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日本にっぽん赤軍せきぐん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本にっぽん赤軍せきぐん
Japanese Red Army
略称りゃくしょう JRA
前身ぜんしん 共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐんごくがいG)、京大きょうだいパルチザン
後継こうけい ムーブメント連帯れんたい(2001ねん12月に「連帯れんたい」として結成けっせい同名どうめい団体だんたい存在そんざいから2003ねん1がつ以降いこう改称かいしょう
設立せつりつ 1971ねん2月(アラブ赤軍せきぐん
設立せつりつしゃ 重信しげのぶ房子ふさこ奥平おくだいら剛士たけし
解散かいさん 2001ねん4がつ
種類しゅるい 国際こくさい武装ぶそうゲリラ組織そしき
法的ほうてき地位ちい マルクス主義まるくすしゅぎ
世界せかい革命かくめいろん
国際こくさい根拠地こんきょちろん
はん帝国ていこく主義しゅぎ
パレスチナ解放かいほう
目的もくてき • マルクス・レーニン主義しゅぎもとづく共産きょうさん主義しゅぎ社会しゃかい建設けんせつ日本にっぽん共産きょうさん主義しゅぎ革命かくめい
情勢じょうせい変化へんかおうじた世界せかい革命かくめいのための戦略せんりゃくろん展開てんかい
本部ほんぶ パレスチナ国の旗 パレスチナベッカー高原こうげん
公用こうよう 日本語にほんご
最高さいこう指導しどうしゃ 重信しげのぶ房子ふさこ
重要じゅうよう人物じんぶつ 奥平おくだいら剛士たけし丸岡まるおかおさむ奥平おくだいら純三じゅんぞう岡本おかもとこうさん西川にしかわじゅん和光わこう晴生はるおなど
提携ていけい レバノンリビアパレスチナ解放人民戦線ぱれすちなかいほうじんみんせんせんひがしドイツ
関連かんれん組織そしき ドイツ赤軍せきぐん
職員しょくいんすう
20~30にん
ウェブサイト なし
特記とっき事項じこう 世界せかい革命かくめい戦争せんそうぜん段階だんかい武装ぶそう蜂起ほうきろん国際こくさい根拠地こんきょちろんなど
連合赤軍れんごうせきぐん事件じけん
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日本にっぽん赤軍せきぐん(にほんせきぐん、えい: Japanese Red Army)は、1971ねん5月30にち[1]から2001ねんまで存在そんざいした日本にっぽんしん左翼さよく極左きょくさけい国際こくさい武装ぶそうゲリラ組織そしきテロ組織そしき

1971ねん共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐん重信しげのぶ房子ふさこ京大きょうだいパルチザン奥平おくだいら剛士たけしらがパレスチナパレスチナ解放人民戦線ぱれすちなかいほうじんみんせんせん(PFLP)への国際こくさい義勇ぎゆうへい(アラブ赤軍せきぐん)として結成けっせい[2]1974ねん公式こうしきに「日本にっぽん赤軍せきぐん」と名乗なのり、1980年代ねんだいにかけて、東側ひがしがわ諸国しょこく中東ちゅうとう諸国しょこくからの支援しえんけて多数たすう武装ぶそう闘争とうそう事件じけん日本にっぽん赤軍せきぐん事件じけん)をこしたが[1][3]2001ねん重信しげのぶ自身じしん解散かいさん表明ひょうめいした。2022ねん5月時点じてんで7にん国際こくさい手配てはい国際こくさい指名しめい手配てはいちゅう[4][5]

赤軍せきぐん世界せかい革命かくめい一環いっかんとしての日本にっぽん革命かくめい主張しゅちょうし、国際こくさい根拠地こんきょちろんにより中東ちゅうとう諸国しょこくからの支援しえんけて海外かいがい拠点きょてんいた[3]日本にっぽんこく公安調査庁こうあんちょうさちょうは「テロ組織そしき」とんでいる[1]後継こうけい市民しみん団体だんたいムーブメント連帯れんたいきゅう連帯れんたい[1]

なお、1970ねんよどごうハイジャック事件じけん共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐんこした事件じけん、1971ねん以降いこう山岳さんがくベース事件じけんあさま山荘さんそう事件じけん連合赤軍れんごうせきぐんこした事件じけんである[5][6]

歴史れきし

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前史ぜんし

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ろくぜんきょう方針ほうしん転換てんかんした日本にっぽん共産党きょうさんとうによる全学ぜんがく共闘きょうとう会議かいぎ全共闘ぜんきょうとう)への指導しどう学生がくせい党員とういんから反発はんぱつんだ[7]ろくぜんきょうによる方向ほうこう転換てんかん日本にっぽん共産党きょうさんとう全学ぜんがくれんなどの学生がくせい運動うんどう日常にちじょう要求ようきゅう路線ろせんまわ主義しゅぎへと指導しどうしようとしたことは、全学ぜんがくれん日本にっぽん共産党きょうさんとうからの決別けつべつ共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい(ブント)の誕生たんじょう原因げんいんとなった[7]

共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい 全共闘ぜんきょうとう主流しゅりゅうが1958ねん12月に日本にっぽん共産党きょうさんとう離脱りだつし、しん左翼さよくけい共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい(ブント)が結成けっせいされた。これをだいいちブントぶ。共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめいは60ねん安保あんぽ闘争とうそう主導しゅどうしたが、指導しどう責任せきにんめぐ内部ないぶあらそいで分裂ぶんれつ解体かいたいされた[8]

