(Translated by https://www.hiragana.jp/)
デーテ 14. 姪をドイツのお金持ちに紹介 - はかもなきこと

デーテ 14. めいをドイツのお金持かねもちに紹介しょうかい

 ゼーゼマンさんとこのむすめ、クララというが、子供こどもころから病弱びょうじゃくで、片足かたあしわるく、いつもくるまいすにってらしていたの。ゼーゼマンさんのおくさんは、クララをんですぐにくなってしまい、ゼーゼマンさんはいつも仕事しごとでお屋敷やしきには不在ふざいがちで、クララはフランクフルトいちというくらいおおきくて立派りっぱなお屋敷やしきで、たった一人ひとり家庭かてい教師きょうし勉強べんきょうならっていたけど、一緒いっしょみであそ相手あいてともなり、勉強べんきょう仲間なかまにもなれる友達ともだちを、ロッテンマイヤーさんというゼーゼマンをきりもりしている女性じょせい執事しつじほうが、さがしていたのね。

 ロッテンマイヤー女史じょしは、「かわいらしくて古風こふうおもむきのある、」「気高けだか純粋じゅんすいで、」「地面じめんれもしないんだ山上さんじょう空気くうきのような」「スイスのむすめ」をご所望しょもうだった。それで、スイス出身しゅっしんわたしに、ご主人しゅじんさまのシュミットさんをつうじて打診だしんがあったのよ、親戚しんせきいに、そんなむすめ心当こころあたりはあるまいかと。

 どうも彼女かのじょは、なにやらスイスのむすめというものを勘違かんちがいしているようね。本物ほんもののスイスのむすめというものは、山羊やぎうしひつじたちと一緒いっしょに、野山のやままわる、ししわらざったようなにおいのする、くろ々とけた山女やまめのようなものなのにね。でもまあ、わたし脳裏のうりにそのときかんだのは、あのやま炭焼すみや小屋こやにおじいさんとにんきりでいてきた、めいのハイディのこと。あのあわれな境遇きょうぐうにいるハイディを、もしかしたらすくすことができるかもしれないってことでした。

 わたしはさっそくゼーゼマンさんのお屋敷やしきうかがって、ロッテンマイヤー女史じょし面会めんかいさせていただいたの。わたしがハイディのことを色々いろいろと、あることないこと具合ぐあい紹介しょうかいすると、ロッテンマイヤーさんも、まったくのぞどおりのすばらしいのようだから、是非ぜひってみたいとおっしゃってくれて。それでわたし早速さっそくシュミットさんにおいとまをいただいて、ハイディをやまかられてくることにしたのよ。

 ハイディははちさいになって、とっくに小学校しょうがっこうかなきゃいけないとしになっていたのに、アルムおじさんはハイディを学校がっこうにもいかせず、毎日まいにちめす山羊やぎ世話せわばかりさせていたの。めす山羊やぎというのは、うし山羊やぎちがって、小柄こがら非力ひりきししなので、子供こどもおんな世話せわをするものなのよ。

 それでハイディをゼーゼマンさんに紹介しょうかいしようとしたのだけど、アルムおじさんはなんだかんだとわけのわからないことをっておこるし。それでわたし、カッとなって、おじさんには「祖父そふのあなたと、叔母おばわたしと、どちらが正当せいとうなハイディの養育よういくけんがあるか、るとこにあらそってもかまわないのよ。裁判さいばんでおじさんの味方みかたをするひとが、一人ひとりでもいるとおもう。裁判さいばんになって、ドムレシュクで財産ざいさんうしなってやくざしゃとつきあってたことやら、ナポリで傭兵ようへいやってたことや、どこのだれともれないおかみさんやその息子むすこのことや、あれこれむかしのことをかえされると、こまるのはおじさんのほうじゃないの。」なんてことまでって、おじさんをかんかんにおこらせてしまったわ。

 どういうわけか、そんなやっかいしゃのおじさんにハイディはなついてしまって、やまらしにすっかりなじんでしまい、やまはなれそうもないので、ハイディをうまくだまくらかして、やまからした。途中とちゅう、ハイディが仲良なかよくしていた山羊やぎいのベーターや、ペーターのおかあさんのブリギッテ、それにペーターのえないおばあさんまでが、ハイディをれてくのをものすごくいていやがったのだけど、ハイディのしあわせをかんがえてあげてちょうだい、こんなやまなかより、都会とかいほう絶対ぜったいらしが出来できるのよ、と説得せっとくし、ハイディには、ペーターのおばあさんのためにフランクフルトでしろパンをってかえってくるのだとおもわせて、いそいで山道さんどうりた。デルフリむらではだれわたしとハイディをめるものもなく素通すどおりして、マイエンフェルトえき汽車きしゃせました。なにもかもハイディのためをおもって無理むり承知しょうちでやったことだったわ。

