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12月, 2015 - はかもなきこと

世襲せしゅう効用こうよう

社会しゃかいシステムというものがなにもなかった中世ちゅうせいにおいては、
政治せいじにしても社会しゃかい保障ほしょうにしても芸事げいごとにしても、
なに世襲せしゅうというかたちにしなくては持続じぞくせいたなかった。
世襲せしゅうでない、みな機会きかいあたえられて競争きょうそうができる状態じょうたいのほうがすぐれているというのは、
社会しゃかいシステムが完備かんびしている現代げんだいだからえることなのだ。
天皇てんのうにしても将軍家しょうぐんけにしても歌道かどういえにしても、みなというものをつくって「実体じったい
しなくてはならなかった。
血統けっとう」というもので相伝そうでんまもってかねばならなかった。
一旦いったん、「いえ」「血統けっとう」というものが確立かくりつしたら、それをさらにいろんな伝説でんせつ理論りろん武装ぶそうし、
身内みうち結束けっそくしなくてはならなかった。
個人こじん崇拝すうはいが、秘伝ひでん教義きょうぎがそこにまれる。

それが、勅撰ちょくせん選者せんじゃ世襲せしゅうした定家さだいえ運命うんめいだったのだ。
定家さだいえ個人こじん業績ぎょうせきというものももちろんあるのだが、定家さだいえがなした一番いちばんおおきな業績ぎょうせき選者せんじゃ世襲せしゅうしたということだ。

世襲せしゅういま時代じだいにも案外あんがい効用こうようがある。社会しゃかいシステムがいまだに不完全ふかんぜんだから、ふるき「」というものがおぎなうのである。

三種さんしゅ神器じんぎ呪術じゅじゅつせい

虚構きょこう歌人かじん』では承久じょうきゅうらんのことを日本にっぽん最大さいだいくろ歴史れきしいた。
こう堀河ほりかわ天皇てんのう三種さんしゅ神器じんぎ権威けんいだけで即位そくいしたのは律令制りつりょうせい否定ひていされて古代こだい呪術じゅじゅつ復活ふっかつしたからだと。
歴史れきしもどしたからだと。

ましかし、あらためておもうに、三種さんしゅ神器じんぎはそれまでも政争せいそう使つかわれてきた(花山はなやま天皇てんのう退位たいいとき安徳天皇あんとくてんのう入水じゅすいなど)、
のだが、承久じょうきゅうらん三種さんしゅ神器じんぎたんなる皇位こうい継承けいしょう手段しゅだんとして使つかわれたことで、
完全かんぜん呪術じゅじゅつてき価値かちうしなった、とも解釈かいしゃくできる。
また律令制りつりょうせい崩壊ほうかいした。
承久じょうきゅうらんはまさに、呪術じゅじゅつせい律令制りつりょうせい破壊はかいして、武家ぶけ政権せいけん封建ほうけん社会しゃかいをもたらした。
そのあやうい転換てんかんてん北条ほうじょうやすしという天才てんさいがうまく連結れんけつした。
不連続ふれんぞくになったはずの日本にっぽん歴史れきしを、完全かんぜん溶接ようせつしてみせたのだ。
たいがあまりにも天才てんさいなのでわたしたちは承久じょうきゅうらんたいも、なが日本にっぽん歴史れきしなか見落みおとしてしまうくらいだ。
皇位こうい継承けいしょうというものが北条ほうじょう執権しっけんにより純化じゅんかされ後世こうせい不朽ふきゅうつたえられた、といえる。
このことによって承久じょうきゅうらんくろ歴史れきしてんじてしろ歴史れきしにした、とえなくもない。

たいくらべて、なかをぐちゃぐちゃにしてしまった清盛きよもり足利あしかがやその戦国せんごく武将ぶしょうのほうが目立めだっているのは、
歴史れきし皮肉ひにくというものであろう。

雲居くもいまがえおき白波しらなみ

藤原ふじわらただしどおり

わたのはら てみれば 久方ひさかた雲居くもいまがえおき白波しらなみ

「くもゐにまがふ」だが、これ自体じたいめずらしいのだが、検索けんさくしてみると「かすみにまがふ」という用例ようれいがある。「はなのためしにまがふしろゆき」などというものもある。「しらがにまがふうめはな」というのもある。