重信しげのぶ高校こうこう卒業そつぎょう会社かいしゃいん生活せいかつおくりながら1965ねん明治大学めいじだいがくよるあいだ入学にゅうがくした。そして学友がくゆう復学ふくがく闘争とうそうをきっかけに学生がくせい運動うんどう没頭ぼっとう、1969ねん共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい(ブント)の結成けっせいくわわった[9][10]

1966ねん共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい再建さいけんされ(だいブント[8]重信しげのぶ学生がくせい機動きどうたい衝突しょうとつした1967ねんの「羽田はた闘争とうそう」にも参加さんかし、「救援きゅうえん部隊ぶたい」として「催涙さいるいガスのいたみにくとされたカットレモン」をくば役目やくめをしている[11]

共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐん だいブントは70ねん安保あんぽ闘争とうそう主導しゅどうしたが、1970ねんには共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐん赤軍せきぐん)など多数たすうセクト分裂ぶんれつさい解体かいたいされた[8]。1969ねんの4・28沖縄おきなわデー闘争とうそう敗北はいぼく総括そうかつした「共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめいだいブント)」は、暴力ぼうりょく闘争とうそう方針ほうしんへの賛否さんぴ内部ないぶ対立たいりつ深刻しんこくした。そのため、同年どうねん9がつ4にち同盟どうめいないさい左派さは離脱りだつし、共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐん赤軍せきぐん)が設立せつりつされた[1]共同通信きょうどうつうしんによると1969ねんごろには重信しげのぶ教師きょうしになるというゆめて、武装ぶそう闘争とうそう主張しゅちょうするブントのグループに所属しょぞくし、赤軍せきぐん結成けっせいくわわっている[11]

同年どうねん11がつ佐藤さとう首相しゅしょう訪米ほうべい阻止そし闘争とうそうまえ武装ぶそう蜂起ほうきするとの闘争とうそう方針ほうしん(「ぜん段階だんかい武装ぶそう蜂起ほうきろん)を主張しゅちょうし、70ねん安保あんぽ闘争とうそう事実じじつじょう決戦けっせん位置付いちづけた。その準備じゅんび着手ちゃくしゅしたが、大菩薩峠だいぼさつとうげ事件じけんとうでの大量たいりょう逮捕たいほけて失敗しっぱいした[1]当該とうがい大量たいりょう逮捕たいほけて、塩見しおみ孝也たかやは「社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかとう根拠地こんきょち建設けんせつ国際こくさいてき支援しえんけて、日本にっぽん革命かくめい達成たっせいする」「海外かいがいにも運動うんどう拠点きょてん同盟どうめいぐん必要ひつようがある」との「国際こくさい根拠地こんきょちろん」をとなえた[1]。1970ねん3がつ31にちにはごくがいグループの一部いちぶである田宮たみや髙麿軍事ぐんじ委員いいんちょうら9にんが1970ねんよどごうハイジャック事件じけんこして日本にっぽんから北朝鮮きたちょうせんへと出国しゅっこくしたが[2]塩見しおみ孝也たかやなどの幹部かんぶへの相次あいつ検挙けんきょなどで組織そしき体系たいけい混乱こんらんしていった[1]

一方いっぽう中東ちゅうとうパレスチナではイスラエル占領せんりょう反対はんたいするパレスチナ解放かいほう機構きこうなどの武装ぶそう闘争とうそうつづいており、パレスチナ解放人民戦線ぱれすちなかいほうじんみんせんせん(PFLP)とともに1968ねんエル・アル航空こうくう426便びんハイジャック事件じけん、1970ねんPFLP旅客機りょかくき同時どうじハイジャック事件じけんなどをこしていた[3][1]

結成けっせい

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1971ねん2がつ26にち赤軍せきぐん重信しげのぶ房子ふさこ[11][10]もと京大きょうだいパルチザン」の奥平おくだいら剛士たけしらは、赤軍せきぐんの「国際こくさい根拠地こんきょちろん」にもとづき偽装ぎそう結婚けっこんしてパレスチナおもむき、PFLPへ国際こくさい義勇ぎゆうへいとして参加さんかしたが、当時とうじ独立どくりつした組織そしきとの認識にんしき共有きょうゆうされておらず、自称じしょうも「アラブ赤軍せきぐん」、「赤軍せきぐんアラブ委員いいんかい」、「革命かくめい赤軍せきぐんとうであった。しかしPFLPにはドイツからも「赤軍せきぐん」を名乗なの組織そしきドイツ赤軍せきぐん)が義勇ぎゆうへいとして参加さんかしていたため、区別くべつため重信しげのぶらは1974ねんごろより「日本にっぽん赤軍せきぐん」を名乗なのるようになった[12]

なお日本にっぽんのこった赤軍せきぐんごくがいグループの公然こうぜん部隊ぶたいは、のち京浜けいひん安保あんぽ共闘きょうとう合流ごうりゅうして連合赤軍れんごうせきぐん結成けっせいし、山岳さんがくベース事件じけんあさま山荘さんそう事件じけんこすこととなった[11]

活動かつどう活発かっぱつ

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当初とうしょレバノンベッカー高原こうげんおも根拠地こんきょち軍事ぐんじ訓練くんれんふく活動かつどうおこなった。また足立あだちただしせい若松わかまつ孝二こうじ映画えいが製作せいさくしゃをパレスチナにまねき、映画えいが赤軍せきぐん-PFLP世界せかい戦争せんそう宣言せんげん』の製作せいさく協力きょうりょくした。

