ゼーゼマンさんとこの娘、クララという子が、子供の頃から病弱で、片足が悪く、いつも車いすに乗って暮らしていたの。ゼーゼマンさんの奥さんは、クララを産んですぐに亡くなってしまい、ゼーゼマンさんはいつも仕事でお屋敷には不在がちで、クララはフランクフルト一というくらい大きくて立派なお屋敷で、たった一人で家庭教師に勉強を習っていたけど、一緒に住み込みで遊び相手ともなり、勉強仲間にもなれる友達を、ロッテンマイヤーさんというゼーゼマン家をきりもりしている女性の執事の方が、探していたのね。
ロッテンマイヤー女史は、「かわいらしくて古風な趣のある、」「気高く純粋で、」「地面に触れもしない澄んだ山上の空気のような」「スイスの娘」をご所望だった。それで、スイス出身の私に、ご主人様のシュミットさんを通じて打診があったのよ、親戚や知り合いに、そんな娘の心当たりはあるまいかと。
どうも彼女は、なにやらスイスの娘というものを勘違いしているようね。本物のスイスの娘というものは、山羊や牛や羊たちと一緒に、野山を駆け回る、獣と土と藁の混ざったような匂いのする、黒々と日に焼けた山女のようなものなのにね。でもまあ、私の脳裏にそのとき浮かんだのは、あの山の炭焼き小屋におじいさんと二人きりで置いてきた、姪のハイディのこと。あのあわれな境遇にいるハイディを、もしかしたら救い出すことができるかもしれないってことでした。
私はさっそくゼーゼマンさんのお屋敷に伺って、ロッテンマイヤー女史に面会させていただいたの。私がハイディのことを色々と、あることないこと良い具合に紹介すると、ロッテンマイヤーさんも、まったく望み通りのすばらしい子のようだから、是非会ってみたいとおっしゃってくれて。それで私は早速シュミットさんにおいとまをいただいて、ハイディを山から連れてくることにしたのよ。
ハイディは八才になって、とっくに小学校に行かなきゃいけない年になっていたのに、アルムおじさんはハイディを学校にもいかせず、毎日雌山羊の世話ばかりさせていたの。雌山羊というのは、牛や雄山羊と違って、小柄で非力な獣なので、子供や女が世話をするものなのよ。
それでハイディをゼーゼマンさんに紹介しようとしたのだけど、アルムおじさんはなんだかんだとわけのわからないことを言って怒るし。それで私、カッとなって、おじさんには「祖父のあなたと、叔母の私と、どちらが正当なハイディの養育権があるか、出るとこに出て争ってもかまわないのよ。裁判でおじさんの味方をする人が、一人でもいると思う。裁判になって、ドムレシュクで財産失ってやくざ者とつきあってたことやら、ナポリで傭兵やってたことや、どこの誰とも知れないおかみさんやその息子のことや、あれこれ昔のことを蒸し返されると、困るのはおじさんの方じゃないの。」なんてことまで言って、おじさんをかんかんに怒らせてしまったわ。
どういうわけか、そんなやっかい者のおじさんにハイディはなついてしまって、山の暮らしにすっかりなじんでしまい、山を離れそうもないので、ハイディをうまくだまくらかして、山から連れ出した。途中、ハイディが仲良くしていた山羊飼いのベーターや、ペーターのお母さんのブリギッテ、それにペーターの目の見えないおばあさんまでが、ハイディを連れて行くのをものすごく泣いて嫌がったのだけど、ハイディの幸せを考えてあげてちょうだい、こんな山の中より、都会の方が絶対に良い暮らしが出来るのよ、と説得し、ハイディには、ペーターのおばあさんのためにフランクフルトで白パンを買って帰ってくるのだと思わせて、急いで山道を降りた。デルフリ村では誰も私とハイディを引き留める者もなく素通りして、マイエンフェルト駅で汽車に乗せました。何もかもハイディのためを思って無理を承知でやったことだったわ。
何度も何度も乗り換えてはるばるフランクフルトまでハイディを連れてきたけど、そのままゼーゼマン家に連れていくわけにもいかないから、まず私がハイディのぼさぼさのくせっ毛にブラシを入れて、毛先を切りそろえてあげると、女の子らしいウェーブのかかったセミロングの髪型になった。それからつぎはぎだらけの古着を新調した服に着替えさせ、顔もキレイに拭いてあげると、姉のアーデルハイトにそっくりな、見違えるように愛らしい女の子になった。
「ねえ、あなたもこれからは、毎日女の子らしく、髪の毛や身だしなみに気をつけるのよ、あんたはほんとうに母親譲りの器量良しだね、」
