(Translated by https://www.hiragana.jp/)
4月, 2016 - はかもなきこと

アミオダロンというのはアンカロンというくすりのジェネリックで、
そのアミオダロンを以前いぜんは1にち2じょうんでいたが、
甲状腺こうじょうせんホルモンが異常いじょうになったので、
つまりアミオダロンにはヨードがふくまれていてヨードを過剰かじょう摂取せっしゅすると甲状腺こうじょうせんがやられて、
甲状腺こうじょうせんえんになってしまう(バセドばせどびょうみたいなものらしい)らしいんで、
1にち1じょうらした。

アミオダロンは心室しんしつほそどう心房しんぼうほそどうおさえるくすりで、
以前いぜんは1じょうんでいたこともあったが2じょうにすると
BNP(心臓しんぞう負担ふたんがかかるとてくるホルモン)
がとてもちいさく(つまり正常せいじょうに)なり、心房しんぼうほそどうもほとんどなくなる。
でアミオダロンをらしたので BNP はまたえて、ほぼ常時じょうじ心房しんぼうほそどうるようになった。
心房しんぼうほそどうは30さいごろ健康けんこう診断しんだんでもてたことがあるので、
たぶんたりなかったり、ずっとむかしからそういう調子ちょうしで、
としをとるほどる、そんなからだなのだろう。
だからわたしは(戦争せんそうになって供給きょうきゅうえて)
アミオダロンをまないと心室しんしつほそどう再発さいはつしてんでしまうのだろう。
心房しんぼうほそどういのち別状べつじょうはない。ただながれがよどんで血栓けっせんができやすくなるので(血栓けっせんのう血管けっかんまるとのう梗塞こうそくになる)、
かたまりにくくするくすりまなきゃならない。
ワーファリンとかがそれだ。しかしワーファリンは納豆なっとうえなくなる(納豆なっとうおおふくまれるビタミンKがワーファリンをかなくする)ので、イグザレルドという新薬しんやくえてもらった。
そのせいか採血さいけつをするときにときどきまらなくなる。
わたしまわりではそんなひとはあまりない。
いままでは脱脂綿だっしめんふんさえるだけだったのだが、
今度こんどから包帯ほうたいかれることになってしまった。

心室しんしつほそどう致死ちしせいのものでなん前触まえぶれもなくいきなりくる。
アミオダロン1にち1じょうでも心室しんしつほそどういちもおきてないので、
仕方しかたなくアミオダロンは1じょうませている。

わたしはICDをれられてしまったのだが(そのはなしは「安藤あんどうレイ」にいたとおり)、
免許めんきょ更新こうしんったら、ICD をれているひとは、
半年はんとしいちかい診断しんだんしょさなきゃいけないとわれ、
病院びょういんかようえ警察けいさつしょにもかよわなきゃならんのはめんどくさいので、
それにそもそもいつかることもあるかもしれんが普段ふだんはまったく運転うんてんせず、
くるまってないので、
運転うんてん経歴けいれき証明しょうめいしょ」というものにえた。
つまりわたしはもうくるま免許めんきょをもってないからくるまにはれなくなってしまった(なおせばれるわけだが、そんなめんどくさいことはするまい)。
とりあえずしばらく身分みぶんしょうはこれでもたせてそのうちパスポートをって期限切きげんぎれしないようにする。

24あいだホルターというので心電図しんでんずられたのだけど、
心房しんぼうほそどう心電図しんでんずこまかなノイズがはいるのかというとそういうわけではなく、
1分間ふんかんに400かいくらい心臓しんぞうはくどうさせようするのだが、心臓しんぞうはそれを適当てきとう間引まびいて、
適性てきせい心拍しんぱくすうにする機能きのうがあって、
それはわたし場合ばあいいまのところ正常せいじょうはたらいている。
ところが適当てきとう間引まびいた心拍しんぱくというのは間隔かんかくがランダムになるのでそれが心房しんぼうほそどう
心臓しんぞうがほんとに1分間ふんかんすうひゃくかいはくどうしてしまうのが心室しんしつほそどう
心拍しんぱくはやすぎて血管けっかん心臓しんぞうからていかなくなるからようするに心臓しんぞうまったのとおな状態じょうたいになる。
心室しんしつほそどうは AED でなおる(ことがある)。
からだんだ AED が ICD。

