べい 英 えい 相互 そうご 防衛 ぼうえい 協定 きょうてい で回復 かいふく している。この協定 きょうてい とポラリス販売 はんばい 協定 きょうてい (Polaris Sales Agreement) の結果 けっか 、英国 えいこく はアメリカの潜水 せんすい 艦 かん ミサイルの設計 せっけい 図 ず を購入 こうにゅう 、独自 どくじ の核弾頭 かくだんとう を配備 はいび している。イギリスはミサイルの使用 しよう についてアメリカからの完全 かんぜん に独立 どくりつ したコントロールを所持 しょじ している。
フランスは、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん まではジョリオ・キュリー の功績 こうせき などもあり核 かく 物理 ぶつり 学 がく の先進 せんしん 国 こく であった。しかしフランスでの研究 けんきゅう は戦争 せんそう によって途絶 とだ え、その後 ご 第 だい 四 よん 共和 きょうわ 政 せい の政権 せいけん の不安定 ふあんてい さと資金 しきん 不足 ふそく によって、研究 けんきゅう が再開 さいかい されることはなかった[ 49] 。しかし、1950年代 ねんだい には民間 みんかん での核 かく 研究 けんきゅう 計画 けいかく が開始 かいし し、その副産物 ふくさんぶつ としてプルトニウムが生成 せいせい された。
1956年 ねん には、秘密 ひみつ 組織 そしき の原子力 げんしりょく 軍事 ぐんじ 応用 おうよう 委員 いいん 会 かい (Committee for the Military Applications of Atomic Energy) が組織 そしき され、核 かく 爆 ばく 弾 だん の運搬 うんぱん 兵器 へいき の開発 かいはつ も開始 かいし された。1958年 ねん にシャルル・ド・ゴール がフランス大統領 だいとうりょう の座 ざ に復帰 ふっき すると、彼 かれ は核 かく 爆 ばく 弾 だん の開発 かいはつ の最終 さいしゅう 決定 けってい を命 めい じた。その後 ご 1960年 ねん には、フランスは独自 どくじ の核 かく 実験 じっけん —ジェルボアーズ・ブルー を成功 せいこう させた。
1951年 ねん には、中国 ちゅうごく とソ連 それん は協定 きょうてい を結 むす び、中国 ちゅうごく 側 がわ がソ連 それん に対 たい してウラン鉱 こう を提供 ていきょう し、その見返 みかえ りに核 かく 技術 ぎじゅつ の援助 えんじょ を受 う けることに同意 どうい した。1953年 ねん には、中国 ちゅうごく は核 かく エネルギーの民間 みんかん 利用 りよう に模 も した原子力 げんしりょく 研究 けんきゅう プログラムを開始 かいし している。1950年代 ねんだい を通 とお して、ソビエトは中国 ちゅうごく に大量 たいりょう の装置 そうち を提供 ていきょう したが、両国 りょうこく の関係 かんけい が悪化 あっか するにつれてソ連 それん 側 がわ の協力 きょうりょく は減少 げんしょう していく。そして、1959年 ねん には、中国 ちゅうごく はコピーのための核兵器 かくへいき の提供 ていきょう を拒絶 きょぜつ されている。それにもかかわらず、中国 ちゅうごく は核 かく 開発 かいはつ の突貫 とっかん 計画 けいかく を進 すす め、1964年 ねん 10月 がつ 16日 にち にはロプノール 周辺 しゅうへん にて最初 さいしょ の核 かく 実験 じっけん を実施 じっし 、1966年 ねん 10月 がつ 25日 にち には核 かく ミサイルを開発 かいはつ 、そして水爆 すいばく を1967年 ねん 6月 がつ 14日 にち に開発 かいはつ した。
中国 ちゅうごく は原爆 げんばく の核弾頭 かくだんとう を1968年 ねん から、水爆 すいばく の核弾頭 かくだんとう を1974年 ねん から生産 せいさん している[ 50] 。また、アメリカへのスパイ活動 かつどう から得 え た情報 じょうほう を用 もち いて中国 ちゅうごく の核弾頭 かくだんとう は2200 kg から 700 kg まで小型 こがた 化 か されたと考 かんが えられている。中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう の極端 きょくたん な秘密 ひみつ 主義 しゅぎ のために、現在 げんざい の核兵器 かくへいき 保有 ほゆう 数 すう ははっきりとしていない。それでも、最大 さいだい で2000個 こ の核弾頭 かくだんとう が生産 せいさん されたと考 かんが えられているが、実戦 じっせん 使用 しよう 可能 かのう なものはそれよりもずっと少 すく ないかもしれない[ 51] 。中国 ちゅうごく は21世紀 せいき 初頭 しょとう 現在 げんざい のところ、核兵器 かくへいき による先制 せんせい 攻撃 こうげき をしないと宣言 せんげん している唯一 ゆいいつ の国 くに である[ 52] 。