「かすみにまがふ」とは「かすみ間違まちがう」という意味いみではなく、「かすみにまぎれてよくえない」という意味いみだ。

かざしては 白髪はくはつにまがふ うめはな いまはいづれを かむとすらむ

こちらは白髪はくはつうめはなまぎらわしいという意味いみだ。

いずれにせよ「雲居くもいまがえおき白波しらなみ」とはくもなみ見分みわけがつかないおき白波しらなみという意味いみだろう。

詞花集しかしゅうには関白かんぱくぜん太政大臣だじょうだいじんというしゅつづけてる。

左京さきょう大夫たいふあらわ輔あふみのかみにはべりけるとき、とほきこほり(とおぐん)にまかれりけるにたよりにつけていひつかはしける

おもひかね そなたのそらを ながむれば ただやまのはに かかるしらくも

藤原ふじわらあらわ輔は詞花集しかしゅう選者せんじゃ

新院しんいんにおはしまししとき海上かいじょう遠望えんぼうといふことをよませきゅうけるに

わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがふ おきつしらなみ

新院しんいんとは詞花集しかしゅう勅撰ちょくせんめいじた崇徳院すとくいんのことで、くらいにおはしまししときだから、在位ざいいちゅうの 1123ねんから 1142ねんあいだまれたことになる。この時期じきまだ一院いちいんである鳥羽とばいん存命ぞんめいで、新院しんいんである崇徳院すとくいん完全かんぜん鳥羽とっぱいん院政いんせいしたにあったわけだ。ところで「雲居くもいまがえおき白波しらなみ」とは、もとらん(1156)でてき味方みかたかれてたたかったおとうと藤原ふじわらよりゆきちょうのことだというせつがあるようだ。帝位ていいうかが佞臣ねいしんをつけてくださいと、ちゅうどおり崇徳院すとくいん注進ちゅうしんしたというのだが、まあ時期じきてきにありんだろそれは。崇徳天皇すとくてんのう在位ざいいちゅうよりゆきちょうは3さいから22さいあいだよりゆきちょう周囲しゅうい対立たいりつしてあく左府さふばれるようになるのは、1151ねん以後いご左府さふ左大臣さだいじん)となったのでさえ 1149ねんふじ長者ちょうじゃになったのは1150ねん

ちゅうどおりはこのときすでに摂政せっしょう関白かんぱく太政大臣だじょうだいじん歴任れきにんみ。順調じゅんちょう出世しゅっせしていてとく政敵せいてきがいるようにもえない。

百人一首ひゃくにんいっしゅをおかしなふうに解釈かいしゃくしてるやつはひとひとつつぶしていかにゃならん。そうやって、なんら根拠こんきょのないこじつけをありがたがる風潮ふうちょうがある。室町むろまち時代じだい古今ここん伝授でんじゅなにちがわない。現代げんだいじん室町むろまち時代ときよ江戸えど時代じだい無知むち蒙昧もうまいわらえない。

おき白波しらなみ」のおき隠岐おきであり、後鳥羽ごとばいん鎮魂ちんこんしているというせつ。まあ、無視むししてよかろう。

百人一首ひゃくにんいっしゅならびで、ぜんが、ちゅうどおりとの政争せいそうやぶれた人物じんぶつ藤原基俊ふじわらのもととし崇徳天皇すとくてんのう)であるというせつ。これもどうでもはなし。ていうかもとしゅんはただの歌人かじんだとおもうのだが。なんなんだろうか。ちゅうどおりとはむしろちかかったはずだ。

しんぞく古今ここんしゅう

21だい勅撰ちょくせんしゅう最後さいご、『しんぞく古今ここんしゅう』の仮名かめいじょ

> しかるにぜん中納言ちゅうなごん定家さだいえきょうはじめてたらちねのあとをつぎて、しん勅撰ちょくせんしゅうをしるしたてまつり、ぜん大納言だいなごんためきょうまたさんだいにつたへてつづけせんをえらびつこうまつりしよりこのかた、あしがきのまぢかきにいたるまで、ふぢかわのひとつながれにあひうけてふうこゑえず、