心拍しんぱくあいだきすぎるときには ICD がペースメーカーの役割やくわりをしてペーシングしてくれる。
ICD はペースメーカーをねているのだが、わたし場合ばあいは、
ペーシングが常時じょうじ作動さどうしているのではないのだが、よるているあいだ心拍しんぱくすうが50よりかがってるときがあって、そのときペーシングがきているのが、ホルターの心電図しんでんず記録きろくされていた。
いままでいちも ICD は作動さどうのぞきほそどうとして心臓しんぞうつよ電気でんきショックをあたえる)してないのだが、
ペーシングはたまにきていたのだなあとあきれた。
アミオダロンを2じょうんで心房しんぼうほそどうめればその必要ひつようもないのだが、
また甲状腺こうじょうせんえんにはなりたくないし、いろいろむずかしい。
結局けっきょく機械きかいくすり両方りょうほうたよってバランスをとっていくしかないらしい。
まったくとんだ重病じゅうびょうじんだ。

フローニのはか

訳者やくしゃ著者ちょしゃではないので作品さくひんをずけずけと批評ひひょうできる立場たちばにいる一人ひとりであるはずだが、わたし場合ばあい「フローニ」を「ハイディ」のなぞきのために無理むりやりやくし、それでもまだなぞけきれないからつづすうへんやくしてんでみたので、純粋じゅんすいに「フローニ」という作品さくひんんだとはえないかもしれない。

「ハイディ」をある程度ていどってはいるがふかくはらない普通ふつうひとに「フローニ」をんでもらうと、だいたいおなじような印象いんしょうつようだ。
つまり、ストーリーはべつ面白おもしろくはない、しかし、文章ぶんしょうにある独特どくとく雰囲気ふんいきがあって、なぜか最後さいごまでんでしまう、と(ストーリーは面白おもしろくなく独特どくとく雰囲気ふんいきはあるが最後さいごまでにならないものは、ありがちだが、たんにつまらないということよね)。

その独特どくとく雰囲気ふんいきというのはあきらかに訳者やくしゃであるわたし文体ぶんたいのせいではない。
ぎゃくわたしがそのヨハンナの独特どくとくのいいまわしの影響えいきょうをうけた、のはたしかだ。
もちろんわたしもそれに気付きづいてはいたが、うまく表現ひょうげんできない。
しかしまわりのひとおなじようなことに気付きづいているとすれば、やはりそこが「フローニ」のおもしろさであって、もしかするとわたし宝石ほうせき原石げんせきつけたのじゃないか、というにもなる。
その雰囲気ふんいきというのは当然とうぜん「ハイディ」にもあるんだが、アニメにもあらわれてはいるが、残念ざんねんながら十分じゅうぶん表現ひょうげんされているとはえないとおもう。
その雰囲気ふんいきというのはアルムおじさんやデーテのあたりに濃厚のうこうにただよっていて、つまりそれらのキャラクターになんらかの実在じつざいのモデルがいることを暗示あんじしているのだ。
そしてそのモデルを作中さくちゅう描写びょうしゃするときにヨハンナは奇妙きみょうな、達者たっしゃというよりはぎくしゃくした表現ひょうげんをして、そこがなにかしらのあじになっている、とおもう。

> man ihr das Äußerste in dieser Richtung hätte zutrauen können, wenn nicht die schelmischen Mundwinkel von unten herauf sich wie darüber moquirt hätten.

