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2月, 2012 - はかもなきこと

じゅうねんみがけいちけん

劍客けんかく 賈島

じゅうねんみがけいちけん
しも曾試
今日きょうきみ
だれため不平ふへいごと

じゅうねんみがけいちけん」はよりゆき山陽さんようのオリジナルではなかったということか。

ただ、「遺恨いこんじゅうねんすりいちけん」とアレンジしたところはうまい。

いまだに推敲すいこうしてるのだが

やまい両月わち兪益
起臥きが無聊ぶりょう俘囚ふしゅう
むかいあき不覚ふかく秋風あきかぜひや
まどがいただながめ片雲へんうんりゅう

ふと、わりのくだりしろ酷似こくじしているのにづいてしまった。

故人こじん西にしづるろう
けむりはなさんがつあげしゅう
孤帆こはんどおかげ碧空へきくうつき
おもんみ長江ちょうこう天際てんさいりゅう

無意識むいしきのうちに真似まねてしまったのだなあ。

Geißenpeter

オリジナルの『ハイジ』、つまりシュピリがいたドイツ原文げんぶんでは、ペーターは Geißenpeter とばれている。
Peter が洗礼せんれいめい本名ほんみょう、Geißenpeter はあだで、Geißen というのはひつじいか山羊やぎいのようなものかとおもったが、
どく辞典じてん調しらべてみると、Geiß というのは「めす山羊やぎ」のことなのだった。
なるほど、山羊やぎ放牧ほうぼくくのは、山羊やぎちちるためであるから、メスしかいなくておかしくない。
ちちない「山羊やぎ」は、たね山羊やぎ(?)以外いがいはみな屠殺とさつされてしまうのだろう。
にわとり乳牛にゅうぎゅうおな運命うんめいだわな。

メスヤギはオスヤギよりからだちいさく気性きしょうもおとなしくて、したがってペーターやハイジのような子供こどもでもあつかえるということではないか。

清原きよはら

ぜんきゅうねんやく 1051ねん – 1062ねん
延久のべひさ蝦夷えぞ合戦かっせん 1069ねん – 1074ねん
こうさんねんやく 1083ねん – 1087ねん
このみっつのたたかいには関連かんれんせいがあるのか。
延久のべひさ蝦夷えぞ合戦かっせん後三条ごさんじょう天皇てんのう時代じだいで、後三条ごさんじょう桓武かんむ天皇てんのう思慕しぼし、せいえびす意図いとがあったという。
こうさんねんやく白河天皇しらかわてんのう即位そくいから院政いんせいにすっぽりふくまれている。
かつ、こうさんねんやく主役しゅやく八幡やはた太郎たろう白河天皇しらかわてんのう扈従こしょう身辺しんぺん警護けいご武士ぶし北面ほくめん武士ぶしのはしりでもある。

おもうに、ぜんきゅうねんやくというのは、それらしきものはあったかもしれないが、いわば前説ぜんせつのようなもので、戦争せんそう実態じったいはそれほどないのかもしれない。
このみっつのたたかいの過程かてい蝦夷えぞ清原きよはらおこほろんでいる。
わって奥州おうしゅう藤原ふじわら時代じだいがくる。

なんかおもしろそうだな。

懿子2

角田つのだ文衛ふみえまちけんもんいん璋子あきこ生涯しょうがい』をんでいておもったのだが、
白河天皇しらかわてんのう最初さいしょきさき天皇てんのうより11さい年上としうえで、きさきが28さい天皇てんのうが17さい
立太子りったいししたとし結婚けっこんしたそうだ。
これまたかなり無茶むちゃ結婚けっこんである。

源氏物語げんじものがたり』のきりつぼなどむとわかるが、皇子おうじ御曹司おんぞうしといって、元服げんぷくするまでは母親ははおや一緒いっしょむ。
元服げんぷくしたら一家いっかかまえて別居べっきょすることになるが、
普通ふつう皇子おうじには財産ざいさんがなくいえもないから、金持かねもちの貴族きぞくむすめ結婚けっこんして、その貴族きぞくいえ所領しょりょうをもらうことになる。
光源氏ひかるげんじ最初さいしょつまもそうだったし、
白河天皇しらかわてんのうつまほう年上としうえ
こう白河しらかわ法皇ほうおう同様どうようだった可能かのうせいたかい。

まちけんもんいん璋子あきこちち藤原ふじわらこうで、璋子あきこ腹違はらちがいのあねにあたる女子じょし公子こうし(きみこ)が、藤原ふじわらけいじつとついでんだが懿子である。だから、懿子は璋子あきこめいにあたる。