1972ねん2がつ連合赤軍れんごうせきぐんによるあさま山荘さんそう事件じけんでは、『赤軍せきぐん同志どうし諸君しょくんならびに連合赤軍れんごうせきぐん同志どうし諸君しょくんそして友人ゆうじんたちへ』を発表はっぴょうし、共産きょうさんどう赤軍せきぐんからの訣別けつべつと、独自どくじ立場たちばでの革命かくめい運動うんどう展開てんかい宣言せんげんした。

1972ねん5月30にちテルアビブ空港くうこう乱射らんしゃ事件じけんでは、パレスチナの武装ぶそうグループらと連携れんけいして、イスラエルのロッド空港くうこうげんベン・グリオン国際こくさい空港くうこう)で搭乗とうじょうきゃくちゅうちゅう旅客機りょかくき対象たいしょうにした差別さべつ乱射らんしゃおこない、一般いっぱん市民しみん中心ちゅうしんに100にん以上いじょう死傷ししょうしゃした[13]

この事件じけんはPFLP主導しゅどう作戦さくせん日本人にっぽんじんメンバーは義勇ぎゆうへい参加さんかであったが、「日本にっぽん赤軍せきぐん」(Japanese Red-Army)、のちには「日本にっぽん赤軍せきぐん」とも報道ほうどうされ、中東ちゅうとう欧米おうべい日本にっぽんなどで注目ちゅうもくされた。また、イスラエルの空港くうこう乱射らんしゃという生還せいかん期待きたいできない最初さいしょから自分じぶんいのちえに成果せいか獲得かくとくしようとした行為こういは、パレスチナの人々ひとびとには衝撃しょうげきてきで、自爆じばくテロというジハードのありかたにも影響えいきょうあたえたという意見いけんもある[14][12][15](ただし「日本にっぽん赤軍せきぐん」との自称じしょうは1974ねん以降いこうであり、京都きょうとパルチザン出身しゅっしん奥平おくだいららと軍事ぐんじ訓練くんれんけたひのきもり孝雄たかお和光わこう晴生はるおは「リッダ闘争とうそう」の実施じっし主体しゅたいはあくまで京大きょうだいパルチザンであると証言しょうげん和光わこう重信しげのぶがPFLFのなかでの自身じしん地位ちいげるために出身しゅっしん母体ぼたいである赤軍せきぐん利用りようしたと主張しゅちょうしている[16][17])。

1970年代ねんだいから1980年代ねんだいにかけて、上記じょうきのテルアビブ空港くうこう乱射らんしゃ事件じけんふくめた多数たすう日本にっぽん赤軍せきぐん事件じけんこした。

初期しょき活動かつどうはPFLPの分派ぶんぱ組織そしきであり、KGB支援しえんされた海外かいがいゲリラ部門ぶもんの「パレスチナ解放人民戦線ぱれすちなかいほうじんみんせんせん外部がいぶ司令しれい」(PFLP-EO)に指導しどうされるかたちであったが、1974ねん以降いこう重信しげのぶ房子ふさこ丸岡まるおかおさむ中心ちゅうしんとした独自どくじたたかいを模索もさく、「アラブ赤軍せきぐん」などの通称つうしょうられたこの組織そしき正式せいしきに「日本にっぽん赤軍せきぐん」を名乗なのるようになった[18]

ダッカ・ハイジャック事件じけんなどで、以前いぜん逮捕たいほされていた過激かげきグループのメンバーなどの釈放しゃくほう要求ようきゅうした。1977ねんのダッカ日航にっこうハイジャック事件じけん当時とうじ日本にっぽんは、テロ事件じけん対応たいおうできる体制たいせい十分じゅうぶんととのっておらず、日本航空にほんこうくう旅客機りょかくきられてしまった。日本にっぽん赤軍せきぐん要求ようきゅうしたがい、拘束こうそくされていた過激かげきのメンバーなど6にん釈放しゃくほうするとともに600まんドルの身代金みのしろきん支払しはらうという「ちょう法規ほうきてき措置そち」という異例いれい措置そちった。

日本にっぽん赤軍せきぐんへの反感はんかん活動かつどう先細さきぼそ

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これらの日本にっぽん赤軍せきぐんこした数々かずかずのテロ事件じけんやハイジャック事件じけんがきっかけとなり、日本にっぽん警察けいさつ当局とうきょく特殊とくしゅ部隊ぶたい(SAT)発足ほっそくさせている[13]

マスコミからの注目ちゅうもく一部いちぶ文化ぶんかじん活動かつどうらからの称賛しょうさんびたが[19]、このよう極端きょくたんかつ過激かげき活動かつどうたいして日本にっぽん国民こくみんからの支持しじ最初さいしょからほとんく、さらに連合赤軍れんごうせきぐん事件じけん日本にっぽん赤軍せきぐんのイスラエル・テルアビブ空港くうこう乱射らんしゃ事件じけんのような凶悪きょうあく行動こうどうは、確実かくじつ日本にっぽん社会しゃかい学生がくせい運動うんどうしん左翼さよく運動うんどうたいするマイナスイメージをけていった[11]

さらにPFLF-EOのワディ・ハダッドの失脚しっきゃくによって活動かつどう停滞ていたい重信しげのぶ指導しどう和光わこうなどのメンバーとの内部ないぶ対立たいりつ深刻しんこくした[20]

1981ねんヤーセル・アラファートPLO議長ぎちょう訪日ほうにちさいし、後藤田ごとうだ正晴まさはる日本にっぽんたいする日本にっぽん赤軍せきぐんによるハイジャックをやめさせるようもうれ、PLO東京とうきょう事務所じむしょ所長しょちょうから「絶対ぜったいにやらせません」と回答かいとうている[21]