たとえばフローニの容貌ようぼう描写びょうしゃしているこのとてもやくしにくい部分ぶぶん
とくに moquiren という単語たんごがわからんし(ラテンけい言葉ことばをドイツ動詞どうししたものだが、調しらべてもわからん。しかたなくくちがへのがってるとやくした)、
das Äußerste in dieser Richtung
もよくわからん(かしこそうなわりにはながとても純朴じゅんぼくで、その印象いんしょうがちぐはぐだ、ってことをいたいらしいのはなんとなくわかる)。
あるいは

> Drüben standen die dunkeln Felsenspitzen des Pilatusberges auf dem lichten Abendhimmel, und die Hügel umher lagen so lockend grün im Abendschein.

「ピラトゥスさん薄暗うすぐら断崖絶壁だんがいぜっぺきあかるい夕空ゆうぞらうえかび、夕焼ゆうやけのなかしんがあこがれるような緑色みどりいろおかがあたりによこたわっていた」
などのような自然しぜん描写びょうしゃ
so lockend grün は「しんがあこがれるような緑色みどりいろ」とでもやくすしかないではないか。

しかしながらヨハンナの作品さくひんにはとても退屈たいくつなものもじっていて、そういうものにはたぶんそういうなに屈折くっせつした、「魔法まほうをかけるような」描写びょうしゃられてないのだろうとおもう。

なかにはチェックとストライプのシャツがあふれかえっており、
それ以外いがいえりきのシャツというのはほとんどないか、あってもたかい。
とにかくもう絶対ぜったいチェックとストライプのシャツはないぞとおもえば、
6せんえんとか7せんえんとか、あるいはうんまんえんのシャツをうしかない。
あるいは、古着ふるぎであろうか。
なんでこんなことになってしまっているのだろうか。

まともかく年齢ねんれいてきにも立場たちばてきにもTてぃーシャツばかりるわけにはいかないので、
えりきのシャツが必要ひつようだな、チェックみたいにださくなく、
ストライプみたいにありきたりじゃないやつがちゃくたい、とおもうがそれにはかねがかかる。

それで実家じっかねむっていたちちふくをサルベージしたのだが、
そのほとんどがチェックでもなくストライプでもなく、
今時いまどきどこにもってないようなふくばかりであり、
一生いっしょうかかってもつぶせないくらい大量たいりょうた。
時代じだいちがうというのもあるのだろうが、いったいどこでこんなふくったのだろう、
どこでこんなふくられていたのだろう。
そしてなぜ現代げんだいではこれらのふくはまったくつくられなくなったのだろう。
非常ひじょう不思議ふしぎだ。
ともかくこれだけのシャツをいまうとしたらすうじゅうまんえんはする。

シャツだけでなくズボンにもかねがかかる。
ズボンはジーパンはいとけばやすくでむが、
ズボンも実家じっかからおくってもらうことにした。
きむがかからないのはいことだ。
ズボンのほうが消耗しょうもうはやいからいくらあってもこまらない。
シャツはさすがにこまる。

くにすくった数学すうがく少女しょうじょ

まあまあ面白おもしろい。
とくだしのノンベコのはなし面白おもしろいが、
突然とつぜんスウェーデンじんはなしわり、
交互こうごにストーリーが進展しんてんしていく。
まあそれも最初さいしょのうちは我慢がまんしてんでいたが、
だんだんにはなし拡散かくさんしてく。
鄧小たいらやブレジネフやカーターがてくるあたりできる。
なんだなんでもアリのどたばたものかと。
それが面白おもしろいとおもえるひとにはいのかしれんが。
わたしとしてはみなみアフリカ共和きょうわこくはなし完結かんけつしててネルソン・マンデラが大統領だいとうりょうになるあたりでわってれば(そしてそういう歴史れきしてき経緯けいいがきちんとえがかれていれば)かった。
いろんなことつまみいなんかしたくなかった。

著者ちょしゃはスウェーデンじんのようだがスウェーデンのはなしとくにつまらない。
中国人ちゅうごくじんとかそのもろもろのはなし一応いちおう最後さいご伏線ふくせん回収かいしゅうされるのだが、
いろんなことをきすぎて、だんだんにネタバレしてきて、
西洋せいようじん視点してん支離滅裂しりめつれつなごたくがならべてあるだけにえてくる。
西洋せいようじん帝国ていこく主義しゅぎやら植民しょくみん支配しはいやら人種じんしゅ差別さべついま反省はんせいしていると必死ひっしいつくろっているようで、ぎゃくにそれがいやみにかんじる。