また、みなもとゆうじん白河天皇しらかわてんのうおいにあたるが、
やはりおおやけむすめをめとり、子供こどもができなかったのか、懿子を養子ようしにしている。
懿子が皇子おうじ時代じだい後白河天皇ごしらかわてんのう結婚けっこんしたとき、懿子は24さい後白河天皇ごしらかわてんのうは13さいだった。
のいとこどうし(祖父そふがいずれもおおやけ)の結婚けっこんということになる。
とすると、やはり、後白河天皇ごしらかわてんのうはしっかりした後見人こうけんにん(この場合ばあい藤原ふじわらけい)をつために、
つまりおも財政ざいせいてき理由りゆうで懿子と結婚けっこんした、とかんがえたほうがよかろう。

孝明天皇こうめいてんのう御製ぎょせい

孝明天皇こうめいてんのうごうは「此花このはな」とうので、その私家集しかしゅうには「此花このはなしゅう」「此花このはなしんしゅう」などという名前なまえがついている。
平安へいあん神宮じんぐうへん孝明天皇こうめいてんのう御製ぎょせいしゅう』だが、その前半ぜんはん部分ぶぶんわかころんだ詠草よみくさであり、それほどみるべきものはない。
36さいくなっており、しかも、元治もとはるとか慶応けいおう(1863-67)のさい晩年ばんねんころうたってない。
と、うことは、あったかもしれないが、のこってない、だれにもられてないということだろう。

面白おもしろいなとおもえるうた一時期いちじき集中しゅうちゅうしている。つまり、黒船くろふね安政あんせいもと(1853)ねんから、長州ちょうしゅう都落みやこおち、薩会同盟どうめい成立せいりつしたころ(1863)だ。およそ、じゅうだい前半ぜんはんからわりまで。

」とか「蚊遣かやり」とか「遊女ゆうじょ」とかそういう通俗つうぞくてきないろんなだいんだものもある。これも一種いっしゅ題詠だいえいで、明治天皇めいじてんのうもやっているので、
おそらく当時とうじ一般いっぱんてきだった一種いっしゅ習作しゅうさくのようなものなのだとおもうが、それにわり面白おもしろいものがおおい。
まあさすがに明治天皇めいじてんのうは「遊女ゆうじょ」のうたまなかった(のこされてないor公開こうかいされてない)。
明治天皇めいじてんのう場合ばあい恋歌こいうたもたしか公開こうかいされてない。
もともと存在そんざいしないはずはないとおもうのだが。
ものすごく、てみたいはする。

歴史れきしてき仮名遣かなづかいはかなりでたらめで和歌わか特有とくゆう漢字かんじ非常ひじょうおおい。
明治天皇めいじてんのう時代じだいにはきちんとした仮名遣かなづかいが確立かくりつしており、なおしてくれる学者がくしゃ大勢おおぜいいたから、仮名遣かなづかいの間違まちがいは皆無かいむだが、
孝明天皇こうめいてんのう場合ばあいにはそれも期待きたいできなかっただろう。
そもそも和歌わかたちもきちんとはわかってなかっただろう。
そのへんはいてかんがえてあげないとかわいそうだ。
字余じあまりも(とく初期しょき詠草よみくさには)おおい。
当時とうじある程度ていど字余じあまりが許容きょようされていたということだろうとおもう。

> しげるをば しともるな なつはな あきときはなくものを

「ぞ」があるのに連体れんたいがたつづかない。「はなくものを」は字余じあまり。
かみがなんとなく俳句はいくてきかみだけで俳句はいくになってしまう。
なつくさるとからないといううた後醍醐天皇ごだいごてんのうにもあり、明治天皇めいじてんのうにもたしかあったとおもうが、
面白おもしろいが、こういうのはあまりよろしくない。