核 かく 拡散 かくさん の兆候 ちょうこう は冷戦 れいせん 中 なか から見 み られたが、ソ連 それん の崩壊 ほうかい による冷戦 れいせん の終了 しゅうりょう に伴 ともな って、それまで抑 おさ えつけられていた小国 しょうこく への核 かく 拡散 かくさん が始 はじ まった。第 だい 二 に の核 かく の時代 じだい である[ 53] 。
インド の最初 さいしょ の原爆 げんばく 実験 じっけん は1974年 ねん に微笑 ほほえ むブッダ というコードネームで実施 じっし された[ 54] 。インド政府 せいふ の説明 せつめい によると、それは"平和 へいわ 目的 もくてき の核 かく 爆発 ばくはつ "としている[ 54] 。インドは原爆 げんばく と (おそらく) 水爆 すいばく を1998年 ねん に爆発 ばくはつ させている。同年 どうねん 、隣国 りんごく パキスタン も原爆 げんばく 実験 じっけん を成功 せいこう させ、国際 こくさい 社会 しゃかい から、相互 そうご に核兵器 かくへいき を使用 しよう し合 あ うのではないかと懸念 けねん された。
また、ソビエト連邦 れんぽう の一部 いちぶ であった3国 こく (
ベラルーシ [ 55] 、
ウクライナ [ 56] 、
カザフスタン [ 57] ) は、ソ連 それん 崩壊 ほうかい 時 じ に核兵器 かくへいき を引 ひ き継 つ いだが、それらは1996年 ねん までには全 すべ て自主 じしゅ 的 てき に放棄 ほうき 、またはロシアへと返還 へんかん している。
2004年 ねん 1月 がつ 、パキスタン人 じん 冶金 やきん 学 がく 者 もの 、兵器 へいき 学者 がくしゃ のカーン博士 はかせ が告白 こくはく したところによると、彼 かれ は核 かく 技術 ぎじゅつ ・核 かく 物質 ぶっしつ ・知識 ちしき や機器 きき の闇 やみ 市場 いちば を構築 こうちく し、リビア 、イラン 、北朝鮮 きたちょうせん に核 かく 開発 かいはつ に繋 つな がりうる物資 ぶっし ・情報 じょうほう を提供 ていきょう したとされている。
南 みなみ アフリカ共和 きょうわ 国 こく は、2006年 ねん 3月 がつ に過去 かこ の核 かく 開発 かいはつ 計画 けいかく について発表 はっぴょう した。それによると、1960年代 ねんだい に少 すく なくとも6発 はつ のウラン型 がた 原爆 げんばく を開発 かいはつ し[ 58] たが、それらは全 すべ て1990年代 ねんだい 初頭 しょとう にまでは廃棄 はいき したという[ 59] 。一般 いっぱん 的 てき には核 かく 実験 じっけん を行 おこ なったとは考 かんが えられていないが、1970年代 ねんだい にアメリカのスパイ衛星 えいせい が"アフリカ南部 なんぶ で、短 みじか く、強烈 きょうれつ な、二 に 回 かい の閃光 せんこう を検出 けんしゅつ した"と伝 つた えられている[ 60] (ヴェラ事件 じけん として知 し られている)。これは南 みなみ アフリカ共和 きょうわ 国 こく とイスラエルの核 かく 実験 じっけん であったと推測 すいそく されているが、一部 いちぶ にはこの閃光 せんこう は自然 しぜん 現象 げんしょう だとの見方 みかた も存在 そんざい する。なお、21世紀 せいき に入 はい って南 みなみ アフリカが核 かく 開発 かいはつ 計画 けいかく を明 あ かすまでは、アメリカの諜報 ちょうほう 機関 きかん は南 みなみ アフリカの核兵器 かくへいき についてまったく情報 じょうほう を得 え ていなかったという[ 59] 。
イスラエル は、実戦 じっせん 配備 はいび された核兵器 かくへいき を最大 さいだい で数 すう 百 ひゃく 程度 ていど 所持 しょじ していると広 ひろ く国際 こくさい 社会 しゃかい から信 しん じられている。しかし、公式 こうしき には核兵器 かくへいき の保有 ほゆう を否定 ひてい も肯定 こうてい もしない立場 たちば を取 と り続 つづ けている。
北朝鮮 きたちょうせん は、2003年 ねん にNPT を脱退 だったい 、2006年 ねん 10月 がつ 9日 にち になって初 はつ の核 かく 実験 じっけん を実施 じっし 、また二 に 度目 どめ の核 かく 実験 じっけん を2009年 ねん 5月 がつ 25日 にち に実施 じっし している。
この他 ほか にも、過去 かこ に核兵器 かくへいき の開発 かいはつ を目指 めざ していた国 くに が多数 たすう 存在 そんざい する。過去 かこ の開発 かいはつ 国 こく を参照 さんしょう 。