まあともかくわるほんではない。
なかほんがどれもこれくらい面白おもしろければ退屈たいくつしのぎにこまることはないのにとおもう。
火星かせいひと」もそれなりにたのしめたし。
こういうエンタメけい小説しょうせつ面白おもしろいのが、
日本にっぽん作品さくひんにはまるでない。
まるでおもいつかない。

カーリルで検索けんさくしてみても、所蔵しょぞうかんおおさにしてもなににしても、比較的ひかくてき最近さいきんほんであるせいもあるのか、ちゅうばかりですべてにおいてすごい。

The Girl Who Saved the King of Sweden は普通ふつうやくせば「スウェーデンおうすくった少女しょうじょ」となるはずだが「くにすくった数学すうがく少女しょうじょ」とやくしたのはどうだろうか。
どちらにしてもあまりはなし内容ないよう反映はんえいしてないが、余計よけいわからなくしているようにおもえる。

ついでだが、「サハラ」という映画えいがすこ面白おもしろかった。
これまたタイトルからはまったく予想よそうかない内容ないようだった。
雰囲気ふんいきは「くにすくった数学すうがく少女しょうじょ」にている。
こういうのが流行はやっているのだろうか。いや、そんなはずはないが。

e-rara Johanna Spyri 文献ぶんけん

初版しょはんとしではなくて実際じっさい出版しゅっぱんされたとしじゅん

## Bremen : C. Ed. Müller’s Verlagsbuchhandlung

* [Ihrer Keines vergessen / von der Verfasserin von: «Ein Blatt auf Vrony’s Grab»](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-17066) 1873 かれらのだれわすれない
* [Verirrt und gefunden / von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab”](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16661) Zweite Auflage, 1882 まよて、そして見出みいだされて
* [Ein Blatt auf Vrony’s Grab : Erzählung](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16597) Vierte Auflage, 1883 フローニのはか一言ひとこと

## Gotha: Friedrich Andreas Perthes

* [Heimathlos : Zwei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben / Von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab”](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16705) 1878 故郷こきょううしなって
* [Verschollen, nicht vergessen : Ein Erlebniss meinen guten Freundinnen, den jungen Mädchen / erzählt von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vronys Grab” etc.](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16711) 1879 失踪しっそうしたがわすれない
* [Aus Nah und Fern : Noch zwei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben / Von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16706) 1879 ちかく、そしてとおくから
* [Aus unserem Lande : Noch zwei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16713) 1880
* [Im Rhonethal](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16645) 1880 わたしたちのくにから
* [Heidi’s Lehr- und Wanderjahre : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben / Von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab”](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16704) 1880 ハイディのまなびと放浪ほうろう時代じだい
* [Ein Landaufenthalt von Onkel Titus : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16673) 1881 ティトゥス叔父おじさんの滞在たいざい
* [Heidi kann brauchen, was es gelernt hat : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16913) 1881 ハイディはまなんだことを役立やくだてられる
* [Kurze Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16708) 1882 子供こどもと、子供こどもあいするひとのためのみじかはなし
* [Wo Gritlis Kinder hingekommen sind : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-17065) 1883 グリティスの子供こどもたちはどこにかえったか
* [Gritlis Kinder kommen weiter : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16674) 1884 グリティスの子供こどもたちはまた
* [Was soll denn aus ihr werden? : Eine Erzählung für junge Mädchen](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16714) 1887 彼女かのじょはどうなるべきか
* [Arthur und Squirrel : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16712) 1888 アートゥアとシュクヴィレル
* [Was aus ihr geworden ist : Eine Erzählung für junge Mädchen / Zugleich Fortsetzung der Erzählung: Was soll denn aus ihr werden?] (http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16672) 1889 彼女かのじょなにになったか
* [Aus den Schweizer Bergen : Drei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-17007) 1889 スイスのやまから
* [Keines zu klein Helfer zu sein : Geschichten für Kinder und auch für solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16658) 1890 だれたすけられない
* [Cornelli wird erzogen : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16850) 1890 コルネリはそだてられる
* [Volksschriften](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16707) 1891 民話みんわ
* [Schloss Wildenstein : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16659) 1892 ヴィルデンシュタインじょう
* [Einer vom Hause Lesa : ein Geschichte für Kinder und auch für solche, welche Kinder lieb haben.](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16657) 1894 レザひと