> あつかげもとほさぬ 山陰やまかげ岩井いわいみずぞ わきてすずしき

「かげもとほさぬやまかげ」というのがなんとなくくどいがする。これも、わるくはないが。

七夕たなばた草花くさばな

> おのづから 手向たむがおにも きいづる はな八千草やちぐさ ほし逢瀬おうせ

これは、すこ面白おもしろい。

女郎花おみなえし

> なびくとも ひとかたならぬ 女郎花おみなえし こころかる のべの秋風あきかぜ

晩夏ばんかせみ

> なつも しばしになりぬ せみこえもあはれに こえつるかな

> あきびとの るや重荷おもにさんりん なにをしるしに もとめけるかも

閑居かんきょ

> はるぬと やなぎいとなびけども ひともなき 宿やどしずけさ

よもぎ

> おのづから ひともなく なりにけり 宿やどはよもぎや おひしげりつつ

かしわ

> なつれば しげ木立こだちなかにしも みどりをそふる ならのかしわ

ひのき

> よろづえだはさまざま あるなかに ひとり檜原ひのはらの なほきかげかな

述懐じゅっかい

> 位山くらいやま こうきにのぼなれども ただばかりぞ 歎ききせじ

遊女ゆうじょ

> ぎいでて ゆききのひとの うかれつま 浮舟うきふねの ちぎりなるらむ

往時おうじ

> いまはただ りとしも いつしかは ひとむかしとやげんはむ

いのりこい

> わがいのち あらむかぎりは いのりらめや つゐにはかみの しるしをも

よせふう述懐じゅっかい

> 異国いこくも なづめるじんのこりなく はらいことごとくさむ 神風かみかぜもがな

異国いこく(ことくに)もなづめるじんも」というのは外国がいこくじん日本人にっぽんじんかたくななひとも、という意味いみ

夏月かづきりょう

> らず おうぎらで つきすずよるながかれよ たんきは

ゆきちゅうもち

> 富士ふじみね姿すがたをここに うつむ みやこもいまゆきやま

夕立ゆうだち

> ゆふだちの ぎてもたか川波かわなみを うれしがほにも のぼ真鯉まごい

田邊たなべやなぎ

> はいるる みずのかはづも るばかり 門田かどたやなぎ いとしだれてける

「たれてける」は口語こうごてき本来ほんらいは「たれてけり」だろう。

たけゆきふか

> くにのこと ふかおもへと いましめの ゆきもるか えん呉竹くれたけ

うめ

> このくにの けがれぬからは はるごとに かくうめかおりつるかな

ふちかめ

> おもくらべばいづれ ふかふち みもかべる かめかばや

みどり紅蓮ぐれん

> なつすずいけみどりみずうえに くれなゐふかはちすさきける

田家たや槿むくげ

> 賤のおんな門田かどたさきける あさがほは けふのつとめを いそぐしん

しもかくれ落葉らくよう

> 冬枯ふゆがれて りゆく 見苦みぐるしと おほひもかくしも白妙しろたえ

わりと斬新ざんしん個性こせいてきうたもたまにある、まあまあのできではなかろうか。

長尾ながおけいはれらん川越かわごえ夜戦やせん

[川越かわごえ素描そびょう](http://p.booklog.jp/book/32888)のためみをやした。
ほとんど無料むりょうめるが、完全かんぜんばんみたいひとだけ有料ゆうりょうにしてあるという状態じょうたい

今回こんかい無料むりょうしたのは、長尾ながおけいはれらんのはじめのところと川越かわごえ夜戦やせん部分ぶぶんだ。

川越かわごえ夜戦やせんは、太田おおた道灌どうかん江古田えこだげんたたかいを北条早雲ほうじょうそううん目撃もくげきして、まご氏康うじやす道灌どうかん戦法せんぽう参考さんこうにした、
というややこしい仕組しくみになっている。
これは、『ナポレオン 獅子じし時代じだい』で、ナポレオン・ボナパルトが、
わかころのカスティリオーネのたたかいを、アウステルリッツでより完璧かんぺきかたち再現さいげんしてみせた、というはなし参考さんこうにしている。

いや、というよりは、ナポレオンのアウステルリッツのたたかいを目撃もくげきしたプロイセンのクラウゼヴィッツがのちにその戦法せんぽう参考さんこうにした、
という逸話いつわほうちかいな。

むろん、江古田えこだげんたたかいも川越かわごえ夜戦やせんも、実際じっさいはどんなたたかいだったかほとんどまったくわかってない。
完全かんぜんつくばなし創作そうさくといってい。
カスティリオーネやアウステルリッツのたたかいにているわけでもない。

一言ひとことえば「籠城ろうじょうする味方みかたおとりにして、てきいち箇所かしょあつめて一網打尽いちもうだじんにする戦法せんぽう」なのだが、
もはや自分じぶんがどうやってそのはなしおもいついたか、おもせない。
えていえば木曾きそ義仲よしなか倶利伽羅峠くりからとうげたたかいにくもない。
ハンニバルや楠木くすのき正成まさしげ戦法せんぽうにもたようなのがあったかもしれん。
もしかすると厳島いつくしまたたかいとか長篠ながしのたたかいにてるかもしれん。