かつての米 べい ソ対立 たいりつ のような大量 たいりょう の核兵器 かくへいき を背負 せお った超 ちょう 大国 たいこく 同士 どうし の全面 ぜんめん 戦争 せんそう の脅威 きょうい はしばらく遠 とお のいたが、しかしながら、2001年 ねん のアメリカ同時 どうじ 多発 たはつ テロ 以来 いらい 、戦争 せんそう の主流 しゅりゅう がテロやゲリラなどの「非対称 ひたいしょう 戦争 せんそう 」に移 うつ ってきており、大国 たいこく に対 たい して力 ちから の劣 おと る国 くに やテロリスト が大国 たいこく に対 たい して破滅 はめつ 覚悟 かくご の核 かく テロ をなすことも無 な いとは言 い いきれない[ 61] [ 62] [ 63] 。
北朝鮮 きたちょうせん ・イラク ・イラン など、政治 せいじ 力 りょく ・経済 けいざい 力 りょく で不利 ふり な国家 こっか が、自身 じしん の生存 せいぞん の可能 かのう 性 せい を賭 か けて核兵器 かくへいき を開発 かいはつ する例 れい もある。これらの国 くに はしばしば独裁 どくさい 体制 たいせい を敷 し いており政治 せいじ 的 てき には不安定 ふあんてい である。またテロリストにおいても、現 げん に日本 にっぽん のテロ宗教 しゅうきょう 団体 だんたい であるオウム真理教 おうむしんりきょう はウラン 採掘 さいくつ と核兵器 かくへいき 製造 せいぞう を試 こころ みていた[ 64] 。
米 べい ソ間 あいだ のMAD戦略 せんりゃく のような、"まともな"判断 はんだん が通 つう じず、突発 とっぱつ 的 てき な核兵器 かくへいき の発射 はっしゃ を引 ひ き起 お こすことが懸念 けねん されている。例 たと えば、インド・パキスタン問題 もんだい のように核 かく 開発 かいはつ の動機 どうき には民族 みんぞく 問題 もんだい が隠 かく れていることが多 おお く、こういった問題 もんだい を抱 かか えた国 くに の指導 しどう 者 しゃ は「戦争 せんそう で相手 あいて に負 ま けるくらいならば、核兵器 かくへいき でもろとも道連 みちづ れにしてしまおう」と考 かんが える可能 かのう 性 せい すらある。そういったことを防 ふせ ぐために、国際 こくさい 的 てき な核兵器 かくへいき 不 ふ 拡散 かくさん のための取 と り組 く みが数多 かずおお くなされている。
2009年 ねん 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のバラク・オバマ 大統領 だいとうりょう は、チェコ のプラハ で、いわゆるプラハ演説 えんぜつ として知 し られる演説 えんぜつ を行 おこな い、核軍縮 かくぐんしゅく ・核 かく 不 ふ 拡散 かくさん の流 なが れを主導 しゅどう し「核兵器 かくへいき のない世界 せかい に向 む けて、具体 ぐたい 的 てき な措置 そち を取 と る」[ 65] と言明 げんめい 、同年 どうねん 10月 がつ にはノーベル平和 へいわ 賞 しょう を受 う けた[ 66] 。しかし、各国 かっこく とも、アメリカ自身 じしん でさえも、『核 かく なき世界 せかい 』の理念 りねん には理解 りかい を示 しめ しつつも、短期 たんき 的 てき には核 かく を保有 ほゆう しつづける姿勢 しせい を崩 くず さなかった。そしてオバマの次 つぎ の大統領 だいとうりょう であるドナルド・トランプ は使 つか える核兵器 かくへいき を開発 かいはつ する方針 ほうしん を示 しめ した[ 67] 。2017年 ねん に採択 さいたく された核兵器 かくへいき 禁止 きんし 条約 じょうやく においても、核保有 かくほゆう 国 こく は一様 いちよう に採択 さいたく を拒否 きょひ した。
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が80年代 ねんだい 以降 いこう の歴史 れきし を適格 てきかく にまとめている
ローズ, リチャード『原子 げんし 爆 ばく 弾 だん の誕生 たんじょう 』神 かみ 沼 ぬま 二 に 真 しん , 渋谷 しぶや 泰一 やすいち 訳 やく 、紀伊国屋 きのくにや 書店 しょてん (原著 げんちょ 1986年 ねん )。ISBN 4-314-00710-9 。
ローズ, リチャード『原爆 げんばく から水爆 すいばく へ ―東西 とうざい 冷戦 れいせん の知 し られざる内幕 うちまく 』小沢 おざわ 千重子 ちえこ , 神 かみ 沼 ぬま 二 に 真 しん 訳 やく 、紀伊国屋 きのくにや 書店 しょてん (原著 げんちょ 2001年 ねん )。ISBN 431400889X 。
足立 あだち , 壽美 としみ 『原爆 げんばく の父 ちち オッペンハイマーと水爆 すいばく の父 ちち テラー』現代 げんだい 企画 きかく 室 しつ (原著 げんちょ 1987年 ねん )。ISBN 4-7738-8709-5 。
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歴史 れきし 性能 せいのう 運用 うんよう 種類 しゅるい ・設計 せっけい
全般 ぜんぱん 核分裂 かくぶんれつ 兵器 へいき 核 かく 融合 ゆうごう 兵器 へいき
一覧 いちらん その他 た