そのも1980年代ねんだい中盤ちゅうばんにかけて、いくつかの武装ぶそうゲリラ活動かつどうリビア支援しえん[22]PFLFの分派ぶんぱであり、PLOとは敵対てきたいする立場たちばパレスチナ解放人民戦線ぱれすちなかいほうじんみんせんせんそう司令しれい (PFLP-GC)と連携れんけいするほか組織そしきともに『はん帝国ていこく主義しゅぎ国際こくさい旅団りょだん(AIIB)』めいあるいは『聖戦せいせん旅団りょだん機構きこう(OJB)』めいアジア諸国しょこくヨーロッパ諸国しょこく舞台ぶたいこした[23]。「三井物産みついぶっさんマニラ支店してんちょう誘拐ゆうかい事件じけん」などにおいてほか武装ぶそう組織そしきへの協力きょうりょくおこなったが、アラブ諸国しょこく政府せいふ東側ひがしがわ諸国しょこく政府せいふからの支援しえん減少げんしょう、また欧米おうべい各国かっこくやイスラエル、日本にっぽんなどの西側にしがわ諸国しょこくたいテロ対策たいさく資金しきん規制きせい厳重げんじゅうなどにより、活動かつどう先細さきぼそりとなっていった。

1980年代ねんだい後半こうはん以降いこうには、新規しんき支持しじしゃ支援しえんしゃ獲得かくとく困難こんなん、またイスラエルや西側にしがわ諸国しょこく対立たいりつしていたアラブ諸国しょこく政府せいふ東側ひがしがわ諸国しょこく政府せいふ各国かっこくはん政府せいふ組織そしきからの資金しきん協力きょうりょく活動かつどう提携ていけいがほぼ完全かんぜん途絶とだえたこともあり、1990年代ねんだいはいると「日本にっぽん赤軍せきぐん」としての活動かつどうはほとんどおこなえない状況じょうきょうとなった。主要しゅようメンバーは本拠地ほんきょちベカー高原こうげんはなれ、各地かくち分散ぶんさんして拠点きょてんくこととなった。

壊滅かいめつ

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1990ねん東側ひがしがわ諸国しょこくブルガリアにある米国べいこく大使館たいしかん爆破ばくはねらったがブルガリア警察けいさつ阻止そしされ、PFLF-GCとともにシリアの庇護ひごにあったものの、西側にしがわ諸国しょこくとの摩擦まさつけたいシリアがわ意向いこうひょうだった活動かつどうおこなえず[24]、さらに1980年代ねんだい後半こうはんから1990年代ねんだい後半こうはんにかけて、潜伏せんぷく地下ちか活動かつどうつづけていた丸岡まるおかおさむ和光わこう晴生はるおひとし中心ちゅうしんメンバーが相次あいついで逮捕たいほされ、いま古臭ふるくさくなった理論りろんたいする支援しえんしゃもどんどんり、1990年代ねんだい後半こうはんには組織そしき完全かんぜん壊滅かいめつ状態じょうたいまれた。

2000ねん11月には「最高さいこう指導しどうしゃ」の重信しげのぶ房子ふさこも、ひそかに帰国きこくしており[13]潜伏せんぷくしていた大阪おおさか高槻たかつき旅券りょけんほう違反いはん容疑ようぎ大阪おおさか府警ふけい警備けいび公安こうあんだいさんによって逮捕たいほされた。そのさいに、押収おうしゅうされた資料しりょうにより1991ねんから日本にっぽんでの武力ぶりょく革命かくめい目的もくてきとした「人民じんみん革命かくめいとうおよびその公然こうぜん活動かつどう部門ぶもん担当たんとうする覆面ふくめん組織そしき希望きぼう21世紀せいき」を設立せつりつしていたこと、またそれをあしがかりとして社会しゃかい民主党みんしゅとうきゅう日本にっぽん社会党しゃかいとう)との連携れんけい計画けいかくしていたことが判明はんめいしたと新聞しんぶんとうほうじられた。

希望きぼうの21世紀せいき」はどう事件じけん関連かんれん警視庁けいしちょう大阪おおさか府警ふけい家宅かたく捜索そうさくけたが、日本にっぽん赤軍せきぐんとの関係かんけい否定ひていしている。社会しゃかい民主党みんしゅとう自宅じたくなども「希望きぼうの21世紀せいき」の関連かんれんさきとして同時どうじ捜索そうさくけたが、社会しゃかい民主党みんしゅとうは「なにらなかったが事実じじつ関係かんけい調査ちょうさする」として関係かんけいがあったことを否定ひていした。

解散かいさん

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2001ねん4がつ重信しげのぶ獄中ごくちゅうから「日本にっぽん赤軍せきぐんとしての解散かいさん宣言せんげん」をおこない、解散かいさん表明ひょうめいした[13]警察庁けいさつちょう重信しげのぶ房子ふさこ獄中ごくちゅう解散かいさん宣言せんげん文書ぶんしょ公表こうひょう[25]たいして、革命かくめいのための武装ぶそう闘争とうそう完全かんぜん否定ひていせずに、逃亡とうぼうちゅうの7にんのメンバーに言及げんきゅうしなかったこと、を指摘してきしている。日本にっぽん赤軍せきぐんは、最高さいこう幹部かんぶ重信しげのぶ房子ふさこ逮捕たいほけ、組織そしきなおしとしん活動かつどう拠点きょてん構築こうちく最大さいだい関心事かんしんじとしてんでいる。日本にっぽん警察けいさつ当局とうきょくは、日本にっぽん赤軍せきぐん残党ざんとうはテロ組織そしきとしての性格せいかく堅持けんじしているため、危険きけんせいわりはなく、逃亡とうぼうちゅうのメンバーの早期そうき発見はっけん逮捕たいほ活動かつどう実態じったい把握はあくつとめている[26]

