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东王公 - 维基百科,自由的百科全书 とべ转到内容ないよう

王公おうこう

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王公おうこう
せんふつ蹤》まきいちてきひがし王公おうこう插圖そうず
繁体字はんたいじ ひがし王公おうこう
简化王公おうこう

ひがし王公おうこうまたたたえづくひがしおうちちひがしはなみかどくん[1][2]ひがしちちひがしくんこう扶桑ふそう大帝たいていあおわらわくんもとちちあおひさげみかどくんひがしはなこう上相かみやあおわらわどうくん[3][4]ひがしはなむらさきしょうみかどくん[2]ひがしはな至極しごくしょうちちてんみこと[5]ひがしはなこうあお大帝たいてい[6]もと慈父じふ九微太眞木公尊神[7]もと慈父じふ扶桑ふそう大帝たいていこうみこと神道しんとうくん[8]あずまはなだいつかさいのちしょうみかどぬし王公おうこうちちてんみこと[9]ひとし中國ちゅうごく神話しんわ道教どうきょうてき神仙しんせん傳統でんとうじょうあずか西王母せいおうぼ相對そうたいおう西王母せいおうぼ統率とうそつ天界てんかいてき眾女せん,而東おう公則まさのり統率とうそつ所有しょゆうおとこせんざい後世こうせいゆうあずかふとおつすくいてんみことある天皇てんのうふくうえきよし上相かみやあおわらわくんとう神靈しんれい相互そうご混同こんどう

みなもとゆかり

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ひがし王公おうこうてきらい历有诸多记载,かずらひろしてき元始げんしじょう眾仙·まくら中書ちゅうしょしょう元始げんし天王てんのうあずかふともと圣母所生しょせいてき天皇てんのうめいため扶桑ふそう大帝たいていひがし王公おうこうごう曰元ちちきさきまたなましたてき孪生いもうといもうときゅうひかり玄女げんにょごう曰太西王母せいおうぼ西にしかん夫人ふじん天皇てんのう受號じゅうさんとう後生ごしょうすめらぎすめらぎじゅういちとう皇生きみお人皇じんのうきゅうとうかくさんまんろくせんさい[10]

せんえんへんたままきじょう記載きさい:“〈天皇てんのう东立おうはは西にし旋〉元始げんし天王てんのうふとしもと圣母还上宫之きさき,经一こう,乃生天皇てんのう治世ちせいさんまんろくせんねん,受书为扶桑ふそう大帝たいていきょ东极扶桑ふそう宫,为东王公おうこうこん间皇太子たいしきょ东宫ぞう此也。またなまきゅうひかり玄女げんにょごう曰太西王母せいおうぼきょ西にしこん崙山曰木公金こうきんはは天地てんちみことしん也。”[11]

かみけいまたゆう記載きさい:「ひがし荒山あらやま中有ちゅうう大石おおいししつひがし王公おうこうきょ焉。長一ちょういちたけ頭髮とうはつあきら人形にんぎょうとりめん而虎いち黑熊くろくま左右さゆう顧望。つね与一よいちだまおんなとう壶,まいとうせんひゃく矫,设有にゅう不出ふしゅつしゃてん为之うそ;矫出而脱さとるせっしゃてん为之わらい。」[12]中荒なかあら经》:“こん仑之さんゆう铜柱焉,其高にゅうてんしょ谓天ばしら也。围さん千里せんりしゅう围如そぎしたゆう石室いしむろぽうひゃくたけ仙人せんにんきゅう治之はるゆきうえゆうだい鸟,めい希有けうみなみむこう,张左翼さよくくつがえ王公おうこう右翼うよくくつがえ西王母せいおうぼ上小かみこ处无いちまんきゅう千里せんり西王母せいおうぼ岁登つばさ上之うえの东王公也きみや[13]

一说東王木公领导男仙,あずか领导おんなせんてき西にしおうきんはは并称。聽文ゆうくんせいくんあかり[14]相傳そうでんのうれきがつはつろくためひがし王公おうこうひがしはなみかどくんてき誕辰たんしんざい天下てんか苍生为始时,ゆかりひがしはないたる真之まさゆきしょなま碧海へきかいうえ、苍灵墟,於東おひがしかた,以主和之かずゆきあずかきむははども陰陽いんよう二氣而創造天地萬物;天上天下てんじょうてんげ、三界十方的男子登仙得道者都隸屬於他。[2][15][16]

一说东王公是类似すすきあおみかどてき草木くさきしんきょ东方,摄青龙,しゅしょう阳之气,てのひら万物ばんぶつなま发。《历代神仙しんせんどおりはたこうきむははれついれろうくんきむははこうあか精子せいしみず精子せいしろう(げんげん上人しょうにん))ちゅう[17]またゆう王公おうこう为日しんにち扶桑ふそう大帝たいてい)、水神すいじん水府すいふ扶桑ふそう大帝たいていてき说法。