とあり、これは『虚構きょこう歌人かじん』でも指摘してきしたのだが、
勅撰ちょくせん選者せんじゃさんだい世襲せしゅうしたのは承久じょうきゅうらんという非常ひじょう事態じたいがあったためで、
定家さだいえはもっとも幕府ばくふりの歌人かじんであったから、俊成しゅんぜいいでどくせんしたのである。
またためももっとも幕府ばくふりの歌人かじんであったから、定家さだいえいでどくせんした。
このことが歌道かどう硬直こうちょくさせたのはきわめてなげかわしい事態じたいであったが、
むしろこのことによって、
歌道かどういえ世襲せしゅうというものがはじめておこり、
それこそが定家さだいえ最大さいだい功績こうせきなのである。
定家さだいえ偶像ぐうぞうは「血統けっとう」「いえ」というものをなによりも重視じゅうしするなか世人せじん必要ひつようとされたものだったのだ。
それは「天皇てんのう」「摂関せっかん」「将軍家しょうぐんけ」につづいて日本人にっぽんじん発明はつめいした「歌道かどういえ」というものなのだった。
ためうたはうまいがなに独創どくそうてき歌人かじんというわけではなかった。それもまた世襲せしゅうということに都合つごうがよかった。

これに反発はんぱつした(というより分岐ぶんきしようとした)のがため息子むすこ京極きょうごく為兼ためかねだったが、
かれ後継こうけいしゃのこすことに失敗しっぱいした。そして血筋ちすじのこすことに成功せいこうしたじょうためからじょうのこったのだ。

今日きょうわたしたちかられば馬鹿ばかげてみえるが、
しかし現代げんだいじんですら定家さだいえ崇拝すうはいしゃはたくさんいて、かれらは無意識むいしきのうちに血統けっとうというものをありがたがっている。

> そもそも参議さんぎ雅経まさつねきょうしん古今ここんにんのえらびにくははれるうへ、このみちにたづさひてもすでにななだいにすぎ、そのしんをさとれることもまた一筋ひとすじならざるにより、ことさらにみことのりするむねは、まことにときいたりことわりかなへることなるべし

これはしんぞく古今ここんしゅう選者せんじゃ飛鳥井あすかい雅世まさよみやびけいからなな代目だいめだといたいのだ。
飛鳥井あすかいため縁組えんぐみしてじょう創始そうしした。
すなわちしん勅撰ちょくせんしゅうからしんぞく古今ここんしゅうまでは、じょう勅撰ちょくせんということを独占どくせんしていたのであり、
そうでない場合ばあいにもためけんなどのため子孫しそん選者せんじゃとなったのである。

応仁おうにんらんによって勅撰ちょくせん途絶とぜつしたのはまさにこのじょうじょう責任せきにんだ。
かれらの歌道かどう完全かんぜんまってしまったからだ。
足利あしかが疲弊ひへいしきっていた。
足利あしかが将軍家しょうぐんけ和歌わか大好だいすきだったがこのころにはもうおかねつづかなくなっていた。
しかし足利あしかががパトロンとなることもなく、じょうがいなくとも、
日本にっぽんには元気げんき武家ぶけまれつつあった。
武士ぶしうたむということは『虚構きょこう歌人かじん』でたいなどのれいてもらったとおりだ。
しかし細川ほそかわ幽斎ゆうさいなど(かれ足利あしかがだが)うた才能さいのうがあるにもかかわらず、
いつまでもじょう追随ついずいして古今ここん伝授でんじゅなどにこだわったのはおろかとしかいようがない。
太田おおた道灌どうかん歌人かじんだった。
明智あけち光秀みつひで織田おだ信長のぶながなどは連歌れんがをやっていたのだから、勅撰ちょくせんしゅうくらいつくっておかしくない。
後水尾天皇ごみずのおてんのう時代じだいになっても勅撰ちょくせんしゅう復活ふっかつしなかった理由りゆうは、いまもよくわからない。