後継こうけい組織そしき

2001ねん12月には日本にっぽん赤軍せきぐん公然こうぜんめんでの後継こうけい組織そしき連帯れんたい」が結成けっせいされている。結成けっせい宣言せんげんにおいて、「わたしたちはたたかいの歴史れきし継承けいしょうする」とし、「日本人にっぽんじんの3戦士せんしいのちをかけた連帯れんたいあかしとして、決死けっし作戦さくせんのリッダ闘争とうそうたたかかれました。そのたたかいは、日本にっぽんではたんなる『テロ行為こうい』としてしかつたえられませんでした。しかし、抑圧よくあつ虐殺ぎゃくさつ最中さいちゅうにあった、パレスチナ解放かいほう闘争とうそう正義せいぎ祖国そこく希求ききゅうするアラブ・パレスチナの人々ひとびとにはあらたな息吹いぶきあたえました」とテルアビブ空港くうこう乱射らんしゃ事件じけん評価ひょうかしている。2003ねん1がつ以後いごに、同名どうめい組織そしき存在そんざいしていたために「ムーブメント連帯れんたい」と改称かいしょうしている[1]

解散かいさん

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重信しげのぶ房子ふさこ産経新聞さんけいしんぶんインタビューで「世界せかいえるといいになっていた。おおくのひと迷惑めいわくをかけていることにづいていなかった。大義たいぎのためならなにをしてもいという感覚かんかくおちいっていた」と自己じこ批判ひはんしている(ただし、テルアビブ空港くうこう乱射らんしゃ事件じけんなど殺人さつじん事件じけんへの見解けんかいえていない)。

ハーグ事件じけんひとし関与かんよ1979ねん日本にっぽん赤軍せきぐん脱退だったいしたかず光晴みつはるせいは、2005ねんもとメンバーの山本やまもと万里子まりこさきイカ万引まんびきして逮捕たいほされたニュースをけて、「このけん日本にっぽん赤軍せきぐん実態じったい実状じつじょうしめしたものであり、かつてヨーロッパで商社しょうしゃいん誘拐ゆうかい未遂みすいだとか、大使館たいしかん占拠せんきょ飛行機ひこうきとう実行じっこうしてきた組織そしきには、はん社会しゃかいてきはん人民じんみんてき性格せいかくがあった」と述懐じゅっかい自己じこ過去かこふく批判ひはんした[27]。その日本にっぽん赤軍せきぐん過去かこ内情ないじょう批判ひはんてき著作ちょさくしている[28]

2022ねん5がつ28にち懲役ちょうえき20ねん刑期けいき満了まんりょう出所しゅっしょした重信しげのぶは、市民しみん活動かつどうかんがえていないこと、平和へいわおだやかにらしたいことかたっている[29]出所しゅっしょ現場げんばには50にんほどの記者きしゃやカメラマンがあつまったさいには「はん世紀せいきまえにはなったが、人質ひとじちるなど、自分じぶんたちの戦闘せんとうだいいちにしたことによってらずのひと被害ひがいあたえたことがあった。ふる時代じだいとはいえ、この機会きかいにおわびする。そのことを自分じぶん出発しゅっぱつてんとしてすえていきたい」と謝罪しゃざいした一方いっぽう、「自分じぶんが『テロリスト』だとかんがえたことはない」と主張しゅちょうした。さらに、自身じしん出所しゅっしょ国際こくさい手配てはいされている日本にっぽん赤軍せきぐんメンバー7にんについて「手配てはいげることによって、日本にっぽんかえれるようになることをねがっている」「必要ひつようとされるじょういてほしい」などとした。」とべた[10]

2022ねん6がつ2にち中村なかむらかく警察庁けいさつちょう長官ちょうかん記者きしゃ会見かいけんで、日本にっぽん赤軍せきぐん解散かいさんかたちだけであり、テロ組織そしきとしての危険きけんせいくなったとみることは到底とうていできないとし、つづのこ逃亡とうぼうちゅうのメンバーの検挙けんきょ努力どりょくしていくことを表明ひょうめいしている。また、メンバーが高齢こうれいしたことをまえ、70さい前後ぜんこうとなった顔立かおだちを想定そうていした似顔絵にがおえポスターが公開こうかいされた[30][31]

おもなメンバー

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日本にっぽん赤軍せきぐんおもなメンバー
氏名しめい 立場たちば 参加さんか 出身しゅっしん おも日本にっぽん赤軍せきぐん事件じけんへの関係かんけい 判決はんけつとその
テルアビブ空港くうこう乱射らんしゃ事件じけん ドバイ日航にっこうハイジャック事件じけん ハーグ事件じけん クアラルンプール事件じけん ダッカ日航にっこうハイジャック事件じけん ジャカルタ事件じけん
 