一说东华帝君再世化生おうげんはじめためちょん真道まみちてき师。其后辈有上洞かぼらはちせん包括ほうかつせい阳真じん钟离权、“纯阳真人しんじん吕洞宾。该说ほう见于あきらきよししょう说以及降鸾书、劝善文中ぶんちゅう,如《はちせん得道とくどう》、《东游记とう。《きむ莲正むね记》うんふとじょう传之于金ははきむはは传之于白うんしろうん传之于帝くんおうげんはじめ),ごう“东华”。

さいゆう另一傳說是尊稱東王木公為天父,西にしおうきんははためてんははひがし王公おうこうしらげ西王母せいおうぼ。而造成人せいじん

簡介

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すえ三教源流搜神大全まきいち释曰:“东华しゃ,以帝くん东华いたり真之まさゆき气化而生也,ふん东极,きょ东华うえ也。むらさきしゃ,职居むらさき,统さんじゅうよんつかさ,迁转ほらきょ宫较ひんしんせん也。阳者ぬし东方しょう阳之气,なままん汇也。みかどくんしゃ东方诸天みこときみまき众圣,为生ぶつおも。”えき》曰:“みかど乎震也。”いん此有“东华むらさきしょう阳帝くんしょう

すえ歷代れきだい神仙しんせんどおりかんまきいち記載きさい:“公生きみお於東おひがし閭,きむははせい於西こん侖,悉通造化ぞうかげんこう曰,天地あまちはつひらけ以東いとうはないたるせい炁,鍾化於我,なま碧海へきかいうえあおいれい墟;以西いせいはな至妙しみょうほらかげ炁,化生かせいきんはは,棲神於昆侖之圃,阆风えんせいしこりたたえさびみちたい無為むいすんでぞくどうみなもと,焉有いたりげん畢,西方にしかた炁橫そらきむはは荏苒じんぜん而來,むかいぜん稽首,かくてい睛觀其豹とら蓬髮ほうはつ戴勝,披珠だま瓔珞ようらくこし纂桑ちょう裙。”[17]

王公おうこういち词,以目ぜん出土しゅつど文物ぶんぶつらい最早もはや见于西にしうみ昏侯りゅうなか出土しゅつどころもきょうじょうてきころも镜赋》。ざい道教どうきょうすすむかずらひろしまくらちゅう书》ちゅうみちごうしょう扶桑ふそう大帝たいてい视为さんすめらぎちゅうてき天皇てんのう,为三皇诸多版本之一。《灵位业图はた其排ざいうえきよしひだりごう曰太ほろ东霞扶桑ふそうりん大帝たいてい上道じょうとうくんまた真教まさのりもとけいうんむかし仪未ぶん,溟涬濛洪,如鸡玄黄げんこう中也ちゅうや自然しぜんゆうばん真人しんじんうつり就今,ばんいにしえ,乃是天地てんちしらげごう元始げんし天王てんのうゆうこう虚空こくうなかまたゆうふともと聖母せいぼ化生かせいてん脊膂ちゅうけいいちこう天王てんのうぎょうほどこせ聖母せいぼとげせい天皇てんのうごう上皇じょうこう元年がんねんはじめぬしまんろくせんさい,受元始げんし上帝じょうていいのちため東宮とうぐう大帝たいてい扶桑ふそう大君おおきみ东皇こうごう曰元ちちこうせんけいあるごうひがし王公おうこうあるごうあおわらわくんあるごうかた诸君,あるごうあおひさげくん名號みょうごう虽殊,そくいちひがしはな也。せいあさいたりもと六年正月日上尊號曰“ひがしはなむらさきしょうみかどくん”。[18]

《尘外记》あずかれつせんしょう王公おうこうかた诸山じょう,其诸いのちさんじゅうみかどくん为大いのち总统山上やまかみゆう东华だいみかどくんつねちょうしげるにちとうだい四望学道之品者。凡仙ゆうきゅうひんいち曰九天真てんしんすめらぎ二日ふつかさん天真てんしんすめらぎさん曰太じょう真人しんじんよん曰飞天真てんしんじん曰灵せんろく曰真じんなな曰灵じんはち曰飞せんきゅう曰仙じん。凡此ひんますせん得道とくどう时,とくさきはいこう(东王公おうこう),きさき谒金はは西王母せいおうぼ),此后ざいにゅうさん三清さんきょうはいふとじょう,观元始げんし

按《せんでん拾遺しゅうい》,こうまたうんひがしおうちちまたうんひがし王公おうこうぶたあお元氣げんきひゃくぶつせん也。かんむりさん維之かんむりふくきゅうしょく雲霞うんかふくまたごうたますめらぎくんきょ於雲ぼうあいだ,以紫くもためぶた青雲せいうんためじょうせんわらわ侍立じりつたまおんなこう僚仙かんきょおくまんけいかくゆうしょしょくみな稟其いのち而朝たてまつつばさまもる男女だんじょ得道とくどうしゃ名籍めいせきしょ隸焉。[19][20][21][22]

