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松平 親貞(まつだいら ちかさだ)は、江戸時代中期の交代寄合旗本。松平郷松平家(太郎左衛門家)12代当主。
松平郷松平家の分家旗本松平家(次郎左衛門家)4代・松平信久の子として誕生した。初めは甚次郎定宗と称した。
伯父の松平郷松平家11代松平信和の嫡男和通が元禄9年(1696年)5月に天然痘で死去したため、同年8月、本家の養子となり、帯刀親貞と名乗る。元禄15年(1702年)、養父が64歳で死去したため、家督を相続した。
享保10年(1725年)4月18日、死去。享年55。戒名は光岳院殿明誉照山居士。生塚山に葬られた。