ところで「ふぢかわ」というのは関ヶ原せきがはらながれるかわのことらしいのだが、なんで「ふぢかわ」なのだろう。

> 美濃みのこく せきのふちかわ えずして きみにつかへむ まんせいまでに

古今ここんしゅう』あそび。まあ、たんなる歌枕うたまくらだわな。

> みずの あはれとおもへ つかへこし ひとながれの せきのふぢかわ

つづけ拾遺しゅういしゅう』1125 入道にゅうどうぜん太政大臣だじょうだいじんだれだよ(西園寺さいおんじこうけいか?)。
意味いみは、歌道かどういえ一筋ひとすじまもってづかえてきました、といたいわけだ。

虚構きょこう歌人かじん』をあらためてなおしてみたが、これはもうね、いてはけずり、いてはけずりで、
最初さいしょひゃくにんいちしゅなぞみたいなはなしだったのが藤原ふじわら定家さだいえでんみたいなものになり、
それから定家さだいえぜんみたいなはなしになりそうになり、
さらに承久じょうきゅうらんとか北条ほうじょうやすしはなしきたくなり、
それじゃまとまらないからとざっくりして「ちいさくまとめた」結果けっかなのだが、
ばんがInDesignではなくてIllustratorだったのでぬほどくるしんだし。
ルビとかどんどん勝手かってえられてしまうのでこまった。

そう、藤原ふじわら定家さだいえでん+歌論かろんこうということに企画きかく会議かいぎではまとまっているのに、
わたしがそれ以外いがいのものもあれこれきたがり、まとめきれなかったのが最大さいだい問題もんだい

虚構きょこう歌人かじん』は、まあかみほん初産しょさんだったから仕方しかたないとおもってんでもらうしかない。
いたるところで破綻はたん分断ぶんだんしててしかもなおしようがない。
「ユニーク」なほんではあるよな。
奇書きしょ」のたぐい。
部分ぶぶんてきにはよくまとまっているところもあるが、全体ぜんたいとしてきわめて記述きじゅつ不足ふそくで、
かるひとにはわかるかもしれないが、
普通ふつうひとにはなにってるんだろうこのひとみたいな文章ぶんしょうになっちゃってるとおもう。
まあ、なお機会きかいあたえてもらえるのならば一生いっしょうかけてなおしたい。
定家さだいえぜん』と『承久じょうきゅうらん』はきたいネタだ。
じゅうみなもと栄西えいさいたい面白おもしろいネタだ。

それにくらべると今度こんどるシュピリ初期しょき作品さくひんしゅうなんかは、うまい具合ぐあいながさにまとまってるし、
解説かいせつがかなりながめだが、
それもまあ必要ひつようだからそのながさになっているともいえる。
完成かんせいたかいとおもう。
シュピリのほか作品さくひんんでいくうちになおしたくなる箇所かしょてくるかもしれないが、
まあこれはこれでおしまいにしてがする。
精神せいしん衛生えいせいてきにはくできたほんだ。
ただまあこれを一般いっぱん読者どくしゃんで面白おもしろいかというとどうだろう。
定家さだいえくらべれば簡単かんたんだからめるが内容ないようくらすぎて宗教しゅうきょうてきすぎてむのがかなりつらいとおもう。
そこを我慢がまんしてめるひとには面白おもしろいだろうとおもう。

古今ここん和歌集わかしゅう真相しんそう』をしたのはいまから2ねんまえのことになってしまった。
それでかえしてみるともうほとんどなにもかもわすれてすごく新鮮しんせんめる。
このころからすでに藤原ふじわら定家さだいえとか古今ここん伝授でんじゅとか後鳥羽ごとばいんはなしいている。

虚構きょこう歌人かじん』には自分じぶんうたもけっこうせた。
古今ここん和歌集わかしゅう真相しんそう』にはひとつもい。
虚構きょこう歌人かじん』はそういう意味いみでは『みん和歌集わかしゅう』にちかく、
一種いっしゅわたし撰集せんしゅう解説かいせつというものだとおもってんでもらえるといかもしれない。
古今ここん和歌集わかしゅう真相しんそう』は最初さいしょ小説しょうせつにしようとおもってたんだな。

古今ここん和歌集わかしゅう真相しんそう』はもすこえがなおして改訂かいていばんをだそう。
虚構きょこう歌人かじん』はもはや電子でんしデータにはもどらなそうながする。InDesign でつくればよかったのに。Illustrator でつくっちゃったからなあ。ま、あとルビとかおおすぎる。
今度こんどる『ヨハンナ・シュピリ初期しょきたん編集へんしゅう』は InDesign でんでる。安定あんていかん全然ぜんぜんちがう。