と褒めてやると、姪っ子は、鏡に映った自分の姿を見て、髪を手ぐしでかきなでながら、
「あたしがいくらおめかししても、山羊飼いのペーターを喜ばせるだけだわ。」
と八歳の女の子にしては、おませな口をきいた。ちなみに、ペーターというのは、夏の間ハイディと一緒にアルムの牧場まで山羊を連れていく、ブリギッテの息子のことね。
いよいよゼーゼマン家を訪れて、私とハイディの二人でロッテンマイヤーさんと面会すると、ハイディがクララより四才も年下なので、あやうく断られそうになったのだけど、むりやりハイディをゼーゼマンさんのところに預けておいてきたの。
あの通りあのころのハイディときたら、山育ちの野生児そのもので、自分の名前もろくにいえないし、本も読んだことがないばかりか、字も読み書きできないし、テーブルマナーも人付き合いもまるでなってなくて、どうなることかとひやひやしたけど、風変わりでひょうきんなところが、遊び相手に面白くて退屈しないと、クララお嬢様ご本人に気に入られたらしく、旦那様のゼーゼマンさんや、老ゼーゼマン夫人にもかわいがられて、しばらくはうまくやっているようだったの。
私は私で、フランクフルトの都会生活にすっかり浮かれはしゃいでいたわ。ドイツがプロイセン王国によって統一されて、帝政ドイツとなった矢先の好景気に当たってね。それまでは、ドイツ語を話す諸侯国があって、ドイツという国も、ドイツという国の国民もなかったの。彼ら新しい「ドイツ人」たちはみな毎日がお祭り騒ぎのようなものだったわ。私はスイス人だけど同じドイツ語圏の人間で、そんな中で、遅れて来た青春を思いっきり楽しもうと、限られたお給金から奮発して貴婦人のような服を買い、着飾って毎日おもしろおかしく過ごしていたの。
ドイツはそれまでは小さな王国や自治体の集合体だったから、産業革命が発達しても、ドイツ民族としての国力が弱くて、植民地政策には出遅れていたのよね。それをプロイセン王国の鉄血宰相ビスマルクの力で、ドイツを統一して、一つの巨大な国内商圏というものが成立して、また中央集権と強力な軍事力を背景に、いよいよ世界征服と貿易に乗り出したというわけよね。ビスマルクは、髪の毛はちょっと薄いみたいだけど、ドイツにとってなかなか頼りがいのある人だわ。いずれ世界はイギリスとドイツの最終戦争に発展し、その暁にはドイツが世界の覇者になると思うわ。
*
こいつは驚いた。スイス女のくせに、ドイツのいっぱしの愛国者のようなことを言いやがる。確かに今のドイツは旭日昇天の勢いだ。ナポレオン三世の第二帝政は、内政・外交ともずっと綱渡りの連続で、プロイセンの宰相ビスマルクによって画策された普仏戦争とそれに続くドイツの統一で、ボナパルティズムの化けの皮が剥がれてしまった。以後、共和主義者や復古主義者、ボナパルティストやオルレアニストなどの小党派に分裂して政治的には大混乱だ。もはや昔のブルボン王朝や帝政時代のような挙国一致の勢いはない。
また、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ一世も、それからプロイセンのゴリ押しで始まった戦争で負けて、ヴェネツィアを取られたり、ドイツの同盟国や覇権を失ったりと弱り目に祟り目だ。ドイツの盟主の椅子から転がり落ちたオーストリアは、帝国経営に懲りることも無く、ハンガリーをますます弾圧し、やはり落ち目のトルコから、イギリスやロシアと同様にバルカン半島の領土を奪い取ろうとしている。フロンティアをヨーロッパの東や南に求めているんだろうが、苦肉の策といおうか、危ない火遊びだね。
俺が生まれ育ったフランクフルト・アム・マインは、やはり普墺戦争の巻き添えを食って、それまではドイツ同盟の中で完全な自治権を持った、独立した自由都市だったのに、オーストリア側で参戦して敗戦国となったために、プロイセン王国の州の一つに併合されてしまったのだ。俺が十七歳の時だったが、当時は結構ショックだったなあ。
イタリアも念願の統一国家建設を果たしたが、勤勉実直な北イタリア人に、因循姑息で狡猾なローマ人、退廃的享楽的な南イタリア人が、一つの国にまとまるのは容易じゃあない。古代ローマの再現などまず無理だ。