 なんなんえてはるばるフランクフルトまでハイディをれてきたけど、そのままゼーゼマンれていくわけにもいかないから、まずわたしがハイディのぼさぼさのくせっにブラシをれて、さきりそろえてあげると、おんならしいウェーブのかかったセミロングの髪型かみがたになった。それからつぎはぎだらけの古着ふるぎ新調しんちょうしたふく着替きがえさせ、かおもキレイにいてあげると、あねのアーデルハイトにそっくりな、見違みちがえるようにあいらしいおんなになった。

 「ねえ、あなたもこれからは、毎日まいにちおんならしく、かみだしなみにをつけるのよ、あんたはほんとうに母親ははおやゆずりの器量きりょうしだね、」

めてやると、めいは、かがみうつった自分じぶん姿すがたて、かみぐしでかきなでながら、

 「あたしがいくらおめかししても、山羊やぎいのペーターをよろこばせるだけだわ。」

はちさいおんなにしては、おませなくちをきいた。ちなみに、ペーターというのは、なつあいだハイディと一緒いっしょにアルムの牧場ぼくじょうまで山羊やぎれていく、ブリギッテの息子むすこのことね。

 いよいよゼーゼマンおとずれて、わたしとハイディの二人ふたりでロッテンマイヤーさんと面会めんかいすると、ハイディがクララよりよんさい年下とししたなので、あやうくことわられそうになったのだけど、むりやりハイディをゼーゼマンさんのところにあづけておいてきたの。

 あのとおりあのころのハイディときたら、やまそだちの野生やせいそのもので、自分じぶん名前なまえもろくにいえないし、ほんんだことがないばかりか、きできないし、テーブルマナーも人付ひとづいもまるでなってなくて、どうなることかとひやひやしたけど、風変ふうがわりでひょうきんなところが、あそ相手あいて面白おもしろくて退屈たいくつしないと、クララお嬢様じょうさま本人ほんにんられたらしく、旦那だんなさまのゼーゼマンさんや、ろうゼーゼマン夫人ふじんにもかわいがられて、しばらくはうまくやっているようだったの。

 わたしわたしで、フランクフルトの都会とかい生活せいかつにすっかりかれはしゃいでいたわ。ドイツがプロイセン王国おうこくによって統一とういつされて、帝政ていせいドイツとなった矢先やさき好景気こうけいきたってね。それまでは、ドイツはな諸侯しょこうこくがあって、ドイツというくにも、ドイツというくに国民こくみんもなかったの。かれあたらしい「ドイツじん」たちはみな毎日まいにちがおまつさわぎのようなものだったわ。わたしはスイスじんだけどおなドイツ語どいつごけん人間にんげんで、そんななかで、おくれて青春せいしゅんおもいっきりたのしもうと、かぎられたお給金きゅうきんから奮発ふんぱつして貴婦人きふじんのようなふくい、着飾きかざって毎日まいにちおもしろおかしくごしていたの。

 ドイツはそれまではちいさな王国おうこく自治体じちたい集合しゅうごうたいだったから、産業さんぎょう革命かくめい発達はったつしても、ドイツ民族みんぞくとしての国力こくりょくよわくて、植民しょくみん政策せいさくには出遅でおくれていたのよね。それをプロイセン王国おうこく鉄血てっけつ宰相さいしょうビスマルクのちからで、ドイツを統一とういつして、ひとつの巨大きょだい国内こくない商圏しょうけんというものが成立せいりつして、また中央ちゅうおう集権しゅうけん強力きょうりょく軍事ぐんじりょく背景はいけいに、いよいよ世界せかい征服せいふく貿易ぼうえきしたというわけよね。ビスマルクは、かみはちょっとうすいみたいだけど、ドイツにとってなかなかたよりがいのあるひとだわ。いずれ世界せかいはイギリスとドイツの最終さいしゅう戦争せんそう発展はってんし、そのあかつきにはドイツが世界せかい覇者はしゃになるとおもうわ。