## Stuttgart: Carl Krabbe

* [Sina : eine Erzählung für junge Mädchen](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16671) 1884 ジーナ

## Barmen: Hugo Klein

* [Am Sonntag](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16662) 1881 日曜日にちようび

## Basel: Allgemeine Schweizer Zeitung
* [Aus dem Leben eines Advocaten](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-26408) 1885 ある弁護士べんごし生涯しょうがい

Heidi, translated by Louise Brooks 1885

「ハイディ」だが、
Heidi’s Lehr- und Wanderjahre がたのが 1880 ねん
続編ぞくへん
Heidi kann brauchen, was es gelernt hat がたのが 1881ねんだった。

[はつフランス語ふらんすごやく](http://www.e-rara.ch/sikjm/content/titleinfo/5337916)
は 1882 ねん
原著げんちょ版元はんもと Gotha: Perthes が出版しゅっぱんしていて、訳者やくしゃ不明ふめい
Heidi’s Lehr- und Wanderjahre のみの内容ないよう

[英訳えいやくは1885ねん](http://www.e-rara.ch/sikjm/content/titleinfo/5320749)。
訳者やくしゃは Louise Brooks。
出版しゅっぱんしゃは Couples, Upham, and Company,
The Old Corner Bookstore, 283 Washington Street, Boston.
巻末かんまつ広告こうこく価格かかくがドルでかれているので、間違まちがいなく、
イギリスではなくてアメリカのボストンだ。
こちらは前編ぜんぺん続編ぞくへん両方りょうほう合冊がっさつになっている。
これがおそらく最初さいしょ英訳えいやく
そしてハイディを世界せかいてき有名ゆうめいにしたほんなのだろう。

> From the pleasant village of Mayenfeld a path leads through green fields, richly covered
with trees, to the foot of the mountain, which from this side overhangs the valley with grave and solemn aspect.

冒頭ぼうとうだけだが、ドイツ原文げんぶんくらべてみると、そのまま自然しぜんやくされていることがわかる。

> Vom freundlichen Dorfe Maienfeld führt ein Fußweg durch grüne, baumreiche Fluren bis zum Fuße der Höhen, die von dieser Seite groß und ernst auf das Tal herniederschauen.

[「ハイディ」邦訳ほうやく疑惑ぎわく](/?p=17598)参照さんしょう

ヨハンナ・シュピリ初期しょき作品さくひんしゅう

ヨハンナ・シュピリ初期しょき作品さくひんしゅう

* 価格かかく 1800えん税別ぜいべつ
* ISBN 978‐4‐7734-1000-6
* 著者ちょしゃ ヨハンナ・シュピリ(わけ田中たなかおさむほう
* 発売はつばい 2016/2/27
* よんろくばん(130mm×188mm) ソフトカバー 292ページ
* 発行はっこう 夏目なつめ書房しょぼうしんしゃ
* 販売はんばい 垣内かきうち出版しゅっぱん

初版しょはんだいいちさつ誤記ごきあやまとう

p. 4 (p. 49 も同様どうよう)

> できるだけうまくはなしてみまし

→ みまし

p. 55 (p. 232 も同様どうよう)

> DAHEIM UND FREMDE

→ DAHEIM UND IN DER FREMDE

p. 85 (p. 240 も同様どうよう)

> AUS FUÜHEN TAGEN

→ AUS FRÜHEN TAGEN

p. 210

> 直訳ちょくやくすれば「地上ちじょうちいさな寝床ねどこいこえ(zur Ruh ein Bettlein in der Erd)」

Paul Gerhardt の[Nun ruhen alle Wälder](https://de.wikipedia.org/wiki/Nun_ruhen_alle_W%C3%A4lder)
えるだが、

> Nun geht, ihr matten Glieder,
geht hin und legt euch nieder,
der Betten ihr begehrt.
Es kommen Stund und Zeiten,
da man euch wird bereiten / zur Ruh ein Bettlein in der Erd.