昔日の世界帝国、インドはすでにイギリスの手に落ちた。残るトルコと中国の解体によって欧州の世界征服は完了する。トルコにしろ中国にしろ、インド同様余命いくばくもないのは一目瞭然。トルコはロシア、オーストリア、イギリス、フランスに蚕食されていくだろう。ドイツの活路は南太平洋と中国しか残されていないが、その中国沿岸部にもすでにイギリスやロシア、アメリカ、フランスの覇権が及んでいる。我が国は中国とアジアの新興国日本との戦争に干渉して、中国沿岸部のどこかを租借し、そこを橋頭堡として内陸へ鉄道を延ばし、事実上の植民地とするだろう。イギリスが中東やインドでやっている手口だ。朝鮮と遼東半島にはロシアが進出し、イギリスはもっとも肥沃な南支那、上海から長江流域と、香港から広州一帯を押さえるから、わがドイツはおそらく山東半島に進出することになるはずだ。後進とはいえドイツはいかなる国の追随も許さぬ、世界一の先進工業国だ。その科学力・技術力・工業力と、勤勉な国民性をもってして、必要十分な植民地を獲得すれば、欧州のど真ん中を占めるドイツが、欧州全土を統べるだろう。欧州がドイツによって統一されたあかつきには、彼女の言う通りに、日の沈むことのない世界帝国・イギリスとの最終戦争に至るだろう。それだけは間違いない。
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まあ、それはともかくとして、私が働いている商社は、北海からフランクフルトの本社にいろんな物産を一旦集積し、それからドイツが誇る鉄道網でもって、全国各地や、オーストリアや、遠くはスイスやイタリアまで配送するのよ。
ゼーゼマンさんやシュミットさんは、昔からの貴族階級の人たちではなくて、そういう新しいドイツという国で急速に力を付けてきた新興階級のようなものだから、古いことにはこだわりなく、新しいことが好きで、鷹揚でさっぱりとしたご性格で、ハイディのようにやんちゃでなんでも思った通り口にする子供がお好みらしいのね。でも、ロッテンマイヤー女史は、もともとヴェッティン家ザクセン・アルテンブルク公の家宰の娘だったそうよ。プロイセンによるドイツ帝国統一の過程で、実家がヴェッティン家ごと没落したので修道女になったのだけど、院長の紹介でゼーゼマン家の家庭教師になり、執事の仕事も任されるようになったそうよ。だから何事もお固くて、自由気ままなハイディのやることなすこと気に食わなくて、ハイディにつらくあたってしまうのよねえ。
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俺はそこでふと疑問を感じて、口を挟んだ、おや君はさっきシュミットさんのところで家政婦として働いている、と言っていたようだけど、今は、シュミット・ゼーゼマン・ニューギニア商会の社員になったってことかい。
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ええ、そうよ。
いえ、私もね、最初の一、二年は、シュミットさんのお屋敷で家の中のこまごまとした雑用に携わっていたのだけど、ご主人の貿易の仕事が猫の手も借りたいくらいに忙しくなってきてね。私も商社の事務所にヘルプで出るようになって。そしたら、私も文字の読み書きやお金の勘定くらいはマイエンフェルトの国民学校で習って一通りできるものだから、何かと会社の事務の仕事を手伝うようになったのよ。そうしたらご主人様から、その働きぶりを認められて、お給金もずっと上げてもらい、今ではすっかり事務所の専属職員として勤務しているというわけよ。毎日死ぬほど忙しくなったけど、充実していてやりがいのある仕事だわ。ずいぶん暮らし向きも楽になって、最初は住み込みの家政婦さんだったけど、今では一人できままに下宿しているのよ。仕事のストレスも増えた代わりに、遊びも人付き合いも派手になって、新しく出来たお店を仲間たちとあちこち食べ歩いて、お酒の味も覚えて、毎日飲むお酒の量もどんどん増えてしまったけど。
まあそんな具合でね、私の人生、おおむね順風満帆で、フランクフルトの水にも慣れて、友達もたくさんできて、年が年だけに浮いた話は多くもないけど、都会暮らしを私なりに堪能し、姪のハイディのことは、すっかり忘れかけていた、その矢先のことだったわ。
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