みん和歌集わかしゅう』はいつ完成かんせいするかわからん。
これの仮名かめいじょ小澤おざわ蘆庵ろあん歌論かろんかなんかを参考さんこうにしたんだが(なんだっけ)、
いまむとかなり陳腐ちんぷだ。
しかもこの仮名かめいじょにも定家さだいえとか後鳥羽ごとばいんとか承久じょうきゅうらんとかいてて『虚構きょこう歌人かじん』にかなりかぶってるな。
とにかくいろいろ手直てなおししなきゃならん。

『スメラミコトのうたちから』というWeb連載れんさいをすることになっている。
これはいきなりかみほんすのではないのでらくだ。
いずれにせよこれ以上いじょう迷惑めいわくはかけられない。
『ヨハンナ・シュピリ』がそこそこれてくれなかったら当分とうぶん永久えいきゅうに?)ほんから撤退てったいすることになるだろう。

万葉集まんようしゅう』や『記紀きき歌謡かよう』までさかのぼってやるかどうかはなんともえないが、
古今ここん和歌集わかしゅう真相しんそう』『虚構きょこう歌人かじん』『みん和歌集わかしゅう』『スメラミコトのうたちから』は全部ぜんぶひとつにつながったものであるともいえる。

『ヨハンナ・シュピリ』はたぶんがつごろるだろう。
どんな装丁そうていになるのかわからない。
スイスとかハイジっぽくなるらしい。
ゲーテとかドイツにどっぷりひたれてたのしかったのだが、
日本にっぽんはあんまりドイツの古典こてん文芸ぶんげいははやらないらしい。
どちらかといえば哲学てつがくけいのほうがはやると。なぜなのか。
あと現代げんだいドイツ文学ぶんがくといえばやはりナチスとか。そっちけいだよなあ。
屈折くっせつしてるよな。

また道玄坂どうげんざかってきたのだが、いまなかほんひとはどんどんっていて、ぎゃくほんひと小説しょうせつになりたいひとがどんどんえている。そしていまほんひとほんひとがほとんどおなじくらいになってしまっている、らしい。ほんひと自分じぶんいてみようとおもう。両者りょうしゃ同数どうすうになってしまうのは仕方しかたのないことらしい。

かみいてたころは、おおくのひとが、いてるうちにあきらめた。いまはワープロなりなんなりでそれなりのものがけてしまう。だってそうだ。ひとはたいてい自分じぶんでもえがく。

需要じゅようすくなく供給きょうきゅうおおいとなれば、ほんれない。ほんなかちあふれていても、ほん読者どくしゃはごく一部いちぶかぎられている。ほんとにいものなられるかといえば、それが十分じゅうぶん条件じょうけんでないことはあきらかだ。あたらしくほんのほとんどはふるほんなおしであって、なにあたらしさがない。あたらしくないということは内容ないようがないということだ。馬鹿ばかみたいな内容ないようのないほんでもそこそこれる。そういうほんにもそれなりの需要じゅようがあり、消費しょうひされるからだ。つまらないほん淘汰とうたされるようになったわけではない。マーケティングとかそういうものがあればつまらないほんでもいまだにれるということは、限界げんかい効用こうようというものは、我々われわれおもったよりはずっとおおきいのだ。普通ふつうひと限界げんかい効用こうようぎりぎりまで、つまり、マーケティングを完全かんぜん活用かつようした状態じょうたいほんれるわけではない。なんか限界げんかい効用こうよう意味いみ間違まちがって使つかっているようながするがそこは雰囲気ふんいき理解りかいしてほしい。まったくれないほんとミリオンセラーのあいだにはとくなんちがいもい。