 

 

 こいつはおどろいた。スイスおんなのくせに、ドイツのいっぱしの愛国あいこくしゃのようなことをげんいやがる。たしかにいまのドイツは旭日きょくじつ昇天しょうてんいきおいだ。ナポレオンさんせいだい帝政ていせいは、内政ないせい外交がいこうともずっと綱渡つなわたりの連続れんぞくで、プロイセンの宰相さいしょうビスマルクによって画策かくさくされたひろしふつ戦争せんそうとそれにつづくドイツの統一とういつで、ボナパルティズムのけのかわがれてしまった。以後いご共和きょうわ主義しゅぎしゃ復古ふっこ主義しゅぎしゃ、ボナパルティストやオルレアニストなどのしょう党派とうは分裂ぶんれつして政治せいじてきにはだい混乱こんらんだ。もはやむかしのブルボン王朝おうちょう帝政ていせい時代じだいのような挙国一致きょこくいっちいきおいはない。

 また、オーストリアのフランツ・ヨーゼフいちせいも、それからプロイセンのゴリ押ごりおしではじまった戦争せんそうけて、ヴェネツィアをられたり、ドイツの同盟どうめいこく覇権はけんうしなったりとよわたただ。ドイツの盟主めいしゅ椅子いすからころがりちたオーストリアは、帝国ていこく経営けいえいりることもく、ハンガリーをますます弾圧だんあつし、やはりのトルコから、イギリスやロシアと同様どうようバルカン半島ばるかんはんとう領土りょうどうばろうとしている。フロンティアをヨーロッパのひがしみなみもとめているんだろうが、苦肉くにくさくといおうか、あぶない火遊ひあそびだね。

 おれまれそだったフランクフルト・アム・マインは、やはりひろしおう戦争せんそうえをって、それまではドイツ同盟どうめいなか完全かんぜん自治じちけんった、独立どくりつした自由じゆう都市としだったのに、オーストリアがわ参戦さんせんして敗戦はいせんこくとなったために、プロイセン王国おうこくしゅうひとつに併合へいごうされてしまったのだ。おれじゅうななさいときだったが、当時とうじ結構けっこうショックだったなあ。

 イタリアも念願ねんがん統一とういつ国家こっか建設けんせつたしたが、勤勉きんべん実直じっちょくきたイタリアじんに、因循いんじゅん姑息こそく狡猾こうかつなローマじん退廃たいはいてき享楽きょうらくてきみなみイタリアじんが、ひとつのくににまとまるのは容易よういじゃあない。古代こだいローマの再現さいげんなどまず無理むりだ。

 昔日せきじつ世界せかい帝国ていこく、インドはすでにイギリスのちた。のこるトルコと中国ちゅうごく解体かいたいによって欧州おうしゅう世界せかい征服せいふく完了かんりょうする。トルコにしろ中国ちゅうごくにしろ、インド同様どうよう余命よめいいくばくもないのは一目瞭然いちもくりょうぜん。トルコはロシア、オーストリア、イギリス、フランスに蚕食さんしょくされていくだろう。ドイツの活路かつろ南太平洋みなみたいへいよう中国ちゅうごくしかのこされていないが、その中国ちゅうごく沿岸えんがんにもすでにイギリスやロシア、アメリカ、フランスの覇権はけんおよんでいる。くに中国ちゅうごくとアジアの新興しんこうこく日本にっぽんとの戦争せんそう干渉かんしょうして、中国ちゅうごく沿岸えんがんのどこかを租借そしゃくし、そこを橋頭堡きょうとうほとして内陸ないりく鉄道てつどうばし、事実じじつじょう植民しょくみんとするだろう。イギリスが中東ちゅうとうやインドでやっている手口てぐちだ。朝鮮ちょうせん遼東りゃおとん半島はんとうにはロシアが進出しんしゅつし、イギリスはもっとも肥沃ひよくみなみささえ上海しゃんはいから長江ちょうこう流域りゅういきと、香港ほんこんから広州こうしゅう一帯いったいさえるから、わがドイツはおそらく山東さんとう半島はんとう進出しんしゅつすることになるはずだ。後進こうしんとはいえドイツはいかなるくに追随ついずいゆるさぬ、世界一せかいいち先進せんしん工業こうぎょうこくだ。その科学かがくりょく技術ぎじゅつりょく工業こうぎょうりょくと、勤勉きんべん国民こくみんせいをもってして、必要ひつよう十分じゅうぶん植民しょくみん獲得かくとくすれば、欧州おうしゅうのどなかめるドイツが、欧州おうしゅう全土ぜんどべるだろう。欧州おうしゅうがドイツによって統一とういつされたあかつきには、彼女かのじょとおりに、しずむことのない世界せかい帝国ていこく・イギリスとの最終さいしゅう戦争せんそういたるだろう。それだけは間違まちがいない。