該当がいとう箇所かしょやくすと

> さあ、け。おまえたち、つかれきった手足てあし
ってよこたわれ
おまえたちがのぞんだ寝床ねどこに。
がやってくる、
そこに、地上ちじょう寝床ねどこやす準備じゅんびをしよう

「bereiten zu ぶつ」で「もの用意よういする」、の意味いみ
だから、できるかぎり直訳ちょくやくすると「地上ちじょう用意よういされた休息きゅうそく寝床ねどこ」となるか。
だから本文ほんぶんちゅうの「直訳ちょくやくすれば」は余計よけいか。
man euch の euch は再帰さいき代名詞だいめいしだとおもうが、とくやくさなくてよいか。

p. 220

> Freude die Fülleあふれるよろこびと
> Und selige Stille 至福しふくしずけさ
> Darf ich erwarten わたしっている
> Im himmlischen Garten, 天国てんごくえん
> Dahin sind meine Gedanken gericht’. わたしかんがえがさばかれるのを

Darf ich erwarten は「わたしっていてもよかろうか?」のように推量すいりょう疑問ぎもん、もしくは
わたしっていたい」のように願望がんぼうとしてやくすべきだろう。

Dahin sind meine Gedanken gericht’ は「そこへ(dahin)わたしおもいはけられている(sind gerichtet)」とやくすべきだった。

p. 287

> アルトゥールとリス

Squirrel は「リス」ではなくておんな名前なまえである。
無理むりドイツ語どいつごみすれば「シュクヴィレル」とでもなろうか。
Arthur も「アートゥア」などとしるしたほういかもれない。

p. 288

> 1890 Cornelli wird erzogen

「コルネリはそだてられる」
これとそのまえ

> 1889 Was aus ihr geworden ist

彼女かのじょなにになったか」
べつとしべつほん
彼女かのじょなにになったか」は 1887ねん

> Was soll denn aus ihr werden?

彼女かのじょはどうなるべきか」の続編ぞくへん (Fortsetzung)。

これらみっつのほん説明せつめいがごっちゃになっている。

その

表紙ひょうしかれている

Frühe Erzählungen von Johanna Spyri, die Verfasserin des «Heidi»

だが、これは(出版しゅっぱんしゃたのまれて)「ヨハンナ・シュピリ初期しょき作品さくひんしゅう」というタイトルをわたしどくやくしたものであり、それ以上いじょう意味いみはない。
原著げんちょめいは Verirrt und Gefunden (1872) ですが、のちに Aus dem Leben (1900) と改題かいだい微妙びみょう改訂かいていされてさい出版しゅっぱんされている。

Verirrt und Gefunden と Aus dem Leben のちがいは、
つぎのテキスト(ただし Ein Blatt auf Vronys Grab のみ)の差分さぶんるなどしてたしかめてみてください。

* [Ein Blatt auf Vronys Grab 1883](http://tanaka0903.net/libroj/Vrony_1883.txt)
* [Ein Blatt auf Vronys Grab 1900](http://tanaka0903.net/libroj/Vrony_1900.txt)

おもうに、ゲーテに Aus meinem Leben, Dichtung und Wahrheit という自伝じでんがあり、
またヨハンナによってかれたおっと伝記でんき Aus dem Leben eines Advocaten (ある弁護士べんごし人生じんせいから)があることから、
ヨハンナ自身じしんによってその直前ちょくぜんに Aus dem Leben と改題かいだいされたこの書名しょめいには、これが自伝じでんわりであることがほのめかされているとおもわれる。