しけのふ/重信しげのぶ房子ふさこ 最高さいこう幹部かんぶ
政治せいじ委員いいん
1971ねん 赤軍せきぐん 懲役ちょうえき20ねん(2022ねん5がつ28にち満期まんき出所しゅっしょ
おくたいら/奥平おくだいら剛士たけし 最高さいこう幹部かんぶ
軍事ぐんじ委員いいん
1971ねん 京大きょうだいパルチザン テルアビブ死亡しぼう
まるおか/丸岡まるおかおさむ 軍事ぐんじ委員いいん 1972ねん なみ共闘きょうとうおよベ平連べへいれん 無期むき懲役ちょうえき(2011ねん5がつ死去しきょ
わこう/和光わこう晴生はるお 軍事ぐんじ委員いいん 1973ねん 若松わかまつプロダクション社員しゃいん 無期むき懲役ちょうえき(2023ねん11月4にち死去しきょ
おくたいら/奥平おくだいら純三じゅんぞう 軍事ぐんじ委員いいん 1974ねん 京大きょうだいパルチザン 国外こくがい逃亡とうぼう国際こくさい手配てはいちゅう
やすた/安田やすだ安之やすゆき 1971ねん 京大きょうだいパルチザン テルアビブで死亡しぼう
おかもと/岡本おかもとこうさん 1972ねん 国外こくがい逃亡とうぼう国際こくさい手配てはいちゅう
にしかわ/西川にしかわじゅん 軍事ぐんじ委員いいん 1973ねん 無期むき懲役ちょうえき服役ふくえきちゅう
ひたか/日高ひだか敏彦としひこ 軍事ぐんじ委員いいん 1971ねん ヨルダン逮捕たいほ自殺じさつ
はんとう/坂東ばんどう國男くにお 1975ねん 連合赤軍れんごうせきぐん 国外こくがい逃亡とうぼう国際こくさい手配てはいちゅう
ささき/佐々木ささき規夫のりお 1975ねん ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせん 国外こくがい逃亡とうぼう国際こくさい手配てはいちゅう
たいとうし/大道寺だいどうじあや 1977ねん ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせん 国外こくがい逃亡とうぼう国際こくさい手配てはいちゅう
えきた/よくでん由紀子ゆきこ 1977ねん ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせん 懲役ちょうえき20ねん(2017ねん3がつ釈放しゃくほう
せんすい/泉水せんすいはく 1977ねん 統一とういつ獄中ごくちゅうしゃ組合くみあい 無期むき懲役ちょうえき(2020ねん3がつ死去しきょ
にへい/仁平にだいらうつ 1977ねん 統一とういつ獄中ごくちゅうしゃ組合くみあい 国外こくがい逃亡とうぼう国際こくさい手配てはいちゅう
しろさき/城崎きのさきつとむ 1977ねん 赤軍せきぐん アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく懲役ちょうえき30ねん。2015ねん刑期けいき短縮たんしゅくにより釈放しゃくほう強制きょうせい退去たいきょ処分しょぶんとなり、日本にっぽん到着とうちゃく逮捕たいほ殺人さつじん未遂みすいざい現住げんじゅう建造けんぞうぶつとう放火ほうか容疑ようぎ懲役ちょうえき12ねん(2024ねん7がつ20日はつか死去しきょ)。(本人ほんにん日本にっぽん赤軍せきぐんメンバーであることを否定ひてい)。
まつた/松田まつだひさ 1975ねん 赤軍せきぐん 国外こくがい逃亡とうぼう国際こくさい手配てはいちゅう
やまた/山田やまだおさむ 1971ねん 京大きょうだいパルチザン 1972ねん訓練くんれんちゅう死亡しぼう
ひもり/ひのきもり孝雄たかお 奥平おくだいららと訓練くんれんけていたが、山田やまだおさむ水死すいし帰国きこくし、国内こくない丸岡まるおか岡本おかもとオルグべつ組織そしき (共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい火花ひばな)を活動かつどうしていたが、丸岡まるおか逮捕たいほ支援しえん活動かつどう専念せんねん 1971ねん 京大きょうだいパルチザン 2002ねん焼身しょうしん自殺じさつ
あたち/足立あだちただしせい 政治せいじ委員いいん 1974ねん 映画えいが監督かんとく
若松わかまつプロダクション所属しょぞく
懲役ちょうえき02ねん執行しっこう猶予ゆうよ4ねん
とひら/平和へいわおっと 軍事ぐんじ委員いいん 赤軍せきぐん 懲役ちょうえき02ねん6ヶ月かげつ(2003ねん5がつ満期まんき出所しゅっしょ
やまた/山田やまだ義昭よしあき 軍事ぐんじ委員いいん 1973ねん 1986ねん2がつ出頭しゅっとう懲役ちょうえき1ねん4ヶ月かげつ
やまもと/山本やまもと万里子まりこ 日系にっけい百貨店ひゃっかてんパリ支店してん勤務きんむしながら、高橋たかはし武智たけちらとともに欧州おうしゅううちでの協力きょうりょくしゃとして日系にっけい商社しょうしゃいん誘拐ゆうかい計画けいかく関与かんよし、連絡れんらくやくになっていた[32] 懲役ちょうえき02ねん6ヶ月かげつ執行しっこう猶予ゆうよ5ねん
よしむら/吉村よしむら和江かずえ 政治せいじ委員いいん 1971ねん 労働ろうどうしゃ共産きょうさん主義しゅぎ委員いいんかい怒涛どとう 懲役ちょうえき02ねん6ヶ月かげつ執行しっこう猶予ゆうよ4ねん拘禁こうきんしゃ奪取だっしゅざい国際こくさい手配てはいされ、ペルー逮捕たいほ送還そうかん
きくむら/きくむらゆう 正式せいしきメンバーか不明ふめい 1988ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく爆発ばくはつぶつ所持しょじ逮捕たいほ。19ねん服役ふくえきの2007ねん日本にっぽん強制きょうせい送還そうかん偽造ぎぞう有印ゆういん公文書こうぶんしょ行使こうし容疑ようぎ懲役ちょうえき2ねん執行しっこう猶予ゆうよ4ねん