 

 

 まあ、それはともかくとして、わたしはたらいている商社しょうしゃは、北海ほっかいからフランクフルトの本社ほんしゃにいろんな物産ぶっさん一旦いったん集積しゅうせきし、それからドイツがほこ鉄道てつどうもうでもって、全国ぜんこく各地かくちや、オーストリアや、とおくはスイスやイタリアまで配送はいそうするのよ。

 ゼーゼマンさんやシュミットさんは、むかしからの貴族きぞく階級かいきゅうひとたちではなくて、そういうあたらしいドイツというくに急速きゅうそくちからけてきた新興しんこう階級かいきゅうのようなものだから、ふるいことにはこだわりなく、あたらしいことがきで、鷹揚おうようでさっぱりとしたご性格せいかくで、ハイディのようにやんちゃでなんでもおもったとおこうにする子供こどもがおこのみらしいのね。でも、ロッテンマイヤー女史じょしは、もともとヴェッティンザクセン・アルテンブルクこういえおさむむすめだったそうよ。プロイセンによるドイツ帝国ていこく統一とういつ過程かていで、実家じっかがヴェッティンごと没落ぼつらくしたので修道しゅうどうおんなになったのだけど、院長いんちょう紹介しょうかいでゼーゼマン家庭かてい教師きょうしになり、執事しつじ仕事しごとまかされるようになったそうよ。だから何事なにごともおかたくて、自由じゆうままなハイディのやることなすことわなくて、ハイディにつらくあたってしまうのよねえ。

 

 

 おれはそこでふと疑問ぎもんかんじて、くちはさんだ、おやくんはさっきシュミットさんのところで家政かせいとしてはたらいている、とっていたようだけど、いまは、シュミット・ゼーゼマン・ニューギニア商会しょうかい社員しゃいんになったってことかい。

 

 ええ、そうよ。

 いえ、わたしもね、最初さいしょいちねんは、シュミットさんのお屋敷やしきいえなかのこまごまとした雑用ざつようたずさわっていたのだけど、ご主人しゅじん貿易ぼうえき仕事しごとねこりたいくらいにいそがしくなってきてね。わたし商社しょうしゃ事務所じむしょにヘルプでるようになって。そしたら、わたし文字もじきやおかね勘定かんじょうくらいはマイエンフェルトの国民こくみん学校がっこうならっていちとおりできるものだから、なにかと会社かいしゃ事務じむ仕事しごと手伝てつだうようになったのよ。そうしたらご主人しゅじんさまから、そのはたらきぶりをみとめられて、お給金きゅうきんもずっとげてもらい、いまではすっかり事務所じむしょ専属せんぞく職員しょくいんとして勤務きんむしているというわけよ。毎日まいにちぬほどいそがしくなったけど、充実じゅうじつしていてやりがいのある仕事しごとだわ。ずいぶんらしきもらくになって、最初さいしょみの家政かせいさんだったけど、いまでは一人ひとりできままに下宿げしゅくしているのよ。仕事しごとのストレスもえたわりに、あそびも人付ひとづいも派手はでになって、あたらしく出来できたおみせ仲間なかまたちとあちこちあるいて、おさけあじおぼえて、毎日まいにちむおさけりょうもどんどんえてしまったけど。

 まあそんな具合ぐあいでね、わたし人生じんせい、おおむね順風じゅんぷうまんで、フランクフルトのみずにもれて、友達ともだちもたくさんできて、としとしだけにいたはなしおおくもないけど、都会とかいらしをわたしなりに堪能たんのうし、めいのハイディのことは、すっかりわすれかけていた、その矢先やさきのことだったわ。

Visited 15 times, 1 visit(s) today

コメントをのこ

メールアドレスが公開こうかいされることはありません。 いているらん必須ひっす項目こうもくです

CAPTCHA