参考さんこう

* Johanna Spyri geb. Heusser projekt gutenberg DE
* Johanna Spyri projekt gutenberg
* [e-rara Johanna Spyri 文献ぶんけん](/?p=18475)
* [けんしんれいおくもの](/?p=18643)
* [「ハイディ」邦訳ほうやく疑惑ぎわく](/?p=17598)
* [シュピリ ヨハンナ](/?p=14107)
* [デーテのいいわけ](/?p=17566)
* [フローニ](/?p=18305)
* [Heidis Lehr- und Wanderjahre](/?p=17564)
* [ラガーツ温泉おんせん](/?p=8919)
* [ラガーツ温泉おんせん2](/?p=8928)
* [ひたすらハイジをる。](/?p=1113)
* [Johanna Spyri](/?p=17402)
* [アルムおじさん一家いっかなぞ](/?p=10140)
* [Geißenpeter](/?p=9782)
* [unten と oben](/?p=8940)
* [アルムの小屋こやのトイレのなぞ](/?p=1115)

かみ鹿しか死刑しけい

むかしかみ鹿しかころすと死刑しけいになった、といわれているのだが、ちょっとしんじられない。常識じょうしきてきかんがえて、ありないことだ。

信長のぶながかみ鹿しかころしたもの密告みっこくさせて、処刑しょけいしたという記録きろくがあるそうだ。しかしこれはおそらく、奈良なら鹿しか組織そしきてき密猟みつりょうしたものがいて、処罰しょばつしたという意味いみであろう。たまたま過失かしつ鹿しかころしてしまって、それでただちに死刑しけいになるはずがない。

だいたいだれ死刑しけい執行しっこうするのだろうか。春日大社かすがたいしゃ宮司ぐうじ?そんなはずはない。東大寺とうだいじ興福寺こうふくじ僧兵そうへい?まさか。

江戸えど時代じだい奈良なら奉行ぶぎょう京都きょうと所司代しょしだい、あるいは寺社じしゃ奉行ぶぎょうならば幕臣ばくしんだが、幕府ばくふ役人やくにん鹿しかころした程度ていど人民じんみん処刑しょけいするはずがない。鎌倉かまくら時代じだい北条ほうじょう室町むろまち幕府ばくふですらそんなことをするとはとうていおもえない。

鹿しか密猟みつりょうというのは寺社じしゃりょうでなくともよくあったことだろう。その首謀しゅぼうしゃは、場合ばあいによっては死刑しけいになることもあっただろう。

アーチスト

最近さいきん体調たいちょうわるいのは、心臓しんぞう具合ぐあいわるいとか、としをとったからということもあるかもしれんが、たぶんアーチストというくすりんでいるせいだ。

服用ふくようわすれたときに、2回分かいぶんをいちどに服用ふくようすると血圧けつあつがりすぎて、めまい、転倒てんとうをおこすこともあります。わすれたときは、そのぶんいて、次回じかいからまさしくんでください。

アーチストは血管けっかんひろげて血圧けつあつげ、これによって心臓しんぞう負担ふたんかるくしている。しかしながら、よくちくらみするようになった。しばらくするとからだれたのかちくらみすることはほとんどなくなった。しかし電車でんしゃながっていると気分きぶんわるくなってきて、あせてくるようになった。たぶんアーチストのせいだとおもう。

すわっていればとく問題もんだいない。みじか時間じかんなら問題もんだいない。あるいてるのは全然ぜんぜん平気へいき。しばらく山歩やまあるきしても、いきれるとかそんなことはない。

でまあ、電車でんしゃやバスではできるだけすわるようにしているのだが、本来ほんらいわたしのような人間にんげん優先ゆうせんせきすわってよいはずだが、健常けんじょうしゃなので、せきゆずってもらうのはむずかしい。アーチストのりょうらしてもらいたいともおもうが、それで心臓しんぞう問題もんだいてもこまる。でもらしても全然ぜんぜん平気へいきなのかもしれない。