関連かんれん作品さくひん

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小説しょうせつ

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映画えいが

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実際じっさいきた出来事できごとをベースにしたもの

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、ダッカ事件じけん重信しげのぶ房子ふさこ岡本おかもとこうさんかんするテレビドキュメンタリー番組ばんぐみ多数たすう

フィクション

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関連かんれん書籍しょせき

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  • 足立あだちただしせいへいなかせん一夜いちや アラブ獄中ごくちゅう愛育あいいくしゃ、2005ねん9がつISBN 4750002321
  • 石井いしいはじめ『ダッカハイジャック事件じけん 日本にっぽん赤軍せきぐんとのたたかい』講談社こうだんしゃ、1978ねん5がつ2にちNDLJP:12066971 [1]
  • 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃへん)『赤軍せきぐん 1969→2001 そう特集とくしゅう河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2001ねん1がつISBN 4309976018
  • 今野こんの正義まさよしえんじゅゆめ 「赤軍せきぐん誕生たんじょうから終焉しゅうえんまでの軌跡きせき ドキュメント』あおてんしゃ、2004ねん1がつISBN 4883464571
  • 塩見しおみ孝也たかや赤軍せきぐん始末しまつ もと議長ぎちょうかたる40ねんいろどりりゅうしゃ、2003ねん3がつISBN 4882027984
  • 世界せかい革命かくめい戦線せんせん情報じょうほうセンター、査証さしょう編集へんしゅう委員いいんかい 共編きょうへん隊伍たいごととのえよ 日本にっぽん赤軍せきぐん宣言せんげん査証さしょう出版しゅっぱん、1975ねん6がつ30にちNDLJP:12244283 
  • 高木たかぎ規矩きくろう日本にっぽん赤軍せきぐんえ 「ドキュメント」中東ちゅうとう記者きしゃ15ねん取材しゅざいノート』現代げんだい評論ひょうろんしゃ、1986ねん2がつ25にちNDLJP:11927368 [2]
  • 日本にっぽん赤軍せきぐん編著へんちょ)『日本にっぽん赤軍せきぐん20ねん軌跡きせきはなし特集とくしゅう、1993ねん5がつISBN 4826401302
  • 松下まつした竜一りゅういちいかりていう、逃亡とうぼうにはず 日本にっぽん赤軍せきぐんコマンド泉水せんすいはく流転るてん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1993ねん12月、ISBN 4309008739河出かわで文庫ぶんこ: 1996ねん2がつISBN 4309404723松下まつした竜一りゅういちその仕事しごと刊行かんこう委員いいんかいばん: 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2000ねん9がつISBN 4309620736
  • 和光わこう晴生はるおあかはるわたしはパレスチナ・コマンドだった』集英社しゅうえいしゃインターナショナル 2007ねん10がつ ISBN 4797671688
  • 重信しげのぶ房子ふさこ日本にっぽん赤軍せきぐんわたし パレスチナとともに』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 2009ねん7がつ ISBN 978-4309244662
  • 和光わこう晴生はるお日本にっぽん赤軍せきぐんとはなにだったのか―その草創そうそうをめぐって』いろどりりゅうしゃ 2010ねん5がつ ISBN 978-4779114786
  • 小嵐こがらし九八郎くはちろうへん日本にっぽん赤軍せきぐん世界せかい疾走しっそうした群像ぐんぞう図書としょ新聞しんぶん 2010ねん9がつ ISBN 978-4886114365
  • 佐々淳行さっさあつゆき 『ザ・ハイジャック 日本にっぽん赤軍せきぐんとのわが「ななねん戦争せんそう」』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2010ねん11月 ISBN 978-4163733203
  • はらふち勝仁かつひと若松わかまつ孝二こうじ赤軍せきぐんレッド・アーミー』 世界せかい書院しょいん 2016ねん7がつ ISBN 4792795702