いや、アウステルリッツのたたかいというのも、てきおかうえ場所ばしょさき布陣ふじんさせておき、
退却たいきゃくするふりをして、てき陣地じんちてくると、今度こんど自分じぶんらがそのおかり、
中央ちゅうおう突破とっぱによっててき戦力せんりょく分断ぶんだん
総崩そうくずれになったてきって各個かっこ殲滅せんめつする、という手法しゅほうだから、くもないわな。いや、やっぱり全然ぜんぜんてないな。
なんかだんだん自分じぶんでもわからなくなってきた。

研究けんきゅうしゃ転職てんしょく

[異国いこくよりになったもの2けんほか](http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/02/2-ae94.html)

> 日本にっぽんのこういうメーカーあがりの技術ぎじゅつしゃなんですけど、30だい前後ぜんこうから35さいぐらいまでの転職てんしょく市場いちばではとっても価値かちのある値段ねだん流通りゅうつうしており、しかも大量たいりょうやとうのは外資がいしけいソフトウェアとか韓国かんこくけい企業きぎょうで、さらにやとったひとたちの75%ぐらいが40だいちょっと手前てまえでさらに労働ろうどう市場いちばてくる(クビなのか自発じはつてき退職たいしょくなのかはべつとして)のが興味深きょうみぶかいところでもあります。あきらかに国際こくさい市場いちば通用つうようするんだけど、コミュさわなのか安定あんてい志向しこうなのか、高給こうきゅうててでもはたらきやすくてクビにならない会社かいしゃにゅうろうとするのはもはや国民こくみんせいなのかもしれず。

うーん。
研究けんきゅうしゃとしてしゅんなのは20だい後半こうはんから30だいなかばまでだとおもうのよね。
そのしゅんぎて、そのまま会社かいしゃにいるよりは転職てんしょくしたほういかなとひとが、
高級こうきゅうだか待遇たいぐうかれて外資がいしけい転職てんしょくしてみたりする。
しかし40ぎると研究けんきゅうしゃとしてきていくにはとしりすぎていて、
給料きゅうりょうすくなくていいから管理かんりしょく営業えいぎょうしょくみたいな「文系ぶんけい就職しゅうしょく」したくなる。
ただそれだけではなかろうか。

> 博士はかせ課程かてい墓場はかばのような会社かいしゃのR&Dリソースの最適さいてきというのは難題なんだいだなあとあらためておもったり。

博士はかせはつぶしきかないですよ。そりゃ世界せかいてきにそうなんじゃないの。
それこそスポーツ選手せんしゅみたいに20だいくらいに一生いっしょうぶんかせぐか、会社かいしゃこすか、
でなきゃ普通ふつうのサラリーマンになるしかないんじゃないのかなあ。

「まし」と「なまし」と「てまし」

「まし」と「なまし」と「てまし」だが、よくている。

「まし」は推量すいりょうまたははんじつ仮想かそう助動詞じょどうし未然みぜんがた接続せつぞく

「なまし」は完了かんりょう助動詞じょどうし「ぬ」の未然みぜんがた+「まし」。連用形れんようけい接続せつぞく

「てまし」も完了かんりょう助動詞じょどうし「つ」の未然みぜんがた+「まし」。連用形れんようけい接続せつぞく

「ぬ」と「つ」では、「つ」のほう主観しゅかんてき意志いしつよい。「ぬ」は自然しぜん現象げんしょう完了かんりょうした、という意味いみつよいが、
次第しだい混同こんどうされるようになった。なので、伊勢物語いせものがたり

今日きょうずは明日あしたゆきとぞりなましえずはありともはなましや

が、「なまし」のもともとの使つかかたで、「ってしまったにちがいない」の意味いみ

うぐいすをあひかへはちるまてもわかぶつにしてはなてまし

これもはんじつ仮想かそう意味いみつよい。「る」とか「たてまつる」などの人間にんげん動作どうさに「てまし」がくのが本来ほんらいのようだ。

ただ「てまし」も「なまし」もただ「まし」でも代用だいよう可能かのうだから、
うたながわせには便利べんりえるかもれん。

たとえば、「なり」につづけて「ならまし」「なりなまし」「なりてまし」などとなるが、
「なりてまし」の用例ようれいはない。「なる」のは意志いしではなくて自発じはつだからだろうか。

おもえひいでてとふごとのはをたれみまし白雲しらくもりなましかば

うめがかをそでにうつしてとどめてははるはすぐともかたみならまし