血圧けつあつというのは多少たしょうたかいくらいが体調たいちょういものだ。がんがんあそびたくもなる。しかしそれはもうできない。いつもなんかねむかんじもするが、無理むりせずるようにしている。わたし日本にっぽんみとめた重病じゅうびょうじんなのだからなー。

通勤つうきんというのがまあ問題もんだいなわけですよね。とく都心としん方向ほうこうへの。多少たしょうきんがかかっても仕方しかたないので指定していせきでいくか、あるいはぎゃく各駅かくえき停車ていしゃくようにしているが、ときどきどちらもできないことがあって、そんなときたまたますわれるといが、すわれないときは、ときどき途中とちゅう下車げしゃして休憩きゅうけいしなくてはならないだろうとおもう。じつ面倒めんどうだ。

そんなふうでわたしはいつも生命せいめい危険きけんかんじてきているわけだ。わたしのような人間にんげんはや田舎いなかして店番みせばんかなんかして、毎朝まいあさ墓参はかまいりなんかしてきていくのがからだにはいのだろう。そうしてただ無為むいに、ぬまでのあいだきていく。もう、それでいのではなかろうか。

皮膚ひふよわくなってきているがする。これもくすり副作用ふくさようかとおもったがなんともいえない。わたしあせかきなのだが多少たしょうあせをかいてほっといてもたいしたことにはならなかった。しかしいまはこまめに下着したぎえ、からだあらったりぬぐいたりするようにしている。まあ、普通ふつうひとがふつうにやってることをやるようになっただけなのだが。

虚構きょこう歌人かじん」にせたえいうたひとつに致命ちめいてき文法ぶんぽうじょうのミスを発見はっけんしてしまった。

ずかしい。しかし印刷いんさつしたものはなおせない。
まあ、人間にんげんあやまつものだよな。

> しぬばかり さけむことも ありけむや いまはおぼえぬ わかかりし

> なかひととたはぶれ ひしれて あるくはおそろし いにける

年取としとったせいでなんとなくむかしより文章ぶんしょうけるようながしたのと、
これ以上いじょう年取としとるとあたまぼけてくるからいそがないとってのと、
そこなったので、
あわてていろいろいたりしたのだが、
まそれも一段落いちだんらくして、
すでにこれまでにいたものをかきあつめただけでも、
後世こうせいひとわたしがどんなひとだったかってことはわかるはずで、
これからさらになんかいたからってなかなにかをよけいにのこせるわけではないがする。

小室こむろ直樹なおきも「ソビエト帝国ていこく崩壊ほうかい」よりのちいてもかなくてもよかった。
50さいまえんでいても小室こむろ直樹なおき小室こむろ直樹なおきだったはずだ。
むろん一時期いちじきテレビにてたことや、その著作ちょさく活動かつどうなんかも、
かれ有名ゆうめいにし、なかかれ評価ひょうか定着ていちゃくするやくにはたったわけだけども、
本質ほんしつてき部分ぶぶんは、「ソビエト帝国ていこく崩壊ほうかい」と、そのあとの「アメリカの逆襲ぎゃくしゅう」あたりまでめば十分じゅうぶんなわけだ。

そうしてみれば、わたしがこれから多少たしょう頑張がんばったところで、
あるいはほん部数ぶすう多少たしょうえたところで、たいしたことはなくて、
むしろいかになにもせず、自分じぶんらくきるかってことを目標もくひょうきたほうがいのではないかというがする。

まわりのひと間違まちがっているようにえても、
また実際じっさいこれまでずっと間違まちがった判断はんだんをしていて、
自分じぶんぞくする組織そしき社会しゃかいわる方向ほうこうへもっていこうとも、
それを指摘してきしたり、改善かいぜんしようとしたり、たたか必要ひつようはない。
それはわたし仕事しごとではないし、わたしいてもいないし、そもそもする必要ひつようがない。
ひとのペースにまれて無理むりさけ必要ひつようもない。
自分じぶん一番いちばんらくかたをすればい。
ある意味いみそれがいまわたしがやるべき仕事しごとだとおもう。