道教どうきょう典籍てんせきみちぞうさんほら经》记载:“ひがしおうちちしゃあお元氣げんき也,まんかみせん也。ころもしょくたまころもかんさんぬいいちうんさんぬいかんむりうえゆうふとししんくもしょくおさむ於東おひがしかたしもざいよもぎ萊山せい無為むいくん鮮,いちうんくんかいひとまたゆうざい頭上ずじょういただき巔,ひだりゆう王子おうじたかしみぎゆう赤松あかまつざい左目ひだりめちゅうおどけざい頭上ずじょう。其精じょうためめいふく。”[23]

道教どうきょう典籍てんせき靈寶れいほう無量むりょうじんじょうけい大法たいほうまきじゅう记载:“ひがしおうちち五色ごしきころも,絳冠,めい無為むいくんかいひだりゆうおうたかしみぎゆう赤松あかまつきょちゅうごうくんおもねめいふく羲,まんかみまん炁之さき[24]

道教どうきょう典籍てんせきみち法會ほうえもとまき記載きさい:“ひがしはなこう上相かみやあおわらわどうくん自然しぜんかみおとこせんおもかたしょあおみやわらわはつ靑天せいてんわらわはなみやわらわみやこ。”[25]

參考さんこうらいげん

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  1. ^ 佚名. 卷一けんいち (PDF). 《三教源流搜神大全》. [2022-02-16]. (原始げんし内容ないよう (PDF)そん档于2022-02-16). 
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  3. ^ はやしれいしん. まきななだいじゅう. 《靈寶れいほうりょうきょう濟度さいどきんしょ》. [2022-08-20]. (原始げんし内容ないようそん于2022-08-20). 
  4. ^ 蔣叔輿こし. まきろくだいなな. 《无上籙大ときりつなり》. [2022-08-20]. (原始げんし内容ないようそん于2022-08-20). 
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  6. ^ まき十一といちほら玄眞げんしんけい. 《ちょうさん先生せんせい全集ぜんしゅう》. [2022-08-20]. (原始げんし内容ないようそん于2022-08-20). 
  7. ^ はやしれいしん. まきいちひゃくさんじゅうだいいち. 《靈寶れいほうりょうきょう濟度さいどきんしょ》. [2022-08-20]. (原始げんし内容ないようそん于2022-08-20). 
  8. ^ 佚名. まきろくじゅうよんだい. 《靈寶れいほう无量じんじょうけい大法たいほう》. [2022-08-20]. (原始げんし内容ないようそん于2022-08-20). 
  9. ^ ひろしきょう眞人しんじんやなぎもりもと. まき. 《懺法大觀たいかん》. [2022-08-20]. (原始げんし内容ないようそん于2022-08-20). 
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  11. ^ から·おう松年しょうねん. まきじょうだいいち. 《せんえんへんたま》. [2022-11-08]. (原始げんし内容ないようそん于2022-11-08). 
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  13. ^ 東方とうほうついたち. 中荒なかあらけいじゅうのり. 《かみけい》. [2022-09-13]. (原始げんし内容ないようそん于2022-10-11). 
  14. ^ だんなりしき. まき十四としだく皋記じょう. 《とりざつまないた》. [2022-02-27]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-04-03). ひがし王公おうこういみな倪,くんあかり天下てんかゆう人民じんみん,秩まんろくせんせき。佩雜綬,綬長ろくたけろくしゃくしたがえおんなきゅうせん。以丁 
  15. ^ おう. 卷一けんいち. 《ゆうぞうれつせんぜんつて》. [2022-09-13]. (原始げんし内容ないようそん于2022-09-13). 
  16. ^ ただし斯張. まき十三じゅうざ. 《こう博物はくぶつこころざし》. [2022-09-13]. (原始げんし内容ないようそん于2022-06-11). 
  17. ^ 17.0 17.1 じょみち. 卷一けんいち. 《歷代れきだい神仙しんせんどおりかん》. [2022-11-09]. (原始げんし内容ないようそん于2022-11-09). 
  18. ^ たから. まきいちだいじゅうよん. 《さがせかみ》. 
  19. ^ ちんゆめかみなり. 博物はくぶつ彙編 だいひゃくじゅうかん. 《欽定きんてい古今ここん圖書としょ集成しゅうせい》. [2022-02-07]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-05-06). 
  20. ^ . まきだいいちこう. 《太平たいへいこう》. [2022-02-07]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-02-07). 
  21. ^ ちょう道一みちかず. まきろくこう. 《歷世れきせいしんせんからだどうどおりかん》. [2022-02-07]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-02-07). 
  22. ^ しゃもり灝. まき. 《こんもとひじり》. [2022-02-07]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-02-07). 
  23. ^ 佚名. まきじょう. 《ふとしじょうろうくんちゅうけい》. [2022-02-06]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-05-06). 
  24. ^ 天真てんしんすめらぎじん. まきじゅう靈寶れいほうほらひん. 《靈寶れいほう無量むりょうじんじょうけい大法たいほう》. [2022-02-06]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-05-06). 
  25. ^ 佚名. まき. 《みち法會ほうえもと》. [2022-02-06]. (原始げんし内容ないようそん档于2022-04-03). 

參考さんこう書目しょもく

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相關そうかん條目じょうもく

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