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j 日本にっぽん赤軍せきぐん | 国際こくさいテロリズム要覧ようらん2021 | 公安調査庁こうあんちょうさちょう”. www.moj.go.jp. 公安調査庁こうあんちょうさちょう. 2022ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ a b デジタル大辞泉だいじせん. “共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐんとは”. コトバンク. 2022ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c 昭和しょうわ50ねん 警察けいさつ白書はくしょ”. www.npa.go.jp. 2022ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  4. ^ 国際こくさい手配てはいちゅう日本にっぽん赤軍せきぐん - 警視庁けいしちょう
  5. ^ a b 日本にっぽん赤軍せきぐんの「魔女まじょ」5がつ28にちに20ねん刑期けいき満了まんりょう、ついに出所しゅっしょ革命かくめい」という言葉ことば魔力まりょく学生がくせい運動うんどういまの20だいはどうる(47NEWS)”. Yahoo!ニュース. 2022ねん5がつ28にち閲覧えつらん
  6. ^ デジタル大辞泉だいじせん. “連合赤軍れんごうせきぐんとは”. コトバンク. 2022ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  7. ^ a b 平凡社へいぼんしゃ世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん. “共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい日本にっぽん)とは”. コトバンク. 2022ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c だいはん,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんない言及げんきゅう, ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん,日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ),デジタル大辞泉だいじせん,旺文社おうぶんしゃ世界せかい事典じてん さんていばん,百科ひゃっか事典じてんマイペディア,デジタル大辞泉だいじせんプラス,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん. “共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめいとは”. コトバンク. 2022ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  9. ^ 日本にっぽん赤軍せきぐんの「魔女まじょ」5がつ28にちに20ねん刑期けいき満了まんりょう、ついに出所しゅっしょ革命かくめい」という言葉ことば魔力まりょく学生がくせい運動うんどういまの20だいはどうる(47NEWS)”. Yahoo!ニュース. 2022ねん5がつ28にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c 重信しげのぶ房子ふさこもと日本にっぽん赤軍せきぐん最高さいこう幹部かんぶ出所しゅっしょ 「ハーグ事件じけん」で懲役ちょうえき20ねん”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 2022ねん5がつ28にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d e 日本にっぽん赤軍せきぐんの「魔女まじょ」5がつ28にちに20ねん刑期けいき満了まんりょう、ついに出所しゅっしょ革命かくめい」という言葉ことば魔力まりょく学生がくせい運動うんどういまの20だいはどうる(47NEWS)”. Yahoo!ニュース. 2022ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  12. ^ a b 池上いけがみあきら佐藤さとうゆう激動げきどう 日本にっぽん左翼さよく」(講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ)p241-242
  13. ^ a b c d 日本にっぽん赤軍せきぐん重信しげのぶ房子ふさこもと最高さいこう幹部かんぶ 20ねん刑期けいきえて出所しゅっしょ”. NHK. 2022ねん5がつ28にち閲覧えつらん
  14. ^ 立花たちばなたかし『イラク戦争せんそう日本にっぽん運命うんめい小泉こいずみ運命うんめい講談社こうだんしゃ、2004
  15. ^ フランソワ=ベルナール・ユイグ『テロリズムの歴史れきしそうもとしゃ、2013
  16. ^ 和光わこう晴生はるお日本にっぽん赤軍せきぐんとはなにだったのか―その草創そうそうをめぐって』いろどりりゅうしゃ、2010
  17. ^ 水平すいへいせんこうに――72・5・30 リッダおぼひのきもり孝雄たかお
  18. ^ 和光わこう晴生はるお日本にっぽん赤軍せきぐんとはなにだったのか――その草創そうそうをめぐって――(だいかい)」 (しょう月刊げっかん 情況じょうきょう 2009ねん04がつ きゅうベ平連べへいれん運動うんどう情報じょうほうページ
  19. ^ 重信しげのぶ房子ふさこ自分じぶんの『おんな』を利用りようする」日本にっぽん赤軍せきぐんもとリーダーが「魔女まじょ」とばれた理由りゆう 日本にっぽん左翼さよく100ねん総括そうかつ 田原たはらまき文春ぶんしゅんオンライン、2022ねん8がつ13にち
  20. ^ [帰国きこくしゃ裁判さいばんかんがえるかい 会報かいほう『ザ☆パスポート』2003ねん No.111 「まずはウソ・ハッタリをやめよう」和光わこう晴生はるお]
  21. ^ 後藤田ごとうだ正晴まさはる (1991). ささえるうごかす. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. pp. 132-133 
  22. ^ Red Circle: Japanese Terror and the Middle East Brown Political Review, FEBRUARY 16, 2015
  23. ^ 平成へいせい元年がんねん 警察けいさつ白書はくしょ
  24. ^ インデペンデント、1992ねん7がつ22にち
  25. ^ 解散かいさん宣言せんげんする文書ぶんしょ公表こうひょうしましたが、警視庁けいしちょう公安こうあん関係かんけいしゃは「日本にっぽん赤軍せきぐんメンバーの思想しそうかんがえると“獄中ごくちゅう”での解散かいさん宣言せんげん効力こうりょくには疑問ぎもんのこる」などとし”. www.youtube.com. ANNnewsCH. 2024ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  26. ^ 重大じゅうだい事件じけんとう展開てんかいした日本にっぽん赤軍せきぐんその国際こくさいテロリスト(警察庁けいさつちょう”. www.npa.go.jp. 2022ねん5がつ28にち閲覧えつらん
  27. ^ 和光わこう晴生はるお. “支援しえんれんニュースNo.268「和光わこう裁判さいばんいちしん結審けっしんです」”. ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせんかんする よもやま情報じょうほうのホームページ. 2012ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  28. ^ 日本にっぽん赤軍せきぐんとはなにだったのか―その草創そうそうをめぐって』いろどりりゅうしゃ
  29. ^ 日本にっぽん赤軍せきぐんの「魔女まじょ」5がつ28にちに20ねん刑期けいき満了まんりょう、ついに出所しゅっしょ革命かくめい」という言葉ことば魔力まりょく学生がくせい運動うんどういまの20だいはどうる(47NEWS)”. Yahoo!ニュース. 2022ねん5がつ28にち閲覧えつらん
  30. ^ 日本にっぽん赤軍せきぐん解散かいさんは「かたちだけ」警察庁けいさつちょう長官ちょうかん逃亡とうぼうしゃ摘発てきはつに「最大限さいだいげん努力どりょく”. 毎日新聞まいにちしんぶん (2022ねん6がつ2にち). 2022ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  31. ^ 国家こっか公安こうあん委員いいんかい委員いいんちょう代理だいり記者きしゃ会見かいけん要旨ようし”. www.npsc.go.jp. www.npsc.go.jp (2022ねん6がつ2にち). 2022ねん12月2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  32. ^ 和光わこう晴生はるお日本にっぽん赤軍せきぐんとはなにだったのか――その草創そうそうをめぐって――(だいかい)」月刊げっかん 情況じょうきょう 2009ねん04がつごう
  33. ^ 実録じつろく・トークショーレポ 早稲田わせだ松竹しょうちく、2011ねん2がつ5にち
  34. ^ 若松わかまつ孝二こうじ赤軍せきぐんレッド・アーミー 」はらふち勝仁かつひとちょ世界せかい書院しょいん、2016ねん7がつ、p123

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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