のちの時代じだいのこるようなものをくしかないとおもう。そこそこれても、なにあたらしさがなく、んだらわすれられるようなほんなどいても仕方しかたない。

ほんの30ねんほどまえまで、情報じょうほうりゅうというものはほんだった。かみというものを強制きょうせいてき循環じゅんかんさせて情報じょうほうながしていた。いまかみ必要ひつようなくなった。だからそのぶん部数ぶすうる。かみほんはまさに「文芸ぶんげい作品さくひん」というの「工芸こうげいひん」となり、純粋じゅんすい所有しょゆうよくたすものになりつつある。所有しょゆうよく知識欲ちしきよく分離ぶんりされつつある。それらはもともとべつのものだったのだ。かみほんというものは、まないひと大量たいりょうわないかぎれない。つまり所有しょゆうしてたなかざっておくだけで満足まんぞくするひとなか大量たいりょうにいないと成立せいりつしない。むかしひとのほうがたくさん文字もじんだわけでもない。むかし一期一会いちごいちえで、とりあえずむかまないかわからなくても書斎しょさい備蓄びちくしたものだ。いまはそんなふうなほんかたはしない。

ひてかも

じつはこないだひさしぶりに中編ちゅうへんくらいの小説しょうせついて新人しんじんしょう応募おうぼしたのだが、これはちてもKDPで予定よていがない。新人しんじんしょうれれば多少たしょうはじをかいてもよいが、そうでないのなら人目ひとめにさらしたくはない、そういうものだからだ。

わたし場合ばあいあまりネタを使つかまわすことはなく、ひとつのネタを使つかうとネタがまるまで時間じかんがかかる。通常つうじょう複数ふくすうのネタをわせてひとつのはなしつくる。まあ、ねんくらいあければなんらかのネタはたまってくるから、今後こんご完全かんぜんオリジナルな小説しょうせつけなくもなさそうながする。しかしあまねんうともうあたまがぼけてくるからかないほうがいとおもう。耄碌もうろくした老人ろうじんを、たくさんてきた。かれらも60さいくらいまでならまあ普通ふつうだが、それからだんだんあやしげになる。たぶん自分じぶんもそうなるだろうとおもうから、はやめにいておかなきゃならんなとおもう。

わたし場合ばあい積極せっきょくてきにネタをひろいにくことはできるかもしれん。そう、非常ひじょう臆病者おくびょうものなので、天涯孤独てんがいこどくならできるかもしれんが、いろんなしがらみでうごけない。あとびょう気持きもちなんでこわい。旅行りょこういくのも最近さいきんはおっくうになってしまった。もっとわかいうちにいろいろ旅行りょこうしておけばよかった。熟年じゅくねんとか定年ていねんによくみんな旅行りょこうにいこうとおもうなっておもう。

小説しょうせつ以外いがいにもいろいろきたいものはあり、はじめて、同時どうじ並行へいこう下調したしらべをしていて、
ものすごく大変たいへんだってことがわかってけなくなる。いろんなものが途中とちゅうはなってある。
これがまあ、かなられるとわかっていればやるんだろうが、これまでれたためしがない。

ツイッターは便利べんりだが、危険きけんでもある。ブログのほうが安全あんぜんだなとおもう。

なぞかかる おろかなるまれ今日きょうまたさけひてかも

ってこういうかんじのうたんでそのまんまツイッターにいて、翌朝よくあさわすれたころにまたて、びっくりするということがあった。そういう危険きけんうたかたをしてはいかんなとおもう。いったんかみとペンでメモるべきだ。

わたしはもともと理系りけいだから理系りけい空気くうきというものをにまとっている。文系ぶんけいひと文系ぶんけい空気くうきを、芸術げいじゅつけいひと芸術げいじゅつけい空気くうきをまとっている。同族どうぞくであるかどうかはその空気くうきでわかる。理系りけい人間にんげん文芸ぶんげい出版しゅっぱん世界せかいはいっていくのはその空気くうきにまとっていないのでかなりむずかしいとおもう。その、わたしからればなれいというか既得きとく権益けんえきのようにしかおもえないその空気くうきをかきみだしてやりたいになる。そしてますますはいめずにいる。だがまあ、文系ぶんけい人間にんげん文系ぶんけい文芸ぶんげいくのはたりまえのことであり、そこで世界せかいじていて面白おもしろいわけがない。その世界せかい高度こうど専門せんもんせいをもっていて敬服けいふくするひともいるのだが、たんじこもっているだけとしかおもえないひともいる。